日本記念日協会に登録されている今日・5月1日の記念日に「語彙(ごい)の日」がある。
旺文社 生涯学習検定センターが、運営・実施している「実用日本語語彙力検定」を広くPRしようと2007(平成19)年に制定したもの。語彙力が低下していると言われる子どもたちに語彙力の大切さを認識してもらえる日になればという思いが込められているのだそうだ。日付は5と1で「語彙(ごい)」と読む語呂合わせから。
旺文社は、1931(昭和6)年に創業した教育専門の出版社である。
創業当時(欧文社)から、「受験旬報」(現在の螢雪時代)や、英語の問題集などの教育を主とした出版を行っている。1941(昭和16)年12月、日本が太平洋戦争(大東亜戦争)へ突入後の翌・1942(昭和17)年に、欧文社の「欧」の字が敵国につながるとして、社名を旺文社に変更した(同社HPの会社沿革参照)。
戦後日本の受験文化の成立に影響を与え、また、受験がひとつの産業になり得ることを証明した出版社でもある。
入試関連の雑誌や書籍の出版で有名だが、出版の他に生徒向けのテスト事業や各種資格検定事業も手がけている。
旺文社が始めて全国一斉に大学入試の模擬試験 日本語の語威力を総合的に判断する「実用日本語語彙力検定」、算数・数学の計算力の測定をする「計算力検定」、英語の基礎的単語知識を測定する「英単語検定」の三検定のひとつであり、生涯学習検定センターは、これらの検定試験実施を目的に1999(平成11)年に設立されたもので、2000(平成12)年7月から検定試験が実施されている(※1参照)。
教育政策に係わる調査研究を行うために文部科学省に置かれている国立教育政策研究所教育課程研究センター(※2)が、2002年3月発表の『「生きる力」を育てるための「読書教育推進プログラム」の開発研究』(※3)によると、“小・中・高校教師 256 人を対象に行った調査によれば、「国語学力は低下したか?」という質問に対し、63.5%が「低下していると思う」と答えており、また「どんな点で国語学力が低下したか?(複数回答)」という質問には、「語彙力」という答えが 63%でトップになっていた”という。
経済協力開発機構 (OECD) による国際的な生徒の学習到達度調査(PISA)というものが、2000(平成12)年に第1回調査を行ない、以後3年毎に調査され、第1回、2000年調査、第2回2003年調査、第3回2006年の調査結果については、国際報告書をもとに日本国内向けに翻訳した形で国立教育政策研究所が編纂したものが、(株)ぎょうせいから出版されているようだ。
調査は、毎回メインテーマが存在し、読解力、数学的知識、科学的知識の順番でメインテーマが移っていく。そのため、2000年は読解力、2003年は数学的リテラシー、2006年は科学的リテラシー、2009年は読解力をメインテーマとして扱っており、今年・2012(平成24)年は数学的リテラシーを扱う予定になっている。
結果の分析は、約1年をかけて行なわれているようなので、調査結果の発表は、翌年にされる。過去の調査の結果は、PISAにおける日本の成績 を参照されると良い。
概略を述べると、2000年調査では、数学(1位)と科学(2位)の両分野では、世界のトップレベルにあったが、読解力では、韓国(6位)にも遅れをとり8位であったが、2003年調査では、科学はフィンランドと並び1位であったものの、数学は6位、読解力は14位と落ち込み、2006年調査では、(数学10位、科学5位、読解力15位といずれの分野も更に落ち込んでしまった。
中でも、2003年調査の結果によるPISA ショックは大きく、1980年度以降行なわれていたゆとり教育による学力低下が教育問題として取り上げられるようになり、ゆとり教育から学力向上への政策転換の理由づけとなった。3分野の中でも特に低いのが読解力であった。
PISAの読解力とは、「自らの目標を達成し、自らの知識と可能性を発達させ、効果的に社会に参加するために、書かれたテキストを理解し、利用し、熟考する能力」である。この読解力の習熟度は、高い方から低い方へレベル5から1及びレベル1未満の6段階に分けられているが、2003年調査では、日本は読解力でレベル1あるいはレベル1未満の下位層の割合が増えていること、及びフィンランドや韓国と比べて下位層の割合が高いことが問題視されたようだ。
PISA型の「効果的に社会に参加するための」読解力を養うには、日本の国語教育に何が足りないのか?
結果的にPISA評価では、読んだり計算することはできるが、読解力や記述力、つまり、読み解いたことについて自分なりの意見を表現する能力に欠けるということであり、そこでクローズアップしてきたのが過去から盛んに言われできた活字離れ、つまり、”読書量の減少・“問題であり、そのことから読書、読育の必要性が説かれた。そのことから、政府も2001(平成13)年12月に「子どもの読書活動の推進に関する法律」を制定し読書を勧め読書環境の整備をうながす事となった(※4)。
そして、2002(平成14)年2月に、文部科学大臣から文化審議会に対し、「これからの時代に求められる国語力について」が諮問され、同分科会において審議を重ねた結果が、2004(平成16)年2月3日に発表されている(※5参考)。
そこには、
第1章「これからの時代に求められる国語力について」では、1)国語の果たす役割と国語の重要性、2)これからの時代に求められる国語力、 3)望ましい国語力の具体的な目安、
第Ⅱ章「これからの時代に求められる国語力を身に付けるための方策について」では、1)国語力を身に付けるための国語教育の在り方、2)国語力を身に付けるための読書活動の在り方・・など詳しく書かれている。
この第Ⅱ章 2)国語力を身に付けるための読書活動の在り方の中で、<情緒力・論理的思考力・語彙力の育成を>として、
“今の国際化社会の中では、論理的思考力(考える力)が重要であり、自分の考えや意見を論理的に述べて問題を解決していく力が求められる。しかし,論理的な思考を適切に展開していくときに、その基盤として大きくかかわるのは、その人の情緒力であると考えられる。したがって、論理的思考力を育成するだけでは十分でなく、情緒力の育成も同時に考えていくことが必要である。
