日本記念日協会に、今日3月11のる記念日として登録されているものの中に「いのちの日」があった。
2011(平成23)年3月11日に発生した東日本大震災では多くの命が失われた。命の尊さを思い、命の大切さを考え、震災で学んだことを風化させることなく災害に備えようと「災害時医療を考える会(Team Esteem)」(※1)が制定したもの。
設定の趣旨は、災害時医療の改善を図るとともに、9 月1 日に防災訓練が行われるように、3月11日には健康、医療、災害時の体制などを考える機会を設けたいとの思いから。…だという。
いのち短し 恋せよ少女(おとめ)
朱(あか)き唇 褪(あ)せぬ間に
熱き血潮の 冷えぬ間に
明日の月日は ないものを
この歌は、1915(大正4)年に発表された中山晋平の歌謡曲『,ゴンドラの唄』(作詞:吉井勇)の歌詞(一番)である。
芸術座第5回公演『その前夜』の劇中歌として生まれ、松井須磨子らが歌唱、大正時代の日本で大流行したものだ。随分古い歌と思われるかもしれないが、私がまだ子供の頃でもよく唄われていた。
作曲の中山によれば、母の死の直後、悲しみに暮れる帰りの汽車の中で「『ゴンドラの唄』の歌詞が語りかけて」きて、「汽車の揺れとともに、自然と旋律がわいてきた」 のだという。
この『ゴンドラの唄』は森鴎外が翻訳した『即興詩人』(アンデルセン著)の一節を基にして吉井が作詞したそうだ(*2参照)。
黒沢 明監督の映画 『生きる』 のなかで、主演の志村 喬扮する一市役所の市民課長・渡辺勘治が、この歌を口ずさみながらブランコをこぐシーンが思い出される。
30年間何もしないまま、勤め上げようとしていた彼は、ある日、自分が胃ガンであることを知らされる。早くに死に別れた妻との間にできた息子にも冷たくされ、絶望と孤独に陥った彼は、街へさまよい出て、飲みなれない酒を飲む。
ああ、自分の人生はいったい何だったのか?・・・。 余命の短さの苦悩の中から、彼は生きることの意味を考えはじめる。そして、人生の最後の時間に、ほんの少しでも市民の役に立つことをしようと考え、小さな公園の建設に奔走、彼の努力により児童公園が完成した。 小雪の舞う夜、完成したばかりの公園のブランコに揺られながら、この『ゴンドラの唄』を楽しげに歌う・・・・。
死に直面した人間の心を通して、生きることの意味を優しい眼差しで表現したこの映画は、1953年度、ベルリン国際映画祭シルバーベアー賞を受賞している。
上掲の画像は、マイコレクションの絵葉書、那覇中央郵便局発行黒澤明監督全30作品絵入り絵葉書(ここ)の中の『 生きる』:ブランコに乗りゴンドラの唄を歌っている主演の志村喬)。『ゴンドラの唄』の試聴は以下で出来る。
今の時代、人間楽して、楽しく生きる事が理想のように考えている人が多くなったかもしれないが、そんな人は、一度この映画をDVDででも見てみると良い。『生きる』の主人公に限らず、誰だって享楽的な生活を送りたくなるだろうが、この映画の主人公は、それでは、何も満たされることがなかった。「生きる」とは、そういうものではないと思ったのだ。
仕事や人間関係に疲れたとき人は、自分の存在が否定されたように感じ、「私はなぜ生きているんだろう」という疑問を感じ、悶々としているうちに「生きている意味なんてない」と自分の人生に否定的になってしまうこともあるようだがそのような時、歴史上の哲学者や文学者が考えた「生きる意味」や「人生の意味」が私達を励ましてくれるかもしれない(※3参照)。
「生きる」とは、この世でいちばん稀(まれ)なことだ。たいていの人は、ただ「存在」しているだけである」(オスカー・ワイルド )
ただ存在するためには、息をして死なないでいるだけで十分であるが、生きるためには自分の意志で積極的な活動をしていかなければいけないのかもしれない。自分が「生きている」のか、「存在している」だけなのか、時には、自分に問いかけてみることも必要ではないだろうか(以下参考の*3参照)、
「敷かれた道を進むより、道なきところに自ら道を築いて進め」
「絶えずあなたを何者かに変えようとする世界の中で、自分らしくあり続けること。それがもっとも素晴らしい偉業である」
「人生は短い。だが親切を行う時間はいつだって十分にある」
いずれも私の好きなアメリカの思想家、哲学者であり作家・エマーソンの言葉である。何をしようかなど考えることはない。自分がしたいことを思いっきりしたらよいのである。少なくとも、人に親切をことをするぐらいはしようと思えばいつでもできるのだから・・・。そうすれば人生は変わるだろう。
思えば、私など、特別に何も考えずに今まで生きては来たが、振り返ってみると、自分としては、すばらしい青春時代をすごしてきたことを今、しみじみと幸せに感じている。生来が馬鹿な私は難しいことなど何も考えずに、ただただ、自分のしたいと思うことだけを夢中になって思う存分にやってきた。
もし、他の人よりほんの少し劣ったり遅れをとっただけで悩んだりしている人は、以下参考の青空文庫の北条 民雄「いのちの初夜」(※4)など読んでみるとよい。
昭和初期では不治の病とされたハンセン病(癩病)、患者は一般社会から隔離されて専門の施設に隔離された。自身も癩病患者であった作者の体験的な作品『いのちの初夜』は、癩病院への入所という絶望の中から不死鳥のような命の叫びを感じさせてくれる。生命(いのち)ってなんなんだ。?・・・深く考えさせられる。
ある種の現象が人間社会に負の影響を与える時、その現象及び影響(現象の拡大,他の現象の誘発)を「災害」という。
