伝統ある英国の10吋ユニットで、いい音で音楽を聴きたい・・・・・

音楽好きの、古いオーディオ機器10吋TANNOYを改良して聴くダメオヤジの金ちゃんです。

秋桜の撮影現像しながら・・・バッハ『マタイ受難曲』を聴く、やはり真剣に聴いてしまう

2016年09月29日 | 写真撮影

昨日まで仕事で忙しく走り回ってました。

朝の時間の空き時間を見つけ 秋桜(コスモス)を撮って見ました。

千葉ニュータウンのコスモス畑に行ってみましたが未だ少し時期が早かったようです。

未だ三部咲きって頃で見頃はもう少し先になりそうです。

勿論GX7にLUMIX G X VARIO PZ 14-42mm / F3.5-5.6 ASPH. / POWER O.I.S.GX7にのレンズに

マクロコンバージョンレンズレンズにを装着してナンチャッテマクロと

LEICA D VARIO-ELMAR 14-150mm / F3.5-5.6 ASPH. / MEGA O.I.S.2本持って撮影します

やはり撮してみますとLEICA DG MACRO-ELMARIT 45mm / F2.8 ASPH. / MEGA O.I.S.が欲しくなります。

なんとか今年は此のLEICAネーミングのレンズを入手したいと思います。

色々の色のコスモスを撮りました。

蜂が蜜を吸うのに熱中していて カメラを向けても蜜に熱中しているようでした。

やはり秋桜はピンクが綺麗ですか???

最盛期にもう一度覗いてみましょう。

最後は自宅の片隅にも秋の花ホトトギスが咲きだしました。

下の写真を較べて見てください。

余り日の当たらないところでひっそり咲いてるが可愛いですよ。

レンズを交換して撮影してみますレンズの違いが明らかになります。

この写真はLEICA D VARIO-ELMAR 14-150mm / F3.5-5.6 ASPH. / MEGA O.I.S.で撮影

やはり違うんですLEICAのレンズの良さがわかります。コクと立体感が違うんですよ。

色は直せても此の立体感の感じは出ないんです。パナソニックのカメラの真価が簡単に味わえます。

決して画素数だけの問題ではありません。LEICAの画素数は未だに変わっていません。

1600万画素あれば十分なんですネ!勿論筆者のGX7も同じです。撮影の腕じゃなくレンズが大切です。

LEICA以外で撮った写真は現像で補正が必要で、色の感じを合わせるのが手間です、汗

このレンズの特徴はやはりLEICA独特の少し派手目の色なんでしょうね(笑)筆者はこの色が好きなんです!

 

やっと今朝からは昨日撮影の現像と補正しながら J.S.バッハを聴く・・・・

昔バッハを聴きはじめの頃は少し避けてきた曲・・・・・・

最近は良く聴くようになりました。フーガの技法、マタイ受難曲、音楽の捧げもの

の三タイトルです、いずれもバッハの代表作と言えるでしょう。

マタイ受難曲BWV.244 バッハの最高傑作と言われる感動的な大作です。

「無人島に持っていく1曲は?」 という質問があったときに回答としてよく出てくるのがこのマタイ受難曲です。

バッハの代表作であるだけでなく,西洋音楽史を代表する1曲です。

五味氏『天の聲より抜粋』曰く、 『マタイ受難曲』は幾度強調してもしすぎるとはおもえぬほどに劇的で、偉大ですばらしい。

まさに「この傑作、あらゆる音楽で至上のもの」(フルトヴェングラー)だ。

だがあの群衆の涜神の叫びと、それにつづくふかく感動的なコラールが無かったら「至上のもの」といえるかどうか。

少なくとも私に於ては疑念がのこる。私は『マタイ受難曲』をクレンペラーの指揮によるもの、

コンツェルトヘボウを振ったオイゲン・ヨッフムのもの、それにカール・リヒター盤と三組もって、

折々取出して聴くが、これぐらいの傑作になればもう誰の演奏だろうと曲の有つ感動の深さには大差ない。

せいぜいソプラノやアルトの詠唱に好みを見出すくらいである。

でも、それも群衆の叫びと主導動機のコラールが聴ければこそだ。そんなコラールが、

バッハでない他人の作曲だったとは、どういうことなのか。畢竟、

バッハは涜神の声でしか偉大さを創造しなかったのか?