これに加えて、漢字・漢語を含め国語の語句・語彙力の育成が重要である。人間の思考は言葉を用いる以上、その人間の所有する語彙の範囲を超えられるものではない。情緒力と論理的思考力を根底で支えるのが語彙力である。“・・・と。そして、”語彙力の教育・指導は子供の時から大人になるまで、直線的に同じ調子で行ってもよいと考えられる。なお、「聞く力」についても、側頭葉が関係しているので、語彙力と同じように早い時期から育てていくことが可能である。“・・として、発達段階に応じた国語教育の具体的な展開が述べられ、最後に、「国語力を身に付けるための方策」を実効性のある形で進めていくためには、一方で、”国語の重要性を認識し、国語を大切にする意識を共有するための国民的な運動の展開や講演会等の啓発活動を同時に進めていくことが不可欠である。“こと、又、”現在取り組まれている事業の推進のほかに、国語力に資する啓発活動という意味で、いわゆる「マニュアル言葉」や「公共の場でのアナウンス」、また、外来語・外国語(いわゆる片仮名言葉)の問題を含めた「官公庁の各種文書の在り方」などに対して、適切な言葉遣いという観点から関係者の意識を高めること“なども挙げられており、同時に、”学校教育における「漢字学習の在り方」を検討するために“漢字能力の実態調査などを実施すること”・・としている。
このような教育界の時流に乗って、旺文社が、生涯学習検定センターを設立し、日本語語彙力の検定試験他を2000(平成12)年7月から実施してきたのだろう。
兎に角、そのような国語教育の成果によるものかどうかは知らないが、PISAの2009年調査の結果では、今まで下がり続けていた数学・化学・読解力3分野の総てが上昇に転じ、中でも統計的に有意な上昇がみられたのが読解力であり、これまで最も順位の高かった第1回2000年調査の水準(8位)まで大幅に回復している。しかし、今回の結果を受け、文部科学省では「学力は改善傾向にある」と分析している(※6参照)が、一方で、成績上位者と下位者の学力格差が広がっている問題が指摘されているようだ(PISA で教育の何が変わったか・・については、参考の※7を参照)。
詰め込み教育からゆとり教育へ、そのゆとり教育が間違っているといって、又教育方針が代るなど、教育方針の変更に振り回されている子供たちが大変気の毒だと思うのだが、総てがグローバル化した今の世の中では、学力までもが国際比較されているんだね~。
私のように子供の頃は勉強が大嫌いで、日がな一日屋外で遊んでばかりいたものは、今の世なら、落ちこぼれてどうなっていたか分からないな~。その点、戦争で何もかもなくし、食べるものも十分にとれない時代には育ったが、勉強などそっちのけでのびのびと生きてこられたことに今改めて感謝をしたい気持ちだ。
このような話は、ここまでとして、本題の「語彙」の話に戻そう。
「語彙」の「彙」という漢字の字源(※8も参照)は、「彑」(彖(ぶた)の略体)+音符胃」(「胃」は丸くまとまったものの意)の会意形声文字であり、ハリネズミが身を丸めている形をあらわしているそうだ(同義字:蝟)。ハリネズミの体には毛(ハリ)が密集して生えていることから、「彙」という漢字が転じて、集まり、類集したものの意に用いられ、「語彙」ということばは、単語の集まり。一言語の有する単語の総体、ある人の有する単語の総体、ある作品に用いられた単語の総体、ある領域で、またはある観点から類集された単語の総体。などを表している。これを体系的に記述研究する言語学の分野を語彙論という。いわゆる英語でいうところの「ボキャブラリー」(vocabulary)はその同義語と思ってよい。
そのようなことから、旺文社が設定した「語彙の日」と生涯学習検定センターが運営管理する「実用日本語 語彙力検定」をPRするためのイメージキャラクターには、はりねずみの 『ごいちゃん』 が使われているようだ(※9)。
ところで、語彙と言えば、4月28日(土)の朝日新聞夕刊に、「チャレンジ 語彙・読解力検定」として、以下の問題が掲載されていた。
【辞書語彙】( 主に「ベネッセ新修国語辞典」の一般的な語から出題)からの出題としてである。
問:語句「重心」の意味として最も適当なものを(1)~(5)のうちから選びなさい。
(1)30歳、(2)50歳、(3)70歳、(4)80歳、(5)90歳
皆さん分かりましたか?(4)(5)は分かっていても、(1)~(3)は、直ぐにピンと来なかった人も多かったのでは・・・。
答は(3)。(1)~(3)は「論語」の中でも、とりわけよく知られている言葉「天命を知る」の出てくる“為政第二”から出た言葉で、「重心」は、“70歳になると心のままに行動しても、道理にはずれなくなる”という意味。(1)は而立(じりつ)、(2)は致命(ちめい)。(4)(5)は漢字の分解からで昔から年齢の呼称として使われていたもの。(4)は「傘寿」(さんじゅ)、「傘」の略字(仐)が八十と分解できるため。(5)は卒寿(そつじゅ)、「卒」の略字(卆)が九十と分解できるため。年齢とその呼称はここを参照。論語の解説等は、参考の※10:論語に学ぶ会、また、※11:論語の世界を参照されるとよい。
私なども、手持ちの本を読み直したり、ネットを検索したりしながら自分自身がお勉強をしているつもりで今日の日の記念日や歴史、出来事などにかこつけてこんなブログを書いてはいるものの、正直、学生時代より、国語など一番の苦手であったから、今でも、漢字や、ことばの使い方には全く自信がない。だから、語彙 云々をどうのこうのと書く資格もないのだが、そういいながら、今日、“語彙“をテーマーに書く気になったのは、そんな私でも、「最近は、ずいぶんと変な言葉が多く使われるようになったな~」と感じているからである。
特に、新聞やテレビを通じて耳にする政治家や官僚の答弁など聴いていると、分からない言葉だらけだ。「語彙」とは、先にも書いたように、ある領域で使われている単語の総体ということなので、政治家や官僚は、我々とは違う独特の語彙を持っているということなのだろうか・・・。
例えば、「前向きに検討します」や「善処します」・・・。前者など意欲的に取り組んでくれるのかと勘違いするが、考えておきます程度で、殆ど、“やりません“と言っているようなものだし、後者は、何か問題が起こって反省しているのかと思いきや、言いたいのは、人のやったことだから自分には関係ありません・・・といっているだけのこと。
2009年(平成21年)衆院選での街頭演説では、当時野党であった民主党の幹事長代理をしていた野田 佳彦は、「マニフェスト(選挙公約)に書いてあることは命懸けで実行する。書いてないことはやらないんです。それがルールです」と力説していたが、政権与党となった民主党はドタバタ劇で2人の首相が相次いで辞めなければならない羽目になり、その後、何の実績もないのに、民主党代表選での、どじょう演説が受けて、民主党党首となり、とうとう内閣総理大臣(第95代)にもなってしまった。
そんな野田が首相となると急に「マニフェストではアップしないと」と言っていた消費増税に「不退転の決意」で臨むと言いだした。一体それはどんな決意なのか?
