伝統ある英国の10吋ユニットで、いい音で音楽を聴きたい・・・・・

音楽好きの、古いオーディオ機器10吋TANNOYを改良そて聴くダメオヤジの金ちゃんです。

最近知った、J.S.バッハ:カンタータ等の演奏家、フリッツ・ヴェルナーの芸術の考察

2022年09月30日 | 2022J.S.バッハ関係

ここ2年ほど前にMシュナウザーのモジャ君を購入後、毎日散歩に行く様になり、それも早朝が日課になる。日の出前の静寂な朝の散歩は実に清々しい、朝は軽めにして近くの公園に行くことが日課ですが、石で作った歩道橋の階段の登り降りがモジャは好きで今日も階段を勢い良く登る。
今日も6時前の日課である、久しぶりに独特の朝靄の中で朝日を拝む、歩道橋から見る太陽に思わず手を合わせ、「今日も無事に暮らせるよう」祈る。
この様に晴れた天気の太陽を見れば感謝の気持ちが湧く、日本国民はやはり縄文時代から引き続く自然崇拝を敬うような気持ちがある様である。



散歩から帰りモジャと一緒にシャワーを浴びモジャにドライヤーをかけ乾かす、そして最近熱い淹れたての温かいコーヒーの美味しい時期となった事も嬉しい。



帰り道気がついた、季節の花の曼珠沙華が咲くの姿を見た、今年もこのシーズンは終わり、来年今以上に咲いてくれるる事を期待する。
此の花の色は朱色が定番と思っていたが、最近は白に近い色等増えたように関ずる、昔は田畑のモグラ、野ネズミ等の防護に使用されたと記憶する。



昨日注文したフリッツ・ヴェルナーの芸術の1〜3集の最後が届けられた。このアルバムは先日とある投稿により知ったJ.S.バッハのバッハ:カンタータ選集が良く試しにYouTube配信の視聴するとテンポリズムも大変好みで、早速注文したCD全集一集10枚組×3集で合計30枚である。
誠に残縁なことは、古い製造のため中古市場でしか無いので、なるべく程度の様状態のものを入手した。
勿論バッハのカンタータ全てではないが筆者の聴きたいカンタータはアルバムに粗録音され、特に3集ではフリッツ・ヴェルナーの芸術3 バッハ:受難曲、オラトリオ、ミサ、モテット 他がアルバムになっている、ただし部分的にモノーラルでの箇所もあり他のカンタータ集と比べ音質は若干落ちるが、聴きごたえ十分で到着時すぐに梱包を解いて筆者が好きなミサ曲 ロ短調 BWV 232を試聴したが、演奏も堂々としている特に声楽はバランスが大事である様に感ずる。

大きな川を実にゆったり流される自然な音楽につい聴き惚れる、音質が云々という言葉はなくJ.S.バッハが急に身近に感じた瞬間じた。これでカンタータ全集は3種類所有するが、このアルバムも大変心地良いアルバムでなる様であろう。

勿論フリッツ・ヴェルナーの演奏は知らなかったんです。これは以前から思っていたが自分に合う演奏者はまだまだ沢山いるのであろう、今後筆者自身知らなかった演奏者を一人でも多く聴きたいと願うばかりである。



試しで色々筆者のオーディオ機器の調整をすると10吋のタンノイと300Bでの組み合わせが一番落ち着く音選びと思う、しかし注意しなければならない点もある、このタンノイと言うユニットは間違った機材で聴くとヒステリックな音が顔を出す事である。最近2A3の真空管の音に妙に気にかかるが欲をいえば切りが無いので、今後は今のレコードプレーヤーのバージョンアップを試みたい。

オーディオ再開後既に6〜7年程の月日が流れ聴く音楽こそ昔と変わりないが、強いて言えばカンタータ等の声楽が断然増えた事以外はあまり変わりないが、オーディオ機材は一応現在安定している、筆者の部屋で響く音はこの程度であろうと思っている。筆者が思うこの道は「頂上の無い山を登るが如し」ともいえる世界である、アレが欲しい、コレが欲しいと言う前に、常に思うはつくづく貧困を恥じる事かも知れない。

今思うことは現在10吋タンノイの据え置き型は自作のエアーフロート式の物を敷き聴いているが、その下に花崗岩の石を敷けばさらなる音の鮮度が獲られるであろうか思案中、近くのDIYジョイフル本田で厚み15ミリ程の花崗岩を見つけた、セットするのは大変重労働ではあるが・・・思案の為所である?この石を追加して音質が筆者好みになるのなら、労力は厭わないが部屋の掃除を兼ね適度な敷石を導入して確かめる必要はありそうである。



フリッツ・ヴェルナー(Fritz Werner、1898年12月15日 - 1977年12月22日)は、ドイツの指揮者・合唱指揮者・作曲家・オルガニスト。教会音楽の復活に尽力した。
ベルリン出身。ベルリン教会音楽教育アカデミー、ベルリン大学、プロイセン芸術アカデミーなどで学び、ゲオルク・シューマンらに作曲を師事した。1935年、バーベルスベルクのベツレヘム教会のオルガニスト兼音楽教師となった。1936年にポツダムのニコライ教会のオルガニスト・カントルとなり、1938年には教会音楽監督に昇進した。1939年にはラジオ・パリの音楽ディレクターとなった。第二次世界大戦後の1946年にハイルブロンのキリアン教会のオルガニスト・カントルとなり、1964年まで務めた。



なんと素晴らしい功績にハインリヒ・シュッツ合唱団1947年、ハイルブロンでハインリヒ・シュッツ合唱団を創設し、1973年まで指導にあたった。
最初はハイルブロン周辺で知られた作曲家ハインリヒ・シュッツの音楽を集中して取り上げたが、後にはヨハン・ゼバスティアン・バッハの多くの受難曲・オラトリオ・モテット・カンタータの録音を残した。多くの声楽家や、トランペットのモーリス・アンドレ、ホルンのヘルマン・バウマン、オルガンのマリー=クレール・アランなどの独奏者を招き、ハイルブロン・ヴュルテンベルク室内管弦楽団や南西ドイツ放送交響楽団などと共演している。ヴェルナーのバッハの録音は同年代のカール・リヒターのそれと比べられるものであった。

色々調べてみますと「長年にわたり、CD発売が熱望されていたフリッツ・ヴェルナーのバッハ!一時代を画した名演奏の数々の体系的なリマスタリング・シリーズ。」とこの様なコメントが記載されていた。



フリッツ・ヴェルナーの芸術-1
 バッハ:カンタータ選集-1
 バッハ:教会カンタータ
CD 1〜10: . 
 いざ来ませ、異邦人の救い主 BWV 61
 神の子の現れたまいしは BWV 40
 神は頌むべきかな!いまや年は終り BWV 28
 人々シバよりみな来たりて BWV 65  他
 
 アグネス・ギーベル(ソプラノ)
 飯山恵巳子(ソプラノ)
 インゲボルク・ライヒェルト(ソプラノ)
 フリーデリケ・ザイラー(ソプラノ)、他 
 バルバラ・シェルラー(アルト)
 ヘルタ・テッパー(アルト)
 マルガ・ヘフゲン(アルト)、他 
 クルト・フーバー(テノール)
 ゲオルク・イェルデン(テノール)
 ヘルムート・クレプス(テノール)、他 
 エーリヒ・ヴェンク(バス)
 バリー・マクダニエル(バス)
 ヤコブ・シュテンプフリ(バス)、他 

 マクサンス・ラリュー(フルート)
 ピエール・ピエルロ(オーボエ)
 ポール・オンニュ(ファゴット)
 モーリス・アンドレ(トランペット)
 マリー=クレール・アラン(オルガン)、他 

ハイルブロン・ハインリヒ・シュッツ合唱団 
プフォルツハイム室内管弦楽団 
ハイルブロン=ヴュルテンベルク室内管弦楽団 
[BWV 23, 30, 39, 72, 85, 92] 
指揮:フリッツ・ヴェルナー 

1959~1972年ステレオ録音



フリッツ・ヴェルナーの芸術-2
バッハ:カンタータ選集-2
収録予定曲目
BWV 8/BWV 10/BWV 19/BWV 21/BWV 26/BWV 50/BWV 51/BWV 53/BWV 56/BWV 70/BWV 78/BWV 79/BWV 80/BWV 85 *第1回録音/BWV 90/BWV 98/BWV 102/BWV 105/BWV 106/BWV 119/BWV 130/BWV 131/BWV 137/BWV 140 *第2回録音/BWV 140 *第1回録音/BWV 147/BWV 149/BWV 150/BWV 180/BWV 200


