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ふぶきの部屋

皇室問題を中心に、政治から宝塚まで。
毎日更新しています。

靖国神社参拝ツァーに行きました。

2016-05-15 00:00:08 | 日本人なら絶対に知っておきたい皇室

 晴れ渡る空の下で参拝させて頂きました。

 

今回、総勢22名の方が参加されました。

待ち合わせ場所には大型観光バスが所狭しと並んでおり、

早々と着いていた私とアビちゃんは、一瞬、どうしようかなーーと思ってしまいました。

遺族会もいたのでしょうか。

若い方が喪服姿で歩いているのをお見掛けいたしました。

時間通りに皆さまと待ち合わせをし、それから一旦神社参拝して

それから全員で正殿参拝を致しました。

この経験は本当に素晴らしいものでした。

いつもは遠くから見るだけの昇殿。

そこをしずしずと3列に並んであるくのです。

向こう側には人が沢山いるのに、静か。静寂の極みとでもいうのでしょうか。

とてもお天気がよく、暑いくらいなのに廊下に吹き渡った涼やかな風。

忘れられません。

正式な参拝の仕方・・・正直、よくわからないよな・・・と思いつつ。

みんな必死でした。

一応、代表として玉ぐしをささげたのですが、こういう所作って一朝一夕に出来るものでは

なく。こちらは悠仁殿下や佳子様方を思い出して頑張りました。

ここに英霊の方々が眠っていらっしゃる。

そして私達を迎えて下さっているのだと思うと感慨深くて

いつもはがさつな自分がほんの少し、謙虚になったような気がします。

こんなに透き通った空気が嫌な人がこの世にいるなんて信じられないなあと

つくづく思いました。

歩き方やお辞儀の仕方、参拝の所作等、一つ一つ考えながらしっかりと行う

事の重要性を感じました。

 

游就館では2時間程、皆さまと一緒に回りました。

ささーーっと歩くのかなと思ったら、結構皆さま、しっかりと

資料をご覧になられて、お話しも弾み、英霊の方々のお写真の前では

ぐっとくる感情に堪え・・・とても濃厚な時間を過ごさせて頂きました。

私はまだまだ太平洋戦争に関しては詳しくないのですが

皆さまとご一緒に語る事が出来て、とても勉強になりました。

 

昭和館では懐かしの・・・・っていうか、昭和の暮らしに触れ

ちょっとうきうき。

空襲体験では「きゃーー

玉音放送を聞くときには、思わず立ち止まって最後まで聞き

思わず「はい。頑張ります」って言いそうになってる自分に驚きました。

昭和天皇という方は、国民の父でいらっしゃったんだなと。

游就館と昭和館をめぐると、日本人が日本人である事の意味を感じさせて

くれます。なんだか、とてもいい民族だなあ。って感じでした。

 

夕方からは居酒屋で二次会。

話が弾み、盛り上がりましたね。

今回の幹事を引き受けて下さったあびちゃん、どうもありがとう。

毎度のことながら私は気が利かないので、ただぼやーーとしているだけでしたが

お金の事から二次会まで、見事な采配ぶりで「ジュゴン二世」の称号を

謹んでお贈りしたいと思います。

遊就館も全然見学出来てなくて申し訳なかったと思ってます。

次回はじっくり!

皆さまからのリクエストで、次回は武蔵野陵参拝は?という話も出てます。

ぜひ実現させるよう頑張りましょう。

 

そして6月には講演会を行う予定です。

テーマや日にちは決まり次第お知らせいたします。

どうぞよろしくお願いします。

 

 

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靖国神社参拝ツァーのお知らせ

2016-05-13 08:50:00 | 日本人なら絶対に知っておきたい皇室

          現在18名の方が申し込まれています。

                     割引人数まであと2名っ!

ぎりぎりまで申し込みを承ります。

 

 

でもその前にふぶきと一緒に靖国神社に行かない?

僕もついていこうかしら?

 

 日・・・・5月14日(土曜日)

 費用・・・・各自

 です。

   靖国神社 → 遊就館 → 昭和館というちょこっと長いツァーでございます。

   申し込みは

   fubukiroom@vesta.ocn.ne.jp

  まで。

   担当はアビちゃんです。

  もし、跳ね返されたーーとかいう場合には

  ジュゴン様の方 http://blog.goo.ne.jp/as1962k へ書き込みお願いします。

それでも跳ね返されるーーという方は、左上の「メッセージをおくる」をクリックするか

コメント欄に書き込みを。その際、ご自身のアドレスを忘れずに。

 

         

 

  

 

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文春・新潮編集室様へ  9

2016-05-11 07:00:00 | 日本人なら絶対に知っておきたい皇室

 真の保守派が皇室に「NO」を突き付ける日 

 

 平成になった途端に湧き出した天皇への「NO」

最近、佐藤浩市主演の映画「64」が話題ですが、昭和64年というのは

6日間しかありませんでした

翌1月7日の早朝に昭和天皇がおかくれになったので、午前中からすでに

平成になっていたわけですね。

いつか来る日と覚悟はしていても、本当に昭和天皇がいなくなって今上の時代に

なった時、国民は何か変わった・・・と思ったでしょうか。

平成になった途端、週刊誌の見出しに変化が起こりました。

今思えば、あれが保守派の最大の「警告」だったのかもしれません。

 平成元年2月7日の「FLASH」には

改憲派困惑!天皇陛下の「護憲」のお言葉の意外な波紋

の見出しが。

 今上といえば「護憲」つまり「憲法9条」を守る宣言がはやばやと出されていたわけです。

当時はそれは「いい事」であると思っていました。

平和な時代にふさわしい陛下だと。

 平成元年2月10日週刊ポスト

皇室の新権力と人事体制『美智子皇后の逆襲』と

言われる宮中某重大事件」

 内容はわかりませんけど「逆襲」と書かれている事が、今思えば「ああそうか」と。

 皇太后の兄が4畳半の部屋で亡くなったとか・・・そういう「栄枯盛衰」を考える時

 新しい皇后陛下は、昭和の在り方を全部否定したのかなと。

  どういう人事が行われたかわかりませんし、ここで書かれている「宮中某重大事件」が

 どんなものなのかもわかりません。

 (ご存じの方がいたらご一報を)

 でも、とにかく新しい両陛下はそういう風にしてスターとしたという事です。

 平成元3月10日週刊ポスト

「今国民がいちばん知りたい美智子皇后の

宮中民主化革命」の見出しが。

 宮中に革命を起こしたのは天皇ではなく、あくまで皇后であったという事。

  そしてこの時より、皇后はただ単にそう呼ばれるのではなく「美智子皇后」と呼ばれるように。

  昭和時代には考えられない事でした。

  皇族の名前というのはそうそうたやすく呼ばれるものではないのです。しかしながら

  「皇后」の前に「美智子」の名前がつくというのも一種の民主化革命だったのでしょうか。

  少し嫌味っぽい見出しですが。

 平成元年4月7日週刊ポスト

「新天皇夫妻を悩ます『礼宮の反抗』天皇家次男の

『皇籍離脱願望』

 多分、礼宮殿下の「結婚」問題ではなかったかと。

  当初、川嶋紀子嬢には反対だったのかしら?