政治主導は口先だけで、実際には、官僚のシナリオ通りのことしか出来ない野田内閣が、党内事情や財務官僚のシナリオに従い、昨年の東日本大震災復興や欧州連合(EU)の金融不安を理由に、消費増税の前に多くのしなくてはならないことが山とあるのにそれはせず、又、国民の前に財政赤字削減への道筋を明らかにしないまま、財政赤字の日本が破綻寸前であるから仕方がないと、国民に思い込ませたうえで、やりたくないけどやらなくては仕方がないと居直っているようなものだ。日本の財政赤字と消費税増税問題については色々な論議があるので参考※12。※13、※14参照されるとよい。
「不退転」は辞書を引くと、「志をかたく保持して屈しないこと」(広辞苑)を言うのだが、仏教用語では、文字通り、「退転しないことで、仏道修行の過程で、すでに得た功徳を決して失うことがないこと、もはや後退することがないこと」をいう(※15参照)。
野田首相にとっては、仏教用語通り、「すでに得た功徳(地位)を決して失わない」・・・という決意なのであろう。
そのほかにも、政治家や官僚からよく聞く「可及的速やかに・・・」なども、言葉の意味とは裏腹に庶民にとっては「ゆっくりやる」といっているようなものだし、何か問題が起こると、「問題があったと認識しております」とか「遺憾の意を評します」といった難しくて意味のよく分からない言葉をよく使う。極めつけは、問題点を追求されると、必ずといって「記憶にございません」ととぼけて見せることであろう。自分になにか不利になることを隠す時にはこのような、曖昧な言葉は、政治家にとって、この上なく好都合なものなのだろう。
このような政治家や官僚の意味不明の言葉とともに、私たちの年代の者を困惑させているのが、若者言葉だろう。
「ウザい」「キモい・キショい」「ヤバい(危ない、という本来の意味からかけ離れた、スゴイ、格好いい、凄く面白いと言った意味にも使われている)」など他にも沢山あるが、「ちょー○○」といった言葉などまだ何となく意味が理解できるからいいようなものの、聞いても何のことか想像できないものが多くある。
日本は、古来より「物を数えるときの単位」(正確には「助数詞」)が非常に発達しており数多くある(※16参照)が、箪笥「棹(さお)」や刀「振り」の数え方などはともかくも、日常で頻繁に使う助数詞も曖昧になってきていたが、最近の若い子は何でも「こ(個)」で数えている。例えば「2歳年上」と言う場合でも「2個(こ)上」と言ったりするのを聞いていると、これも、ちょっと日本語の乱れも酷いな~と感じざるを得ない。
若者の言葉の乱は、現代に始まったことではなく、古くは清少納言の『枕草子』にも、
“難義の事をいひて、「その事させんとす」といはんといふを、と文字をうしなひて、唯「いはんずる」「里へ出でんずる」などいへば、やがていとわろし”・・・・と、当時の若者の言葉の乱れを嘆く記述がある(※17:原文『枕草子』全巻の第262段参照)。ここでは「と」文字抜きの言葉をいっているが、かって現代の若者達が使っていた「ら 抜き言葉」が言葉の乱れの代表のように言われていたが、今では、若者だけでなく普通に使われることも多くなっており、そういう私も、いつの間にか使っているのだから偉そうなことはいえない。
最近では、「れる、られる」の表現は「受身」や「尊敬」を表す場合にも用いられ、これらと区別するために、可能を表す「ら抜き言葉」が用いられるようになったともいわれている(※18:「言葉の散歩道」の日本語の文法:「ら抜き言葉」は、本当に「ら抜き言葉」なのか?参照)
言葉というものは時代とともに変化するものであることは理解しているが、人を不快にするような言葉や普通の人が聞いても意味が通じないような隠語やスラング(slang)を仲間内など以外の一般的な社会人との会話で使うのあまり感心しない。それに、日本独特の文化は、最低限守ってもらいたいとは思う。
もう1つ気になるのが、カタカナ語や横文字(ローマ字)で書かれた外来語や外国語の氾濫だ。とりわけ目立つのが、テレビCMや映画の題名だ。それに、ちょっとインテリを自負している人達には、特にカタカナ語を多用する傾向がある。
それだけでなく、外国語や外来語が、公的な役割を担う官庁や白書や広報紙、日々、生活と切り離せない新聞・雑誌・テレビなどでも数多く使われていることが指摘されている。
例えば、高齢者の介護や福祉に関する広報紙の記事は、お年寄りに配慮した分かりやすい表現を用いることが、本来より大切にされるべきだろう。又、幅の広い多くの層の人達を対象とする新聞や放送にしても、一般に馴染みの薄い専門用語を不用意に使わないようにするべきであろうが、実際には、読み手や聞き手への配慮をすることなく、書き手や放送する側の使いやすさを優先してはいないだろうか。
そのようなことから、国語審議会からは分かりにくい外来語を分かりやすくするための言葉遣いを工夫し、外来語の日本語への言い換えが提案されている。たとえば、「デイサービス」を「日帰り介護」というように。(※19又、※2の「外来語」言い換え提案参照)。
日本語は、古来の「和語」あるいは、「やまとことば」(主として、ひらがな)のほか、千数百年前に中国文明の影響の元に大きく変質して現在の漢字仮名混じり文という型を獲得して以来、さらに、近代以降には西洋語を中心とする外来語が増大してきた(「語種」参照)。
簡単に言えば、日本語は、やまと言葉や漢語、カタカナ語、それに、若者言葉などがごちゃ混ぜになった言葉であるが、以下参考の※20:「日本語講義ノート 『日本語史講義ノート』概要」によれば、このように、日本語で、多種多様な言葉が用いられるのは、日本語が言葉類型的に膠着語であるからだそうだ。
