ふぶきの部屋

皇室問題を中心に、政治から宝塚まで。
毎日更新しています。

自由平等友愛こそが「アカ」

2016-03-30 07:00:00 | 日本人なら絶対に知っておきたい皇室

 いつもは見ないワイドショーをチラ見しただけで・・・・げっとなる今日このごろ。

よくわからないけど白鵬の勝ち方に問題ありというのは、あながち間違っていないのでは?

相撲は神事だし、スポーツじゃないもの。

ただ勝てばいいってもんじゃないでしょう?それを「モンゴル人への差別」とか言い出す人の

気が知れないなあ

と思いつつ、NHKの「ママ達の非常事態宣言」を見てげっ

アフリカかどこかの原住民の子育ての仕方を例にとって

ここでは産んだ母親は面倒を見ていません。実の母親でない人がおっぱいを

あげています。昔はそれが普通でした」って・・・・

育児ノイローゼのママ達に「あなたが悪いんじゃないのよ」といいつつ、立派に

アカに洗脳していく過程が怖いです。

来週だっけ?韓国を取り上げる特集をするの。今時。

精霊の守り人」はまるで「太王四神記」のような作りでどうにももやもやだし

考えない人こそが危ないって事ですよね。

 

職場で在日特権の話をしたら

それは日本がその昔、何か悪い事をやった償いとかじゃないの?」と言われて唖然茫然。

そうだよね。そうとるよね。わかるよ。わかる。

なんせ東京裁判だし、A級戦犯だし。

両陛下からしてそんな考えだし。

 

私達保守派も極端にならざるを得ないでしょう。

つまり

「自由・平等・友愛」を訴える人こそが「アカ」だと。

 産まない権利ばかり主張する人。自分が産まない(産めない)のだから他人にも

  産児制限する人。

 国技を単なるスポーツだと思っている人。

 国歌と国旗が嫌いな人。

 安保法案反対の人。

 朝ドラみながら「明治の女性は抑圧されて学問の自由が全くない可哀想な存在だった」

  と頭から信じ込んでいる人達。

身近に自覚無しの「アカ」がいるというのがもっともタチが悪いのです。

自覚無しアカの人達には、自分がアカである事を自覚させたうえで

「それは間違った思想」だと教えてあげましょう。

日本の人口が減って困らないのはどなた?

日本の国技がなくなって困らないのはどなた?

君が代を歌えないのはどうして?

日本が侵略されたらどうする?

本当に抑圧されていたら広岡あさはいないぞっ

全てを平等に分配するという「アカ」の意見は一見、とってもご立派。

だけどそれはもうすでにありえない事はロシアや中国が証明しているわけ。

そこらへんをきちんと説明して覚醒させてあげましょう。

日本の為に。

 

 

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文春・新潮編集室様へ  4

2016-03-22 07:00:00 | 日本人なら絶対に知っておきたい皇室

 真相スクープ 真の保守派が皇室にN

                        O!を突き付ける時 4 

 

 学歴詐称 → 真相スクープ3

ハーバード大学卒が実はラドクリフ卒だからなんだ、頭がいい、成績がいい

事には変わりがないじゃないか。

外交官じゃなかったからなんだ、外務省で官僚だった事は確かじゃないか。

・・・・と、いう人たちがいる。

問題はそういう事じゃない。雅子様を選んだのは皇太子殿下だ。

皇太子殿下が雅子様にぞっこん惚れこんで、その思いに雅子様が応えた。

多少、出た大学の名前やランクが違っていても、大使館勤めじゃなくて

事務職だったとしても

問題ではない。普通の女性がそこまで行く事はなかなか出来ないのだから

と言われたら、私達庶民は「そりゃそうだ」と思う。

頑張ってもラドクリフに入れる人はそうそういないし、まして外務省に入る

事など。

しかし、ではなぜ、結婚する前にあそこまで

雅子様はハーバード大出の外交官という素晴らしいキャリアウーマンだった

とさかんに宣伝しまくったのか。

そして、なぜ皇太子が

雅子のキャリアと人格を否定する動きがあった事も

確かです」と言ったのか。

どうしてマスコミが

ハーバード大出の外交官で将来は総理大臣になるほど

優秀だった雅子様が

皇室に入る事によって実力が発揮できなくなった事が

適応障害の原因

と書き立てたのか。

つまり、雅子妃の自慢できる点が「ハーバードと外務省」これしかなかった

からではないのか。

後に述べるが、家柄や血筋がない人にとって、唯一のすがりどころは

学歴」以外にはない。

それは皇后も同じ。

彼女がいなかったら聖心女子大がここまで有名になったろうかと思う程

宣伝された。当時、高校を出るだけでも御の字の女性達の中で

エスカレーター式のお嬢様大学出というのは、多分、「ハーバード&外務省」に

匹敵するくらいの威力があったと思う。

かつて正田美智子嬢が「皇太子妃」になる為にとった作戦を、

小和田雅子嬢もとったという事だ。

 

ただ「皇太子が好きになった女性」というだけでは、皇太子妃にするわけには

いかない。

それが当時の皇室の「まっとうな考え方」だった。

1 子供を産むことが出来る

 皇統は「男系男子」でつないでいくので、男子を産む可能性が高い。

  自身も男子の兄弟がいるとか、両親もまたそうであるとか。

 2 皇太子妃としての仕事が出来る

 宮中祭祀、宮中のしきたりを覚え、理解し、滞りなく出来る事

  社交的である事

3 国民全体が祝福できる女性

 「この方こそがふさわしい」と国民が納得し、祝福できる事

この二つが2大条件であった。

 

独身時代の小和田雅子さんは

1・・・・3姉妹の長女。妹は双子。母は一人娘。父は兄弟多数

2・・・・「外交官」(と思われていた)キャリアから察して社交的と信じられていた。

    「帰国子女」(と思われていた)ことで「合理的」思想の持主と思われた。

3・・・・「チッソ」の江頭豊の孫である事、政治に関係の深い外交官の娘である事が

   大きなマイナスであった。

強いて言えば実体のない2だけクリア状態で、「皇太子妃」の座をつかむには

詐称してでも「学歴」「キャリア」が必要だったのである。

 

私達庶民は、1990年の秋篠宮殿下と紀子妃の結婚で

すっかり「新しい時代のプリンセス」はとてもいい人に違いないと思い込んだ。

そしてマスコミによる猛攻撃「雅子様優秀伝説」により、皇室が好きな人も

ほとんど関係なしと思っている人も、信じ込んでしまった感がある。

独身時代の雅子さんの栄えある写真として以下がある。

ハーバード卒業時の写真。日本人はこのマントと帽子には弱い。

しかし、ここで主役になっているのは母親の優美子さんである事には気づかなかった。

(今じっくり見ると、両脇の学生のマントと雅子さんのマントが違っているように見える)

