伝統ある英国の10吋ユニットで、いい音で音楽を聴きたい・・・・・

音楽好きの、古いオーディオ機器10吋TANNOYを改良そて聴くダメオヤジの金ちゃんです。

今週は、LS3/5Aばかり鳴らして、メインシステムはお休みであり。ワンダ・ランドフスカのJ.S.バッハ平均律の考察。

2021年09月24日 | バロック音楽・オーディオ一般

最近は改良したLS3/5A鳴らしたのだけど、、、音は、やっぱりとても良くなったのですが、こちらの音楽聴く年季が長くなったこともあってか、演奏そのものは、ちょっと退屈に感じられた様である・・・でも、ピアノの音は、凄く良くなった様に感じる。欧州の音とでも言える一口に言えば、少し渋めなそれでいて透明度は強く陰影も豊かに感じさせる音質が特徴に思える。

世間でいう英国の音とは、BBCモニター系列のスピーカーを言っているようだが、BBCは英国放送協会《British Broadcasting Corporation》の頭文字をとったもの。1973年に民間放送が許可されるまで英国では唯一の放送局(長波・中波・短波・FM・TV)であり、受信料で運営される一種の国営企業だった。
BBCモニター系スピーカーのなかでもロジャース/スペンドール/KEF/ハーベス等々のメーカーが作った小型のLS3/5Aの人気が特に高い。
中でも特に初代のロジャーのLS3/5Aの人気は高くプレミアム価格で取引されている様である。

でもエンクロージャーの据え付けはかなり微妙な条件があり、音質に付いては変化する、とにかくポン置きは良い結果は出ない様に思われる。筆者の場合はWellFloat(ウェルフロート)BW001 TYPE A4を使っているがとても効果的である。サイズも各種あり汎用性も高く一度確かめると手放せなくなる様です。



LS3/5Aについて改めて詳細を見てみましょう。ここでは一番人気のあるROGERS「LS3/5A」1980年頃発売され40年の月日が過ぎ、現在では昔の音に聴こえるかもしれないが・・・。KEF社のユニット供給が終わり1999年末に生産が完了したが、その後もロジャース社やスターリング・ブロードキャスト社はBBCのライセンスをとって復刻モデルを製造・販売している。

LS3/5Aのプロトタイプが出来たのが1972年、一般に発売開始されたのは1975年だからなんと40年間ほぼ現役ということになる。お化けのようなスピーカーだ。これまで10万セットが製造され、その内ロジャースだけで4万セット製造している。音質は各社微妙に若干の差があるようでで、其のあたりが人気の秘密があるようで、基本はKEFで製作のユニットを使っているようです。

此の様なコメント案内を信じ、2年前デットストック品を購入し筆者所有のLS3/5Aの改良を続けきたが、此処でやっと致命的欠陥部分を見つけて改良し、狙い通りの音質に改良され現在は略満足しています。

詳しく生産メーカーは年代ごとに違い、非常に複雑だがBBCライセンスでLS3/5を生産したメーカーは以下の通りである。
 ロジャース - Rogers Loudspeakers Ltd.
 チャートウェル - Chartwell Electro Acoustics
 オーディオマスター - Audiomaster
 ラム - RAM Loudspeakers
 グッドマンズ - Goodmans Industries Ltd.
 スペンドール - Spendor Loudspeakers
 ハーベス - Harbeth Audio Ltd.
 ケーイーエフ - KEF
(1999年まで 「Unofficial LS3/5A Support Site」調べ)
最近の2社の復刻版は除くが、全て同じユニット、全て同じ仕様で作られている。全く化物(バケモノ)的なスピーカーである。
<主な仕様>ユニットは共通
・ウーファー :KEF/B110 SP1003 10cm  べクストレン振動板
・ツィーター:KEF/T27 SP1032    2.5cm ソフトドーム型
・クロスオーヴァー周波数:3KHz
・インピーダンス:15オーム(初期型) 11オーム(1987年以降)
・寸法:188 (W)×304 (H) ×185 (D)
当初は出荷時の製品チェックが厳重でメーカーや生産時期が違ってもステレオ・ペアーが組めるほどだったという。



LS3/5Aは商品のモデル名ではない。単なるBBCの機材の規格名称だ。頭に付く"LS"はLoudspeakerを意味する記号。次の"3"はスタジオ外放送・屋外中継用を表す番号。ちなみに"LS5"はスタジオ用。スラッシュのあとの番号は開発番号。スタジオ外放送用途で5番目に開発されたことを表す。最後の"A"は開発後に一回の変更があった表示。最初に局内配布用でプロトタイプと同じLS3/5が20台つくられ、その後ユニットに変更があり、最終型番がLS3/5Aとなっている。

1960年代後期から、英国放送協会(BBC)は、スタジオ外からの放送のための小型のモニタースピーカーを求めていた。それまでのモニタースピーカーは中継車や、会場の一室などに設置するには大きすぎた。市販の民生機では条件にマッチするモデルはなかった。そこでBBCは自ら開発することを決めた。開発にあったったのはBBCの技術研究所(BBC Designs Department)。

プロトタイプの開発にはTVの中継車での使用を想定しての設計が行われた。開発にあったっては、多少低音の再生能力に限界があっても、再生音量が制約されても、小型化が優先された。放送スタジオ用のものと違った開発ポリシーが用いられた。60年代米国を席巻していた小型スピーカーのアコースティックリサーチ社のAR-3やKLHのことは参考にしただろうが、BBCはユニットの開発を含め、全く新たに設計に取り組んだ。

【英国におけるステレオの普及とFMステレオについて】
ステレオが一般家庭に普及するのは1970年代に入ってから。一部の好事家を除いて一般家庭ではモノラルの電蓄で音楽を楽しむのが普通。ステレオ盤が広く出まわるのは1970年代半ば。それまでモノラル盤が主流だった。事情は他のヨーロッパ諸国でもあまり変わらない。ステレオ化は米国や日本より10年近く遅れている。基本的には英国って昔から閉鎖的なんですね!
以前に紹介したビートルズの「Hey Jude」は英国においてはビートルズの活動中にはリリースされなかった。(米国・日本除く)。CDでステレオ版が収録されたのは1988年3月発売のアルバム『パスト・マスターズ Vol.2』である。

ビートルズの活動中には正規なのは全てモノラル盤。ステレオ・ミックスはプロデューサーのジョージ・マーティンがエンジニアとこしらえて米国のキャピトル・レコードに送っていた。メンバーはこのミックスをほとんど聴いていなかったというのは有名な話。
ステレオ録音にビートルズが本格的に興味を持ち始めたのは、8トラックのマルチレコーダーが導入された「Hey Jude」以降だという。
1973年10月、英国では法律改正によりロンドンにはじめての民放局が登場した。LBCとCapital Radioである。翌年には全国で15の民放が中波とFMで放送を始める。FMのステレオ化は搬送波の技術的問題もあり1980年代に入ってからと大幅に遅れた。若者達にとってはウオークマンでのイヤフォーンリスニングの時代と重なることになった。



LS3/5Aの開発には当時のお金で10万ポンド(現在の金額で1億円〜1億5千万円)という巨額の費用が投じられた。金に関係なく最高のものを揃えるのが国営企業のやり方と言えばそれまでだが、スタジオ用のものなら当時アルテック604EやタンノイのMonitor Goldなどの優れたユニットがあり、高品位システムを揃えることが可能であった。これに対して小型の優れた特性のスピーカー・ユニットを収めたシステムはほとんど白紙からスタートだった。近い将来のFMステレオのプログラムに対応させるため、ステレオのペアーが条件。

狭い放送ブースの調整卓の前面に、ステレオ・イメージを仮想的に配置する方法についてもBBC技研は実験を重ねた。 サウンド・ステージという疑似音響は、その後のニアフィールド・リスニングの基本になっていった。この様は背景を考察すると、LS3/5Aでオーケストラの再生音はミニオーケストラが小さなステージに浮かぶように聴こえる。



BBCモニタースピーカーは専用アンプ内臓のROGERS LS5/8(AM8/16)が有名で専用アンプはQUAD 405に該当するものが挿入されて、LS3/5AもQUADアンプでのドライブが一番のマッチングかもしれない。プリのQUAD 44パワーのQUAD 405-2の組み合わせはお洒落であるが音質は昔の製品で音質は期待は出来ないが、個人的には見た目にQUAD 33・QUAD 303の組み合わせがさり気なく設置されている風景は、お洒落で、デザイン感は実に好みでもある。

現在筆者は1972年頃発売された古い真空管アンプLUXKIT A3500を出来る限りメンテして駆動している、随分球転がしの結果勿論松下製真空管6CA7と日立製の6AQ8も落ち着いています。真空管トレースの優れた違いは、音の厚みと奥深さが現れる違いであろう。LS3/5aの音は昔を懐かしむだけの古臭いものではないです。しかし永くきくとどこかつまらないのです。
ここに至って「普通の音」が持ち味なんだと思います。だから半世紀近く前の設計のまま今も存在している孤高のスピーカーなんでしょう。そこで敢えて真空管アンプに変えて聴いています。



