ふぶきの部屋

皇室問題を中心に、政治から宝塚まで。
毎日更新しています。

日本一強い女ー皇嗣妃殿下の肖像14

2020-05-11 07:00:00 | 日本一強い女 皇嗣妃殿下の肖像

 1992年1月1日 天皇一家

 

 女性自身1992年1月7・14日号

皇族からも聞こえて来た皇太子妃には小和田さんしかいないの声・紀子様お忍び忘年会の合間の眞子ちゃま電話」

 

 1992年1月8日 天皇陛下、ブッシュ大統領とテニス

 

 1992年1月9日 宮中晩さん会。前日にブッシュ大統領が倒れた為、健康を気遣い特別メニュー

 

 1992年1月31日公益財団法人日母おぎゃー献金に献金する

 1992年2月 アルベールビル冬季五輪結団式

 1992年2月3日 高松宮宣仁親王5年式年祭墓所の儀

 1992年2月5日 カザルスホールで「アマーレビレピアノトリオ・リサイタルを鑑賞

 

 1992年2月8日 池袋サンシャイン「関東東海花の展覧会」に出席

 1992年2月15日 ペイネ愛の世界展を鑑賞

 1992年2月27日 「JALクラシックの夕べストリング・アンサンブル92」を鑑賞

 1992年2月28日 映画「十五少年漂流記」を鑑賞

 1992年3月16日 ペルーのフジモリ大統領を迎えての宮中晩さん会

 1992年3月 葉山静養の秋篠宮家

 

 1992年4月 日本テニス協会名誉総裁の就任式

 

 1992年4月2日 タイ大使館で夫妻で演奏

 1992年4月16日 第一回地球環境大賞授賞式

 

 女性自身 1992年5月5日号

「春の薫りは桜色!紀子さま殿下と地球環境大賞授賞式とレセプションへ」

 1992年4月17日 静岡県へ 出産後初の地方公務 環境シンポジウムへ

 

 1992年4月18日 伊豆シャボテン公園でダチョウにエサのパンを上げる

 1992年4月18日 お茶会出席

 紀子妃殿下ベストショット集

三保の松原館

 


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9 コメント

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Unknown (ピピ)
2020-05-11 09:44:53
この頃は、帽子もデザインに凝っておられ、服も綺麗な色、様々なデザインですね。
今は、地味なスーツが多く、帽子もお見かけしないようですね。
紀子さまは、なんでもお似合いですから、たくさんおしゃれして
頂きたいです。
Unknown (HANDS)
2020-05-11 14:21:56
素敵な記事をありがとうございます。

紀子さま、以前は綺麗な色のお洋服、デザインも凝っているし、華やかさもあり、よくお似合いですよね。週刊誌も概ね好意的な記事で、若いご夫妻を歓迎している感じですよね。

それが今は、内親王殿下と共に、とにかく地味に目立たぬ様に控えめに…そればかりになり寂しい限りです。また、週刊誌も以前の好意的はどこへやら、今は叩きまくりで恐ろしいです。

今はコロナ禍で無理ですが、早く殿下の儀もやって頂きたいし、年頃の内親王殿下お二人にも旧宮家からの良縁が訪れます様に、祈るばかりです。
Unknown (o)
2020-05-11 14:44:48
ふぶき様 
更新ありがとうございます。

普段から、あまり雑誌を 
読まないので、
アップしてくださった素敵な写真で、
楽しませていただいてます。
最初の写真 (しまき)
2020-05-11 17:52:17
1992年のお正月写真。これは御所のお庭でしょうか。
少し驚きました。
というのも、徳仁殿下は、お母さまより背が低い。

これ、「背の順」で遠近法とかも用いずに並んでいるんだとしたら、余りいい構図とは思えないです。だって何だかみっともない・・
私は徳仁殿下は、お母さまよりは少しはお背があるかと思っていましたが。。

世の母親、息子の背が高校生になっても自分を超さなかったら、お医者さんに相談しませんかね。かなりの低身長のままに放置されてしまわれたような気がします。
天皇陛下というのはやっぱり身長ほしいですね。
兄弟でこれだけ身長差があるというのも残酷かも。


Unknown (でんでん)
2020-05-11 20:01:07
安定、安心のお写真ありがとうございます。
令和の御代は、疫病で
葵祭の路頭の儀式も無くて、皇女でもないのに、斎王の驕りのお顔も出番無し。
葵も新緑も涙雨。一夜一夜の送り火の昨日今日明日。祇園祭は直ぐそこに
背の話 (フリー皺)
2020-05-12 08:45:33
しまき様

