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伝統ある英国のTANNOY IIILZで聴く、音楽の父J.S.バッハ音楽を知る喜び・・・

音楽好きのIIILZ Monitor Goldユニットの箱を改良して楽しむダメオヤジ金ちゃんです。

ロベルト・ロレッジャン(Roberto Loreggian)オブリガード鍵盤楽器奏者のソナタ2題、J.S.バッハの曲を検証

2025年08月16日 | J.S.バッハ制作音楽

先日毎年楽しみにしている、友人達の旅も無事終わり来年が待ちどうしくなる、年一度の小旅行だはあるが、この待つ間の楽しみも格別でもある。
先日仕事仲間である友人も旅立ったと奥様より連絡があり、今はお盆も送り火である、今年は庭に咲いた仏教といえばこの花!蓮の花が開花しました、まさにお盆の中日に咲いた神秘的な美しさで水面を彩る蓮(ハス)の夏の花です。
古くから親しまれてきた蓮の花はまた、仏教との関わりが大変強い花でもあります。仏教に馴染み深く、しかも夏期に咲く花ということで、お盆になると蓮の花をお供えすることも一般的だそうでです。なぜ極楽に蓮の花が咲いているのでしょうか。 それは、阿弥陀経(あみだきょう)に説かれているからとも言われます。 極楽には蓮の華が咲いていると説かれています。 また、仏様の像を見ますと、蓮の台(うてな)に立っておられます。南無阿弥陀佛・・・
仏教において蓮の花は、清浄さ、悟り、再生の象徴として、非常に重要な意味を持っています。泥の中から美しい花を咲かせる姿が、煩悩にまみれた現世から清らかな悟りの境地に至る人間の姿に例えられるためです。 平和・調和・美しさ・純粋・純潔 蓮 (ハス)はインド原産の花です。 

今日はアラスカで米、ロシアのウクライナ問題の会議でもある、米国自身今や支那が何時暴発するのか不明のまま、ウクライナに弾薬等使えない状態は危険でもあり益々緊張している事には間違いない。



支那は最近ある分野に於いて不良債権問題が多く、相当の負債を抱えると言われるが何故か昔から不思議な国で事実は公開しな国としては有名でもある、以前から半導体産業の支那のHSMCの半導体工場は債務超過に陥っている中国の半導体企業Tsinghua Unigroup(清華紫光集団)が、破産を認めたそうだ。
HSMCの元CEOであるShang-yi Chiang氏によると、負債に苦しんでいた同社は現在、破綻寸前の状態にあるという。HSMCは、14nm~7nmプロセスの先端ロジックウエハーを製造する目的で、2017年11月に設立された。同氏は、米国EE Timesに宛てたLinkedInメッセージの中で、「投資家たちが資金不足に陥ったのだ。私はこのような事態にとても驚いている。もう全てが終わりだ。私は米国カリフォルニア州に帰ってきたところだ」と述べたが、詳細については明かさなかった。

確かに現在日本国も政治は最悪な状態に陥っているが、まともな国になっていただきたい、幸い隣国の支那の現在は不動産、電気自動車、新幹線事業、半導体産業はもたついている時は、相手にしない事が一番でもある。


筆者の愛犬モジャ君の様な如くで「果報は寝て待て」スタイルは、「幸運は、人間の力ではどうにもならないのだから、焦らずに時が来るのを待つのが良い」という意味のことわざです。一刻も早いマトモな政治に直す事が最大の課題である。元々日本のお得意分野でもある半導体、現在北海道に設立が注目されたRapidus株式会社は、トヨタ、NTT、ソニーなど、国内の主要企業が出資をして、次世代半導体の量産製造拠点を目指すため、2022年8月に設立された企業です。回路線幅が2ナノメートル(100万分の2ミリメートル)の次世代半導体で、微細化が進んだ高性能な半導体です。現在、最先端の半導体は3ナノメートルで、Rapidus株式会社が目指す2ナノは3ナノを超える微細化技術を指します勿論未来は1ナノとなるのであるが実は1ナノになると別の障害が出ると言われているのだが・・・考る事が急務であろう。
如何に使用電気量を安価に供給するかであるが、ミニの原子炉を開発したと言われるものを使用して電気を量産し安価な電気料金に変える事である。現在Rapidus株式会社は2027年の量産を目指して開発を進めており、テストは完了と聞く今や世界の注目を集めている様です。

しかしロシア、ウクライナ問題も発端は宗教問題でありウクライナの東側では、ウクライナの主要な宗教であり、ウクライナ正教会(モスクワ総主教庁系)と新生ウクライナ正教会(独立系)の二つの勢力があります。方や西ウクライナの一部地域(ガリツィアなど)ではギリシャ・カトリック教会が民族宗教として発展しましたが、西ウクライナ全体で見ると正教徒がカトリック信徒よりも多い傾向にあります。ロシアはが承知の如くモスクワ総主教庁系のた目に大きな違いが原因と言われる、日本人は多宗教派の国民の多いため、この一神教の思いが伝わらなく、宗教戦争な意味合いが理解できない。一神教徒でも多神教でも人眼である限り、例えば音楽の美しさは変わらないと思うなだが、その辺りの信じる事が違う為に不幸になっている様に感じるのである。最も日本人も宗教はと尋ねられると多くの人々は無信心と言うが八百万の神と言うことが良いのであろう。


さて今回は「オブ リガード」とは、音楽用語で、主旋律を引き立てるために演奏される「助奏」や「副旋律」を意味します。特に、クラシック音楽では不可欠なパートを指し、ポップスなどでは、主旋律をより際立たせるためのテクニックとして使われます。此処ではチェンバロとオルガンによるオブ リガードでの2種類のソナタを選び比べる事にした。

J.S.バッハのいくつかの有名な作品とあまり知られていない作品は、現代イタリア音楽にインスピレーションを得て、ロベルト・ロレッジャン(Roberto Loreggian)オルガンとチェンバロの学位を最高の成績で取得した後、トン・コープマンの指導の下、デン・ハーグ音楽院(オランダ)で専門的に学びました。
彼の活動により、ローマパルコ・デッラ・ムジカ、ミラノのサラ・ヴェルディ、モナコのヘラクレス・ザール(D)、ブエノスアイレスのコロンブス劇場、東京の紀尾井ホール、モスクワ音楽院ホールなど、最も重要なホールで演奏するようになりました。



イタリアの演奏者で2枚のソナタを仕込みました。筆者とっては意味深BWV1027の曲を鍵盤は同一人物でチェンバロ、オルガンでの演奏、フリュート、ヴィオラ・ダ・ガンバ・ソナタと同じ今日を比べて聴ける楽しみでもある。

特に今回仕入れたCDはジャケット写真が気に入り購入したのですが、見事な日本の技法、抹茶茶碗に施された金継ぎの魅力は、壊れた器を修復するだけでなく、その過程で生まれる独特の美しさや、物を大切にする日本の精神を体現できる点にあります。金継ぎは、割れや欠けを隠すのではなく、むしろ金や銀で装飾することで、新たな価値を生み出し、器に歴史を刻むことができます。このような2種類の器をあしらったJ.S.バッハのソナタ2種である。



J.S.バッハ:フルート・ソナタ集
フルートとオルガンによる演奏
このアルバムのアーティストであるフルーティストのフランチェスコ・パドヴァーニとオルガニスト、ロベルト・ロレッジャンは、イタリアにおけるこの世代の最も権威のある演奏家たちですが、此のアルバムでは敢えてチェンバロではなくオルガンを用いることによってフルートの魅力を醸しでしているようです、これらの有名な作品に新しいインスピレーションを与え、ユニークで多様な演奏に仕上げています。

《曲目》
J.S.バッハ:フルートとオルガンのためのソナタ BWV.1027(原曲:ヴィオラ・ダ・ガンバ・ソナタ)
      フルートとオルガンのためのソナタ ロ短調 BWV.1030
https://www.youtube.com/watch?v=_jHBupCpCDY&list=RD_jHBupCpCDY&start_radio=1
      フルートとオルガンのためのソナタ ト短調 BWV.1020
https://www.youtube.com/watch?v=Hyun3yS15j8&list=RDHyun3yS15j8&start_radio=1
      フルートとオルガンのためのソナタ変ホ長調 BWV.1031
      フルートとオルガンのためのソナタ イ長調 BWV.1032
《演奏》
  フランチェスコ・パドヴァーニ(フルート)
  ロベルト・ロレッジャン(オルガン)
《録音》
2017年8月
 サンタ・マリア・デッレ・カルチェリ修道院(パドヴァ、イタリア)
  J.S.Bach: Flute Sonatas
  Francesco Padovani, Roberto Loreggian


Gamba Sonata, 1, 2, 3, 
Etc: Galligioni(Gamb)Loreggian(Cemb)