ジャズ向き・クラシック向きのと言われるオーディオ機器、オーディオシステムが存在するという話は昔から良く聞く話だ。勿論筆者もジャズもクラシックを好きではあるが、歳と共にジャズの分野が変わってきた、スイングジャズ傾向が強い、どちらかと言えばピアノ・トリオのようなオーソドックスの感じを聴く事が多くなっている、勿論たまには金管楽器も聴きたくはなるが頻度は少ない、実際問題として、ジャズもクラシックもどちらも素晴らしく鳴ってることが前提で一番ではあるがそれは無理難題のようである、
オーディオの機材を思えば最近益々回顧的になっていく様に思う、やがてこの趣味は最後には閉鎖するのであろう。最近はイヤホン、ヘットホンで代用しているのですが筆者には耳の部分がヘットホンで占領された思いもあり購入以降使用はしていない。またオーディオ機材も益々高額が当たり前の世界で、新築一戸建と比べ同等、いやそれ以上のプライスが掲げられ、それで音が悪ければ詐欺行為にも感じる。益々一般にはオーディオ離れする様である。

確かに常用するユニットによっても聴く音楽ジャンルの傾向は明確に影響は強い様に伺える。贅沢を言えばアメリカ製の西海岸のユニットを加えたくもなる。



ワンダ・ランドフスカ(Wanda Landowska)
それと個人的に好きで良く聴く演奏者にワンダ・ランドフスカは比較的よく聴くが、古い演奏と録音状態も決して良くありません。ピアノの普及により埋もれてしまっていたチェンバロを現代に復興させた立役者。20世紀初頭、バッハの作品は少ないながらも演奏会で取り上げられてはいましたが、チェンバロ作品についてはほぼモダン・ピアノ演奏の一択という状況でした。

チェンバロ奏者、音楽教師、作家として活躍。ワルシャワ生まれ。4歳からピアノを始める。ワルシャワ音楽院でヤン・kレクジンスキ(Jan Kleczynski)、アレクサンダー・ミカロウスキ(Aleksander Michalowski)に師事。ベルリンでハインリヒ・ウルバン (Heinrich Urban) に作曲と対位法、パリでモーリツ・モシュコフスキにピアノを師事。



ピアノよりもチェンバロに注力することを決意し、1908年から1909年にロシアでプレイエル・チェンバロによるコンサートツアーを行った。1912年から1919年の間、ベルリン芸術大学でチェンバロを教えた。1923年にアメリカでデビュー。1933年にバッハのゴルトベルク変奏曲をチェンバロで初めて録音した。1938年にフランス市民権を取得。1949年にアメリカのコネチカット州レイクビルに住んだ。1954年に演奏活動を引退した。バッハ、クープラン、モーの作品を中心に音楽学にも精力的に取り組んだことで知られる。ショパン、スカラッティ、モーツァルトの作品の録音も行っている。



ワンダ・ランドフスカ / バッハ:平均律クラヴィーア曲集第1巻(2CD)
マーク・オバート=ソーン復刻。散発的にRCA Victorへ録音を行い全曲盤になったものですが、この復刻では状態のいいSP盤をソースに使ってピッチ修正などを行い、録音日のばらつきを感じさせないような仕上がりにしているのがポイント。ランドフスカ晩年の演奏が蘇る2枚組です。


 J.S.バッハ(1685-1750):平均律クラヴィーア曲集第1巻 BWV.846〜869(全曲)
 J.S.バッハ(1685-1750):平均律クラヴィーア曲集第2巻 BWV.870~893(全曲)
 ワンダ・ランドフスカ(チェンバロ)



バロック時代の鍵盤音楽を現代に知らしめた今世紀最大のチェンバロ奏者、ランドフスカによる戦前の録音。
古楽関係者からは時代の遺物のように嫌われているモダン・チェンバロだが、彼女が居なければ現在の古楽復興すら叶わなかったかもしれない。ランドフスカの魔術の如き華麗な指さばきは演奏家として超一流。高音質クリームレーベル!チェンバロ音楽の開拓者であり、ランドフスカにより一つの完成を見たこれら音楽に触れておくことは決して無駄ではい。

確かにランドフスカ(チェンバロ)の音質は古い音がする、音質もどちらかと言うと重い音がするチェンバロはピアノと違い二段鍵盤を弾くことでフォルテの音を出している。上段での音質はチェンバロらしい涼やかな音はするが、下段での弾く音がよろしくない様に思う。演奏は一級品だが音質はイマイチです。しかし平均律クラヴィーア曲集を聴くにはランドフスカの演奏が一番の基本に思える。
 以前ケーテン時代に仕上げた平均律クラヴィーア曲集第1巻 念頭にあったと思うんだけど、1723年にバッハは、ライプツィヒのトーマス教会のカントルに就任し、最後の27年間をそこで過ごした。バッハはその職務の性格上しばらくの間宗教音楽の作曲に集中するが、それが一段落ち着きた1735年頃から再びチェンバロ曲に向かい始めた成果がこの曲集平均律クラヴィーア曲集第2巻 と言われている。



またバッハはこの曲の終わりに「音楽を志す若人の勉学のために、またすでにその道の達人のために、J.S.バッハにより起草され、完成さる−1722年」と締めくくりされる。ブラボー!

ショパン:練習曲集作品の演奏をエディット・ピヒト=アクセンフェルトで考察。

2021年09月20日 | 真空管アンプ・オーディオ

上記の写真はフレデリック・フランソワ・ショパンをCGで再現した作品と言われている。確かにイラストで見る様な目鼻立ち整った人物像が想像される。

フレデリック・フランソワ・ショパン(Frédéric François Chopin)は,優れたピアノの演奏家であると同時に作曲家であり,多くのピアノ曲を残してピアノによる音楽を大きく発展させたと言われる。皆さんがよく知ったピアノ曲は多くバイエル等を習得した後にショパンの演奏を演奏したい希望者は多いと聞いた事があるが此れが実に奥が深く数年後にそれは誤った選曲と気が付きバッハの前奏曲に戻りレッスンを再開した等と聞いた事がある。一見聴くには簡単に聴こえるがいざ演奏すると大変奥が深い音楽がショパンの音楽の様に思う。

ショパンは自由な作風や感情の表現を特徴とするロマン主義の音楽家として知られる。彼は,ピアノ曲を通じて豊かかつ繊細な感情を表現することを実現した。また,祖国の伝統的な音楽を取り入れることで,ポロネーズやマズルカなどのポーランドの民族音楽にもとづく音楽形式を発達させている。

フレデリック・ショパン作曲の練習曲は、ピアノのための練習曲の中で最も有名なものの一つであり、全部で27曲存在する。練習曲ではあるが、音楽的にも完成された作品であり、演奏会でも取り上げられることが多い。愛称がついている作品も多いが、愛称はどれもショパン自身によるものではない。

バッハ《平均律クラヴィーア曲集》、すなわち24の調によるプレリュードとフーガである。もちろんこうした曲集の編み方自体はバッハの発明ではないが、音楽のあらゆる技法や形式の見本として、学習者のための規範として《平均律》こそが金字塔を打ち立てた。19世紀に入るとこうした組み合わせが時代に合わなくなり、それぞれ別の曲集として作られるようになった。ショパンもまた、《練習曲集》Op. 10, 25のほかに《24の前奏曲集》Op. 28を出版している。
全部で27曲存在する。練習曲ではあるが、音楽的にも完成された作品であり、演奏会でも取り上げられることが多い。



上記のピアノはショパンが愛用されたピアノと言われる写真です。

もうひとつの起源とは、もちろん、19世紀前半にさかんに書かれたピアノ教則本としての練習曲集である。これらは、楽曲形式や演奏技法の包括的範例であるとともに、実践的な訓練のためのプログラムだった。ショパンは特に、クレメンティ、モシェレスのものを参考としたが、先達の練習曲集にはない「独自の方法で」みずからの練習曲を書いた。



すなわち各曲には、高度な練習曲は高度な音楽であるはずだ、というショパンの信念が反映されている。これが単なる学習課題の範疇を超えてこんにち広く愛されているのは、美しい旋律と和声が織り成す抒情性、まさに高度な音楽であるが故だろう。ただし、これらが実際に彼自身のための練習課題であったことは間違いない。つまり、リストがのちに行なったような、「練習曲」の語をひとつのジャンル名として捉え、当初から演奏会の曲目として、つまり技巧を聴衆に披露する手段としての楽曲をショパンは構想していない。そしてこれが、現代でもピアノ教育の最終段階における課題として学習者に必ず課せられるのは、24曲を通じて、技巧だけでなくショパンの音楽性の真髄をあますことなく学びとれるからである。



前置きはそのくらいにして本題に入りましょう。先日破損したLS3/5aの補修工事を終了し最近サブのLS3/5aで聴くことが多い、据え置き型と比べトリオ以下の演奏は楽器そのものの音がダイレクトに伝わりリアルに感じる、その辺りは流石ポータブルモニタースピーカーシステムと言われる所以であろう。特に高域にその傾向が強く現れるようである。