ウクライナ語は、屈折語で、語は、実質的な意味を示す語幹と文法関係を示す語尾とからなっている。中国語は、孤立語で、語順が重要な意味をもっている(我 愛 她 - 她 愛 我, Wo ai ta - Ta ai wo)。ところが、日本語は、実質的な意味を示す語、自立語と文法関係を示す語、付属語からなっている(品詞も参照)。
例えば、私は彼女を愛している -彼女は私をあいしている・・・のように。
そして、日本語では、付属語という名がついているが、日本語の主要な助詞である「テ、ニ、オ、ハ 」はやまとことばで、しかも、とても重要で、文の骨格をなしていて、それらのあいだに色んな言葉をはめ込むことができる。いわば鋳型(いがた)のような役割をはたしている。
この「テ、ニ、オ、ハ」のおかげで、4世紀に漢字が入ってきたときもそうであるが、欧米から「modern societyにおけるindividualのloveについてreasonable なdiscussionを….」といった語がはいってきたときも、アルファベットの語を近代社会、個人的恋愛、理性的、討論といった語におきかえて、それを テニオハの鋳型の中にはめこんでうまく処理してきたのだという。
結局、その利便性が、外国人には通用しない日本語英語を、知っている語彙を自由に綴り合わせて作ることになり、多くの若者言葉を生み出す要因にもなっているようだ。
語彙力は、ないよりもあった方がいい。つまり言葉は知っておいた方がいい。語彙力があれば、適切に表現できるし、微妙なニュアンスを大事にして言葉を使い分けたい。言葉の微妙な違いを楽しめるのも日本語の面白いところだ。
しかし、日本語の中に日本人自身がわからない単語が増えると、意思疎通もうまくゆかなくなるので困る。それに老齢化が進んでいる日本で、次々と新しいカタカナ語(外来語)が急増すると、新聞を読んでもテレビを見てもちんぷんかんぷんだと言うお年寄り達が増えてしまうっては困る。
また、今のデジタルな時代、なにか理屈ばかりが先行し情緒性が失われた気がする。
情緒性を養うには、読書が効果的だろう。それも、優しいほんわかとした物語を読めば、優しい気持ちになれる。逆に、争いごとや、暴力。殺人など殺伐とした悲壮感漂う本など読んでいるとそんな気持ちに自然となってくる(本だけでなくテレビや映画、テレビゲームなども同様だ)。出来るだけ、気持ちの和らぐ良い本を多く読むようにしたいものだね。
(冒頭の画像はナミハリネズミ。Wikipediaの画像に加工)
参考:
※1:5 月 1 日は『語彙 の日』(Adobe PDF)
http://www.obunsha.co.jp/old_release/files/document/070305.pdf#search='語彙の日'
※2:教育課程研究センター:国立教育政策研究所
http://www.nier.go.jp/04_kenkyu_annai/div08-katei.html
※3:国立教育政策研究所広報(Adobe PDF)
http://www.nier.go.jp/kankou_kouhou/135.pdf#search='『「生きる力」を育てるための「読書教育推進プログラム」の開発研究'
※4:子どもの読書活動推進ホームページ:文部科学省
http://www.mext.go.jp/a_menu/sports/dokusyo/hourei/index.htm
※5:これからの時代に求められる国語力について. :文部科学省
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/bunka/toushin/04020301.htm
※6:国際学力調査:文部科学省
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/gakuryoku-chousa/sonota/07032813.htm
※7:PISA で教育の何が変わったか ~日本の場合~(Adobe PDF)
http://www.cret.or.jp/j/report/101210_Kayo_Matsushita_report.pdf#search='PISAショック'
※8:増殖漢字辞典【彙】
http://www.geocities.jp/growth_dic/honbun/zoukan-5743.html
※9:旺文社 「実用日本語 語彙力検定」 キャラクターはりねずみの 『ごいちゃん』 に決定
http://www.obunsha.co.jp/files/document/070911.pdf#search='ごいちゃん'
※10:論語に学ぶ会:論語全二十篇解説一覧
http://rongo.jp/kaisetsu/kaisetsu00.html
※11:論語の世界
http://www.asahi-net.or.jp/~pd9t-ktym/rongo.html
※12:財政破綻論の大ウソ-資産が借金を上回る日本政府のバランスシート、世界一の金あまり日本
http://blogos.com/article/33410/
※13:池田信夫 blog : 財政赤字はフィクションか
http://www.nli-research.co.jp/report/econo_eye/2010/nn100517.html
※14:2015年に日本の財政破綻が発端となって、日本発の金融危機が起こるのか?
