お盆の連休が始まり18日ころまで連休で道路事情も渋滞、最近大型連休は家でまったりしているのが一番のようだ、本日もエアコンの効いた部屋で、淹れたての温かい珈琲を頂きながらの音楽をと思う。
昔Macを使いだし当初は機材はPower Macintosh 6100の先進でセントリスにOSとは呼ばず「漢字トーク」をソフトとしてから使い出し今日まで使っているが、Macも2006年ころG5の筐体以降からからやっと安定したシステムとなったようです。当時ピザ箱と言われたセントリス、価格は大変高価な価格でした。
Mac Proのスイッチを入れ起動すると、何時もと様子が違う、調べて見るとiTunesのソフトがトラブルのようです。勿論筆者の使うMac Pro(タワー)2010は9年前の製品だが未だ十分作業も早く作動する、流石最近のmacOS Mojaveのソフトは使用出来なく、新しいソフトで使用不可はMacの不満である。
機種交換は全く考えて無い、現在Ai、Psでの作業もサクサク動きはこのMac ProあたりからのMacはかなり安定したようだ、筆者は思うがこのあたりからのPCの進化は何であろう?今の機種、ソフトで不満も無い。
現在トラブルのソフトの再Install作業を行い、再起動し他のアプリもチェックし音出しすると、問題はなさそうで安心した、筆者の場合CDも殆どiTunesに入れて起動しているためPCのトラブルはレコードプレイヤーのみのソフトなのでそのあたりが今後心配である。
現在昔、I君から頂いた故障しているMERIDIAN 207がある、音質は最新の機器と比べても遜色無く、修理して頂けるところを探さなければならず、頭の痛い問題である。
オーディオ趣味を再開させ8年になるが最近自分の聴きたい音楽がおぼろげながら分かって来たようです、それはやはり英国の音のようです、では英国の音とはどの様な音なのか?
BBCモニタースピーカーとは「British Broadcasting Corporation」の頭文字をとったもので、英国放送協会と英国のスピーカーメーカーと共同開発してきたスピーカー群でグッドマンとかタンノイ、クオード等又最新のB&Wとも違いの英国製のオーデイオ機器が聴かせてくれる音の総称ではなく1970年台から80年台のBBCモニターとその民生用スピーカー達が聴かせてくれた音なのです・・・・・・。
「このBBCは世界中の放送局の中でも音質の改善には極めて熱心な放送局の一つで、局内にて使用する放送用機材に関しては、BBC独自の技術研究所にて、日夜研究・開発を続けている。
そして、その中でも最も重要なテーマとして位置づけられているのがモニター・スピーカーの研究である。」
筆者の思う英国の音とは・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ふっくらとして豊かな低音、決して出しゃばらずことがない中音域、ふわりと浮遊するかの如く優しく繊細なそして渋みのある鳴り方がブリテッシュサウンドであろう。
BBCと民生機スピーカーが切磋琢磨しブリテッシュサウンドを作り出したんであろう、昔を比べると、最近は声楽、オーケストラの演奏を聴く割合がが多くなっている、特に皆さんの様子を伺うとオーディオを語る方にアンプ、スピーカー、ターンテーブルは〇〇が良いと決めつける方が多いように思う。
勿論、意外と多い意見は50年以上前のビンテージ物が良い、又特に最新の機種は方外な金額が多く、確かにその金額には驚くが、オーディオマニア、雑誌等で騒いで特集するが、それに比べソフトの紹介は非常に少なくレコード、CD、配信ソフト等の情報が一番大切に思う、マニアに取ってソフトがなければオーディオ機器は箱の飾り物になる、
高価なオーディオ機器を大枚をはたいて購入し、飾り物になっている貴兄も少なくないと思う、筆者はパワーアンプをSV-501SEと真空管も変更して7ヶ月過ぎ、真夏なのに真空管アンプで楽しんでいますが、以前使用の石のアンプには戻れない、オーディオに詳しい方がよく解説するが、音質は余り変わらないと言われるが、比べて聴いたことがあるのか疑問だ、特に声楽を聴けが違いが明確だ、トスカニーニの様な特に古い録音には本領を発揮する、これは断言出来る。