フリッツ・ヴェルナー指揮の演奏者がフランス系統の演奏者の多い点もで、可成前の録音の様ですが、録音状態も良く特にアンサンブルの演奏が非常に透明度があり実に美しく聴こえる事も有難い。



フリッツ・ヴェルナーの芸術-3
バッハ:受難曲、オラトリオ、ミサ、モテット他
マタイ受難曲 BWV 244/ヨハネ受難曲 BWV 245/クリスマス・オラトリオ BWV 248/ミサ曲 ロ短調 BWV 232/主に向かいて新しき歌をうたえ BWV 225[モテット第1番]/み霊はわれらの弱きを助けたもう BWV 226[モテット第2番]/イエスよ、わが喜び BWV 227[モテット第3番]/恐るるなかれ、われ汝とともにあり BWV 228[モテット第4番]/来ませ、イエスよ、来ませ BWV 229[モテット第5番]/主を頌めまつれ、もろもろの異邦人よ BWV 230[モテット第6番]/おおイエス・キリスト、わが生を照らす光 BWV 118[カンタータ第118番]



特にこのアルバムではモテット他が録音されていることが嬉しかった。モテットの意味合いは、ルネサンス時代にミサ通常式文以外の宗教曲全体を指すようになる。バロック時代になって、地域ごとや宗派ごとの微妙な分化が始まった。モテットの語源は、中世フランス語で“ことば”を意味する「モ mot 」という語に遡る。これは、アルス・アンティカのモテートゥスの特徴であるポリテクスト(各パートが異なる言語やテクストを併用する現象。



バッハ演奏の大家として、かのリヒターと同時期に活躍していたフリッツ・ヴェルナー。彼のバッハは、リヒターのものとは随分違っている。ヴェルナーの演奏はリヒターのような厳しさや鋭さはないが、そのかわり優しくしなやかである。リヒターが「剛」ならばヴェルナーは「柔」だ。モーリス・アンドレやマリー=クレール・アランといったフランス系の演奏家が多く参加しているせいでもあろう。派手さはないが、魅力ある録音集である。

最近筆者が好んで聴く鍵盤楽器奏者フランスのノルマンディー地方ディエップに生まれる「バンジャマン・アラール(オルガン/チェンバロ)」の演奏を聴くが確かに優しさに包まれたオシャレな感じでの演奏を聴く事が多い様である。またオーディオに関してかなり追求されておられる貴兄にも貴重なコメントを頂き筆者の望みの音の形がおぼろげながら解ってきた様にも感じます。
後は最近筆者が思うことは、特にバッハの演奏を鳴らすには、若干優しめな音質が聴きやすく、録音等の優れたソフトに於いては音質が若干ボケると仰る方もいようが、その辺りのプリアンプの微妙なさじ加減(調節)が肝心でもある、音質への想いは最近はこの様な音が一番安心して聴ける響きの様であり受難曲等長い曲を聴く場合は特にそのことに注意する様にしている。最も筆者にとってのオーディオとは人様に聴かせる装置ではなく、居間兼作業部屋で筆者がひっそり一人で楽しむ年寄りの道楽なだと思っているのですが・・・。

簡単に言えば、古酒(長期熟成酒)を少しずつ楽しむように、このアルバムで当分又J.S.バッハの声楽が楽しめそうである。 ブラボー!

この様な時こそ聴きたくなる、モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart):K.626レクイエム ニ短調を・・・・

2022年09月25日 | クラシック音楽・オーディオ

現在日本は何処に向かおうとしているのか?最大の事件はウクライナ問題であろう、ウクライナ侵攻はクリミア問題から始まったのであろうか未だ不思議さは残る?後は今後の支那問題等海外情勢も緊迫している状況下で日本人の国民意識は情けないほどお粗末である、国葬反対、統一教会、オリンピック疑惑云々を騒ぎ立てる危機に迫ったマスゴミが国民を煽り続け、親中岸田政権を擁護する様にも思える行動は如何に・・・平和ボケが原因でもあろう。

支那の願いは台湾統一が望みですので、台湾有事を間違いなく実行するするのであろう、近平もウクライナ問題を相当注視しているのであろう。というのはロシア事態今回のウクライナ侵略問題は何れにしても敗北の色濃くなった状況下の中で、プーチン政権以降のロシアを維持するする時期政権がどの様に政権交代をして行くのであろうか疑問だ?考えられる要因は次の項目であろう。

1.支那の近平の政権と変わり支那の配下に降るのであろうか?ロシア人としてのプライドが許さないかもしれない、少なくとも支那人よりロシア人はレベルは上だと思っている。
2.西側諸国等の燃料を配り生計を立てる化石燃料排出国と成り下がるのか?
3.米国との同盟を結び西側諸国とも提携しロシアも加わり、支那包囲網を確立し、暴発させない世界を目指すかに挙げられる。
今回のウクライナ侵略でのペンタゴンの戦争での報酬は、今後の戦争は無人爆弾(ドローン等の大活躍)の攻撃が一番的確で有った事を確認し、今後の戦いに自信にも繋がった様である。大変不真面目ではあるが、報道番組、YouTube配信等による映像を見るが、まるで戦争ゲームの一コマでも見る様に感じる。

この様な世界環境が変化していることも感じないで、ガラパゴス的に日本の情勢は世界と全くズレが生じている事が一番の心配であろう。
正しく(積み将棋)の次の一手の何れを選ぶのか一番注視しなければならない。

誠に残念ではあるが、岸田(キッシー総理)は全く何も出来ず、この国は馬鹿なマスゴミに滅ぼされる様である。先日も親中バリバリの沖縄県知事に玉城デニーが再選され、日本は長い間平和ボケして狂ってしまった国民である。一刻も早い国民の目覚めが必要になってきた時であろう。



それと最近の緊急の悲報はエリザベス二世がお亡くなりになり、厳粛な国葬をウェストミンスター寺院で執り行われた。テレビにより拝聴しが、流石伝統ある英国の重みを感じた方も多いのであろう。新しい英国の誕生にに祝福しましょう。勿論天皇陛下、妃殿下も参列されました。
後日バッキンガム宮殿は9月18日(現地時間)、エリザベス女王の新しい、そして最後のポートレイトを発表したのでコピーさせて頂きました。大変素敵なお写真に敬意意を称します。安らかにお眠りください。

筆者が今こそ思うは小説の、芥川龍之介の「或阿呆の一生」の如く何となく不安な世の中に疑問を抱き自殺する人間を描いている様にも思える。

この様な状況下では、久し振りに聴きたく鳴るのがモーツアルトのレクイエム/ニ短調 (未完) K.626であった。特に怒りの日のフレーズは大変有名でもあり聴き出せばつい全曲夢中になって終了を迎えるのである。

勿論ご存知の如くレクイエム ニ短調K. 626は、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトが作曲したレクイエムである。モーツァルトの最後の作品であり、モーツァルトの死によって作品は未完のまま残され、弟子のフランツ・クサーヴァー・ジュースマイヤーにより補筆完成された。


私はレクイエム ニ短調については詳しくないので解説を引用させて頂く。
ド・ニによれば「ミサの式次第」において、「死者のためのミサ曲」は例外的にグローリア(栄光の賛歌)とクレド(信仰宣言)を除く通常文と、固有文のいくつかが作曲されるものだといい、ここで、通常文というのはミサのなかの祈祷文で変化しない部分を、また、固有文はミサによって変化する部分をいう。 モーツァルトが書いた「死者のためのミサ曲」は以下の内容から成り立ち、よく知られているように、その冒頭の歌詞により『レクイエム』と呼ばれている。

 入祭唱 Introitus(固有文)
  1.Requiem aeternam 永遠の安息を与え給え Adagio ニ短調
 あわれみの賛歌(通常文)
  2.Kyrie 主よ、憐れみ給え Allegro ニ短調
 続唱 Sequentia(固有文)
  3.Dies irae かの日こそ怒りの日なり Allegro assai ニ短調
  4.Tuba mirum 妙なるラッパの響きにて Andante 変ロ長調
  5.Rex tremendae 仰ぐもかしこき御霊威の大王 Grave ト短調
  6.Recordare 慈悲深きイエズスよ Andante ヘ長調
  7.Confutatis 呪われし者を愧服せしめて Andante イ短調
  8.Lacrimosa かの日や涙の日なるかな Larghetto ニ短調
 奉献唱 Offertorium(固有文)
  9.Domine Jesu 主イエス・キリスト Andante ト短調
  10.Hostias いけにえと祈りを主に捧げん Andante 変ホ長調
 感謝の賛歌 Sanctus(通常文)
  11.Sanctus 聖なるかな、万軍の天主なる主 Adagio ニ長調
  12.Benedictus 主のみ名によりて来たれる者は Andante 変ロ長調
 平和の賛歌 Agnus dei(通常文)
  13.Agnus dei 世の罪を除きたもう神の子羊 Larghetto ニ短調
 聖体拝領誦 Communio(固有文)
  14.Lux aeterna 主よ永遠の光を彼らの上に照らし給え Adagio ニ短調