但し弱点もあり小型、密閉であるため能率が低い。一般的な家庭環境(米国のような大きな部屋やお屋敷を除く)であれば、小出力真空管アンプと組み合わせても不満を聴く声はことのほか少ないようだ。



駆動アンプは1972年頃発売した出力管には松下製の6CA7に使ったLUXKIT A3500でドライブしていますが、相性は良いと思います。

オーケストラの再現性には定評がある。ただし、前述のように広くはないスペースで使われることが多いためか、「ミニチュアのオーケストラが出現する」というのは、このスピーカーのユーザーからしばしば発せられる表現だ。筆者の場合は小編成の音楽中心に聴くことが多い。

これは個人的な意見ではあるが、特に古い録音ソフトには実力を発揮するようです。LS3/5aのターミナルプラグが破損し修復しセットで直したが音質は見違えるように向上したというより本来の音に戻ったのであろう。
以前吸音材の中に鉛の錘を入れて音質向上を図ったがターミナルプラグの欠陥が従来の音がでなかったのであろう。



今日台所の戸棚の中から上記は湯呑みのを見つけとても気に入り「珈琲碗」として使い出した、何の風変わりもしない器である。

10年以上前に人形町に事務所があったころ、毎年陶器市が催され、江戸切子を購入していたが、何故かこの二個のお揃いの湯呑が気に入り購入した湯呑である。何気ない渋さを感じる茶碗だが何故か淹れたての珈琲椀として扱ってみたが一段と珈琲が美味く感じた。


1914年1月1日、フライブルク生まれの鍵盤楽器奏者。2001年4月19日、フライブルクの自宅で心不全のため他界。バーゼルでルドルフ・ゼルキンにピアノを、ヴォルフガング・アウラーとアルベルト・シュバイツァーにオルガンを学ぶ。35年、ベルリンでデビューし、37年にワルシャワ国際ショパン・コンクールでショパン賞を受賞する。47年からはフライブルク国立音楽大学で、ピアノと初期鍵盤音楽の教授として後進の育成に力を注ぐ。世界的なチェンバロ奏者として活躍していたが、モダン・ピアノの名手でもあり、シューベルトやショパンの名演も残している。我が国にも十数回に渡って来日し、草津夏期国際音楽アカデミー&フェスティヴァルなどで、日本の演奏家の指導にも重要な役割を担っていた。

バッハの大家アクセンフェルトが残した唯一のショパン録音。バッハ演奏の大家として知られたドイツのチェンバロ・ピアノ奏者、エディット・ピヒト=アクセンフェルト(1914-2001)。カラヤンの1960年代のバッハやヘンデル作品の録音に通奏低音で参加し、1970年代後半から80年代にかけて成し遂げられたバッハの主要鍵盤独奏曲の録音は録音史に残る金字塔として知られるが、バッハ以外の作品の録音は驚くほど少ない。2001年以降最晩年の草津音楽祭でのブラームスやシューベルトのライヴが発掘され絶賛を巻き起こしているが、1975年に録音されたこのショパンの練習曲全曲は、ピヒト=アクセンフェルトにとって唯一のショパン録音となったもので、遅めのテンポから一つ一つの音にショパンが託さした輝きが目に見えるように再現された個性的な名演。



以前から彼女のバッハは良く聴き演奏も安定して、実に堅牢な演奏は好みである。
エディット・ピヒト=アクセンフェルトさんの演奏は決して派手さはないものの、音楽に込められた作曲家と演奏者の思いが結実したような芸術作品に仕上がっています。まさにそれは、祈りであり、あらゆるものに対する慈しみの音楽であると思います。このような演奏家がこの世にいたことを、我々は誇りに思いたいと思わざるを得ません。


ショパン
 1.12の練習曲集作品10
 2.12の練習曲集作品25
エディット・ピヒト=アクセンフェルト(ピアノ)
[録音]1975年10月11日&12日、東京、石橋メモリアル・ホール
[オリジナル・プロデューサー]井阪紘
[オリジナル・レコーディング・エンジニア]大野正樹

 1.練習曲集 Op.10 / 第1番 ハ長調
 2.練習曲集 Op.10 / 第2番 イ短調
 3.練習曲集 Op.10 / 第3番 ホ長調 「別れの曲」
 4.練習曲集 Op.10 / 第4番 嬰ハ短調
 5.練習曲集 Op.10 / 第5番 変ト長調 「黒鍵」
 6.練習曲集 Op.10 / 第6番 変ホ短調
 7.練習曲集 Op.10 / 第7番 ハ長調
 8.練習曲集 Op.10 / 第8番 ヘ長調
 9.練習曲集 Op.10 / 第9番 ヘ短調
 10.練習曲集 Op.10 / 第10番 変イ長調
 11.練習曲集 Op.10 / 第11番 変ホ長調
 12.練習曲集 Op.10 / 第12番 ハ短調 「革命」
 13.12の練習曲集 Op.25 / 第1番 変イ長調 「牧童」
 14.12の練習曲集 Op.25 / 第2番 ヘ短調
 15.12の練習曲集 Op.25 / 第3番 ヘ長調
 16.12の練習曲集 Op.25 / 第4番 イ短調
 17.12の練習曲集 Op.25 / 第5番 ホ短調
 18.12の練習曲集 Op.25 / 第6番 嬰ト短調
 19.12の練習曲集 Op.25 / 第7番 嬰ハ短調
 20.12の練習曲集 Op.25 / 第8番 変ニ長調
 21.12の練習曲集 Op.25 / 第9番 変ト長調 「蝶々」
 22.12の練習曲集 Op.25 / 第10番 ロ短調
 23.12の練習曲集 Op.25 / 第11番 イ短調 「木枯らし」
 24.12の練習曲集 Op.25 / 第12番 ハ短調

彼女の演奏はチェンバロ演奏が多く、ピアノ演奏は珍しい、バッハ演奏の大家として知られたドイツの大家エディット・ピヒト=アクセンフェルトが残した唯一のショパン録音。

1975年に録音されたこのショパンの練習曲全曲は、ピヒト=アクセンフェルトにとって唯一のショパン録音となったもので、遅めのテンポから一つ一つの音にショパンが託さした輝きが目に見えるように再現された個性的な名演でした。
確かにLS3/5aを駆動してピアノ演奏の解析をすることも面白いと感じた。ブラボー!

革命のシンボルになった名曲:「ヘイ・ジュード」は1968年8月にリリースされたビートルズにとって18枚目のシングル曲です。

2021年09月15日 | 日本史の考察


先日以前から気になっていたビートルズのシングル・アルバム下記ジャケットをまとめたアルバム(赤盤・青盤)をポチした。最近此のビートルズの発売する紙ジャケットの音質が中々イケル様に思う。

一般的に初期~中期は、明るくポップ、中期~後期は、内省的、実験的な内容が多くという感じで。一般的な評価は、実験的・先鋭的な作品の目立つ後期の方が高いように思います。でも「初期が劣っているのか?」と言えば、全くそんなことはないんです。そのとき、そのときで目指しているものが違うわけですから、単純に比較なんてできません。
で、ビートルズには有名な2枚のベストアルバムこれなんですね。このアルバム(赤盤・青盤)はシングル曲をまとめたシリーズです。
初期~中期の曲をまとめた、1962年~1966年通称『赤盤』
中期~後期の曲をまとめた、1967年~1970年通称『青盤』
これを聴いてもらうと、今、言ったことがわかってもらえるかな、と思います。

本日の投稿は特にオーディオ関係の記事はございませんが思うに細やかな部分まで解明できるような、A4サイズの冴えたコンパクトモニターLS3/5Aで聴く音が好きであるLS3/5Aの発売は1980年頃なので既に40年の歳月は過ぎたオールド製品です。 古き良き時代の音は、古い機器での再生が一番新鮮か?

何故英国の音楽は英国製の製品がベストか?でも今回はBeatles特集です。
「リヴァプール・サウンド」と言う言葉は、日本独自の呼称で、本国イギリスでは、「マージー・ビート」や「ブリティッシュビート」などと呼んでいます。「そもそもマージービート・リバプールサウンドってどうゆう意味?」ってところから、代表的なバンドがビートルズの思い出です。サウンドも独特の音色で当時の電器ギターの音色はどこか憂いが合った音色と記憶する。

勿論アンプには真空管を使い、懐かしい電気ギターの音が聴こえたりりして!