 

J.S.バッハ《マタイ受難曲》第1部全曲 カール・リヒター(1958)

 

展開は聖書の福音書の記述に従っていますが、とりたてて難解なところはありません。

十字架に掛けられて死 ぬことを予言するイエスの言葉に始まり、実際に埋葬されるまでを描いています。

筆者も最近バッハを聞き出しやっとマタイ受難曲がいいな!と感じるようになった。

いかにも厳格なリヒターは素晴らしい演奏ですが、筆者はこの指揮者が好きである。

ヘルムート・リリング(Helmuth Rilling, 1933年5月29日 - )はオルガン奏者、ドイツの合唱指揮者・音楽教育者。

シュトゥットガルトの音楽家の家庭に生まれる。 祖父は牧師、

母親は特に宗教に信心深かったのは同じ出身の作曲家ヘルムート・ラッヘンマンにかなり似ている。

ヴュルテンベルクのプロテスタントの神学校で早期教育を受ける。

1952年から1955年までシュトゥットガルト音楽大学で学校音楽教育、オルガン・作曲・合唱指揮を学ぶ。

ローマのバチカンでフェルナンド・ジェルマーニに2年間師事し、 シエナのアッカデミア・ムジカーラ・キジアーナにも学び、

その後彼のオルガンのアシスタントを10年間続けている。

 

マタイ受難曲 Matthäus-Passion.wmv

 

音楽には2種類あると思う。1つは気楽にBGM的に楽しめる音楽、

もう1つは聴くにあたり、深いさまざまな予備知識を要し、襟を正して聴かねばならぬ音楽である。

 

バッハのマタイ受難曲(以下マタイ)はいうまでもなく後者の音楽の代表である。

マタイの深い内容を理解するためにはドイツプロテスタント教会や教会音楽などのさまざまな予備知識を必要とする。

マタイは音楽だけの領域では収まりきれない、人類が到達した最高の叡智の結晶であるといえる。

筆者はアマチュア音楽愛好家にすぎないが、少しでも深くマタイを理解してゆきたいと思う。

そうなると、もうオーディオがアンプが・・・ある程度まともに鳴る装置であれば

オーディオマニアが低音がどうの、高音がと、小さな事になってしまう、そこには強烈な音楽が凄いのです。

普通の装置で十分です、此の素晴らしい音楽を楽しむことが大切なことなんです

マタイ受難曲に関しては多くの指揮者が演奏していますので、是非自分に合った指揮者を探し出すのも面白いでしょう。

勿論今後も沢山のマタイ受難曲マタイを聴いていきたいと思います。


曼珠沙華を撮りに・・・BGMはアントニオ・ヴィヴァルディのヴィオラ・ダモーレが良い

2016年09月25日 | 写真撮影

久しぶりの天気であります。

スカッと青空は見えないんですが・・・・・

先ず先ずの天気に千葉ニュータウンの里山散策です。

愛機GX7にLEICA D VARIO-ELMAR 14-150mm / F3.5-5.6 ASPH. / MEGA O.I.S.を装着して

秋を撮りに行って来ました。

自宅からは15分程で里山につきます、コスモス畑もあるのですが、

今回はサンスクリット語からついた「曼珠沙華」を撮って見ました。

曼珠沙華(まんじゅしゃげ/かんじゅしゃか)」は、サンスクリット語で天界に咲く花という意味。

おめでたい事が起こる兆しに赤い花が天から降ってくる、という仏教の経典から来ています。

サンスクリット語ではmanjusakaと書きます。

又彼岸花にはアルカロイドという毒があるため、

「毒花(どくばな)」「痺れ花(しびればな)」などと呼ばれています。

その反面、でんぷんを多く含んでいるため食用可能でして、毒は水にさらすと抜けるため、

昔は飢餓に苦しい時に毒を抜いて食用にすることもあったそうです。

田んぼの畦道に彼岸花が多いのは、その毒でモグラや野ネズミを防除するためだけではなく、

飢饉に備えて植えたという説もあり、

危険を覚悟してまで口にしなければならなかった昔の苦労がしのばれます。

やはり現像してみるとLEICAのレンズはLeica独特の色ではあるが、奥行き色目等実に良い色になります。

でもLEICAのレンズは高価で筆者の様な貧困老人には入手しにくいのが、欠点ですかね?