1991年、日米半導体協議に日本側スタッフとして登場。

 

非常に居心地が悪そうな一枚。

通訳として海部首相と同席

1991年8月「FOCUS」小和田外務次官就任と絡ませた記事。

1991年11月。竹下首相と。

通訳とは思えない恰好で。

海部元首相の長男と同僚の結婚披露宴にて。

1992年「FOCUS」3月。「捨てがたい美と気品」

これらの写真の中の「小和田雅子さん」は

 仕事に意欲的ではない

 人前に出ると緊張する

 自分に自信がなさそう

 場にふさわしい気遣いや服装が出来そうにはない

・・・・・のだが、

それは見方がおかしい」と、竹田恒泰・小林よしのり他皇室ジャーナリストは

言うだろう。

「写真ごときでなにをいうか」と。

しかし、その「写真ごとき」を使って印象操作をしてきたのは誰か。

見る側の視点が変わると、同じ写真も変わって見えるのだ。

後に、これらの「通訳」の仕事は、雅子さんがお妃内定した時の

為の「ご祝儀」であった事が発覚。

知らぬは本人ばかりなりだったのだ。

 

昭和61年。一旦、お妃候補に挙がった小和田雅子さんんは

他の女性らと一緒に東宮御所に行く。

その後、他の女性達は「自ら」お断りを希望し、二度と東宮御所へは行かなかった。

しかし、小和田雅子さんだけは4回も行っている。

そしてこういった。

雅子 「プロポーズもされてないのに、

       何でこんなに騒がれなくちゃいけないの」

友人 「その割には何度も東宮御所へ行くのはなぜ?」

雅子 「好奇心よ」

もし、世の中で言われているように

外交官として世界で仕事をしたい」と思っている女性だったら、こんな

セリフは言わないだろう。

あるいは「断り切れずに無理やり皇太子妃になった」人なら

こんなセリフは言わないだろう。

しかし、彼女は言ったのだ。

「好奇心よ」と。

東宮御所の何がそんなに好奇心をかきたてたのかわからないが

多分、東宮御所に行けば侍従たちがぺこぺこと頭を下げるのが

面白くてしょうがなかったのだろう。

しかもおいしいものを食べたいだけ出してもらえるし。

「プロポーズもされてないのに・・・・」というセリフにしたって、

「プロポーズされたい」の裏返しに聞こえる。

しかし、それでOKしたかったわけではない。

「王子様からのプロポーズを断って見せる」自分に酔っていたのかもしれない。

 

雅子妃が香淳皇后の葬儀欠席以来、愛子内親王誕生以来、

「適応障害」認定以来、日本中のネットの中にいる

「真の保守派」達は、これらの事実が発覚するに至って、

驚きと失望と、騙されっぷりに唖然茫然としたのだった。

おりしも、世の中は韓流ブーム、K-POPブーム。

世の中が左傾化すればするほど、真の保守派達は、そのお膳立てを

したのが誰かという事を知り始めるのである。

 

学歴詐称・職歴詐称。これだけでも十分に「NO」を突き付ける理由になる。

そうではないか?

 

 

 

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文春・新潮編集室様へ  3

2016-03-20 07:00:00 | 日本人なら絶対に知っておきたい皇室

 最初のNO!は雅子妃へ

今一度、ネット上における「保守派」の分類をしてみる。

① 皇室を敬愛。男系支持派。皇太子夫妻の廃嫡希望。

  秋篠宮殿下の即位を希望

   両陛下への不信感あり。

② 皇室を敬愛。女性・女系天皇支持。皇太子一家と両陛下は

   無問題と思っている。

③ 政治的には保守派。皇室には触るべきではないと思っている。

 ②にあたるのが小林よしのりや、先日月刊「WILL」に

 「皇室報道を貶める「宮内庁関係者」

を寄稿した高森明勅など。彼らはネット上で皇太子一家を批判する

保守派のブロガー達を「間違った愛国心を持つ人たち」を否定している。   

 

所功や橋本明(以前は①だった)もこれにあたる。

③にあたるのが皇室ジャーナリストの方々。そして竹田恒泰。

そして①にあたるのがハーバー・ナス子や私達。

プラス、左翼思想を持ちつつも皇太子一家を異常に愛するブロガーも

存在する。

②、③からすれば私達①は「敵」である。「朝敵」と思われているかもしれない。

一言でいうと「不敬」な輩なのだ。ゆえに「皇太子一家を批判するのは間違った

愛国心だ」などと書かれるのである。

私達の皇太子一家への「批判」は「間違った愛国心」なのか。それとも

ただの「舅姑根性」なのか「雅子さま大好き」を引用しつつ検証してみたい。

 

雅子妃への表立った批判が始まったのは、2006年3月の

「千葉県行啓」からと思う。

2001年の内親王出産以後、適応障害、皇太子の人格否定発言を経て

ネットの中は「雅子さまおかわいそう派」と「雅子妃は間違っている派」

に分かれて毎日が言い争いの状況だった。

「おかわいそう派」の意見の大半は

 心の病の人に対して厳しい意見を言うのは冷たい

だった。

おりしも社会現象として、「心の病」と称して長期間会社を休み

そんな社員の肩代わりを押し付けられた他の社員や上司が二次うつに

なってしまうという状況が出て来た。

「心の病」を理由に解雇出来ない為、病気になった方が得と考える社員が

出てきたのだろう。彼らがどんなに会社を休もうとも、仕事で失敗しようとも

「叱ってはいけない」「責めてはいけない」「解雇してはいけない」という事で

上司も会社も困り果てるという状態。

皇室の中では雅子妃が「心の病」を理由に公務は休み、同日に乗馬をしたり

鑑賞したり遊びに行ったりという事が頻繁に起きており、「何かおかしい」という

意見が出るのは当然の事だった。

現在では簡単に精神科医が「診断書」を出さないように・・・という動きもみられるが

「雅子妃の主治医・大野裕」は、表には出ないが常に「お墨付き」を

与える人間として存在してる。

そして「検証」が始まる。

昨今、ショーンKとか言う人の学歴詐称が問題になり、彼は番組を

降板した・・という事件が起こった。

宮内庁HPに示されている雅子妃の学歴は

 昭和60年 米国:ハーバード大学経済学部ご卒

 業昭和62年 東京大学ご中退

 昭和62年 外務省ご入省

 昭和63年~平成2年 英国:オックスフォード大学ベーリオールコレッジご留学

 平成5年 外務省ご退職

これを持ってマスコミは

「ハーバード大出の帰国子女で外務官僚の娘で、外務省の試験を一発合格し

オックスフォードにも留学された外交官」

と持ち上げた。

しかし実際は

 昭和60年 米国;ハーバードカレッジ教養学部卒 (父親がハーバード大教授だった為に

                                   子弟枠で入学)

