ふぶきの部屋

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2016-05-26 07:00:00 | 日本人なら絶対に知っておきたい皇室

 真の保守派が皇室にNO!をつきつける日 

 少し時代は前後する。

1989年8月。那須にて放鳥する両陛下と礼宮。

礼宮の結婚が決まり、何となく嬉しそうな3人に見える。

これほどイケメンな王子様なのに、どういうわけかマスコミの取り上げ方は

あまりにひどかった。

金のブレスレットやひげなどをあげつらっていたのです・・・・

当時から「浩宮上げ」はあったわけですね。

平成の天皇家には『紅一点」のプリンセスがいた。

紀宮清子内親王。

立場は今の愛子内親王と同格。お印は羊草。

本来なら二人の皇子に挟まれた姫宮であれば、格別の扱いが

ありそうなものですが、紀宮の場合はそうではありませんでした。

生まれた時から「将来は民間に降嫁するのだから」と言われ続け

「民間と同じように」育てられた・・・というわけです。

そりゃあ美智子妃殿下と二人きりの旅行などに行けて、彼女にしてみれば

楽しい思い出も沢山あったでしょうか、延々と「民間に降嫁する身」と

言われた事に関してはどう思われていたのか。

美しく自己アピールが上手な母君。

それに比べて紀宮はお世辞にも美人とは言えず。

視力が悪くなってメガネになってからは、一層地味な姫にお育ちになった・・・・

と私達下賤の者は思っていたのです

紀宮の着ている服は生地は大変いいけれど、決して「今風」ではなく

どちらかといえば古臭い格好。

髪型も同じで、3歳年上の礼宮がおしゃれだったのと正反対。

1980年代後半と言えば「ジェンダーフリー」が叫ばれた頃。

イギリスではダイアナ妃が華麗なファッションで世界を魅了。

と、同時に「世界のプリンセス」の写真を見る機会も多かった。

日本では美智子妃殿下に叶う者がいない・・・でも、若いプリンセスが欲しい・・・

そんな折の「紀子ちゃんブーム」だったわけですが

お蔭で紀宮の影が薄くなったのも事実。

1989年3月。20歳になった紀宮ですが、昭和天皇の喪中と

いう事で成年式を行う事が出来ず。翌年に持ち越し。

 

ちなみに1990年の歌会始。

あれ?紀宮がいない?と見えるけど、実はいるのです。

どうやら白いドレスをお召になっているよう。

この時、陛下が詠まれた歌は

父君を見舞ひて出づる晴れし日の宮居の道にもみぢばは照る

皇后陛下の歌は

かすみつつ晴れたる瀬戸の島々をむすびて遠く橋かかりたり

昭和天皇が亡くなられて1年。思い出を偲ぶ「歌会」なのですが

いつもなら、誰よりも「慈愛」を示す筈の皇后の歌が瀬戸大橋の歌とは。

夫が父を偲んでいても知らぬふりを決め込んでいるように見えますよね。

今思えば、よほどの恨みがあったのか。

皇后陛下にしてみれば「新しい時代の晴の歌」のつもりだったろうとは

思うのですが、この時ばかりは空気を読むべきだったと思います。

紀宮20歳前後の写真。皇后陛下の素晴らしく長いケープドレスに

引き換え、芳紀20歳のプリンセスの70年代風ワンピースの地味さと言ったら。

天皇皇后そして皇太子が3人くっついているのに、紀宮と礼宮が微妙に

両親と距離をとっているようにも見えますよね。

 

そして1年遅れの成年式の写真がこれ

実は当時、不思議でならなかった事があるのです。

男子には「加冠の儀」があるのに、どうして女子に「裳着」がないのか。

何もないのは可哀そうという事で天皇陛下が政府関係者を招いて

紀宮の為に茶会を開いた・・と報道されました。

「女性皇族の成年式はない」と認識していたのですが、後に眞子内親王が

成年式を迎え、新しいティアラを被られました、

紀宮のティアラはどういういきさつで作られたのか、あるいは調整されたのか

全然下々の者には情報が入って来ませんでした。

眞子内親王の事を考えれば「女性皇族」の「成年式」はありだったんだなと思います。

じゃあ、昭和はダメだったのか?