いくら真面目に一生懸命頑張っていても人を不幸に陥れる災害に遭遇することがあるが、その現象には自然現象による災害「天災」と人為現象による災害「人災」がある。
「災害対策基本法」にいう天災とは、自然現象としての災害」であり、 震災、津波、高潮,火山の噴火、暴風,豪雨,豪雪,洪水,その他の異常な自然現象であり,人災とは「大規模な火事もしくは爆発」などの人為現象であるとしている。
災害は、忘れたころにやってくるとは、よく言われるが阪神・淡路大震災は、まさにそのことばをまざまざと思い出させてくれた自然災害である。
1995年(平成7年)1月17日に起こった「兵庫県南部地震」は「ナチュラル・ハザード」(自然現象)であるが、その結果引き起こされ、数年にわたり大規模な人的被害や経済的被害などが続いた「阪神・淡路大震災」は「ナチュラル・ディザスター」(「自然災害」)である。
なお「ナチュラル・ハザード」という言葉は将来起きる可能性のある脅威(たとえば発生が予想される地震や、大雨が降った場合の洪水)を指す場合に使われるが、「ナチュラル・ディザスター」(自然災害)は過去に起こった、あるいはいま起こっている社会的出来事に関連付けて使われるそうだ。
戦後最大(発生時点では)のこの地震災害(震災)は、1995年(平成7年)年1月17日未明に、地震とはまったく縁がないと思われていた阪神、淡路地区を襲った。
これまで我が国が経験したことのない大規模な都市型震災であり、兵庫県全体で、死者・行方不明者が6,437 人、被害総額が約10 兆円にのぼった。特に震源に近い我が地元神戸市の六甲山南側の市街地を中心に広範囲かつ大規模に被災。人的被害では、死亡者4,571 人(2000.1.11)に達した。
その中で、高齢者(60 歳以上)が死亡者の約59%を占め、家屋倒壊による死者が多数(窒息・圧死が全体の約73%)を占めた。
また、物的被害では8 万戸を超える住宅が喪失し、さらには、神戸の街が営々と築き上げてきた神戸港、高速道路、橋梁、鉄道施設、ライフラインなどの都市基盤や、さらには産業基盤が甚大な被害を受けた。この物的被害の総額は約7 兆円弱と見込まれている。
その結果、道路であれば、利用できた数少ない幹線道路に自動車が集中して大渋滞が発生し、人命救出や消防の部隊の現場到着が大幅に遅れたり、その後の被災地への救援物資(水、食糧、日常用品等)の輸送に大きな影響を与えた(第二の災害とも呼ばれる)。また、水道管の破断等による断水は、消火用水不足による延焼拡大を引き起こし、その後の飲料水不足や水洗トイレの使用不能にもつながった(※5の阪神・淡路大震災の概要及び復興 - 神戸市参照)。
よく大きな被害が発生すると、「異常な自然現象」の為と云われるが、自然現象というものは,あくまで「自然の摂理」そのものであって決して「異常」ではない。「災害対策基本法」は,おもに災害が発生した場合の行政的措置(行政行為)を定めた法律であるが、その前提には,災害つまり自然現象に対する対応策(技術)のための予測がある。例えば,各種の建造物の設計基準を与えるものであり、過去の災害事例から,確率論的に災害規模を設定している。
その災害の規模は,それが人間社会に与えた負の影響の大きさ,つまり「被害」の大きさによって測定されるが、例えば、過去の地震事例を見ても分かるように、地震現象自体は同程度であっても,災害規模(被害の大きさ)は異なる。よく言われる、「異常」は其の予測値を超えた被害が出たときに使われているだけである。
震災は、津波の発生や、建物・施設等の倒壊、同時多発火災と延焼、ライフライン等の途絶による被害の複合性・波及性、情報連絡、避難生活、災害後の復旧対策など、総合的な防災行政全般に関連しているだけに、日本ではとくに防災行政の中心的な目標におかれてきた。
そして、関東大震災をはじめ、その時々の地震によって顕在化した弱点を教訓にしながら対策を積み上げていくことで、今日ある防災行政が進んできたともいるが、とくに、この阪神・淡路大震災は、地震による人的被害の規模の大きさ、中・高層建築物や都市施設の衝撃的な被害など、直下型地震の怖さを人々に焼き付けた。
震災地域の被害は、その震度などに単純に対応したわけではない。同じ震度地域であっても、倒壊した家屋もあれば倒壊しなかった家屋もある。震災に伴う火事は、木造・密集住宅地で、そうではない地域に比べ延焼が顕著であった。「被害」は、老朽住宅居住者・高齢者・一人暮らし・低所得者層など、いわゆる社会的弱者に、より深刻に現れた。震災被害は、そうした「階層性」を伴っていたが、震災後も被災者の生活再建の程度において、比較的に早く進んでいく者とそうではない者のふるい分けが、階層性を含みながら進行した(※6参照)。
災害時、社会的弱者はこのようにより厳しい状況に置かれやすい。防災行政の領域では、従来からこうした特別な配慮を必要とする人達を「災害弱者」として概念化してきたが、阪神・淡路大震災において、、災害時における弱者保護の必要性が改めて認識される事となった。
そして、この震災では、地震によって倒壊した建物から救出され生き延びることができた人の約8割が、家族や近所の住民等によって救出されており、消防、警察及び自衛隊によって救出された者は約2割であるという調査結果がある(※5参照)。
このような状況の中から災害ボランティアの活躍もあり、日本の市民運動史上では1995年のことを意味する「ボランティア元年」という言葉も誕生するなど、今までの災害現象では比較的注目されなかった、やや質の違う社会的課題を提起したといえる。