でもベストアルバムって買うと「ビートルズはこれで一通り抑えたかな」と思ってしまいがちなんですよね。だからベスト盤から漏れた名曲もあり要注意です!ホワイトアルバムの「アイ・ウィル」や「ジュリア」が埋もれてしまう!本当にこれはベスト盤の弊害なんですが・・・・。では青盤の曲目紹介。
Disc-1(青盤)
 1.ストロベリー・フィールズ・フォーエバー
 2.ペニー・レイン
 3.サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド
 4.ウィズ・ア・リトル・ヘルプ・フロム・マイ・フレンズ
 5.ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンズ
 6.ア・デイ・イン・ザ・ライフ
 7.愛こそはすべて(オール・ユー・ニード・イズ・ラヴ)
 8.アイ・アム・ザ・ウォルラス
 9.ハロー・グッドバイ
 10.フール・オン・ザ・ヒル
 11.マジカル・ミステリー・ツアー
 12.レディ・マドンナ
 13.ヘイ・ジュード
 14.レボリューション

Disc-2(青盤)
 1.バック・イン・ザ・U.S.S.R.
 2.ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス
 3.オブ・ラ・ディ、オブ・ラ・ダ
 4.ゲット・バック
 5.ドント・レット・ミー・ダウン
 6.ジョンとヨーコのバラード
 7.オールド・ブラウン・シュー
 8.ヒア・カムズ・ザ・サン
 9.カム・トゥゲザー
 10.サムシング
 11.オクトパス・ガーデン
 12.レット・イット・ビー
 13.アクロス・ザ・ユニバース
 14.ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード



上記意外を選ぶ場合は、こんなビートルズ、見たことない「究極のベスト、究極のビートルズ」全英/全米で1位を記録した永遠の27曲が最高の音と映像で登場『ザ・ビートルズ1』が最適かも知れない。勿論最近の録音ハイレゾで音質も良い。

2000年にリリースされ、これまでに全世界で3200万枚、日本でも320万枚のセールスを記録している大ベストセラーアルバム『ザ・ビートルズ1』の最新版が登場!今回発売される『ザ・ビートルズ1』は、CDのみならず映像作品としても発売され、音源はジョージ・マーティンの息子であるジャイルズ・マーティンが担当。アナログ・マスターから全く新しいステレオ・ミックスがほどこされています。勿論持っています。



今回特に違う意味でも、記憶に残る曲の注目は『ヘイ・ジュード』のバラード曲は1968年8月にリリースされたビートルズにとって18枚目のシングル曲です。イギリス・アメリカでNo.1ヒットとなっており、特にアメリカではビルボードチャート9週連続1位という大ヒットとなりました。7分を超える長い曲ですが、こんなにも長い曲がシングルとしてリリースされるのは異例のことでした。1970年に解散するビートルズにとって後期の代表曲のひとつであり、ロックの歴史においても重要な意味を持つ『ヘイ・ジュード』。この曲の歌詞は何について歌われているのか?深読みをする。

ビートルズ後期の代表曲であり、『Let It Be』や『Yesterday』に並ぶ、ポール・マッカトニー作の名バラードです。

歌詞は・・・・・・
 Hey Jude don't make it bad
 Take a sad song and make it better
 Remember to let you into your heart
 Then you can start to make it better

 Hey Jude don't be afraid
 You were made to go out and get her
 The minute you let you under your skin
 Then you begin to make it better
 ≪HEY JUDE 歌詞より抜粋≫

 ヘイ、ジュード 物事を悪く考えるな
 悲しい歌もやがて悲しくなくなるさ
 彼女を心のなかに受け入れてみろよ
 そうすればいい方向に進み始めるさ

 ヘイ、ジュード 怖がるなよ
 外に出て彼女をモノにするしかないんだ
 彼女を忘れられないほどになってみろよ
 そしたらよくなり始めるものさ



 And any time you feel the pain
 Hey Jude, refrain don't carry the world
 up on your shoulders
 For well you know that It's a fool
 who plays it cool
 By making his world a little colder
 ≪HEY JUDE 歌詞より抜粋≫

 辛くなったらいつだって、
 なあジュード こらえるんだ
 重荷を一人で背負い込んだりするな
 わかるだろ?
 物事を冷静に見てクールなふりをするなんて
 馬鹿なやつのすることさ

『ヘイ・ジュード』はタイトルの通り、ジュードという人に向けて歌われています。落ち込んでいるジュードに向けてポール・マッカートニーがくよくよするな、前を向いて進むんだと励ましているような曲です。

問題は励まされているのが誰なのかということです。ここでは最も一般的な説をご紹介しましょう。ポール・マッカートニー自身も語っていますが、『ヘイ・ジュード』はジョン・レノンの息子であるジュリアン・レノンに対して歌われていると言われています。当時、ジョン・レノンに何があったのでしょうか。

ジョン・レノンには1962年に結婚したシンシアという妻がいました。1963年には長男のジュリアンが生まれています。しかし、シンシアとの結婚はビートルズがあまりにも世界的スターになってしまったこともあり、公になっていませんでした。その後、ジョン・レノンは1966年にオノ・ヨーコと出会い、交際を始めます。つまりは不倫関係となったのです。ジョンとヨーコは同棲生活を始め、1968年7月にシンシアは離婚申請をします。



『ヘイ・ジュード』が制作されたのはまさにその離婚協議の頃だったのです。ジュリアンは5歳になっていましたが、まともに父親からの愛情を受けることなく、両親は離婚してしまったのです。
そんなジュリアンを不憫に思い、ポール・マッカートニーはジュリアンを励ますためにこの曲を作ったと言われています。

ジュリアンの愛称として、当初は「Hey Jules」というタイトルだったとも言われています。曲の背景を知って聞くと違う風景が浮かんでくる気がします。
ポールは幼少のジュリアンとよく遊んであげていたそうです。落ち込むジュリアンを見て、何とかしてあげたかったのかもしれません。ビートルズの『ヘイ・ジュード』はジョン・レノンの息子であるジュリアンに向けて書かれた曲だったのです。しかしそうした背景を超え、多くの人に勇気を与え背中を押す曲としてこの曲は今も愛されています・・・・・・。



筆者が感じるThe Beatlesの音楽を楽しむ機材はやはり英国の古いスピーカーの音が一番良く感じる、彼らは染みついた音は基本的には英国の音で育ち親しんだ音がして基本だからかも知れない。多分当時のステジオでは真空管ギターアンプに繋げ演奏したと思う、思えば随分古い話であるが、曲は今聴くも新鮮である

また「ビートルズのベスト」アルバムの中にも21番目、 ヘイ・ジュードが注入されている。音質はこのアルバムも大変良い録音です。



同じヘイ・ジュードも【マルタ・クビショヴァーのヘイ・ジュードは】
そこで、実は今回の紹介は、名曲“ヘイ・ジュード”に秘められたもう一つの知られざる“ヘイ・ジュード”の物語の紹介です。

ハイビジョンスペシャルこれはNHKテレビ放映した事実の物語であり一曲の歌で希望に繋いだ音楽の力のような物語です。市民たちの心の支えとなった歌があった。国民的歌手マルタ・クビショヴァーが歌う「ヘイ・ジュード」や「マルタの祈り」だった。昨日深夜?明け方に再放映を見て益々感動したので紹介します。今日は寝不足です。

マルタ・クビショヴァー(Marta Kubišová)はチェコのチェスケー・ブジェヨヴィツェ出身の歌手。 1960年代から音楽活動を開始する。
プラハの春およびワルシャワ条約機構軍による軍事侵攻があった1968年に、ズデニェック・リティーシュ作詞によるチェコ語でカヴァーしたビートルズの「Hey Jude」で知られる。プラハ。ヴルタヴァ川(ドイツ語名モルダウ)を中心に広がる東欧有数の都会。120万の人口を誇るチェコの首都です。

14世紀、プラハは神聖ローマ皇帝カレル4世のもと、「黄金のプラハ」と呼ばれるほどの繁栄を謳歌しました。街並みにはその当時の面影が今も色濃く残されています。
お伽話に出てきそうな美しい街の景観、中世から近世、現代まで連なる様々な様式の建築物、クラシック音楽のメッカとしても、また様々な映画や文学作品の舞台として・・・・・。



プラハには世界中から観光客が訪れます。もちろん、世界遺産に登録されています。しかし、プラハは歴史的に見て、華やかな繁栄を謳歌するだけの街ではありませんでした。プラハは、世界史でも稀に見る幾多の困難を経験してきた街なのです。
 
チェコ語の使用を禁止された「暗黒時代」と呼ばれるハプスブルク家の支配。
第一次大戦後のナチス・ドイツへの編入、そして、冷戦下のソ連の実質的支配と、それを象徴する「プラハの春」を崩壊させた1968年のワルシャワ条約機構軍の侵攻・・・。
この美しい街並みの摩耗した石畳には、そして、教会の側廊の壁面には、プラハという街の幾多の苦難が刻み込まれているのです。
ビートルズの代表曲のひとつに、「ヘイ・ジュード」という曲があります。1968年、「プラハの春」とそれに伴うワルシャワ条約機構軍の軍事介入(チェコ事件)の直後、あるチェコ人女性シンガーがこの曲をカヴァーし、発表しました。

彼女の名は、マルタ・クビショヴァー。マルタは、当時のチェコのトップシンガーのひとり。ソロデビュー曲の「マルタの祈り」(Modlitba pro Martu)という曲が大ヒットし、国民的な歌手としてチェコのみならず、他のヨーロッパの国々まで名を知られている存在でした。


 この、マルタの「ヘイ・ジュード」は、その後、チェコの人々にとって、そして、チェコの歴史にとって大きな意味を持つこととなります。マルタの「ヘイ・ジュード」は、プロテスト・ソングでした。多くの知識人や有名人がソ連や共産主義政権に従属してしまう中、マルタは歌で戦うことを選んだのです。