その隣には美味しそうな栗の実が成っています。

久しく写真を撮っていませんでした。のでやはり野外の撮影は良いですね。

 

道中大胆かつ過激な内容でマニアに大受けした

『四季』を始め、

ちょいワル親爺風のジュリアーノ・カルミニョーラGiuliano Carmignolaの

アントニオ・ルーチョ・ヴィヴァルディAntonio Lucio Vivaldi

 

ヴィヴァルディ 四季

 

そして本日の筆者の紹介したい曲は

ヴィヴァルディが愛した楽器で奏でるヴィオラ・ダモーレ、

Vivaldi:Concerti per viola d'amore / ヴィヴァルディ:ヴィオラ・ダモーレ協奏曲集

日本語にして「愛のヴィオラ」と呼ばれる楽器特有のしっとりした魅力が横溢したアルバム。

 

Wolfram Christ/ Viola D'amore Concerto In A Minor (Vivaldi)

 

ヴィヴァルディがヴァイオリンと並び名手だったヴィオラ・ダモーレの名協奏曲集

生前よりヴィヴァルディはヴィオラ・ダモーレの名手としても有名でした。

ヴィヴァルディ・ルネサンス以降でも最も初期から注目された作品群となる協奏曲集です。

ところで音だが、ヴィオラ・ダモーレやヴァイオリンの弦音をいかにも松脂をつけた

馬のしっぽで弾いた感じに聴かせてくれる装置ほど、ピアノの音がホンモノらしく鳴りにくいから厄介である。

又ピアノがうまく響く装置は弦が針金的になってしまう。実に厄介な問題でもある。

休日にゆっくり過ごすにはいい曲です。

秋の実り栗の毬が割れ実を出しています。


KEFのQ100で聴く・・・バッハのフーガの技法をオルガンでで聴いた!

2016年09月24日 | バロック音楽・オーディオ一般

今日も朝から雨が降り秋の長雨です。

何時もの近くの珈琲店でコナ珈琲を購入する。

次回購入はコナブレンドじゃなく、コナ珈琲を購入してみよう。早速珈琲を挽き、 じっくり入れて香りを楽しみながら、朝の一杯を頂きます。実は此処のコナの味に疑問を感じ、あの独特の旨味が薄い?

違う所で購入しコナを味わって比べて見たいと思った。

 The Art of Fugueニ短調 BWV1080

トン・コープマンが来日するそうですが、生憎 席がとれませんでした、前にも紹介したフーガの技法について 再度聴いて見ました。やはりここはクラブサンの演奏が筆者には何故か一番安心出来ます。

今後オーディオ装置が変わっても此の聴き方は変わらないとは思います。

それと最近、筆者が思う事は、バッハが生涯の創作の大半を費やした声楽曲を知らずに彼を語る事は出来ないのだとも思いす。そこには器楽作品とはまた違ったもう一つの宇宙が存在するからなのです。

この作品は楽器の指定がありません。かつてはオーケストラで演奏した版(クルト・レーデル指揮・ブロ・アルテ管弦楽団が有名)もありましたが、

現在では、チェンバロ演奏を念頭に置いて、作曲されたと言われています。

単純フーガから始まり、主題を180度回転させたフーガ、楽譜を鏡に映したような反行フーガ、音符の長さを短くした縮小フーガ、 長くした拡大フーガなど、この作品の中にはルネサンス期から発達したリチェルカーレという対位法形式を、さらに発展させたフーガという音楽形式のすべてがあります。

 Johann Sebastian Bach - L'art de la Fugue (Gustav Leonhardt)

グスタフ・レオンハルト(Gustav Leonhardt オランダ語発音, 1928年5月30日 - 2012年1月16日)は、オランダの鍵盤楽器奏者・指揮者・教育者・音楽学者。
ピリオド楽器による古楽演奏運動のパイオニアにして中心人物であった。

次はレオンハルトの弟子、トン・コープマンは4声のフーガは全て奥さんのティニ・マトーと2台のチェンバロで演奏しています。装飾音を多用し、初めはゆっくり、次第にアップテンポのなるコープマンらしい調子の良い演奏です。

J. S. Bach - The Art of Fugue, BWV 1080 - T. Koopman and T. Mathot

 この《フーガの技法》の方が、聴けば聴くほど不思議な魅力が漂い、 曲の内部へ引き込まれてしまいそうになる。

此れがフーガの技法を解き明かす鍵になる曲ですかね?

