2005年8月29日 国立博物館で「遣唐使と唐の美術」を鑑賞
2005年9月2日 栃木県那須を訪れた両陛下・秋篠宮殿下・紀宮殿下・眞子内親王
女性セブン2005年9月22日号
「二人の嫁それぞれの夏 皇太子妃雅子さま不在に秋篠宮妃紀子様那須ー東京300キロの2往復大奮闘」
2005年9月9日 国体に出席の為岡山県訪問 マスカット農家を訪れる
マリンプールへ移動
開会式前の演技を見る
開会式
2005年9月10日 マリンプールで競泳を見る
ヨットハーバーでセーリング競技を見る
2005年9月11日 ゴルフ競技視察
2005年9月13日 憲政会館で海外日系人大会開会式
2005年9月16日 都市緑化祭典出席の為福岡訪問
2005年9月23日 兵庫県豊岡市訪問 台風23号被害状況と復興状況を聞く
宿泊先のホテルで手を振られる
コウノトリ未来・国際会議レセプション
2005年9月24日 コウノトリ未来・国際会議出席
放鳥式典会場へ
2005年9月28日 結核予防会平成17年度胸部検診車「けいりん号」完成伝達式
2005年10月2日 2005年日本国際博覧会関係者を招いての茶会
2005年10月4~5日 比叡山延暦寺「天台宗千二百年慶讃大法要」
2005年10月8日京都国立博物館「天台宗開宗1200年記念最澄と天台の秘宝」を見る秋篠宮殿下(紀子妃は別の場所からかけつける)
2005年10月9日 鳥取県訪問 全国生涯学習フェスティバル開会式出席
2005年10月10日 鳥取県立かちみ園視察
2005年の秋篠宮夫妻は殺人的な忙しさでした。
毎日、北へ南へと地方公務が多く、紀宮さまが嫁がれる最後の静養にも合流しようと、紀子妃は静養先と東京を往復した程。
この頃、東宮家はほとんど公務せず、遊んでいましたから・・・・
開拓地を訪問したさいの写真。上皇夫人は例のごとくポーズをとり、しかも柵においた手の小指を立てています。なんかなあです。
ところで、悠仁さまが「第12回子どもノンフィクション文学賞」で佳作に選ばれたそうですね。文才もおありになるんですね。
ひさしぶりの皇室関係の明るいニュースで嬉しくなりました。
「私は未だかつて、紀子さまを好きだという人に会ったとこがない。」という一文です。
ここだけクローズアップされて大騒ぎになりましたが、実は林氏は雅子妃についても危惧の念を露わにしていました。
「我々はいずれご公務に出られない皇后を戴くことになるであろう。(今の状態も)妃殿下として任を果たさないことをどう打開していくかが大問題なのである。国民の大多数は雅子さまのことを期待外れだったと困惑するものの、最後は『ご病気だから・・・』と、言葉を濁す。」
そして「これと反対に」と冒頭の文章が始まります。
女性たちは「好きで皇室に入った方、何でもうまく立ち回るわよね」と意地の悪いことを言うと書き、林氏自身の立ち位置としては「あれだけ両陛下に仕え、男児も出産され、嫁として非の打ちどころのない紀子さまに、世評が冷たいのはどういうことか。」
で、文章を締めています。
「皇室に適応できず、病を得た雅子様の人間的苦悩には共感と好意を抱き、うまく適応した紀子様にはそっけない」
というのが林氏の当時の自分的解釈と結論かと思います。
これを読んで、本当にざっくりなんですが、要するに彼女が言いたいのは、心にしろ体にしろ、もろくて弱い人には人間は優しい。けど、強そうに見える人は、つまり「強」という漢字の持つもう一つの意味、「強か(したたか)さを感じる人には反感を覚えてしまう。ということを言いたかったのかなと。
私は「日本一強い女」という紀子妃に対するタイトルが、今はとてもお気の毒で胸が痛いです。
この日本一強い女って、今はもう眞子様のほうじゃないかと。
そして、もし今でも紀子妃殿下が日本一強い女であろうとしておられるのなら、どうか強い女にならないでください。お願いしますと申し上げたいです。