→ 卒論は糠沢和夫氏らに手伝わせたもの

 昭和62年 東京大学学士入学しておきながら中退

 昭和63年ー平成2年;英国オックスフォードべーりオールコレjッジご留学

                 ただし、外務省からの国費留学で同級生の中でただ一人

                 修士をとれずに帰国

 平成5年 外務省ご退職

である。

 ハーバード大学とカレッジは違う・・・という認識を一般の人が持つのは難しい。

要はそれを巧みに利用した印象操作だった事がわかる。

また「帰国子女」というのも間違いで、小さい頃に外国で暮らした経験はあるが

高校までは日本で過ごしている。

外務省に勤めていたという事、英語が得意であると喧伝。

記者会見における不自由な日本語ぶりにより、小和田雅子さんはいつの間にか

日本語より英語が得意な人。お妃教育も英語は省かれた程。神道に関する本も

英語で書いてあるのが欲しいと希望」と書き、結婚式当日には

アナウンサーが

「雅子さんは英語・ロシア語・韓国語が得意・・・」とまで言った。

実はこのような印象操作は意図的なものであった事が後の「検証」でわかる。

 

 1986年10月、外交官試験に合格 

 倍率は約40倍で合格者は28人、うち3人が女性

 「外交官」という言葉により一般人は「雅子さんは外交官」と勘違いする

 倍率の高さと実際の女性の少なさに「雅子さんは類まれなる優秀な人材」と

  勘違いする。

 実は当時の外務省には「外交官の子弟枠」なるものがあり、小和田恒氏の娘で

  ある雅子さんが落ちるわけなかったのだ。

 にも拘わらず、マスコミはすぐに動き始める。

「FOCUS]1986年10月掲載。

同じく「FOCUS」

ここからすでに「小和田雅子入内計画」は始まっていたのだ。

では誰によって何の為に?

俗に、皇太子と小和田雅子さんの出会いは1986年10月18日の

「エレナ王女歓迎パーティ」と言われている。

物証はないものの、その時の名簿に「小和田雅子」は最初は載っていず、

後から手書きでくわえられた事が判明。

こんな事が出来るのは限られた人である。

忘れてならないのは、このような手口でお膳立てをする人たちは

決して

「正しい愛国心」の持ち主ではない事。

 

多分、竹田恒泰ら②③の人達からみたら

「ハーバード大」も「ハーバードカレッジ」も同じもので、詐称ではないし

大した問題ではないというだろう。

修士をとれなかったことも「優秀」伝説になんら傷をつけるものではないというだろう。

真の保守派によって暴かれた入内前の事実をマスコミにつきつけたとしても

「ハーバード大出でオックスフォード留学経験があり優秀な外交官だった雅子様」の

イメージは一切変わらないし、今後、即位した時にも同じフレーズが使われる。

「雅子様大好き」2014年10月26日

「素敵だった雅子様が失ったもの」では

 ハーバードを出た外交官、まさにキャリアウーマン雅子さま。これが本来の雅子さま。

皇室に入ることになって、とつぜん路線変更せざるを得なくなった。ほら、この、無理をなさってい

るようす

男勝りで仕事をしていたのに、とつぜんお妃らしくしなさいと言われ…

無理をなさっている

 無理をなさっている

 掛け軸を前に蘭を置くのは、掛け軸は読まないから。
ユキナの家は、掛け軸の間に物を置いたらいけなかった。というかこういった写真は写真館で撮るものだった。
雅子様のご実家は自由。

 本来はコウなのにねえ??
これが本当の雅子様なのに。

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お茶会のお知らせ

2016-03-18 07:40:00 | 日本人なら絶対に知っておきたい皇室

ふぶきサロンDEお茶会」のお知らせです。

 日時・・・3月27日(日曜日)14時から

 場所・・・都内某所

です。

堅苦しい講演会

と違いまして、皆さまとお紅茶片手に

清く正しく美しく「皇室」を語るのですわ。

「天皇の母」朗読も予定しておりますが、どの部分をするかは未定

なので、リクエストをお願いします。

 

参加申し込みの方は

http://blog.goo.ne.jp/as1962k

のコメント欄に。届かないなあと思われるかたは「ふぶきの部屋」の

メッセージ欄をぽちっ。

スマホの方はコメント欄に入れてください。

迷っているかた。ぜひぜひ。

 

 

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文春・新潮編集室様へ   2

2016-03-16 07:05:00 | 日本人なら絶対に知っておきたい皇室

その流れが変わったのは2014年11月8日の記事

「美智子様は雅子様のしもべにすぎない」である。

 

なんども言ってるけど雅子様は日本一お偉いんだよ。

雅子様にしてみれば天皇皇后ですら雅子様のしもべ。

雅子様からみると、とくに美智子様は扱いやすいんだよ

雅子様にはわかるんだ、美智子様の

「なんとしても悪人になりたくない」というご決意が。

 (中略)

とにかく、美智子様は

「正しくあれば、なんと叩かれてもべつに構わない」とか

「守るべきものさえ守ることができれば、時に悪役になっても構わない」とか思わないもんね。

だからひたすらバッシングされないように

それだけ考えて行動してるんだよ。

雅子様はそれがおわかりになってるんだよ。

日本のテレビはねえ「天皇サゲ、皇后賞賛」をよろこぶの。

一度だって天皇陛下を賛美しことないでしょ(笑)

皇室報道でさえ、ひどいもんだよ(笑)

テレビで皇室特集やるじゃん?すごいっしょあれ。

なにしろ美智子様を賛美するために天皇陛下をサゲてるんだよ(笑)

ちがうか。

天皇陛下をサゲるために美智子様を賛美してるのか。

親の元で育たなかった天皇は冷たいところがあるか

美智子様が嫁いできて暖かい家庭を知ってよかった

人間の情を知って人間らしくなった、とかね。

……愛する夫がそんなふうに報道されたら、それこそ声が出なくなるんじゃね??