J.S. Bach - Crab Canon on a Möbius Strip

実は拙宅のシステムではオルガン曲は低音不足で余り聞こうともしなかったんですが、今回はオルガンの音色も聴いて見ましたが、此れが以外と鳴るんですヨ。

実は人間の耳は大変都合よく出来ていまして、この様な小さなエンクロージャーから出る音色もオルガンの重低音をそれなりに受け入れる音に錯覚させてしまい頭を変換させるようです。勿論装置が大きくなればそれなりに迫力は増しますが一応それらしく受け入れるそうです。

勿論重低音は鳴りませんがパイプオルガンのあの神聖で開放感のある音は確かに聴けます。でも欲を言えばこの一つ上の機種で聴きたいのが本音である。

オルガンにはマニュアル(手鍵盤)が三段あり、それにペダル(足鍵盤)がつく。三段の手鍵盤は、下がグラントルグ鍵盤、 中段がポジティブ鍵盤、上がレシ鍵盤となり、グラントルグ(管のふとい、いわゆるオルガンらしい音色をもつ)とポジティブ鍵盤(管ほそく、フルート的音色が主体)の二段鍵盤式は、バッハ時代におもに使用されたそうだ。

 大規模な頭の上から音が降って来るようなオルガンの音を想像するが音楽として考えれば、そこそこの装置で 十分聴こえるし、でもそれは想像力を豊かにすればむしろフーガの技法こそはオルガンで聴くのが理解度が強く感じのは筆者だけであろうか?

むしろクラブサンの音の再現のがより難しい、弦を引っ掻いて鳴らす高音の再現はかなり厳しいと思う、小宇宙のようなフーガの技法を楽しむなら、まさに打って付けの楽器かも知れません。

只あの圧倒的なパイプオルガンの低音を望むなら馬鹿でかい装置のエンクロージャーがいるわけですが?音楽愛好家ならそこそこの装置でもバッハ、ヘンデルやフランクのオルガン曲を楽しめます。

肝心なことは多くの名曲を良い演奏者で音楽を聴くことです。何度も聴いていうちに自分のものになるようです。

アンドレ・イゾワールは、フランス生まれ。

セザール・フランク音楽学校にてオルガンをエドゥアール・スーベルビエルに、ピアノをジェルメーヌ・ムニエに師事しました。

アンドレ・イゾワールは実にスッキリした音色で 聴いて心地良いんです。当に宇宙空間で小宇宙にだあった感がします。此れはピアノの音では無理なんですね?新に音楽的で美しいフレージング、精確なアーティキュレーション」と絶賛された名盤。

イゾワールは曲順にもこだわりを見せ、フーガの構造などを考慮しながら曲順を再構築。大きな流れが生まれ、一つのまとまりのある傑作として「フーガの技法」を再提示しています。YouTubeでの配信はありませんがBWV578でお楽しみください。

J.S.Bach BWV578"Little" Andre Isoir

最後に、バロック時代は「歪な真珠」の如く、“自由で自発的な演奏”という言葉をある時期から良く耳にします。

イタリア様式にはまさにその通りだと頷けるものが殆どなのですが、バッハのある種の作品には一括りにしてそれを持ち込んではならない例外もあるのだと筆者は思っているのですが 如何でしょう?・・・・・・・・・・

当に制約のない制約なんでしょうか?ブラボー!


Friedrich Guldaのピアノを聴く・・・フリードリヒ・グルダのJAZZもイケますよ。

2016年09月22日 | JAZZ・ボサノヴァ

今日は朝から雨模様、久々の休日!