一年の世相を表す漢字一字を選ぶ「今年の漢字」(日本漢字能力検定協会主催)は、阪神・淡路大震災が起きた1995年から始まった。そして、この年の漢字は「震」であった。1月に阪神・淡路大震災、3月にはオウム真理教による地下鉄サリン事件(オウム真理教事件参照)が起きるなど、まさに世間を震撼させる出来事が起きたことによる。
先にも述べたように、阪神・淡路大震災には、今までの災害現象では比較的注目されなかった現代社会ならではの社会的課題が多く提起されており、今後の大型震災発生に対してその教訓を生かして、国、地方行政、そして、各個々人がそれなりの防災対策を講じていなければならないはずであったのだが、マスコミの報道は、阪神・淡路大震災のことについてはオウム真理教事件に埋没され、震災のことも、崩壊した高速道路や家屋、また火災で燃えている家など映像による悲惨な状況を、何か大きな事件といった感じで報道されていただけのような気がするのだが・・・。
阪神・淡路大震災では6千5百人の尊い生命が失われ、4万5千人が負傷し、最大時の避難者は32万人に達したが、被害の中心となった死傷者の多くは圧死や挫滅症候群(クラッシュ症候群)だった。
又、この大震災の後遺症が少しずつ癒えてきた2004年(平成16年)10月、新潟県中越地震が発生し、死者68人、負傷者は4千8百人を記録した。
地震発生後、余震も頻発し揺れも強く、山間部では多くの被災者が自家用車で暖を取りながら長期間の避難生活を余儀なくされたことで、深部静脈血栓症:: いわゆるエコノミークラス症候群が多発し、死者の少なくとも10人はこれがもとであったともいわれている。
そして、2011年(平成23年)3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震とそれに伴って発生した津波、およびその後の余震により引き起こされた大規模地震災害である東日本大震災の地震の規模はマグニチュード(Mj)は,9.0、最大震度は7を記録し2016年(平成28年)2月10日時点で、死者・行方不明者は18,456人、重軽傷者は6,152人、警察に届出があった行方不明者は2,562人であると発表されている。
被害は南北500キロに渡り、過去に経験しなかった巨大地震とともに大津波と福島第一原発事故,に襲われたが、死傷者の大多数は津波による溺死・溺水だった。被害を大きくした原因は,、被災地に通じる交通網が土砂や瓦礫で遮断されてしまったことで、人的物的支援が空路でしかできなくなってしまったことである。同時に電話やインターネットなどの通信網が完全に崩壊し情報の往来が不可能になったことも被害を増大させてしまった。この2件は阪神大震災でも同様のことが見られたことであった。
歴史的には中規模地震は10年に1回、大規模地震は100年に1回の割合で発生すると言われており(地震の年表 -日本参照)、国では10年から100年単位での長期的な地震発生の可能性と、今後30年以内に震度6弱以上の揺れに見舞われる確率を公表している(*7参照)。
災害が発生した場合、最も重要なことは人命救助である。人命救助にあたって、被災地内の医療機関は、自らも被災者となるものの、被災現場において最も早く医療活動を実施できることから、その役割は重要なものである。
災害(地震、火災、津波、豪雨水害・豪雪、火山噴火、または航空機事故などの大規模な事故、その他)により、対応する側の医療能力を上回るほど多数の医療対象者が発生した際に行われる、災害時の急性期・初期医療を指す「災害時医療」(災害医療)については、阪神・淡路大震災を契機として、災害拠点病院の整備、広域災害・救急医療情報システム(Emergency Medical Information System:EMIS.*8参照)の整備、災害派遣医療チーム( Disaster Medical Assistance Team の略語「DMAT」(ディーマット)と呼ばれる)の養成等を行ってきたが、東日本大震災での対応において、これまで整備してきた体制等につい今なお対応しなければならない課題が明らかになり、その課題について、厚生労働省が、被災地を含めた災害医療関係の有識者が検討する場として「災害医療等のあり方に関する検討会」を開催し、報告書が取りまとめられているのでそこを見られるとよい(※9の平成24年3月21日医政発0321第2号参照)
救急医療は、患者に対して十分な医療を供給できる環境下で行われる医療であり、例え突発的な発生であったとしても、いわば 「日常的に行われる医療」 の一部であるが、これに対して災害医療は、事前に予測困難な災害の発生時において、急激な傷病者の増加に対して医療の供給が全く追いつかない状況下で行われる医療であり、場合によっては 電気・水道などのインフラ施設も被災し停電・断水 といった状況の中、医療機関への医薬品や衛生材料の供給もストップするなど、想像以上に過酷な状況の中でも行わなければならない。
このような混乱する現場・殺到する傷病者に対して、手元の 「限られた医療資源」 を有効に活用することで、何とか1人でも多くの人命を救うことを求められる医療である。実際の災害発生時に 災害医療を主に担当するのは、平時に救急医療に携わっている医療関係者である。しかし 「災害医療」と「救急医療」は このように本質的に全く異なる医療であり、傷病者一人ひとりに対して、平時のような100%の医療は、現実的には提供できない。