1968年、チェコスロヴァキア共産党第一書記にアレクサンデル・ドゥプチェク氏が就任します。ドゥプチェクは当時の改革派の筆頭格。
彼は、閉塞状況にあった共産主義体制を改革させるため、同年の春に「新しい社会主義モデル」として、「党への権限の一元的集中の是正」「粛清犠牲者の名誉回復」「企業責任の拡大や市場機能の導入などの経済改革」「言論や芸術活動の自由化」「外交政策でもソ連との同盟関係を強調しつつも、科学技術の導入を通した西側との経済関係の強化」といった、革新的な政策を発表しました。
この改革は徐々にチェコスロバキア社会に浸透していき、市民の間にも自由の気運が高まっていきました。



アーティストたちも自由に表現できるようになり、様々な若い才能が開花していきました(その中のひとりがマルタです)。

このドゥプチェクの改革運動が一般に「プラハの春」と言われるものです。しかし、この「プラハの春」は、たった4ヶ月程度で終焉を迎えることとなります。東側の盟主としてのソ連は、チェコスロバキアの自由化の流れを黙って見ているわけにはいかなかったのです。



1968年8月20日、ソ連率いる60万のワルシャワ条約機構軍が国境を突破し侵攻。たった1日でプラハの街を制圧、チェコスロヴァキア全土を占領下に置きます。ドゥプチェクは解任され、「プラハの春」は終わりを告げ、再びチェコは言論弾圧や検閲の厳しい、改革前の状態に逆戻りしてしまいました。

そして、多くの知識人たちも、共産党を支持するか国を捨て国外へと去るかのどちらかを迫られたといいます。そんな中、マルタは秘かに当局と戦う決意をします。当時、放送局は既に当局に占拠され、自由や批判を表現することはできません。そこで、市民は工場の地下に秘密のラジオ局を設けて放送を流しました。


 
放送から流れてきたのは、マルタの「ヘイ・ジュード」歌詞を変え、暗に政府・ソ連批判や、自由への希望をチェコ語で訴える「ヘイ・ジュード」でした。

1969年にシングルカットされた同曲は、チェコ史上空前の60万枚という大ヒットを記録したといいます。しかしながら、すぐに彼女のアルバムは発禁処分を受け、マルタも当局に尋問を受けることとなります。

そして、1970年、マルタは音楽界から永久追放されることとなりました。永久追放後、マルタは歌うことを禁じられ、仕事を奪われ、やっと手にした内職の仕事も奪われるなど、苦しい日々を過ごしたといいます。しかし、彼女の歌はチェコの人々の心に残り、秘かに歌い続けられていたのです。
 
それから約20年後の1989年。東欧は大きな変革を迎えます。ソ連のゴルバチョフのペレストロイカに触発され、東欧の国々は民主化の動きを強め、1989年、ついにその運動が結実したのです。


 
1989年12月10日、プラハのヴァーツラフ広場。チェコの民主革命「ビロード革命」の達成を祝う30万の群衆の前にマルタは姿を現します。そして、人々に促され、代表曲である「マルタの祈り」(Modlitba pro Martu)を歌いました。

歌うことを禁じられていたマルタが、20年ぶりに人々の前で歌った。彼女の長い間訴え続けた自由がついに達成されたのです。それも、民衆の力によって無血で。広場は熱狂に包まれ、この歌は革命の象徴的な歌として、その後もチェコで広く歌われるようになったといいます。



マルタは筆者と同年代で、革命後、現在に至るまで音楽活動を続けており、アルバムを発表し、コンサートを行っているようです。

歌手が歌うことを禁じられる。アーティストとしてこれ以上の苦痛はないはずです。だけど、その苦痛を引き受けてでも、自分の信念に忠実であろうとしたマルタ。これほどの歌手が今いるのでしょうか。

本当に讃えられるべき人だと思います。筆者も年のせいか涙腺が緩み気味で悲しみと、感動が交差して涙が止まらなかった。確かに今日本は平和ですが何時迄も続けなければいけいと・・・・

ビートルズ解散間近のビートルズ音楽の最終章ヘイ・ジュード。新しい音楽への入り口は素晴らしい音楽への扉の音が聴けたことなのでしょう。特に青盤と称される中期~後期は、内省的、実験的な内容は奥深い、ブラボー!

以前注文したBill Evans Trio、On A Friday Evening 到着、先日補修したLS3/5Aで試聴するの巻

2021年09月13日 | JAZZ・ボサノヴァ


エヴァンスの書き込みが多く申し訳ありません。筆者の好きな演奏者なので申し訳ない、以前から音質が低下したように思っていたが、先日筆者愛用のLS3/5Aスピーカーターミナルプラグが破損した、金属疲労でクラック状態ですの可能性もあったのだろう。早速秋葉原のお馴染みの電気屋さんで銅製の金メッキプラグを購入し交換し取り付け、音質の向上が見られた。

確かに最近LS3/5Aの使用頻度が少なくなっていたことは確かである、以前のような輝きが失せてしまった感じがしていた、久しぶりにLS3/5Aに切り替えて聴くと片側から音が出ていない、故障部分を見つけパーツ交換を行い、早速試聴する、以前より音質が良くなったように聞こえる。今回はLS3/5Aの位置の変更も行なった。音質低下の原因が解明できホットしたことは事実でこの辺りは確かに古いオーディオ製品のの欠点であろう。



筆者のメインで使用のⅢLZのin Cabinet mkIIのユニット(IIILZ Monitor Gold)にGOODMANS AXIOM 80の箱に移植した据え置き型のスピーカー・ターミナルプラグもロジウムメッキの物に変更すれば音質の向上も臨める可能性がありそうです。タンノイには詳しいY氏もターミナル部分は銅製に銀メッキした特注品に交換しているとおっしゃていた。サイズ等を計測して交換し音質の向上も向上の可能性があるようです。以前スピーカープラグはロジウムメッキに交換し音質が良かったので期待できます。勿論駆動するアンプは真空管ではあるが・・・・・

相当昔、月日も過ぎ当時LPレコードのPortrait in Jazz(ポートレイト・イン・ジャズ)(1960年)と、Waltz for Debby(ワルツ・フォー・デビイ)(1961年)何方を先に購入したか記憶は曖昧だがこの2枚は名作と今も思う。

今回のLS3/5A位置を移動した、理由はエンクロージャーの位置を耳の高さになるべく近づけてみた。現在据え付けている位置は耳寄り若干高いので傾斜を付けて試聴する。テストに使ったのは好きなビル・エヴァンスを聴く。
指向性も良くなり俄然音質も良く、音の向上が実感する、確かにエヴァンスのジャズピアノの様なピアノトリオ演奏は大変優れている様である。此の様なジャズ

演奏に意外と良い組み合わせが欧州のエンクロージャーは面白い。
筆者の好みから言えば今後は辛口のドイツのユニットでも聴いて見たい。



『Portrait in Jazz(ポートレイト・イン・ジャズ)』(1960年)
『ポートレイト・イン・ジャズ』は、1959年にリリースされたビル・エヴァンス、スコット・ラファロ、ポール・モチアンからなるビル・エヴァンス・トリオのスタジオ・アルバム。エヴァンスにとっては通算4枚目の作品となり、『ワルツ・フォー・デビイ』と双璧を成す彼の代表作です。

また、シャンソンのスタンダード「枯葉」(2)に急速調のピアノで多彩なアドリブを展開しエヴアンス独自の解釈を持ち込んだこの曲は、モード・ジャズを代表する名演として特に有名。キース・ジャレット、チック・コリア等、コンテンポラリー・ジャズを代表するピアニストに大きな影響を与え続けている。
「ブルー・イン・グリーン」(9)は、『カインド・オブ・ブルー』収録曲のセルフカバー。『カインド・オブ・ブルー』では、この曲はマイルスが作ったことになっているが、実質的にはエヴァンスの貢献が大きい曲であり、本作ではエヴァンスとマイルスの共作としてクレジットされている。

「ペリズ・スコープ」(5)はエヴァンスのオリジナル曲。エヴァンスのガールフレンドのペリが、自分の名前がついた曲がない、とエヴァンスに催促をして出来た曲である。

YouTubeの配信より、1曲目収録の"Come Rain Or Come Shine"はハロルド・アレン作のスタンダード。

8曲目"Someday My Princess Will Come"。ディズニー映画「白雪姫」挿入歌。

収録曲:
 1.Come Rain Or Come Shine    3:17
 2.Autumn Leaves    5:22
 3.Witchcraft    4:30
 4.When I Fall In Love    4:50
 5.Peri's Scope    3:10
 6.What Is This Thing Called Love    4:33
 7.Spring Is Here    5:01
 8.Someday My Prince Will Come    4:48
 9.Blue In Green    5:18

メンバー:
Bass – Scott LaFaro
Drums – Paul Motian
Engineer – Jack Higgins
Mastered By – Jack Matthews
Piano – Bill Evans
Producer – Orrin Keepnews

録音:1959年12月28日/米国ニューヨーク
Recorded in New York; December 28, 1959.