ヴィオラ・ダ・ガンバは、ヴィオール属に属し、最後に加わった「新しい」弦楽器で、暖かく色彩豊かな音色、広い音域、多くの弦で和音を演奏できること、そしてその構造が高く評価されており、音色だけでなくキリスト教のシンボルである十字架を連想させる構造も高く評価されています。この楽器は、その音色だけでなく、キリスト教の象徴である十字架を想起させる特徴によって多くの人々を魅了しました。バッハはこの楽器を作品の中で好んで用い、宗教曲、世俗曲、そして純器楽曲においても広く用いられました。このアルバムは、ヴィオラ・ダ・ガンバとベースのための3つのソナタと、コラール・プレリュードと協奏曲からのガンバ編曲を組み合わせたものです。ガンバの個性的な特性とチェンバロとの豊かな相互作用、そしてバッハが思い描いていたガンバへの情熱が余すところなく表現されています。
 【収録情報】 
 《曲目》
 JSバッハ: コラール前奏曲『いと愛しまつるイエスよ、われらここに集って』 BWV.731 
       ヴィオラ・ダ・ガンバ・ソナタ第1番ト長調 BWV.1027
       コラール前奏曲『目覚ませと呼ぶ声が聞こえる』 BWV.645
       ヴィオラ・ダ・ガンバ・ソナタ第2番二長調BWV.1028
       協奏曲第1番ニ長調 BWV.972よりラルゲット(原曲:ヴィヴァルディ:ヴァイオリン協奏曲ニ長調 RV.230)
      ヴィオラ・ダ・ガンバ・ナソタ第3番ト短調 BWV.1029 
 《演奏》
   フランチェスコ・ガッリージョーニ(ヴィオラ・ダ・ガンバ) 
   ロベルト・ロレッジャン(チェンバロ)
 《録音》
   録音時期:2022年6月
 録音場所:イタリア、カルチェリ、アッバツィア・サンタ・マリア
 録音方式:ステレオ(デジタル/セッション)

年代や真贋の解明は難しいものの、ここに収録されたバッハの作品はいずれも18世紀初頭にドイツを席巻したフルート芸術の傑作たちばかり。勿論昔から大好きなバッハのソナタでもある。



次はフランチェスコ・ガリジョーニ(Francesco Galligioni)の演奏するJ.S.bahha:ヴィオラ ダ ガンバ曲ですパドヴァのC.ポリーニ音楽院でG.キアンパンの指導の下、チェロのディプロマを取得しましバロック・チェロやヴィオラ・ダ・ガンバも専門的に学び、その後、ローマのサンタ・チェチーリア国立アカデミーとパルマのA.トスカニーニ財団のソリストおよびオーケストラリーダーコースでフランコ・マッジョ・オルメゾフスキに師事しました。

筆者はヴィオラ ダ ガンバのややダブつき気味の大人疑問を感じていたが、フランチェスコ・ガリジョーニの演奏は、バロックチェロの曲も試しに聴いたがヴィオラ ダ ガンバの演奏が優れている様に感じた、何故か一音一音がしっかりトレースされ音の反応が優れている様に感じた。



フランチェスコ・ガリジョーニ(Francesco Galligioni)は、パドヴァのC.ポリーニ音楽院でG.キアンパンの指導の下、チェロのディプロマを取得しました。その後、ローマのサンタ・チェチーリア国立アカデミーとパルマのA.トスカニーニ財団のソリストおよびオーケストラリーダーコースでフランコ・マッジョ・オルメゾフスキに師事しました。
ガリジョーニは、1740年にパオロ・アントニオ・テストーレが製作したチェロと、1700年代初頭に遡るビオラ・ダ・ガンバを演奏します。

確かに現在部屋のTANNOY IIILZユニットでのヴィオラ ダ ガンバの演奏が実に良い塩梅に鳴る、確かにピアノ演奏も良き音はするが、擦る楽器については三極管でのドライブのTANNOY IIILZユニットほど優れたユニットも珍しいであろう。



上記フルートでの演奏のBW V1027とガンバとの演奏を聴き比べるのも面白い、確かに家庭で、一般的に、適度な音量で、バッハの音楽を聴くにはTANNOY IIILZユニットでも鑑賞は実に心地よい、チェンバロ、オルガンと聴けば最後にはやはりピアノ演奏も気になる。特にこの様に古いTANNOY IIILZユニットが奏でる音は家庭で音楽を楽しむには素晴らしいユニットでもありグランドピアノの国得でもある低域から高域まで実に上手い具合にトレースするところでもある。

最近何故か筆者には癖のあるグールド(P)バッハ:イギリス組曲を良く聴く、バッハのチェンバロまたはクラヴィコードのための作品をピアノで演奏するためには様々な困難がある。しかも、ピアノでグールドのようにチェンバロやクラヴィコードのような効果を出すとなると、それはより一層至難なわけだが、グールドはそれらを見事に解いているように思う。バッハの音楽に新しい光を照射し、バッハ演奏史上にさん然と輝やく巨大な金字塔である。アルバムが出た1970年代には、この曲を当時全曲ピアノで演奏したアルバムは珍しかった。
特にオーディオに於ける音楽再生はグランドピアノ再生は難しい、IIILZユニットで聴くグールドはこの曲において、ピアノ演奏の魅力を聴き手に伝え、今も古さは全く感じないアルバムは名盤となったので様に思う。確かにヴィンテージ機材での再生に於いてグールドの独自のピアノ演奏は実に魅力的でもあり筆者のライブラリーに於いて名盤にもなる様でもある。



バッハが作品を制作した頃イギリス組曲も愛しき新妻アンナ・マグダレーナのために最初に作られたと考えられる曲である。イギリス組曲・フランス組曲・パルティータはいずれも新婚早々に妻のために書いた2冊の『アンナ・マグダレーナ・バッハのためのクラヴィーア小曲集』に由来するからだ。当時イギリス組曲を『大組曲』と呼ばれる様になったと思うが、じっくり聴けば必ず納得できるはずでもある。
お盆の休日が続く時にでもじっくり味わいたい今日がバッハである、ブラボー!

暑い夏に聴く、和製POPとボッサを聴きながら、涼しい部屋で淹れたての珈琲を頂く。

2025年08月08日 | JAZZ・ボサノヴァ


最近は実に暑い日が続く、多分原因の一つとして太平洋側の黒潮大蛇行も原因の一つであろう、黒潮が日本近海を大きくそれ太平洋側に畝り関東地方を過ぎたあたりで日本に近づき、そこで親潮とぶつかる、この黒潮と親潮の混ざる時期と場所が東北地方方北海道にまで変化したことにより、最近水揚げの減ったイカ、秋刀魚、鯵、鯖、昆布、海苔等日本の太平洋側の近海海産物の漁獲量は著しく減った様である、特に筆者の好きな三河湾で獲れるシャコ等の水揚げは魚市場に行っても全く獲れなくなってしまった様でもある。
一般的に海洋国家なら世界の何処でも海産物は豊富と思うがこれが大間違いで、実は日本の様な入り組んだ湾があり、又湾内に流れる河川は森のある山から流れた栄養分たっぷり詰まったミネラルを多く含んだ水が大変重要でもある。この様な自然環境は、長く縄文時期より続く日本の特徴でもあり、海洋国家といえどこの様な条件の揃った国は少ないのであろう。
最新の気象庁の予報は7年間続いた黒潮大蛇行は、やっと今年で収束すると報道されいる、まさに朗報である。



暑い時期には涼やかに、少しのんびりした曲でも聴きたくなるが、「管球王国」の最新の管球王国の記事内容に、真空管アンプで聴くことで深まる「和ジャズ」の魅力とは。この様な表題記事があった、そう言えば昔聴いたテナーサックス奏者の宮沢昭を思い出した、記事内容は稀少なオリジナル盤LPをモダンジャズ/ヴォーカル/ジャズロック/フリージャズ/フュージョンなどカテゴリー別に異なる真空管アンプで聴き、音の変化で浮かび上がる魅力の核心を語り合います。
とあるが早速をフリュートに持ち替えての録音、内容はボッサの調べが囁く調べである、6番目に録音のMEMPHIS UNDERGROUND1969年録音のHerbie Mannからの引用である、実際試聴すると録音状態も塩梅よく、真夏に涼しい部屋で聴くボッサはこの上無く良か身分でもある。



ジャズではないが筆者の好きな歌は荒井 由実時代の曲は大好きでもある、昔ユーミンのコンサートで関わった時代もあり未だ記憶に残っている。特に好きな音楽的にカラフルかつバリエーション豊かに仕上げられたセカンドアルバム。特に「荒井 由実」時代の4枚のオリジナルアルバムはどれも味わい深いものがありますが、特に2枚目の「MISSLIM」は、荒井由実とバックバンドのの感性が見事に融合した素敵なアルバムだと思いますが、部屋で聴くには山本潤子さんの澄んだ声と都会的な感覚は心に残ります。
おとなのコーラスで乗りも良く、甘酸っぱい想い出が甦ると好評です。ハイ・ファイ・セットの華麗なコーラスワークによる荒井由実、松任谷由実、杉真理作品集。「卒業写真」「真夜中の面影」「中央フリーウェイ」他のユーミン作品22曲、「星化粧ハレー」「ひときれの恋」他の杉真理作品15曲の全37曲を収録。透き通る歌声とハーモニーが懐かしく聞こえるだけでなく、音がたいへん良かったという声があります。勿論ハイファイセットの山本潤子さんの歌も実に心地よくゆったりした時間が流れ、癒しのひとときを味わえる様です。