作曲の依頼主は、ウィーン郊外(南西に約72キロ)のシュトゥパハ村に居を構えていたヴァルゼック伯爵(Franz de Paula Anton Wallsegg von Stupach, 1763~1827)であり、妻アンナ・マリア(Anna Maria Theresia Edle von Flamberg, 1770~1791)が1791年2月14日に死去したことによるものだった。
彼女の遺体は防腐処置が施されて2日後にシュトゥパハ村近くのヴァルゼック家の地下聖堂に安置されたが、さらに40日後にシュトゥパハ城の隣に作られた立派な墓に移された。 妻を深く愛していた伯爵は2つの芸術作品を依頼することで妻の霊を崇めることにした。 
一つは手のこんだ墓碑であった。もう一つはカトリックの儀式である死者のためのミサと関連した礼拝音楽(レクイエム)の作曲であった。 
すくなくとも理屈のうえでは、音楽伴奏をともなう儀式を、伯爵夫人の死を悼む記念行事として毎年2月14日の命日に行うためのものだった。と記せられてあった。

モーツァルトの死後、コンスタンツェにはレクイエムを未完で終らせることができなかった。 完成後に支払われる報酬が手に入らないばかりか、ヴァルゼックから先に支払われていた手付け金の返還を求められるだろう。 結果的には、弟子のジュスマイヤーにより補筆完成され、それが依頼主のヴァルゼック伯爵の手に渡り、1793年12月14日に初演されたが、しかし、スヴィーテン男爵によりそれより早く、1793年1月2日ウィーンのヤーン邸で、モーツァルトの作品として演奏されている。 さらに近年、ワルター・ブラウンアイスによって、モーツァルトの死後すぐ(5日後)ミハエル教会で追悼ミサが行われ、弟子フライシュテットラーやジュスマイヤーの補筆により「入祭唱」と「キリエ」が演奏されたことが分かった。
近年ジュスマイヤーに渡されなかった資料が発見され、モーツァルトのレクイエムを復元しようとする試みがなされている。 未だ解明できたないと思われるが曲は大変良く仕上がり聴くたびに感度を与えられます。



一番気になる指揮 : カール・ベーム での演奏とブルーノ・ワルター(指揮)の名盤と云われる演奏を聴き比べて見たい、音楽ソフト豊富な時代だからこそ出来る楽しみであるかも知れない。勿論自慢の10吋タンノイと真空管アンプLUXKIT A3500でドライブして楽しんだ。

筆者の好む演奏者はモツレクの決定的名演といっても過言ではない、ベーム渾身の「レクィエム」、1971年収録!
聴けば解るがベームのレクィエムといえば、特筆すべきは響きに深みと厚みを持ったウィーン国立歌劇場合唱団の素晴らしい歌唱力でした。とうとうとした流れの中に深々とした思いを見事に歌い上げており、気迫のこもった「ディエス・イレ」から、慈愛に溢れた「ラクリモーザ」まで、その豊かな表現力にはただただ感心するばかりです。
歌手陣も素晴らしく、清々しいヤノヴィッツの歌声、表情豊かなルートヴィヒ、ひたむきでストイックなシュライヤー、ベテランの味で聴かせる安定感あるベリーの歌唱と、いずれも当代最高のキャスティングであるといえるでしょう。
これは、間もなく生命を失おうとしているモーツァルトの最後の悲痛な叫びが聞こえるような、心に響くレクィエムなのです。



 (S)ユリア・ハマリ
 (Ms)ヴィエスワフ・オフマン
 (T)カール・リッダーブッシュ
 (Bs)ハンス・ハーゼルベック 
 (Org))ウィーン国立歌劇場合唱連盟ノルベルト・バラッチュ 
 (合唱)ウィーン(指揮)ウィーン ・フィルハーモニー管弦楽団
  カール ・ベーム(指揮)録音:1971年4月(ウィーン)

モーツァルト:レクイエム ニ短調 K.626
 第1曲: 入祭誦(永遠の安息を)
 第2曲: キリエ(主よ、憐れみたまえ)
 第3曲:セクエンツィア(続誦)
  02. 怒りの日
  03. 妙なるラッパの
  04. みいつの大王
  05. 憶えたまえ
  06. 呪われた者
  07. 涙の日
 第4曲:奉献誦
  08. 主イエス・キリスト
  09. 犠牲と祈りを
 第5曲:サンクトゥス
  10. サンクトゥス(聖なるかな)
  11. ベネディクトゥス(祝されたまえ)
 第6曲:
  12. アニュス・デイ(神の子羊よ)- 第7曲: 聖体拝領誦(永遠の光で)

ベームが敬愛し、且つ得意としたモーツァルト。信頼厚いウィーン・フィルとともに、ロマン的な感傷や過度の表情付けを排し、造形感を重んじた格調の高い感動的な名演を成し遂げています。素晴らしいのひと言。荘厳な佇まいに酔いしれる演奏。

試聴するのはタンノイの10吋IIILZ Monitor Goldユニットを据え置き型の箱に入れた物で聴く、音量は適度な大きさでもホール感オーケストラの奥行きの深さ、あくまで豊かに聴こえるこのシステムに限ると実感する。



レクイエム ニ短調(独語名:Requiem in d-Moll)K. 626は、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(1756年 - 1791年)が作曲したレクイエム(死者のためのミサ曲)である。モーツァルトの最後の作品であり、モーツァルトの死によって作品は未完のまま残され、弟子のフランツ・クサーヴァー・ジュースマイヤーにより補筆完成された。
しばしば、ヴェルディ、フォーレの作品とともに「三大レクイエム」の一つに数えられる。
モーツァルトの死後、貧窮の中に残されたコンスタンツェは、収入を得る手段としてこの作品を完成させることを望んだ。まず、モーツァルトも高く評価していたヨーゼフ・アイブラーが補作を進めるが、なぜか8曲目の途中までで放棄する。作業は他の弟子、ヤコプ・フライシュテットラーおよびジュースマイヤーに委ねられ、ジュースマイヤーが改めて一から補筆を行って最終的に完成させた。完成した総譜は作品を受け取りに来た使者ライトゲープを通じてヴァルゼック伯爵に引き渡され、コンスタンツェは作曲料の残りを得た。
伯爵は自分の作品であるとして、1793年12月14日にウィーンのノイクロスター教会において自身の指揮でこの曲を演奏したが、コンスタンツェは手元に残した写譜から亡夫の作品として出版する。このため後に伯爵が抗議するという一幕もあったというが、モーツァルトの名声はすでに高まりつつあり、この作品はモーツァルトの作品として広く認知されるようになった。なお、ゴットフリート・ヴァン・スヴィーテン男爵の計らいで、コンスタンツェのために1793年1月2日に本当の初演が行われたという説がある。



続いて聴いたのは、ブルーノ・ワルター(Bruno Walter, 1876年9月15日 - 1962年2月17日)は、ドイツ出身の指揮者、ピアニスト、作曲家。より正確なドイツ語読みはヴァルターであり、そのように表記される場合もある。本来の姓はシュレジンガーであり、これは彼がブレスラウの歌劇場の指揮者になったとき、現地ユダヤ人にシュレジンガー姓が多いので、ワルター(ヴァルター)に改めたという。そのため、ワルター・シュレジンガーと表記されることも稀にある。

米ニューヨークを本拠地とするオーケストラ。指揮者ウレリ・コレッリ・ヒルに率いられた地元の音楽家たちによって1842年に創立。米5大オーケストラ“ビッグ・ファイヴ”に名を連ね、世界的に最も古い楽団の一つとして知られる。略称は“NYP”。音楽監督にはレナード・バーンスタインをはじめ、ピエール・ブーレーズ、ズービン・メータ、クルト・マズア、ロリン・マゼールら多くの著名音楽家が就任。2009年9月からはアラン・ギルバートが務めている。過去1世紀の間に5大陸61ヵ国431都市を巡り、高い演奏水準で米音楽界を長きに渡って牽引。また、グラミー授賞式での演奏やTV出演、多彩な教育プログラム開発など革新的な功績も残している。

