何とも衝撃的な話しで。でも新潮と文春、どちらも同じように記事にしているので
これはリークでしょう。信子妃側の?それとも別なところ?
こちらは文春をレポートさせて頂きます。
三笠宮彬子さま、瑶子さま、
実母(信子さま)追放 6・6クーデター計画
仁親王殿下と信子妃が結婚したのは1980年11月。
翌81年には彬子女王が、83年に瑶子女王が誕生。
仁親王は生涯16度の手術を経験。信子妃は夫の体調を気遣い
栄養バランスを見ながら一日6食のメニューを考えられた。
2004年、信子妃は更年期障害と胃潰瘍で軽井沢の姉の別荘で2年間静養。
2006年には赤坂の宮邸に戻ったものの、その後も入退院を繰り返す。
2008年12月、「ストレス性ぜんそく」の為慶応病院に搬送され、10か月間の
入院。
2009年10月、退院した信子妃は宮邸ではなく旧宮内庁長官官舎に入る。
2012年6月、仁親王薨去。
2013年6月、信子妃が宮内記者会あてに手紙を送った。内容は
「宮様を御しのび申し上げております・・これからは、療養の経験を人生の糧と感謝し
両陛下の御意向の下、微力ながら復興支援などに尽力させていただきたく存じます」
通常は宮内庁を通すものだが、信子妃は直接送って「復活宣言」
娘達には忸怩たる思いがあった。
7年間の休養期間中、公務は父と自分達が頑張ってきた。その間、母は休養を続け
もとは税金である皇族費をつかい、暮らしてきた。
ならば、公務復帰に向けてしかるべき説明をしてほしい。
何より三笠宮長老殿下に挨拶をすませるべきではないのか。
6月6日に彬子女王の「所感」が発表されるが、そこで信子妃の振舞を国民が注目
する中で諌める。その先には信子妃を皇室から追放したい、という考えがある。
最近は信子妃に対するネガティブな報道が目立つ。情報誌「インサイドライン5月25日号に
「仁親王は生前、信子妃のことを「虚言癖がある」と語っていた。
母親としての躾、教育を逸脱した精神的虐待を日常的に繰り返していた」というもの。
彬子女王側から出ているのでは?
仁親王はDV夫だった。
物を投げる、罵倒する、無視する、親族との面会を制限し、外出を禁じて「幽閉」する。
それゆえ信子妃は軽井沢へ「避難」
その後、仁殿下はアルコール依存症も加わってDVも続き、信子妃はストレス性ぜんそくに
なった。
入院直後から知人の見舞いは殿下の許しを得てからにせよと言われた。それでは悪化すると
医者が止めた事も。
それでも信子妃は月命日に3年間墓所に参拝。
現在、信子妃には年間1500万円の皇族費が支払われているが、彬子女王の意向により
手元に届けられるのは月に10万程。その半分しかない時もある。
ドレスを作る時は見積もりを取らないと払えませんと言われている。
信子妃の侍女は一人のみ。
様々な招待状が届いても、担当職員が勝手に「不参」として返事を出す。外出する時に
車の手配をお願いしても「今動かせる車はない」と職員から嘘をつかれる。
彬子女王は仁殿下のDVを受け継いで「生き写し」のように同じ事をしている。
彬子女王が信子妃をさしおいて、三笠宮家の当主になろうとしているのは間違いない。
仁親王が亡くなった時、本来なら信子妃が当主になる筈が、「療養中ゆえ不適」として
当主選考あら外し、長老殿下に合流する事になった。
長老殿下は今年100歳に。当主の問題は解決したわけではない。
当主就任を目論む彬子女王が考えたのが「実母追放」の足掛かりとしての所感発表。
5月下旬、風岡宮内庁長官、西ヶ廣渉宮務主管、小山水樹宮務華頂が
三笠宮東邸を訪れ、所感の内容について伺いを立てる。
沈静化しつつある。
通常、DV父を持った子の場合、100%母親の味方になる筈。
なのに父親と同じ事を母にするようになる娘。
母の「療養」「病気」を「税金使って休んでる」としかとらえられない視野の狭さを感じます。
小さい頃、母親に愛されたという記憶に乏しく、その寂しさを父を異常に持ち上げる事で
バランスを取る。彬子女王が見ていた仁親王は、実際の殿下ではなく
「理想の父親」だったのかもしれませんよね。
なぜ彬子女王が宮家当主になりたいのか・・・・
皇族費の問題でしょうか?
そもそも彬子女王は自分で働いて博士号持っている。「女王」として活動するより
臣籍降下して研究者になる方がいいのでは?
父親の祭祀を「宮家当主」として受け継ぎたい、女王でも宮家当主になり
婿取りをして「女系宮家」を作りたいとでも思っているのでしょうか?
祭祀は臣籍降下しても受け継げると思いますけど。
っていうか、そもそも事ここに至っては三笠宮家は断絶するしかない宮家です。
粛々と未亡人&女王で役目を全うするのが筋では。
三笠宮殿下も加担しているのではないでしょうか(言い方悪いけど)
嫁は憎いが孫は可愛い。
そうでなければ女性なのに宮家当主になろうとするとは思えないんですけど。
殿下もまた両陛下と同じように孫をいさめず、なされるがままなの?
