ふぶきの部屋

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「虎に翼」を見ながら家父長制を見直す

2024-06-11 05:00:00 | 政治

ルクセンブルクの皇太子、秋篠宮邸で夕食会ですってよ

佳子様と悠仁殿下もご一緒。ほっとされたでしょうね~~~

皇居でわけのわからない英語をまくしたてられたりする事ないからね。

さて、まだ先週分を全部見終わってはいない「虎に翼」をみながら、ちょっと色々考えてしまいました。

ま2024年、日本は少子化が止まらず、なぜ子供が生まれないのか本当は誰にもわかってないので

やれ子育てに給付金とか、おざなりの政策しかとれません。

そもそもあの加藤鮎子って人は、正直、頭がよろしくない。

自分が子持ちなのに、原点に立ち返る事もせず、男性上司にあれこれ言われた通りにやってるだけ。これのどこが男女平等なんだかわかりませんが。

本題に入る前に。

先週登場したキャラで傑出していた沢村一樹。

「ライアン」と自分にニックネームで呼ばせ、寅子さんは「サディ」だっけ。

こういうニックネームの付け方は好きだなあ。じゃあ、私は「ミセス・ブリザード」かなと考えながら見てたんですけどね。

そして久しぶりに現れた恩師にはひたすら「大変だったね」と労わられ。

でも大人だから「はて?」とは言えないのよね。

先週からいわゆる「民法改正」に着手しているのですが、左翼NHKは「両性の合意」を「双方の合意」と言い換えて、Xで炎上する始末。

当然流れとしては「アメリカ様のいいなりであろうとも、男女平等をうたった民法は正しい」という事になるんですよね。

救いは兄嫁、花江ちゃんが憎いアメリカにおもねるような日本の姿にがっくりしている部分。

仕方ない。日本は負けたんだものね」って。

で、民法改正では、アメリカが盛んに日本が出した提案を蹴っ飛ばすわけです。

男女は平等、婚姻の平等。例えば「女性は男性の姓を名乗る。それが納得できない場合は女性の姓でもいい」という部分がとにかくひっかかるわけですね。

結果的には「どちらの姓を名乗ってもよい」になるわけです。

中々頭の切り替えが出来ない男性型、おじさん達は「男が上」に拘っているようにも見える。

女性はひ弱で守るべきものという価値観から抜けられない。

で、はっとしました。

考えてみると、いきなり法律が変わったからと言って、人々の価値観まですぐに変えることが出来るだろうか。

答えは否です。

法律がどんなにリベラルであろうとも、戦前生まれの人は古い価値観を捨てられなかった。

 男は女性を守る。家庭を持つ。仕事を頑張る

 女性は家を守る。子育てを受け持つ。家事を担う

昭和の頃、女性の深夜勤務は制限されていましたし、「寿退職」が当然でした。

個人的に言えば、私自身の結婚の時も郡山宮に「女は男の姓を名乗るものだ」とお怒りで、それを息子が「自分がそうしたいから」と言ったらさらにお怒りで。

その時、私も若かったしフェミだったから「結婚は両性の合意があってのみ」出来るものと堂々と反論しました。

戦前世代から見ると、共稼ぎもあり得ないなら、夫が家事をする、子育てをするのもありえないわけで。

民法改正時、小学生だった人ですらこれかあと思ったものです。

 

そう。例え法律が変わっても、土着の思想まではそうそう変えられないのです。

 

考えてみると、男女平等を押し付けたアメリカが、あの時代、堂々と黒人差別をしてて、「レディファースト」と言いながら、女性達に対する扱いのひどさと言ったら、日本人の比ではなかったんですよ。

特に「奥様は魔女」時代、本当に女性は馬鹿扱いされて、心理的虐待がひどかった。

ゆえにアメリカでウーマンリブ運動が起こったわけですよ。

じゃあ、戦前戦後の女性がそこまで「差別」されたと感じていたかというと、私はそうは思いません。

「虎に翼」に出てくるような特殊な例以外は、「やることやっていれば非難されない」わけ。

つまり年相応に結婚して子供を産んで見事に育てあげれば「素晴らしいおかあ様」として讃えられたわけですね。

寅子が妊娠しても仕事を頑張りすぎて「仕事をやるべきでない」と言われ、傷つき、「仕事を捨てた」と自分を責めたわけですけど、あのシーンは余計だったと思います。

お腹に子供がいるのに、全く普通の人と同じように働けと言う方が無理で、あれでは妊娠した寅子が悪いじゃないかと私は思いました。

そういう考えが「少子化」を促進しているのではありませんか?

 

旧民法では家父長制といって、本家の長男が戸主となり、親兄弟、両親祖父母、配偶者、使用人に至るまで面倒を見る義務がありました。

だから財産は戸主が受け継ぎます。しかし、それを分配する役割も戸主はあるのです。

戸主夫妻という頂点には、両親子供がみな従わなくてはいけませんでした。

それだけ責任が重い。

責任があるから役割を果たそうとする。結婚も出産も「役割」の一つでした。

しかし21世紀の今の日本に「戸主」はいません。

戸籍が何だかもわからない人が増えて、結婚すると夫婦で新しい戸籍を作るから親世代とは切り離されてしまいます。

どんなに法律で「扶養の義務」といっても、基本、別戸籍だから面倒見るのも嫌だと堂々と言えるわけ。財産も老人介護や家への貢献に関わらず平等に分配されるなら、何もしない方がましですよね。

そして今や親の戸籍を抜ける「結婚」そのものが面倒だ、嫌だと頭のいい人程考える。

情に流されて結婚して子供を産んだが為にワンオペで苦労し、回りから「子持ち様」と呼ばれる。

妊娠から出産に至るまでの女性の苦しみや悲しみは尋常ではないのですが、称えられるどころか「子持ち様」と揶揄されたら、お腹の子を恨んでしまいますよね。

生まれても表立って「可愛い」っていうと「産めない人に失礼」とか言われ、母もまた肩身の狭い思いをするわけです。

家父長制であれば、「母」は最も大事にされる存在であったのに、令和の今は「母」であっても何の恩恵もない。だからきちんと育てられない、しつけられない、向き合えない人も多いのではないかと思います。

 

果たして今の民法は「寅に翼」がいうように素晴らしいものなのか。

私はとても疑問に思います。

「責任」「役割」が「自由」に姿を変えた時から日本の少子化は始まったのではないでしょうか。

 

 

コメント (4)
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