筆者などは現在隠居の身になり好きな音楽は殆ど毎日2~3時間以上は聴くようになり、少しでも良い音楽をいい音で聴きたいと願っているだけなのだ。
今鳴っている我が家のTANNOYⅢLZをAXIOM80は徐々にそれらしい音になって来たようである。
懐古趣味ではないが特に1930~50年代の指揮者、演奏者を多くなっているのも事実だ、特に最新のCD、ハイレゾにリメイクした物の録音技術がよいのかスクラッチノイズが多くあったが、昔のアルバムと比べ数段聴きやすく、意外と音質も良いものも数多くあるのは嬉しくなります。
難しい事はわからないが最新の音響技術の進歩に感謝することであろう。
勿論今回聴くのも我々の世代より以前の指揮者によるベートーヴェンを聴くが実に新鮮に感じる。
20世紀最大の指揮者の一人、アルトゥーロ・トスカニーニは1867年3月25日、イタリアのパルマで仕立て屋の父、裁縫師の母のもとに生まれました。4歳のときに初めてオペラを聴き、9歳でパルマ王立音楽院に入学しチェロと作曲を学び、17歳のときに音楽院で自作の指揮をしました。
1885年、チェロと作曲で最高賞を獲得して卒業後、イタリアの巡回歌劇団のチェロ奏者となりました。1886年6月30日、リオデジャネイロでのヴェルディの歌劇「アイーダ」公演で、地元の指揮者がキャンセルし、代わりを務めた歌劇団の指揮者が野次を浴びたため、トスカニーニの才能を知る仲間達は彼を代役に立てました。
彼はこのオペラを暗譜で見事に指揮して、以後ツアーの指揮をすべて任されました。ヨーロッパに戻る頃には彼は名指揮者としての評判となっていました。
イタリアとアメリカでの成功で、帰国後はミラノ・スカラ座のチェロ奏者に就任し、同時にイタリアやスペインで指揮活動も開始しました。
1887年のヴェルディの歌劇「オテロ」の歴史的な初演をチェロ奏者として体験しました。1892年にはミラノでレオンカヴァルロの「道化師」を初演、1895年にはトリノ・レージョ劇場の首席指揮者に任命され、同劇場でワーグナーの楽劇「神々の黄昏」をイタリア初演しました。
1896年2月1日、プッチーニの歌劇「ボエーム」を初演、また同年初めてオーケストラ・コンサートを行い、1898年5月26日、ヴェルディの「聖歌四編」のうち3つをトリノでイタリア初演。
1898年、31歳の若さでミラノ・スカラ座の首席指揮者に任命され、芸術上の問題で辞任する1903年までと、1906年から1908年まで務めました。
1908年から1915年までニューヨークのメトロポリタン歌劇場の首席指揮者に就任しました。
1930年、31年、バイロイト音楽祭にドイツ人以外の指揮者で初めて指揮。「パルシファル」「タンホイザー」「トリスタンとイゾルデ」を振る。
アルトゥーロ・トスカニーニ指揮 NBC交響楽団米・NBC放送局が特別に組織したオーケストラ。
名指揮者アルトゥーロ・トスカニーニの演奏のラジオ放送を主目的に、RCA社の会長デイヴィッド・サーノフが設立。
1937年、アルトゥール・ロジンスキ指揮でのドレス・リハーサルを経て、ピエール・モントゥー指揮でデビュー。
同年12月にはトスカニーニが初指揮。
以来、毎週の公開録音を行なうなどトスカニーニの手兵として活動。
50年には全米ツアーも成功させる。
54年にトスカニーニが引退すると、解散を発表。楽団員は自主運営に移行し、シンフォニー・オブ・ジ・エアとして活動を継続Beethoven: Symphony No. 3, Toscanini & NBCso (1953) ベートーヴェン 交響曲第3番 トスカニーニ
ベートーヴェン:交響曲全集(5CD)
トスカニーニ指揮NBC交響楽団
フルトヴェングラーのそれと並んで、20世紀が産んだベートーヴェン演奏の最高の規範と讃えられる名盤中の名盤。