モーツァルト:レクイエム ニ短調 K.626
 ブルーノ・ワルター(指揮)、ニューヨーク・フィルハーモニック
 ウエストミンスター合唱団(合唱指揮:ジョン・フィンレイ・ウィリアムソン
 イルムガルト・ゼーフリート(ソプラノ)、
 ジェニー・トゥーレル(アルト)、
 レオポルド・シモノー(テノール)、
 ウィリアム・ウォーフィールド(バス)
セッション録音:1956年3月10&12日/カーネギーホール(ニューヨーク)
使用音源:Private archive(2トラック、38センチ、オープンリール・テープ)

制作者より下記の様なコメントが表記されてます。
モーツァルトの生誕200年を記念して録音されたワルター&ニューヨーク・フィルのモーツァルトの「レクイエム」は、モノラルではありますが、今日もなおこの曲の最も重要な演奏として人気があります。今回もまた2トラック、38センチのオープンリール・テープを使用して復刻しましたが、その再生音は全く驚くべきものです。音像は異様なほど前に出て来て、前後、左右、天地の響きの広がりも圧倒的です。低弦のゴツゴツした音も生々しいほどに聴き取れます。宇野功芳著『名指揮者ワルターの名盤駄盤』(講談社+α文庫/絶版)には「いくぶん生々しさ〈汚さ〉に欠ける不満はあるが」とありますが、おそらく当CDではそうした不満が解消されることでしょう。とこの様な内容が明記されています。

こうしてモーツァルト:レクイエム ニ短調 K.626を楽しむ事に感謝をします。一刻も早くウクライナ戦争が収束し平和を取り戻す事を願うと共に、大切な命を失った多くの魂に祝福ある事を祈ります。アーメン!

オスカー・ピーターソン・トリオは黄金ドラムレス・トリオ有名で(ギタリスト)ハーブ・エリス(ベース)レイ・ブラウンのサウンドを楽しむ。

2022年09月19日 | JAZZ・ボサノヴァ


筆者の住む街は「白井の梨」として梨が有名である、先日何時も行く梨農園に、家族で食べる梨を求めに行った時、これサービスで持って行ってと渡された新種の梨、「かおり」と言う種類で真に大きく、家で秤で測ると約760グラム程ある梨であった。名前の如し大変香りが良く、美味しく頂いたが、一個の梨でも家屋4人で食べて丁度良い塩梅である。現在は「秋月」と言う種類を販売するが梨のシーズンも終盤である、筆者が好きな種類は、シーズン最初に出回る幸水、豊水、が甘味も豊かで若干の酸味も加わり水分も多く好みである。

今の世の中は・・・今の政治は・・・今のマスゴミは・・・とは言うが、もう一捻り考えれば昔から言われる、世は歌につれ、歌は世につれと言われ、その国の民度が判る、そうです政治は三流と言われるが、所詮(国民)の民度も三流ではないであろうか?居眠り議員も沢山いるが余りにも下らない答弁に、付い居眠りもしたくなる環境にも反省するべきかも知れない。
勿論テレビ、新聞も一昔前と違い全くレベルが下がり下がっている事が自然ではなかろうか・・・。言い訳は、いつも云う予算が無いの得意の一言。



その様な事を考えながら今回はジャズについて考えてみました。筆者がオスカー・ピーターソンを好むはピアノ演奏バランスの良さ、明るいスイング、巧みなピターソンらしいテクニッと、どのアルバムを聴くもピアノの音の粒たちが抜群に良い事が挙げられる。
昔ピーターソンのプリーズ・リクエストはオーディオマニアの間で音質のレコードチェック盤としても話題となったアルバムで有名です。プリーズ・リクエスト 「ユー・ルック・グッド・トゥ・ミー」 等はベース低音再現がどこまで再生できるであろうか当時は騒いだ記憶も残る。
今思えばLS3/5aを真空管アンプで音出しすれば、何とかベース音は再現される。録音技術も上がり最新の音源には舌を巻くが、果たしてそれに合う演奏内容は如何にとも思えるが、特に思うは昔は拒否されたされた「古楽器」の演奏、録音についても相当の進歩を遂げている様である。変わらないのが真空管其れも三極管で聴く音楽は昔のままの様である。



一般的にはピーターソントリオはピアノ、ドラム、ベースのトリオが有名であるが、結成からオスカー・ピーターソンがハーブ・エリスとレイ・ブラウンとの当時は黄金ドラムレス・トリオが有名であった。

筆者も当時は全く知らなかった話であり、後日試聴し判明したトリオである。
その後ピアニスト、オスカー・ピーターソンが、レイ・ブラウン、エド・シグペンによる黄金トリオは有名である。


これも一つの新譜であろうか・・・?「SOLID/JUSTIN TIME CDSOL-47301 」最新リマスター、日本語解説書き下ろし、オリジナルジャケット使用カナダが生んだジャズ巨人の、オスカー・ピーターソンがハーブ・エリス、レイ・ブラウンとの黄金ドラムレス・トリオで1958年に母国カナダで行った全盛期のライヴ音源のアルバムである!

スタンダードを鬼のようなスウィングで奏でるトリオによる白熱の演奏!勿論初期のピーターソンのライブ盤であろう、1958年にライブ録音しているが、録音状態もよくギターのハーブ・エリスが演奏している事も興味深いアルバムでもある事です。音質もそれなりに宜しい様である。



昔風な紙ジャケット風のレトロなジャケットも泣けるアルバムで、タイトルは「Vancouver 1958」
 1.ハウ・ハイ・ザ・ムーン How High The Moon
 2.ウィール・ビー・トゥゲザー・アゲイン We'll Be Together Again
 3.ジョイ・スプリング Joyous Spring
 4.ダーフード Daahoud
 5.アイ・ライク・トゥ・リコグナイズ・ザ・チューン I Like To Recognize The Tune
 6.ザ・ゴールデン・ストライカー The Golden Striker
 7.パトリシア Patricia
 8.ポゴ Pogo
 9.ザ・ミュージック・ボックス・スィート(デイジーの夢) The Music Box Suite (AKA Daysy's Dream)

 OSCAR PETERSON オスカー・ピーターソン(PIANO)
 HERB ELLIS ハーブ・エリス(GUITAR)
 RAY BROWN レイ・ブラウン(BASS)



筆者が感じたピーターソンは、先ず「ピアノの神様」と呼ばれた超絶技巧のピアニスト、アート・テイタムは1909年にアメリカのオハイオ州に生まれました。(チャーリー・パーカーより11歳上)生まれつき白内障のため、片目は全盲でもう片方もわずかな視力しかありませんでした。絶対音感も持っており、幼いころからピアノやヴァイオリンを習って、18歳で地元のラジオ局のピアニストとして雇われプロの道を歩むことになります。
オスカー・ピーターソンはアート・テイタムの演奏を聴きこの演奏は一人で弾いているんじゃないとつぶやいた有名な話であるそうです。

ピーターソンの持ち味とも言える、超高速ストライド奏法は天才が努力した結果と言える、ピアノは姉のデイジーに教えられ当時はクラシックを学んでいたので、ピアノ演奏で一番大切な指先を真上から叩く双方を基本にした様である、リズムを弾く左手のスライド率は大きく、ストライド走法にも指を真上から叩く基本が出来て何時も正確にヒットし鍵盤を上から叩き音の粒ダチがよくご機嫌なリズムを感じる。これがピーターソン独自の音が確立されているのではないかと思う、兎に角ピーターソンのピアノ演奏は明るく華やかに感じるのだ。
日本に来日した時などの練習場では彼の周りの床は汗の水浸しであったそうである。天才もとんでもない練習の虫だった事がわかる話である。 

筆者自宅でのジャズ演奏の合うピーカーは圧倒的にLS3/5aを使用しています。勿論タンノイも良いが特に激しくスライドするピアノの音に追いつかないような気がして反応の優れたLS3/5aを多用する理由になっている。



ここでピーターソンについて調べてみた結果を掲載する。
ピアニスト/作曲家のオスカー・ピーターソンが率いたジャズ・コンボ。1951年からの初期メンバーはレイ・ブラウン(b)とアービング・アシュビー(g)。58年までにギターがバーニー・ケッセル、ハーブ・エリスと代わり、翌年よりギターに代わってドラムスのエド・シグペンが参加。この黄金期メンバーはしばしば“ザ・トリオ”と呼ばれる。65年にはドラムスがルイ・ヘイズに交代、翌年にはベースがサム・ジョーンズに代わるなど、メンバーチェンジは頻繁。その後、ジョー・パス、ジョージ・ムラーツ、ニールス・ペデルセン、ボビー・ダーラム、レイ・プライス、ルイ・ベルソンらも加入。  

