伝統ある英国の10吋ユニットで、いい音で音楽を聴きたい・・・・・

音楽好きの、古いオーディオ機器10吋TANNOYを改良そて聴くダメオヤジの金ちゃんです。

世は歌につれ、歌は世に連れと・・昭和時代何かと影響された楽器「手風琴」でJ.S.バッハの演奏を考察する。

2022年12月27日 | 2022J.S.バッハ関係


最近の都内の夜景は大変美しい、冬空のためか空気が澄んでいるのであろう。同じ地球で戦争地域もあり一刻も早い終結が望みである。筆者も今年最後の仕事現場であり今年は年末は自宅でのんびり過ごせそうである。
今年も後少しで新しい歳を迎えようとしています。昨年から続く流行病(はやりやまい)のため行動を狭められ、のんびり温泉旅行等の制約もあり、ある程度のスポーツ放映で楽しんだが、お隣の支那国では相当な流行病患者が多く、全て秘密主義国家の体制ゆえ駆逐出来ない様相を呈している。1日の感染者はどの程度になるのか死亡した人数さえ不明の状態で最悪状態が続く。最近はまた日本の感染者も増えてはいるが、筆者も先日5回目の最新の予防接種を終えた。
又お隣ロシアはウクライナ戦争もロシア側が大変不利になっている様子で来年度はロシア国は無くなると予想する方もいる様であるが、一刻も早く戦争は終了して欲しい処である。
日本の政治も最悪で自民は弱小の公明党に気を使い、親中の公明政権は一刻も早くボイコットしなければならないのであろう。しかし自民議員も不手際議員も多く国民は安心、安全なリーダーが必要な時期でもあろう。



皆さんご承知の如く手風琴奏者は横森 良造(よこもり りょうぞう)さんは有名で、歌い手に合わせた自在な調やテンポの設定が出来、特にのど自慢、歌合戦系のテレビ番組では随分重宝されていた。
アコーディオンは1820年代にヨーロッパで誕生し、19 世紀に発明されて以来、100 種類以上のアコーディオンが生まれましたが、日本では「手風琴」はアコーディオンの和名です。手で風を作り、奏でる鍵盤楽器(琴)です。
日本へは江戸時代の末に伝来した。美保神社には、嘉永2年(1849)に奉納された「日本渡来最古のアコーディオン」(1841年頃、ウィーンで製作された小型の1列ボタンのダイアトニック・アコーディオン)が現存している。五雲亭貞秀の幕末の錦絵にも、アコーディオン(現在と左右が逆の古いタイプ)を弾く米国女性が描かれている。西南戦争で最後まで西郷隆盛と行動を共にした村田新八がアコーディオンを好んで弾いたことは有名である
手で蛇腹を伸縮させて空気を送り音を出す楽器。明治中期頃から用いられたそうです。



最近LS3/5A使用がめっきり少なくなっている、今日久しくLS3/5Aの音を楽しんで見ました、アンプは300Bを使用しました。みなさんご承知の如く、イギリスのBBC(英国放送協会)も、複数の民間企業と提携して開発した放送局用モニタースピーカーが存在します。それがLS3/5aです。音量を上げるパワーに弱い、低音が出ないなど、多少劣る面を持っていながらも、日本国内では支持者が圧倒的に多く、筆者自身で色々改造を施し、程よい渋めの良音が鳴るようになりました。特に真空管との相性は良い具合である。
導入当時はアンプは石のアンプで安物のトランジスターで弦楽器を聴くとキーキー音が鳴ったり。具合良くは鳴らず特にタンノイは弦の音が誠に厳しく苦労したことが記憶に残る、勿論石のアンプも良い物を有ったことは確かであるがその辺りたは球のアンプは手軽に再現可能の様に感じた。

今年もJ.S.バッハの曲を楽しんでまいりましたが、筆者の好きな演奏者の作品を紹介します。以前バッハのチェロ組曲をヴィオラ演奏で聴いた今井信子さんお作品は実に良い演奏でした、今回は鍵盤楽器の代わりにオブリガードアコーディオンと言うでしょうかアコーディオン奏者御喜美江(みき・みえ)さんとの共演のアルバムを聴きました。



Mie Miki御喜美江(みき・みえ)さん。日本を代表するクラシックのアコーディオン奏者と言えば、必ず名前が挙がるアーティストである。1960年代にアコーディオンを始め、10代なかばでドイツに留学。本場のコンクールで優勝を重ね、日欧を往還しながら演奏を展開、「国際派アコーディオン奏者」の草分けとして知られている。ピアノやヴァイオリンなど他の楽器のために書かれた作品の演奏を手掛ける一方、オリジナルの新作委嘱・初演に早くから取り組み、独奏楽器としてのアコーディオンの可能性を拡大してきた。
そんな名手が2013年2月、ザ・フェニックスホールに来演。盟友で世界的ヴィオラ奏者の今井信子さん(ザ・フェニックスホール音楽アドバイザー)ともども、久々のデュオリサイタルに臨む。今井さんのパワー、バイタリティ、アイデアに惹かれるという御喜さん。
お二人の共演ももちろんいいのですが、興味深いのはそれぞれのソロによる演奏も実にです。御喜さんのイタリア協奏曲は圧巻!もしかして今まで聴いたイタリア協奏曲の中で最高かも知れない。勿論チェっバロ等の鍵盤楽器の演奏も良いのですが今回の1、3楽章の、このドライヴ感はなんなんでしょう。そして2楽章の陰影の豊かさはまさに筆舌に尽くし難い!後に紹介するJ.S.バッハ (1685-1750) : 平均律クラヴィーア曲集 第1巻、第2巻よりのアルバムも絶品です。考えてみればアコーディオンと言う楽器も確かに鍵盤楽器でであるのですが・・・素晴らしい作品と思えました。何か生き生きしたリズム活動感が感じられる素晴らしいバッハの作品とも思えたひと時でした。

そして、今井さんのソロ。なんと初のヴァイオリンでバッハの無伴奏パルティータ弾いてらっしゃるじゃないですか!えっ?ヴァイオリンで弾くの当たり前じゃないかって?いや、そういう意味じゃなくて、ヴィオラ奏者である今井さんのヴァイオリンは初めて聴いたんですよ。ヴァイオリン弾きがヴィオラを弾くというのはよくありますし、その逆だとこういうふうになるんですね。ちょっと新鮮な感じがしました。モダン・ヴァイオリンでもこういう音楽作れるんですよ!
ヴィオラ・ダ・ガンバソナタ第1番ト長調 B WV1027これは素晴らしいですね、ヴィオラでの演奏はアコーディオンにヴィオラという楽器の音の魅力を知悉した仕掛け満載。耳の関心と知的興味を両立させ、じっくりと音の深みに引き込んで聴く愉しみを満たしてくれる津々脱帽の逸品。古楽で蒼色としに染まりアコーディオンで情動惻々相貌を変えるバッハ。今年の最後に紹介する作品としては満足な作品に思います。



『涙のパヴァーヌ~アンティクィティーズ』/CD
 アーティスト:今井信子/御喜美江
合計収録時間 | 01:01:41
【曲目】
 1.ギヨーム・ド・マショー: モテット第23番
 2.同 : ロンドー第14番
 3.J.S.バッハ: イタリア協奏曲 BWV.971
 4.イザーク: 仲間たちよ,ただちに
 5.同 : 運命に立ち向かい
 6.J.S.バッハ: 無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第3番ホ長調 BWV.1006
 7.ダウランド: ラクリメ(涙のパヴァーヌ)
 8.同 : 私の過ちを,彼女は許してくれるだろうか
 9.同 : もしも,私の受けた苦しみが
 10.J.S.バッハ: ヴィオラ・ダ・ガンバ・ソナタ第1番ト長調 BWV.1027
 11.同 : マタイ受難曲~汝が道と,汝が心を/コラール《わが心の切なる願い》BWV.727
【演奏】
 1-5,7-11.御喜美枝(アコーディオン)
 1,2,4-11.今井信子(1,2,4,5,7-11.ヴィオラ、6.ヴァイオリン)
【録音】
 2001年7月10-13日 レンナ教会,スウェーデン

御喜美枝さんは東京生まれ。16歳でトロシンゲン市立音楽院(ドイツ)へ単身留学。ハノーファー国立音大ピアノ科でベルンエルト・エーベルトに師事。1973・74年、クリンゲンタール国際アコーディオン・コンクール(ドイツ)青年の部で連続優勝を遂げ、ドイツを中心に活発な演奏活動を開始した。日本では77年に岩城宏之指揮・札幌交響楽団でデビュー。87年にサントリーホール、88年にカザルスホールのオープニングシリーズに出演。これまでに小澤征爾指揮サイトウ・キネン・オーケストラ、スイス・ロマンド管弦楽団、佐渡裕指揮ベルリン・ドイツ交響楽団、東京フィルハーモニー交響楽団等、オーケストラとの共演も多数ある。



J.S.バッハ (1685-1750) : 平均律クラヴィーア曲集 第1巻、第2巻より
 (Das Wohltemperierte Akkordeon / Mie Miki)
【曲目】
 1-2 前奏曲とフーガ ハ長調 BWV846(第1巻 第1番)(4'08")
 3-4 前奏曲とフーガ ハ短調 BWV847(第1巻 第2番)(2'57")
 5-6 前奏曲とフーガ 変ロ短調 BWV891(第2巻 第22番)(8'37")
 7-8 前奏曲とフーガ ニ長調 BWV850(第1巻 第5番)(2'59")
 9-10 前奏曲とフーガ ヘ長調 BWV880(第2巻 第11番)(4'58")
 11-12 前奏曲とフーガ 変ロ短調 BWV867(第1巻 第22番)(6'03")
 13-14 前奏曲とフーガ 嬰ヘ長調 BWV858(第1巻 第13番)(2'54")
 15-16 前奏曲とフーガ 嬰ヘ短調 BWV883(第2巻 第14番)(4'55")
 17-18 前奏曲とフーガ ト長調 BWV884(第2巻 第15番)(3'20")
 19-20 前奏曲とフーガ ト短調 BWV861(第1巻 第16番)(4'09")
 21-22 前奏曲とフーガ ニ長調 BWV874(第2巻 第5番)(8'15")
 23-24 前奏曲とフーガ ロ短調 BWV869(第1巻 第24番)(11'25")
【演奏】
 御喜美江(アコーディオン;Giovanni Gola / Hohner 1972)
【録音】
 セッション録音:2016年10月/レンナ教会(スウェーデン)