 まだ皇太子だったころの今上が正田美智子さんに

 「家庭を持つまでは死ねないと思った」と語った事について美智子さんは

  「こんな寂しい言葉は聞いた事がなかった」といい、週刊誌が盛んに

 「昭和天皇は皇太子を手元に置いて育てなかったばかりに、冷たい家庭の中で

 皇太子は孤独に育ってしまった」という印象を与えた事。

でもちがうの。

完璧な皇太子妃と言われてがんばってきた美智子様は

完璧な皇后と言われないと気が済まないの。

守るものは天皇陛下とか皇統じゃなくて完璧な皇后陛下という世間の評価なんだよ。

雅子様には美智子様のその信念がわかってらっしゃるんだよ。

(中略)

 一人娘のサーヤをしばりつけたし(笑)

 紀宮の結婚が進まなかった事については、「旧皇族・華族を敵に回した

  両陛下」には紀宮にふさわしい相手を見つける事が出来なかったという意味

なんで中越地震で結婚が延期になるのかね(笑)(笑)

いくら当事者の二人が躊躇しても(そりゃ二人はためらうでしょ)

そこを「国民も元気になりますから」と言って結婚させればよかったのに(笑)


もうね、プロポーズ受諾から約一年近くたってやっと内定、

で、内定の発表がこれまた延期(笑)(笑)

 中越地震に加えて高松宮妃の薨去があり延期。結婚式が行われたのは

  東京サミット当日であった。

さらに内定発表まで結婚まで一年かかってるしね。

ふつう内定から結婚までだいたい半年でしょ

徳仁さんも弟も、高円宮んとこの典子サンもそうだったでしょ

 千家典子さんは、婚約内定前に桂宮の薨去があったが延期されず。

30代女性にとって、この半年は、十年くらいの重みがあるんだよ。

ぶじ妊娠出産できるか、えらい差ができるからね?

いい?2004年1月にプロポーズOK(34才)して、

結婚したのが2005年11月(36才)だよ??

プロポーズ受けてOKしたんなら、もうはやく結婚させてやれっての(笑)

24才とか44才の人の話じゃないからね。


天災がひどければひどいほど、皇

室の慶事は国民を元気づける。

そんなことすら知らないというか、よほど心の支えの娘に嫁にいってもらいたくなかったのか、

よほどバッシングが怖かったのか。

雅子様が東日本大震災のときに催した

おたのしみ会じゃないんだから。

 2011年4月11日。東宮御所で愛子内親王と学友たちで

  「お楽しみ会」が催された。

   震災の直後でスキーにいけなかった内親王への心遣いであった。

ね?雅子様にとって、美智子様はたいへん扱いやすいんだよ。

まあこんなかんじか?

 

わたくしは未来永劫語り継がれる素晴らしい皇后なの。

ダイアナ妃を追い出したエリザベス女王のように

頭が固いだの冷たいだの悪人だと思われたくないわ。

 

ダイアナ妃とちがって雅子ちゃんは公務も奉仕活動もやる気がまったくなくて下品だけれども、

とにかくわたくしは悪く思われたくないの。

だからね、わたくしは雅子ちゃんを守るの。エリザベス女王のようになりたくないの。

バッシングされたくないの。嫁をいびる姑だなんて思われたくないの。

バッシングされたら声が出なくなってしまうわ。

 1993年10月20日。皇后陛下は突然倒れ、声を失う。

  理由は雑誌等に書かれた「バッシング」のせいだった。

被害者になればバッシングは止むのだと経験からわかっているけれども

とにかく悪く思われたくないの。

雅子ちゃんがティアラを売ったのなら、

 2010年10月30日に起きた「ヤフーオークション事件」の事。

  ネットオークションに皇室でしか保管されない筈の品が大量に

  出品された。

  雅子妃は2003年1月を最後に、結婚式につけていた第一ティアラを

  つけていない為、「売り払ったのでは」という疑惑が持ち上がっている。

わたくしも二度とティアラなんてしない。

首が痛いって言っておけばいいのですもの。

 皇后陛下は2013年からティアラをつけずに公式行事に出られている。

  理由は「頸椎の痛み」の為とされている。

皇室のお宝が流出などという問題はささいなこと。

 ヤフーオークションのこと。

わたくしは悪く思われたくないの。


知らないわ、雅子ちゃんがナルちゃんと

ネットオークションして昭憲皇后の扇を売ってしまったとしても。

 とにかくわたくしは嫁いびりをしているなんて

エリザベス女王のように言われたくないの

貞明皇后も香淳皇后もすばらしいかただったのに

嫁いびりしたというだけで人気ががくんと落ちてるわ

わたくしは人気が落ちるのは嫌

すばらしい皇后だったってのちのちまで語り継がれたいの。

 ← 紛失したとされるティアラ

完璧な皇太子妃!

戦後、皇室は危機的状況だった革命が起きて皇室がなくなってもおかしくなかった

だからわたくしはひたすら国民に奉仕をしてきたの

テレビ=国民だったのよ

そのうちテレビに完璧な皇太子妃と言われ出した

それは大変良い響きだった。



皇室のためじゃなくなってきたのかもね

苦行、修行をすればすばらしい人になれるでしょう

みんな言ってくれるわ、お歳を考えてくださいませって

お体をおいといくださいませって言ってくれるわ

それでも激務に耐えるけなげな皇后美智子様って賛美してくれる

いざというときに陛下を支えられるように

草履をはくため和服にしたという美談、

 葬儀や追悼式等で皇族女性は洋装と決まっているが、皇后陛下は

  2012年以降、和服をお召になっている。理由は「草履をはく方が負担がない」から。


わたくしが手を引かれているように見せているけど

本当は陛下を支えながら歩いているとか、

少しリークしただけでみんながほめそやしてくれる

 「皇后陛下が天皇陛下の腕にすがって歩く」姿は最近の定番である。

  一人で歩けるのに「陛下を杖替わり」にしていると言われている。


アーヤの嫁は信じられないことに公務を人生の修行だと感じてない

信じられないの 好きでやっているの まったく報道されなくても世間に知られなくても

公務そのものが喜びみたいだから生き生きしていて明るい

それにいくらバッシングされても体を壊さない

わたくしには理解できない

雅子ちゃんがいたほうがわたくしがきわだつ。

わたくしよりも出来の悪い皇太子妃がいれば

わたくしがいかに完璧な皇太子妃だったか国民全員が知る。

雅子ちゃんがわたしくよりも出来の悪い皇后になれば、

わたくしは未来永劫語り継がれるだろう、

美智子様こそ完璧な皇后だっだと!