災害医療では、一人の患者にかける医療の「質」よりも、いかに多数の患者に対して、限りある医療を効率的・効果的に提供できるか、という観点が 常に要求される、という点でも特殊である。 また、災害が長期化した場合には、必要とされる医療の内容が変化する、というのも大きな特徴のひとつである。
大規模災害時の被災者は、見知らぬ人を含めた多数の人との避難生活という、通常とは異なる環境下に置かれる。これにより十分な休息ができなかったり、トイレに行くことをためらったり、避難生活への不安や不満を抱えたりする場合がある。また、家族の安否を気にしたり経済的な不安を抱えたりといった心理的負担も大きい。
こうした環境要因により、不安や悩みを抱え、それが胃腸症状やうつ傾向のような身体症状として現れる例が多く見られる。“災害時の要介護者(要介護認定された者)へのケア”をどうするかなどはそのガイドラインが内閣府より出ており(※10参照)、また、厚生労働省の補助を受け、日本赤十字社が実施している災害救助調査研究・研修事業の一環として作成されたガイドライン(※11参照)などがあるので参照されるとよいだろう。
東日本大震災が発生した2011年(平成23)の「今年の漢字」は「絆」(*12参照)が選ばれた。
日本国内では、東日本大震災や台風(2011年の台風)による大雨被害、海外では、ニュージーランド地震、タイ洪水などが発生。大規模な災害の経験から家族や仲間など身近でかけがえのない人との「絆」をあらためて知らされたことによる(*13参照)。
人と人との小さなつながりは、地域や社会などのコミュニティだけでなく、国境を越えた地球規模の人間同士の「絆」へ。
SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)をはじめとするソーシャルメディアを通じて新たな人との「絆」が生まれ、旧知の人との「絆」が深まった(*14参照)。
この震災以降、人と人のつながりが増えたことは、不幸中の幸い、非常に喜ばしいことではあった。
(冒頭の画像は、 日本赤十字社の災害時要援護者対策 ガイドライン より。)
参考
*1:災害時医療を考える会
https://esteem311.wordpress.com/
*2:レファレンス共同データーベース:「ゴンドラの唄」は・・・
http://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000167707
*3:人生とは何か?を教えてくれる名言24個
http://estorypost.com/%e5%90%8d%e8%a8%80%e3%83%bb%e6%a0%bc%e8%a8%80/quotes-about-life/
*4:図書カード:「いのちの初夜」 著者名: 北条 民雄
http://www.aozora.gr.jp/cards/000997/card398.html
*5」神戸市:阪神・淡路大震災 震災復興資料集(50音順)
http://www.city.kobe.lg.jp/safety/hanshinawaji/data/keyword/50/
6:大震災いまだ終わらず - 佛教大学
http://www.bukkyo-u.ac.jp/mmc01/naito/cyosa/sinsai/1999/20000517.html
*7:特集 地震を知って地震に備える! - 内閣府
http://www.bousai.go.jp/kohou/kouhoubousai/h21/05/special_03.html
*8:広域災害救急医療情報システム: Home
https://www.wds.emis.go.jp/
*9:災害医療|厚生労働省
http://www.mhlw.go.jp/seisakunitsuite/bunya/kenkou_iryou/iryou/saigai_iryou/index.html
*10:災害時要援護者の避難支援 ガイドライン - 内閣府(Adobe PDF)
http://www.bousai.go.jp/taisaku/youengo/060328/pdf/hinanguide.pdf#search='%E3%80%81%E3%80%8E%E7%81%BD%E5%AE%B3%E6%99%82%E3%81%AE%E8%A6%81%E4%BB%8B%E8%AD%B7%E8%80%85%E3%81%B8%E3%81%AE%E3%82%B1%E3%82%A2'
*11:災害時要援護者対策 ガイドライン - 日本赤十字社(Adobe PDF)
http://www.jrc.or.jp/activity/saigai/pdf/saigaikyugo-3_document.pdf#search='%E3%80%81%E3%80%8E%E7%81%BD%E5%AE%B3%E6%99%82%E3%81%AE%E8%A6%81%E4%BB%8B%E8%AD%B7%E8%80%85%E3%81%B8%E3%81%AE%E3%82%B1%E3%82%A2'
*12:漢字辞典-OK辞典 ー「絆」
http://okjiten.jp/kanji46.html
*13:公益財団法人 日本漢字能力検定協会:「今年の漢字」一覧
http://www.kanken.or.jp/project/edification/years_kanji/history.html
*14:ソーシャルメディアの効用と可能性 : 平成23年版 情報通信白書 - 総務省
http://www.soumu.go.jp/johotsusintokei/whitepaper/ja/h23/html/nc232330.html