これらの作品はいずれもピアノトリオで録音され、エヴァンスは多くの名演を生み出します。
ビル・エヴァンス(ピアノ)と、スコット・ラファロ(ベース)、ポール・モチアン(ドラム)によって構成され、このメンバーによる最初のアルバム『ポートレート・イン・ジャズ』を1960年に発表。
ここで風土の位置を築いたが1961年7月6日、ニューポート・ジャズ・フェステヴァルに出演した帰りに、自ら運転する車で自動車事故を起こし、25歳で無くなった。早すぎる天才の死である。



マイルス・デイヴィスからの共演後花開く落ち着いたピアノ・トリオの演奏とスコット・ラファロとの掛け合いは絶品であり、当時のエヴァンストリオの完成度の高さが窺える、勿論音質も素晴らしく、まさに小さいながらエヴァンストリオがもの前に並ぶようである。LS3/5Aの音質の高さを見直しました、音の一つ一つの解明できる感じに聴けるLS3/5Aのモニターとしての凄さを感じた。

先日購入したビートルズの『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』のシタールの深みのある音が実にリアルに聴こえて驚いた。勿論弱点もある低音不足は気になるが音質の素直さは特筆ものであろうと改めて感じた次第である。音楽を楽しむにははLS3/5A程度で充分満足できるシステムだとも思う。全対的にはヴォーガルは魅力的で勿論クラシックからジャズまで充分聴けるエンクロージャーである。密閉にありがちな軽い音とは違い、重くて奥行きがある音質は流石。ガンガン鳴りませんが、物足りなさはまったくありません。まあサイズを考えると、十分満足ですかね・・・・。

エヴァンスは、1950年代のいわゆるモダン・ジャズ黄金期から51歳で急死する1980年まで第一線で活躍し続けました。
筆者が思うはエヴァンスのダーク面との関です、意外と早い時からの麻薬との関わりか?彼は実に病的に内気でシャイな人でした。彼は次第に麻薬にはまっていきます。彼がアルバムジャケットで口を開いて笑わないのは、ジャンキーだったせいで歯がボロボロだったからです。麻薬でダークサイドに堕ちていき、ライフゼロにまで追い込まれた時に、ギリギリのところで美しさを絞り出したと言われる。絞り出された一滴には、耽美な響きが宿っています。此の頃のジャズメンはジャンキーが大勢いて意外と短なな人生を送っているようである。

ビル・エヴァンスが亡くなったのは1980年9月15日。52歳の誕生日を迎える1か月前でした。ジャズメンにとって最良の黄金時代と最悪の衰退期を経験し、ジャズの時代が終わりを告げた時期にこの世を去りました。むしろエヴァンスの死をもってジャズの一時代が終焉したようにも思えるほどかも知れない。



1940年代後半、エヴァンスは大学で音楽を学び、1951年には軍隊に入ります。軍隊のバンドやラジオで演奏。3年後に除隊すると、ジャズ・ピアニストになるべくニュ-ヨークへ。ジャズ・クラブなどで演奏を重ね、次第に評価を得、チャールズ・ミンガス、オリヴァー・ネルソン、アート・ファーマーら著名なジャズメンの録音に呼ばれるようになります。ご存じのように、ビル・エヴァンスは白人です。シェリー・マン、ジェリー・マリガン、チェット・ベイカー、デイヴ・ブルーベックら当時人気だった白人ジャズメンたちの多くはウエスト・コーストを拠点に活動していました。ところが、エヴァンスは違います。黒人ジャズメンたちが最先端のジャズを産み出そうと日夜励んでいたニューヨークを拠点に活動。そして、人種的な断絶があったとされる時代に黒人たちにも認められるようになっていった点は特筆すべき点です。

エヴァンスの評価を決定づけたのは、マイルス・デイヴィスのバンドに呼ばれ、あの歴史的な「カインド・オブ・ブルー」への参加したことでした。ハード・バップからモード・ジャズへの転換を完成させたこの作品にマイルスはエヴァンスを招請。マイルスの考える新しいジャズの完成にはエヴァンスの理論が必要だったとされております。エヴァンスはジャズ発展史の中で決定的な仕事をやってのけました。
ただし、マイルスの録音への参加はこの作品と「1958Miles」【1958年】の2作のみ。これは、当時ジャズメンたちのあこがれだったマイルス・バンドに白人が起用されたことに対し黒人側から猛烈な非難があり、そしてエヴァンス自身がそのような偏狭さを嫌って脱退したとも言われております。また自身のトリオでの録音機会が多くなったことも当然理由のひとつのはずでしょう。



エヴァンスは、自身のトリオのメンバーに、ベースのスコット・ラファロ【Scott LaFaro】とドラムスのポール・モチアン【Paul Motian】を選びます。そして、1959年からこのトリオで作品を次々と発表していくことになるのですが、初期エヴァンス・トリオを語るとき、ある「ひとつの要素」について触れない訳にはいきません。 それは「ラファロの暴走」か。

ピアノ・トリオによるジャズは、ピアニストを中心とした演奏となるのが基本で、ベース/ドラムはピアノをサポートするリズム・セクションとして機能します。言い換えれば、ピアノがスター、ベース/ドラムは脇役/引き立て役に徹する地味な存在。これが通常です。

ビル・エヴァンスの1975年未発表ライヴ録音が発売 On A Friday Evening『オン・ア・フライデイ・イヴニング』ジャズ・ピアノの詩人の円熟期の煌めきを捉えた、全ジャズ・ファン必聴盤。本作は、1975年6月20日、バンクーバーのクラブ“オイル・キャン・ハリーズ”でのライヴ録音。この録音は、当時カナダのCHQMでラジオ番組のホストをしていたゲイリー・バークレイのために録音され、彼の人気ジャズ番組CHQMで放送されたものだそうです。



音源はJamie HowarthとJohn Chesterにより、オリジナルのアナログテープから最新のトランスファーを行いオーディオを修復。グラミー賞受賞エンジニアPaul Blakemoreによる丁寧なリマスタリングが施されている。

演奏メンバーはビル・エヴァンス(p) 、エディ・ゴメス(b) 、エリオット・ジグムンド(ds)。エヴァンスの晩年作『アイ・ウィル・セイ・グッドバイ』や『ユー・マスト・ビリーヴ・イン・スプリング』と同じメンバーによる演奏だ。

没後40年、今なお愛され続けるジャズ・ピアニスト、ビル・エヴァンスの奇跡の発掘! ビル・エヴァンスの晩年を代表する名盤『アイ・ウィル・セイ・グッドバイ』『ユー・マスト・ビリーヴ・イン・スプリング』と同じメンバーによる完全未発表コンサート音源(海賊盤でも過去に流通なし)が、45年の時を経て届けられエヴァンズ好きには思わず購入。



Plangent Processes社がオリジナルのアナログ・テープから最新のトランスファーを行いオーディオを修復、グラミー賞受賞エンジニア、ポール・ブレイクモアによる丁寧なリマスタリングで、1975年当時のサウンドが鮮やかに再現。

レコーディングデータ
録音年1975年6月20日
録音場所ヴァンクーヴァー、オイル・キャン・ハリーズ
録音方法ライヴ録音
演奏者ビル・エヴァンス(p) エディ・ゴメス(b) エリオット・ジグムンド(ds)





収録内容
 01.サリーン・ジュラー / Sareen Jurer
 02.シュガー・プラム / Sugar Plum
 03.ザ・トゥー・ロンリー・ピープル / The Two Lonely People
 04.T.T.T. / T.T.T. (Twelve Tone Tune)
 05.クワイエット・ナウ / Quiet Now
 06.アップ・ウィズ・ザ・ラーク / Up with the Lark
 07.ハウ・ディープ・イズ・ジ・オーシャン / How Deep Is The Ocean
 08.ブルー・サージ / Blue Serge
 09.ナーディス / Nardis

音質はお世辞にも良いとは言えない、頑張って復元はされているが録音事態は本格的な機材を使用した訳では無いのだろう。
内容はリラックスした感じは実に良い感じで楽しめます。此のあたりがエヴァンスの人気があるように思うが演奏内容の良いコレクションとして持っていても良いかなと言う感じです。

1975年ライブに、同じメンバーのSan Franciscoの9月のがありますがそれと比べてバランス良くピアノが遠くないので明瞭に聴けます。演奏はこちらが6月ということで9月の演奏と比べて違いが感じられて嬉しいです。How deep is the oceanなどとっても良い。t.t.t.もこれ以降の演奏に比べて落ち着いて聞ける演奏と思いました。ブラボー!

