五十の手習い足払い

五十歳を過ぎて始めたブログももう何年目?
山梨に住む新しモノ好きのオヤジが自分の趣味や日々の暮らしをつづります。

'67年日本GPのローラT70

2011年09月08日 | ミニカー
1967年の第4回日本GP(グランプリ)に出走した2台のローラT70Mk2です。

'67年の日本GPといえば、ポルシェカレラ6の生沢徹選手(総合1位)とニッサンR380の高橋国光選手(総合2位)の30周近く繰り広げられたバトルがクローズアップされますが、そんなレースの中にアメリカ生まれの2台のモンスターマシンが参戦していました。

カーナンバー14と15のローラT70。
エンジンはシヴォレー製の5.5リッターでした。
ドライブしていたのは"R.クラーク"と安田銀治選手("R.クラーク"については後述)。

2台のローラT70は、レース直前に空輸されたCan-Amマシン(北米でのレース専用のレーシングカー)です。
急いでレースに合わせた改造を行いましたが、調整・練習とも不足していて、予選ではトップの生沢選手のポルシェカレラ6から13秒も遅れる結果になってしまいました。
それでも直線では時速300km/hを超えるなど、その強力ぶりを見せつけました。



カーナンバー14のローラT70はセミ・オープンタイプ。
ドライバーの"R.クラーク"は仮名で、本名はドン・ニコルズという人。Can-AmレースやF1で「シャドウ」というチームで参戦したことで知られる人です。
おそらく誰か有名なドライバーに運転してもらおうと思ったのかもしれませんが結局見つからず、仕方なく自分でハンドルを握ったのかもしれません。
予選は9台中9位、決勝は完走7台中7位でした。

そう、'67年の日本GPは全部で9台だけの出走だったのです(ポルシェ3台、ニッサン4台、ローラ2台)。



カーナンバー15のローラT70はクローズドタイプ。
金色のマシンを運転するのは安田銀治選手。スポンサーの関係か、車名は「大京チェーンスペシャル」でした。
銀色のガムテープで補修した後がミニカーでもリアルに再現されています。

安田選手のローラは予選は8位、決勝では15周目にエンジントラブルでリタイヤしています。

成績的にもポルシェとニッサンの陰に隠れてしまったローラですが、こうした「脇役」がいたおかげで日本GPのレースも味のあるものになったことは間違いないですね。

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2 コメント

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Unknown (kit)
2011-09-09 12:04:05
大京チェーンスペシャル、懐かしいです。
私の場合ローラT70といえばシボレーエンジンのR381と競ったマークⅢが好みです。レース後に田中健二郎選手の『スタートからバンク手前までサイドブレーキを引きっぱなしだった...』という話が印象的でした。
色々コレクションをお持ちですね。楽しみにしております。
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ローラT70マークⅢ (のせ)
2011-09-09 17:54:21
'68年の#25と#26ですよね。私も好きなデザインです。いずれはコレクションに加えたいと思っているのですが、まだなかなか。
逆に'69年のローラT160がどこからも発売されていないのがさみしいです。
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