チェンバロ、ピアノでの名演、名盤に慣れ親しんだ耳にこのアコーデオンの平均律はとても新鮮で、単なる平均律アコーデオン版の先入観を一気に払拭してくれます。全集からの抜粋も秀逸。異次元の平均律を楽しんでいます。



この様に手風琴でJ.S.バッハを楽しんで聴いて見ますと、やはり10吋のタンノイ(IIILZ Monitor Gold)のユニットの音が確かめたくなります。
LS3/5AからIIILZ Monitor Goldのユニットに接続する、音質は意外と良く似ている様ですが、音質の響きの深みがタンノイが優れている、手風琴の音がこの様に深みのある味わいがあったことを感じさせて貰った音でした。



アルバムには次の様な解説がある、「数限りなくたくさんの美しさ、驚き、魔力、冒険が隠されていて、弾けば弾くほど新しい発見が絶えない」と御喜美江が語るバッハの平均律は録音の構想から実に5年、満を持してついに実現しました。ピアニストならば必ず演奏するこの曲集は、第1巻、第2巻とそれぞれ24の全ての調による前奏曲とフーガで構成されており、ハンス・フォン・ビューローが「音楽の旧約聖書」と呼び賞賛したことでも有名です。御喜美江のアコーディオンの演奏は、実に多彩な表情を見せ、ことにフーガの各声部の表現は圧巻でバッハへの敬愛と音楽への真摯な姿勢を聴くことができます。温かみのある美しいアコーディオンの音色がスウェーデンのレンナ教会に響き渡ります。

確かに聴けば納得してしまうが、アコーディオンの独奏イタリア協奏曲と今井信子さんおヴァイオリンの独奏無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第3番ホ長調 BWV.1006など未だ知らない世界を覗いた瞬間でした。ブラボー!

余り人気のないブログですが、ご覧いただきありがとうございました。皆様平和な良い歳をお迎えくださいませ。

トルコ出身ファジル・サイ(ピアノ)演奏者のJ.S.バッハ/ゴルトベルク変奏曲 BWV.988の考察。

2022年12月21日 | 2022J.S.バッハ関係

今日もバッハの音楽を聴いてます。今回は鍵盤楽器(ピアノ曲)の演奏です。
 BA1. BWV 1-231 カンタータ、モテット
 BA2. BWV 232-243 ミサ
 BA3. BWV 244-249 オラトリオ
 BA4. BWV 250-524 コラール、歌曲
 BA5. BWV 525-771 オルガン曲
 BA6. BWV 772-994 オルガン以外の鍵盤楽器(チェンバロ、クラヴィコード)の曲
 BA7. BWV 995-1000 リュート曲
 BA8. BWV 1001-1040 室内楽
 BA9. BWV 1041-1065 協奏曲
 BA10. BWV 1066-1071 管弦楽曲
 BA1. BWV 1072-1080 ひとつの作品の中に異なる演奏形態の含まれている作品や演奏形態の指定のない作品

さて今回はBA6の「BWV988ゴルトベルク変奏曲(ピアノ演奏)」の作品であります。



オーディオ再開して今年で10年程の月日が流れましたが、貧困老人の為余裕もなく、機材の入れ替えは殆どありません、未だ後生大事50年以上前もタンノイ10吋のIIILZのユニットを聴き続けるが、当初はTANNOY IIILZ in Cabinetのオリジナルのエッジ交換をし、細々と聴いていましたが音源は耳の高さが塩梅が良いのでIIILZ in Cabinetの載せる台の購入、アンプは当時は石のTEAC MA-7等を使いスピーカーケーブルRCAケーブル等も吟味し色々使って楽しんでいた、聴く音楽は今と同様のJ.S.Bach中心に音楽を聴いていたのは変わりません。
聴き続けるうちにIIILZ in Cabinetの不満な箇所が湧き出る、一番の問題は低域不足であろう、生意気な事にそれより型位が小さなLS3/5Aがしっかりした低音は鳴るのだった。これはアンプの交換等では解決出来ない問題である、確かに真空管アンプで確かめるがピアノ曲のグランドピアノらしい低音は所詮再現は実に難しいことが判明した。



その後Y氏のご好意にてアコースティック・レジスタンス・ユニット付きのGOODMANS AXIOM 80の箱を頂く、昔関西の松波様が考案されたAXIOM 80の箱を利用して随分ワイドレンジな音に変化し松波様の友人の10吋のタンノイユニットを片っ端から変えさせた話ほ有名であり、筆者の使用する箱も、その様な背景がある箱と言われていた。(ステレオサウンド別冊号TANNOY2008年度版にて掲載素てあります)
現在Y氏は憧れのコーネッタの箱に移植して聴いて居られるようです。確かにコーネッタのシステムは良いと思うが、筆者の狭い部屋での導入は無理である。

オリジナルのGOODMANSの箱を発送頂き、到着後早速全塗装し吸音材を交換しある程度メンテナンスしながら徐々に音は変化した、後日10吋ユニット(HPD295)から(Monitor Gold)に交換している。勿論アンプも国産品の三極管300Bに交換し略満足する音が得られているが、当初購入した真空管はオリジナルのELECTRO-HARMONIXが付いていたが支那製のPSVANE 300Bに交換したが変わり映えはしなかった、サブで使用する6BM8に至っては当時ブラウン管時代にテレビで使われ比較的入手しやすい球でスノで、15種程の国産から海外物まで試聴したが日立製が一番音質は良かった。三極管をZaika5300に交換すると、海外製のSIMENSの6BM8が一番旨い具合に鳴ったのです。

最初は低音がモヤついたり、ヴァイオリンの響きはオリジナルの IIILZ in Cabinetが勝っている様にも思えたが、少しずつ改良、メンテナンスし、徐々に聴きやすいワイドレンジな音が響く様になった。



筆者がこの10年で細やかな改良を施し、やっと音楽全体がが楽しめる音が鳴る様になった、此れでやっと音楽愛好家としての入り口にたどり着いた感じがする。

この後、後期ベートーヴェンピアノ・ソナタを聴き納得した。今年入手したパーツの中でもこれ程楽器の持つ特色を見事に表す真空管は無いのかもしれない、見事な鳴りっぷりをする、最近真空管のエージングも済み聴けば納得するが煌びやかな高音と深みがある低域の響きが全く違うのです。
ここで球転がしをすると面白い結果が得られた。球によって余韻の美しさは他では得られない音質です。それがZaika5300の球に出会った音でした。支那製、ロシア製とは大違いである。思えば使用するユニットは60年程前のユニットではあるが、最新録音のソフトを聴くも古さは全く感じないと思ってます。やっと落ち着いて音楽が鑑賞できる塩梅になる。

最近夢中になって聴いている鍵盤奏者がいますので今回その演奏を考察する。
名前はファジル・サイ(Fazil Say)1970年生まれだそうです、トルコ出身のピアニスト兼作曲家。日本では「鬼才! 天才!と言われているそうである。



プロフィールは以下のように説明されてます。卓越したピアノの才能をもつファジル・サイは、25年もの間、極めて稀な方法で聴衆や批評家たちを魅了し続けてきた。サイのコンサートは異次元である。率直で赤裸々で刺激的な演奏、つまり人の心にまっすぐ訴えかけてくるのである。このことはまさに、1986年に作曲家のアリベルト・ライマンがアンカラの音楽院を訪れた際、当時16歳だったサイの演奏を偶然耳にしたときに彼が感じたことであった。ライマンはすかさず、その旅に同行していたアメリカ人ピアニストのデイヴィッド・レヴァインにその場に来るよう連絡し「絶対にこの少年の演奏を聴かなきゃだめだ!まるで悪魔のように演奏するのだ」と言った。この「悪魔のように演奏する」という表現は、今やサイの演奏を形容する常套句となっている。

サイが最初に受けたピアノ・レッスンは、パリでアルフレッド・コルトーに師事したミタット・フェンメンによるものだった。サイの無限の才能をいち早く見出したフェンメンは、基礎的な練習曲や音楽学を教える前に、幼いサイに、毎日、日常のことをテーマに即興するよう指導した。この自由な創作作業と型にとらわれない指導法こそが、後に開花する計り知れない即興的才能と美的感覚の原点となり、ピアニストそして作曲家である今日のサイが生まれた所以である。サイは作曲家として、ザルツブルク音楽祭、ケルンWDR交響楽団、シュレスヴィヒ=ホルシュタイン音楽祭、メクレンブルク=フォアポンメルン音楽祭、ウィーン・コンツェルトハウス、ドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団、フォンダシオン・ルイ・ヴィトン、オルフェウス室内管弦楽団、BBCなどに委嘱作品を書いているほか、交響曲4作品、オラトリオ2作品、あらゆる楽器の協奏曲、数々のピアノ・ソロ曲や室内楽曲を作曲している。



サイらしい弾きっぷりが出ていて、ぐいぐいと引き寄せられました。トルコ行進曲〜サイ・プレイズ・モーツァルトは有名でした。トルコ出身でトルコ行進曲に思い入れがるのかも?知れないですかね!聴けば納得できるが・・・
大変迫力がありました。勿論他の作品も欲しくなりました。
モーツァルト:
  1-3. ピアノ・ソナタ 第13番変ロ長調 K.333
  4-16. キラキラ星変奏曲(「ああ、ママに言うわ」による12の変奏曲 ハ長調 K.265)
  17-19. ピアノ・ソナタ 第10番 ハ長調 K.330
  20-22. ピアノ・ソナタ 第11番 イ長調 K.331《トルコ行進曲》
【演奏】
  ファジル・サイ(ピアノ)
【録音】
  1997年9月 パリ

聴くものをぐいぐい引き込む不思議なパワーを秘めたカリスマ・パフォーマンスには、モーツァルト本来の「驚き」と「喜び」に満ち溢れており、誰でも知っている「トルコ行進曲」や誰もが知っている「キラキラ星変奏曲」が生れたばかりのように新鮮に響き渡ります。