待ち望んだ朗報、やっとLS3/5aの音質の原因解明ができた・・・! これで万全。 BWV1079を試し聴く、ドイツ・ハルモニア・ムンディ盤バーソルド・クイケンのトラヴェルソ演奏が面白い

2021年09月09日 | クラシック音楽・オーディオ


筆者のLS3/5aのサブ・スピーカーのターミナルプラグが折れた此れは事件だ、注意して損傷箇所を見ると、溶接部分が欠損したのようである、ここで判明したことが大きい、この部品は一体型でなく溶接を施した物でした。これが音質低下を妨げた原因でした、今の磁術では音の響きの伝導は溶接部が有れば劣化することが多いと思う、この溶接はハンダ使わず電気溶接可能の様子である。

この組立は素人がセットした物なのであろうか?と疑問が湧く、肝心な音の繋ぐ場所に安易に溶接部品を使うとは、工業系を習得する学生でも、誰でも気が付く不手際である、メーカーとしても大失格であろう。この欠陥箇所を探し当てることに1年6ヶ月が無駄に過ぎたのだ、正に「瓢箪から駒」とはこの事である。

早速ターミナル部分を外し、折れて無い部品を叩くと明らかに溶接と解る鈍い音がする、これが原因でエインクロージャー全体に影響を及ぼしている事が判明した。金属同士で部品交換は一体型の頑丈な物と交換しようと思い勿論ネットでも注文でと思ったが現物を直接のプラグ形式を詳しく見たいので、仕事のついでもあり、秋葉原に久しぶりにオヤイデ電気店に立ち寄る事にした。

秋葉原の電気街の意外と小さな店舗ですが、電源ケーブル、三叉ソケット、接続プラグ、スピーカーケーブル等も種類は豊富で大変重宝します。
但し構造上此の様な溶接での接続は音質と関係はあるのであろうか?の疑問が涌く、単純に考えれば一体物は金属同士で叩けばキンキンと金属音が鳴る、しかし溶接部分があればコツコツと鈍い音がする、此の様な事が音質に影響するのであろうか?この部分の交換でLS3/5aの音質が変化すれば本来の実力が発揮されるに違いない、購入時から疑問視した場所と原因が追求できたことになる。

正にこの原因が「値千金」「瓢箪から駒」が解明した瞬間でも合った。長年の音質悪化の疑問を解く原因は溶接部分であろうと問題解決の糸口であったのだ。溶接部がしなかったら勿論原因は不明のまま今も聴いていたのだろう・・・?



当初は下記の現物でねじ部分は溶接物とは思わなかった部品です。当時デットストック品を一番初めに購入しプログに乗せ音質の事を正直に掲載した巣森である。

販売者から(貴方のブログのためスピーカーが売れなくなった)とお叱りのメールも頂いた、販売者には、今この補修した音を是非聴いて頂きたいと思う次第である。本当に現物で試聴し販売したのであろうか?実に疑わしい。これが良い音なら本物を聴いた事はあるのであろうか?BBCの流れる音楽を聴いたことは無いのではあるまいか・・・? それとも多分体調が悪いのではなかろうか・・・? 心配である。
これでやっとLS3/5a本来の音が聴けるようになるのであろう、実に長い年月であった、今まで何か中途半端な感じが残り気掛かりであった。



上記の写真のように本体とボルト部分を溶接で繋げてあり、直径7mmの物のネジ部分で如何にも貧弱でした。接着部分も極小で接続部に疑問がつきまとう。工業関係の常識から言ってもこの方式は全ての事故の原因と思う。

下の写真は今回オヤイデ電気店で見つけた金メッキのターミナルプラグで見るからに一体型の丈夫そうな物です。外径は9mmで2mm太くなった。
商品を眺めて思うは2年間此の原因判明が解らなかったことで、最初から溶接部分の接着が甘かったようにも感じた。此れは期待が出来る・・・・現物を手に取り金属で叩くとカンカンと良い音が響く間違いない様である。
一般的な日本の技術者ならこの辺りの起因は当初から問題視する点である様に思うが・・・?外観だけでは見つけられない処である。壊れた事で解明できた。



自宅を出る時は雨模様でしたが、秋原町付近に到着した頃には青空も広がり良い塩梅になった。車は300円路上駐車場に駐車した。この付近の迷惑駐車は5分でも違反キップを発行されるので要注意地区でもある。勿論都内は便利ではあるが、車移動の駐車場不足で車移動族には負担が大きい。

店舗に在庫があるものは太く一体型で頑丈そうで早速購入する。音質の変化にも気になるのでLS3/5aの修正は片方ではなく、勿論両方修正をする事に、手の込んだ作りで2セット購入価格は¥3,300でした。その後は飯田橋にて簡単な仕事があり、3時間程で終了して帰宅すると20時過ぎていた。
補修作業は翌日に持ち越し、此れで本来の姿が聴けることを想像しながら、今までの音質改善の原因がやっと追求出来た様に感じた。



翌日、前日の書類をまとめ後は自由時間、穴を太くするために近くのホームセンターにて木工ドリルの刃(9mm)を購入、今回のターミナルプラグは(12mm)2段方式になっているため、2種のドリルの刃が必要でストッパー(3mm)のセットも含め太い木工用ドリルの刃を購入した。3mmは所有している、寸法を図るノギスは勿論所有しているため、工具があると都合は良いです!

従来エンクロージャーについているケーブルはハンダを溶かして切り離した、今回のターミナルプラグは細工が細やかで、後ろ側にケーブル隠し取付ネジが付いている為大変重宝している。使用材質は銅製とおもうが金メッキ品である。一番肝心なことは一体化しての作り方は期待出来る。



早速修理にかかる、慎重に行うと意外と時間がかかります。所要時間2時間30分ほどで2台のエンクロージャーを修理を終えた。
見た目より時間が掛かり終了後のテストが楽しみでもあります。
取付時はケーブル類は無水アルコールで汚れを落とし接点回復剤を塗布し慎重に取り付けました。

以前LS3/5aを駆動には良いとアドバイスされた、ラックス製パワーアンプは1972年2月発売の真空管は松下製6CA7を使ったLUXKIT A3500のアンプで聴く、古いアンプのゆえ真空管の交換と配線はウエスタン(WE)ケーブルに交換し部品も一部交換し新しいアンプに近付けました。

しかしLS3/5aのスピーカー購入後、只々こんな音ではないと疑問を持ち続け、先ずは石のアンプを真空管に交換して、すべてのケーブル交換もし、エンクロージャーの吸音材も交換し、最終的には、この吸音材の中に鉛の噛み潰しの重りもサンドし、思い当たる全てのチューニングを試みたが、今ひとつLS3/5aの英国独特の渋みのある気品に満ちた音は得られなかったが若干の音の濁りは取れなかった、今回のターミナルプラグの交換で疑問が一気に解明出来たようである、やはり原因はこの部品にあったようである。

原因追求まで永い2年でもあり、すっかり楽しんだ2年でもあった様に感じたのであった。全く苦労の連続で最後はあっけない原因判明で完成するようです。

これは大不満の事ですが、このデトックススピーカーを販売した本人よりご不満の指摘を頂き大変恐縮したが、やっと原因究明でき今は大変満足しています。デトックス品もこの部分の補修で自信を持って販売できると思います。
勿論、今回溶接部分が取れなければ原因は解らなかった様に思います。これぞ最高のバージョンアップでした、スッキリ、クッキリの音に満足です。

正にスッキリした響きも心地よく、LS3/5aはアンプを選ぶ傾向がある様に思う、できればプッシュプルの真空管アンプが良く鳴るように思う、真空管もある程度の馬力は必要ではある。
それと今回の様なトラブルは多いのではないのであろうか?特に接続部品等は製品を吟味し不安な所を見つけ次第交換等の処理をお勧めします、テストは簡単で金属等で部品を軽く叩き音を聞けば判断出来ます、テストハンマー形式です。


早速結線し先日購入のビル・エヴァンスで視聴を始める。早速出た音は、ターミナルプラグの材質が違った為か高音のキレが幾分リアルになった感じがします。最近は10吋タンノイをメインに聴くことが多く、久しぶりにLS3/5aをじっくり試聴する事にしましたタンノイと比べ僅かではあるが高域の鳴り方がきめ細やかに思う、ターミナルプラグ変更の効果か、試聴して判明したが、使用材料の質が良いのか不明であるが確かに高音の質が可也向上した、何故なのであろう。細かな部分のディテールの良さが出た、ピアノの張り詰めた音も心地良い。今までとはニュアンスが違う。少し渋めな品の良い英国の音が鳴る様になりました。
ただし断って置きますが、アメリカのユニットで聴くようなパンチのある、熊手の様な手で叩く乾いたドラムの音は決して出ないですが・・・。

この部分は構造上にもターミナルプラグに問題が合った様に思う、原因が判りやっと安心して聴ける、何故か急にホットした気分だ、2年間もこの部分の為に疑問視を続けた苦労の原因が紐解け音楽に専念できる自慢のサブスピーカーに格上げである、LS3/5A本来の姿を理解した瞬間であろう。

此の様に音質が良くなるとメインのTANNOYのターミナルプラグの交換を検討しなければならないのだろう、ⅢLZのスピーカーターミナルプラグの交換する材質はロジウムメッキの物を探しています。以前ジャックに使った事があり音質はロジウムメッキが良かったです。

