今日のことあれこれと・・・

記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

いい5世代家族の日

2010-11-05 | 記念日
日本記念日協会で、今日・11月05日の記念日を見ると「いい5世代家族の日 」があった。
記念日の由来を見ると”親、子、孫、曾孫、玄孫とほぼ1世紀、5世代にわたって血縁関係で結ばれた「5世代家族」は家族のありがたさ、命の大切さ、健康な長寿社会のシンボル的存在との考えから、製薬会社のノバルティスファーマ株式会社が制定した日。”だそうだ。
ノバルティスと言う会社は、スイス・バーゼルに本拠地を置く、国際的、製薬・バイオテクノロジー企業で、その医療用医薬品部門の日本法人がノバルティスファーマ株式会社 (Novartis Pharma K.K.) だそうである。
社名のノバルティス "NOVARTIS" とは「新しい」という意味の"NOVA"と、「芸術、技術」を意味する"ARTIS"を組み合わせたものとのことだ。
兎に角、このような分野の知識のない私には、同企業のやっていることをとやかくブログで書くことは出来ない。同社のことは以下参考に記載の※1、同社HPを参照されたい。
♪なんでこんなに 可愛いのかよ
 孫という名の 宝物
 じいちゃんあんたに そっくりだよと
 人に言われりゃ 嬉しくなって
 下がる目じりが下がる目じりがえびす顔
大泉逸郎の演歌「孫」である。以下で聞ける。
You-Tube孫-大泉逸郎 http://www.youtube.com/watch?v=YBqQYn4ZH9g
私も小学校に通っている孫娘がいるが孫は本当に子供以上に可愛いものだが、孫の子の曾孫、その子の玄孫などはどの位可愛いものだろう・・。又、そのような孫たちと一緒に生活できたらどれほど幸せだろうかな~。
今日このブログを書く気になったのは、少子・高齢化の今の時代に「5世代家族」など、一体どのような生活をしているのか・・と少々関心を持ったからであるが・・・。
地球物理学者で、夏目漱石の門下生でもあり、吉村冬彦の筆名で作品を書いた寺田寅彦随筆『東上記』に以下の文がある。
「大井川の水涸(か)れ/\にして>蛇籠(じゃかご)に草離々たる、越すに越されざりし「朝貌(あさがお)日記」何とかの段は更なり、雲助(くもすけ)とかの肩によって渡る御侍、磧(かわら)に錫杖(しゃくじょう)立てて歌よむ行脚(あんぎゃ)など廻り燈籠のように眼前に浮ぶ心地せらる。街道の並木の松さすがに昔の名残を止むれども道脇の茶店いたずらにあれて鳥毛挟箱(とりげはさみばこ)の行列見るに由(よし)なく、僅かに馬士歌(まごうた)の哀れを止むるのみなるも改まる御代(みよ)に余命つなぎ得し白髪の媼(おうな)が囲炉裏(いろり)のそばに水洟(みずばな)すゝりながら孫玄孫(やしゃご)への語り草なるべし。・・・・・」(明治三十二年九月)。詳しくは以下参考に記載の※2:青空文庫参照。
昔は旅人で大いに賑わった大井川沿いの街道を歩く人も少なくなり街道沿いの荒れた茶店に、時代も徳川の世から明けて明治の維新の世に余命を繋いでいる白髪の媼が囲炉裏の傍で、鼻をすすりながら玄孫には一体何を思い語っているのだろうと私は関心を持った。
血縁関係で結ばれている5世代と言えば、一番上の世代から数えると”親、子、孫、曾孫、玄孫”となるが、一番若い世代から数えると”子・父母・祖父母・曽祖父母・曽曽祖父母の順となる。正に、曽曽祖父母の年代の人は、凡そ1世紀の人生を歩んできたことになるのだから・・。この随筆は1899(明治32)9月初出だそうだから、もし、ここに登場する白髪の媼が1世紀前に生まれたとすれば、寛政11年(1799年)誕生ということになる。
尊号一件などの紛争の遠因となった天明の大火のあった年の翌・天明9年1月25日(グレゴリオ暦1789年2月19日)天明から寛政に改元。寛政13年2月5日(グレゴリオ暦1801年3月19日)までが寛政の時代であり、この時期の天皇は第119代光格天皇(こうかてんのう。明治天皇の3代前)。江戸幕府将軍は第11代徳川家斉ということになる。