http://diamond.jp/articles/-/11324
※15:楽しい仏教用語
http://www.terakoya.com/yougo/b_yougo.html
※16:若者用語の小事典
http://www.tnk.gr.jp/young/word/
※17:原文『枕草子』全巻
http://www.geocities.jp/rikwhi/nyumon/az/makuranosousi_zen.html
※18:言葉の散歩道
http://www.geocities.co.jp/collegeLife-Labo/6084/kotoba.htm
※19:第1回 「外来語」言い換え提案 国立国語研究所「外来語」委員会
http://www.ninjal.ac.jp/gairaigo/Teian1/iikae_teian1.pdf#search='国語審議会 外来語'
※20:日本語講義ノート 『日本語史講義ノート』概要
http://www.eonet.ne.jp/~suemura/nihongo.html
コラム -日本語の乱れ-
http://sports.geocities.jp/keppa05/keppa/column/japanese.html
たつをの ChangeLog 「論理 vs 情緒」 - 藤原正彦講演会
http://chalow.net/2005-02-21-6.html
日本記念日協会
http://www.kinenbi.gr.jp/index2.html
語彙 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AA%9E%E5%BD%99
オンライン日本語テスト
http://test.u-biq.org/japanese.html
中学国語:文法 -単語- 自立語と付属語 e点ネット塾 - YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=zCyvkKQqTOI
旺文社 生涯学習検定センターが、運営・実施している「実用日本語語彙力検定」を広くPRしようと2007(平成19)年に制定したもの。語彙力が低下していると言われる子どもたちに語彙力の大切さを認識してもらえる日になればという思いが込められているのだそうだ。日付は5と1で「語彙(ごい)」と読む語呂合わせから。
旺文社は、1931(昭和6)年に創業した教育専門の出版社である。
創業当時(欧文社)から、「受験旬報」(現在の螢雪時代)や、英語の問題集などの教育を主とした出版を行っている。1941(昭和16)年12月、日本が太平洋戦争(大東亜戦争)へ突入後の翌・1942(昭和17)年に、欧文社の「欧」の字が敵国につながるとして、社名を旺文社に変更した(同社HPの会社沿革参照)。
戦後日本の受験文化の成立に影響を与え、また、受験がひとつの産業になり得ることを証明した出版社でもある。
入試関連の雑誌や書籍の出版で有名だが、出版の他に生徒向けのテスト事業や各種資格検定事業も手がけている。
旺文社が始めて全国一斉に大学入試の模擬試験 日本語の語威力を総合的に判断する「実用日本語語彙力検定」、算数・数学の計算力の測定をする「計算力検定」、英語の基礎的単語知識を測定する「英単語検定」の三検定のひとつであり、生涯学習検定センターは、これらの検定試験実施を目的に1999(平成11)年に設立されたもので、2000(平成12)年7月から検定試験が実施されている(※1参照)。
教育政策に係わる調査研究を行うために文部科学省に置かれている国立教育政策研究所教育課程研究センター(※2)が、2002年3月発表の『「生きる力」を育てるための「読書教育推進プログラム」の開発研究』(※3)によると、“小・中・高校教師 256 人を対象に行った調査によれば、「国語学力は低下したか?」という質問に対し、63.5%が「低下していると思う」と答えており、また「どんな点で国語学力が低下したか?(複数回答)」という質問には、「語彙力」という答えが 63%でトップになっていた”という。
経済協力開発機構 (OECD) による国際的な生徒の学習到達度調査(PISA)というものが、2000(平成12)年に第1回調査を行ない、以後3年毎に調査され、第1回、2000年調査、第2回2003年調査、第3回2006年の調査結果については、国際報告書をもとに日本国内向けに翻訳した形で国立教育政策研究所が編纂したものが、(株)ぎょうせいから出版されているようだ。
調査は、毎回メインテーマが存在し、読解力、数学的知識、科学的知識の順番でメインテーマが移っていく。そのため、2000年は読解力、2003年は数学的リテラシー、2006年は科学的リテラシー、2009年は読解力をメインテーマとして扱っており、今年・2012(平成24)年は数学的リテラシーを扱う予定になっている。
結果の分析は、約1年をかけて行なわれているようなので、調査結果の発表は、翌年にされる。過去の調査の結果は、PISAにおける日本の成績 を参照されると良い。
概略を述べると、2000年調査では、数学(1位)と科学(2位)の両分野では、世界のトップレベルにあったが、読解力では、韓国(6位)にも遅れをとり8位であったが、2003年調査では、科学はフィンランドと並び1位であったものの、数学は6位、読解力は14位と落ち込み、2006年調査では、(数学10位、科学5位、読解力15位といずれの分野も更に落ち込んでしまった。
中でも、2003年調査の結果によるPISA ショックは大きく、1980年度以降行なわれていたゆとり教育による学力低下が教育問題として取り上げられるようになり、ゆとり教育から学力向上への政策転換の理由づけとなった。3分野の中でも特に低いのが読解力であった。
PISAの読解力とは、「自らの目標を達成し、自らの知識と可能性を発達させ、効果的に社会に参加するために、書かれたテキストを理解し、利用し、熟考する能力」である。この読解力の習熟度は、高い方から低い方へレベル5から1及びレベル1未満の6段階に分けられているが、2003年調査では、日本は読解力でレベル1あるいはレベル1未満の下位層の割合が増えていること、及びフィンランドや韓国と比べて下位層の割合が高いことが問題視されたようだ。
PISA型の「効果的に社会に参加するための」読解力を養うには、日本の国語教育に何が足りないのか?
結果的にPISA評価では、読んだり計算することはできるが、読解力や記述力、つまり、読み解いたことについて自分なりの意見を表現する能力に欠けるということであり、そこでクローズアップしてきたのが過去から盛んに言われできた活字離れ、つまり、”読書量の減少・“問題であり、そのことから読書、読育の必要性が説かれた。そのことから、政府も2001(平成13)年12月に「子どもの読書活動の推進に関する法律」を制定し読書を勧め読書環境の整備をうながす事となった(※4)。
そして、2002(平成14)年2月に、文部科学大臣から文化審議会に対し、「これからの時代に求められる国語力について」が諮問され、同分科会において審議を重ねた結果が、2004(平成16)年2月3日に発表されている(※5参考)。
そこには、
第1章「これからの時代に求められる国語力について」では、1)国語の果たす役割と国語の重要性、2)これからの時代に求められる国語力、 3)望ましい国語力の具体的な目安、
第Ⅱ章「これからの時代に求められる国語力を身に付けるための方策について」では、1)国語力を身に付けるための国語教育の在り方、2)国語力を身に付けるための読書活動の在り方・・など詳しく書かれている。
