ふぶきの部屋

皇室問題を中心に、政治から宝塚まで。
毎日更新しています。

日本一強い女 皇嗣妃殿下の肖像 57

2021-05-27 07:00:00 | 日本一強い女 皇嗣妃殿下の肖像

2006年8月1日 着帯の儀を終えて皇居から出る両殿下

 2006年8月3日 オーストリアへホームステイに出発する眞子内親王

 2006年8月9日 定期健診

 2006年8月12日 ステイホーム先のオーラック夫妻とシェーブルン宮殿を見学する眞子内親王

 2006年8月13日 乗馬を楽しむ眞子内親王

 2006年8月13日 帰国時の眞子内親王

 2006年8月16日 紀子妃殿下、愛育病院に入院

 2006年8月29日 「アフリカ・リミックス展」を鑑賞する殿下と眞子内親王

 2006年9月3日 龍雲が現れる

 2006年9月6日 悠仁親王誕生

 批判を浴びたテレ朝の渡辺アナ。喪服のような格好。

「オメコメいかないといけないんですかね」って言ったの覚えてます。

 

医師団の記者会見

号外

お見舞いに訪れた殿下・眞子内親王・佳子内親王

 

まさに日本中が祝福であふれかえったのでした。

2021年、悠仁殿下は15歳になり中学3年生。

時が経つのは早い。

 

 


コメント (7)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 聖女か悪女か 美智子上皇后... | トップ | アルマゲドン発言にも怒らな... »
最新の画像もっと見る

7 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (猫カフェ)
2021-05-27 10:15:57
このNHKのアナウンサーはこの時は登り坂な人生な人でした。悠仁さまのお名前が決まったときもこのアナウンサーが読み上げました。晴れやかに思いました。
悠仁さま御誕生はアメリカではある女性キャスターが「イッツアボーイ」と言ったので2ちゃんねるでは感激しているコメントもありました。ですがその後のジョージ王子が生まれる直前、英国では性別を当てる事が流行っていてあるケーキ屋さんが特別に「イッツアボーイ」「イッツアガール」と書いたケーキを売出し、お客に好きな方を選ばせるという趣向をやってるのをニュースで見ました。そしてガールの売れ行きが多かったんです。日本でもキャサリン妃の第一子は女の子という予想が多く結果は男の子だったので、悠仁さまの追い風になると私は嬉しかったです。でも英語に詳しくない私はイッツアボーイとかイッツアガールの意味がますます分からないです。
返信する
素晴らしい日を思い出しました (RM)
2021-05-27 18:45:08
悠仁さまのご誕生は、日本国中に明るいニュースをふりまきましたね。
本当に素晴らしい日でした。
返信する
Unknown (はらちゃん)
2021-05-27 23:00:07
皇統がつながることに安堵した、たいへん喜ばしい日でした。大変なご出産をされた紀子様に、よくぞ親王をお産み下さったと、ありがたく嬉しい思いでいっぱいの、素晴らしい日でした。

しかし、、忘れてはいません。
宮内庁は、皇位継承順位3位にもかかわらず、一宮家の慶事として「記帳所」さえ設けませんでした。
一方で、雅子様の祖父母が逝去の際には一般人なのに東宮御所に「記帳所」が設けられました…

宮内庁の、外務省の手先のような有り様や、今に続くていたらくを見るにつけ、やはり秋篠宮家をお守りする気はもともとなかったのかと、憤慨と落胆の気持ちでいっぱいになります。
秋篠宮家が宮内庁に対する不信感をお持ちになっても不思議ではないと思います。
返信する
一日じゅうの話題でした (しまき)
2021-05-28 08:54:29
ちょうど上高地の帝国ホテルに宿泊しておりました。外はざんざん降りの雨で、一歩も出られず。テレビは悠仁様御誕生の話題のみでしたが、私は飽かずに見ていた覚えがあります。

私は、今から思うと、胎盤剥離さえなければ、紀子妃は、もうお一人チャレンジなさいたかったのではないかと思っています。今の時代は40代後半でも生めるのですから、設備的に整った環境なら十分可能だったかと。しみじみ、高齢まで待たねばならなかったお苦しさと無念さを思ってなりません。

眞子様はこの当時まではほっそりしておられました。このまま成人なさればよかったのになと。
やはり何らかのストレスが、この後、眞子様にのしかかってこられたのではないかと思います。高校時代、急激に太られて今に至ります。お顔立ちも香淳様に似られて、品もおありでした。
このころの眞子様を見ていると、その成人後を楽しみにしていた気持ちが空しくなるのは止められません。
返信する
Unknown (ユニ)
2021-05-28 23:57:00
この年の夏は眞子さま、佳子さまがメディアの前に出ることが多く、いつも同じ服装で愛子さまと比べられていたことを覚えています。しかし、制服がある学校なのでワンピースは1枚で十分じゃないかと思い秋篠宮家の庶民的な感覚に親しみを感じました。今見ると眞子さまはストッキングにパンプスをお召しで大人と子どもの服装の狭間で選ぶのが難しい時期ですがよく配慮されていると思いました。私も中学生になり母不在時に親戚のお祝い事でフォーマルな服装をしたとき父が気付いてストッキングを買いに連れてくれたことを思い出しました。愛子さまが同じ年頃、サンダルに白の靴下を履いているときはびっくりしました。
返信する
Unknown (さくら)
2021-05-30 16:45:45
この時、生まれてくる子が男女どちらでも典範改正はしておくべきでした。
そうすればコムロ問題は起きていなかったと思います。
なんとなくあやふやで降嫁できると思っていたからややこしくなったのだと。降嫁できないとわかっていればコムロに引っかかるようなことはなかったでしょう。
返信する
Unknown (ミス・レモン)
2021-06-02 10:34:25
悠仁親王殿下のご誕生を皇后陛下は前向きに捉えていただきたかったなと思う。
一定程度の知性があれば物事を客観的に見ることができるはずで、秋篠宮に男子ご誕生とあればとにもかくにも「世継ぎ問題」は一応の解決という事なのだ。
「私たちは愛子を心を込めて育てよう。秋篠宮のおかげで世継ぎ問題からは解放されたのだから。」陛下にはそういう指導力を発揮してほしかった。

皇后陛下の御父君の影響ということもあるだろう。
それにおもねるしかない宮内庁の体質、上皇ご夫妻の過度の御忖度・・・

関係者すべてが自分たちの心を安きに委ねてしまったことに現状の不安定さの要因があると思う。

子供をどう育てるかとは親の永遠の課題だが、亡くなられた浅田真央選手の母上は素晴らしかったと思う。
不潔なマスコミの精神的汚染から浅田真央さんが逃れられたのは、常に行動を共にされたお母様のご薫陶が大きいだろう。
彼女は最後まで人間として、日本人としての誇りを保つことができた。
引退してもなお彼女の輝きが消えないのは、そのことに対して多くの日本人が賛辞と、そして感謝を持ち続けているからなのだと思う。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

日本一強い女 皇嗣妃殿下の肖像」カテゴリの最新記事