  それにしても「天皇夫妻」と書かれることも、昭和時代にはありませんでした。

 この頃、礼宮の結婚に対して両陛下は「長幼の序」を説いたと言われています。

 両陛下の懸案は礼宮の結婚よりも皇太子の結婚であったわけで。

 それは当然と言えば当然でしたね。

 でも、この記事をきっかけに、もしかすると「お許し」が出たのかもしれません。

 この頃、マスコミは皇室に対して容赦ない書きようでした。

 無論、庶民には事情がわかりませんから「不敬」と思う口もあったかもしれませんね。

 平成元年8月に「礼宮の婚約」が報じられると、何かが大きく弾けたように

  「紀子ちゃんフィーバー」が起きました。

  川嶋紀子嬢がこんなに国民に受け入れられると、果たして両陛下は思っていたでしょうか。

  皇室からみれば「3LDK」のプリンセス、身分違いの結婚だったかもしれませんが

  国民の側から見ると「今時珍しい程古風なお嬢様ぶり」にくぎ付けになったんですね。

  しかも、このお嬢様は国民を不愉快にさせる事を一切なさらない。

  男女同権、雇用機会均等法世代ではあっても、礼宮の後ろに恥じらうように控える

  紀子さんを非常に好ましく思っていたんです。

 浩宮の妃候補は誰もかれも「お金持ち」で「帰国子女」系、ブランド品を着て

  風を切って歩くタイプばかりが報道された中、こんなにも紀子さんが愛された背景には

  日本人が望む「皇族妃」は、やっぱり「優しい笑顔」とか「恥じらう初々しさ」を持っている

  人だった事がうかがえます。

   こればかりは民族としての本能で、理屈ではどうしようもなかったのだと思います。

 平成2年5月24日女性セブン

美智子様、晴れ着から髪型まで 

 異例の嫁姑愛「紀子ちゃんは私が守ります」

 これは微笑ましいエピソードとして語られているようですが、今思えば恐ろしい

  皇后の「女帝」ぶり。

 まず一つは「紀子ちゃんは私が守ります」の一言。

  多分、昭和時代に皇太后ら皇族から「いじめ」を受けたと思っていた皇后が

  そういうものから嫁を守りましょう・・・と決意した、「姑愛」にあふれた記事だったのでしょう。

  しかし、一方で「晴れ着から髪型まで」をアドバイスというより「命令」しているのも皇后なわけです。

 みなさんもご存じですが、納采の儀での帯は皇后から貸してもらったものですね。

  皇后の入内まで納采の儀に振袖を着る習慣はなかったのです。

  本来は洋装でもよかったのかもしれません。

  しかし、わざわざ自分の帯を下賜する事で皇后の財力と権力の強さを見せつけたのです。

 また「守る」という言葉は、皇太子が小和田雅子嬢と結婚するときにも使った言葉で

  要するに皇后の心の中に「皇室は敵」という思いがあったのかもしれません。

 平成2年6月21日女性セブン

またこんな声が・・・紀子さんいじめ 

   美智子様の異例の嫁姑愛にやきもち」

 「また」とあるという事は、それ以前にも「紀子さんいじめ」があったという事ですね。

  「異例の嫁舅愛」という言葉の強調に皇后の「悪意」を感じます。

  ご自分は姑に愛されていなかったという事で、そういう「慣例」がなかったって話でしょう?

 

昭和天皇が亡くなって僅か1か月やそこらで批判的な記事が出始め。

でも、それも礼宮と川嶋紀子さんの婚約で全て吹っ飛び。

本当に礼宮と紀子さんは両陛下にとって「救いの神」だったのだろうと思います。

 

 

 

 

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文春・新潮編集室様へ   8

2016-05-03 07:00:00 | 日本人なら絶対に知っておきたい皇室

 真の保守派が皇室にNOを突き付ける日 

 

 最初からおかしかった皇太子妃 

皇太子の一途な思いがかなった結婚」としてマスコミが大騒ぎした皇太子の成婚。

でも、国民からするとそれほど盛り上がったわけではなく、逆に株価が下がるなどし、

ここにマスコミと国民の溝が刻まれる。

私達は全くその事に気づいてはいなかったのだけど・・・・・・

「大本営発表」なんて戦前の話だと思っていたから。

当時は新聞が嘘をつくとか、マスコミが意図を持って悪意ある報道をするとか

考えていなかったのです。

ゆえに、雅子妃に関しても長い間・・・いえ、いまだに

 キャリアを犠牲にして皇室に嫁いだけなげな女性

として刻まれて来たのです。

 

けれど、皇室入りした時からすでに雅子妃の異常は目立っていました。

 所作を覚える事が出来ない

 結婚式当日、皇太子と立ち位置が逆になるも、そのまま。

 披露宴でシャンパンを一気のみしてしまう

 披露宴用に作られたケーキを皇太子と一緒に食べてしまい、作り直させる

 最初の公務ではやばやと居眠り

 イヤリングを落として皇太子に拾わせる。

 

 乱れた生活習慣

 朝、決まった時間に起きる事が出来ない

 規則正しい生活を嫌う

 極端な人見知り

 結婚後、皇太子の学友たちと交流するも、途中退席。

 結婚後、皇太子の学友たちは東宮御所に行くのを控える

 地方公務先の昼食会等が苦手。「二度とああいう人たちとは会いません」

 他人の洋服をまねる

 皇室における「妃殿下の条件」とは

 血筋

 多産系

 礼儀正しさと社交性

 気が利くこと

これに限ります。学歴とか語学力などはいらないのです。

それを昭和の「美智子様」が学力優秀で外国語堪能で・・・という先例を作って

しまったからです。

皇太子の結婚に関しては第一番目の条件として

「学歴」が重要視された事は大いに間違っていたと言えます。

この「学歴主義」は家柄や血筋がない人達の示す「ステイタス」そのものであって

本当のハイソサエティには必要ないのです。

雅子妃は

 ハーバード大出

 外国語堪能

 キャリアウーマン

の3点セットで入内したのですが、実際には朝、きちんと起きることもできなければ

夫とその家族を思いやる気持ちもなく、国民を目の前にしての所作すら理解せず

つまり、「やっていいことと悪い事」の区別がつかない人であるわけです。

そして周りから注意されるとプライドが傷ついて、回りを攻撃するようになる。

いわゆる「自己愛性人格障害」です。

皇室側も、雅子妃に何らかの精神疾患があると踏まえて、女官にセラピストを

入れたのだと思いますが、皇室という「敵」あるいは「壁」だらけに囲まれた雅子妃は

次第にモンスター化して、手が付けられなくなっていくのです。

 

一般庶民が時折目にする雅子妃に関しても、当時から「違和感」があったと

思います。

どう見ても皇太子と仲がよさそうに見えないし、それなのに「ラブラブ」とか書かれて

「?」な状態であったし。

登山に付き合うのも面倒な感じで、「手作り」と言われたおにぎりは実は業者が

作ったものと暴露される始末。

皇后陛下が「ケーキ作り」に皇太子妃や秋篠宮妃などを誘い、コミュニケーションを

図ろうとした節もありますが、結果的に雅子妃の拒否に会い、ケーキ作りという

趣味そのものがなくなってしまう始末。

 