2011(平成23)年3月11日に発生した東日本大震災では多くの命が失われた。命の尊さを思い、命の大切さを考え、震災で学んだことを風化させることなく災害に備えようと「災害時医療を考える会(Team Esteem)」(※1)が制定したもの。
設定の趣旨は、災害時医療の改善を図るとともに、9 月1 日に防災訓練が行われるように、3月11日には健康、医療、災害時の体制などを考える機会を設けたいとの思いから。…だという。
いのち短し 恋せよ少女(おとめ)
朱(あか)き唇 褪(あ)せぬ間に
熱き血潮の 冷えぬ間に
明日の月日は ないものを
この歌は、1915(大正4)年に発表された中山晋平の歌謡曲『,ゴンドラの唄』(作詞:吉井勇)の歌詞(一番)である。
芸術座第5回公演『その前夜』の劇中歌として生まれ、松井須磨子らが歌唱、大正時代の日本で大流行したものだ。随分古い歌と思われるかもしれないが、私がまだ子供の頃でもよく唄われていた。
作曲の中山によれば、母の死の直後、悲しみに暮れる帰りの汽車の中で「『ゴンドラの唄』の歌詞が語りかけて」きて、「汽車の揺れとともに、自然と旋律がわいてきた」 のだという。
この『ゴンドラの唄』は森鴎外が翻訳した『即興詩人』(アンデルセン著)の一節を基にして吉井が作詞したそうだ(*2参照)。
黒沢 明監督の映画 『生きる』 のなかで、主演の志村 喬扮する一市役所の市民課長・渡辺勘治が、この歌を口ずさみながらブランコをこぐシーンが思い出される。
30年間何もしないまま、勤め上げようとしていた彼は、ある日、自分が胃ガンであることを知らされる。早くに死に別れた妻との間にできた息子にも冷たくされ、絶望と孤独に陥った彼は、街へさまよい出て、飲みなれない酒を飲む。
ああ、自分の人生はいったい何だったのか?・・・。 余命の短さの苦悩の中から、彼は生きることの意味を考えはじめる。そして、人生の最後の時間に、ほんの少しでも市民の役に立つことをしようと考え、小さな公園の建設に奔走、彼の努力により児童公園が完成した。 小雪の舞う夜、完成したばかりの公園のブランコに揺られながら、この『ゴンドラの唄』を楽しげに歌う・・・・。
死に直面した人間の心を通して、生きることの意味を優しい眼差しで表現したこの映画は、1953年度、ベルリン国際映画祭シルバーベアー賞を受賞している。
上掲の画像は、マイコレクションの絵葉書、那覇中央郵便局発行黒澤明監督全30作品絵入り絵葉書(ここ)の中の『 生きる』:ブランコに乗りゴンドラの唄を歌っている主演の志村喬)。『ゴンドラの唄』の試聴は以下で出来る。
今の時代、人間楽して、楽しく生きる事が理想のように考えている人が多くなったかもしれないが、そんな人は、一度この映画をDVDででも見てみると良い。『生きる』の主人公に限らず、誰だって享楽的な生活を送りたくなるだろうが、この映画の主人公は、それでは、何も満たされることがなかった。「生きる」とは、そういうものではないと思ったのだ。
仕事や人間関係に疲れたとき人は、自分の存在が否定されたように感じ、「私はなぜ生きているんだろう」という疑問を感じ、悶々としているうちに「生きている意味なんてない」と自分の人生に否定的になってしまうこともあるようだがそのような時、歴史上の哲学者や文学者が考えた「生きる意味」や「人生の意味」が私達を励ましてくれるかもしれない(※3参照)。
「生きる」とは、この世でいちばん稀(まれ)なことだ。たいていの人は、ただ「存在」しているだけである」(オスカー・ワイルド )
ただ存在するためには、息をして死なないでいるだけで十分であるが、生きるためには自分の意志で積極的な活動をしていかなければいけないのかもしれない。自分が「生きている」のか、「存在している」だけなのか、時には、自分に問いかけてみることも必要ではないだろうか(以下参考の*3参照)、
「敷かれた道を進むより、道なきところに自ら道を築いて進め」
「絶えずあなたを何者かに変えようとする世界の中で、自分らしくあり続けること。それがもっとも素晴らしい偉業である」
「人生は短い。だが親切を行う時間はいつだって十分にある」
いずれも私の好きなアメリカの思想家、哲学者であり作家・エマーソンの言葉である。何をしようかなど考えることはない。自分がしたいことを思いっきりしたらよいのである。少なくとも、人に親切をことをするぐらいはしようと思えばいつでもできるのだから・・・。そうすれば人生は変わるだろう。
思えば、私など、特別に何も考えずに今まで生きては来たが、振り返ってみると、自分としては、すばらしい青春時代をすごしてきたことを今、しみじみと幸せに感じている。生来が馬鹿な私は難しいことなど何も考えずに、ただただ、自分のしたいと思うことだけを夢中になって思う存分にやってきた。
もし、他の人よりほんの少し劣ったり遅れをとっただけで悩んだりしている人は、以下参考の青空文庫の北条 民雄「いのちの初夜」(※4)など読んでみるとよい。
昭和初期では不治の病とされたハンセン病(癩病)、患者は一般社会から隔離されて専門の施設に隔離された。自身も癩病患者であった作者の体験的な作品『いのちの初夜』は、癩病院への入所という絶望の中から不死鳥のような命の叫びを感じさせてくれる。生命(いのち)ってなんなんだ。?・・・深く考えさせられる。
ある種の現象が人間社会に負の影響を与える時、その現象及び影響(現象の拡大,他の現象の誘発)を「災害」という。