最近仕事が建込みノンビリ過ごすのには雨も良いかも知れません。

ゆっくり珈琲豆挽き淹れたての珈琲を飲みながら、

ベートーベンのチェロ・ソナタでも・・・・

勿論奏者はピエール・フルニエ(チェロ) 1906年パリ生まれ。パリ音楽院に学び、1924年デビュー。

以後ソリストとして活躍すると同時に、

ヴァイオリンのシゲティやピアノのケンプほか多くの名演奏家と室内楽活動も行い、

洗練された高雅な演奏で世界的名声を確立。大チェリストとして多大な尊敬を集めた。

1954年以降はたびたび来日。

その時の写真があります、さすがフランスの紳士中々お洒落です。1986年死去。

 

拙宅のアンプに朝起きてスイッチを入れて準備OKです。いきなりチェロ・ソナタ 第3番から聴き出します。

 

ベートーヴェン: チェロ・ソナタ 第3番 イ長調 作品69 フルニエ / グルダ

ベートーヴェンが作曲した5つのチェロ・ソナタは、

J.S.バッハ以後はじめてチェロの機能を存分に発揮させた傑作として、 チェロの新約聖書とも呼ばれています。

第3番は、「交響曲第5番 運命」、「交響曲第6番 田園」、「ピアノ協奏曲第5番」、オペラ「フィデリオ」

などの名作と前後して作曲されているだけあって、中期ベートーヴェンの漲る情熱がほとばしっており、

チェロとピアノが五分五分のパワーで激しくぶつかり合う緊張感に興奮させられます。

この第3番は、チェロ奏者にとってかなりの難曲としても知られている。

いかにも中期ベートヴェンらしいゴツゴツした楽想のなかで、

ハイポジションの音域を濁らずに出すのが難しいらしい。

普通はチェロの聞かせどころになるはずの緩徐楽章もない。

しかし歌われる旋律は性格がはっきりしていて、親しみやすさもあることから、

5つのチェロ・ソナタのなかでは最もひろく知られ、演奏機会も多い曲です。

 

そこで本日の本命はフリードリヒ・グルダ(Friedrich Gulda, 1930年5月16日 - 2000年1月27日)は、

オーストリアのピアニスト・作曲家。

 

FRIEDRICH GULDA - Mozart Piano Sonatas ~ K.311 and K.332 LIVE

 

クラシック畑のピアニストだった フリードリッヒ グルダは 

ジャズの快演についてはむしろ比較的初期に見られたものだったらしい事に気がつく。

グルーブ感もなかなかで早い。  相変わらずコメントでケチつけてるのがいるみたいだが。 

カテゴリー上はドイツにしてあるが正確にはオーストリア出身で夫人は日本人女性のジャズピアニストだった。 

フリージャズの影響を受けてからはかえってジャズぽさが消えたようだ。

1964年の貴重な記録が動画でアップされています。 バックバンドの演奏レベルの高さにはびっくり。

 

Mel Lewis with Friedrich Gulda "Music for Piano and Band" Eurojazzorchestra Vienna 1964

 

その前にそもそもジャズとは何か、その音楽をジャズと呼ぶために満たすべき要件は何かといった、

ジャズの定義にかかわる考察が必要になってくる。

 

しかし「こんなのジャズじゃない」とバッサリ切って捨てている人たちの多くは、

そんな考察などハナから頭になく、 自分にとってジャズに聞こえる音楽がジャズであるという、

非常に恣意的な判断でものを言っているのである。

まあそれは何もジャズに限った話ではなく、音楽に限った話でもないが。

かく申す筆者もジャズファンを自称しながら上述のような「ジャズの定義」についてはマトモに考えたことがなく、

テキトーにものを言っているのだが、そのテキトーさについてはご寛恕願うとして、

筆者はグルダのジャズ演奏に、 ジャズファンの言う something をちゃんと感じる。

彼が何も手すさびでジャズをやっているとも思わない。

 

2度目の奥さんは日本人のジャズピアニストでした。そういうわけでジャズに興味を持ったかどうかは分かりませんが、

古楽器の木管で、ブルースを吹いたり、ハービー・ハンコックやジョー・ザビヌルとピアノ併演奏をしたりしました。

 

Friedrich Gulda Trio - Round Midnight

 

しかしハンコックもザビヌルも一流のジャズピアニストですが、グルダの前では何となく精細を欠いており、

おどおどしているようにさえ見えました。

それだけグルダは自由でした。

彼こそ天才です。

 

Chick Corea & Friedrich Gulda - 2 Pianos Jazz Improvisation

 

彼の唯一の欠点は「演奏がウマ過ぎる」ことかもしれない筆者??