この第Ⅱ章 2)国語力を身に付けるための読書活動の在り方の中で、<情緒力・論理的思考力・語彙力の育成を>として、
“今の国際化社会の中では、論理的思考力(考える力)が重要であり、自分の考えや意見を論理的に述べて問題を解決していく力が求められる。しかし,論理的な思考を適切に展開していくときに、その基盤として大きくかかわるのは、その人の情緒力であると考えられる。したがって、論理的思考力を育成するだけでは十分でなく、情緒力の育成も同時に考えていくことが必要である。
これに加えて、漢字・漢語を含め国語の語句・語彙力の育成が重要である。人間の思考は言葉を用いる以上、その人間の所有する語彙の範囲を超えられるものではない。情緒力と論理的思考力を根底で支えるのが語彙力である。“・・・と。そして、”語彙力の教育・指導は子供の時から大人になるまで、直線的に同じ調子で行ってもよいと考えられる。なお、「聞く力」についても、側頭葉が関係しているので、語彙力と同じように早い時期から育てていくことが可能である。“・・として、発達段階に応じた国語教育の具体的な展開が述べられ、最後に、「国語力を身に付けるための方策」を実効性のある形で進めていくためには、一方で、”国語の重要性を認識し、国語を大切にする意識を共有するための国民的な運動の展開や講演会等の啓発活動を同時に進めていくことが不可欠である。“こと、又、”現在取り組まれている事業の推進のほかに、国語力に資する啓発活動という意味で、いわゆる「マニュアル言葉」や「公共の場でのアナウンス」、また、外来語・外国語(いわゆる片仮名言葉)の問題を含めた「官公庁の各種文書の在り方」などに対して、適切な言葉遣いという観点から関係者の意識を高めること“なども挙げられており、同時に、”学校教育における「漢字学習の在り方」を検討するために“漢字能力の実態調査などを実施すること”・・としている。
このような教育界の時流に乗って、旺文社が、生涯学習検定センターを設立し、日本語語彙力の検定試験他を2000(平成12)年7月から実施してきたのだろう。
兎に角、そのような国語教育の成果によるものかどうかは知らないが、PISAの2009年調査の結果では、今まで下がり続けていた数学・化学・読解力3分野の総てが上昇に転じ、中でも統計的に有意な上昇がみられたのが読解力であり、これまで最も順位の高かった第1回2000年調査の水準(8位)まで大幅に回復している。しかし、今回の結果を受け、文部科学省では「学力は改善傾向にある」と分析している(※6参照)が、一方で、成績上位者と下位者の学力格差が広がっている問題が指摘されているようだ(PISA で教育の何が変わったか・・については、参考の※7を参照)。
詰め込み教育からゆとり教育へ、そのゆとり教育が間違っているといって、又教育方針が代るなど、教育方針の変更に振り回されている子供たちが大変気の毒だと思うのだが、総てがグローバル化した今の世の中では、学力までもが国際比較されているんだね~。
私のように子供の頃は勉強が大嫌いで、日がな一日屋外で遊んでばかりいたものは、今の世なら、落ちこぼれてどうなっていたか分からないな~。その点、戦争で何もかもなくし、食べるものも十分にとれない時代には育ったが、勉強などそっちのけでのびのびと生きてこられたことに今改めて感謝をしたい気持ちだ。
このような話は、ここまでとして、本題の「語彙」の話に戻そう。
「語彙」の「彙」という漢字の字源(※8も参照)は、「彑」(彖(ぶた)の略体)+音符胃」(「胃」は丸くまとまったものの意)の会意形声文字であり、ハリネズミが身を丸めている形をあらわしているそうだ(同義字:蝟)。ハリネズミの体には毛(ハリ)が密集して生えていることから、「彙」という漢字が転じて、集まり、類集したものの意に用いられ、「語彙」ということばは、単語の集まり。一言語の有する単語の総体、ある人の有する単語の総体、ある作品に用いられた単語の総体、ある領域で、またはある観点から類集された単語の総体。などを表している。これを体系的に記述研究する言語学の分野を語彙論という。いわゆる英語でいうところの「ボキャブラリー」(vocabulary)はその同義語と思ってよい。
そのようなことから、旺文社が設定した「語彙の日」と生涯学習検定センターが運営管理する「実用日本語 語彙力検定」をPRするためのイメージキャラクターには、はりねずみの 『ごいちゃん』 が使われているようだ(※9)。
ところで、語彙と言えば、4月28日(土)の朝日新聞夕刊に、「チャレンジ 語彙・読解力検定」として、以下の問題が掲載されていた。
【辞書語彙】( 主に「ベネッセ新修国語辞典」の一般的な語から出題)からの出題としてである。
問:語句「重心」の意味として最も適当なものを(1)~(5)のうちから選びなさい。
(1)30歳、(2)50歳、(3)70歳、(4)80歳、(5)90歳
皆さん分かりましたか?(4)(5)は分かっていても、(1)~(3)は、直ぐにピンと来なかった人も多かったのでは・・・。
答は(3)。(1)~(3)は「論語」の中でも、とりわけよく知られている言葉「天命を知る」の出てくる“為政第二”から出た言葉で、「重心」は、“70歳になると心のままに行動しても、道理にはずれなくなる”という意味。(1)は而立(じりつ)、(2)は致命(ちめい)。(4)(5)は漢字の分解からで昔から年齢の呼称として使われていたもの。(4)は「傘寿」(さんじゅ)、「傘」の略字(仐)が八十と分解できるため。(5)は卒寿(そつじゅ)、「卒」の略字(卆)が九十と分解できるため。年齢とその呼称はここを参照。論語の解説等は、参考の※10:論語に学ぶ会、また、※11:論語の世界を参照されるとよい。
私なども、手持ちの本を読み直したり、ネットを検索したりしながら自分自身がお勉強をしているつもりで今日の日の記念日や歴史、出来事などにかこつけてこんなブログを書いてはいるものの、正直、学生時代より、国語など一番の苦手であったから、今でも、漢字や、ことばの使い方には全く自信がない。だから、語彙 云々をどうのこうのと書く資格もないのだが、そういいながら、今日、“語彙“をテーマーに書く気になったのは、そんな私でも、「最近は、ずいぶんと変な言葉が多く使われるようになったな~」と感じているからである。
特に、新聞やテレビを通じて耳にする政治家や官僚の答弁など聴いていると、分からない言葉だらけだ。「語彙」とは、先にも書いたように、ある領域で使われている単語の総体ということなので、政治家や官僚は、我々とは違う独特の語彙を持っているということなのだろうか・・・。
例えば、「前向きに検討します」や「善処します」・・・。前者など意欲的に取り組んでくれるのかと勘違いするが、考えておきます程度で、殆ど、“やりません“と言っているようなものだし、後者は、何か問題が起こって反省しているのかと思いきや、言いたいのは、人のやったことだから自分には関係ありません・・・といっているだけのこと。
2009年(平成21年)衆院選での街頭演説では、当時野党であった民主党の幹事長代理をしていた野田 佳彦は、「マニフェスト(選挙公約)に書いてあることは命懸けで実行する。書いてないことはやらないんです。それがルールです」と力説していたが、政権与党となった民主党はドタバタ劇で2人の首相が相次いで辞めなければならない羽目になり、その後、何の実績もないのに、民主党代表選での、どじょう演説が受けて、民主党党首となり、とうとう内閣総理大臣(第95代)にもなってしまった。
そんな野田が首相となると急に「マニフェストではアップしないと」と言っていた消費増税に「不退転の決意」で臨むと言いだした。一体それはどんな決意なのか?