学歴優秀でも大人になりきれない女王の御心。
雑誌に掲載されている女王の言葉は、皇族とはいえ父に敬語を使いすぎる。
「父親とはいえ、身位の高い皇族様」というような。
ファザコンというかなんというか。
母君の実家である麻生家を敵に回す勇気がおありとは。
何とも世間知らずな女王である事よ・・・・としか言いようがありませんね。
思えば「こんな季節にサンダル?」とか・・・ちょっと服装が変だったのも
お手元不如意のせい?
それとも麻生家が全面バックアップしているのでしょうか。
彬子女王が母に対して「税金で暮らしているくせに」っていうのは解せないというか
変だと思います。
自分だって税金で留学してたんでしょ?って思っちゃう。
三笠宮殿下に挨拶がない・・・っていっても、DV夫の父親に挨拶っていうのも
変ですしね。三笠宮家と仁親王家は別ものの筈だし。
昨日は寝坊とコメントをしましたが女官や行動が起こそうと起きる気が最初からなかったんです。
例の小説のように。
もっとご公務でのお姿を拝見したい。
週刊文春は、地震予測の記事があって読みたいのですが、彬子様の記事を見たくなくて、買うのを躊躇しています。
つい最近彬子女王の留学記を読んで、向学心を強くお持ちな所や、お仕えしている人への感謝の気持ちが伝わってくる内容に非常に感銘を受けていただけに残念です。
ただ、本の中でも信子妃への記述が全くなくそのことが解せなかったのも確かです。悪口でさえも一言もなかったのですもの。。
生活費を渡さないって。でもこれ、彬子女王をかばうわけではないですが、彬子女王の意向のみでできることではないでしょう。勝手に返事する職員もあり得ないし。
新潮・文春の記事が事実に反していれば、どうか正面切って反論して頂きたいです。
2004年にお母さんが軽井沢に療養に行ったとき、彬子さんは22歳。瑤子さん20歳。
信子様は、ちゃんと娘2人が成人するまで家を守ってますよ。
1991年にお父ちゃんが最初の癌手術をした時
彬子さま9歳。
その後も、お父ちゃんは何度も手術や入院をしていますから、お父ちゃん大好きな娘さんになったのでしょうね。
DVが自分の身に降りかかってこなかったら、お金を持っていて生活基盤をもっている親に子供はついて行きます。子供ってしたたかですから。
思うのですが
杉子さん(33歳)は結婚して、理想の家庭を築けばいいのに。仕事の道もあるだろうし。
瑶子さん(31歳)も同じく。
黒田清子さんは、潔かったな♪
私はこの記事を書かせた黒幕がいるのでは?と思います。
そう、信子妃の復帰を喜ばしくないと思っているだろう三男の嫁。
長老夫妻ももうそんなに長くはない(三笠宮さまは今年100歳)。長男、次男も亡くなり、長女の娘たちが降嫁すれば、三笠宮の当主になれるとでも思っていたのでは?
そこに復帰されたのが長男の嫁 信子妃。 三男の嫁の立場からすれば、信子妃は目の上のたんこぶ。できたら信子妃には皇室から出て行って欲しいと思っている、だからこそのこの記事なのかと、私は思いました。
彬子・瑤子両女王は降嫁されたらいいと思うけれど、信子妃には命ある限り皇室にとどまり、特に秋篠宮家の味方になって頂きたいなぁ、って思います。
小学館の和楽で彬子さまがご幼少からのお写真がありましたが、信子さまのものはありませんでした。
まるで父子家庭のようでした。
喘息は本当につらいですので、どうか信子さまにおかれましてはお身体をご自愛して頂きたいです。
そしていつか母娘が仲良くお過ごしになれますように
信じております。
どうしても結婚したいと言って、信子さまの花嫁修業を待って結婚したのに、
結婚したら、一般人出身の信子さまを馬鹿にし、バー経営の愛人に熱をあげたり、信子さまにだけDV。つまり信子さまは振り回されてきた。
三笠宮殿下は二人の娘を自分の味方にするため、
小さい頃から溺愛洗脳したのかも?
高円久子も三笠宮長男家が邪魔で、まずは信子さまを追い出したいのだろうけど、
ファザコン彬子さんも三笠宮家の跡を継ぎたくて、母親信子さまを追放したいのだろうと思います。利権が絡むと、親子でも綺麗事ではすまない。
常識的には信子さまが三笠宮家の次期当主でしょ。
妃殿下は三笠宮の名誉のため、明らかにできないこともお有りかと思います。当然、お兄さまへの配慮もあるでしょう。
実の母親に領収書を要求するなんて皇女がそんなこと思いつくとは、お情けないかぎり。
我が子への真の愛情があればたとえ背いた妻とはいえ、悪いことは言わないでしょう。それをなさったとは恐れながら父上としての品格を問いたいものです。
そういう父上のことを客観視できないまま歳をかさねられる女王もまたACの疑いありですね。
「所感発表」とは仰々しいこと。皇族としての地位云々よりまずは一人の人間としての地歩を固められるほうが先です。
秋篠宮家の姫宮達は多分それがおできになりますよ?ただ美しく咲けよ、とばかりにあの紀子妃殿下が育てられるわけがありませんから。
発表しています。特別招聘研究員として研究室もお持ちです。名誉職とか客員研究員では
ないです。
今月半ばに「日本の美 こころとかたち~琳派400年記念」という講演をされます。
この日本文化研究所主催で来月に後桜町天皇二百年祭記念シンポジウム「女帝の歴史と
文学~宸翰を中心に」が開催されます。報告者の一人に所功京都産業大学名誉教授の
名前があります。所氏は女系を認める立場でしたよね。