問題はなぜ、雅子妃のモンスター化を許したか・・・・です。

誰がそれを許したかという問題でもあります。

紀子妃が入内した当時、皇后陛下からこまごまと注意を受けて

悩みになやんだ紀子妃は「皇后の所作をコピー」するようになりました。

そもそも、結婚する前、着物の帯を下賜された時から

皇后が法律」になっていたのでした。

若くて素直な紀子妃は、それに従うしかありませんでした。

「恋愛結婚したという事は好きで皇室に入ったんだから

適応するのは当たり前」という事ですね。

では皇太子妃はどうだったのでしょうか。

結婚前から一連の「失敗」はそもそも皇后がもっとも嫌うものの筈。

居眠りだの、不規則な生活だの、衣装かぶりなど。

昭和の皇室は「血筋と家柄と育ち」が優先する特別な世界でした。

美智子妃の入内によって「開かれた皇室」というキャッチフレーズが出来ました。

皇族が「普通の人間」である事を強調する事で親近感を与えようとしたのです。

でも、「普通の人間」であっても「どこにでもいる人間」であってはいけない。

旧弊なしきたりや伝統を否定、それを守るものを否定する美智子妃にとって

「特別なもの」それは「学歴」だったわけです。

人間性より、どこの大学をどんな成績で出たかが優先されるというわけですね。

 

どんなに雅子妃の入内がゲリラであっても、最初から天皇と皇后がきっぱり

「反対」していれば入内は叶わなかったかもしれません。

でも実現した。

そこには「家柄がダメ」という理由を出せない両陛下の「弱み」があったのです。

そしてもう一つは、「被害者モード」になると騒ぎだす雅子妃を前に

「悪者」になれなかった皇后の姿が出てきます。

香淳皇后は、美智子妃のお蔭で、実態とは違う「悪役」ぶりを演じさせられました。

今度はその逆をされようというのですから、どうにもならなかったでしょう。

何よりも、皇后はこの時から雅子妃に対し、ある種の「シンパシー」を感じて

いたのではないかと思われるのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

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文春・新潮編集室様へ  7

2016-04-25 07:00:00 | 日本人なら絶対に知っておきたい皇室

 真の保守派が皇室にNO!を突き付ける日 

 

 保守派と「アカ」の違い

保守派 → 自分の国を愛している人

        自己の行動が国益になる事を望む人

        日本の伝統文化やしきたり等を評価し、受け継ぐ人

アカ → 日本が嫌いでなくなってもいいと思っている人

      その国に帰属しているという自覚がゼロの人

      日本の文化や伝統を否定する人

      「国歌」「日の丸」を否定する人

      「道理」を「差別」と訴える人

 

 雅子妃の日本嫌い

 神道を理解しない事

お妃教育の時に英語で書かれた本を求めたというのは有名な話

皇室の基礎は「神道」にあるというのに、「合理的でないものの見方がダメ」と

して祭祀を行っていない事実。

「アカ」的にいうと

 祭祀における潔斎は女性差別で恥ずかしい

 装束が負担(重さとか着替える手間の事をいうのだろうか)

 いるはずのない「神」に毎日祈りをささげる事は無駄と考える

 結婚以来、伊勢神宮には2度しか行かない。武蔵野陵もそう。神武天皇陵は

  行った事がない。

結婚前から、雅子妃が祭祀嫌いなのはわかっていた筈なのに、なぜ結婚を許したのか。

好きとか嫌いとかいう前に皇室の根本を理解しない、否定する妃が必要だったのだろうか。

 

 日本語が苦手

皇太子夫妻の婚約記者会見をテレビで見て、小和田雅子嬢の物言いに

「何を言っているのかわからない」と思った人達もおおいだろう。

あの記者会見はぶっつけ本番で当意即妙に・・・ではなく、最初からセリフが

決まっており、小和田雅子嬢はセリフ通りにしゃべっていただけなのだ。

所作に関しては誰に教わったのかわからないけれど。

座る時に服をつまんで・・・・

クラッチバッグをテーブルに置き・・・・

唇をなめる。

 現在の心境は・・・・と聞かれて

大きな責任をお引き受けすることになるわけですから、身の引き締まる思いがいたします

実はこの言葉に雅子嬢の「結婚観」の全てがあらわれているわけで。

この文章を作った時から結婚はやめるべきだったと思います。

婚約が調って「大きな責任を・・・」と答える花嫁がいるでしょうか。

素直に「嬉しい」とか「ほっとしている」と答えるならまだしも。

まさに「結婚は仕事」ととらえている一言ですよね。

 

 プロポーズの経緯をきかれて

十二月十二日、殿下に「本当に私でよろしいでしょうか」とうかがいました。

「はい」とお答え下さいましたので、私の方から次のように申しました。

「私がもし殿下のお力になれるのであれば、謹んでお受けしたいと存じます。

これまで殿下には、いろいろ大変幸せに思えること、うれしいと思えるようなことも

言っていただきましたので、その殿下のお言葉を信じて、

これから二人でやっていけたらと思います。

殿下にお幸せになっていただけるように、そして私自身も自分でいい人生だったと振り返られるような

人生にできるように努力したいと思いますので、

至らないところも多いと思いますが、どうぞよろしくお願いいたします」と。

 多分に小和田恒作の答えと思われますが、上から目線と思った人も多かったろうし

 「何が言いたいの?」と思った人も多いでしょう。

 「○○をしてくれたから○●してあげる」という「駆け引き手法」に驚かれたのでは?

 

 出会った印象とひかれた原因についてきかれて

最初の時は、大変緊張してごあいさつ申し上げたんですが、

その後は、意外なほど話が弾みました。とても気さくで、かつ配慮のある方だと思いました

五年ぶりに去年の夏にお目にかかった時は、楽しくお話をすることができました。

その時点では、殿下のお気持ちをうかがっておりましたので、内心、

正直なところ複雑な心境でございました。

私が殿下のどういうところにひかれたかと申しますと、殿下は、ご自身がお苦しい時でも、

他の人の苦しみについてまず先に考えられるようなそういう大変思いやりの深い方で、

大変忍耐強くいらっしゃる。

こう言ってはちょっと失礼かもしれませんが、とても人間ができた方と敬服いたしました。

ご趣味、ご交際もとても広く、心の豊かな方でいらっしゃると思います。

 当時、皇室ジャーナリストたちがひっかかった言葉は

「人間ができたかた」という一文で、かなり上から目線ととらえた印象があります。

でも私はむしろ「その時点では・・・」から始まるわけのわからない一文で。

その時点」 → 5年ぶりに会った時

殿下の気持ちをうかがっていた」 → 殿下が自分と結婚したいと言っている

内心、正直なところ」 → ぶっちゃけ

複雑な心境でございました」 

わかりますか?この一文の意味。

皇太子が自分と結婚したいという気持ちを持っている事を知っていた。

でも5年ぶりに会った・・・複雑な心境だった。

話が弾んで楽しかったらこの一文は出てこない筈で。何の為の言葉なのか。

受け取る側の戸惑いがわかりますよね。

 