政治主導は口先だけで、実際には、官僚のシナリオ通りのことしか出来ない野田内閣が、党内事情や財務官僚のシナリオに従い、昨年の東日本大震災復興や欧州連合(EU)の金融不安を理由に、消費増税の前に多くのしなくてはならないことが山とあるのにそれはせず、又、国民の前に財政赤字削減への道筋を明らかにしないまま、財政赤字の日本が破綻寸前であるから仕方がないと、国民に思い込ませたうえで、やりたくないけどやらなくては仕方がないと居直っているようなものだ。日本の財政赤字と消費税増税問題については色々な論議があるので参考※12。※13、※14参照されるとよい。
「不退転」は辞書を引くと、「志をかたく保持して屈しないこと」(広辞苑)を言うのだが、仏教用語では、文字通り、「退転しないことで、仏道修行の過程で、すでに得た功徳を決して失うことがないこと、もはや後退することがないこと」をいう(※15参照)。
野田首相にとっては、仏教用語通り、「すでに得た功徳(地位)を決して失わない」・・・という決意なのであろう。
そのほかにも、政治家や官僚からよく聞く「可及的速やかに・・・」なども、言葉の意味とは裏腹に庶民にとっては「ゆっくりやる」といっているようなものだし、何か問題が起こると、「問題があったと認識しております」とか「遺憾の意を評します」といった難しくて意味のよく分からない言葉をよく使う。極めつけは、問題点を追求されると、必ずといって「記憶にございません」ととぼけて見せることであろう。自分になにか不利になることを隠す時にはこのような、曖昧な言葉は、政治家にとって、この上なく好都合なものなのだろう。
このような政治家や官僚の意味不明の言葉とともに、私たちの年代の者を困惑させているのが、若者言葉だろう。
「ウザい」「キモい・キショい」「ヤバい(危ない、という本来の意味からかけ離れた、スゴイ、格好いい、凄く面白いと言った意味にも使われている)」など他にも沢山あるが、「ちょー○○」といった言葉などまだ何となく意味が理解できるからいいようなものの、聞いても何のことか想像できないものが多くある。
日本は、古来より「物を数えるときの単位」(正確には「助数詞」)が非常に発達しており数多くある(※16参照)が、箪笥「棹(さお)」や刀「振り」の数え方などはともかくも、日常で頻繁に使う助数詞も曖昧になってきていたが、最近の若い子は何でも「こ(個)」で数えている。例えば「2歳年上」と言う場合でも「2個(こ)上」と言ったりするのを聞いていると、これも、ちょっと日本語の乱れも酷いな~と感じざるを得ない。
若者の言葉の乱は、現代に始まったことではなく、古くは清少納言の『枕草子』にも、
“難義の事をいひて、「その事させんとす」といはんといふを、と文字をうしなひて、唯「いはんずる」「里へ出でんずる」などいへば、やがていとわろし”・・・・と、当時の若者の言葉の乱れを嘆く記述がある(※17:原文『枕草子』全巻の第262段参照)。ここでは「と」文字抜きの言葉をいっているが、かって現代の若者達が使っていた「ら 抜き言葉」が言葉の乱れの代表のように言われていたが、今では、若者だけでなく普通に使われることも多くなっており、そういう私も、いつの間にか使っているのだから偉そうなことはいえない。
最近では、「れる、られる」の表現は「受身」や「尊敬」を表す場合にも用いられ、これらと区別するために、可能を表す「ら抜き言葉」が用いられるようになったともいわれている(※18:「言葉の散歩道」の日本語の文法:「ら抜き言葉」は、本当に「ら抜き言葉」なのか?参照)
言葉というものは時代とともに変化するものであることは理解しているが、人を不快にするような言葉や普通の人が聞いても意味が通じないような隠語やスラング(slang)を仲間内など以外の一般的な社会人との会話で使うのあまり感心しない。それに、日本独特の文化は、最低限守ってもらいたいとは思う。
もう1つ気になるのが、カタカナ語や横文字(ローマ字)で書かれた外来語や外国語の氾濫だ。とりわけ目立つのが、テレビCMや映画の題名だ。それに、ちょっとインテリを自負している人達には、特にカタカナ語を多用する傾向がある。
それだけでなく、外国語や外来語が、公的な役割を担う官庁や白書や広報紙、日々、生活と切り離せない新聞・雑誌・テレビなどでも数多く使われていることが指摘されている。
例えば、高齢者の介護や福祉に関する広報紙の記事は、お年寄りに配慮した分かりやすい表現を用いることが、本来より大切にされるべきだろう。又、幅の広い多くの層の人達を対象とする新聞や放送にしても、一般に馴染みの薄い専門用語を不用意に使わないようにするべきであろうが、実際には、読み手や聞き手への配慮をすることなく、書き手や放送する側の使いやすさを優先してはいないだろうか。
そのようなことから、国語審議会からは分かりにくい外来語を分かりやすくするための言葉遣いを工夫し、外来語の日本語への言い換えが提案されている。たとえば、「デイサービス」を「日帰り介護」というように。(※19又、※2の「外来語」言い換え提案参照)。
日本語は、古来の「和語」あるいは、「やまとことば」(主として、ひらがな)のほか、千数百年前に中国文明の影響の元に大きく変質して現在の漢字仮名混じり文という型を獲得して以来、さらに、近代以降には西洋語を中心とする外来語が増大してきた(「語種」参照)。
簡単に言えば、日本語は、やまと言葉や漢語、カタカナ語、それに、若者言葉などがごちゃ混ぜになった言葉であるが、以下参考の※20:「日本語講義ノート 『日本語史講義ノート』概要」によれば、このように、日本語で、多種多様な言葉が用いられるのは、日本語が言葉類型的に膠着語であるからだそうだ。
ウクライナ語は、屈折語で、語は、実質的な意味を示す語幹と文法関係を示す語尾とからなっている。中国語は、孤立語で、語順が重要な意味をもっている(我 愛 她 - 她 愛 我, Wo ai ta - Ta ai wo)。ところが、日本語は、実質的な意味を示す語、自立語と文法関係を示す語、付属語からなっている(品詞も参照)。
例えば、私は彼女を愛している -彼女は私をあいしている・・・のように。
そして、日本語では、付属語という名がついているが、日本語の主要な助詞である「テ、ニ、オ、ハ 」はやまとことばで、しかも、とても重要で、文の骨格をなしていて、それらのあいだに色んな言葉をはめ込むことができる。いわば鋳型(いがた)のような役割をはたしている。