彫像を思わせる硬質で厳格な造型には、燃焼度の高い熱情が常にあふれ、強靭なカンタービレ表現と相まって熱いパトスを世紀を越えて伝えます。カーネギー・ホールにおけるライヴ音源を含むモノラルですが、収録年代を考えればそのクオリティは驚異的。
交響曲第1番ハ長調作品21
交響曲第2番ニ長調作品36
交響曲第3番変ホ長調作品55『英雄』
交響曲第4番変ロ長調作品60
交響曲第5番ハ短調作品67『運命』
交響曲第6番ヘ長調作品68『田園』
交響曲第7番イ長調作品92
交響曲第8番ヘ長調作品9
交響曲第9番ニ短調作品125『合唱』
アイリーン・ファーレル(S) ナン・メリマン(MS) ジャン・ピアース(T) ノーマン・スコット(BS)
ロバート・ショウ合唱団
NBC交響楽団/アルトゥーロ・トスカニーニ(指揮)
筆者が好きな3番、4番、6番、7番、9番、を聴くが実に迫力せまる演奏は涙ものです。トスカニーニ指揮の演奏はそれほど良い、ベートーヴェン正に筆者にとっての部屋に響く「美爆音」で感動する。
Beethoven: Symphony No. 7, Toscanini & NBCso (1951) ベートーヴェン 交響曲第7番 トスカニーニ
NBC交響楽団は1937年からはNBC放送が彼のために特別に組織したオーケストラ、NBC交響楽団の指揮者として活動し、1954年4月4日の演奏会で引退するまでベートーヴェン、ブラームスの交響曲全曲、ワーグナーの管弦楽曲集、ヴェルディのオペラなど、数多くの名盤をRCAに録音しました。
その間、第2次世界大戦中の1943年12月にはトスカニーニの指揮姿を中心とした戦意高揚のための短編映画が製作されています。また、1946年にミラノ・スカラ座の再開演奏会を指揮、1952年にイギリスのフィルハーモニア管弦楽団でブラームス・ツィクルスを指揮するなど、ヨーロッパにも度々客演した、米・NBC放送局が特別に組織したオーケストラ。
名指揮者アルトゥーロ・トスカニーニの演奏のラジオ放送を主目的に、RCA社の会長デイヴィッド・サーノフが設立。
1937年、アルトゥール・ロジンスキ指揮でのドレス・リハーサルを経て、ピエール・モントゥー指揮でデビュー。
同年12月にはトスカニーニが初指揮。
以来、毎週の公開録音を行なうなどトスカニーニの手兵として活動。
50年には全米ツアーも成功させる。
54年にトスカニーニが引退すると、解散を発表。
楽団員は自主運営に移行し、シンフォニー・オブ・ジ・エアとして活動を継続。
ところがそれほどの評価を得ながら、17年目の1954年に86才のトスカニーニが引退すると、あっけなく解散させられてしまう。このあたりも、いかにもアメリカ風のドライな合理主義のなせる業だった。
トスカニーニが現役のときからすでに、年に65万ドルから100万ドルに及ぶ楽団の経費が、放送局にとって大きな負担となっていた。彼の引退から間をおかずに、NBC響解散が発表されたことは、放送局側がその日を待ち望んで、事後の準備を早くから進めていたことを意味するのだろう。トスカニーニの方も気づいていて、楽団のために引退を引きのばしていたらしいが、とうとう限界が来たのが、54年の春だった。
勿論当時の技術だは最高だろうが、今拙宅で聴くアンプ300BとTANNOYⅢLZをAXIOM80の箱に移植した、このエンクロージャーにはなにか不思議な香りが宿っているように聴こえる?
NBC交響楽団とは、アメリカのNBC放送局がトスカニーニのために、特別に組織した交響楽団である。
伝説的なまでに厳しい練習で知られたトスカニーニの要求に応えうる、精緻な技術を持ったオーケストラとして、彼らの名声はアメリカばかりか、世界に轟いていた。物質文明、技術信仰、科学万能主義が支配していた当時のアメリカを、良くも悪くも象徴するようなオーケストラだったともいえる。
この演奏が今やデジタルで手軽に聴ける世の中に感謝である、ブラボー!
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