 決意した過程を聞かれて

これまで六年近く勤めておりました外務省を去ることにさびしさを感じないと申したらうそになると思います

やりがいのある仕事をさせてもらい、学ぶべきところも多く、尊敬すべき先輩や同僚に恵まれて

充実した勤務でした。昨年の秋、いろいろ考えた結果、私の果たす役割は殿下の申し出をお受けして、

皇室という新しい道で自分を役立てることではないか

と考え決心したので、今は悔いはありません。


殿下からは私の心を打つような言葉をいくつかいただきました。

ひとつは去年の十一月の後半、

皇室に入るのはいろいろ不安や心配がおありでしょうが、雅子さんのことは僕が一生、全力で

お守りしますから」と話しかけてくださいました。

さらに、十二月初め、「十分にお考えになって下さい」とおっしゃられ、

ご自身も「大変悩んだ時期があった」とおっしゃられたので、

「何をお悩みになられたのですか」とお尋ねしました。

「僕としては雅子さんに皇室に来てもらいたいとずっと思っているけれど、

本当に幸せにしてさし上げられるのか、悩みました」と言われました。

そのような殿下の真摯なたいへん誠実なお言葉をいただき、

幸せに思うことができましたので、「私でできることでしたら、殿下のことを幸せにしてさし上げたい」と

お受けした次第です。


その間、殿下からは、私がお受けすることになれば両陛下も温かくお迎えするとおっしゃって

下さっている、ということで、私にとって大変大きな励みになりました。

一部で言われているように、直接、皇后さまから私にお気持ちをお伝えになられたようなことはありません

 このセリフのような文章を考えた人は、自分の婚約記者会見に対して

  とても客観的な考えを持っていたようです。

 「尊敬すべき」・・・普通は「尊敬する」になると思うのですが、あえて「すべき」という所に

  「今はまだ地位が低いからそういう思いでいるけど、いずれ自分が尊敬される立場になる」

  と言っています。

 「いろいろ考えた結果」というのは、「結婚」を「損得勘定」で考えていた証拠で、

  結果的に得があると思って受けたように見えます。

  こんな言葉を聞いたら、通常はお祝いする気持ちもなくしてしまいますが、日本人は

  必死に祝おうとしたんですよね。

 「僕としては・・・」の件は完全にねつ造ではないかと。そんなにはっきりと

  しかもセリフのように覚えているものでしょうか。本当にそういわれても言わないのが普通。

  日本人としては理解しづらい言葉の羅列に少々うんざりですね。

 言質をとった部分は二か所。

 「雅子さんの事は僕が・・・」

 「両陛下も温かく迎えると・・・・」

 御迎えする・・・・という引用の仕方が不遜すぎて違和感があるのではないでしょうか。

 お子様は何人

その質問に関しては多分出るでしょうと、一昨日お目にかかった時に、だいぶ相談しましたが、

答えは出ませんで、殿下にお任せすると申し上げました。

ただひとつだけ、これだけはおっしゃらないで下さい、ということがありました。

は殿下は大変音楽がお好きでいらっしゃるんですが、

家族でオーケストラが作れるような子供の数、ということはおっしゃらないで下さいと申しました」

 秋篠宮の場合

お子様は何人?」

秋篠宮 「何人にしましょうか」

紀子さん 「それもよく話し合って決めたいと思います」

殿下は初恋ですか?」

紀子さん 「お答えしてもよろしゅうございますか?」

秋篠宮 「どうぞ」

紀子さん 「はい。そうでございます」

 雅子さんも「殿下はお子様が好きで、将来は子供達でオーケストラが出来たらいいね

  とおっしゃったので私はただただ「はい。おおせのままに」と申し上げました

 とでもおっしゃれば、まだ笑いが起きたと思うんです。

  不必要な言葉

「一昨日お目にかかった時」

「だいぶ相談」

「これだけはおっしゃらないで下さい、ということがありました」

これまた決められたセリフだったとしたら作り手の文章力を疑います。

アドリブだったとしたら、雅子さんは「子供」が出来る事を単に機械で

大量生産出来るものと考えていたのではないかと思います。

それくらい非現実的な言葉で、29歳の女性がいうとは思えません。

このものいいから、週刊誌等では

雅子様は外国生活が長いので、英語を翻訳したような言葉を使うのだ」

と書かれていましたが、結構無理がありますよね。

初々しいと書かれてはいますが、要するに「たどたどしい日本語を話す29歳」だったのでした。

 

 着物嫌い

日本が大好きな外国人はみな着物を着たがるし、着物の着付けも覚えるし

着物は動きやすいと感じるようです。

何より生地の絵柄が芸術的に素晴らしいと思うようですね。

しかしながら、雅子妃は13年間着物を着ていないのです。

 

外交官の娘なのに着物を着る機会がほとんどなかった事に驚きます。

七五三もなし、成人式も?

人生最初の和服姿がこれらしい。

多分、この写真が公開された時点で、色々言われたのではないかと思います。

納采の時の写真。

皇后陛下から頂いた帯を締めて。

 雅子妃は元々おしゃれに興味のない人だと思います。

TPOに合わせた服を考えるのが面倒な人。

だから人さまの服装とそっくりなものを作って着たりする。

着物に関しては決まりごとが多く、「これ好き」と思っても容易に決められない事があり

そういうものの連続が面白く亡くなったのかもしれません。

回りからひそひそと悪口を言われたせいで「着物が怖い」状態になったとも言われますが

それを「忠告」と受け取らず「悪口」と思ってしまった事が失敗。

 

とにもかくにも、現在皇太子妃は着物を着ない・・・・状態が続いています。

7年ぶりの祭祀も「証拠がない」以上、誰も本当に装束を着たとは思われてません。

神道と着物を否定する。

そもそもが間違った結婚だったのです。

しかし、それを許したのはどなたでしょうか?

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文春・新潮編集室様へ  6

2016-04-14 07:00:00 | 日本人なら絶対に知っておきたい皇室

 真の保守派が皇室にNO!を突き付ける日 

 

 皇太子夫妻の結婚は偶然ではなく必然

出自・学歴、そのどちらも「事実」として疑問符が付く女性が、なぜ皇太子妃になる事が出来たか。

それを望んだ人がいたからである。

愛子内親王誕生の頃から、ネットの中の「真の保守派」はとげのように突き刺さる

皇太子妃への「違和感」に心を痛め、やがて、その理由を検証し始める。

参考にしたのが、香淳皇后や美智子妃のあり方だった。

私達とは別世界で生きる人達。でもそこには「享楽」などという言葉が入る余地などなく

私達はあこがれつつも、じゃあ、自分が皇族になりたいか?と問われると

「それはちょっと・・・」と思うような存在。

堅苦しくて近寄りがたい。大変な存在という意味だ。

イギリス王室では彗星のごとく現れたダイアナ妃に狂喜するも、数々のスキャンダルが

襲う。イギリスを始め、どこの王室でも1つや二つのスキャンダルはつきもの。

でも日本では無縁の事だと思われてきたのだ。

しかし、愛子内親王誕生あたりから、もしかしたら日本の皇室にも同じスキャンダルの波が

来ているのではないかと思い始めるのだ。

 検証・・・・結婚前から「振る舞い」に疑問符が

                    ついた小和田雅子嬢

 