オスカーの初めての指導者は彼の姉、デイジー(Daisy)だった。彼女は後にモントリールで有名な指導者となり、オリバー・ジョーンズ(Oliver Jones)、ジョー・シーリー(Joe Sealy)、レグ・ウィルソン(Reg Wilson)など著名なジャズミュージシャンを育てている。 また、オスカーの兄、チャック(Chuck)も後にプロのトランぺッターとして活躍することになる。音楽の才能に溢れた家族のもと、オスカーはすくすくと成長していった。14歳になる年、姉のデイジーに勧めでアマチュア・コンテストに出場、見事優勝を果たした。

オスカーのピアノはクラシックを基調したものだったが、ナット・キング・コール(Nat King Cole)、テディ・ウィルソン(Teddy Wilson)、そして彼のアイドル、アート・テイタム(Art Tatum)の影響により、ジャズ音楽に舵を取り始める。 1945年オスカーは「カナダで初めてのジャズ・スター」と称されるようになった。
ジャズ・ボーカリストのエラ・フィッツジェラルド(Ella Jane Fitzgerald)を加えた4人編成でのライブもよく行っていた。 1950年代は彼に大きな影響を与えたアート・テイタムとも共演、日本でもライブを行うなどピーターソンにとって大きく飛躍した期間でもある。 1958年、ギターのハーブ・エリスがバンドを去り、ドラムのエド・シグペン(Ed Thigpen)が加入した。ギタリストではなく、ドラマーを加入させたのは「エリスを超えるギタリストを探すのは不可能と思った」からだった。



1990年に入るとレイ・ブラウン、ハーブ・エリスとのトリオを復活させる。彼らのニューヨーク・ブルー・ノートでの演奏を音源化した作品"Live at the Blue Note (1990)"、"Saturday Night at the Blue Note (1990)"は合計3つのグラミー賞を受賞。
幼い頃からピーターソンの演奏を聴いていたハービー・ハンコック(Herbie Hancock)はオスカーについて、以下のように語っている。
「オスカー・ピーターソンは古典的なスウィングをモダンなものに変え、20世紀後半のジャズピアニストに大きく影響を与えていると思う。私もジャズピアノにおいて、オスカーに影響を受けた一人だ。彼はテクニック、グルーブ、柔らかさのバランスを完璧に熟知している。」
また、同じくカナダ出身のダイアナ・クラール (Diana Krall)は「私がジャズピアニストを目指したきっかけは、オスカー・ピーターソンのようなジャズピアニストになりたかったから。」とインタビューで答えている。

ジャズ史上屈指の名ピアニスト、オスカー・ピーターソンが、レイ・ブラウン、エド・シグペンによる黄金の“ザ・トリオ”でシカゴのジャズ・クラブ“ロンドン・ハウス”に出演した時の実況録音盤。抜群に息があった3人によるスインギーなプレイが最高のアルバムです。



「ザ・トリオ」オスカー・ピーターソン・トリオの真髄
 01. 恋したことはない / I've Never Been in Love Before
 02. ウィー・スモール・アワーズ / In the Wee Small Hours of the Morning
 03. シカゴ / Chicago (That Toddling Town)
https://www.youtube.com/watch?v=z95mRVKO3QA
 04. 夜に生きる / The Night We Called It a Day
 05. サムタイムズ・アイム・ハッピー / Sometimes I'm Happy
 06. ウィスパー・ノット / Whisper Not
https://www.youtube.com/watch?v=cfxc7emk0Us
 07. ビリー・ボーイ / Billy Boy
  オスカー・ピーターソン(P)
  レイ・ブラウン(B)
  エド・シグペン(DS)
1961年7月28、29日、シカゴ、ロンドン・ハウスにてライヴ録音

此処まで好きなピーターソンを述べてきたが、筆者の本心を述べる、抜群に息があった3人によるスインギーなプレイが最高。レイ・ブラウンとエド・ジグペンとの黄金トリオのライヴ盤なので悪かろうはずはありません。
しかし今回ピーターソンを真剣に聴き解明された事は、確かに長くピーターソンを聴くと曲の深みとかが何故か感じられない処に、飽きる要素か感じるのであろうか、演奏が上手過ぎる処が逆に災の如く弱点になったのであろう・・・。
以前購入したMY ROOM MY AUDIO 十人十色オーディオ部屋探訪の本の内容によると誰一人とピーターソンを挙げては居ない事は何故か、不思議さを此処での本を読み理解させられた思いである。
その様に考えて聴くとジャズはブルースから始まった音楽の歴史の世界も中々の深みの一部を見知ったた様でもあろう。黒人特有と言われるブルーノート音階から始まりモダンジャズ等に移行したジャズも、ピーターソンが唯一ノミネートされたアルバムは確かバックバンドを務めたElla and Louisの実に味わい豊かな、明るく愉快なアルバムであった。此処で疑問点にやっと合点が云ったのである。

ピーターソンの限界というものが、他の多くの名盤といわれるピアノトリオを聴きこんでいると分かります。
筆者が思うはジャズの入門する盤としてはベストです。これを聴いて嫌いになることはまず無いでしょう。併用して「プリーズ・リクエスト」もぜひ聴いてみてください。
筆者が思ふ、オスカーピーターソンの最高傑作と言えるシカゴ ロンドンハウスのライブ盤。レイブラウン、エドシグベンの黄金トリオの絶頂期の作品。実は私が感じるのは演奏者の手が動きすぎる、テクニックのあり過ぎのピーターソンはあまり好きではない。このライブでは無理なく、軽く、間で聴かせる、本当に演奏を楽しんでいるピーターソンがいる。演奏者、観客の本当にリラックスした感覚が伝わってくるその様なウキウキする気持ちが堪りません。
いつ聴いても決して飽きることのないピーターソンの最高傑作かもしれない。ブラボー!

BA1. BWV 1-231 のカンタータ、モテットより、今回は勿論J.S.バッハ:BWV 79を探る、LS3/5aで聴くが新しいLS3/5a情報の考察

2022年09月15日 | 2022J.S.バッハ関係

最初からお断りさせて頂きますが、筆者は一般的な音楽好きの爺さんで、この歳になりJ.S.バッハの音楽を楽しむバッハの音楽愛好家であるが、決してキリスト教信者でもない。ごく一般的な日本人である。
宗派をたどると、宗旨替えをし親鸞聖人の解かれた門徒で浄土真宗に変わったそうである。
一応親鸞の教えを簡単に紐解くと、一般的に言われる親鸞聖人の言葉は奇抜な教えなどは一切なく、この世を生き抜くには大変苦労が多く、(宗教問題は意外に専門用語が多く解りにくい、教えとして厳しく今だ古文が圧倒的に多いことにも影響はある所以である。)簡単に話せば、大きな安全な船で皆さんを乗せ荒波にも破天荒の苦難にも耐え大海原を皆さんと一緒に航海すべきであると、と説いているそうです。その文言の大きな安全の船がどうやら「南無阿弥陀仏」と唱えると言った事の様です。



その様なことを考えながら久しぶりに淹れたての旨い珈琲を頂く、温かい珈琲の旨い季節になってきました。最近は統一教会等宗教に関する話題が多い様である。筆者が思う信教宗教には一番の欠落箇所は洗練された歴史観宗教観が不足し、又想像以上に膨大な資金も必要であり、宗教の名を借りて裏側で資金の為に悪事を行い墓穴を掘る様である。宗教言えど所詮(資金)金儲け集団に思えてなりません、財力がなければ人が付いて来ないので付い悪巧みをする、つまり未だ洗練されない宗派になるわけです。宗教問題は心の支えだからです。

今も賑わす新興宗教「創価学会」公明党等も未だ洗練されなく未だ道は遠いのであろう?この新興宗教も昔から支那との交流は深く、影では親中党の御一行様であるのは有名な話でもある。但し会員組織もしっかりして選挙票も確実である。これでも公平な選挙であろうか?選挙率が悪けれが当然組織票は強いのは当然で選挙での当選は断然有利である。一刻も早い公明党の解散は当然である。

確かに日本人はインド、支那から仏教が伝わりますが、それ以前の信心は日本人の発想は元がが神であり、つまり自然から教られた、太陽を敬い自然を愛した八百万の神であった事が自然の様です。もっとも理解できるは多くの日本人が正月の初参りの風習であろう、これこそが神を崇拝した証拠であろう。
今もよく使う言葉に「お天道様が見てる」等の表現があり、財布を落とし中身も無くならず落とし主に変換される等の行為は世界でも珍しい国と言われている、これこそ洗練された人種で善悪を辨えた頻度の高い人種あろう、でも最近の日本人の民度が下がっているように思える。