でも紀宮の成年式は1990年。つまり平成2年だったわけだし・・・・

あの「宮中改革好き」の皇后が自分の娘の為には何もしなかったという事なのでしょうか?

記者会見に臨む紀宮。まだメガネをしていますね。

そして驚いたのが大学の卒業式。

私は紀宮の袴姿を見る事が出来るのかなと思っていたのですが

見事な「洋装」

しかも普通のワンピース(色も生地も素敵だけど公務じゃあるまいし)

で、「そっか、女性皇族は袴をはいちゃいけないんだ」

と思ったんですね。

そしたら高円宮家は袴はいてました・・・・え?ダメじゃないの?いいの?

どちらにせよ、この時の紀宮は卒業式を迎えた女性というよりOGみたいでしたよね。

 

そして1990年6月29日。秋篠宮家が誕生し11月には即位の礼。

後々「3連のネックレスがなぜ1連に」と言われる事になったわけで。

皇太子の立太子。

 

即位の礼直後の茶会。皇后陛下と紀宮のドレスは同じ生地で作られているようです。

即位の礼後、初めての一般参賀。皇后陛下のばらの帽子が・・・目立つ。

おなじみ、即位の礼後の園遊会。

この時ばかりは紀宮も可愛い振袖をお召ですが、やっぱりもうちょっと

現代的でもよかったんじゃないかと。

今にして思えば、どうして内親王がここまで「公」の写真に恵まれないのか。

ちょっと疑問ではありますね。


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11 コメント

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伝統 ()
2016-05-26 09:12:36
ふぶきさま、おはようげざいます。
伝統は守りながら、教えて伝えて行くもの
もし、伝えていく道が途絶えてしまったら
伝承はできなくなり、目指すところも
なくなってさしまいます。
すべてが、軽くなることが今の日本に良いことなのか

昨日、安部首相が伊勢神宮に下見に行かれたときの映像 神職に説明を受けている 後ろの方で
明恵夫人が 鳥居に寄りかかっていました。
日本人なら決してそんな事はできない。ましてマスコミが大勢いる中で、


やっぱり、おかしい
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歌会始 (ひまわり123)
2016-05-26 10:17:16
ふぶき様が若干誤解されているようなのでひと言。
1990年の歌会始の件ですが

>昭和天皇が亡くなられて1年。思い出を偲ぶ「歌会」なのですが

違いますよ。
「昭和天皇を偲ぶ歌会」というタイトルがついていますが
実は昭和天皇を偲ぶために特別に企画されたものではありません。
歌会始は毎年1月初旬に行われることが決まっています。
そして終わるとすぐ当日のうちに来年のお題が発表されその年の9月末日が締め切りとなります。
つまり1988年1月の歌会始の当日来年のお題「晴」が発表されました。
なので88年9月末「までに」皆さん歌を詠まれています。
そして本来89年の1月の歌会始で入選作が発表されるはずでした。
ところが昭和天皇が崩御されたため歌会始は中止になってしまいました。
そこで翌年の1月すでに1年前に決まっていた入賞作品を発表するために
「昭和天皇を偲ぶ歌会」というタイトルで開催されたわけです。
なので昭和天皇を偲ぶことと本来関係ない歌を皆さん詠まれています。
天皇陛下はおそらく締め切り直前になって(昭和天皇が倒れてから)お詠みになったのでしょうが
美智子さんはその前に読まれていたんでしょう。
ちなみに天皇陛下以外の皇族は昭和天皇と関係ない歌を読まれているようです。
http://www.kunaicho.go.jp/culture/utakai/pdf/utakai-h02.pdf
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恵まれませんでしたね (昭和の子)
2016-05-26 11:33:42
紀宮さまは、本当に可愛らしい方だったので、本当に大きくなられてからのドレスの地味さとかに、がっかりした記憶があります。言えなかったけど、母君である方は、娘の事を憎んでいたのではないかとさえ思えてしまいます。
キコ様は、あの頃の服装が可愛くて好きです。(k国疑惑があると噂で聞いたので、その事をここで書き込んでも良いでしょうかね?)
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お写真拝見して (しまき)
2016-05-26 11:41:52
「検証」の数々のお写真ありがとうございます。まさに啓蒙される気がします。
清子さんに関しては、改めていろんな疑問が出てきました。
成年式。ティアラを戴冠し、ローブデコルテ姿、というお写真は、清子さんに関しては、「現存しない」んですね?清子さんに関してのみ、「ティアラは私的に陛下たちがおつくりになり」というのが、「?」「?」でした。