あまりにも有名な「指さし恫喝」事件。

1987年12月18日。マスコミの取材に対し「どこの社なの?名刺出しなさい

と記者を指さして恫喝する事件が発生。

小和田恒氏が後に

たしか八七年の十二月二十日過ぎだったと思います。

突然わが家の前にカメラマンの方々が二、三十人現れたのです。

雅子は、いつものように外務省に出かけようとして玄関に出たのですが、

びっくりして慌てて家の中に駆け戻ってきました。

お父様、お父様」と息を切らしているものですから、「どうしたの」と聞きましたら、

何だか分からないけれど、玄関のところにカメラマンの方が沢山いて、

写真をパチパチ撮られたと言うのです。私の方も何が起きたのかまったく分かりません。

どうしたのだろうと思いましたが、娘ももう社会人のはしくれですし、

集まっている人たちに「どうしたんですか」と自分で聞いてみたら、と気軽に申しました

それで雅子は、勇気を奮ってもう一度出て行って「どこの方ですか」と訊ねたんですね。


 それが、後になって「名刺を出しなさい、名前を名乗りなさい」と言い放ったという話になって

「皇室評論家」と称する人などから、気の強い女性であるといった歪められた話になって

伝えられてしまったのです。

 ファンタジー小説を読むかのような文章だが、当時の国民の多くは

 「あんなにマスコミに追い掛け回られたら怒ってそういう事を言いたくなるよね」

 「ぶりっ子の紀子妃より人間らしい」

と同情したものでした。

 川嶋紀子さんが登場した時、日本国民はみな「今時、あんなお嬢様が存在するのか」と

驚き、喝采したものでした。

  生活ぶりが質素で笑顔を絶やさす、自分の役目に忠実。非の打ちどころのない面にどこか

 堅苦しさを覚えていたのかもしれない。けれど、それこそが「皇族」のあるべき姿だった。

 私達庶民と同レベルまで落ちては困るのです。けれど、当時はそこに気づかなかったという事。

 

外務省中央玄関前の駐車場に車を入れているのは小和田雅子さん。

職員は原則として車通勤はしてはいけない。

外務省中央玄関の駐車場は70台。ここの名義は小和田恒氏。

つまり雅子さんは父親のコネを使って一人マイカー通勤していた事になり。

それを知った外務省は、突如「小和田雅子」名義で駐車許可証を発行。

 「まあ、公務員だしお父さんのコネがあるししょうがないんじゃないの」

   「さすが外交官のお父さんがいる人は違うなあ」

   何度も「マスコミは蛆虫みたい」とか「馬鹿野郎」とか。お嬢様にふさわしくない

  言葉遣いをしようとも、国民は「今時っぽくていいんじゃないの?」と思ったものです。

  「いい子ぶりっこよりいいわ」

 

 金箔箪笥事件

小和田雅子嬢の男性遍歴に関しても様々なうわさがありました。

30近くまで何もないっていう方がおかしいと誰もが考えてはいたけど

例えばデビッド・カオなどという人が雅子さんの写真を持っている・・・と

噂がたてば、その彼が不審な死を遂げるというありさまで。

それらの写真が焼き捨てられたのか、噂にすぎないのか真実なのか

今もって謎のままです。

 

でもこの「金箔箪笥」事件はちょっとしたスキャンダルになりました。

 金沢にある「辰巳屋」という老舗の箪笥屋さんが、小和田家の注文で作った

  桐に金箔を張り付けた箪笥3竿(3千万)が突き返された。

 箪笥を東宮御所に納入しようとしたら宮内庁から「NO」を突き付けられた格好。

 社長は行方をくらまし、その後「自分達が独断で作らせて頂きました。またその箪笥は

  巷で言われれているような高級品ではない」と文書で発表。

 小和田側も「辰巳屋が独断でやったこと」と釈明。

 辰巳屋を小和田家に紹介したのは金沢の大物代議士であるという話が。

 宮内庁のアドバイスを聞かず、独自に注文先を決めたが為に、「桐たんすに金箔をはる」

  という素人のようなミスを犯した・・・

 このニュースに、多分、一部の人は「成金ってこうなのか。突き返されて当たり前」と思ったと

  思います。私もそう思った側です。

  しかしながら、あっという間に「小和田家の知らない所で箪笥会社が勝手に金箔箪笥を

  作ってしまった」という話になり、「被害者は小和田家」となってしまったわけです。

 老舗の箪笥屋が素人のようなミスを犯すでしょうか?

   頼まれもしないのに、一竿1000万もする箪笥を作りますか?

   普通に考えれば、「箪笥屋のせいか?」と疑問に思う所、祝福ムードにすっかり辰巳屋は

   悪者になってしまったのでありました。

このように、結婚前から小和田雅子さん、あるいは小和田家の振る舞いは「皇室」のそれとは

  正反対で、いちいち国民は無理に自分を納得させなくてはならなかったのでした。

 

日教組の教育を受け、「日本は悪い国」「日の丸・君が代は気持ち悪い」

「皇室を語ると怖い」を植え付けられた国民は、すっかり無関心に。

それをいいことに、マスコミは「祝賀ムード」だけ盛り上げ、都合の悪い事は

全て隠してしまった。

しかも、ダイアナブームで、すっかり「王族=セレブ」というイメージがついてしまい

小和田家の成金趣味や成金的振る舞いも、「どうでもいいや」と目をつぶる人が

多かったのでしょう。

森元総理が「日本は天皇が治める神の国」と言っただけで辞任か!という程

皇室に関する言葉はタブーになってしまいました。

「あるべき姿の天皇と皇族」を存続させつつ、自分達の税金が使われているという

部分で厳しい目を向けるべきだったのに、「天皇及び皇族には触らない」かあるいは

「天皇制反対」のどちらかにしか人がいなくなってしまった事が、なお一層小和田雅子さんには

好都合だったんでしょう。

 

そして小和田雅子さん自体が「皇族=セレブ&権力者」ととらえていた事は確かでしょう。

人から見ればうらやむような学歴・職歴ではあるけれど

本人としては、一人だけ修士をとれなかったり、外務省でも多くの挫折経験を抱えて

「恨」を募らせていった事でしょう。

そんな彼女にとって「皇太子妃になる」という事は、「恨」を晴らす事に外なりません。

誰よりも高い地位につけば、回りを見返してやれる・・・そんな思いがあった筈だと

私は思っています。

お妃教育の過程で、彼女が何も学ばず、かえって要望だけを突き付けた事

(「神道」に関するテキストは英語でとか、科目が減らされたことなど)

は、予行演習だったのかもしれません。

そうとも知らず(?)