わたくしは素晴らしい皇后だって語り継がれたいの

皇統のことなど知らないわ

皇室がどれだけ堕落するかも知らないわ

堕落すれば堕落するほど、国民はみなわたくしを懐かしがることでしょう

ナルちゃんは即位して幸せになる

アーヤは一宮家として兄を支えて幸せになる

サーヤは降嫁して幸せに。

わたくしは子供をもって幸せ。育児は本当に楽しかった。

サーヤはほぼ子供が産めない年齢まで側に置いてしまったけど

その事実は見ないわ

都合の悪い事実は見ないの


傍にいてほしかったの

変な嫁が来たし

新潟中越地震があるのに娘を結婚させるのは不謹慎とか

高松宮妃が薨去したのに娘を結婚させるのは不謹慎とか

けっして批判されたくなかったの

……それにしてもアーヤが余計なことをしなければ

ずっとわたくしの元にいたろうに

 紀宮に黒田慶樹氏を紹介したのは秋篠宮殿下だった。

  なかなか結婚話が出てこない妹の為に、宮は親友の黒田氏に

  託したと言われている。



雅子ちゃんのことはわたくしが守るわ。雅子ちゃんさえ庇っていれば

嫁いびりしているって批判されないもの (後略)

 雅子妃がどんな「ふるまい」をしても、両陛下は決して叱らないし

  諭す事すらしないこと。

 

この記事を読んだ保守ブロガー達は、正直、自分の目を疑ったに違いない。

保守ブロガーというのは

 皇太子夫妻にNOを突き付ける

 秋篠宮家を敬愛している

 両陛下を敬愛している

というのが常識だったからだ。

それがこの記事では、どうみても「皇后陛下も同じ穴のムジナだといいたいのだろうか」

ととれてしまう。

筆者自身はそう思っていたけれども、突如出て来たこれらの言葉に

戸惑う人達も少なくなかった。

しかも、掲載された最初の写真。

これはオランダ国王夫妻の見送りに出て来た雅子妃を全面に出そうとしている

皇后陛下の写真である。

2011年。震災後の公務もせず、ブータン国王夫妻が来日し、天皇陛下が

入院中であっても公務に復帰しなかった雅子妃が「自称・親友」のオランダ

国王夫妻の来日にはわざわざ同じ色の服を着て出てきて、晩餐会にまで出席。

この時の報道は主賓であるオランダ国王夫妻をのけものにするほど

雅子様公務復帰!」一色だった。

どうしてこのような「勝手」を許すのか。きっと両陛下はご存じないのだ。

心の中では怒っていらっしゃる・・・・誰もがそう思っていたのに

にこやかに雅子妃を前面に出す皇后。

適応障害で苦しむ皇太子妃を励ます皇后」という図。

つまり皇室の伝統やしきたり、人としての「倫理観」以前に

皇后は「優しい姑であり理解のある皇后」でいたいという事なのかと。

 

また、この頃から天皇の腕にすがりついて歩く皇后に対して

「疑問符」が呈されるようになる。

単独公務の時は一人でしっかりお歩きになり、テニスもされる皇后陛下が

なぜ天皇陛下と歩く時だけ、腕にすがりついて足をひきずるのか。

このような「疑問」は膨らみ

もしかしたら「皇后陛下は国民の前で演技をしているのではないか」と

見られるようになる。

そういう風にして他の様々な写真を見ると、読者の方々にはどうみえるだろうか。

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講演会のお知らせ

2016-01-18 19:28:00 | 日本人なら絶対に知っておきたい皇室

ダイナ様

至急、メッセージ欄か、ジュゴン様のブログの方にご連絡をください。

 

ノリーノさま

至急、ジュゴン様のブログの方にご連絡下さい。

 

講演会のお知らせです。

 タイトル 「11宮家について」

 日・場所・・・1月24日(日)。お昼から夕方まで。都内某所

 お申し込みは  http://blog.goo.ne.jp/as1962k

今回は30名限定とさせていただき、尚且つ「初めて」の方を優先させていただきます。

それというのも、内容が今年やったものの「おさらい」だからです。

今年、来たかったけどスケジュールの都合でダメだったーーっておっしゃる方、

ぜひこの機会にご参加下さいませ。

なお、申し込みは携帯からの方がよろしいです。

どうしてもパソコンからでないとダメな方は、ブログ左上のメッセージ欄からどうぞ。

 

追記・・・・結構面白いと好評なのよ

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講演会のお知らせ

2016-01-12 09:00:00 | 日本人なら絶対に知っておきたい皇室

講演会のお知らせです。

 タイトル 「11宮家について」

 日・場所・・・1月24日(日)。お昼から夕方まで。都内某所

 お申し込みは  http://blog.goo.ne.jp/as1962k

今回は30名限定とさせていただき、尚且つ「初めて」の方を優先させていただきます。

それというのも、内容が今年やったものの「おさらい」だからです。

今年、来たかったけどスケジュールの都合でダメだったーーっておっしゃる方、

ぜひこの機会にご参加下さいませ。

なお、申し込みは携帯からの方がよろしいです。

どうしてもパソコンからでないとダメな方は、ブログ左上のメッセージ欄からどうぞ。

 

追記・・・・肩肘はらないよ

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宮中の制服

2016-01-12 07:00:00 | 日本人なら絶対に知っておきたい皇室

 忙しいナス子ちゃんの復帰を待っているそこのあなた方

もうちょっと待ってね。ナス子ちゃんは元気だよ

だから今回はふぶきがちょこっとナス子ちゃんの真似をしてみるよ。

貼っていくだけだよ

 

宮中のお正月と言えば「新年祝賀の儀」だよね

 

1984年

この頃、皇族方はみんなティアラをしてないよ!!

香淳皇后の「よくきたねーー」という笑顔があったかいね!!

美智子さん、一人だけ空色で素材が違って袖がふんわりのドレスを着てるよ。

 

1988年

昭和天皇最後の新年祝賀の儀だね!

美智子さんはセパレートタイプのドレス?お皿帽子を乗っけているよ。

 

1989年。昭和天皇が亡くなる1週間前だね。

だから明仁親王が代行している・・・・でも美智子さんは「皇后代理」をさせてもらえなかったのかな?