寛永12年(1635年)に参勤交代の制度が確立されてから、諸大名は領地と江戸の間を往復しなければならなくなり、それに伴い、商人や庶民の交通量も多くなり、ひいては紀行や名所案内、道中案内が出回るようになった。そして、東街道(いわゆる東海道五十三次)を軸にした名所絵が色々な人物に多数描かれるようになったが、大きな川なのに江戸幕府が防衛上橋を作らなかったために東海道の一大難所であった「越すに越されぬ」大井川も多くの浮世絵に描かれた。
上に掲載の歌川広重のほか葛飾北斎もまた、ここで苦労する旅人を生き生きと描き出している。以下のリンク先の絵を見てください。
山梨県立博物館:博物館資料のなかの『富士山』:葛飾北斎 『冨嶽三十六景』
寺田の文中にある“蛇籠(じゃかご)に草離々たる”の蛇籠は、河川の護岸工事などに使用される鉄線などを用いかごに、砕石を詰め込んだものであるが、江戸時代には材料も竹製であった。蛇の形に似た石籠であったこから名が付いたといい、元来円筒形のものであったようだ。
北斎の『冨嶽三十六景』に描かれている対岸の土手は、元和2年(1616年)、徳川頼宣によって築かれた水除堤と考えられる。・・とあり、このようなものであったのだろう。
又、寺田の文中に、「越すに越されざりし「朝貌(あさがお)日記」何とかの段は更なり、雲助(くもすけ)とかの肩によって渡る御侍、磧(かわら)に錫杖(しゃくじょう)立てて歌よむ行脚(あんぎゃ)など廻り燈籠のように眼前に浮ぶ心地せらる。街道の並木の松さすがに昔の名残を止むれども・・・」とあるが、「朝貌(あさがお)日記」は、近松徳三(以下参考に記載の※3参照)の歌舞伎狂言『朝顔日記』をもとに脚色した雨香園柳浪(馬田 昌調)の読本版『朝顔日記』が好評を博し、歌舞伎狂言や人形浄瑠璃への改作が行われ、歌舞伎・浄瑠璃では『生写朝顔話』(あるいは『生写朝顔日記』)として上演されていると言う(以下参考に記載の※4参照)が、それのことだろう。その浄瑠璃の「大井川の段」で、恋する人を慕って流浪する盲目の娘深雪(後に朝顔)が大井川のほとりで川留めの悲恋に泣くが、その時、奇跡的に目が治るくだりがある。地元では、朝顔の目に最初に映った松として枝ぶりのいい松を「朝顔目明きの松」と名付け保存しているいう。初代の松は高さ20m余りの見事な松であったが、昭和になって枯れてしまい、現在ある松は昭和62年に植えられた4代目の松だという(以下参考に記載の※5参照)。
いや、なんだか今日の記念日「いい5世代家族の日」と関係ないような話をしているようだが、全く関係がないということではない。寺田の随筆に登場する白髪の媼は、東海道の名所でもあり当時の旅人にとっては東海道一の難所と言われる大井川沿いの道脇の茶店で生活をし、参勤交代の行なわれていた時代から、江戸幕府に対する倒幕運動から、明治政府による天皇親政体制へ転換した明治維新など様々な世の中の動きや出来事を目で見、そして経験してきたことだろう。
今、玄孫を持つ人の1世紀前は、1910年つまり、明治43年であり、寺田が『東上記』を書いた((明治32年)の10年後、大逆事件で、幸徳 秋水らの社会主義者が逮捕された頃に生まれた人だ。そして、今では当たり前の本格的政党内閣原敬内閣が成立したのが1918(大正7)年のことである。1910年生まれの人なら8歳になったときである。この年、第一次世界大戦の影響による米価高騰により富山で米騒動が起っている。そして、戦後の経済恐慌(1920=大正9年)、関東大震災(1923=大正12年)を経験し、1925年(大正14年)には、普通選挙法が成立し、満25歳以上の男子のすべてに衆議院議員の選挙権が与えられたが、女子には、まだ選挙権がなかった。この年、治安維持法が定められ、社会主義運動や労働運動が取りしまられ、その後、罰則が強化され、民主主義・自由主義・平和主義までを取締りの対象とした。そして、日本のファシズムが進展していった。
1929(昭和4)年には、 アメリカのウォール街で起きたパニックがきっかけの恐慌が世界に広がり、世界的大不況(世界恐慌)が起った。
1931(昭和6)年に 満州事変、翌・1932(昭和7)年には 青年将校らが総理大臣の犬養毅を暗殺するという 五・一五事件 が起こり、この結果、政党政治が終わった。