さて今回のメインは今年発売されたアルバム、「」ファジル・サイ/バッハ:ゴルトベルク変奏曲」
解説も非常に良い演奏との評価も高い様です。冒頭のアリアの、穏やかで豊かに装飾された旋律の美しさは、すこぶる印象深いものですが、この作品が構成されている重要なのは、「アリアの低音パートに基づいた変奏曲」という点で、このアリアの低音を示している最初の8小節は、パッサカリアやシャコンヌによく使われた形式になっています。さらに32小節にわたるバスを基礎に、30の変奏が展開するわけですが、各々の変奏曲には、それぞれ新しい素材や手法、固有の雰囲気が盛り込まれていて、個々の魅力とともに有機的に配列されて壮大な全体が形成されています。
ファジル・サイは、この重要な低音パートに目を向けています。バスや内声の大胆な強調、バロック的アゴーギク、ときにはリズムのほんの少しのずらしを加え、メリハリをつけ、右手と左手で強弱の対比を生み出していきます。これはチェンバロでの演奏法では不可能なものですが、あえてピアノで演奏するという意義を問いただしています。左手のバスも突っかかるような強いアクセントで切るような鋭くリズミカルなタッチは即興的で、それぞれの形式的なところから逸脱するかのようなジャズ的にも感じられ、左手の動きを主旋律として聴かせるような弾き方は、これまでになく劇的な緊張感と躍動感が秘められているのが感じられます。これこそ、ファジル・サイの洞察に満ちた見事なバッハの頂点のひとつと言えます。
 J.S.バッハ:ゴルトベルク変奏曲 BWV.988
【演奏】
 ファジル・サイ(ピアノ)
【録音】
 2022年2月17日~3月3日、
 トルコ、イズミル、アフメト・アドナン・サイグン・アーツセンター

筆者もJ.S.バッハのこの曲はGlenn Gouldを初め多くのピアノ演奏者を聴いたが、この様なダイナミックに感じる演奏は驚きであった、名曲中の名曲とJ.S.バッハの後期鍵盤曲の代表する『ゴルトベルク変奏曲』は、不眠症に悩む伯爵のために、バッハの弟子ゴルトベルクが演奏したとも言われている傑作です。チェンバロ(2段鍵盤付きクラヴィチェンバロ)のための作品で、冒頭と最後に置かれたアリアの低音パートに基づく30の変奏は、高度な対位法の技術が凝らされており、変奏曲の歴史における頂点のひとつとして知られています。一度はファジル・サイ(ピアノ)を試しても良いと思いました。



後は筆者の好きな「ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ全集9枚組」の中より最後の一枚は是非おすすめです。

Disc9
 ●ピアノ・ソナタ第30番ホ長調 Op.109
Piano Sonata No. 30 in E Major, Op. 109: I. Vivace - Adagio espressivo
 ●ピアノ・ソナタ第31番変イ長調 Op.110
Piano Sonata No. 31 in A-Flat Major, Op. 110: I. Moderato cantabile, molto espressivo
 ●ピアノ・ソナタ第32番ハ短調 Op.111
【演奏】
  ファジル・サイ(ピアノ)
【録音】
 録音時期:2018年6月3日-6日、7月2-7日、2019年2月23日-26日、4月1-3日、4月29日~5月2日
【録音場所】ザルツブルク、モーツァルテウム大ホール録音方式:ステレオ(デジタル/セッション)

筆者の好きなNo,30、No,31を聴くが実に美しい調べである、以前の装置では味わえないピアノの音が聴けた、29番の「ハンマークラヴィーア」は意外と普通の演奏に感じたが、ベートーヴェンの後期の作品には、ブラームス、ワーグナー、シューマン、そして後世の作曲家に向けた重要なステップが含まれている様に感じます。最後の6曲は、それ以前の作品とは違う音色を持っています。
これは暫くファジル・サイ(ピアノ)作品から目が離せない様に感じる。今後他のアルバムを聴く事も楽しみです、ブラボー!

イタリアのオルガニスト兼チェンバリストLorenzo Ghielmi(ロレンツォ・ギエルミ)のJ.S.バッハ演奏を検証する。

2022年12月17日 | 2022J.S.バッハ関係


この時期の間、華やかな花を咲かせる寒椿。白やピンク色をした大きな花が、寒く寂しい庭を美しく彩ってくれます。また、樹高も低くて扱いやすく、花姿のイメージから、「謙譲」「愛嬌」「申し分のない愛らしさ」という花言葉が付けられました。たくさんの葉っぱを茂らせることから生垣などにもぴったり。明るい寒椿の花を見ると、元気をもらえそうである。愛犬の散歩時にも最近よく見かけるけ花でもある・・・・。

愈々今年も年末で新しい歳を迎えようとしてはいるが、ロシア、ウクライナの戦争、支那の戦備品の増大と如何にも戦争を匂わす準備が伺える、日本も防衛費増大を準備するが、何かと岸田総理は財務省の言うなりにて最悪の事態になっている、戦国時代背景から学ぶこともあるかも知れず、歴史について紐解いて見た。
最近音楽を聴くことも多いが、日本史の乱世の時代にも興味が湧き、YouTube配信映像も含め歴史本も参考に楽しんでいる。



昔夢中になった司馬遼太郎の作品で「国盗り物語」を最初に読んだときに思わず笑ってしまう程面白く、テンポも良く、夢中になって読み耽った記憶があります、当時は仕事で東京甲府間の往復が多くその頃は司馬遼太郎の小説を片っ端から読破した。成程小説としては実に痛快で歴史的にも頷ける要素もあり、今思えば特急電車で往復4時間の読書時間には実に快適な時間であった。
国盗り物語は一介の浪人から身を起こし美濃一国を盗った斎藤道三とその後継者である織田信長と明智光秀の生涯を描いた壮大な歴史ロマンであるが、後編の信長については疑問が残る点が多かったと記憶する、司馬遼太郎は信長公記は読まれてなかったのであろうか?筆者は読んでいると思う、司馬遼太郎の作品は歴史小説なのです。彼の小説はたしかに面白いが、決して記憶に残してはいけない、何故なら面白いが、事実とは随分違う誤った掲載しているのである。

一番の違いは信長のデビューの桶狭間の戦いから違っているのである。基本織田方は今川方と戦い、松平方は今川方に助けを求めた事が基本背景である。

その元の事件は、此処で以前起きた戦いについての紹介です、尾張から侵攻してきた織田氏の間で天文11年と17年の2度にわたって繰り広げられた血で血で洗う凄まじい戦いであったと伝わる。小豆坂の戦い(あずきざかのたたかい)は、岡崎城に近い三河国額田郡小豆坂(現在の愛知県岡崎市字羽根町字小豆坂、同市美合町字小豆坂)で行われた戦国時代の合戦。
三河側の今川氏・松平氏連合と、尾張から侵攻してきた織田氏の間で天文11年(1542年)と17年(1548年)の2度にわたって繰り広げられた。発端は松平氏家中の家督相続をめぐる対立だが、これに領地拡大を図る織田氏と今川氏が介入し、事実上、松平清康の死後勢力の衰えた松平氏に代わる西三河地方の覇権を巡って、織田信秀と今川義元との間で生じた抗争である。
第二次合戦において今川氏・松平氏連合は勝利を収めはしたが、この合戦のあった天文17年(1548年)に松平広忠が死亡してしまい、松平氏の次期当主である竹千代が織田氏のもとに人質としてある以上、岡崎城は無主の状態になってしまった。そこで翌天文18年(1549年)、太原雪斎は人質交換によって竹千代の身柄を今川氏の保護下に奪還することをねらい、11月8日(11月26日)から9日(11月27日)にかけて今川軍と松平軍を率いて安祥城を攻略、信広を捕虜として、竹千代と交換する交渉に成功した。今川氏はそのまま竹千代を駿府に引き取って松平氏を完全に保護下に置き、西三河の拠点となる岡崎城に今川氏の派遣した代官を置いた。
下図は愛知県の昔と今の地図で随分配置が変わった事がわかる地図である。西三河といっても額田郡、碧海郡、設楽郡の随分小さな領地の出来事であるかが分かる、東三河とは宝飯郡、八名郡、渥美郡である事が理解できる。



一方、安祥城の失陥により織田氏の三河進出は挫折に終わり、さらに天文20年(1551年)には織田信秀が病没、後を継いだ信長とその弟・信勝(後の織田信行)間で内紛が起こった。この結果、尾張・三河国境地帯における織田氏の勢力は動揺し、信秀の死に前後して鳴海城・笠寺城(それぞれ名古屋市緑区・南区)を守る山口氏が今川方に投降し、逆に今川氏の勢力が尾張側に食い込むこととなった。
桶狭間の戦いに於いて全く違う様子が書かれている、信長公記では信長が生まれてから桶狭間の戦いまでに歴史に残る戦いは四度程行われ、最初は西三河現在の岡崎の小豆坂の戦いで信長の父親「信秀」と義元と1542年に戦い辛くも信秀が勝利している、その6年後小豆坂で二度目を戦い義元は勝利する、信秀が死ぬと後を継いだ信長は和議を破棄して戦いを再開、1554年織田方だった寺本城(現・知多市)が今川方に寝返り、信長の居城・那古野城と緒川城の間の道を塞いだ。(現在の田原市)このため信長は船で海を渡って寺本城を避け、村木砦を背後から攻撃することにした。織田軍が攻め続けたことで村木砦側は負傷者・死者が増え、ついに降伏した。そして又6年後の1860年に最終決戦に桶狭間の戦いがある、織田vs今川対立24年で最終決戦を行う、この戦いを初めて戦うように描かれた小説も数々あり読んだ読者は間違った歴史認識をしてしまいそうであるあくまでも小説なんですと注意したい。
次回実家に戻ったら、岡崎周辺の歴史跡地を探索してみようと思う、岡崎と言えば岡崎城程度しか知らなく無知である西三河と東三河とは違う様にも思える。浄土真宗門徒が多いことは親鸞聖人が布教のため矢作川近くの寺で幾度も布教をし門徒が多く、確かに過激派の空誓(くうせい、生没年不詳 )は戦国時代 の僧侶です。本證寺(安城市野寺)第十代で、蓮如の孫、もしくは曾孫ともいわれています。三河一向一揆の中心人物です。その為か西三河には一般に未だ浄土真宗門徒が多いと言われる地区でもある。