その前にキリスト教信者の多いアングロ・サクソン人(Anglo-Saxons)は、5世紀頃、現在のドイツ北岸からグレートブリテン島南部に侵入してきたアングル人、ジュート人、サクソン人のゲルマン系の3つの部族の総称である。この中でアングル人が、イングランド人としてイングランドの基礎を築いたため、現在も英米などの英語圏白人をアングロ・サクソン人と呼ぶ。このようにドイツ起源の民族であるが、現在のドイツ圏の国民をアングロ・サクソン人と呼ぶことは原則的にない。ただし、ザクセン王国は20世紀初頭までドイツ帝国内に存続しており、現在も「ザクセン州」「ニーダーザクセン州」が残っているため、ドイツの地域住民としてのザクセン人(サクソン人)という名称は今も用いられる。日本人と違うことは極度の2面性があり違う事も平気で言う事です。
そこで信長の時代にキリスト教が日本に広まった様ですが、以前から筆者が思うは最初からアダム&イブは罪を犯したから始まるキリスト教の教えは日本人には到底理解できない事件の様です。



リンゴを食べた事は重大な罪なのであろうか?其処から疑問が湧いてしまう、再度はキリストは死刑にあい、この後復活する、日本も日本書紀にも神話が有名だが、キリスト復興もどうやら神話になる、宗教問題は何百年何千年を経て洗練され誰でも入信しても安心できる宗教に育っていく様である。新興宗教などは設立、経営に豪大な費用が掛かり。大枚なお布施が必要でありその様な蓄えがないと崩壊してします。当然新興宗教などは洗練されるには相当の月日が流れ、都合の悪いことは公開は決してしないのです、今回の件統一教会の日本人の立場などは全く語られないこのであったのであろう。

筆者の愛読書バッハ全集ではあるが、余りに専門的過ぎな箇所も多く参考になるバッハの全集であるが、全巻は所有していないが、好きな7巻は持っていて、辞書の様に使い大変重宝するが購入後40年近くなった。正直高額な書物で全て揃えられなかった事が本当の事である。
話は別の方角に行ってしまったが、正直筆者はキリスト教徒でもないが、バッハの創作した数多くのカンタータは実に美しく心が浄化されるために偶に頭から順序よく浸しんでいます。

今回はBA1. BWV 1-231 カンタータ、モテットからバッハの教会カンタータ(34)BWV79 カンタータ第79番《主なる神は日なり、盾なり》BWV79 Gott der Herr ist Sonn und Schild 1725,10/31 宗教改革記念日を聴く。
DOVERの"The Seven Great Cantatas"より、最後の曲となりました。初演の1725年10月31日は今年と同じく水曜日でした。宗教改革記念日とは、 1517年10月31日、ルターが〈九十五ヵ条提題〉をウィッテンベルク城教会の扉に釘で 打ち付けたという伝説に基づく、プロテスタント教会最重要の記念日です。ちなみ に、このルターを讃えたのが、ニュルンベルクのハンス・ザックスで、《ウィッテン ベルクの小夜啼鳥》(1523)の詩は、ザックスの文名を高めることにもなりました。
ルターが「95か条の論題」をヴィッテンベルクの城教会の扉に掲示したのは1517年10月31日のことです。長きに渡る宗教戦争の終結後の1667年以来、ルター派プロテスタント教会では、その日を宗教改革記念日として祝ってきました。
当然バッハの暮らした地域もそうでしたが、この日のためにバッハが書き下ろしたカンタータは、本日の第79番「主なる神は日なり、盾なり」と第80番「我らが神は堅き砦」しか伝えられていません。後者は大変な名曲なのですが他のカンタータを作り替えたものなので、今回はバッハがこの日のために書き下ろした第79番「主なる神は日なり、盾なり」を聴きます。



ヨハン・セバスティアン・バッハは、教会カンタータ「 Gott der Herrist Sonn und Schild (主なる神は太陽であり盾である)」BWV  79を 1725 年にライプツィヒで作曲しました。 1725 年 10 月 31 日。 テキストは未知の詩人によって書かれましたが、その詩人はその日の規定の朗読に言及していませんでした。バッハは、詩篇 84からの引用で饗宴の台本を始め、ライプツィヒの宗教改革記念日に関連するマルティン リンカルトの「Nun danket alle Gott 」からの2 つの賛美歌スタンザを、第 3楽章と最終楽章として含めました。 Ludwig Helmboldの " Nun laßt uns Gott dem Herren "の最終スタンザ。バッハは、6つの楽章で構成された「祝祭の素晴らしさ」の作品を作曲し、オープニングコーラスに続くアリア、レチタティーヴォとレチタティーヴォのペアを備えています

 1. 合唱
  神は わが光 盾,慈しみと 栄えの君
  み恵みは 欠くること なし
  詩編84篇12節
 2. アリア(A)
  神は われらが 光なり 盾なり!
  この慈しみを われら 頌め讃えん,        
  主は その群れを 顧みたもう.
  守りたまわん 主は,
  敵(あだ)の 猛りくるい われらを 襲うとも   
  3. コラール
  感謝せん 神に 心 わざもて.
  奇しき みわざ 主は 為(な)したもう.
  われら 幼く ありし 日より
  今も のちも 主 いますなり
  リンカルト「感謝せん 神に」(1636)第1節
 4. レチタティーヴォ(B)
  頌めよ,われら 道を 知れる 者!
  主イェス み言葉もて われらに
  救いを 示したまいぬ.
  されど いまなお 盲(めし)いて 苦しめる はらから あり,
  ああ かれらをも 主よ 顧み,
  主こそ 真正(まこと)の 道と 悟らしめたまえ
  5. アリア二重唱(S/B)
  神よ 見捨てたまわざれ, なが み民を.
  み言葉よ 輝け 明るく.
  いかに 強く あだの 迫るとも
  わが 口は なれを 頌め讃うべし
  6. コラール
  われらに 真実(まこと)を とわの 自由を
  与えたまえや 主によりて アーメン

ヘルムボルト「主に謝しまつらん」(1575)第8節レオンハ ルトのナチュラルホルンは、音程の微妙な違いも含めて、なかなか迫力がありまし た。
この様なカンタータをRudolf Lutzは聴衆に指示し合唱する様を治めた映像が公開されていますので、是非参考にしてください。

ルターが「95か条の論題」をヴィッテンベルクの城教会の扉に掲示したのは1517年10月31日のことです。長きに渡る宗教戦争の終結後の1667年以来、ルター派プロテスタント教会では、その日を宗教改革記念日として祝ってきました。
当然バッハの暮らした地域もそうでしたが、この日のためにバッハが書き下ろしたカンタータは、本日の第79番「主なる神は日なり、盾なり」と第80番「我らが神は堅き砦」しか伝えられていません。



筆者の装置にはケーブルはRCAケーブルにはWE社の1910年前後に製造された絹に巻かれた黒エナメルに巻かれたWE-236A INP大型特殊田ランスに使用された細いケーブル使用し、スピーカーケーブルには「英国製QEDのProfile42Strand」のより線を使用しています。

ついでに、置き方は一番不味い方法である、聴く位置の耳の高さのしっかりした
スピーカー台の上に厚み30ミリほどの御影石の上にWellFloat(A4サイズ)を敷きその上にLS3/5aスピーカーを乗せ試聴する、音を出した瞬間から英国製のLS3/5a独特の無駄のない「いい音」が鳴り始めた。WellFloatの使用上の効果は、下に轢く石が要である、見逃す人も多い。
まさにヴォーガルは素直に鳴る音は絶品で有り、アンプもZAIKA5300で聴くと益々LS3/5aに磨きがかかった様に感じられる。



ずいぶん悩んでいたパワーアンプであるがZAIKA5300の三極管で見事に蘇ったパワーアンプのSV-501SEであった。
最近導入したSPENDOR SP3/1Pも良いが筆者が感じるバッハの音楽は特に無駄な音がしなくLS3/5aが有利と感じる。
そこで思うは、10吋のタンノイユニットの音も良いがアンプを300B三極管で聴くカンタータはLS3/5aの声が実にリアルに聴ける感じがする。但し全体のスケール感はタンノイが優れていてホール等施設での音が自然に伸びる低音は流石である、ワグナー等のオペラの再生については、まるで一番良い上等の席で聴くような感じを受ける。

筆者の所有するLS3/5aは有名なロジャースの初期の15Ωタイプでも無く、他のメーカー制作した新品のデトックス品を安価で購入品であるが、今まで散々苦労し改良して可成満足にいく水準になったと思うが、現実には本物ではないという自分への想いは消えない、オーディオマニアの後ろめたさでもあろう、初期型のロジャースLS3/5a初期型はとても買えない貧困とは辛いものだと思うのです。



