今日のことあれこれと・・・

記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

沖縄本土復帰記念日,沖縄復帰記念日

2005-05-15 | 記念日
今日(5月15日)は「沖縄本土復帰記念日,沖縄復帰記念日」
第2次世界大戦末期にアメリカ軍に占領され、1951(昭和26)年のサンフランシスコ条約の結果、アメリカ合衆国の統治下に置かれることとなった沖縄。敗戦直後からみられた沖縄の本土への復帰運動が、沖縄での運動から全国的な国民的な展開となり、これが、日米両政府を動かし、政府間で沖縄復帰の協議が行われるようになる。そして、その後、「岸・アイゼンハワー会談」「池田・ケネディ会談」などの会談を経て、当時の首相佐藤栄作が戦後の首相としては初めて沖縄を訪問、「沖縄の祖国復帰が実現しない限り、日本の戦後は終わらない」と演説。沖縄復帰問題はにわかに現実化し、1969(昭和44)年11月、「佐藤・ニクソン共同声明」で1972(昭和47)年の沖縄の本土復帰が確定した。そして、1971(昭和46)年6月17日、ワシントンで沖縄返還協定が調印され、翌1972(昭和47)年5月15日午前0時をもって発効し、沖縄の施政権がアメリカから日本に返還され、沖縄県 が誕生した。本土復帰を祝う政府主催の記念式典は5月15日東京・日本武道館と沖縄那覇市民会館の2箇所で、会場の飾りつけも同じにして同時に行われた。東京会場には天皇・皇后両陛下もご出席され、佐藤首相の式辞と天皇のお言葉は那覇会場にテレビ中継された。沖縄の人々にとっては、永らく待望していた祖国復帰が、実現したのであるが、この慶祝が手放しで喜べるものではなかった。それは、日本政府側も「本土並み」の復帰を目指したのではあろうが、実際には30以上の米軍基地や弾薬庫、演習場等が残されたままとなったからである。沖縄県民の心には、沖縄の米軍基地の重要性を認め、その維持に腐心する日本政府としての不信感と、「復帰」が日米安保体制強化のダシに使われたという複雑な思いが残ったからである。かって戦場の島だった沖縄は、平和を切望しながら、占領されて後、やっと、27年ぶりに祖国復帰した後も、今までと同じ「基地の島」の現状は変らなかったのであるから・・・。沖縄の米軍基地の面積は全県の12%にも上っていた。沖縄県民の気持ちはよく分る。
沖縄が日本に復帰後、使用できる通貨は、ドルから円になったが、当時ドルは、1ドル360円から305円に切り上げられていたので通貨交換により1ドル55円の目減りとなった。県民は暫く買物をするにも慣れないレート計算をしなければならず、商品の値段も混乱した。
その後、1974(昭和49)年4月、故佐藤栄作・元首相は、ノーベル平和賞を受賞した。領土返還交渉を成功させたこととともに「非核三原則」に基づく外交などが評価されての受賞だったようだが、沖縄は返還後も、米軍は、「日米安保条約」の下、沖縄をベトナム・中東などの戦役の拠点として引き続き使用。佐藤氏はベトナム戦争で米政策を全面支持し、日本は米軍の補給基地として重要な役割を果たしてきた。又、佐藤氏は言っている事とは反対に、原則的には日本の核武装に反対ではなかったともいい、佐藤氏を選んだことはノーベル賞委員会が犯した最大の誤りともいわれている。
日本における米軍基地の75%が集中する沖縄。2004年8月、沖縄国際大学構内に米軍ヘリが墜落する事故が起こったように、今でも基地による被害は絶えない。お気の毒としか言いようがない。しかし、この基地問題解決は、日本の国防力問題を抜きにしては出来ないであろう。
(画像は、本土復帰を祝う政府主催の記念式典。東京・日本武道館の模様。アサヒクロニクル・週間20世紀より)
参考:
データベース「世界と日本」/日米関係資料集1971-2005
http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/~worldjpn/documents/indices/JPUS/index71-05.html
用語解説-(一般)
http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/yougokaisetu-ippann.htm
データベース『世界と日本』 戦後日本政治・国際関係データベース
[文書名] 沖縄百万同胞に贈ることば(佐藤内閣総理大臣)/[出典] 佐藤内閣総理大臣演説集(1),
http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/~worldjpn/documents/texts/JPUS/19691121.S2J.html


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2 コメント

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世界平和 (sirubia)
2005-05-15 08:06:16


(ヾ(´▽`)ノオハヨウ(o´_`)o)ペコッ





沖縄には、一度も行った事がありません。私以外の家族3人は、それぞれ行きました。

私の知った時は、占領されていた時でしょう。

この記事は、知っています。

混乱の中、平和を願う沖縄県として、やっと戦後の占領をとかれた、長い復興の道だったのですね。

戦争終結から、60年、いまだに癒されない傷跡、

戦場に借り出された国民達の多くが高齢になりました。



私の父は、衛生兵として、志願してビルマに行って

運良く無事帰れましたが、

敗戦、流れ弾の中を逃げ惑い、泥水を飲み、

たくさんの方がなくなられ、その事が、トラウマになっていたのですね。

「生きているのは、悪いようだ」と、言っていました。

病気で早くなくなりました。生きていたら85歳以上になるようです。



いまだに、戦争が続き、たくさんのいたましい犠牲者がでています。

早く恒久的な、世界平和を願います。



追加、お願いします。



コメントに、名前とタイトルを入れ忘れ、クリックしたら、「何?」でした。

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sirubiaさんへ (よーさん)
2005-05-15 09:36:17
先のコメント削除しておきましたよ・・・

沖縄の方にとっては、基地問題が解決するまでは、本当の終戦とはいえないんでしょうね・・・

しかし、政府も、沖縄の人に迷惑かけていること自体は認識していると思う。だからこそ、一日も早く、回復をすることを願って、経済面などでは一生懸命支援していると思います。

ただ、基地問題となると、日本の国防問題との兼ね合いなどで、なかなか前に前進しない。これは、沖縄県人にとって不満だと思います。
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