GOLDEN☆BEST/ハイ・ファイ・セット 荒井由実・松任谷由実・杉真理作品集
  卒業写真/ハイ・ファイ・セット 作詞・作曲:荒井由実 編曲:服部克久
 海を見ていた午後/ハイ・ファイ・セット 作詞・作曲:荒井由実 編曲:松任谷正隆
 土曜の夜は羽田に来るの/ハイ・ファイ・セット 作詞:荒井由実 作曲:村井邦彦 編曲:松任谷正隆
 中央フリーウェイ/ハイ・ファイ・セット 作詞・作曲:荒井由実 編曲:瀬尾一三

2002年発売の特にハイ・ファイ・セットが歌ったユーミン・ソングは全22曲を完全収録。ユーミン・ファンも感動ものの企画です。



真空管アンプで聴くことで深まる「和ジャズ」の魅力とは。この様な表題記事があった、そう言えば昔聴いたテナーサックス奏者の宮沢昭を思い出した、記事内容は稀少なオリジナル盤LPをモダンジャズ/ヴォーカル/ジャズロック/フリージャズ/フュージョンなどカテゴリー別に異なる真空管アンプで聴き、音の変化で浮かび上がる魅力の核心を語り合います。とあるが早速をフリュートに持ち替えての録音、内容はボッサの調べが囁く調べである、6番目に録音のMEMPHIS UNDERGROUND1969年録音のHerbie Mannからの引用である、実際試聴すると録音状態も塩梅よく、真夏に涼しい部屋で聴くボッサはこの上無く良か身分でもある。
宮沢昭は1927年長野県松本市生まれ。日本のモダンジャズ胎動期を担ったテナーサックス奏者
陸軍戸山学校軍楽隊でクラリネットを吹く。復員後、テナーサックスに転向し、米軍クラブに出演するバンドやコンボなどをまわった。
守安祥太郎と名盤「幻のモカンボセッション」にて白熱の名演を残した。
その後秋吉敏子のコージー・カルテットでは、渡辺貞夫とフロントを担当する
モダンジャズのリーダー的存在として注目され、1960年にはピアニスト佐藤允彦を発掘した。
1970年代はコンサートの表舞台から一時退くが、愛犬を偲んで吹き込んだ「マイ・ピッコロ」(1981年)や「ラウンド・ミッドナイト」(1985年)などで日本ジャズ賞をうけ、「昭和のビッグテナー」と評価された。
2000年7月6日(享年73歳)死去、25年前に亡くなっているのである。日本のテナーサックス奏者中では3本の指に入るであろう旨さである。
筆者が伝説のサックス奏者宮沢昭を聴いた時代は1970年時代に聴いた「BULL TROUT」はビブラフォンの代わりに仏壇のリンを使った作品とて話題作であった。急に思い出したが勿論ジャズレコードは度重なる引越しの為処分してしまった事は残念にも思う。



宮沢昭 / ジャズ・フルート・メソード Jazz Flute Method
宮沢昭 (fl)      
コロムビア・ポップス・オーケストラ      
【演奏】
 1.SO DANCO SAMBA
 2.SPANISH FLEA
 3.THE APRIL FOOLS
 4.GOIN' OUT OF MY HEAD
 5.WAVE
 6.MEMPHIS UNDERGROUND
 7.DESAFINADO
 8.MEDITATION
 9.LOVE
 10.I SAY A LITTLE PRAYER
 11.THE LOOK OF LOVE
 12.BY THE TIME I GET TO PHOENIX

 編曲: 山屋清
 発売: 1972年7月25日 (日本コロムビア)

夏季に真空管に火を入れ音楽を聴くのは大変不快で忍びないが、部屋に適度な冷房を入れてまったりする、ボッサのリズムは実に良い癒しに思う。特に淹れたての珈琲は欠かせない。



音楽はクラシック、特にバッハの曲を聴く事が多いが、懐かしいジャズ&POPは勿論昔からファンであった、BEATLESS、JAZZ、ボサノヴァ等を聴くが、アンプは何れにしても真空管アンプをチョイスしてしまう、何故か答えは簡単で刺激的な音が程よく如何にも自然に一体感の音とになる様に聴こえる。

確かに石のアンプと比べ真空管に寿命は短い、一般的には真空管には寿命があり、一般的に使用開始から約5,000時間と言われています。ただし、使用状況や真空管の種類によって寿命は異なり、10,000時間以上使えるものもあれば、それより早く寿命が来るものもあります。 確かに毎日4時間聴いても4年間は聴ける、またガラスの黒ずみ: 真空管の使用中や老朽化により、ガラスの内部が黒く変色することがあります。 これは、真空管内部の材料が劣化し、沈殿してきた結果です。 その他のサイン: 音量の低下: アンプのボリュームを上げても、音量が以前と同じにならない場合は、真空管のゲインが低下している可能性がありますので球の数値を調べることをお勧めします。
例えば聴いた時間1時間100円貯金をすれば365×4年×100で総額146,000円になり使用真空管管にもよるがある程度対応は可能である。300Bで考えれば(米Western Electric 社オリジナルの300B を実に忠実に復刻した、PSVANE プスヴァン/WE300B )の個体であればこの金額で対応できる。確かに現存する真空管制作会社は少なくなっている為、今後の値上がりは致し方ない様です。



大音量での試聴は必要ない状況では、精々出力は2W程度あれば十分で、その様な事よりトランスの程度の良い2A3のシングルアンプの増設を考案しようかとも思うこの頃でもある。2A3という真空管は、シングル動作時に「甘く、艶のある、厚みのある音」を出すことで知られています。その訳は2A3の球の価格も300Bと比べ安価である事も魅力でもある、筆者の希望は一度は試したい欧州2A3ヴィンテージ管も貧困老人と言えぞ微かな希望でもある球が聴けるのかもしれない夢だ、又300BはやはりWEが最高であり代替え球は少ない事が理由でもある。
特に真空管で視聴するには特にヴォーガルが実にリアルで自然に聴こえる、正にJ.S.バッハ:カンタータ等の試聴に一度体験すると石には戻れないリアルな感じがする、音の魅力である実に曖昧な音を曖昧に奏でる音は石のアンプでは表現出来ない、特に古い10吋のTANNOY IIILZを愛用する筆者には球のアンプは実に相性の良いコンビなのである。



でもこの真空管は一種の電球と同様で何時エレメント等は伝染するかは不安であり、予備球は用意しいる方も多いのであろう?その様な背景を感じながら真空管(球)を使うマニアは趣味世界の醍醐味であろう、

後日筆者所有のSPENDOR SP3/1Pでの鳴り方が気になり久しぶりの通電をした、スピーカーエッジの交換を行い随分過ぎたが、徐々に馴染んできた様に思う、プロ用モニターとして販売し既に20年程経過するが今風のスピードのあるポップな演奏にはついてはいけない様であるが、筆者が思うは何よりも安心して聴くことができる伝統のイギリスの音が息づく味わいでもあろう。そのSP3/1Pと言う製品はスピーカーユニットを完了し今も販売している、勿論価格は倍の値段になった様だが、この価格を見ればオーディオマニアは益々激変するのであろう。

宮沢昭 / ジャズ・フルートのボッサのリズムは実に心地よく鳴るのである。トリオ演奏でしかも激しさは少ないボッサの曲は見事に再現する、勿論真空管(三極管)との相性の良さも伺える様でもある、今後もハードでスピードのある演奏は苦手の様ではあるが、一般的に小編成のジャズからクラシックまで幅広く活用できる様でもある、まして今回の様な軽い曲にはむしろIIILZ Monitor GoldよりSP3/1Pがサウンドを発揮するかも知れない、勿論聴き方等TPOを考慮すれば面白いとも思った次第である。ブラボー!