現在の吉田城跡です。豊川沿いに構築されている。

今川群2万5千人の大軍を率い尾張に侵攻した今川義元に対し、尾張の織田信長が本陣を奇襲、または正面から攻撃し、今川義元を討ち取った。当時鳴海城、大高城は海の近くの城で桶狭間は沼地が多く戦場としては不向きでもある、信長自身幼少からの野歩きが好きで地形を熟知誌していた為今川勢を桶狭間に誘き寄せたと云う歴史家も出てきている、新しい発見にて歴史は変わり古地図を読み解く事で辻褄が会うようである。
麒麟が来るでも有名なNHKでの時代考証をしている小和田哲男先生が迷いに迷いながら、家臣たちに支えられる家康像を静岡大学教授小和田哲男先生が語る桶狭間の戦いを述べているが参考になる意見が多くぜひご覧ください。
歴史とは実に新しい文献が発掘され歴史が明らかになっていく事は実に面白い発見で、益々興味深く詮索する事と愛知県に今でに残るであろう資料の発見に興味は湧くのである、確かにこの地はまだまだ歴史の足跡が残っているのであろう。



前置きはこの辺りにして今回はオルガン、チェンバロ奏者で最近意外と良く聴く演奏者がいます、ロレンツォ・ギエルミLorenzo Ghielmi1959年9月1日 (年齢 63歳)最初に聴いたのはチェンバロ演奏でしたが、最近になってオルガン曲を聴いたがギエルミという人のオルガンは非常に明晰で、すっきりとしています。勿論チェンバロ演奏も何処と無く雄大で落ち着きのある演奏は新鮮にも感じます。ロレンツォ・ギエルミ トッカータとフーガニ短調をお聞きください。

確かに以前聴くオルガンの音は何方かといえば低域が持ち上がり鈍重に聴こえたた、レプトンパワーチップをTANNOYのIIILZ Monitor Goldマグニットに貼り聴き出して以前と比べオルガンの音全体が明確で爽やかな風が吹き抜けるの如く良い塩梅に聴こえる。使用アンプはシングルの三極管の真空管アンプでの音出しが一番良い結果が出るようです。
昔はIIILZの音質は一般的に「箱や アンプの音色で合わせる必要があったものの、いぶし銀と評されたその音は独特のもので当時から多くの人に愛されました。一種の色付けと言っても良かったと 思う、 モニターゴールド系ユニットのホーン部の癖なのか、高域にややざりっとした感触の輝きが乗りこれぞタンノイと言われる所以か、オーケストラなどの複数台の弦楽器合奏部などでは、その不透 明さゆえのある種のリアリティを感じさたと絶賛する声が多かったようである」英国伝統の音等とも言われた様でもある。

確かに演奏者がイタリア出身のせいか明るい性格も音に滲み出るのであろうかとも思えるようである。確かにチェンバロ演奏も何となく明るい爽やかに感じる演奏は大変高評価出来る。いかにもイタリアの演奏家なんですね!



このような音の違いが分かるユニットはやはりバッハの音楽のように「王になかの王」何だとも思える。しかし次の音楽を聴くと不満箇所が顔を出す、この戦いは多分死ぬまで続くであろう、この感覚が至福の時である様である。先日ステレオサウンド誌No.225ステレオサウンドグランプリの商品を購入すると合計で1億以上と投稿していたようですが、そのシステムを据え置く部屋は?現実味のカケラも無いまるで夢の世界であろう・・・?
貧困老人には無関係な話でもある、最近はステレオサウンド誌を読む気さえなくしていることが実情である。

ロレンツォ・ギエルミ(Lorenzo Ghielmi)1959年9月1日 (年齢 63歳)イタリアのオルガニスト兼チェンバリストです。 彼はミラノのアカデミア・インテルナツィオナーレ・デッラ・ムジカとバーゼルの「スコラ・カントルム・バシリエンシス」で古い音楽を教えています。彼はトロッシンゲンとリューベックのHochschulefürMusikの教授でもありました。オルガニストのみならず、チェンバリスト、指揮者、研究者としても活躍するロレンツォ・ギエルミ。その洗練された技巧と、深い造詣に裏打ちされた演奏は、常に聴衆に鮮烈な印象を与え続けてきた。現在は、ミラノの聖シンプリチアーノ教会のオルガニストを務める一方、自ら結成した古楽アンサンブル“ラ・ディヴィナ・アルモニア”での活動や、後進の指導なども精力的に行い、古楽界をリードする存在として世界的に高い評価を受けている。



イタリアのオルガニスト兼チェンバリストです。 彼はミラノのアカデミア・インテルナツィオナーレ・デッラ・ムジカとバーゼルの「スコラ・カントルム・バシリエンシス」で古い音楽を教えています。彼はトロッシンゲンとリューベックのHochschulefürMusikの教授でもありました。

オルガニストのみならず、チェンバリスト、指揮者、研究者としても活躍するロレンツォ・ギエルミ。その洗練された技巧と、深い造詣に裏打ちされた演奏は、常に聴衆に鮮烈な印象を与え続けてきた。現在は、ミラノの聖シンプリチアーノ教会のオルガニストを務める一方、自ら結成した古楽アンサンブル“ラ・ディヴィナ・アルモニア”での活動や、後進の指導なども精力的に行い、古楽界をリードする存在として世界的に高い評価を受けているそうです。
オルガニストのみならず、チェンバリスト、指揮者、研究者としても活躍するロレンツォ・ギエルミ。その洗練された技巧と、深い造詣に裏打ちされた演奏は、常に聴衆に鮮烈な印象を与え続けてきた。現在は、ミラノの聖シンプリチアーノ教会のオルガニストを務める一方、自ら結成した古楽アンサンブル“ラ・ディヴィナ・アルモニア”での活動や、後進の指導なども精力的に行い、古楽界をリードする存在として世界的に高い評価を受けている。



J.S.バッハ : 6つのパルティータ BWV825-830 / ロレンツォ・ギエルミ 
(J.S.Bach : PARTITAS BWV 825-830 / Lorenzo Ghielmi) 


古楽界の旗手ギエルミによるバッハの「Op.1」!バッハの鍵盤音楽を極める名匠が至高の組曲から新たな魅力を紡ぎ出す!
ロレンツォ・ギエルミ/バッハ:トリオ・ソナタ集
日本語解説付き 最も聴きやすく、最も難しい奏法バッハのオルガン曲集!
巨匠ギエルミの安定感から漂う、この風格!まして、もはや「イル・ジャルディーノ・アルモニコ初期の鍵盤奏者」というのはアナクロな言い回しなのかもしれません。であるミラノ聖シンプリチアーノ教会のアーレント・オルガンの正規奏者をつとめるこの名匠、主兵ラ・ディヴィナ・アルモニアとの筋の通った録音プロジェクトも軒並み成功続きではありつつ、その確かな音楽知の中心にあるのが、あくまで鍵盤奏者としての、特にオルガン奏者としてのそれであることを、この名盤は強く印象づけてくれます。 
「音楽の父」にして18世紀ドイツ最大級のオルガン音楽の賛辞だったバッハが、両手で二人分、足鍵盤で低音伴奏をつとめる「ひとり3役」の独奏トリオ・ソナタ6曲をまとめたのは、最愛の長男ヴィルヘルム・フリーデマン・バッハの研鑽の仕上げとするため。この難曲を弾きこなせば最高、という試金石の存在感は今も変わりませんが、ギエルミのような名匠の手にかかると、その作品美が自然と幾倍にも感じられることでしょう。



J.S.バッハ: 6つのパルティータ BWV825-830〈クラヴィーア練習曲集第1部〉
[CD1]
 第1番 変ロ長調 BWV825
 第3番 イ短調 BWV827
 第4番 ニ長調 BWV828
[CD2]
 第2番 ハ短調 BWV826
 第5番 ト長調 BWV829
 第6番 ホ短調 BWV830

ロレンツォ・ギエルミ (チェンバロ)
使用楽器: 2001年ミシガン州、キース・ヒル氏が個人所有の18世紀のドイツ製チェンバロにインスパイアされて製作。

録音: 2019年8月10-12日/ イタリア、カヴォナ、サン・ミケーレ教会

この曲集は、バッハがケーテンで過ごした1722年から1723年頃に作曲されたと考えられており、イギリス組曲やパルティータと比べ比較的演奏は容易である。イギリス組曲が短調作品が多く、演奏も技術が求められ、峻厳な曲想であるのと好一対をなしている。この時期、バッハは先妻であるマリア・バルバラ・バッハを亡くし、15歳下のアンナ・マグダレーナ・ヴィルケと再婚しているが、創作の意欲も衰えがなく、本作をはじめ多くの鍵盤楽器曲が残されている。

また筆者も小洒落たリズムが好きなチェンバロ曲で、ピアノ教室の先生が良く言われるのはフランス組曲は小学生4、5年生でもある程度教本が進んでいる生徒さんが弾けるレベルのものと解説されているようです!
「インヴェンションとシンフォニア」に入っていなくても、ブルグミュラーに入っていれば挑戦できる難易度になっています。曲はかわいらしく、やさしい感じで筆者も大好きなバッハの一曲である!



『フランス組曲』はバッハ自身がつけたタイトルではなく、フランス趣味はあるもののドイツの伝統的な組曲がベースになっている、バッハはもちろんクープランやルイ・マルシャンを知っていたが、ベームやフローベルガーのスタイルが骨格となっているのがこの組曲である、とギエルミは言っています。また比較的初期の作品であるトッカータはイタリアのフレスコバルディからの影響が顕著。さまざまな語法を取り入れながらもドイツの伝統に根ざし独自の書法を築いたバッハ、その音楽世界の一端が垣間見えるプログラムと言えます。使用楽器はキース・ヒル氏2001年製作のチェンバロ。18世紀ドイツの個人蔵の楽器をモデルに作られた楽器です。
【曲目】
J.S.バッハ:
  フランス組曲第4番 変ホ長調 BWV815
  トッカータ ニ短調 BWV913
  フランス組曲第5番 ト長調 BWV816
  トッカータ ホ短調 BWV914
  フランス組曲第6番 ホ長調 BWV817
【演奏】
ロレンツォ・ギエルミ(チェンバロ)
【録音】
2018年6月19-21日/イタリア

ギエルミの『フランス組曲』は第1~3番が既に発売されています。なかなか続編が出ずやきもきしていましたが、遂に後半3曲を収録したディスクが登場です!
長調のフランス組曲に対して、劇的な楽想ほとばしる短調のトッカータを2曲カップリング。イタリヤの鍵盤奏者バッハの真髄を魅せつける、注目の強力盤であろう。いや実に楽しい演奏であろうか・・・ブラボー!



