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帰ってきた特派員報告

2004年に沖縄移住しteacupブログ開設→gooブログへ引越し

戦地巡礼 3

2007-06-21 18:19:36 | 戦跡巡り
今日は朝からやけに日差しが痛いと思っていたら、
梅雨明けであった。

門下生が開業したので、沖縄南部のお店へお祝いに行く。
極上のアロママッサージを受け、午前中にもかかわらず眠ってしまった。

帰り道、平和祈念公園から抜けるような青い海を眺める。
いよいよ夏本番だ。



その後、平和公園から10キロほど離れた、富盛というところにある大獅子へ寄り道してみる。
獅子の視線の500メートル先には八重瀬岳がひかえ、ここに日本軍の拠点があったそうだ。

獅子くんのからだに残っている銃弾の跡は、八重瀬岳で抵抗した旧軍からのものであろう。
現在は草木が茂り、見晴らしは悪くなっているが、丘のふもとにはさとうきび畑がザワワと拡がっている。






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戦地巡礼 2

2007-06-15 23:18:01 | 戦跡巡り
沖縄南部の西原地区を望む。
本営首里城を守る日本軍の最後の拠点だった所だ。

この写真を撮るのはけっこう苦労した。
グーグルアースと地形図を頼りに、たぶんこのあたりだろうと当たりをつけた撮影場所に向かったのだが、首里の細い坂道はクネクネまがるし、一方通行や袋小路が多いのでなかなか目的地に近づけない。
ようやく丘の頂上にたどり着くと、そこは一般住宅になっていた。
しかたなく撮影をあきらめて車をバックさせる。

が、不思議と今日にかぎってはなんとなく後ろ髪がひかれるおもいがする。

車内で改めて昔の写真を手にとってみる。
爆撃の凄惨な爪あとの生なましさををみると、たぶん六十数年まえの
「今頃」(陥落した6月前後)に撮られたものだろうと察した。

再び車を降り、勇気をだして家のベルをピンポンする。

車椅子の爺様とその息子とおぼしき男性が玄関に現れた。
恐るおそるこの昔の写真を見せ、訳を話すと、
「おお、それはよく来た。入って、好きに撮りなさい」
と庭まで案内してくれたのだった。

芝生の庭の先に広がる東海岸の風景は、はたして60年前の写真と全く同じ場所であった。

梅雨明け間近の今日、
この夏初めての蝉の声をききながらシャッターを押した。



遠く左に見える稜線が米軍の拠点「スカイライン」。
この場までの4キロが最大の激戦地だったらしい。
米軍の圧倒的な物量をもってしても40日間のあいだ、1日に100mしか進むことができなかったと聞く。
同じ物資があれば米軍は負けていただろう、とアメリカの歴史学者が言うのもうなずける。
旧軍そして沖縄県民よく戦えり、だ。

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戦跡巡礼

2007-06-06 22:06:56 | 戦跡巡り
沖縄はもうすぐ慰霊の日。
特派員は本業が休みの日にときおり、
沖縄の戦跡を訪れております。
六十余年前のことに思いをはせつつ。

今回訪れたのは嘉手納の比謝川河口。
米軍が沖縄本島上陸直後に物資の積み下ろしをした場所です。

現在の河口部は整備が進み拡張されていますが、2つのキノコ状の岩が当時の面影を残しています。


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勝連半島2

2007-05-15 09:27:59 | 戦跡巡り

勝連半島の先端にはホワイトビーチという米海軍の基地がある。
その基地の際にひっそりと古い煙突が立っている。
戦前にあった製糖工場のものだ。
銃弾の痕がなまなましく残っていた。


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勝連半島1

2007-05-13 09:27:30 | 戦跡巡り

コザから車で30分のところにある勝連は、
ベトナム戦争当時、米兵の歓楽街があったところだ。
壁に当時の栄華がうっすらと残っていて、なかなかイイ。
半分消えかかっているホステスさん?の絵が泣かせる。
いずれ溶けてなくなるのだろう。



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