いくら真面目に一生懸命頑張っていても人を不幸に陥れる災害に遭遇することがあるが、その現象には自然現象による災害「天災」と人為現象による災害「人災」がある。
「災害対策基本法」にいう天災とは、自然現象としての災害」であり、 震災、津波、高潮,火山の噴火、暴風,豪雨,豪雪,洪水,その他の異常な自然現象であり,人災とは「大規模な火事もしくは爆発」などの人為現象であるとしている。
災害は、忘れたころにやってくるとは、よく言われるが阪神・淡路大震災は、まさにそのことばをまざまざと思い出させてくれた自然災害である。
1995年(平成7年)1月17日に起こった「兵庫県南部地震」は「ナチュラル・ハザード」(自然現象)であるが、その結果引き起こされ、数年にわたり大規模な人的被害や経済的被害などが続いた「阪神・淡路大震災」は「ナチュラル・ディザスター」(「自然災害」)である。
なお「ナチュラル・ハザード」という言葉は将来起きる可能性のある脅威(たとえば発生が予想される地震や、大雨が降った場合の洪水)を指す場合に使われるが、「ナチュラル・ディザスター」(自然災害)は過去に起こった、あるいはいま起こっている社会的出来事に関連付けて使われるそうだ。
戦後最大(発生時点では)のこの地震災害(震災)は、1995年(平成7年)年1月17日未明に、地震とはまったく縁がないと思われていた阪神、淡路地区を襲った。
これまで我が国が経験したことのない大規模な都市型震災であり、兵庫県全体で、死者・行方不明者が6,437 人、被害総額が約10 兆円にのぼった。特に震源に近い我が地元神戸市の六甲山南側の市街地を中心に広範囲かつ大規模に被災。人的被害では、死亡者4,571 人(2000.1.11)に達した。
その中で、高齢者(60 歳以上)が死亡者の約59%を占め、家屋倒壊による死者が多数(窒息・圧死が全体の約73%)を占めた。
また、物的被害では8 万戸を超える住宅が喪失し、さらには、神戸の街が営々と築き上げてきた神戸港、高速道路、橋梁、鉄道施設、ライフラインなどの都市基盤や、さらには産業基盤が甚大な被害を受けた。この物的被害の総額は約7 兆円弱と見込まれている。
その結果、道路であれば、利用できた数少ない幹線道路に自動車が集中して大渋滞が発生し、人命救出や消防の部隊の現場到着が大幅に遅れたり、その後の被災地への救援物資(水、食糧、日常用品等)の輸送に大きな影響を与えた(第二の災害とも呼ばれる)。また、水道管の破断等による断水は、消火用水不足による延焼拡大を引き起こし、その後の飲料水不足や水洗トイレの使用不能にもつながった(※5の阪神・淡路大震災の概要及び復興 - 神戸市参照)。
よく大きな被害が発生すると、「異常な自然現象」の為と云われるが、自然現象というものは,あくまで「自然の摂理」そのものであって決して「異常」ではない。「災害対策基本法」は,おもに災害が発生した場合の行政的措置(行政行為)を定めた法律であるが、その前提には,災害つまり自然現象に対する対応策(技術)のための予測がある。例えば,各種の建造物の設計基準を与えるものであり、過去の災害事例から,確率論的に災害規模を設定している。
その災害の規模は,それが人間社会に与えた負の影響の大きさ,つまり「被害」の大きさによって測定されるが、例えば、過去の地震事例を見ても分かるように、地震現象自体は同程度であっても,災害規模(被害の大きさ)は異なる。よく言われる、「異常」は其の予測値を超えた被害が出たときに使われているだけである。
震災は、津波の発生や、建物・施設等の倒壊、同時多発火災と延焼、ライフライン等の途絶による被害の複合性・波及性、情報連絡、避難生活、災害後の復旧対策など、総合的な防災行政全般に関連しているだけに、日本ではとくに防災行政の中心的な目標におかれてきた。
そして、関東大震災をはじめ、その時々の地震によって顕在化した弱点を教訓にしながら対策を積み上げていくことで、今日ある防災行政が進んできたともいるが、とくに、この阪神・淡路大震災は、地震による人的被害の規模の大きさ、中・高層建築物や都市施設の衝撃的な被害など、直下型地震の怖さを人々に焼き付けた。
震災地域の被害は、その震度などに単純に対応したわけではない。同じ震度地域であっても、倒壊した家屋もあれば倒壊しなかった家屋もある。震災に伴う火事は、木造・密集住宅地で、そうではない地域に比べ延焼が顕著であった。「被害」は、老朽住宅居住者・高齢者・一人暮らし・低所得者層など、いわゆる社会的弱者に、より深刻に現れた。震災被害は、そうした「階層性」を伴っていたが、震災後も被災者の生活再建の程度において、比較的に早く進んでいく者とそうではない者のふるい分けが、階層性を含みながら進行した(※6参照)。
災害時、社会的弱者はこのようにより厳しい状況に置かれやすい。防災行政の領域では、従来からこうした特別な配慮を必要とする人達を「災害弱者」として概念化してきたが、阪神・淡路大震災において、、災害時における弱者保護の必要性が改めて認識される事となった。
そして、この震災では、地震によって倒壊した建物から救出され生き延びることができた人の約8割が、家族や近所の住民等によって救出されており、消防、警察及び自衛隊によって救出された者は約2割であるという調査結果がある(※5参照)。
このような状況の中から災害ボランティアの活躍もあり、日本の市民運動史上では1995年のことを意味する「ボランティア元年」という言葉も誕生するなど、今までの災害現象では比較的注目されなかった、やや質の違う社会的課題を提起したといえる。