余談ではあるが、因みに今夜Eテレでエヴァンス特集があり、ビデオをセットしました。新しい情報があるのか楽しみでもあります。



こうなれば締めたもので、やはり此のユニットで聴くには、実に気になった曲はやはりバッハのクインテット演奏によるBW V1079です。

先日購入したドイツ・ハルモニア・ムンディ盤の1958〜1993年までの作品を50枚セットの中より今日のフルート(モダン・フルート)の前身となった横笛である。略して「トラヴェルソ」と呼ばれることも多い横笛の音色です。
実に生々しい音が鳴る、苦労してやっとたどり着いた境地である、此の様な細かな点が原因で汚れた音だった様に感じ疑問を追い続けた勝利者のようである。

果たして木管のトラヴェルソの音質がどのように再現できるか、勿論モダン・フルートと違い古楽器の自然な音で「音楽の捧げもの」を聴きたい。



ピリオド楽器演奏開拓者として、ししてそれを志す人々の師として、今もなお精力的に活動を続けているクイケン三兄弟は、1974年にレオンハルトのリードのものでこの作品を録音していますが、本アルバムはそれから20年後の’94年、彼らと長年演奏を共にしてきたコーネンと自分たちが主体となって、心を新たに満を持して取り組んだものです。前作での発想の間違い(編成や解釈)を改め、数多い実演と透徹した研究から生み出された至高の名演を繰り広げています。現代のスタンダードといえる名盤です。

J.S.バッハ:音楽の捧げもの(BWV 1079)

トラヴェルソの音はやはりモダン・フルートと若干違って聞こえる感じです。高音域は実にナチュラルな溶け込んだ音がきける。家庭で聴くにはこの程度の音質で充分に思うが、あと少しのグレートアップを望むのが、オーディオ馬鹿なのであろうと反省するばかりである。

やはり只者では無かった英国のモニタースピーカー、改装したLS3/5aのポテンシャルに驚く、ターミナルプラグを交換後の試聴は想像より特に広域が増し気持ちよく音楽の演奏がリアルに聴こえる感じが強い、ターミナルプラグの交換で此の様に音が良くなる事はマジックのようである。特に上手く鳴る感じるはジャズが面白い。ビル・エヴァンスの新しいCD購入したので到着が楽しみです。



特に興味深いバルトルド・クイケン(フラウト・トラヴェルソ)の音色がどのように聴けるかも含めてじっくり聴く。
クイケン兄弟は以前、レオンハルト監修の同曲演奏録音をしているが、ここでは、フラウト・トラヴェルソ、ヴァイオリン、ヴィオラ・ダ・ガンバ、チェンバロのみで全曲演奏している。学究的作品から芸術作品へと見る目がかわったのだ。その最たる例が「トリオ・ソナタ」の演奏である。これを聴くだけでも価値がある。ことに第2楽章の対位法的作曲技術を、これみよがしではなく、圧倒して聴かせる各奏者の腕の冴えは、旧録音よりもよりいっそうすごい。クイケン・アンサンブルは。この編成でのこの曲の演奏を演奏会でよく出すようになった。最小編成(トリオ・ソナタの編成)で全曲演奏することで、みごとに実演用作品として世に知らしめることが出来た。そうした意識を持っている奏者の演奏はやはり説得力がある。「音楽の捧げ物」で、第一に推したい盤である。

同曲にはリヒターの逸品があるが、古楽器・モダン楽器の違いの他に、楽譜の解釈およびアンサンブルの編成が異なる。「ヴァイオリンのための2声のカノン」がいい例で、リヒター盤は2本のヴァイオリン+チェロで演奏しているが、本作ではヴァイオリンは1本というのがバッハの意図という解釈で、1本のヴァイオリン+チェンバロで演奏する。その理由は冊子の解説に詳しい。新鮮な解釈の下、クイケン3兄弟(ヴァイオリン、ヴィオラ・ダ・ガンバ、フラウト・トラヴェルソ)+コーエン(チェンバロ)の4人だけで演奏される。したがって、チェンバロが全面的に活躍する。その他、リヒター盤ではフルートはトリオ・ソナタにのみ登場するが、本作ではフラウト・トラヴェルソが1つの声部を担当する場面が他にもある。


 バーソルド・クイケン、(Traversflöte)
 シギスヴァルト・クイケン、(ヴァイオリン)
 ヴィーラントクイケン、(ヴィオラ・ダ・ガンバ)
 ロバート・コーンアン、(ハープシコード)
 デジタル録音:1994



 01. Musikalisches Opfer (musical Offering), Bwv 1079
 02. Ricercar A 3
 03. Canon Perpetuus Super Thema Regium
 04. Canones Diversi Sopra Thema Regium
 05. Canon A 2, Cancrizans
 06. Canon A 2, Violin: In Unisono
 07. Canon A 2, Per Motum Contrarium
 08. Canon A 2, Per Augmentationem, Contrario Motu (no
 09. Canon A 2, Per Tonos (ascendenteque Modulatione A
 10. Fuga Canonica In Epidiapente
 11. Ricercar A 6
 12. Quaerendo Invenietis
 13. Canon A 2
 14. Canon A 4
 15. Sonata Sopr'il Sogetto Reale A Traversa, Violino E
 16. Largo
 17. Allegro
 18. Andante
 19. Canon Perpetuus

フリュートのことを古楽器では(横笛)フラウト・トラヴェルソと呼び木管楽器である。金属で作ったフリュートの音と木管のフラウト・トラヴェルソの微妙な音の違いも聴き分けられる様繊細なところも感じるようになったのです。



バルトルド・クイケン1949年、ベルギーのディルベーク生まれのフルート、フラウト・トラヴェルソ奏者。世界の古楽界をリードしてきたクイケン3兄弟の末弟。ブリュージュとブリュッセルの音楽院を経て、ハーグ音楽院でフランツ・ヴェスターにフラウト・トラヴェルソを、フランス・ブリュッヘンにリコーダーを学ぶ。バロック・オーケストラ「ラ・プティット・バンド」のフルート奏者を務める他、様々な古楽演奏グループとも共演している。また、バロック時代の演奏方法についての研究は高く評価されており、1976年からはハーグ音楽院で後進の指導にもあたっている。

フラウト・トラヴェルソの名手バルトルド・クイケンによるテレマンのフルート(トラヴェルソ)のための作品集。テレマンは18世紀前半のドイツで最も人気のあった作曲家。当時は大バッハを凌ぐ名声を手にしていました。テレマンは非常に多作家で、あらゆるジャンルの作品を残しています。中でもフルートをともなった室内楽作品には、彼の知的でありながらも親しみやすい音楽の特徴があらわれています。



名盤と誉れ高い、クイケン兄弟&コーエンの『捧げもの』。各楽器の手練れ4人が本当に贅沢な演奏を聴かせてくれます。響きの重なり、研ぎ澄まされた調和など絶妙に息の合った名演で、「トリオ・ソナタ」における各楽器が競いあうかのような箇所での集中力も抜群です。

今回の新盤の最大の特徴は楽器編成が4でハープシコードを中心に他の楽器が次第に加わるような構成になる。
これにより各曲の統一感ができて全体が1つの曲のように聴こえるようになった。これは最新のバッハ研究の成果だろう。
聴く方の立場でも楽器の種類が少ない方がカノンの構造がわかりやすいという効果を生んでいる。
6声のリチェルカーレのハープシコードの妙技を聴きたい方は旧クイケン盤などをお聴きになると良いだろう。
筆者は思うが今回の楽器編成が一番しっくりくる。



録音は時代は前後するがジギズバルト・クイケンの無伴奏ヴァイオリンのソナタとパルティータが残響が少し多すぎると感じたが、これは楽器の直接音が捉えられていて録音にも好感が持てる。
筆者はこの曲は単独のハープシコードに演奏を聴くことが多い、特に5.からのカノンのスリリングな調べは好きですが、フラウト・トラヴェルソの如何にも自然な音質が人間味あふれ暖かく抱かれる感じになるのも良い、こうして聴くとクリヤーなLS3/5aの細やかな音は意外と奥の深さが感じる。特にガンバとトラヴェルソが重なりハープシコードに移り見事な調和を出すあたりのスリリングなリアル感は流石である、これは演奏の良さも大きい。音質追従者にはLS3/5Aの綿密な音は違った意味から見ても十分魅力あるエンクロージャーの様でしょう。

非常に斬新な演奏スタイルだ。4人で完結できるなんてこれぞ新しい解釈なんんであろうか。曲は言わずもがなの名作です。

2年間疑問をいだき聴き続けあらゆる事を試し、文中にも記載したが、最終的には販売者からも「あなたのブログ内容で商品が売れない」と厳重注意をいただく始末、筆者としてはあと少しクリヤーな音になればと頑張って手を加えて来た事を正直に書き続けて来ました、正に事故の原因がこのスピーカーの欠陥だった様に感じた、この事故は全ての商品とは思わないが、偶々この商品は溶接部分が甘かったとも思える。やはり自分の耳が正しかった事は証明された、老人病であろうかとも思い?3ヶ月に一度のペースで近くの総合業院の耳鼻咽喉科にて耳掃除していただいています。
購入して2年、やっとLS3/5aの本来の姿の音を聴けた瞬間であった、ブラボー!