久しぶりのオーディオのお話、勿論試聴する音楽は、バッハのチェンバロ協奏曲を10吋タンノイユニットで検証した

2022年12月08日 | 2022J.S.バッハ関係


来年度の大河ドラマは「どうする家康」だそうで配役はともかく来年は歴史観として見れば脚本はあの夕陽丘三丁目を手がけた古沢良太で大変楽しみである。
皆様もご承知の如く尾張は、源頼朝、織田信長、豊臣秀吉と3人の天下人を輩出し、三河は徳川(松平)家康の一人であるのが実情である。愛知県の中でも未だ尾張地方は見栄っ張りで短気と三河地方はおっとり型で排他的で保守的と違い文化、宗教、方言等まで全く違っている事が驚きでもあろう。

私の出身地は愛知の蒲郡です、蒲郡とは東三河の中では一番西の東三河と言われる。北条時代から鎌倉の重鎮の安達藤九郎盛長の五井城があり三河国を収めていた。鎌倉との繋がりは深く、昔は宝飯郡蒲形(カマガタ)と言われその隣の村が、西郡(ニシノコオリ)と言い東三河に西側という意味と言われる。その上の部分が、上郷(カミノゴウ)い言い今川方の侍が納めていた、その西に幸田町が松平家系統の土地でした。その隣に今川方の名門吉良上野介で有名な吉良家があった。三河も西と東は違った社会制度でもあったようである。
東三河と西三河での戦いは三河一向一揆の影響(特に西三河には浄土真宗派が大いと言われ、入り組んだ地形も影響したが、今川が織田に負けた事が原因で三河統一がなされ、明治以降に蒲形、西の郡が一緒になり蒲郡と言う地名になったと言われます家康の最初の側室は西の郡姫(ニシノコオリノヒメ)と言われ今川配下の娘と聞く。当時その後吉田(豊橋)は家康の家臣、四天王の一人の酒井忠次が収め三河統一と相成るが、西・東三河は不仲であったと聞く、歴史は地理上からの影響も相当大きいのであるようだ。



まるで小さな話ではあるが、歴史的に見ると何故か現在の日本の現状を感ずる、それ以来織田と松平は同盟を結び、織田は西に、松平は東へと進出した。地政学から歴史を考察する事もより歴史が良く理解できる方法である。
つい最近アメリカではウクライナの武器支援は少なくし、台湾、日本への武器供与が大切と議会を賑わせ支那を敬遠している様です。
この危機こそ今の日本の姿であろう、相変わらず日本のマスゴミは全くこの様な大切な報道は流さず、今も統一教会まっしぐらである。全く聾桟敷(つんぼさじき)の被害者は日本国民である。

このワンコの様に何時までも平和が続くと思い生活を続ける日本人の様である!
支那(近平)は何時爆発するのであろうか?支那の国の財産も急激に減収しこれは爆発間近であろう、コロナ関係、恒大集団、が経営危機経営者の自殺も報じられている様だが、全く不明、食糧危機と最後の喘ぎの様にも思える。台湾、日本は特に冷静な判断をしなければならない時代になって来た様である。

先日筆者の使用するMacのバージョンアップの案内が配布されMacOS13.0.1に変更したが、何故かプリンターアプリ状態の環境が悪いようである。Macの場合の注意事項である基本はプリンター・スキャナーにバージョンアップが必要なことも多々あり故障の原因になる事も多い様である。今回の様な大幅な12から13とシステムのバージョンアップは確かにより使い易くする為のアップではあるが、多くのアプリケーションのアップロードが必要の場合が一番心配であった。
この時期は年賀状印刷の状態が心配した印刷であったが、早速リコーHPにてアップロードを探すと新しいタイプをダウンロードする事は必須であった。今迄と表示が違いハガキ印刷設定が判りにくい感じでした。この様な手間を考えると、インクジェット印刷が簡単で優れているように感じるが、印刷仕上がり状態はリコーの複合機のプリントが綺麗である。この様に思えば年末のハガキ印刷は余り使用しな為か設定操作記憶が曖昧になる。これぞ老化現象であろうか・・・?



そういえば最近購入したレプトンパワーチップス(3個セット) 燃費 向上 グッズ 車 パワーアップ トルク アップ 静電気 除去 チューニングパーツが本日到着しました。この商品を紹介していただいた、Y氏はオーディオの事に詳しい方で10吋IIILZ Monitor Goldユニットのマグネットカバーを外して磁石の中央へ貼り付けてください。あっと驚きますよ!とコメントされていました。
参考にと送って頂いた写真は下記の写真です。Y氏のお持ちのタンノイのHPD295ユニットに貼り付けた参考写真も見せて頂いた。多分筆者の使用するIIILZ Monitor Goldユニットも同様の効果があるのであろうと期待する。

音質に違いが出ると言われるので早速試す、さて音質は変わるのであろうか?筆者の持つタンノイのユニットにセットするにもマグネト部分はずいぶん汚れているため#600番のサンドペーパーで良く磨くが範囲が大きいので部分的作業を行う、後は無水エタノールで拭き取りレプトンパワーチップスを中心部に貼り付けカバーを装着し仕上がる。


尚レプトンパワーチップスは強力な磁石の塊の様な代物で、以前も此の品物の様な強力なマグネットで水道水の蛇口に取り付け水道の水質向上を計った物と同じ理屈に思えた。尚此のマグネットに使い終わった乾電池を載せて置くと以外に又電池に蓄電されたことを思い出す。同様の理屈に思えた。
この案件は筆者の友人で、当初は止めたが辞めなかった、友人曰く今日本人は癌にかかる確率は体温が低い人程確率は高く、基礎体温を上げても癌予防効果はあると言われている話題の岩盤浴効果である。
効果があるのが当時は磁力でと誰も相手にされなかった代物で、最終的には厚生省の認可も所得したマグネットを注入した電気マットを作り、あらゆる病気、アンチエイジングにと「世界屈指の放射能泉であり、心と身体を癒してくれる鳥取県にある三朝温泉」の様な健康温熱マットも作ったが全く売れず、最後は原価を割って叩き売った経緯があります、当時は健康重視の時代では無かった様です。
尚筆者が手伝ったのはレイアウト関係およびデザインですが勿論無料奉仕のなって交通費諸経費も勿論持ち出しでした。後はHPの制作と販売のための手続き等以外とこの辺りは苦労の連続でした。
製作は韓国に委託、その時韓国の竹塩を教えていただき、友人は竹塩も販売すると仕入れたが全く売れずにラーメン店に叩き売った様である。すっかり横道にそれた話になりました・・・・?



本題にもどりますと作業に小一時間は必要です、接続コネクター部分にもこの前レプトンパワーコンダクターグリースを塗り補修したが確かに今も接続は安定しているので、今回も若干塗り直しコネクターの足の部分に薄く塗布し慎重にセットする。この液体のお陰か演奏途中で音は消えなくスムースに音は繋がり音声は安定して大変良い音で聴けています。取り敢えず此れでセット完了です。

次は早速試聴します、今回はバッハのチェンバロ曲を選んで見ました。録音は少し古いが、4台のチェンバロを揃えて演奏の協奏曲を選びました。
バッハは1729年から1741年にかけて、ライプツィヒのコレギウム・ムジクムの指揮をしており、バッハのチェンバロ協奏曲は、その演奏会のために作曲されたものである。しかしその多くは、バッハの旧作、あるいは他の作曲家たちの作品を編曲したものであると考えられている。それらの原曲が失われていることも多いが、今日では原曲を復元し演奏することも盛んに行なわれている。 バッハがコレギウム・ムジクムの仕事を始めた頃、長男のヴィルヘルム・フリーデマン・バッハ、次男のカール・フィリップ・エマヌエル・バッハを始めとする息子たちや、弟子のヨハン・ルートヴィヒ・クレープスらが一流のチェンバロ奏者に成長しており、このことが複数のチェンバロのための協奏曲の成立の背景にあると考えられる。
一番変わった様に感じたところは余分な音がしない、音への反応が敏感な反応がして鋭くなり、音質は以前と比べ若干細やかにリアルっぽく改善されている感じがした。2〜3日はこのまま放置し続け様子を見ることが賢明であると感じた。再度聴き直すと、思えばオールドタンノイの音の感じが変わったように思える、若干ではあるがリアル感も加わり基本的は変わらないのですが何故か神経質的な一面を覗かせる、この姿こタンノイの元来持っていた陰影を感じさせる魅力の特質かも知れない。いくら優秀なLS3/5Aで聴くもこの独特のタンノイらしい陰影のある音の再生は難しいと思った。今やっとタンノイの魅力を垣間見た感じになった、オーディオの世界も可成り深い様である。



音源をピアノ曲に交換し同じく以前紹介したベアトリーチェ・ラナ(Beatrice Rana)のバッハ:ゴルトベルク変奏曲を試聴するやはりグランドピアノから流れる音は、膨よかな低音も抜けが良く、粒立ちの良い装飾音が心地よく、瑞々しさにあふれ、清流のせせらぎの如しと言えよう。ほぼ満足のするピアノ演奏でもあった。以前からチェンバロ演奏は良いのだがピアノ曲は疑問を抱く今一番と感じていたが、断然ピアノ曲の音質が豊かになった。今後はベアトリーチェ・ラナお得意のショッパンを聴く事が楽しみであろう。
オーディオの調整はこの辺りがそうやらツボと言えるであろう、パーツの補修作業、細やかな調整等アンプとの相性で三年を費やしてしまった。

バッハの器楽曲の中でも興味深いのはチェンバロ協奏曲がありが、一般的に想像すれば、数台の同じ楽器、同じ調律、同じ演奏技術が同様でなければ成立しない、この協奏曲は2台、3台、最終的には4台の楽器を揃えなければ成立しない。勿論支度するだけでも大変な手間と時間が必要である、現在は楽器をヴァイオリン、オーボエ、トラベルソ等に持ち変えての演奏が多い、またチェンバロ協奏曲の中に名曲も多いので事も魅了する。
特に有名な話はバッハの協奏曲を調べますと4台のチェンバロのための協奏曲イ短調BWV1065は,ヴィヴァルディ作曲の協奏曲集作品3『調和の霊感』第10曲の4つのヴァイオリンとチェロのための協奏曲ロ短調RV580のリメイクです。
バッハのオリジナル作品ではありませんが,原型を保ちながらもかなりのアレンジがなされており,まったく別な音楽として個性を発揮しています。さすがに,この協奏曲を作曲するに当たっては,バッハの自作の楽曲からは原曲にできる作品を探し当てられなかったのであろうと想像する。