ヴァーガルでのカンタータ等の演奏を聴くにはかなりの完成度に近い音が鳴るようになったと自負してます。他の人の装置を見渡せが多分中の下と言った所の音質になった様に思います。

しかし最近ネットから新しい情報を得ました、最近ロジャースの初期型に近いLS3/5aの発売にニュースが気になり調べて見た。
当初ROGERS LS3/5Aは1980年発売し現在に及び40年以上過ぎ未だに販売が続きベストセラーでもある、現在は日本でデッカのカートリッジを取り扱うヨシノトレーディング株式会社が代理店になっているFalcon Acoustics LS3/5aの最新と思われるスピーカーの記事を見つけた。
試聴はオーデオユニオン(お茶の水店)にて取り扱っているそうである。
Falcon Acoustics (ファルコン・アクースティックス) の LS3/5aは、長年に渡ってイノベーションとその品質でその名を馳せる、伝統的なイギリスを代表するハイファイスピーカーである。写真を見れば推察できますが、ロジャースと比べ若干ツイーター部分の造りが変わった様です。(写真はお借りしました)



Falcon Acoustics の LS3/5a は1960年代に KEF 社で世界的に有名な KEF B110 と KEF T27 のドライブユニットをデザインした創業者のマルコム・ジョーンズ/Malcom Jones によって、50年以上の時を超えて、ほぼ忠実に再現された形で現代に甦りました。

イギリスの BBC で採用されたオリジナルの LS3/5a  と象徴的な LS3/5a には、これらのドライブユニットが搭載されています。これは、オリジナルクラシック BBC デザインの15 オーム LS3/5a を心臓として使用されて、Falcon Acousticsの LS3/5a として再びオリジナルの仕様が復元されました。
その音質の良さはオリジナルを超えていると言っても過言ではありません。とのアナウンスがある。
(写真はお借りしました)



このFalcon Acoustics の LS3/5a は現在販売するシルバーパッチと輸入していないゴールドパッチがあるそうです。ゴールドパッチ(裏面のシールが銀色、金色になっているそうです)はネットワーク部分が強化されているそうですが詳しくわ不明です。
イギリスの BBC で採用されたオリジナルの LS3/5a  と象徴的な LS3/5a には、これらのドライブユニットが搭載されています。これは、オリジナルクラシック BBC デザインの15 オーム LS3/5a を心臓として使用されて、Falcon Acousticsの LS3/5a として再びオリジナルの仕様が復元されました。

今回、Falcon Acoustics社から発表されたレプリカのLS3/5aは、外観・仕様共にかつてないほど忠実に再現されており、その音質の良さはオリジナルを超えていると言っても過言ではありません。とのアナウンスされる。
機会が有りましたら我が家のLS3/5aの音と比べてみたいと思います。ブラボー!

スピーカー端子の交換、アンプの変換が簡単になり、プッシュプルプルアンプでジャズを試聴する、此れが実にスリリングサウンドに変化した。

2022年09月09日 | JAZZ・ボサノヴァ

エリザベス女王は人生の全てを国民に捧げた。96歳でした。1952年の即位以来、70年間にわたってイギリスとイギリス連邦諸国の君主を務めた。
第二次世界大戦からEU離脱に至るまで、イギリスの現代史を象徴する波乱に満ちた96年の生涯だった。ご冥福をお祈りいたします。

朝起きるとニュースにて英国女王の不幸の放映されている、凄く驚いた。日本の政治はまるで三流国以下で統一教会問題で荒れ続けている、誰かの言葉を思い出す「恥を知りなさい恥を・・・の」国民に選ばれた政治家として一刻も早い結末は着けていただきたい。此のように思えばもはや自民党は過去の長物かもしれぬ、それだけ真っ当な野党が期待されるが、野党も5流以下で、箸にも棒にも使えない有様の事である。
また日本人としてもこの日本の現状には大変お恥ずかしい話の内容である。大英帝国より歴史ある皇族世代が続く我が祖国としては恥部の話題でもある。未だ米国から独立も出来ず、未だ先の敗戦の痛手を被っている、一刻も早い真の独立を始める事が憲法改正も含め日本人らしい独立国家に成りたいものです。
一体日本人はどこに向かうのであろうか?考えてみましょう。

昨夜は夜中の仕事であった、遅く帰るともモジャ君が迎えてきれる、一般的にMシュナウザーは運動量の多めの犬種で勿論早朝の散歩は必至であるが流石、今朝は早くには起きることは出来なく7時30分起床し朝の散歩である、この処雨は免れているが、散歩するには良い季節になってきた。
この時間も散歩する人は見かけます。お散歩から帰り一緒にシャワータイムである、熱めのシャワーから冷水で終わる。スキットした気分である、前飼っていたミニチュワダックスは散歩嫌いで今回のモジャ君との散歩は実に多い。前日が遅くなると翌日は大変ですね、後期高齢者直近の老人には厳しい!でも健康には程よい運動と思っている。



そう言えば昔から憧れた、英国の音、せめてユニットだけでもと思ったが、当時タンノイの事に付いては神の如く研究された五味先生の言葉の影響は大きく・・・、当時五味先生曰く、価格は高くてもオリジナルの箱付きを求めなさい、ユニットだけではタンノイ本来の音は聴こえませんと言う言葉を信じ、長らくIIILZのオリジナルを使用したが、どうやらその言葉の意味は特にオートグラフに付いて言える言葉で、当時は米タンノイのようなコーネッタの様な10吋ユニットの据え置き型の箱は無かったのである。
でも五味先生のオーディオ訪問記の中にIIILZのオリジナルにLUXの38Fを使い針はエンパイヤで試聴してやはりオリジナルの箱のIIILZを絶賛されたおられた。確かに弦楽四重奏曲、ピアノ・ソロ等の演奏は実に上手い事鳴るが、オケ、オペラ、パイプオルガン等に付いては全く頂けないのなが現状です。

その様なことから、今やっとはその言葉の呪縛から逃れ、現在使用する箱に縁があり箱を交換したが、可也の重低音の音に満足した、GOODMANS AXIOM 80の箱に替えて試聴しています。多分米タンノイのコーネッタ等の箱で鳴らせば随分本来の限りない低域帯が満喫できる様ですが、そうなると部屋の増築まで考える様になり筆者の経済状態では無理と分かっている、良いオーディオ装置を導入しても部屋の問題は大きい様である。

その後ユニットもHPD295からMonitor Goldに交換した、現在に至るタンノイのユニットは古い物ほど価値があると言われていますが見事に実証した。涼やかな高音の音色は他のユニットでは味わえない正にタンノイの音なのです。
これは筆者自慢のお宝である。タンノイの接続する接点不良の為か音質が安定しない、前々からスピーカー端子はバナナプラグ用の物えの交換の必要があると思ってはいたが、今回重い腰を上げてみた。



余談ではあるが最近筆者使用AXIOM 80の箱の話題が目に付く、この箱を使用して3年程になるが、この箱の一番の肝はGOODMANSのスピーカーユニットと組合わせて使用するアコースティック・レジスタンス・ユニットの効果が大きいのであろうと思う。この装置は4種類の中よりGOODMANS規定ではA.R.U.180:AXIOM 80x1(A.R.U.180:幅305x高さ178mm)と使用方法が明記されている。タンノイユニットの独特の、ややもすればヒステリックな音質を中和させるA.R.U.付属するAXIOM 80の箱は凄いと思う。ブスレフタイプとも違い当時は最大の発明とも言われた。其程重要な役目をA.R.U.は担っているのである。

この重いAXIOM 80の箱の移動はしたくない、筆者の自宅の部屋は狭く据え置き型の付近は足の踏み場もないほどである、でも補修することが最善である。
取り敢えずネットにて「バナナプラグ スピーカー端子 自由溶接端子 バインディングポスト銅端子 スピーカーターミナル フリー溶接銅端子 4mmスピーカー接続 赤 黒 真鍮 錆防止 自由溶接 導電性 バナナプラグ用」を2セット注文する、翌日配達された、見た目よりずっしり重い品物で銅端子が良いと思い購入した、頭頂はネジの先端に付属する接続ネジが便利であ理、価格もそれなりに高かった。

現在使用するIIILZは少しずつではあるが、気づけば少しずつの改良を試みているが、徐々に使いやすくなってきた様である。一番の心配は接続部分の金属疲労であろう、ユニットを棚ぐケーブルも劣化次第では接続部分のの改良をしなければならないのであろう・・・。ケーブル端子は重量のあるものを選んだ。



現在HPD295のネットワークを使用するが、オリジナルのIIILZ Monitor Goldの対のネットワークを補修し端子部分の改良を施す、細かくはユニットに繋げながら調整する。