国家を上げて「ご優秀な皇太子妃」という幻影に酔ったのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

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文春・新潮編集室様へ 5

2016-03-31 07:00:00 | 日本人なら絶対に知っておきたい皇室

 真の保守派が皇室に

          NOをつきつける日 5 

 

 「アカ」が否定する「血筋」

日本国憲法では

「 すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、

社会的身分又は門地により、

             政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」

と説く。ゆえに華族制度は廃止された。

そして「華族」でない女性が皇太子妃になった。

「血筋」という身分制度はなくなったけれど、人間というものは、どこかで優劣を決めたいものらしい。

そこで「血筋」に代わる身分制度を考えた。

それは「学歴」と「年収」である。

正田美智子という女性は、まさにその象徴、「勝ち組」女性の象徴であった。

 

本来、皇室に必要なのは学歴でも年収でもない。「血筋」である。

血筋というのは一朝一夕に出来るものではない。

一つの樹の枝葉がそれぞれ努力して伸ばし、花や実をつけるもの。

ほんの少しでも「傷」をつけたら、樹そのものが枯れてしまうという考え方である。

一人だけが尊いのではない。

一人の尊い人の血を守り伝承していくこと、そしてその「血筋」を絶やさず、傷をつけず

出来るならそれにならって自分もまた尊い人間になる事。

それが「血筋」なのである。

「血筋」を持つ人は、自分の生き方をおろそかには出来ないし、縛りもある。

守らなくてはならないものも多く、しかも子々孫々に伝える義務もある。

学歴や年収といった、「当代」の栄華でははかれない底の深さがあるのだ。

戦前の日本は、皇室のみならず、庶民の「家」にも、それなりの伝統や格式があり

守るものがあり、縛りもあり、伝えるものもあった。

戦後の日本国憲法は「自由と解放」を旗印に、「個人」「今生きている人のみ」を大事にする。

それはすなわち、人智が及ばないものを否定する考え方ではないかと思う。

 

華族制度に支えられない皇室は丸裸にされたも同然。しかも庶民の上で

「空気感が違う存在」として浮きまくっているのが現状。

ほとんどの日本人が「日本なんて」「日本人なんて」「伝統なんて」「決まり事なんて」

と考える時代に、頑固に太古の昔からの神事を守り、序列を守り、しきたりを守り

としている皇室に違和感を持つ人、「まるっきり別世界で関係ない」と思う人も多いだろう。

「まさにそこが「アカ」の狙いなのだが。

「血筋」の否定は民族の否定と同じ。日本に巣くう反日「アカ」は日本民族の消滅が目的なのだ。

マスコミがその毒に侵されている今、真実を伝えるのは至難の業。

今や日本人の心の中にある、ほんのわずかな良心に頼るのみだ。

 

 なぜ血筋を隠さなければならなかったのか

小和田家の墓。

 小和田家は恒→猛夫→金吉・・・から先は遡る事が出来ない。

 新潟の村上にある「小和田本家」からは「関係ない」と言われている。

 自分の戸籍謄本をとってみるといい。3代前の先祖がどこからきているかは容易にわかる。

  そしてその後をたどりたい場合は、菩提寺の過去帳を調べるという方法もあるらしい。

  先祖代々の墓があれば、その墓石に彫ってある名前で誰がいつ何歳で死亡したというのが

  すぐにわかる。小さい頃、叔父に

  「その家の墓石を読めば、その家が長命なのか短命なのかすぐにわかる」とか言われたこともある。

 しかし小和田家の場合、小和田金吉という人がどこから来たかが不明なのである。

  宮内庁がどうやって探しても探し切れなかった所に

  「解放同盟」から抗議文が届いた。

この事実を覚えている国民は多くないと思うし、全く知らない人も多い。

正田家でも川嶋家でもそんな事は起きなかったのに、なぜ小和田家に限って、皇室と

相容れない、正反対の組織からまるで「庇うように」抗議文が来たのか。

あなたは何を思うだろう。

左は江頭豊氏

江頭氏はチッソの社長だった。水俣病を生み出し係争中の会社の社長であった事は事実。

江頭氏は日本一の公害病を生み出した会社の代表として責任を果たしていない。

それだけではなく、暴力団を雇って事実を暴こうとしたジャーナリストを破滅に追いやった

罪人である。

江頭・小和田家の大好きな国家の言葉を借りれば「天が怖くないのか」というべき所。

 

しかし、どんなに出自がはっきりしなくても「差別はいけない」という声に押されたのか

「血筋より学歴と年収」に押されたのか、小和田雅子嬢は皇太子妃に決定してしまった。

 

問題は、誰がそれを許したのか。

という事なのである。

その「許した」が為に「今」がある。

 

 

 

 

 

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自由平等友愛こそが「アカ」

2016-03-30 07:00:00 | 日本人なら絶対に知っておきたい皇室

 いつもは見ないワイドショーをチラ見しただけで・・・・げっとなる今日このごろ。

よくわからないけど白鵬の勝ち方に問題ありというのは、あながち間違っていないのでは?

相撲は神事だし、スポーツじゃないもの。

ただ勝てばいいってもんじゃないでしょう?それを「モンゴル人への差別」とか言い出す人の

気が知れないなあ

と思いつつ、NHKの「ママ達の非常事態宣言」を見てげっ

アフリカかどこかの原住民の子育ての仕方を例にとって

ここでは産んだ母親は面倒を見ていません。実の母親でない人がおっぱいを

あげています。昔はそれが普通でした」って・・・・

育児ノイローゼのママ達に「あなたが悪いんじゃないのよ」といいつつ、立派に

アカに洗脳していく過程が怖いです。

来週だっけ?韓国を取り上げる特集をするの。今時。

精霊の守り人」はまるで「太王四神記」のような作りでどうにももやもやだし

考えない人こそが危ないって事ですよね。

 

職場で在日特権の話をしたら

それは日本がその昔、何か悪い事をやった償いとかじゃないの?」と言われて唖然茫然。

そうだよね。そうとるよね。わかるよ。わかる。

なんせ東京裁判だし、A級戦犯だし。

両陛下からしてそんな考えだし。

 

私達保守派も極端にならざるを得ないでしょう。

つまり

「自由・平等・友愛」を訴える人こそが「アカ」だと。

 産まない権利ばかり主張する人。自分が産まない(産めない)のだから他人にも

  産児制限する人。

 国技を単なるスポーツだと思っている人。

 国歌と国旗が嫌いな人。

 安保法案反対の人。

 朝ドラみながら「明治の女性は抑圧されて学問の自由が全くない可哀想な存在だった」

  と頭から信じ込んでいる人達。

身近に自覚無しの「アカ」がいるというのがもっともタチが悪いのです。

自覚無しアカの人達には、自分がアカである事を自覚させたうえで

「それは間違った思想」だと教えてあげましょう。

日本の人口が減って困らないのはどなた?

日本の国技がなくなって困らないのはどなた?

君が代を歌えないのはどうして?

日本が侵略されたらどうする?