この「テ、ニ、オ、ハ」のおかげで、4世紀に漢字が入ってきたときもそうであるが、欧米から「modern societyにおけるindividualのloveについてreasonable なdiscussionを….」といった語がはいってきたときも、アルファベットの語を近代社会、個人的恋愛、理性的、討論といった語におきかえて、それを テニオハの鋳型の中にはめこんでうまく処理してきたのだという。
結局、その利便性が、外国人には通用しない日本語英語を、知っている語彙を自由に綴り合わせて作ることになり、多くの若者言葉を生み出す要因にもなっているようだ。
語彙力は、ないよりもあった方がいい。つまり言葉は知っておいた方がいい。語彙力があれば、適切に表現できるし、微妙なニュアンスを大事にして言葉を使い分けたい。言葉の微妙な違いを楽しめるのも日本語の面白いところだ。
しかし、日本語の中に日本人自身がわからない単語が増えると、意思疎通もうまくゆかなくなるので困る。それに老齢化が進んでいる日本で、次々と新しいカタカナ語(外来語)が急増すると、新聞を読んでもテレビを見てもちんぷんかんぷんだと言うお年寄り達が増えてしまうっては困る。
また、今のデジタルな時代、なにか理屈ばかりが先行し情緒性が失われた気がする。
情緒性を養うには、読書が効果的だろう。それも、優しいほんわかとした物語を読めば、優しい気持ちになれる。逆に、争いごとや、暴力。殺人など殺伐とした悲壮感漂う本など読んでいるとそんな気持ちに自然となってくる(本だけでなくテレビや映画、テレビゲームなども同様だ)。出来るだけ、気持ちの和らぐ良い本を多く読むようにしたいものだね。
(冒頭の画像はナミハリネズミ。Wikipediaの画像に加工)
参考:
※1:5 月 1 日は『語彙 の日』(Adobe PDF)
http://www.obunsha.co.jp/old_release/files/document/070305.pdf#search='語彙の日'
※2:教育課程研究センター:国立教育政策研究所
http://www.nier.go.jp/04_kenkyu_annai/div08-katei.html
※3:国立教育政策研究所広報(Adobe PDF)
http://www.nier.go.jp/kankou_kouhou/135.pdf#search='『「生きる力」を育てるための「読書教育推進プログラム」の開発研究'
※4:子どもの読書活動推進ホームページ:文部科学省
http://www.mext.go.jp/a_menu/sports/dokusyo/hourei/index.htm
※5:これからの時代に求められる国語力について. :文部科学省
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/bunka/toushin/04020301.htm
※6:国際学力調査:文部科学省
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/gakuryoku-chousa/sonota/07032813.htm
※7:PISA で教育の何が変わったか ~日本の場合~(Adobe PDF)
http://www.cret.or.jp/j/report/101210_Kayo_Matsushita_report.pdf#search='PISAショック'
※8:増殖漢字辞典【彙】
http://www.geocities.jp/growth_dic/honbun/zoukan-5743.html
※9:旺文社 「実用日本語 語彙力検定」 キャラクターはりねずみの 『ごいちゃん』 に決定
http://www.obunsha.co.jp/files/document/070911.pdf#search='ごいちゃん'
※10:論語に学ぶ会:論語全二十篇解説一覧
http://rongo.jp/kaisetsu/kaisetsu00.html
※11:論語の世界
http://www.asahi-net.or.jp/~pd9t-ktym/rongo.html
※12:財政破綻論の大ウソ-資産が借金を上回る日本政府のバランスシート、世界一の金あまり日本
http://blogos.com/article/33410/
※13:池田信夫 blog : 財政赤字はフィクションか
http://www.nli-research.co.jp/report/econo_eye/2010/nn100517.html
※14:2015年に日本の財政破綻が発端となって、日本発の金融危機が起こるのか?
http://diamond.jp/articles/-/11324
※15:楽しい仏教用語
http://www.terakoya.com/yougo/b_yougo.html
※16:若者用語の小事典
http://www.tnk.gr.jp/young/word/
※17:原文『枕草子』全巻
http://www.geocities.jp/rikwhi/nyumon/az/makuranosousi_zen.html
※18:言葉の散歩道
http://www.geocities.co.jp/collegeLife-Labo/6084/kotoba.htm
※19:第1回 「外来語」言い換え提案 国立国語研究所「外来語」委員会
http://www.ninjal.ac.jp/gairaigo/Teian1/iikae_teian1.pdf#search='国語審議会 外来語'
※20:日本語講義ノート 『日本語史講義ノート』概要
http://www.eonet.ne.jp/~suemura/nihongo.html
コラム -日本語の乱れ-
http://sports.geocities.jp/keppa05/keppa/column/japanese.html
たつをの ChangeLog 「論理 vs 情緒」 - 藤原正彦講演会
http://chalow.net/2005-02-21-6.html
日本記念日協会
http://www.kinenbi.gr.jp/index2.html
語彙 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AA%9E%E5%BD%99
オンライン日本語テスト
http://test.u-biq.org/japanese.html
中学国語:文法 -単語- 自立語と付属語 e点ネット塾 - YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=zCyvkKQqTOI