早速試聴したが大御所レオンハルト演奏を聴く、確かに古い演奏ではある、音質は普通ではあるが実に聴きやすい協奏曲である、この後ボブ・ファン・アスペレン等とも共演はしていますが、このアルバムも一度は聴きたいアルバムではある。この当時としては古楽器使用の演奏は珍しくモダン楽器と違い高音が出しにくいと言われ、世の中はモダン楽器演奏が圧倒的に多い時代でもあった。

Bach: Concertos for 2, 3 & 4 Harpsichords, BWV 1060 - 1065
2台、3台、4台のチェンバロのための協奏曲
今日の古楽隆盛の基盤を築いたレオンハルトが、バッハ時代の編成、楽器、奏法にのっとって初めて録音した作品。演奏の真意がストレートに伝播する名演。
J.S.バッハ:
 2台のチェンバロのための協奏曲第1番ハ短調BWV.1060
 2台のチェンバロのための協奏曲第2番ハ長調BWV.1061
 2台のチェンバロのための協奏曲第3番ハ短調BWV.1062
 3台のチェンバロのための協奏曲第1番ニ短調BWV.1063
 3台のチェンバロのための協奏曲第2番ハ長調BWV.1064
 4台のチェンバロのための協奏曲イ短調BWV.1065

【演奏】
 グスタフ・レオンハルト(チェンバロ&指揮)レオンハルト・コンソート
  アンネッケ・ウィッテンボッシュ(チェンバロ)
  アラン・カーティス(チェンバロ)
  エドゥアルト・ミュラー(チェンバロ)
  ヤニー・ファン・ウェリング(チェンバロ)
【録音】1962-1967年

じっくり試聴した見たが音質はやや抑えめはあるが落ち着いた良い演奏である。やや渋めの演奏は落ち着いた雰囲気を味わえるこれはバッハの音楽の深さでもあろう、確かに今から可也前の録音ではあるがタンノイのユニットらしいチェンバロの涼やかな音声は堪能出来ます、あっと驚くまでは行かなかったが相当深い音質には効果的に思う、使用ユニットにも差は出るのであろうが面白き使用方法とも思える、兎に角磁場の方向を正しく補正することによりエネルギーが従来の持つ力を補正さることに力を発揮できる品物のようである。



次の試聴は、現在バッハの演奏では実力もあり内容も素晴らしい鈴木優人(チェンバロ)Masato SUZUKI, cembaloの最新版を視聴する。
鈴木優人は1981年オランダ生まれ。東京芸術大学及び同大学院修了。オランダ・ハーグ王立音楽院修了。第18回齋藤秀雄メモリアル基金賞、第18回ホテルオークラ音楽賞、第71回芸術選奨文部科学大臣新人賞を受賞。
2018年よりバッハ・コレギウム・ジャパン(BCJ)首席指揮者、20年からは読売日本交響楽団指揮者/クリエイティヴ・パートナー。音楽監督を務めるアンサンブル・ジェネシスでは、オリジナル楽器でバロックから現代音楽まで意欲的なプログラムを展開している。

鈴木優人が実に解りやすく話す【プロが語るバッハの世界】バッハ・コレギウム・ジャパン首席指揮者 日本バッハ界のサラブレッド鈴木優人からみたJ.S.バッハの魅力、話から紐解くバッハの音楽の世界を覗く。暇な時に一度聞くとバッハの音楽の参考になります。

バッハ - チェンバロ協奏曲 Vol. 2
解説では次の様な紹介がある。ヨハン・セバスティアン・バッハによるハープシコードと弦楽のための協奏曲は、最初ではないにしても最も初期の鍵盤協奏曲の一部です。おそらくバッハは、自分自身 (または彼の才能ある息子たち) のためにこれらの曲を書きました。おそらく、ライプツィヒのコレギウム ムジクムで演奏するためでした。協奏曲の新鮮で活力に満ちた性格は、バッハが仲間の音楽家と交流する機会をどれだけ楽しんだかを反映しており、鈴木雅人がバッハ コレギウム ジャパンの同僚たちとバッハのハープシコード協奏曲の最初の作品である「きらめく演奏」にも現れました。
いかに風変わりに聞こえるかもしれませんが、バッハのハープシコード協奏曲の多くは、他の楽器のために書かれた以前の作品の編曲であることはほぼ間違いありません。この第 2 巻に掲載されている作品のうち、BWV 1054 と BWV 1058 は、作曲家がケーテンに住んでいたときに作曲されたヴァイオリン協奏曲を翻案したものです。BWV 1055 のモデルは失われましたが、オーボエまたはヴィオラ ダモーレのための協奏曲であると考えられています。最後に、BWV 1057 は、有名なブランデンブルク協奏曲第 4 番を翻案したもので、1 段階下に移調されていますが、オリジナルの 2 つのリコーダーは保持されています。音楽のリサイクルの例として、これらの作品は、成功した音楽のアイデアを再利用し、それらに新しい意味と重要性を与えるバッハの並外れた能力を示しています。


Cembalo Concertos Vol.2 : 鈴木雅人(Cemb)/ Bach Collegium Japan
すでに鈴木雅明と演奏した2台のチェンバロのための協奏曲集はリリースしておりますが、このたび鈴木優人がソロ・チェンバロと弦楽のための8つの協奏曲を録音しました。
独奏チェンバロと弦楽オーケストラのための協奏曲集はその半分がバッハや他の作曲家による他の楽器のための協奏曲を編曲したものですが、チェンバロという楽器中継奏から独奏楽器へと
消失したヴァイオリン協奏曲の編曲である第1番ニ短調、同じく消失したオーボエ協奏曲の編曲である第2番ホ長調、美しいラルゴの旋律が有名な第5番ヘ短調はいずれもバッハの類まれな才能により華やかなチェンバロ独奏と弦楽との掛け合いが魅力です。
また協奏曲第8番ニ短調は第1楽章の叫び8小節半しか現存しないため、鈴木優人が復元した版で録音しました。カンタータ第35番の導入シンフォニアを第1楽章、第2楽章を第2曲『アリア』、同じく第3楽章を第5曲のシンフォニアから復元で演奏。急-緩-急のイタリアの協奏曲風に仕上げました。またカンタータ第35番の原曲では3つのオーボエのパートがありますが、ここではオーボエは1本に編曲。 、特に唯一無二の第2楽章はチェンバロの掛け合いで美しく奏でられます。 鈴木優人の多才ぶりを発揮した無二のアルバムです。

JSバッハ:チェンバロと弦楽のための協奏曲集 Vol.1
  協奏曲第1番ニ短調 BWV.1052
  協奏曲第5番ヘ短調 BWV.1056
  協奏曲第8番ニ短調 BWV.1059R(鈴木優人による復元) )
  協奏曲第2番ホ長調 BWV.1053
 鈴木優人(チェンバロ、指揮)
 バッハ・コレギウム・ジャパン
 三宮正満(オーボエ)松夏若美(ヴァイオリン/コンサートマスター)
 高田あずみ(ヴァイオリン)竹嶋祐子(ヴァイオリン)
 山口幸恵(ヴィオラ) 山本 徹(チェロ)西澤誠治(ヴィオローネ)
 チェンバロ:Willem Kroesbergen ,
  Utrecht 1987 after J. Couchet;2 manuals, 
 8'8'4'楽器調律:林 彰見
 録音時期:2018年7月
 録音場所:東京、ヤマハホール録音方式:サウンド(DSD/セッション)
 付きBCJ首席指揮者、鈴木優人弾き振りによる



一応修正は終了し早速試聴したが、ある程度安定するには翌日改めて聴いた。
最新の演奏は大変すばらしい演奏でまるでリアルに聴ける音質の良さを感じる、勿論古楽器を操っての演奏であるが実に生々しい響きが伝わる様子が大変満足できる、この作業部屋兼居間が劇場の一番良い席に変わる感覚は見事である。

確かに現在使用のパワーアンプは高額な商品ではないが国産品の普及品に国産品の真空管300Bに交換してを差し込み聴いているがIIILZ Monitor Goldのユニットとは相性十分で、ある程度の満足感は足りています。



当分此のレプトンパワーチップスを装着して色々の音楽を楽しんで見ようよ思う、確かに磁場の不思議差は筆者も以前からこの技術は注目し調べた事はあった。そこで以前購入のヘルムート・ヴィンシャーマンお得意のバッハのカンタータ曲BWV174からを聴悔い演奏が始まりコラールの部分が始まり驚く、人の声がここまで美しく聴こえるたしかにヴォーガルは冴え渡る様です。
後はヴォッサ、ジャズヴォーがルも文句ない歌いっぷりである、これでやっとワグナーが聴けるとほくそ笑むのであった。

2・3日後パワーチップスの効果良好になりジャズ音楽を視聴する、先ずは視聴には良く使用するSHELLY MANNEのアルバム2 3 4を使うアルバムですが相当なメンバーもが集まり演奏しているが、視聴はこの1曲は特に優れた2曲目のTHE SICKS OF USがお薦め、見事な仕上がりである。YouTube配信もありますので一度お試しを・・・・
ヴィブラフォンの音のリアル感が凄まじい音と響く兎に角音の対応が敏感になった様である。ジャズ系統は全体的にキレも抜群に聴こえる確かにY氏のおっしゃる様に「あっと驚きますよ!」のコメント通に鳴った・・・ブラボー!