本当に抑圧されていたら広岡あさはいないぞっ

全てを平等に分配するという「アカ」の意見は一見、とってもご立派。

だけどそれはもうすでにありえない事はロシアや中国が証明しているわけ。

そこらへんをきちんと説明して覚醒させてあげましょう。

日本の為に。

 

 

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文春・新潮編集室様へ  4

2016-03-22 07:00:00 | 日本人なら絶対に知っておきたい皇室

 真相スクープ 真の保守派が皇室にN

                        O!を突き付ける時 4 

 

 学歴詐称 → 真相スクープ3

ハーバード大学卒が実はラドクリフ卒だからなんだ、頭がいい、成績がいい

事には変わりがないじゃないか。

外交官じゃなかったからなんだ、外務省で官僚だった事は確かじゃないか。

・・・・と、いう人たちがいる。

問題はそういう事じゃない。雅子様を選んだのは皇太子殿下だ。

皇太子殿下が雅子様にぞっこん惚れこんで、その思いに雅子様が応えた。

多少、出た大学の名前やランクが違っていても、大使館勤めじゃなくて

事務職だったとしても

問題ではない。普通の女性がそこまで行く事はなかなか出来ないのだから

と言われたら、私達庶民は「そりゃそうだ」と思う。

頑張ってもラドクリフに入れる人はそうそういないし、まして外務省に入る

事など。

しかし、ではなぜ、結婚する前にあそこまで

雅子様はハーバード大出の外交官という素晴らしいキャリアウーマンだった

とさかんに宣伝しまくったのか。

そして、なぜ皇太子が

雅子のキャリアと人格を否定する動きがあった事も

確かです」と言ったのか。

どうしてマスコミが

ハーバード大出の外交官で将来は総理大臣になるほど

優秀だった雅子様が

皇室に入る事によって実力が発揮できなくなった事が

適応障害の原因

と書き立てたのか。

つまり、雅子妃の自慢できる点が「ハーバードと外務省」これしかなかった

からではないのか。

後に述べるが、家柄や血筋がない人にとって、唯一のすがりどころは

学歴」以外にはない。

それは皇后も同じ。

彼女がいなかったら聖心女子大がここまで有名になったろうかと思う程

宣伝された。当時、高校を出るだけでも御の字の女性達の中で

エスカレーター式のお嬢様大学出というのは、多分、「ハーバード&外務省」に

匹敵するくらいの威力があったと思う。

かつて正田美智子嬢が「皇太子妃」になる為にとった作戦を、

小和田雅子嬢もとったという事だ。

 

ただ「皇太子が好きになった女性」というだけでは、皇太子妃にするわけには

いかない。

それが当時の皇室の「まっとうな考え方」だった。

1 子供を産むことが出来る

 皇統は「男系男子」でつないでいくので、男子を産む可能性が高い。

  自身も男子の兄弟がいるとか、両親もまたそうであるとか。

 2 皇太子妃としての仕事が出来る

 宮中祭祀、宮中のしきたりを覚え、理解し、滞りなく出来る事

  社交的である事

3 国民全体が祝福できる女性

 「この方こそがふさわしい」と国民が納得し、祝福できる事

この二つが2大条件であった。

 

独身時代の小和田雅子さんは

1・・・・3姉妹の長女。妹は双子。母は一人娘。父は兄弟多数

2・・・・「外交官」(と思われていた)キャリアから察して社交的と信じられていた。

    「帰国子女」(と思われていた)ことで「合理的」思想の持主と思われた。

3・・・・「チッソ」の江頭豊の孫である事、政治に関係の深い外交官の娘である事が

   大きなマイナスであった。

強いて言えば実体のない2だけクリア状態で、「皇太子妃」の座をつかむには

詐称してでも「学歴」「キャリア」が必要だったのである。

 

私達庶民は、1990年の秋篠宮殿下と紀子妃の結婚で

すっかり「新しい時代のプリンセス」はとてもいい人に違いないと思い込んだ。

そしてマスコミによる猛攻撃「雅子様優秀伝説」により、皇室が好きな人も

ほとんど関係なしと思っている人も、信じ込んでしまった感がある。

独身時代の雅子さんの栄えある写真として以下がある。

ハーバード卒業時の写真。日本人はこのマントと帽子には弱い。

しかし、ここで主役になっているのは母親の優美子さんである事には気づかなかった。

(今じっくり見ると、両脇の学生のマントと雅子さんのマントが違っているように見える)

1991年、日米半導体協議に日本側スタッフとして登場。

 

非常に居心地が悪そうな一枚。

通訳として海部首相と同席

1991年8月「FOCUS」小和田外務次官就任と絡ませた記事。

1991年11月。竹下首相と。

通訳とは思えない恰好で。

海部元首相の長男と同僚の結婚披露宴にて。

1992年「FOCUS」3月。「捨てがたい美と気品」

これらの写真の中の「小和田雅子さん」は

 仕事に意欲的ではない

 人前に出ると緊張する

 自分に自信がなさそう

 場にふさわしい気遣いや服装が出来そうにはない

・・・・・のだが、

それは見方がおかしい」と、竹田恒泰・小林よしのり他皇室ジャーナリストは

言うだろう。

「写真ごときでなにをいうか」と。

しかし、その「写真ごとき」を使って印象操作をしてきたのは誰か。

見る側の視点が変わると、同じ写真も変わって見えるのだ。

後に、これらの「通訳」の仕事は、雅子さんがお妃内定した時の

為の「ご祝儀」であった事が発覚。

知らぬは本人ばかりなりだったのだ。

 

昭和61年。一旦、お妃候補に挙がった小和田雅子さんんは

他の女性らと一緒に東宮御所に行く。

その後、他の女性達は「自ら」お断りを希望し、二度と東宮御所へは行かなかった。

しかし、小和田雅子さんだけは4回も行っている。

そしてこういった。

雅子 「プロポーズもされてないのに、

       何でこんなに騒がれなくちゃいけないの」

友人 「その割には何度も東宮御所へ行くのはなぜ?」

雅子 「好奇心よ」

もし、世の中で言われているように

外交官として世界で仕事をしたい」と思っている女性だったら、こんな

セリフは言わないだろう。

あるいは「断り切れずに無理やり皇太子妃になった」人なら

こんなセリフは言わないだろう。

しかし、彼女は言ったのだ。

「好奇心よ」と。

東宮御所の何がそんなに好奇心をかきたてたのかわからないが

多分、東宮御所に行けば侍従たちがぺこぺこと頭を下げるのが

面白くてしょうがなかったのだろう。

しかもおいしいものを食べたいだけ出してもらえるし。

「プロポーズもされてないのに・・・・」というセリフにしたって、

「プロポーズされたい」の裏返しに聞こえる。

しかし、それでOKしたかったわけではない。

「王子様からのプロポーズを断って見せる」自分に酔っていたのかもしれない。

 

雅子妃が香淳皇后の葬儀欠席以来、愛子内親王誕生以来、

「適応障害」認定以来、日本中のネットの中にいる

「真の保守派」達は、これらの事実が発覚するに至って、

驚きと失望と、騙されっぷりに唖然茫然としたのだった。

おりしも、世の中は韓流ブーム、K-POPブーム。

世の中が左傾化すればするほど、真の保守派達は、そのお膳立てを

したのが誰かという事を知り始めるのである。

 

学歴詐称・職歴詐称。これだけでも十分に「NO」を突き付ける理由になる。

そうではないか?