一年の世相を表す漢字一字を選ぶ「今年の漢字」(日本漢字能力検定協会主催)は、阪神・淡路大震災が起きた1995年から始まった。そして、この年の漢字は「震」であった。1月に阪神・淡路大震災、3月にはオウム真理教による地下鉄サリン事件(オウム真理教事件参照)が起きるなど、まさに世間を震撼させる出来事が起きたことによる。
先にも述べたように、阪神・淡路大震災には、今までの災害現象では比較的注目されなかった現代社会ならではの社会的課題が多く提起されており、今後の大型震災発生に対してその教訓を生かして、国、地方行政、そして、各個々人がそれなりの防災対策を講じていなければならないはずであったのだが、マスコミの報道は、阪神・淡路大震災のことについてはオウム真理教事件に埋没され、震災のことも、崩壊した高速道路や家屋、また火災で燃えている家など映像による悲惨な状況を、何か大きな事件といった感じで報道されていただけのような気がするのだが・・・。
阪神・淡路大震災では6千5百人の尊い生命が失われ、4万5千人が負傷し、最大時の避難者は32万人に達したが、被害の中心となった死傷者の多くは圧死や挫滅症候群(クラッシュ症候群)だった。
又、この大震災の後遺症が少しずつ癒えてきた2004年(平成16年)10月、新潟県中越地震が発生し、死者68人、負傷者は4千8百人を記録した。
地震発生後、余震も頻発し揺れも強く、山間部では多くの被災者が自家用車で暖を取りながら長期間の避難生活を余儀なくされたことで、深部静脈血栓症:: いわゆるエコノミークラス症候群が多発し、死者の少なくとも10人はこれがもとであったともいわれている。
そして、2011年(平成23年)3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震とそれに伴って発生した津波、およびその後の余震により引き起こされた大規模地震災害である東日本大震災の地震の規模はマグニチュード(Mj)は,9.0、最大震度は7を記録し2016年(平成28年)2月10日時点で、死者・行方不明者は18,456人、重軽傷者は6,152人、警察に届出があった行方不明者は2,562人であると発表されている。
被害は南北500キロに渡り、過去に経験しなかった巨大地震とともに大津波と福島第一原発事故,に襲われたが、死傷者の大多数は津波による溺死・溺水だった。被害を大きくした原因は,、被災地に通じる交通網が土砂や瓦礫で遮断されてしまったことで、人的物的支援が空路でしかできなくなってしまったことである。同時に電話やインターネットなどの通信網が完全に崩壊し情報の往来が不可能になったことも被害を増大させてしまった。この2件は阪神大震災でも同様のことが見られたことであった。
歴史的には中規模地震は10年に1回、大規模地震は100年に1回の割合で発生すると言われており(地震の年表 -日本参照)、国では10年から100年単位での長期的な地震発生の可能性と、今後30年以内に震度6弱以上の揺れに見舞われる確率を公表している(*7参照)。
災害が発生した場合、最も重要なことは人命救助である。人命救助にあたって、被災地内の医療機関は、自らも被災者となるものの、被災現場において最も早く医療活動を実施できることから、その役割は重要なものである。
災害(地震、火災、津波、豪雨水害・豪雪、火山噴火、または航空機事故などの大規模な事故、その他)により、対応する側の医療能力を上回るほど多数の医療対象者が発生した際に行われる、災害時の急性期・初期医療を指す「災害時医療」(災害医療)については、阪神・淡路大震災を契機として、災害拠点病院の整備、広域災害・救急医療情報システム(Emergency Medical Information System:EMIS.*8参照)の整備、災害派遣医療チーム( Disaster Medical Assistance Team の略語「DMAT」(ディーマット)と呼ばれる)の養成等を行ってきたが、東日本大震災での対応において、これまで整備してきた体制等につい今なお対応しなければならない課題が明らかになり、その課題について、厚生労働省が、被災地を含めた災害医療関係の有識者が検討する場として「災害医療等のあり方に関する検討会」を開催し、報告書が取りまとめられているのでそこを見られるとよい(※9の平成24年3月21日医政発0321第2号参照)
救急医療は、患者に対して十分な医療を供給できる環境下で行われる医療であり、例え突発的な発生であったとしても、いわば 「日常的に行われる医療」 の一部であるが、これに対して災害医療は、事前に予測困難な災害の発生時において、急激な傷病者の増加に対して医療の供給が全く追いつかない状況下で行われる医療であり、場合によっては 電気・水道などのインフラ施設も被災し停電・断水 といった状況の中、医療機関への医薬品や衛生材料の供給もストップするなど、想像以上に過酷な状況の中でも行わなければならない。
このような混乱する現場・殺到する傷病者に対して、手元の 「限られた医療資源」 を有効に活用することで、何とか1人でも多くの人命を救うことを求められる医療である。実際の災害発生時に 災害医療を主に担当するのは、平時に救急医療に携わっている医療関係者である。しかし 「災害医療」と「救急医療」は このように本質的に全く異なる医療であり、傷病者一人ひとりに対して、平時のような100%の医療は、現実的には提供できない。
災害医療では、一人の患者にかける医療の「質」よりも、いかに多数の患者に対して、限りある医療を効率的・効果的に提供できるか、という観点が 常に要求される、という点でも特殊である。 また、災害が長期化した場合には、必要とされる医療の内容が変化する、というのも大きな特徴のひとつである。