改めてJohann Sebastian Bach:Italian Concerto in F Major BWV 971を考察する。

2025年07月27日 | J.S.バッハ制作音楽


最近どうやら自分のタイムテーブルが変化した様である、いずれにしても愛犬(モジャ君)との早朝散歩のため早朝5時前にはモジャ君に起こされる、昨日も散歩途中で発見したが早朝セミの脱皮である。多分夕方16時すぎより土から出てきて、木に登り始め、18~19時ごろから羽化を始めることが多い。 カラから出てきて完全に羽化が終わるまでは、2~3時間近くかかると言われる。羽化した後飛び立つ間にスマホで撮った貴重な写真である。此の蝉の正体はアブラゼミである、あの暑苦しい「ジリジリジリジリ…」という鳴なき声ごえが、油あぶらで揚物をする時ときの音に似ているので油蝉と呼ばれる。
正に今から飛び立つ常備を整えることが出来た油蝉を写真に収めることが出来た。


最近は日本政治に調和がなく、自民党員からの後方から射撃をしていた「石破」が総理になった後は今までの石破の発言の真反対な事を公言する恥ずかしい嘘つき総理である。その様な事を思うと好きな音楽を聴く心境にもなれず、日本の行く末に不安を感じていた。
支那のバブルは崩壊したとはいえ崩壊のニュースも、スポンサー契約し金銭授受をしたマスゴミの忖度により報道されない。今年の暑さは異常な状況があり南支那は台風と気温上昇で大変そうであるが、日本のますゴミは南支那の情報は流さない。中でもTBSは韓国語が解らなければ出世できない等の噂も出ているそうで今や国民からもノウを言われたマスゴミでもある。
米国の占領下から脱皮できない日本は戦後(昭和20年以降)東京大学、岩波書店は未だに『自省録』、『君たちはどう生きるか』、『生物から見た世界』、『忘れられた日本人』などが人気ですなぜか昭和20年の頃から読者が減っていった、確かに我々幼少時代は旧仮名遣いで印刷された小説も数多く残ったいた時代である。朝日(嘘つき)新聞等派見事に左翼化され、GHQに解体され明治維新の頃の美しい日本の心を失いつつあるのが現実であろう、GHQから与えられた戦後の文字は、日本国憲法は改憲する時期に来たと思うのですが・・・この辺りで米国より独立し、このままでは日本消滅が近づいている現実味も事も感ずるこの頃である。

そう様な事を思いながら、想いを巡られるが日本政治は益々不安定な立場に立たせれている、バブル以前にTMSC援助した日本は最大の間違いをし、現在支那がまともなICチップも出来ない国内では限界であろう、何時台湾に手を出すのであろうか時間の問題である様に思うが・・・? 現在可成り怪しい立場に立っているのが現実でもあろう。



最近思うは昔J.S.バッハに興味を持ち始めた頃きいたレコードを思い出してみた。当初は31歳でコンサート活動から引退し、録音スタジオでのみ演奏した異端の天才、グレン・グールド(ピアノ)イタリア協奏曲ヘ長調 BWV 971であり、これも一種の名盤でもあろう特にスタインウェイでCD318というピアノを援用したことは有名。


イタリア協奏曲の録音:1959年6月22-26日 ニューヨーク、コロムビア30番街スタジオ、TANNOY ⅢLZのユニットで今聴くも古さは微塵も感ずる事なくまさに新鮮に聴ける。グールド(ピアノ)に乾杯か?特にクラヴィーア練習曲集と言われるパルティータ(イタリア語で「変奏曲」の意味に使われた)BWV825に至っては、聴けば何故か品の良いジャズピアノを聴くの如くでもある。



同時期にカール・リヒター(チェンバロ)イタリア協奏曲, 半音階的幻想曲とフーガ, トッカータとフーガ 他[ 1025-011 ] Bach, Karl Richter - Italienisches Konzert, BWV 971 - Fantasie, BWV 906 - Chromatische Fantasie Und Fuge, BWV 903 - Toccata, BWV 915 - Pastorale, BWV 590であった。当初チェンバロの音は実に澄んだ高音が綺麗で、この音の魅力に魅せられチェンバロ曲に興味を持ったのが一つの始まりであろう。



勿論バッハの時代には、ピアノはまだ普及していませんでした。バッハのクラヴィーア(オルガン以外の鍵盤楽器の総称)作品は、チェンバロやクラヴィコードのために書かれたものとされています。その多くは、ケーテン宮廷楽長時代に起源を持ち、息子や弟子の教育に対する配慮があったものです。モーツァルトの時代も、今のフォルテ・ピアノは、まだ登場していませんでした。イタリア協奏曲もチェンバロ独奏だったと思っています。

どうしてチェンバロ楽曲なのに、協奏曲って言うのか正確にはわかりませんが、複数の声部、つまりチェロとオーケストラの各声部を、一台のチェンバロで弾いているからなんだと思います。例えは悪いけど、ソロとオケを一人で弾くという、そこを聴かなきゃならないわけですね。
バッハの「イタリア協奏曲」BWV 971は、チェンバロ独奏のための三楽章の楽曲です。原題は、イタリア趣味によるコンチェルト(独語:Concerto nach Italienischem Gusto)というそうです。「フランス風序曲」BWV 831と共に「クラヴィーア練習曲集第2巻」として、1735年に出版されています。18世紀のイタリアとフランス、ヘ調とロ調(最遠隔調同士)、長調と短調という対比がされるという良い企画だったのだと思います。

「イタリア協奏曲」BWV 971の構成は、
 1 (本来テンポの指定はないが、多くの版ではアレグロと補足されている)ヘ長調
 2 アンダンテ ニ短調
 3 プレスト ヘ長調
曲中には、フォルテ(強奏)とピアノ(弱奏)の指示があって、二段鍵盤のチェンバロを用いて、ソロとオケのような対比が行われています。この曲は、バッハの存命中にも人気があったようです。こういう意図を意識して聴くと、奥が深く楽しめるのではないでしょうか。ぜひ聴いてください。聴きどころ満載の曲で、速い演奏だと頭のなかで音符が舞います。

この「イタリア協奏曲」は、1735年にヨハン・セバスティン・バッハにより、「イタリア趣味によるコンチェルト」BWV971という原題で、「フランス風序曲」BWV 831とともに、「クラヴィーア練習曲集第2巻」として出版されました。
ちなみにこの「イタリア協奏曲」は3楽章の構成になっています。
疑問はなぜ「イタリア」なのか、ということですが、調べてみると、どうも、バッハが生きていた17、18世紀、ヨーロッパ圏の芸術の最先端はイタリアだったそうです。今で言うお洒落でモダンなイケてる国だったってことなんですよね♪
バッハは生涯ドイツから離れることはなかったみたいですが、きっとイタリアの音楽については興味や憧れがあったのであろう、実は此の協奏曲というスタイルの発祥の地は、イタリアだといわれています。
これらの条件からこの「イタリア協奏曲」が作られたのではないかという説が多いです。

イタリアという題名が含まれている件については此の様な事があったのであろう、そこで次の疑問は協奏曲というのは、独奏楽器とオーケストラが共演するスタイルのジャンルです。だから、「イタリア協奏曲」も本当は沢山の人たちと演奏しなくてはなりませんがバッハが仕えていた貴族が、イタリアのビバルディなどの作曲家の楽譜を渡して、この曲をチェンバロで弾けるように作ってほしいと依頼したのが始まりのようです。
その後に、鍵盤楽器の右手と左手でバッハ同時のオリジナルの旋律で作曲したみたのが、この曲そうです協奏曲なのです。


当時からよく聴いたラルフ・カークパトリックの演奏で、近年The Art of Ralph Kirkpatrick (25CD)を楽しんでいます。ラルフ・カークパトリックのコレクション。カークパトリックの演奏は、速めのインテンポを基調に、各パートを克明に響かせ、作品の構造を浮き彫りにして行くというもので、オブリガートが重要なバロック作品や、対位法的な性格の強いバッハ作品との相性はきわめて良好。但し演奏は1959年9月、パリ、ポリドール・スタジオ (Stereo)との期日があり音質はさほでも無い。ランドフスカ演奏よりは良いと言う程度である。

当時ピアノ演奏より古楽器(チェンバロ)演奏に興味を持ちワンダ・ランドフスカ、エディット・ピヒト=アクセンフェルト、ラルフ・カークパトリック、ヘルムート・ヴァルヒャ、カール・リヒター、グスタフ・レオンハルト等のレコードが増えて行った。


J.S.バッハ時代は、知っている方も多いと思いますが、今でいうピアノという楽器はまだ存在せず、鍵盤楽器というと、チェンバロが主流でした。
では、もともとのチェンバロの演奏を聴いてみてください♪
特に感銘するは、Italienisches Konzert BWV 971の[2] II. Andanteの左手で奏でる低域です、現在はピアノ演奏での視聴が多く、特にピアノ演奏での視聴がよく実に良く澄み切った音に特に低域部が独自のホール感を高めて聞ける処は好印象につながる、特にTANNOY ⅢLZ in GOODMAN AXIOM80 Cabinetで聴くピアノ演奏はJ.S.バッハの音楽には格別である。もちろん愛称という点も含まれるようだ。



ⅢLZユニットで聴く限り、音源は1959年録音でもあり音源は決して良くないが、カークパトリック独自のテンポの速さは筆者好みで、若干重めに感じるチェンバロの音の重厚感は思わず聴き惚れる。似た様な演奏はランドフスカに共通する物がある様に感じた。