 

 

 

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文春・新潮編集室様へ  3

2016-03-20 07:00:00 | 日本人なら絶対に知っておきたい皇室

 最初のNO!は雅子妃へ

今一度、ネット上における「保守派」の分類をしてみる。

① 皇室を敬愛。男系支持派。皇太子夫妻の廃嫡希望。

  秋篠宮殿下の即位を希望

   両陛下への不信感あり。

② 皇室を敬愛。女性・女系天皇支持。皇太子一家と両陛下は

   無問題と思っている。

③ 政治的には保守派。皇室には触るべきではないと思っている。

 ②にあたるのが小林よしのりや、先日月刊「WILL」に

 「皇室報道を貶める「宮内庁関係者」

を寄稿した高森明勅など。彼らはネット上で皇太子一家を批判する

保守派のブロガー達を「間違った愛国心を持つ人たち」を否定している。   

 

所功や橋本明(以前は①だった)もこれにあたる。

③にあたるのが皇室ジャーナリストの方々。そして竹田恒泰。

そして①にあたるのがハーバー・ナス子や私達。

プラス、左翼思想を持ちつつも皇太子一家を異常に愛するブロガーも

存在する。

②、③からすれば私達①は「敵」である。「朝敵」と思われているかもしれない。

一言でいうと「不敬」な輩なのだ。ゆえに「皇太子一家を批判するのは間違った

愛国心だ」などと書かれるのである。

私達の皇太子一家への「批判」は「間違った愛国心」なのか。それとも

ただの「舅姑根性」なのか「雅子さま大好き」を引用しつつ検証してみたい。

 

雅子妃への表立った批判が始まったのは、2006年3月の

「千葉県行啓」からと思う。

2001年の内親王出産以後、適応障害、皇太子の人格否定発言を経て

ネットの中は「雅子さまおかわいそう派」と「雅子妃は間違っている派」

に分かれて毎日が言い争いの状況だった。

「おかわいそう派」の意見の大半は

 心の病の人に対して厳しい意見を言うのは冷たい

だった。

おりしも社会現象として、「心の病」と称して長期間会社を休み

そんな社員の肩代わりを押し付けられた他の社員や上司が二次うつに

なってしまうという状況が出て来た。

「心の病」を理由に解雇出来ない為、病気になった方が得と考える社員が

出てきたのだろう。彼らがどんなに会社を休もうとも、仕事で失敗しようとも

「叱ってはいけない」「責めてはいけない」「解雇してはいけない」という事で

上司も会社も困り果てるという状態。

皇室の中では雅子妃が「心の病」を理由に公務は休み、同日に乗馬をしたり

鑑賞したり遊びに行ったりという事が頻繁に起きており、「何かおかしい」という

意見が出るのは当然の事だった。

現在では簡単に精神科医が「診断書」を出さないように・・・という動きもみられるが

「雅子妃の主治医・大野裕」は、表には出ないが常に「お墨付き」を

与える人間として存在してる。

そして「検証」が始まる。

昨今、ショーンKとか言う人の学歴詐称が問題になり、彼は番組を

降板した・・という事件が起こった。

宮内庁HPに示されている雅子妃の学歴は

 昭和60年 米国:ハーバード大学経済学部ご卒

 業昭和62年 東京大学ご中退

 昭和62年 外務省ご入省

 昭和63年~平成2年 英国:オックスフォード大学ベーリオールコレッジご留学

 平成5年 外務省ご退職

これを持ってマスコミは

「ハーバード大出の帰国子女で外務官僚の娘で、外務省の試験を一発合格し

オックスフォードにも留学された外交官」

と持ち上げた。

しかし実際は

 昭和60年 米国;ハーバードカレッジ教養学部卒 (父親がハーバード大教授だった為に

                                   子弟枠で入学)

→ 卒論は糠沢和夫氏らに手伝わせたもの

 昭和62年 東京大学学士入学しておきながら中退

 昭和63年ー平成2年;英国オックスフォードべーりオールコレjッジご留学

                 ただし、外務省からの国費留学で同級生の中でただ一人

                 修士をとれずに帰国

 平成5年 外務省ご退職

である。

 ハーバード大学とカレッジは違う・・・という認識を一般の人が持つのは難しい。

要はそれを巧みに利用した印象操作だった事がわかる。

また「帰国子女」というのも間違いで、小さい頃に外国で暮らした経験はあるが

高校までは日本で過ごしている。

外務省に勤めていたという事、英語が得意であると喧伝。

記者会見における不自由な日本語ぶりにより、小和田雅子さんはいつの間にか

日本語より英語が得意な人。お妃教育も英語は省かれた程。神道に関する本も

英語で書いてあるのが欲しいと希望」と書き、結婚式当日には

アナウンサーが

「雅子さんは英語・ロシア語・韓国語が得意・・・」とまで言った。

実はこのような印象操作は意図的なものであった事が後の「検証」でわかる。

 

 1986年10月、外交官試験に合格 

 倍率は約40倍で合格者は28人、うち3人が女性

 「外交官」という言葉により一般人は「雅子さんは外交官」と勘違いする

 倍率の高さと実際の女性の少なさに「雅子さんは類まれなる優秀な人材」と

  勘違いする。

 実は当時の外務省には「外交官の子弟枠」なるものがあり、小和田恒氏の娘で

  ある雅子さんが落ちるわけなかったのだ。

 にも拘わらず、マスコミはすぐに動き始める。

「FOCUS]1986年10月掲載。

同じく「FOCUS」

ここからすでに「小和田雅子入内計画」は始まっていたのだ。

では誰によって何の為に?

俗に、皇太子と小和田雅子さんの出会いは1986年10月18日の

「エレナ王女歓迎パーティ」と言われている。

物証はないものの、その時の名簿に「小和田雅子」は最初は載っていず、

後から手書きでくわえられた事が判明。

こんな事が出来るのは限られた人である。

忘れてならないのは、このような手口でお膳立てをする人たちは

決して

「正しい愛国心」の持ち主ではない事。

 

多分、竹田恒泰ら②③の人達からみたら

「ハーバード大」も「ハーバードカレッジ」も同じもので、詐称ではないし

大した問題ではないというだろう。

修士をとれなかったことも「優秀」伝説になんら傷をつけるものではないというだろう。

真の保守派によって暴かれた入内前の事実をマスコミにつきつけたとしても

「ハーバード大出でオックスフォード留学経験があり優秀な外交官だった雅子様」の

イメージは一切変わらないし、今後、即位した時にも同じフレーズが使われる。

「雅子様大好き」2014年10月26日

「素敵だった雅子様が失ったもの」では

 ハーバードを出た外交官、まさにキャリアウーマン雅子さま。これが本来の雅子さま。

皇室に入ることになって、とつぜん路線変更せざるを得なくなった。ほら、この、無理をなさってい

るようす

男勝りで仕事をしていたのに、とつぜんお妃らしくしなさいと言われ…

無理をなさっている

 無理をなさっている

 掛け軸を前に蘭を置くのは、掛け軸は読まないから。
ユキナの家は、掛け軸の間に物を置いたらいけなかった。というかこういった写真は写真館で撮るものだった。
雅子様のご実家は自由。

 本来はコウなのにねえ??
これが本当の雅子様なのに。

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