当時は普通に見てた写真だけど、今思うと「?」って思う部分あるよね。

ここでの女性皇族方はティアラも帽子もないよ。

 

1991年。平成最初の祝賀の儀。初々しい紀子ちゃんが可愛いね。

女帝時代の始まり始まりーー

その女帝陛下は一人だけ長いマントのドレスだよ。他は白っぽい半そでお長服。

この頃もティアラはないね。

 

 1992年。

女帝陛下のドレスにはウエスト部分にゴールドの帯があるね。

華子さまと喜久子さまはブルーのドレス。久子妃はオレンジっぽいね。

初々しい紀宮と紀子ちゃんはお袖がついたよ!!

 

1997年

あれ?みんなティアラをしているよ。すでに色違いの制服っぽくなっているね。

雅子さん以外はみんなうかない顔。

華子様の一つ目のティアラだね。喜久子さまのティアラは葵のティアラかな?

 

1998年

女帝陛下は袖が長くてトーガ付き。

華子様のティアラは2つ目のだね! 紀子ちゃんの能面の様な表情が可哀そうだね。

 

1999年

女帝陛下のティアラは皇后の第一ティアラ。本来3連の筈のネックレスはここでも1連に。

ドレスには長い袖とトーガ。金糸の刺繍入り。

雅子さん以下みんな制服っぽいけど、紀宮の袖は可愛いよね。色々花がついているの?

紀子ちゃんは思いつめた顔で一番地味なドレスだよね。

信子妃は大胆な両肩出しのドレス。

 

2000年

女帝陛下のマントがとんでもなく大きくなり、胸のところにぼかしの聞いた襟。

紀宮は前年と同じドレス。紀子ちゃんもそうなのかな?

久子妃もまけずに金糸の裾模様?

 

2001年

 

紀宮は前年と同じドレス。

女帝陛下もいやに地味。雅子さん以下制服っぽい。

信子妃の大胆なドレスが面白い。

紀子ちゃんは「基本型お長服」

 

2002年

女帝陛下のドレスは使いまわしのように見えるけど実は新調っぽい。

紀宮は新調。紀子ちゃんは2年前と同じドレス?

信子妃はこれまた目立つブルー。彬子女王の襟元はありえない。

 

2004年

女帝陛下のドレスは胸から裾にかけて帯のような模様が入っているね。

長袖になって久しいね。

ティアラは菊のティアラになってるよ!!

彬子女王と瑤子女王はお揃いピンク。あんまり似合ってないけど。

紀子ちゃんは相変わらず「基本型お長服」

 

2005年

女帝陛下のドレスの形は毎年同じに。刺繍が違うのかな。

ティアラは菊。

紀子ちゃんは何着かあるうちの一枚かな。2000年と同じようにも見えるけど。

 

2006年

 紀子ちゃんのご懐妊発覚直前だね!

女帝陛下のドレスは袖にながいチュールつきで純白。ウエディングドレスみたいだね。

紀子ちゃんはやっと新調?以後、何度も見るドレスだね。

華子様以下瑤子女王までピンクで統一。久子妃はエジプトの女王なの?

 

2007年

女帝陛下の肩が急にいかっているよ。生地は今までになく光沢があるね。

スカート部分は何なんだろう・・・・

紀子ちゃんは2006年のドレスだね。

女帝陛下のティアラは菊。でもネックレスは今までのとちょっと違うね。

 

2008年

女帝陛下の方は相変わらずいかっているけど、素材が急に変わったような?

これまたセパレートタイプのドレスなのかな。

そういえば紀子ちゃんのドレスも柔らかな生地っぽいよね。

まるでおそろいで体全体を隠すようなドレスになっているよね。

久子妃は毎年違うドレスだね。

 

2010年

女帝陛下はこの頃から皇配殿下の手を借りるように。

長いチュールをやめたらそれだけで歩きやすいのに。

どこまでも真っ白でウエディングドレスみたい・・・・って前にも書いたね。

そして紀子ちゃんはまた同じドレスだよ!みんな、何とかしてあげようよ!

 

2011年

 東日本大震災の年だね。

女帝陛下は同じような形で毎年新しいドレスを作っているんだね。

紀子ちゃんは、いつか見たような「基本型お長服」

 

 

2012年

女帝陛下のいかり肩は相変わらず。チュールはやめて斜めのラインに凝るように。

紀子ちゃんのドレス、ほんと、何とかしてあげようよ。筆頭宮家だよ。

その他大勢じゃないんだから。

 

2013年

女帝陛下、とうとうティアラを被るのをやめたよ!

ネックレスはペンダント型に。ドレスはチュール復活!!

紀子ちゃん、また同じドレスだね!

久子さんはまた新調したのかな?

 

2014年

 女帝陛下のドレスは2005年あたりと同じように見えるね。

紀子ちゃんはまた同じようなドレスだね。

 

2015年

 

 2016年

女帝陛下は銀色で光沢のある生地に真ん中にブローチ。

紀子ちゃん達は3人とも地紋が違うだけのお揃いのドレスだよ。

 

別にふぶきは、女帝陛下が毎年毎年ドレスを新調しても

ティアラを被らなくても全然かまわないよ。

秋篠宮家にそれなりの予算をつけてくれさえすれば。

長男一家の姑息な嘘を見逃さなければね!!

 

 

 

 

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美智子さま81年の歩み5

2016-01-11 09:20:00 | 日本人なら絶対に知っておきたい皇室

 難しいよ思ったこともあるし辛いこともあります。

いつになったら慣れるのか見当がつきません。

時には八方ふさがりのような気持になることがあります。

(1960年 訪米前の記者会見)

 「民間出身の皇太子妃」に最も抵抗を感じたのは、それまで独占的に

 皇族妃を送り出していた旧皇族や旧華族といった階級の人々だったといわれる。

 側近として東宮時代の両陛下を長く見守った浜尾実氏は著書「皇后美智子さま」

  の中で、当時常磐会から美智子さまへの批判の声が上がっていたと記し

  さらには美智子さまの国民的人気の高さが、皇室内部の特定の女性達の嫉妬の

  対象となったのだろうとも言い切っている。

 こうした「美智子さまいじめ」は、例えば冠婚葬祭で衣装の打ち合わせをしない、

  というような卑近な形でも現れた。

 ある席では、妃殿下方がみな黒真珠のネックレスを着けているのに、美智子さまだけが

  していなかった、別の場面では美智子さまのみ場違いな扇子を持って恥ずかしい思いを

  された・・・といった生々しい証言も見られる。

  (女性セブン1995年1月号)