Bachのチェロ組曲について好きな演奏者を改めて深掘りし、締めは古楽器の演奏を楽しむ・・・

2022年12月03日 | 2022J.S.バッハ関係

筆者が感じる一般的な日本人の多くはロシアと言えば余り良い印象は持たないと思う、当時は朝鮮を越え遼東半島にロシアの南下という危機から始まった日本の戦争への歴史である、戦前・後旧ソ連に魂を売った男、伊藤忠の「瀬島龍三」が挙げられが確かに共産主義者に侵された日本人も数多いことは現実だ。
昔レーニンが革命を起こしソ連と言う社会主義国を設立し、そして崩壊し見せかけは民主国家ロシアとなったが、根っこの部分の共産主義は顕著に維持してきた。しかしロシアの広大な太地で生活する庶民は政治の事は全く関係ないと言うことである様です。
先日最近のロシアについて資料を読み驚愕したとこがある、ロシア人はウオッカを飲むとは言わず、「ウオッカを放り込む」と言うそうです、筆者のように日本人は想像を絶する自然環境の様である。当に環境が変わるなんて問題でもなく、ツンドラ地方の誰もいない場所で大声を出しても自然環境の中でその大声は自然の中に溶け込み消されて行く環境は経験知がなければ理解出来ないそうです、ロシアの凍る広大な大地に行かなくては体験できなく、そこでウオッカを喉に放り込み全身にアルコールの刺激で気持ちをスキッリするいらしい。当にウオッカはは気付薬の様である、それからスッキリして車の運転を続けると言われる。
車に同乗した方はその行為は飲酒運転と諌めると、警察のことは物の本で読んだことがある、ウオッカを放り込まなければ目的地までは生きて到着しないと、説明したらしい。ウオッカを放り込み眼を覚まし運転を続けるそうである。



またロシアの失敗は信仰の問題もある様です、現在もキリスト教を信仰していますが、西側諸国で起こった宗教革命がありません。簡単に説明しますと16世紀のキリスト教の革新運動です。 ロシア・ソ連といえばかつては「宗教はアヘン」といった無神論の世界と思われた。ロシア革命の指導者だったレーニンは宗教を否定し、世界初の社会主義国を設立した。しかし、ロシアの歴史をみると、政治と宗教との関係が極めて深い関係の存在がある様です。
プーチン政権下で続くウクライナとの戦争も、10世紀前後にあったキリスト教国家、キエフ(キーウ)・ルーシが両国の起源であることが影響しているともいえる。キエフ・ルーシは、9世紀末から13世紀半ばにかけて今のウクライナからロシア西部を支配した当時の大国であり、首都をキエフに置いた。10世紀に君主であるウラジーミル(ヴォロジーミル)大公がクリミア半島でキリスト教の洗礼を受け、キリスト教国家となった。領土もウラジーミルと息子の統治下で最大となり、繁栄を誇った。ウクライナとロシアは今もどちらがキエフ・ルーシの後継国かをめぐって争っている。ちなみにルーシはロシアの古称である。



自然環境の違いは全く違い、当に世界の常識では通用しない事がわかる。現在ウクライナ戦争と他の国は騒いでいるが、つい最近までは同じ国のウクライナが西側諸国に属するとこは裏切り行為と思っている。以前から西側諸国からは、貧困なロシア人と思われがちで事実相当の貧困生活者が多いと言われ馬鹿にされ続け、まるで北朝鮮のような国と思えば、今回のウクライナ国の行為はロシアに対しての裏切り行為の何物でも無い、これが許されない事実である様です。
勿論経済封鎖、輸出入禁止でロシア国民は益々生活苦になるのですが、政権側には全く関係ない問題なんです。一部の国家権力者以外は全く構わない事がロシア国の悲惨な感じであり、例えば今の政権が潰れも次の政権は今以上の過激的な国家となると言われています。共産国家体質は僻みと呪いで体制を維持している感じで、周辺国は益々の共産圏の僻み社会から逃げようとするであろう。ロシアは崩壊してもウクライナの制圧は決して辞めないであろう。



今思えば第2次世界大戦で共産圏のロシアと支那が勝利国になった事が最悪の事態を招いているのである。結論的には当分この戦争は休止符を打てないであろうロシアの弾薬が尽きるまで続けるのであろう。最大の被害者はウクライナ国民とロシア国民である。
最悪な事に国連常任理事国(5常任理事国)中国、フランス、ロシア、英国、米国となってしまった事は最悪なパターンな事であり、国連常任理事国が悪くても手も足も出せない事である。
この様な時代背景を理解しない会談は何度で行っても平行線を辿るであろう。
現在支那の近平がコロナ禍に於いてデモが行われているが結末は天安門事件の様になるのかよ騒ぐが?期待はできないであろう・・・何故なら、ゼロコロナへの不満が噴出しているが、当にこの事件は近平の独裁政治に不満を示しているのであろう、最終的には抑圧して何も無かった事にすることは近平のお家芸と言えるであろう、後振り返れば何も無かった事にし、デモの首謀者は全て抹殺されて何も無かったかの様に終焉を迎えるのであろう。共産主義国の実に恐ろしい暗黒の世界である、来年は少しでも良い時代が来るのを望むが大変難しい事である。
今回のW杯の施設を作ったのは支那で、既に6,500名の犠牲者には何もしないで、賃金さえ払っても無いそうですが、世論のマスコミは何も発表しないで沈黙しているのが実態である。何故であろうか?

結論的に言えばロシアも支那も国の面積が広すぎることが災いを犯している、同国とも10個程の国に分断しお互い切磋琢磨すれば社会的にも経済的にも発展はあろうが、社会主義国家を崩壊して国を分断し普通の国家への変貌が平和な地球に一番近くなる方法かも知れない。いずれかに歪みの入った社会では纏ることは非常に困難なことである。戦争の最終兵器、原子力の力(原爆)の使用は禁止して頂きたいのが唯一の世界の望みである。

カレンダーも後一枚で今年も終わる、一年は実に早い毎年恒例のようにこの時期になると大変忙しいがやっと一息つける状態になったので暖かい部屋で淹れたての美味しいコーヒーを飲みながらBachを聴いてます。



今日もバッハの音楽を聴いてます。今回は室内楽の演奏です。
 BA1. BWV 1-231 カンタータ、モテット
 BA2. BWV 232-243 ミサ
 BA3. BWV 244-249 オラトリオ
 BA4. BWV 250-524 コラール、歌曲
 BA5. BWV 525-771 オルガン曲
 BA6. BWV 772-994 オルガン以外の鍵盤楽器(チェンバロ、クラヴィコード)の曲
 BA7. BWV 995-1000 リュート曲
 BA8. BWV 1001-1040 室内楽
 BA9. BWV 1041-1065 協奏曲
 BA10. BWV 1066-1071 管弦楽曲
 BA1. BWV 1072-1080 ひとつの作品の中に異なる演奏形態の含まれている作品や演奏形態の指定のない作品

さて今回はBA8の「BW V1007~1011チェロ組曲」の作品であります。
今年も最近は筆者のブログ記事はやはりBach記事が大変多い、昔は聴かなかった(声楽)カンタータが多くなったが、勿論Bachの器楽演奏には興味は尽きないのである。知れば知るほど深海に嵌まる様である。



週末の久し振りのゆったりした時間はバッハの音楽を聴きたい、筆者の持つ10吋IIILZ Monitor Goldのユニットで一番上手い具合に鳴る曲は、透明度の高い澄んだ鍵盤楽器の音か・・・?程よい深みのある艶と音色豊かなチェロの音か・・・?と迷うところではあるが、久々にチェロの教科書と言われるJ.S.バッハのチェロ組曲を聴くことにしました。
確かに10吋タンノイでの音出しはチェロ組曲の唸り音の鳴り方を味わうには誠に良い塩梅で部屋に響く、決して重低音の音はしないが、程よい低音をじっくり味わう事ができるユニットである。ドライブするアンプは程よいシンプルの真空管が一番リアルな音の再現に適しているように思える。現在筆者は一回り小さな国産品の300B同等の球を愛用しています、確かに長い事音楽を聴き続けると火屋(ホヤ)の音の良さがわかる様な気もする様である。



無伴奏チェロ組曲の様式は、フランス風舞曲の組み合わせです。前奏曲はフランス風序曲とは異なるスタイルですが、それ以降は、アルマンド、クーラント、サラバンド、ブーレ、ガヴォット、ジーグと、フランス風舞曲で構成されています。この構成は6つの組曲で大きく変わらないので、ブランデンブルク協奏曲と異なり、一時期に書かれたと考えられます。無伴奏ヴァイオリンのパルティータに似た構成です。
アルマンドはドイツの舞曲をベースとしています。他の曲も、ルーツはフランス以外にあるものが多いのですが、ルイ14世のフランスの宮廷で実際に踊られていたため、フランス舞曲と呼ばれます。フランス風舞曲が踊られた時代は、バッハよりも前の時代で、J.S.バッハはフランス風舞曲を元に独自に発展させたと考えられます。無伴奏チェロ組曲でも番号によって色々な試みが見られます。同時代の同じドイツの作曲家であるヘンデルやテレマンも独自に発展させて組曲を作曲しています。イタリアとフランスが中心だったバロック音楽が国際化していった時代です。
さて此処で簡単な曲紹介をします。

 ■組曲 第1番(ト長調)
第1曲目のプレリュードは有名であり、聴きやすい旋律で覆われています。「春風のような爽やかな印象」があり無伴奏チェロ組曲の全6曲の中では聴きやすい1曲と言えます。
  ■組曲 第2番(ニ短調)
ゆったりと、そして、とうとうと流れる大河を思わせる曲で「瞑想的な魅力」すら感じさせます。曲自体が短調であることから、精神を内省の境地へと沈潜させていく感覚に近いと感じます。
 ■組曲 第3番(ハ長調)全体としては、明るくて「楽天的な印象」があります。第4曲目のサラバンドの静けさが特徴的。第3番は全体としてエネルギッシュであるためにコントラストの差が影響するのかもしれません。
  ■組曲 第4番(変ホ長調)
実り多き秋に感じられる「落ち着きをともなった明るさ」を伴っています。始まりの前奏曲からして、ゆったりとした音運びで始まります。全体として、いい意味で強弱があまりなく平静を保った楽曲です。
  ■組曲 第5番(ハ短調)
芯の強さを感じさせながらも「深い悲しみと痛み」に耐えている。そんな印象です。悲しみの思いを隠しつつ、心のうちで静かにむせび泣いている様を思います。
  ■組曲 第6番(ニ長調)
第1楽章の明るさが「春」ならば、第6楽章は「力強い夏の日差し」と言えそうです、明るく親しみやすい旋律で展開しますので聴きやすい1曲と言えます。特に第5楽章の「ガボット」は有名です。
(5弦の小型チェロのために書かれたと考えられています。これは足に挟んで演奏するわけではなくいわば5弦ある大型のヴィオラのようなものでした。つまり顎のあたりにつけて演奏する楽器で、バッハが考案したいう説もあります。。4弦あるチェロで演奏する機会がほとんどですが、その際には非常に高度な技術を必要とします。)
バッハのチェロ組曲の演奏はは番号が重なるごとに大変難しくな流そうです、特に組曲 第6番(ニ長調)の演奏は普段の4弦のチェロでの演奏はそれなりのテクニックが必要だそうです。