成年のインタビューでも、「結婚は遅くない方がいいと思う」ともおっしゃっておられるのにもかかわらず、清子さんに関しては、坊城さんの話が一つあったきり、まさに「放置」状態。皇太子の結婚に奔走していたとはいえ、それはあんまりでは。この方は、最後まで内親王の身分に縛り付けられてしまうのだろうか?と、30歳も半ばに入ってくると、こちらまで妙な焦燥感を覚えたものです。

スタイルはよろしいのですから、お化粧に関してのアドバイザーがおられたらねぇ。コンタクトにして、(どうやらぼうぼうに見える)眉毛を整えられて、とか。お母様との違いが余りと言えば余りと、改めて思わされます。

それにこの方、日舞をお習いでした。お着物などご自分で着付けもできたはず。袴もお召しではなかったのですか。。本当にいろいろと何といってよいやら。

私は清子様にお子様を産んでいただきたかったです。結婚が決まったのが遅いのに、それからまた、震災だ何だと慶事を後ろに引っ張ったご両親(主に母親)は、この方の幸福を願っていたようには、とても思えません。

現在も時折、マスコミに姿をお見せですが、お若いときより、よほど今の方が、洗練されてお美しいです。
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Unknown (失礼します)
2016-05-26 14:37:57
昭和の子様

書き込んでも、良いと思いますよ。

そうですね。

一時は、紀子様下げの噂が流されていました。

紀子様の親戚が焼肉屋をされているからとか、、、

でも、もう、今は、次期皇后陛下に相応しい方を
皆が、わかってますよ。
返信する
訂正 (ひまわり123)
2016-05-26 15:17:23
すみません、1990年の「昭和天皇を偲ぶ歌会」は喪が明けてからですから1月でなくて2月6日の開催でした。
失礼しました。
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Unknown (美絵理)
2016-05-26 17:48:34
K国疑惑なんてあったのですね。
雅子さんじゃなくて?びっくり。
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うーん… (母猫)
2016-05-26 22:39:43
紀宮様、改めて見てみますと地味ですねー
気の毒です…U+1F616
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清宮貴子さま (みやこ)
2016-05-27 22:03:25
貴子さまは、ファッションセンス大変良かったそうです。ただ、保守派の人たちからは派手な方と言われていたためか
どうか知りませんが、大学を中退してご結婚されました。
紀宮さまのファッションは、保守派の人たちから見たら好ましいファッションだったんでしょうね。
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酷い話もあるモノです。 (昭和の子)
2016-05-27 23:38:58
変な噂があるのは、いい気分ではないので、申し訳ないですが、書かせていただきますね。
といっても、大した話ではないですが、

Unknown様ありがとうございます。
おっしゃっていた焼肉屋さんをされている親戚が、韓国人なんですよ。
店に行った事があって、お話を聞いた事があるのです。
奥さんが日本人で、確か奥さんの親御さんのはとこが、ご両親のどちらかの御親族と聞きました。ので、キコ様は、K国人ではないですし、その方もきちんとお店をされている方です。
とだけ、書かせていただきますね。

多分、M子様のK国疑惑が出た後で、噂になったみたいです。

キコ様は、本当に上品で素敵な方だったと絶賛でしたので、噂を聞いても、本当とは思えません。

最後になりましたが、スペースを頂き、ふぶき様ありがとうございました。
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