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帰ってきた特派員報告

2004年に沖縄移住しteacupブログ開設→gooブログへ引越し

20年か・・。

2005-11-08 11:32:07 | 本土出張

 仕事と帰省と20年ぶりの高校の同窓会で東京へ。結構寒いぞ。薄手のジャケット1枚しか持ってきてなかったので、仕事をサクッとすませてジジババの住む南房へ避難した。昼は海辺で地元の安房ビールを飲み、夜は沖縄ではなかなか味わうことのできない秋の味覚を肴にして日本酒を堪能する。
 久しぶりにボーッとしたせいだろうか、同窓会に遅刻してしまった。てっきり17時スタートだと思っていたら、それは2次会の時間で、会は14時に始まっていたのだった。時計を見ると既に16時・・。
 忘れていた。そんな真昼間から普通に飲みはじめることのできる奴らだったことを。俺が酒まみれの人生を歩むはめになったのは、彼らと過ごした高校の3年間にしっかり下地をつくったおかげだったことを。
 一瞬「バックレ」が頭をよぎったが、同窓生ミワ嬢からの電話で思いとどまる。思えば、3年生の時に授業をサボりすぎて単位が不足し卒業が危ぶまれた時も、恩師S藤先生とミワ嬢のモーニングコールにずいぶん助けられたのだった。(でもやっぱり単位が足りなくて結局卒業式には出れなかったのでまぬけである)
 高校の思い出といえば、入学式から遅刻して正座→下校後のパチンコがばれて1年間教官室の床掃除→トイレでの喫煙がばれて(これもまぬけなことに教官室前のトイレ)1週間停学→修学旅行で深夜に女子と××して正座5時間(ミワ嬢は運悪く停学)→相次ぐ遅刻による単位不足で卒業式参加不可。  ・・・面白くも哀しい3年間であった。
 会にはぎりぎり間に合った。S藤先生にお礼も言えた。20年ぶりに再会したかつて睾丸の、いや違った、紅顔の少年少女たちは、立派な紳士・淑女になっていた。みんな身なりもこざっぱりとしていて、ひそかに期待していた「作務衣にチョンマゲ」みたいな人生のクズシかたをしたやつは残念ながらひとりもいなかった。
 我が校は「蒲田」というおよそ教育にとっては劣悪な環境にありながら比較的真面目な生徒の多い高校、として知られていたのだが、そんななかでひと際異彩を放っている男がいた。
 O君。モヒカン刈りでバイクを乗り回していたナイスガイO君である。彼の高校生活の傾きかたは凄まじいものがあり、人生の貴重な3年間を怠惰に過ごした仲間として、ここでもいろいろなエピソードを紹介したいのだが、話が長くなるし、めんどくさいのでやめておこう。
 O君は卒業後も見事にカブき続け、今では日本の能楽の第一人者になったと聞いた。彼と一杯やりたかったのだが、多忙なのだろう、会にその姿をみつけることはできなかった。残念である。
 それにしても、会場にいる100名近くの人間がみ~んなおなじ40歳ってのはちょっとすごい光景だ。エイリアンの卵から孵る幼獣みたいにいっせいにポコポコッと生まれたわけだよね、昭和40年に。
 
 
  

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