筆者はチェロソナタを最初に聴いたには今も大切に保管する、アルフィーフレコード盤のピエール・フルニエ演奏の彼らしい端正で折り目正しい名盤です。ピエール・フルニエによるJ.S.バッハの無伴奏チェロ組曲の録音は、1961年にアルヒーフから最初に発売されて以来ずっと歴史的演奏として注目され続けています。歌いすぎず、情感も込めすぎないところから物足りなく感じるかもしれません。

しかし確かにバッハらしい重厚な音もしますが、誠に品のある音質は他の演奏者には無いフルニエの音楽の理解度から滲み出る良さかも知れません。1960年、「チェロの貴公子」と呼ばれたフランスのチェロ奏者、ピエール・フルニエ(1906~86)による名演だ。1音1音を何回も聴くうちに、フルニエの品格のある解釈の良さを体感できますす。




今思えば、ただ長く腰を落ち着かせて聴きたい名曲が無伴奏チェロ組曲ですので、色々演奏者を聴き比べ分かるは教科書の如く演奏するフルニエの名盤は、ある意味で最適な選択と言えるかもしれません。無伴奏チェロ組曲の本来持つ構造的な美しさも再認識できる名盤でもあります。



次に聴くは後は矢張りチェロ・ソナタの音楽の魔法と魔術師たち J.S.バッハ「無伴奏チェロ組曲」1890年、13歳のカザルス少年は、バルセロナにある楽器屋で古ぼけた1冊の楽譜を発見した。
当時はほとんど知られていなかったその楽譜のページをめくると、一瞬にして音楽の魔法が激しく、そして優しく彼を包み込んでいった。名曲「無伴奏チェロ組曲」の再発見。多少、脚色してしまったが、当時は“楽器上達のための練習曲”くらいにしか扱われていなかった曲集の芸術的価値を見極め、自身の素晴らしい演奏で世に知らしめた音楽家、それがパブロ・カザルスだ。

「音楽の父」ヨハン・セバスチャン・バッハ作曲「無伴奏チェロ組曲全6曲」。各々6つの曲から構成される組曲が6曲。作られたのはおよそ300年前。この曲を演奏しないチェリストはまずいない。それどころか、すべてのチェリストが見る究極の夢は、天国で、バッハの目の前でこの曲を弾いて褒めてもらうこと。“チェロの旧約聖書”とまで呼ばれることもしばしば。



バッハの無伴奏チェロ組曲は、組曲第1番から 第6番まですべてが「古典組曲」の形式で作曲さ れている。1717~21年にケーテンにて作曲。バロッ ク時代に生まれた「古典組曲」の形式は一曲目に 前奏曲などを置き、その後に古い舞曲を数曲並べ たもので、標準的なパターンは、6曲からなっている。 



是非一度は聴きたいシュタルケルのバッハですが・・・
圧倒的な迫力満載のバッハ:無伴奏チェロ組曲全曲ヤーノシュ・シュタルケル Janos Starker (Cello)

1963年4月15日(第2番),1963年4月15,17日(第5番),1965年9月7日(第1番),1965年9月7,8日(第6番),1965年12月21,22日(第3番,第4番) ニューヨーク,ファイン・レコーディング・スタジオ
SSHRS-011/014 (P)1964/1966 Universal International Music B.V. / Stereo Sound REFERENCE RECORD (国内盤)
先に挙げた従来盤と聴き比べてみると,音の鮮度という点では確かに改善が見られました。 また,従来盤にあった左右レベルの微妙なバランス崩れや位相ずれのような違和感も緩和されているように思いました。 一方で,ドロップアウトまでいかないまでもテープの劣化による音の荒れのようなものは逆に目立って聴こえるので一長一短があるようにも思いました。
全体的には改善の方が大きいためこの復刻の価値は十分にあると思いますが, 従来盤もマスターに忠実なデジタル化を目指したものであったため, 改善が明らかとはいえびっくりするほどの差はなく, 従来盤のおよそ4倍程度の値段が妥当かどうかはそれぞれの人の価値観によると思います。



ヴィーラント・クイケン(Wieland Kuijken)
1938年、ベルギーのブリュッセル近郊のディルベーク生まれ。ヴィオラ・ダ・ガンバ演奏の第一人者。古楽界に有名なクイケン三兄弟の長男。ブリュージュ音楽院を経てブリュッセル音楽院へ進む。チェロを学んでいたが、在学中に古楽に興味をもち、文献を元に独学でヴィオラ・ダ・ガンバの奏法をマスターする。59年、バロック音楽のグループ〈アラリウス・アンサンブル〉を結成し、演奏活動を開始する。72年、〈クイケン古楽グループ〉を結成し、ブリュッヘンやレオンハルトと共に、オリジナル楽器による演奏を活発に展開している。また、70年代からはアントワープ、ブリュッセル、ハーグ音楽院などで後進の育成にもあたり、教育者、研究者としても高く評価されている。87年に初来日して以来、日本にも何度か訪れ、古楽の神髄を聴かせて聴衆を魅了した。
最新録音の技術も上がり確かに良い音での録音は素晴らしく堪能できる。

J.S.バッハ:
 無伴奏チェロ組曲第1番ト長調 BWV.1007
 無伴奏チェロ組曲第2番ニ短調 BWV.1008 
 無伴奏チェロ組曲第3番ハ長調 BWV.1009
 無伴奏チェロ組曲第4番変ホ長調 BWV.1010
 無伴奏チェロ組曲第6番ニ長調 BWV.1012
 無伴奏チェロ組曲第5番ハ短調 BWV.1011

 ヴィオラ・ダ・ガンバとチェンバロそのためのソナタ第1番ト長調 BWV.1027
 ヴィオラ・ダ・ガンバとチェンバロのためのソナタ第2番ニ長調 BWV.1028
 ヴィオラ・ダ・ガンバとチェンバロのためのソナタ第3番ト短調 BWV.1029
使用楽器
 ヴィーラント・クイケン(チェロ、チェロ・ピッコロ、ヴィオラ・ダ・ガンバ)
 ピート・クイケン(チェンバロ)*〔2001~2002年録音〕
 パリのアントニー・サイディ&フレデリック・バル1995年製作再現楽器ジルバーマン1740年頃製作モデルによる録音時期



2001 -2002年 録音方式:ステレオ(デジタル/セッション)
この作品について次の様なコメントが記載されいたので紹介する
1938年ベルギーのブリュッセル近郊に生まれ、有名なクイケン兄弟の長男(次男シギスヴァルト〔ヴァイオリン〕、末弟バルトルド〔トラヴェルソ〕)として「古楽界に君臨する法王」とでも形容したくなるほどの威厳をそなえ、多くの尊敬を集めるヴィーラントですが、その長大なキャリアを辿ってみても、ことバッハの無伴奏組曲の録音となると、なぜかポッカリ穴があいたように抜け落ちているのを、多くの人が不自然に感じていたことでしょう。
クイケン・アンサンブルの一員として、ラ・プティット・バンドのコア・メンバーとして、数え切れないほどのバッハ演奏を行ってきたはずのヴィーラント。弟のシギスヴァルトが無伴奏ヴァイオリン・ソナタ&パルティータだけでも2回全曲録音したのに較べると、ヴィーラントは無伴奏チェロ組曲にまったく手を出さずで(ヴィオラ・ダ・ガンバ・ソナタに関してはアナログ時代に一度録音があります)、兄弟でありながら、その姿勢は極端な対照を示していました。
1960年代初頭から、まずガンバ奏者として旺盛な演奏活動を繰り広げていたヴィーラントですが、古楽奏者として世界的に名を知られだした1967年、ヴィーラントはクレモナ地方の16世紀の名工アンドレア・アマティ(c.1511-c.1580)作のチェロを買わないかと持ちかけられています。ヴィーラントは「かつてのフランス国王シャルル9世のコレクションだった」というふれこみ付きのその楽器について、真贋に大きな疑念を抱きます。「シャルル9世コレクション」の伝説自体が18世紀後半になってようやく記録に登場することから、早くてせいぜい18世紀後半、もっと遅ければ19世紀に入ってからアマティを模して作られたものだろう、と推測したのでした。しかし、何か惹かれるものがあったのでしょう。結局その楽器を購入することになってしまいます。
それから40年近くの時が流れ、今ではその「偽アマティ」がバッハ演奏に最もふさわしい楽器だと感じるようになったとのこと。ヴィーラントのもとには、多くの音楽学者たちから「組曲第○番は○○という楽器で○○という奏法により弾くべき」といった類の提言や学説が山のように寄せられ、可能な限りそれを吸収するように努力してきたといいます。しかしそうした長年の試行錯誤の末に「自分はバッハそのものではない」と気付き、偉大なバッハの組曲と演奏者の間をより親密な関係に置き換えて「自らの心に忠実になること」という別の結論を導き出したのでした。
ヴィーラントは今回のブックレットの中で「無伴奏チェロ組曲をバロック・チェロで演奏することの意味がわからないわけでは決してないが、今の自分にとって"私のアマティ"で弾くのが最も楽しいことなのだ」と言い切っています。3人兄弟の中で最も内省的、まさに「古楽の求道者然」としていたヴィーラントが、40年近い試行錯誤を経て、遂に世に問うバッハの無伴奏組曲が、周囲もあっと驚くモダン楽器によるアプローチ。まさにヴィーラントの悟りの境地を反映したもの、といっても決して大げさではないでしょう。

なお、ここではヴィーラントの2人の息子たちによるサポートも見逃せません。無伴奏チェロ組曲の第6番では、現存しない5弦の「ヴィオラ・ポンポーゾ」が指定されており、常にその処理が問題になりますが、ヴィーラントがここで用いたのは、息子フィリップが2001年に作ったチェロ・ピッコロ。フィリップ氏によれば、「チェロ・ピッコロ」さえ現存しているものに完全なものはなく、名器のレプリカを作ろうと思っても、手本がないため作りようがないとのこと。そのため、今回用いられたチェロ・ピッコロは当時の資料から離れ自由な発想で作ったものだといいます。その考え方はヴィーラントの今回の演奏ポリシーとも見事なまでの一致をみせています。
3曲のガンバ・ソナタはヴィーラントにとって、レオンハルトとの共演盤以来、約30年ぶりとなる再録音。チェンバロを担当するのはピート・クイケン。彼もヴィーラントのもう一人の息子であり、息の合ったアンサンブルを聴かせてくれています。
バッハのチェロ・ソナタの演奏者も随分多く多くを聴きましたが、これらの作品は名演奏として挙げられるのでしょう、ブラボー!