このお写真は、やや高低差のある場所で、美智子さまも少しはヒールのあるお靴でしょうから、何とも言えませんが。構図は確かによくないかも。

他のご一家写真も拝見すると、だいたい同じぐらいの身長で、顔は浩宮さまの方が大きいということかと(シークレットの踵じゃなかったという前提で)。階段の一番上に浩宮さまという、苦慮した?写真もありますが、かなりお低いのは間違いないでしょう。

祖母良子さまの父上が、奇形的に背の低い方だったので、それがある程度、浩宮・紀宮殿下に影響したのかな、と思います。人間、身長ではないのですが、高低にかかわらず身長にコンプレックスのない人は、その分、人生が楽かも知れません。

浩宮さまと父君の明仁さまで比較すると、浩宮様の方が低いのですが、二人の生年から考えると、栄養の違いか日本人の身長が伸びた時期で、確か平均して7~8cmは息子の方が背が高いはずなんですよね。

秋篠宮さまはまた、お兄様の分まですくすくと。これは正田家の方の遺伝?と言われました。正田家で一番背の低かったのが、美智子さまですし。

写真を追って行くと、子どもの頃から浩宮さまはいつも姿勢を正して昂然というか、やや傲然気味ですが、礼宮さまはお遊び気分の幼年時代からすくすく成長されて、次第に猫背気味になられているかも。絶対、お兄様に気を遣っていらっしゃいましたね。
Unknown (でんでん)
2020-05-12 10:28:11
誤解を与え、ご迷惑にならないように、前コメントに追加させて下さい。
今年の葵祭は、タダ祈るノミの社頭の儀式はあります。
疫病退散、五穀豊穣を加茂の神に祈りを捧げます。
連想するのは、カミュの不条理ですが、不条理ゆえに我は信じるという人々もおられるんだけど、そこまではついていけない気持ちです。

平安京は、啼くよウグイスで丸暗記。実態は、又も祟りか
桓武の実弟 早良親王は断食のすえ、モガリ笛。幾度モガらせたら
キット来るのか、平安は。ホンにこの世の崇道の道は堪忍して欲しいです。
お写真 (しまき)
2020-05-12 15:41:27
>フリー皺さま
ありがとうございます。

ついでにこんな写真を見ておりました。
https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/p751217783

これを見ると、徳仁殿下と常陸宮殿下のお背は余り変わらないように見えます。あれ?常陸宮殿下って、そんなにお低かったっけ?
なんか印象に左右されるところがありますね。
常陸宮殿下も香淳皇太后陛下のお子様ですから、皇太后陛下のお父様の血が出ていてもおかしくはないのですが、私は常陸宮殿下って低身長というイメージがなかったのです。

徳仁殿下は年齢とともに、横に広がっていったのが余計いけなかったかも。(これも遺伝かもですね)
それにしても、このころの徳仁殿下のお顔、私、嫌いじゃありません。貴公子然として、将来の皇太子殿下というオーラがありました。

結婚して、やにさがるような、ニカニカ顔をなさるようになられてから、すっかり品下ってしまわれました。
こんなに人間の顔って変わるかな。
まあ変わると言えば美智子上皇后陛下も相当すごいお顔の変貌なんですが。特に眉があんなに上がるとは。(しかも1本になっちゃっているし。)
こちらは母親の正田富美さんのほうが、高齢になられてからも美人でした。
Unknown (フリー皺)
2020-05-13 07:01:58
しまき様、お返事ありがとうございます。

常陸宮ご夫妻は小柄で、お雛様のよう、という印象でした。昭和37年頃の新年のニュース映像でしょうか、天皇ご一家でナルちゃんを滑り台等で遊ばせているシーンがあるのですが。美智子さまと義宮さまが続かれた時に肩の高さが結構違って、靴を計算に入れても義宮さまの方が低い印象です。

華子さまはよく髪を上に盛っていらっしゃいましたが、ご夫妻で釣り合いがとれているのだから、やはり小柄でいらっしゃいますね。

徳仁殿下のお顔について
>貴公子然として、将来の皇太子殿下というオーラがありました。

そうなんです。とりあえず見た目は、貴公子でした。美智子さまの子育ては大成功、と拝見していました、その昔は。

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