まず第一にオリジナルの端子はケーブルは裸状態での接続が不満でした、それと以前から可変ボタンも調子悪く、55-6を塗布し何度も回すと多分古い表面の汚れが落ち同調してきた、端子の表面が掲示変化により接触不良の状態になっていたのであろう。
両方とも同じ方法で調整し、端子の半田部分を切除するそして取り外しした穴に9ミリのを開け購入した新規の端子 を接続する。ネジの直径は8ミリですがガイドが9ミリあり締め付けるとしっかり密着した。この手の工具は意外と数多くなる、DIYの普及により簡単に購入でき便利な時代になったものである。



この後が大変である、狭い据え置き型のエンクロージャーの裏面から接続部分のネジ部を外し、勿論補修したIIILZ Monitor Goldを新規のネットワークに接続する、音を確認しながら取り付ける。当時の英国製のネジは圧倒的に吋ネジが多く、日本でも昭和40年頃までは吋とミリネジを併用して使用していたと記憶する。ネジ頭も昔はマイナスネジしかなく特にネジの使用は細い針金でネジ頭を固定しブレ止めとした手法が基本的な使用方法で、特に戦闘機零戦はその様な加工が重要だと聞く。靖国神社の展示される零戦も見学すれば手法が体得出来る。

特に古い英国製は此の様な事も多く誤って紛失した場合は雄ネジ雌ネジ双方の交換が良い、インチのミリは若干違うので注意が必要である。未だスピカーサイズは吋表示が今だ吋が多い様です。
ユニット取り付け前に吸音材の調整する、そして組み立て完了する。
勿論全てのスピカーケーブルもバナナプラグ用に交換しワンタッチでの交換ができる様になる、これは実に便利です。



アンプは今までタンノイには余り使用しなかった、LUXKIT A3500を使うことにする、バナナプラグでの交換は実に簡単である。使用して解ったがLS3/5Aで聴くよりアンプの差が分かるのは不思議な現象である、LUX独特のLUXTONEを久々に味わえた事は嬉しいものです。

早速試聴する。筆者好みのサックス奏者Scott Hamiltonが好きで「Live at Jamboree - Barcelona」を聴きながら調整します。ジャズ系統には相性の良いアンプの様です。



アンドレア・モティス & ジョアン・チャモロの2013年にバルセロナのジャズ・クラブで行われたライブ盤。ボーカル/トランペットのアンドレア・モティスはまだまだティーンエイジャーですが、ライブを重ねることでヴォーカルに磨きがかかり洗練された印象を受けます。

ゲストにスペインのピアニスト、イグナシ・テラーザと、テナーサックス奏者、スコット・ハミルトンを迎えた6人編制でスタンダード・ナンバーを和やかな雰囲気のなか披露しています。



以前GOODMANS AXIOM 80専用の箱の吸音材を以前取替えたが随分低音がしまた感じがしたが、今回気にかかる処あり若干の補正をする、この箱とタンノイ10吋ユニットはベストマッチングである様です。

今回は今まであまり繋げて聴いた事のないLUXKIT A3500に繋げIIILZ Monitor Goldユニットの音出しである、思った様にEL34(6CA7x4)使用するダブルプッシュ方式は流石粘りのあるジャズ音楽はお得意である様に聴こえる。但しジムラン、アルテックの様な米国特有のスカッとしたカラット乾いた音とは違うが、ジャズは勿論クラシックも響きが良い欧州独特の音は大変心地良い、調整済のネットワークも反応する、幾らか高域を若干絞り気味にすると宜しい様である。



1950〜60年代のデューク・エリントン & ジョン・コルトレーンを試聴このアルバムの録音は62年の9月26日である。久しぶりにLUXのアンプでタンノイを聴く、何故かもの悲しい何と正にLUXトーンが顔を出す、これがLUXのトランスの音なんですかね・・・。300Bシングルでは体感出来ない音なのですね、このアルバムは信じられないことに、この日に録音した曲はすべて1回しか演奏されず、録音した音源はすべて採用された。此のあたりは、まるでエリントンワールドらしい即興のマジックです。

従って、収録されているのはすべてファースト・テイクだ(曲順は異なる)。
コルトレーンはホッジスの影響について。コルトレーンは、その音楽的キャリアの最初期ではアルト・サックスを吹いていた。マイルス・バンドに加入する前には、短期間ではあるがホッジス・バンドにいたこともある。筆者は此のアルバムはコルトレーンの名盤と挙げられると思ってますが・・・

Duke Ellington & John Coltrane(1962, 9/26)
デューク・エリントン&ジョン・コルトレーン

 1.イン・ア・センチメンタル・ムード
 2.テイク・ザ・コルトレーン
 3.ビッグ・ニック
 4.スティーヴィー
 5.マイ・リトル・ブラウン・ブック
 6.アンジェリカ
 7.ザ・フィーリング・オブ・ジャズ

当時筆者が夢中になったジャズ音楽の名作でもあり世代を超えた二人のジャズ・ジャイアンツによる、一期一会のセッション。正に嗜好の34分間の楽しみかもしれない。
筆者がこのアルバムで好きなのはDuke Ellington & John Coltrane - Angelicaの太鼓の音が実に印象的な音が記憶に残る。タンノイIIILZ Monitor GoldにLUXKIT A3500が喝を入れる様にも思える太鼓の音は聴きごたえがある。
LUXアンプを変えジャズを聴くと実に力強くリアルっぽい感じになるのは不思議な感じでもあり今後の楽しみが増えた様でもある。この様な立体的な音は意外と真空管の良さが音に出る様に感じる如くである。



上記写真はGOODMANS AXIOM 80専用の箱にスピーカー端子の交換のボックスを取り付けたものである。右左とも勿論同じ向きに取り付けた。

バナナプラグ用の金属部分は無水アルコールで汚れ等を落とし接点回復剤を塗布し実に簡単に差し込み可能です、もっと早い改良が便利でしたが、以前の押し込み方式のタイプは一度セットすると面倒で二の足を踏んでしまう様である。



「TWIN PERFECT COLLECTION」
おおたかのさんの歌には、ほっとさせてくれる響きがある。癒し系のヴォーカルとは思わないが、ジャンルを超えた独特の歌唱とバックのサウンドから突き抜けてくるのは、しなやかでしたたかな歌声だ。誰にも媚びない力強さ。それにほっとするのかもしれない。
"おおたか WORLD"がぎっしりつまった皆さんお馴染みのよく知っている2枚組である。どれを聴いても独特のおおたかのさんの歌になっている事は見事です。
 Disc01
  01. マンジュシャゲ
  02. ブンガワン・ソロ
  03. 林檎の木の下で
  04. アカシアの雨がやむとき
  05. 夜来香
  06. 悲しくてやりきれない
  07. じんじろげ
  08. ゴンドラの唄
  09. ウスクダラ
  10. 花 (すべての人の心に花を)
  11. 流れのままに
  12. 春は萌え
  13. 地球はメリーゴーランド
  14. 誘い
  15. Return
 Disc02
  01. 冬の花火
  02. おもいとげねば
  03. 風の中に
  04. JOURNEY
  05. 花の街
  06. The Voice Is Coming
  07. 水源 -where to begin-
  08. みんな夢の中
  09. 月がとっても青いから
  10. 夏の日の想い出
  11. 蘇州夜曲
  12. 安里屋ユンタ
  13. 戦争は知らない
  14. あんまりあんたがすきなので
  15. 何日君再来
  16. 風に抱かれて -Rainbow’s High-



森山加代子 :  じんじろげ:を歌っているが筆者はおおたかさんが断然上手い、直しを終えたタンノイIIILZ Monitor GoldにWOGOODMANS AXIOM 80の箱に入れた据え置き型で聴く、このシステムで聴くヴォーガルは実に心地よい、無事バナナプラグ スピーカー端子に交換は実に利便性豊かであり、実に簡単に接続できた。
NHK・Eテレ「にほんごであそぼ」への出演や喜納昌吉さんの「花」のカバーで知られた、歌手のおおたか静流(おおたか・しずる、本名小西静子〈こにし・しずこ〉)さんが5日、がんのため死去した。69歳だったそうである。
絵画や朗読など、ジャンルを超えた活動を続け、ワークショップ「声のお絵描き」の主宰を務めた。7歳からクラシックの声楽家に師事して歌を学び「七色の声」と言われた多彩な表現力で数々のCMソングを手がけたほか、ジャズや民族音楽など幅広いジャンルで活動しました。安らかにお休みください・・・。

また一人歌の上手い、うたい手が姿を消した。時代は変わっているのです。
文章中の横文字の下にアンダーラインが入っている所をクリックして頂けたらYouTubeがご覧でします、楽しんで頂ければ幸いです。