Italienisches Konzert BWV 971については1735年、バッハは『クラヴィーア練習曲集』第2巻を世に送り出した。二段鍵盤のために書かれたその第1曲が「イタリア趣味による nach italienischem Gusto」、こんにち通称《イタリア協奏曲》とよばれる作品である。
明朗快活な両端楽章と優美な緩徐楽章、急-緩-急の3楽章からなり、これら3つの冒頭の音型は明確な関連を持っている。
出版譜には強弱記号すなわち「f」と「p」が珍しくも書き込まれているが、これは楽器自体が出すべき音量を表すのではない。当時のコンチェルト・グロッソ(複数の演奏グループが交代ないし合奏しながら進む協奏曲)の慣習にならえばトゥッティとソロの転換を、二段鍵盤のチェンバロ上では鍵盤の変換を指示するものと捉えるべきである。それは、音量の変化というよりも音色の変化であり、近代的なピアノにおいてはチェンバロ以上に豊かな表現が可能である。この作品が現代においてなお広く愛されている所以はここにもあろう。
イタリア形式とされる、ヴィヴァルディの様式に代表されるような器楽協奏曲をチェンバロの上に写したものと単純に考えることはできない。バッハが出版譜に記した「f」と「p」からは、リトルネッロ(反復される部分)とエピソード(展開される部分)、独奏と伴奏のパートの交代が明確には見えてこない。第1楽章では、確かに両端部のリトルネッロははっきりしている。しかし中間部では、絡み合う様々な旋律線の中から幾度も主要楽節が湧き上がろうとするが、完全に主題を再現するには至らず、フレーズは切れ目を見出さないまま組みつ解れつ進んでゆく。バッハはここで明らかに、単純明快な対比よりも自由で複雑な展開を望んだのである。第3楽章は各声部が比較的独立しており、対位法風ということもできる。さらに緻密な動機労作が盛り込まれ、楽曲は簡明ながら高い密度を保つ、との解説がある。
こうした点から、バッハはこの作品はイタリア趣味によるというよりも、イタリア的な音型や語法をふんだんにちりばめたものと言うべきだろう。第1楽章冒頭のリズムは、18世紀前半にハンブルクに活躍した著述家J. マッテゾンによれば「最新の流行」であり、第2楽章におけるオスティナート(同じリズム型や旋律型を繰り返す伴奏)に支えられた装飾豊かなアリアは、ヴィヴァルディの作品そのものを彷彿とさせる。だが、やはりバッハと同時代の美学者J. A. シャイベが「外国人たちにとってほとんど模倣すべくもない」と賞賛したように、作品の本質は、ドイツ的な主題労作と図式的な形式の克服にある。その精神はやがて、初期古典派のクラヴィーア・ソナタへと結実する。



筆者の好きなBWV 989の演奏は24枚目にあり、また最近の主流になっている様だがイタリア風のアリアと変奏 イ短調 BWV 989 Bach, Johann Sebastian : Aria variata alla maniera italiana a-moll BWV 989同一にアルバムにプレスされる傾向は実に好ましい。
この手の変奏曲の場合、最初のテーマ(Aria)が最も重要で、その後のヴァリエーションは全て最初のテーマが基本になりますので、冒頭のテーマのみに関するお話になります。
1~2小節間 1小節目と2小節目は、それぞれ2~3拍間がテンションの高まる部分になります。故に1拍目と4拍目はpで演奏します。1小節目と2小節目を比べた場合、2小節目では最高音であるCに達するため、1小節目よりもテンションが上がりますので、2小節目の方を大きく弾きます。2小節目4拍目裏拍の8分音符は、次の小節にスムーズに持っていく経過音を含んでおりますので、3小節目1拍目はいきなりe-mollに転調という部分なのですが、pで始めることで違和感のないスムーズな流れとなります。
実に可愛らしい曲でもあり、短いアリア演奏は何故か癒しの音楽でもあろう。



しかし流石カークパトリックの演奏も音質は劣る、筆者の最近お傾向としてはピアノ演奏を聴く割合が多くなった。以前にも紹介したドイツ人の父と日本人の母のもとにオーストリア、ザルツブルクで生まれたCornelia Herrmann(コルネリア・ヘルマン)のピアノ演奏が多い、彼女の使用ピアノは筆者も好きな
Fazioli: F278WO使用して、彼女の所属レーベル(カメラータ)が、彼女はイタリア・ウンブリア州ウンベルティーデにある、サンタ・クローチェ教会付属美術館で録音している。



奏者が感じるダイナミックを与えて欲しいのですが、例えば9小節目と10小節目は全く雰囲気を異ならせる方が良いので、そのあたりの強弱の選択は演奏者の解釈に間違う様である。実に可愛らしい作品で筆者にとっては精神安定剤のような心を落ち着かせる大切なお薬的な曲でもある
「アッラ・マニエラ・イタリアーナ」(イタリア風)と呼ばれるこの作品は、主要主題を単純なコラールとして提示し、和声構造から変化を引き出します。最初に登場する主題は本質的に単純ですが、その変奏曲は巧みなテクニックを持っています。

ヘルマン・コルネリアは、2005年にCDデビューした。収録内容は、どこにでもあるピアノ名曲集だったが、演奏はポピュラリティに安易に流れず、かなりしっかりしたもので感心した覚えがある。そこから彼女は自分らしくキャリを積み重ね、最も得意とするバッハ・プログラムを、納得いく形で連続録音できるところまで来た。



このアルバムは、「イタリアン・コンチェルト」から始まって、7曲が収録されている。これが適度な変化を生んで、とても聴きやすいバッハ・アルバムになっている。聴きやすさの理由は他に2つある。
コルネリア・ヘルマン(cornelia herrmann)オーストリアの女性ピアニスト。1977年生まれ。ドイツ人の父と日本人の母のもとにオーストリア、ザルツブルクで生まれた。4歳からピアノとヴァイオリンを始めたが、すぐにその才能を示すようになり、6歳からは本格的にピアノの教育を受けるようになった。1985年よりザルツブルク・モーツァルテウム音楽院でピアノを学ぶ。1996年、ドイツのライプツィヒで開催されたJ. S. バッハ国際コンクールで最年少19歳で最高位を獲得。また1999年ザルツブルクで開催されたモーツァルト国際コンクールでは特別賞を受賞。

イタリア風アリアと変奏イ短調(Aria variata alla maniera italiana)BWV.989(1709頃)[cemb]クラヴィーア独奏のための協奏曲集BWV.972~987(さまざまの作曲家の原曲による)
イタリア協奏曲 BWV 971 Bach, Johann Sebastian : Italienisches Konzert BWV 971

バッハ国際コンクールに最年少で最高位に輝いた経歴を持ち、フランス組曲とフランス風序曲の録音で好評を博したコルネリア・ヘルマンが、今作ではバッハの「イタリア」作品を取り上げます。
有名な「イタリア協奏曲」や「イタリア風のアリアと変奏」、ヴィヴァルディなどイタリア人作曲家の作品のバッハによる編曲他を収録。
イタリア、ウンベルティーデで、銘器ファツィオーリを使用しての録音です。

 ■曲目
 Johann Sebastian Bach:Italian Concerto in F Major BWV 971
  [1] I.
  [2] II. Andante
  [3] III. Presto

 Concerto in D Minor BWV 974 (after Oboe Concerto in D Minor by Alessandro Marcello)
  [4] I. (Allegro)
  [5] II. Adagio
  [6] III. Presto
  [7] Prelude in B Minor BWV 923
  [8] Fugue in B Minor BWV 951 (on a Theme by Tomaso Albinoni)
  [9] Fugue in A Major BWV 950 (on a Theme by Tomaso Albinoni)

BWV988「ゴルトベルク変奏曲」の次にあった BWV989「イタリア風アリアと変奏 イ短調」(Aria Variata alla Maniera Italiana in A Minor)というのが目についた。時代背景を照らすと「ゴルトベルク」BWV988(1742年)の次の番号になっているが、"Aria Variata" BWV989 が作られたのは 1709年(24歳)頃、バッハがヴァイマールでヴィルヘルム・エルンスト公の宮廷オルガニスト兼宮廷楽師となったばかりの頃である。バッハが、イタリア音楽を勉強していて、ヴィヴァルディやマルチェッロなどの協奏曲をクラヴィーア曲に編曲していた時代と重なる。イタリアン・コンチェルトと同じアルバムに収まることが自然であろう。
 Aria variata alla maniera italiana in A Minor BWV 989
  [10] Theme
  [11] Var.1: Largo
  [12] Var.2
  [13] Var.3
  [14] Var.4: Allegro
  [15] Var.5: Un poco allegro
  [16] Var.6: Andante
  [17] Var.7: Un poco allegro
  [18] Var.8: Allegro
  [19] Var.9
  [20] Var.10

 Concerto in G Minor BWV 975 (after Violin Concerto in G Minor RV316 by Antonio Vivaldi)
  [21] I. (Allegro)
  [22] II. Largo
  [23] III. Giga: Presto

 Cornelia Herrmann, piano (Fazioli: F278)
  コルネリア・ヘルマン(ピアノ)
 Recorded: June, 2014 / Complesso Museale di Santa Croce, Umbertide, Italy
  2014年6月/聖クローチェ美術館(ウンベルティーデ、イタリア)

使用楽器はF278大迫力の音、格別にすばらしい低音域と高音域のバランス、そしてものすごいダイナミクスと倍音を持ったコンサートグランドピアノの音の魅力も十二分に伝わり、録音は、彼女はイタリア・ウンブリア州ウンベルティーデにある、サンタ・クローチェ教会付属美術館で録音している。ここは彼女の所属レーベル(カメラータ)が、よく使っている録音場所。元々は修道院で、その回廊と食堂が美術館になっているという。特徴としては天井が高く、残響時間が2秒とやや長い。でも”抜け”がいいために、快適な演奏・録音環境となっているらしい。
カメラータ・トウキョウは、レコード制作と、コンサートや音楽祭などの音楽ソフト産業の両面を統合する新しい理念に基づき、国内に限らず国際的に通用するコンテンツ・ビジネスを目指して設立された。ウィーン楽友協会などの協力も得ながら、歴史的・資料的価値の高い作品を積極的に録音・発売している。その中には世界初録音となる音源も少なくない。録音技術の評価も高異様です。