 宮中にこうした空気があったことは入江相政侍従長も日記に残しており、

  決して「下衆の勘繰り」という次元のものではなかった。

 ご成婚時には「お月さま」と形容された美智子さまのお顔は1年後には相当にやつれ

  記者会見でも「最近やせておられますが」との質問が出るほど、ご心労は隠しきれない

  ものになっていた。

 美智子さまへの「いじめ」がなくなることはなく、長年にわたって続いた。

 これらのエピソードは、私達の世代以上の方は嫌という程聞いていて

   「旧皇族とか旧華族の人達っていやな人達なんだな」と思った事があります。

   昭和50年代あたり、「美智子さまのやつれっぷり」は本当に有名で

   「お可哀想」一色でした

 でも逆に考えると、皇族方が黒真珠をしているのに美智子妃だけがしていなかった・・・・

  っていうのは、常識を知らなかったともいえますよね。

  なんせ洋装の法事の中でただ一人着物を着てしまう人ですから、美智子妃には美智子妃の

  「こだわり」があったかと思われ。

 場違いな扇子・・・というのはどういうものかわかりませんけど、それこそ慣例を知らなかった

   からという事で。教わらなかった筈ないと思うんですよ。

   牧野女官長が意地悪をした?という事に?

 とにかく「美智子さまに対する宮中いじめ」は確立し、57年目の今も国民は騙され

  続けているのです。

 わたくしの頼りになるのは、殿下一人なのよ。(1963年 友人に)

 美智子さまは「結婚後は自分で作った料理を殿下に召しあがって頂きたい」という

  希望から、東宮御所に四畳半ほどの専用キッチンを設備された。

 しかし「妃殿下が台所に入るとは」

 「料理より公務を優先すべき」

 「専門の大膳課を軽視している」といった批判に遭い、結局、お弁当や軽食を

 作る程度にしか使うことが出来なかった。

  (女性自身1996年 「週刊現代」1990年)

 常磐会会長の松平信子女史は牧野女官長や保科武子女官長らを

  しばしば自宅に招いて美智子さまの一挙手一投足を「評定」していた。

  そしてその内容はすぐに常磐会の会員たちに伝わっていた。

  (「週刊新潮」1990年)

 「常陸宮に聖書を勧めた「聖書事件」といううわさが流れた。

  これはのちに、全て作り話だとわかったが「昭和天皇を激怒させた」という

  噂は独り歩きして美智子さまを苦しめた。(1993年「女性自身」)

 美智子さまが東宮御所のキッチンで、かぼちゃのお菓子を作り、皇后さまに

  お届になられた。だが、実は皇后さまはかぼちゃがお嫌いだった。

  女官達はみな皇后さまがかぼちゃをお嫌いなことを当然知っていたが、誰も美智子さまに

  伝えることがなかった。

  (「女性自身」1999年)

 浩宮さまを出産され、宮内庁病院を退院するときのこと。

  美智子さまは浩宮さまを胸に抱き、カメラの撮影のために車の窓をあけていた。

  これに

 「冬場に窓を向けてお子様が風邪をひいたらどうするのか」

 「生まれて間もないお子さまをマスコミに撮影させるとは何事か」

 「皇太子妃が自ら子供を抱くとは」

といった批判が噴出。実際には「カメラがフラッシュをたくと子供の目に悪いから」と

 フラッシュを止めさせる代わりに窓をあけて撮らせていたというのが真相だった。

 美智子さまはか重なるストレスなどから第二子を流産されている。

  退院して間もない美智子さまに宮中内部から

 「皇室に新しい血を入れた方がよいというから民間から皇太子妃を迎えることに

 賛成したのに

 病気とは。お世継ぎは一人でよいの?」といった旨の発言があったという。

 キッチンの話はもっともな事で、美智子さんが嫁いだのは皇室であって

  一般の家庭ではないという事を自覚していない。

  女性にも働く権利を・・・とか思っているのに、どうして「殿下には私が作ったものを

  食べて頂きたい」という事になるのかわかりません。

  離乳食を作るためだけにキッチンをつくり、エプロンかけて写真撮らせて終わり・・・って

  かなり贅沢すぎるのではないでしょうか?

 昭和天皇を激怒させたのは今は事実ですよね。

  これを「実は・・・」という言い訳を連発するあたり、友納尚子のようで。

 かぼちゃのエピソードは意味がわかりません。

  美智子妃が皇后陛下の為にかぼちゃのお菓子を届けた。

  でも皇后陛下はかぼちゃのお菓子は嫌いだった。

  教えてくれなかった女官は意地悪? 

  でも届ける前に「皇后陛下はかぼちゃがお嫌いです」と言ったらそれはそれで

  「嫌いだからと言われて届けてもらえなかった」という意地悪にあたるのでは?

  じゃあ、どうする事が正しかったのか?

  美智子妃が自分で届に行って「私、かぼちゃは苦手」と言われたら

  「申し訳ありません」と言って持ち帰るか、「でも私のはおいしいですわ」と言って

  一口だけでも食べて頂くか。

  皇后陛下は届いたものに嫌いなどとおっしゃらなかったと思います。

  「ありがとう」と受け取って女官に回すとかね。

  頼まれてもいないのにお菓子を作って届けて、喜んでもらえなかったと怒っている風。

 今思えば、車の窓を開けて写真を撮らせた妃殿下は美智子さまただ一人。

  悠仁親王が生まれた時だってそんな事していません。

  なぜ、美智子妃はそんなことをしたのか?

  「親王を産んだ私」を自慢したかっただけじゃないのか?と思います。

  礼宮や紀宮の時はそんな事してないんですから。

  フラッシュ云々なんて、窓を開けなければよかったことで・・・友納節ですね。

 大事なのは、これらのエピソードが声高に語られ始めたのが1990年代。

  つまり平成になってからです。

  香淳皇后の存在を真っ向から否定するかのような印象操作が行われた。

  週刊誌がそれに全面協力したという事ですね。

  その結果、日本国民は今も騙されているわけです。

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象徴的な写真

2016-01-07 08:00:00 | 日本人なら絶対に知っておきたい皇室

1月7日は昭和が終わった日であり、平成が始まった日です。

新月に見事な明けの明星が綺麗でした。

 