大規模災害時の被災者は、見知らぬ人を含めた多数の人との避難生活という、通常とは異なる環境下に置かれる。これにより十分な休息ができなかったり、トイレに行くことをためらったり、避難生活への不安や不満を抱えたりする場合がある。また、家族の安否を気にしたり経済的な不安を抱えたりといった心理的負担も大きい。
こうした環境要因により、不安や悩みを抱え、それが胃腸症状やうつ傾向のような身体症状として現れる例が多く見られる。“災害時の要介護者(要介護認定された者)へのケア”をどうするかなどはそのガイドラインが内閣府より出ており(※10参照)、また、厚生労働省の補助を受け、日本赤十字社が実施している災害救助調査研究・研修事業の一環として作成されたガイドライン(※11参照)などがあるので参照されるとよいだろう。
東日本大震災が発生した2011年(平成23)の「今年の漢字」は「絆」(*12参照)が選ばれた。
日本国内では、東日本大震災や台風(2011年の台風)による大雨被害、海外では、ニュージーランド地震、タイ洪水などが発生。大規模な災害の経験から家族や仲間など身近でかけがえのない人との「絆」をあらためて知らされたことによる(*13参照)。
人と人との小さなつながりは、地域や社会などのコミュニティだけでなく、国境を越えた地球規模の人間同士の「絆」へ。
SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)をはじめとするソーシャルメディアを通じて新たな人との「絆」が生まれ、旧知の人との「絆」が深まった(*14参照)。
この震災以降、人と人のつながりが増えたことは、不幸中の幸い、非常に喜ばしいことではあった。
(冒頭の画像は、 日本赤十字社の災害時要援護者対策 ガイドライン より。)
参考
*1:災害時医療を考える会
https://esteem311.wordpress.com/
*2:レファレンス共同データーベース:「ゴンドラの唄」は・・・
http://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000167707
*3:人生とは何か?を教えてくれる名言24個
http://estorypost.com/%e5%90%8d%e8%a8%80%e3%83%bb%e6%a0%bc%e8%a8%80/quotes-about-life/
*4:図書カード:「いのちの初夜」 著者名: 北条 民雄
http://www.aozora.gr.jp/cards/000997/card398.html
*5」神戸市:阪神・淡路大震災 震災復興資料集(50音順)
http://www.city.kobe.lg.jp/safety/hanshinawaji/data/keyword/50/
6:大震災いまだ終わらず - 佛教大学
http://www.bukkyo-u.ac.jp/mmc01/naito/cyosa/sinsai/1999/20000517.html
*7:特集 地震を知って地震に備える! - 内閣府
http://www.bousai.go.jp/kohou/kouhoubousai/h21/05/special_03.html
*8:広域災害救急医療情報システム: Home
https://www.wds.emis.go.jp/
*9:災害医療|厚生労働省
http://www.mhlw.go.jp/seisakunitsuite/bunya/kenkou_iryou/iryou/saigai_iryou/index.html
*10:災害時要援護者の避難支援 ガイドライン - 内閣府(Adobe PDF)
http://www.bousai.go.jp/taisaku/youengo/060328/pdf/hinanguide.pdf#search='%E3%80%81%E3%80%8E%E7%81%BD%E5%AE%B3%E6%99%82%E3%81%AE%E8%A6%81%E4%BB%8B%E8%AD%B7%E8%80%85%E3%81%B8%E3%81%AE%E3%82%B1%E3%82%A2'
*11:災害時要援護者対策 ガイドライン - 日本赤十字社(Adobe PDF)
http://www.jrc.or.jp/activity/saigai/pdf/saigaikyugo-3_document.pdf#search='%E3%80%81%E3%80%8E%E7%81%BD%E5%AE%B3%E6%99%82%E3%81%AE%E8%A6%81%E4%BB%8B%E8%AD%B7%E8%80%85%E3%81%B8%E3%81%AE%E3%82%B1%E3%82%A2'
*12:漢字辞典-OK辞典 ー「絆」
http://okjiten.jp/kanji46.html
*13:公益財団法人 日本漢字能力検定協会:「今年の漢字」一覧
http://www.kanken.or.jp/project/edification/years_kanji/history.html
*14:ソーシャルメディアの効用と可能性 : 平成23年版 情報通信白書 - 総務省
http://www.soumu.go.jp/johotsusintokei/whitepaper/ja/h23/html/nc232330.html