チェンバロの演奏と比べピアノ演奏は流石音域は広く感じる、改めて此の様な見事な音が隠れていたと驚くワイドレンジの有り難さを感じる次第でもあり再度ピアノ演奏で聴き直すと共にピアノ演奏のJ.S.バッハを確かめる必要がある様です。特に平均率は好きな曲で良く聴くが最近ではピアノ演奏での試聴が多い。



その様な条件おもとに再現する300Bでの駆動するTANNOY ⅢLZ in GOODMAN AXIOM80 Cabinetでの演奏はFazioli F278の音源が間違いなく良く響き渡る、勿論最近よく聴くFYNE AudioF500と比べでくとくのホールトーンな味は断然TANNOY ⅢLZが優れる、聴いて驚くはイタリア協奏曲 II. Andanteピアノ独自の低域の鳴り方は別格の安定した低域は聴ける様でもあった、Fazioli F278の持つ独特の輝きか、300Bの重厚感か、 ⅢLZユニットの持つ独自制覇のであろうか。未だ古い機種のTANNOY ⅢLZのユニットの魅力は尽きない事を改めて短観することになった、ブラボー!

毎年恒例の「お爺ちゃん達の遠足」今年は千葉の旅の2泊3日の旅でした。

2025年06月24日 | 日記


現在中東問題が心配であるが、最近トランプ米国大統領は二回目の関税を実施した貿易摩擦や経済政策の一環として特定の国や地域からの輸入品に対して、通常の関税率よりも高い税率を課す措置(特別関税)を実施した、しかしこの行いは米国を柵の中に閉じ込める行為になるのでもあった。ご承知の様に今の米国では軍艦も作れない国になってしまった。最近日本も無理してUSスチールも日本に売却され、純度の良い鉄も作れなくなってしまった米国の現状、面白いのは例えばAppleのアイホンも部品は殆ど海外製で輸入しなければ製品にならないので、勿論関税が価格は値上がりする、今や米国の機械製品は自国ではほとんどの製品が製造できなく、米国の株価も低迷状態に突入した。今後の景気についても注目するべきである。勿論特に自動車等に於いても値上げ現象は見られる。アメリカファーストと叫んだトランプもとんだ悪手を踏んだ様である!
勿論日本もお馴染み政治は二流以下で現在の石破政権は最低の政権であろう、しかし最近の傾向は日本の民間会社のトヨタ、日立、ソニー等にて日本の基準と供給のラインを作り米国抜きでの展開を動き出している。
勿論米国にはユダヤのウォール街がバックにいるがこれが厄介である、日本は愛知と東京が起点となり、Tokyo-Toronto Protocol(TTP)を結成SI勿論EUも含め、現在米国イタリアを除くG7メンバーが日本主義の倫理、AI基準を法定化する方針を表明したとある。勿論米国ウォール街の意見は全く無視できる、基軸通貨もドルからカナダドル、円、ユーロと変わるとのがニュースなのである。今後この特別関税で世界が変わる事件になるのかもしれない、それと同時に日本もクリーンな政治に変わる必要であろう。今後の最大の注目事項でもある・・・


さて恒例の爺さん達の旅行も今回は東北に方でも東京は知っているが、地方都市千葉は知らないので筆者が千葉を案内することになった。
今から約12万年前は、関東平野のほとんどは海面下で、現在の千葉県は房総半島南部の山脈と銚子周辺の高台が小島として水面上に出ていたのみと考えられる。最終的に古東京川(現在の東京湾沖にあった)と呼ばれる大河を形成し、太平洋へと注いでいたという。富津沖の中ノ瀬は、当時の川中島であり、観音崎から急に水深が深くなっているのは、古東京川の流れがえぐったためではないかと考えられている。安房の地名は、阿波国(現在の徳島県)から移り住んだ人々が、麻を栽培したことに由来するとも言われています。 房国は、現在の千葉県南部、房総半島の南端に位置する旧国名です。具体的には、館山市、鴨川市、南房総市、安房郡鋸南町を含む地域を指します。
この様な条件で東京近郊の都市と違い千葉から抜けると海であり安房地域の道路条件は狭い道が多いことが特徴であり交通網の悪さが目立つ様でもある。同乗した盛岡の友人達曰く東北のが道路状況が断然優れていると言っていた。
今回の爺さんたちのお泊まり旅行は、千葉県を選び案内は筆者の紹介になります。尚今回の旅は筆者がカメラを忘れ全てiPhone での撮影である。



予定は東京駅15時頃集合、大人4名なので余裕のある車を東京駅で手配した、車種はトヨタ・シエンタにて新幹線到着前にリース完了する。
古き東京駅前は人気スポットでもありレンガ作りの良さを今も誇っている様です。さてこの東京の玄関口を象徴する赤レンガ造りの駅舎です。 日本近代建築の父といわれる辰野金吾による設計で、1914(大正3)年に開業。


室内天井も美しく、大東和戦争で焼失した部分は、復原工事で創建時の姿に近づけられました。3階部分やドームが復原され、地下には免震装置が設置されるなど、歴史的な価値を保ちつつ、現代の安全性も考慮された復原となっています。
周りの建物共見事に調和されすっかりフォトスポットにもなってます。



ご存知年一度の、そして久しぶりに盛岡組の三人との再会、早速レンタカーに乗車し本日は出発する、ルートは海ほたる経由で外房まで、都内の渋滞も一段落、最初は海ほたるで休憩する4人の爺さん達である。



そのまま高速を進み、大滝城に立ち寄る。しかし5時近くにて、雰囲気のある城下町から眺めるのお城である。
夕方6時には勝浦の多津美旅館に到着、早速お風呂に浸かり明日の予定等の話等

車中は久しぶりにて会話が進む・・・何よりも久しぶりの再会と冷やした生ビールが実に美味い!後は千葉の地酒を楽しむ。


別室にて食事、キンキンに冷えたビールは格別である、料理も伊勢エビの焼き物、鮑の踊り焼き、金目の煮付けは油がノリ実に上手い、あとは刺身等、皆さん歳のため酒量は少なくなった等である。

またフルーツに琵琶が付いた、此の時期は琵琶は房総名物でもある。


みなさん食事の内容にはお気に召した様である、お腹もいっぱいになり部屋に戻り早めに就寝。
翌朝もこのあたりの名物。特に地元の鯵の干物が美味しい!


出発して海岸通りの道を走る。すぐに御宿です。


月の砂漠公園である。雰囲気は良く有名な宦官です。


ご存知の童謡「月の沙漠」の舞台は、千葉県夷隅郡御宿町にある御宿海岸です。御宿海岸には、童謡に登場するラクダに乗った王子と王女の像が建てられています。
この後は海岸を通り長生郡一宮町新地から山武郡九十九里町片貝まで通称「波乗り道路」と言い、九十九里有料道路を直走る・・・その後その後東関東自動車にて佐倉インター下車し向かうは、目指すは香取神宮である。

千葉県香取市香取にある神社。
式内社、下総国一宮。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。 関東地方を中心として全国にある香取神社の総本社。


日本国内には数多くの神社がありますが、その中でも格式の高い神社で「神宮」と呼ばれるものがあり、日本国内においても最強のパワースポットでもあります。その中で、「武神」として古代より厚く信仰されている神社が茨城県にある「鹿島神宮」と千葉県にある「香取神宮」です。


只今式典街化のため清掃中で覆い隠されていた。


全国に約600ある鹿島神社の総本宮 です。 常陸国一宮 で、 千葉県香取市の香取神宮 、 茨城県神栖市の息栖神社 とともに東国三社の一社でもあります。武甕槌大神は雷神、剣の神、地震の神 としても崇められていて、力を誇示する逸話の多いことから武神とも呼ばれており、 勝負運にご利益のある神様 といわれています。


香取神宮参拝も無事終わり。本日のランチタイムである。佐倉の名物の鰻屋山田に立ち寄る。


むし鰻重(上)この店は鰻は蒸さないのが特徴、温かいご飯の上で蒸すのが特徴でもある。炊き立ての飯の上に乗せて適度に蒸し一層独特の味を出している。


お米の盛りも良く、お腹いっぱいである、続いて街並みの散策である。
小江戸とも言われる街並みは江戸時代を思われる風情がある街並みでもある。
江戸時代は水運が発達され運搬は河川が利用されわけである。