とうとう28年ですか・・・あの当時は何となく20年もてば立派とか

思っていたんですけど。

今じゃ55歳なんてめちゃくちゃ若いけど、あの当時はご老人の域でしたものね。

いつまでも「美智子妃殿下」だった方もついに「皇后陛下」と呼ばれるように

なったのか、などと感慨深かったですが週刊誌などはいつまでも

「美智子皇后」「美智子さま」呼びをやめませんよね。

正直、香淳皇后がそんな風に呼ばれているのを見たことがなかったので

違和感がありましたけど

昭和天皇が亡くなって、これで戦争の記憶とはおさらば・・・しつこく

「天皇の戦争責任」だとか外国に言われずに済むなって思っていたのに

まさか、息子の今上が今になっても「あの戦争の記憶」を掘り起こして

「慰霊」して回るなんてね

皇太子夫妻は言うまでもなく、秋篠宮家だってそういう今上に合わせて

夏になればやれ対馬丸とか昭和館とか沖縄とか。

歴史の一場面でしかなくなりつつある出来事を子供達に実感を持って教えるのは

本当に難しいだろうと思います

いつまでも「戊辰戦争」を忘れないのと同じですよね。

すっかり皇室に忘れ去られた靖国神社。千鳥ヶ淵だけが生き残っています。

 

平成の皇后陛下を象徴するお写真と言えば

だと思うんですよ。

象徴的 → その人の人となりや生き方を一目で表現したもの

ととらえるなら、この皇后陛下の見事にへんてこな甲冑服と帽子。

「コンス」と呼ばれる手。そしてどんな時でも同じ表情の笑い方。

何というか、自然に歳をとられた・・・というよりは、若い頃から微動だにせず

ただ老けてしまったーそこに精神的な成長とか老成とか柔らかさなどは

一切ない。若いときのまま老けたというような印象です。

美智子ファッションを代表する「小さな帽子」「ケープ」

それがますます肥大化して、一層「鎧」に見えてしまう珍妙さ。

まさに皇后さまを取り囲んでいる「敵」と戦ってきた57年なのかもしれませんね。

 

もう一枚は

 

盛り上がりに盛り上がった伊勢の遷宮の翌年ですね。

これまた皇后陛下の小さな帽子と鎧のようなケープに誰しも驚き

「老婦人の服装じゃない」と誰もが思いつつも言葉に出せず

ただただ「神々しい」などという表現でごまかしてしまう。

見たままの表現が許されないのが平成の皇室なんですよね。

若い頃の皇后陛下のケープは、長かったけどここまでへんてこではなかった。

それは若さが持つ「美」の一つだったかもしれませんけど。

なで肩へのコンプレックス」

「国民はより私の顔を見たいはず

という57年間の「こだわり」がブレていないのは、ある意味頭が下がります。

自分の美意識というものに、一切の妥協がない。

今年82歳になるという事すら認めないという頑固さの表れです。

 

そして海外での象徴的な写真が

ローマ法王を意識した・・・と言われていますが

白髪に黒いリボンで結ぶ小さな帽子。これがいかに似合わないかという事に

ご本人は気づかないし、ドレスでもなくコートを着ているわけでもない。

一体この格好は何なんだろうと思わせる世界的に珍妙な「洋装」

これが「平成の儀式服」なんです。

なんせ

列席者はこういうスタイル。

喪主ですらこういうスタイル。

どうしても頭に黒いヘッドドレスをしたかったら、上記の老夫人のように

頭全体を黒で覆うのが筋かもしれませんね。

昭和時代もみんなこんなすごい格好をしていたのかと若い方は思うかもしれませんが

いえいえ、違いますよ。

明治が始まったその日から、皇室の女性達は西洋のスタイルをそのまま

取り入れてきたのです。

もし、皇后陛下がどうしても怒らせ肩の長いケープマントを着たかったら

ドレスの裾は広がっていないとおかしいし、バッスルスタイルじゃないと

似合わないでしょう。帽子だってつば広のものか、傘でもさしてないと。

 

ネットではこれらの画像はしつこいくらい載っていますので

今更な感があるんですけど、今だ信じている人達にとっては

衝撃の「象徴的写真」だと思うんですね。

なので、これを見せて「ねえ、この恰好、どう思う?」と聞いてみるのも

いいかもしれません。

というのも、いわゆる「影子』比較画像を同僚に見せたらかなり衝撃的で

なかなか信じてくれないんですけど、それでも「言われてみればそう見える」と

いうようになり、さらに詳しい検証画像を見せて同僚の頭を悩ませています。

 

上記の画像を見せて「カトリック」云々を語るのは時期尚早。

ただ、「変だよね?この格好。どうしてこんな恰好だと思う?」から始めて

なぜこれが平成皇后の象徴的写真」なのか、わかりやすく説明する事が大事です。

 

 美智子さまは結婚した時から「なで肩」にコンプレックスがあったこと

 帽子が小さければ自分の顔がよく国民に見えて、国民は幸せになれると思った。

  お雛様の髪飾りをイメージして作ったのがあの帽子

                        ↓

 80年代にケープスタイルと小さな帽子で「世界のベストドレッサー」に選ばれた

 どういうわけか外の公務ではコートを着てはいけない。コートを着たり脱いだりする

  手間を省かなくてはならないと思い込み、ケープがより長く大きくなり、それ自体が

  一つのファッションになってしまった。

                        ↓

 小さな皿のような帽子につける飾りを工夫することで「相手への気遣い」を見せている・・・

  つもりであること。

 そこに「自分の年齢」「容姿の変化」は全く加味されていない。

                        ↓

 皇后陛下は明治から連なる皇后の事績やあり方を受け継ぐことよりも

  「オリジナルな皇后」を目指して突き進み、今やだれもそれに反論しない。

 「自己のスタイル」こそ正統と思いこんでいる為、世界的なプロトコルまで無視するようになった。

 美しく慈悲深く「日本一の皇后」である・・・証拠を突き付けたい。

  その地位を誰にも譲りたくない為、皇族女性のファッションを制服化。

                        ↓

 雅子妃入内は美智子皇后率いる皇室の流れとしては当たり前のことだった。

  「自尊心の強さ」「強いこだわり」「絶対の自信」は二人に共通するもの。

 皇太子一家が作り上げている嘘を「容認」「推進」しているのは皇后陛下。

 皇后陛下は愛子内親王に天皇になってほしいと思っている。

 皇后陛下は先の大戦において、日本が非常に悪質な侵略行為をした国だと信じていて

  「慰霊」の旅は「謝罪」の旅になっている。

 両陛下は「君が代」「日の丸」に対して強い抵抗感を持っている。

                      ↓

 美智子妃の結婚は「仕組まれたもの」だった。

 実際の「正田美智子像」は私達がイメージするものと正反対

 

というような経過で説明をすればきっとわかってくれる筈。

一般人に手っ取り早くわからせるにはまず画像から。

 

ま・・・だからねえ。こんな画像まで作られてしまうわけですよ。

いやはや。

あまりにぴったり過ぎて言葉も出ませんわ。

 

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