1933(昭和8)年 、国際連盟を脱退、1936(昭和11)年、 二・二六事件 、1937(昭和12)年、 盧溝橋事件をきっかけに日中戦争支那事変)が起 こり、1939(昭和14)年に 第二次世界大戦へ突入、そして、1944(昭和19年) にはアメリカのB29による本土爆撃が激化し集団疎開が始まった。そして、1945(昭和20)年、 アメリカ軍の沖縄への上陸。 広島・長崎に原子爆弾が落とされ、やっと ポツダム宣言を受け入れ、連合国に無条件降伏し、戦争は終結。農地改革財閥の解体が行なわれた。そして、翌年、天皇が年頭詔書で人間宣言をした。また、労働組合が結成され、メーデーが復活、 日本国憲法が公布された。 そして、戦後の荒廃した世の中を必死に生き伸びて今日に至っている人達なのである。
今日曽曽祖父母と呼ばれている人たちのすごい人生である。これらの先人が、長い人生の中で見聞きし、体験し、得てきた知恵の中から子供や孫・曾孫たちも学ぶことは多くあるはずである。このように多くの人生経験を積み重ねてきた親や子その孫たちが共に暮らして行けるなんてどんなに幸せだろうか。
玄孫などとの5世代が一体どのようにして今生きているのだろうか?
そう思って調べていると、ノバルティスファーマ社のプレスリリースに、2001(平成13)年9月に実施された「5世代家族の生活と意識調査」について、報道関係者に発表されているものがあった(ここ参照)
5世代家族は、5世代が顔を合わせやすい環境(5世代同居、同じ市町村、同じ都道府県)で2/3が暮らしており、農・魚・林業地区に住んでいる人は5世代同居が多く、住宅地に住んでいる人では3世帯~4世帯に分かれて暮らしている家族が多いという。そして、上の世代から「受け継いだもの」の、トップは男女とも「生活習慣」だったという。男性では「財産/家」「仕事」が続くが、それを除くと、男女とも「家族や人との接し方」「思いやり/いたわり」「家族を大切にする/家族/家族の絆」など人付き合いのコツをあげる人が多くいるという。うらやましい限りだ。
敗戦後の日本では、誤った戦後教育による自己主義の増長とともに経済成長に伴う拝金主義がのさばり、戦前にはあった日本の良き生活習慣の多くが失われてきた。しかし、5世代家族では、今の世の中で一番欠けているものが、大切に受け継がれているようだ。そして、年下の者は年長者を敬い大切にしているようだ。今の多くの日本人は、核家族化のなか、特に都市部などでは親子もバラバラに生活をし、地域との繋がりを持たない人も多く、子供が年老いた親の面倒を見るどころか、保険金目当てに殺してしまうといった悲惨な事件さえ現れる世の中になってしまっている。情けない話だ。
今や日本の国の財政は借金まみれ(以下参考に記載の※7:「リアルタイム財政赤字カウンタ」参照)で、しかも世界的な不況の中、一部の超お金持ちを除いて、多くの老人が、老後の生活(医療・年金・介護など)に非常に不安を持って生きている。少子高齢化の中若者も就職さえままならない社会となっており、高齢化の進行と共にその負担増に苛立ち始めている。このような時代、家族が助け合いながら一緒に生活をすることが出来たら一番良いのだが・・・。
最近は、健康志向で、元気な年寄りが増えている。私達夫婦も年齢的にはどちらかと言えば元気な方だと思う。私など、若い頃から本当に良く遊び、常識外れの酒の飲み方をしてきたが、本当に仲の良かった飲兵衛友達などはその酒が原因で私より先に天国に召され誰もいなくなってしまった。私は肝臓が特別丈夫だったのか医者からは胃は真っ黒だといわれて、肝臓の薬を毎日飲んではいるものの、それでも、しぶとく毎日1合ほどの晩酌だけ続けている。血圧も少し高いのでそれをおさえるための薬も飲んでいるが、若い頃のような無茶をしなくなった分何か今のほうが若い頃より体調もよく健康な感じがしている。メタポ検診もOKだ。
しかし、これからの大変な日本の状況を考えると、時々、誰もが健康で長生きするのが本当に良いことなのか・・・?などと考えたりする日がよくある。医学も凄い進歩をしており、肝臓移植だなんだといって大概の病気は治ってしまう。人生50年などちょっとは寂しいが、平均寿命が70代~80代・90代と、このまま行くと人は120歳くらいまで生きられるのだというが、それでは、人は何時まで働かなくてはいけないのだろう? 