利根川利用の分岐点でもあるこの地は、江戸時代に小江戸といわれた。せっかく香取市に来たのですから日本地図で有名な伊能忠敬記念館に立ち寄る。



江戸時代、日本国中を測量してまわり、初めて実測による日本地図を完成させた人です。館内は撮影禁止されていた。


その後銚子の犬吠埼灯台に立ち寄る。また銚子港では鰯の水揚げが多く、鰯尽しが有名であり、マニアには銚子鉄道のぬれ煎餅がお土産になっている。

イギリス人技師ブラントン氏によって設計され、1874年に完成した犬吠埼灯台は、”歴史”と”景色”が魅力のスポット。 歴史的に、特に重要な灯台が選ばれる「世界灯台100選」や、「国の重要文化財」にも選出されており、文字通り日本を代表する灯台といえます。


そしてお隣の飯岡が本日のお宿であるが、飯岡の半五郎は有名で、浪曲や講談で有名な「天保水滸伝」は、土地を潤す利根川と共に、昔から語り伝えられてきた東庄が舞台の、笹川繁蔵と飯岡助五郎、二人の侠客の勢力争いの物語。
平手造酒(ひらて みき)笹川繁蔵の食客として、飯岡助五郎との大利根川原の決闘に加わり、そこで亡くなったとされています。彼の墓は千葉県香取郡東庄町にある延命寺にあります。
浪曲「天保水滸伝」中では遊侠渡世の悪役ですが、飯岡助五郎は付近一帯の網元として漁業経営を行い、海岸に護岸を築くなど社会政策にも功労がありました。墓は光台寺に見られます。
昔からこの辺りは旭市 飯岡漁港。小型船がここで獲っているのは「シラウオ」。
生のものは“白いダイヤ”と呼ばれ、高級食材として料亭などで出されることの多い魚です。


仲間で泊まれる施設で4棟があり、その手前の一棟が本日のお部屋である。此の様な仲間で泊まるには夜、お酒でも飲みながら昔話に花も咲く様です。

そして本日のお宿カントリーハウス 海辺里に進む近くには飯岡刑部岬展望館もあり素敵な海が望める。



上写真の建物が飯岡刑部岬展望館
下に見えるは飯岡港で筆者は以前何度も釣りに来ています!
釣り船では冬はヒラメが有名、昔は港内ではシリヤキイカが釣れました。


宿に到着、とりあえずお風呂に入り食事です!


とにかくキンキンに冷えたビールが美味い!
特に焼き物のヒラメのカマ焼きが喜ばれた。ココの名物の鯖寿司も美味しい一品でした。


食事途中に、宿屋のご主人が現れ、特別に作った珍味の一品を紹介された、それは安康(アンコウ)の卵を味付けした皿を頂く、全くの珍味であった。
日本酒に良くあった逸品であった。ありがとうございました。


翌日の朝食 カマスの焼き物と胃に優しい雑炊が美味い!




今回の食事は圧倒的に海産物が多く、でも2箇所とも味は違い、どちらも飽きない味で盛岡組も満足されていた様である。

そして有意義な2泊の旅も身支度して、海辺里を出発東京駅着は昼頃である。




今日は屏風ヶ浦見学千葉県銚子市から旭市にかけての太平洋岸に続く海食崖の景勝地です。



そして高速にて東京に出発する、無事東京駅にてレンタカー返却する。

時間は既にお昼過ぎ、昼食は皆さんお蕎麦がご所望で。お蕎麦を食べる



これで千葉の巻は終了であります。魚をしっかり頂く旅でもありました、
次回は山形の温泉巡りの予定です、健康に注意し来年も元気にお会いしましょう!楽しい旅で皆さま3時近くの東北新幹線にて帰りました。


筆者の今回は船橋経由で帰宅しました、帰宅後山形からさくらんぼが届いてました!早速頂き山形完熟サンランボは ブラボー!

ヘンデル:組曲第7番(第2巻) HWV 432 - 第6曲 パッサカリア(HANDEL, G.F.: Keyboard Suite No. 7 (Set I), HWV 432)の検証

2025年06月12日 | バロック音楽・オーディオ一般


筆者の好きな音楽家にゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル (Georg Friedrich Händel.1685-1759) がいます、生まれはバッハと同じドイツでヘンデルは英国に帰化してしまった、バロック時代後期を代表する作曲家。あらゆるジャンルに作品を残したが、とりわけオペラ、オラトリオの分野で、甘く官能的かつ劇的華麗な音楽を駆使して人間味溢れる音楽ドラマを描いた。勿論代表作は「メシア」である。劇場プロデューサーや外交官としても活躍した、18世紀前半を代表する有名人、マルチタレントでもある。

ヘンデルの鍵盤楽器のための組曲は、多数の曲があるにも拘わらず、残念なことに現代ではあまり知られてはいません。しかし、ここに収録した1720年作のいわゆる「8つの大きな組曲」はヘンデルによる紛れもない傑作なんです。良く聴くのは第2組曲から第5組曲第2組曲第7組曲が多く楽しむが、第5組曲の最後に置かれた「調子の良い鍛冶屋」は誰もが知っている名曲でもあり、他の曲も実に素晴らしいもので、特にテンポの遅い曲は、ヘンデル作品に共通する緊張感が漂うものが多く、聴き応えのある名曲です。特に一般的には第7番 HWV432のVI. Passacaille(パッサカリア)は特に有名である。
一般的にはパッサカリアはバロック音楽の器楽形式の一。 低声部で同一音形が繰り返され、上声部で変奏が行われる、荘重な三拍子の曲。 パッサカリア/ ヘンデル・ハルヴォルセン(Passacaglia Handel=Halvorsen)ヘンデルのパッサカリアをハルヴォルセンが編曲した作品のことですね。
ヘンデルのパッサカリアは誰もが知る美しい曲だが、バイオリンとヴィオラで演奏されることが多い作品です。ハルヴォルセンは、ノルウェーの作曲家であり、バイオリン奏者としても有名です。彼の編曲により、パッサカリアはさらに多くの人々に愛される作品となりました。

彼は、ヘンデルのハープシコード組曲 第7番 HWV432の第6曲「パッサカリア」の変奏曲として、この曲を世に出しましたが、オリジナル色が強く、ハルヴォルセンの「パッサカリア」と言っても良いほどです。 ピアノ演奏の音は、実に美しく素晴らしいメロディを聴かせてくれる様です。



筆者が良く聴くのはワンダ・ランドフスカWanda LandowskaがRecorded on 1 March 1935年に吹き込んだ『ワンダ・ランドフスカの芸術』の24枚組の中のCDです。想像するにこの頃は勿論SPレコード全盛の頃と思います。
彼女はEMIやRCAなどのレーベルで多数の録音を残しており、その録音は彼女のハープシコード演奏のスタイルやバロック音楽への理解を理解する上で非常に貴重な資料となっています。SP盤はレコードの初期の1887年に誕生し、1963年まで生産されていました。サイズは直径12吋(30cm)、収録時間は4〜5分程度、1分間に78回転の速度で再生します。SP盤は電気を使わずにゼンマイを回し蓄音機で聞くレコードなので、音を流すには電気再生できる専用プレイヤーと針が必要です。筆者の小学生時代にも蓄音機があり親父の集めたレコードを大切に使いカルメン、ボレロ等聴いて楽しんでいた事は記憶にある。

此処で再度ワンダ・ランドフスカの古楽演奏をめぐる思索の軌跡なる所見があったので紹介する。
(ワンダ・ランドフスカ Wanda Landowska(1879~1959年)は、第二次世界大戦後に勃興す る「歴史的演奏運動」の前史に活躍したチェンバロ奏者として語り継がれてきた。たとえ ば、ハリー・ハスケル Harry Haskell は欧米における古楽復興の歴史を叙述した『古楽の復活』 のなかで、「開け放たれた窓」「バッハを『彼の流儀で』弾く」といったランドフスカの言 葉に因んだ章題のもとに、20世紀前半に活動した彼女を、戦後の「真正性 Authenticity」主義 者とは異質な存在として記述している1。  同書が執筆された1980年代は、古楽演奏の真正性論争を巡ってリチャード・タラスキン Richard Taruskin が批評を世に送り出していた時期にあたる。そのひとつが『古楽 Early Music』誌掲載のタラスキンの記事「真正性運動は実証主義的な、逐語的で非人間的な煉獄と なりうる」である2。この題目に端的に言い表されている彼の主張は、当時の古楽演奏家や音 楽学者のあいだに波紋を呼んでおり、ハスケルの『古楽の復活』もまた、タラスキンの批評 を踏まえて書かれたものである。同書で「真正性」に関する問題を取り上げる際、ハスケル はタラスキンによる批評を紹介するとともに、ランドフスカの残した言葉も引用している。



このアルバムはランドフスカの音楽を知るにはバッハを中心にモーツアルト、ベートーヴェン、ヘンデル、ショパン、と数多く吹き込まれたいる。当時のことを思えば良くできたアルバムでもある。