それとなんとなくマイペースで人生を楽しんでる様に見え、

適当に演奏してるようにも見えますが、 実に上手い演奏です。

この様な演奏を聴く場合はどちらかと言うと、ヨーロッパ系の装置が良く聴こえる様な気がします。

現在のオーディオンターフェイスのグレードアップを考えましょう。


モーツアルト以外のクララ・ハスキル演奏も素晴らしい・・・・シューマン『子供の情景』

2016年09月19日 | バロック音楽・オーディオ一般

先日佗び草の剪定をしたが、やっと整い初めて来ました。

今週はシルバーウィーク週間として勤勉な日本国民に休日を指定しないと、

休みを取らない国民のため

5月のゴールデンウイークの様に考えているのかも知れません。

筆者も齢70歳が近づき、未だ働いていることを思うと、

年金の少なさに痛感します。何時まで体力が続か心配でもある。

 

ここで老人が子供の頃に振り返って見てもと思い此の曲の紹介です。

ローベルト・アレクサンダー・シューマン(Robert Alexander Schumann,

1810年6月8日 - 1856年7月29日)は、ドイツ・ロマン派を代表する作曲家。

ベートーヴェンやシューベルトの音楽のロマン的後継者として位置づけられ、

交響曲から合唱曲まで幅広い分野で作品を残した。

とくにピアノ曲と歌曲において評価が高い。

クララとの結婚をめぐるヴィークとの争いの間、

シューマンは彼の代表的なピアノ曲を相次いで作曲している。

 

すなわちピアノソナタ第1番(作品11)、

『幻想小曲集』(作品12)、

ピアノソナタ第3番(作品14)、

『子供の情景』(作品15)、

『クライスレリアーナ』(作品16)、

『幻想曲』(作品17)などである。

 

今回は『子供の情景』の紹介です。 この曲集は‘子供の’というタイトルがついているが、

必ずしも子供が簡単に演奏できるといった曲ではなく、

大人が見た子供の日常の様子を精密に綴ったもので、

シューマンの描写力と表現力の並々ならぬ才能が発揮された傑作の筆頭である。

どの曲も複雑な音型はないため子供が演奏することもあるが、各曲の要求する内容を表現するには、

極めて高度な表現力が要求される。

特に誰でも聴いたことの有る"Traumerai"は有名ですがむしろ全曲通して聴くことを薦めます。

 

Clara Haskil plays Schumann Kinderszenen Op. 15

 

筆者も大好きなクララ・ハスキル(Clara Haskil)の演奏は優しさに満ち溢れ大好きである、

ハスキルのシューマンもいいですよ。 音は柔らかく、でもその感情表現は、素晴らしいものです。

しかも、彼女は、ピアノを鳴らすときは、最大のフォルテッシモも忘れません。

 

1.「見知らぬ国」 / "Von fremden Landern und Menchen"

行ったことのない国のお話しに耳を傾ける子供。異国への憧れが幻想的に描かれている。

2. 「不思議なお話」 / "Curiose Geschichte"

これは、リズミカルで元気のよいお話。子供の興味をかきたてている様子が窺える。

3.「鬼ごっこ」 / "Hasche-Mann"

鬼ごっこをして走り回る、活発な子供たち。

4.「ねだる子供」 / "Bittendes Kind"

5.「満足」 / "Gluskes genug"

6.「重大な出来事」 / "Wichtige Begebeheit"

7.「トロイメライ」 / "Traumerai"

 

シューマン「トロイメライ」 聴き比べ

 

8.「炉端で」 / "Am Camin"

9.「木馬の騎士」 / "Ritter vom Steckenpferd"

10.「むきになって」 / "Fast zu ernst"

11.「こわがらせ」 / "Furchtenmachen"

12.「眠っている子供」 / "Kind im Einschlummern"

13.「詩人のお話」 / "Der Dichter spricht"

 

子供の夢の世界が、ゆっくりと広がってゆく。

途中、詩人がレチタティーボで登場し、「見知らぬ国」のお話をそっとしてくれる。

やはりこの曲は、シューマン 「子供の情景」は1848年シューマンの語るところによると

「子供の学習用のピアノ曲ではなく、むしろ年とった人の回想であり子供心を描いた大人のための作品である」

と書いております。 

シューマンの子供の世界への憧れと自分の回想がこの曲集になったと言えるのではないかと思います

此の週にあえてアップしました。