先ず、資源には限りがある。そして、地球上に生存できる人口が限られたものだとすれば若者に対して高齢者が圧倒的に多くなるわけだから、年よりも何時までも働かなければ、年金も医療費その他社会保障費がもたないだろう。しかし、何時までも年寄りが働くようになると、肝心の若い人は優秀な人以外の普通の人はますます就職するところがなくなるのではないか・・。そりゃあ~会社などで、60過ぎ70歳らいの人なら高校や大学出たばかりの人よりずっと知識・経験も豊富だし仕事も出来るだろうからな~。
それと、地方で農業や、漁業・林業といった仕事をしていれば、広い家で少なくとも3世代4世代同居又近隣に住んで一緒に交流をしながら楽しく過ごせるだろうが、都市部に住むサラリーマンなど、そのような住環境にないし、会社では転勤が多く、地域社会や学友などとのとの繋がりも切れ、家族ともバラバラになる者が多い。60~70位までサラリーマンしてると尚更だろう。そして、年をとれば、夫婦だけ、その連れ合いが亡くなればただ1人でひっそりと寂しい生活をしなければならなくなる。私など、今は、好きなお酒も控え目に慎ましい生活をし、たった1人だが孫娘(息子たちとは別居)はいるが、玄孫どころか曾孫の顔を見る頃は、どうなっているのか自信はない。好きな酒ぐらい気にせずに飲んでそれが元でポックリと死ねたら・・・そうしたいものと思っているのだが・・・。酒のせいで変な病気になり、寝たきりの植物人間状態で末期を迎えるのも厭だし・・・、やはり、それ相当の健康面に努力もしなければいけないのだが、段々と、生きることも、死ぬことも難しい年代に近づいてきたな~などと思うと、一寸哀しい気もする。
ちなみに、孫以下の7世代は孫・曾孫(そうそん)・玄孫・来孫・昆孫(こんそん)・仍孫(じょうそん)・雲孫をいいいこれを七等(しちとう)・・・と言うそうだが・・・こんな言葉はどういうときに使うんだろうね。・・・私には、全く関係のない言葉ではあるが・・・。
(冒頭の画像は、「孫―男ふたりの人生のうた」 単行本、大泉 逸郎 , 荒木 良治共著 )
※1:ノバルティスファーマ株式会社
a href=http://www.novartis.co.jp/
※2:青空文庫:作家別作品リスト:寺田 寅彦
http://www.aozora.gr.jp/index_pages/person42.html
※3:近松徳三 とは - コトバンク
http://kotobank.jp/word/%E8%BF%91%E6%9D%BE%E5%BE%B3%E4%B8%89
※4:生写朝顔話
http://homepage3.nifty.com/koshikyo/yadoya.htm
※5:東海道通信:朝顔の松
http://www.c-walk.com/tokaido/shiseki/15simada/15asagao.html
※6:世代家族の生活意識と実態」調査について(PDF)
http://www.novartis.co.jp/news/2001/p010914.pdf#search='5世代家族の生活と意識調査'
※7:リアルタイム財政赤字カウンタ
http://ueno.cool.ne.jp/gakuten/network/fin.html
山田大名行列
http://www.d1.dion.ne.jp/~fugetsu/yamada.htm
島田宿大井川川越遺跡
http://www.e-sea.jp/city/iseki/index.html
法岸寺 朝顔日記 深雪の墓2
http://www.tamagawa-rou.co.jp/shimizu61.htm
まご - ウィクショナリー日本語版
http://ja.wiktionary.org/wiki/%E3%81%BE%E3%81%94
生写朝顔話 - Yahoo!百科事典
http://100.yahoo.co.jp/detail/%E7%94%9F%E5%86%99%E6%9C%9D%E9%A1%94%E8%A9%B1/
人文
http://www.fps.chuo-u.ac.jp/~hrsk/kisoen/asakura/st_human.html
続柄 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B6%9A%E6%9F%84
日本記念日協会
http://www.kinenbi.gr.jp/index2.html
七等- Yahoo!辞書
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&dname=0na&dtype=0&stype=1&p=%E4%B8%83%E7%AD%89&index=09929108120900