この時点で、ランドフスカの演奏解釈に関する思想を推しはかるうえで主たる情報源と なっていたのは、1964年に刊行された『ランドフスカ音楽論集 Landowska on Music』(以 下、LoM)である4。後述するが、LoMはランドフスカの秘書・弟子として1933年以降、26年 の時間を彼女と過ごしたフランス人女性、ドニーズ・レストウ Denise Restout (1915~2004 年)がランドフスカの死後に編集した著作である。ランドフスカは夫のアンリ(ヘンリ ク)・ルー=ランドフスキ Henryk Lew-Landowski (1874~1919年)の協力のもとに唯一の著書『古楽 Musique ancienne』(以下、MA)を1909年に発表し、その改訂を晩年に望んでいた のだが、その夢を果たすことはできなかった。レストウはそこでランドフスカに代わって、 生前に刊行されていたMAを含む著作だけでなく、ランドフスカの手記のなかに書き溜められ た文章も含めて、1900年代から50年代にかけての彼女の著作を編纂し、フランス語を英語に 翻訳した。すなわち、LoMは広義におけるMAの改訂版にあたる5。 LoMは刊行されて以来、ポーランド語とフランス語を主な使用言語としたランドフスカ の、英語で参照できる主要な情報源として頻繁に引用されてきた。実際に、先述のハスケル による『古楽の復活』の脚注からは、彼がランドフスカについて記述するうえで同書をたび たび参照していることが見てとれる。また、ハスケルに限らず、タラスキンやニコラス・クッ ク Nicholas Cook といった英米圏で演奏史研究・記述を牽引してきた研究者までもが、ランド フスカという20世紀の主立った演奏家の一人の音楽思想について記述するうえで、同書に依 拠せざるを得ない状況が長く続いた6。それは現在においても大幅には変化しておらず、LoM が古楽復興・演奏史記述に対して与えうる影響力は今もなお大きいと言える7。 LoMにはレストウによるランドフスカの短い伝記が冒頭に含まれており、これを除くと、 同書は全3部から成る。以下に各部の概要を記す。



 第3章「『真正性』への懐疑」では、1930年代において実行には移されなかった本の執筆計 画が、第二次世界大戦後に、ランドフスカの亡命先のアメリカにて少しずつ進みはじめて、 最終的にレストウによって実現されるまでの過程を考察する。戦後のランドフスカの経済状 況を改善するのが、RCAヴィクター社でのレコーディング、特に《ゴルトベルク変奏曲》の再 録音である。同盤の商業的成功によって《平均律クラヴィーア曲集》の録音が確約され、同 曲集の録音の仕事の合間を縫って、ランドフスカは秘書・弟子の補助のもとに1949年からMA 改訂のための準備にとりかかるようになる。70歳になった彼女は自身の人生を顧みて原点に 立ち返り、客観的な芸術が存在するのだろうか、と問いかける。さらには、作者を前に自身 の存在を無にするかのような演奏者の役割への拒絶を露わにもする。ランドフスカはそし て、自身もかつて用いたことのある「バッハの弾いた通りに」という言葉に否定的な見解を 残しはじめ、過去を正確に復元することなど不可能であり、自分が成しているのは再創造に ほかならないのだと語る。)と綴られていました。
特に、アメリカへ亡命した後。彼女は、巡業に耐える頑丈な楽器を必要とし、また、当時としては劣悪な輸送環境にも耐えうる必要があったからです。ただし、彼女はプレイエルの近代チェンバロの音色を好んで使用したそうです。



確かにランドフスカの演奏は古いが『ワンダ・ランドフスカの芸術』アルバムは余りスクラッチノイズも収まり先ず先ずの塩梅にて聴けそうな状態である。何度も聴くうちにスクラッチノイズは気にならなくヘンデルの鍵盤組曲に没頭できる、深みのあるランドフスカの演奏は何度も聴かないと味がわからないのかもしない、バッハとも違ったチェンバロ演奏だが温かみのある演奏は流石でもある。

またこの状況での音楽の聴く為の方法を、この様に若干鈍重なチェンバロ演奏にはFYNE AudioF500での試聴が重宝することを試してみた、低域の放射特性を圧倒的に改善する様な仕組みが若干鈍重なチェンバロの音を和らげ、丁度良い塩梅な涼やかな演奏に聴こえる感じに変化する、音質は変わらないのですが若干爽やかな感じに聴こえます、確かにFYNE AudioF500の音はこの様な使い方があったと今更ながら改めて見直すことが出来ました。なお上位機種でF500SPもあるが、F500は支那生産ですが、F500SPは英国の自社工場にて製造され、支那製と比べおおよそ100,000円の価格差があります。筆者使用は安価なF500である。
以前購入したSPレコードからCDアルバムにしたGiocconda De Vitoのヘンデル:ソナタ第4番ニ長調を聴いたが重々しいと感じた音質は若干影を顰めある程度具合良く聴けた、Giocconda De Vitoのヴァイオリンの魅力に改めて驚いた。



[CD21]
 ⚫︎ヘンデル: 組曲第2番 ヘ長調
1 I. Adagio 2 II. Allegro 3 III. Adagio 4 IV. Allegro (Fuga)
  Recorded on 25 February 1935
  Gramophone DB4977

 ⚫︎ヘンデル: 組曲第5番 ホ長調
5 I. Prelude 6 II. Allemande 7 III. Courante 8 IV. Air & Variations
  Recorded on 25 February 1935
  Gramophone DB497
 ⚫︎ヘンデル: 組曲第7番 ト短調
9 I. Allemande 10 II. Andante 11 III. Allegro 12 IV. Sarabande 13 V. Gigue 14 VI. Passacaille
  Recorded on 1 February 1935
  Gramophone DB4977/1980
 ⚫︎ヘンデル: 組曲第10番 ニ短調
15 I. Allemande 16 II. Allegro 17 III. Air 18 IV. Gigue 19 V. Menuetto & Variations
Recorded on 26 February & 1 March 1935
Gramophone DB4982
 ⚫︎ヘンデル: 組曲第14番 ト長調
20 I. Allemande 21 II Allegro 22 III. Courante 23 IV. Aria 24 V. Minuetto 25 VI. Gavotte varie 26 VII. Gigue
  Recorded on 1 March 1935
  Gramophone DB4980/4981


ランドフスカ愛用したチェンバロ

SP. SP盤はレコードの初期の1887年に誕生し、1963年まで生産されていました。 サイズは直径12インチ(30cm)、収録時間は4〜5分、1分間に78回転の速度で再生します。 SP盤は電気を使わずに蓄音機で聞くレコードなので、音を流すには電気再生できる専用プレイヤーと針が必要です。材質はシェラック(樹脂)製で割れやすいので取り扱いには注意が必要です。 1963年に生産終了。再生針には鋼鉄針、タングステン針、クロームメッキ針、竹針、植物の刺針、陶器針、ガラス針などなど……いろいろ考案されました。

ヘンデル 組曲第7番 HWV432
HWV439の改訂稿である3/2拍子のサラバンドに、フローベルガーの影響が認められ、様式的には遅くとも1711年まで遡れること、ロジェ版の改訂稿であるオーヴァーチュアが、1707年初演のカンタータ《忠実な心》序曲の編曲であることなどから、本作品の作曲も初のローマ滞在時の可能性がある。
アンダンテは様式化されたアルマンドで、アレグロ、サラバンドと共に出版用の改訂稿である。2声体のアルマンドは、付点を含まぬリズム、大部分上声に与えられた主旋律声部、模倣や動機操作の少なさなどから、イタリア様式への傾倒が強いと言える。事実上舞曲楽章であり、2声の模倣が各部の冒頭にしかないアレグロも同様に、イタリアのコッレンテの特徴が色濃い。
サラバンドは4小節の長さの楽節から成り、形式は簡潔である。最後の8小節は、直前の8小節の前半4小節を若干変更した反復である。
ジグは全体で19小節と短く、大方は最低声が和声低音、最上声が主旋律となる明瞭な書法。声部の密な絡み合いは見られず、和声進行にも複雑さはない。
パッサカリアは出版以前に流布していた写譜ではシャコンヌとされていたが、舞曲が3/4拍子を基本拍子とすることが多いのに対して本楽章は4/4をとる。小節後半の和声と5度の関係を取りながら、小節冒頭の低音が一小節ずつ2度下行し、パッサカリアのバス典型である4度の下行音階を形作る。15回の変奏のうち、第2、3変奏、第5、6変奏、第8、9変奏、第13、14変奏はそれぞれ対となり、上声と低声の間で声部が交替する。
確かにランドフスカの演奏は現在の演奏と比べ鈍重にも思うが、慣れてこると落ち着いた演奏が何度も聴くうちにヘンデル:組曲思うは何故か心の温か味を感じさせるメロディである様に感じた実に良い曲なのである。現在チェンバロ演奏での最新録音のアルバムを探して見ようと思いました。



ヘンデルの音楽とJ.S.バッハは同い年で、1685年にそれぞれドイツで生まれました。ヘンデルは2月23日にハレ、バッハは3月31日にアイゼナハで生まれています。ヘンデルとバッハは、バロック音楽を代表する巨匠として知られています。バッハは主にドイツで活動し、ヘンデルはイタリアやイギリスで活動したため、それぞれの音楽的なスタイルや活動範囲は異なりました。
筆者が感じるヘンデルとバッハの違いは器に例えるとヘンデル土の匂いの土器とクリスタルのようなバッハに感じる、メシアとマタイとの違いであるかのようでもある。ブラボー!