伝統ある英国の10吋ユニットで、いい音で音楽を聴きたい・・・・・

音楽好きの、古いオーディオ機器10吋TANNOYを改良して聴くダメオヤジの金ちゃんです。

久しぶりのThelonious Monkのジャズピアノの真髄を考察した

2024年06月27日 | JAZZ・ボサノヴァ

今年の梅雨は暫し遅れている様であり、日本産の米不足が心配でもある、庭には昨年植えた紫陽花の新種の花が咲き出しました。またカサブランカのは何も徐々に咲き始めています。今年も来月初めに東北の友人達と一緒に2泊3日のシニア達の遠足に参加予定で新幹線のチケットは予約しました。

久しぶりの古いジャズを聴く、久しぶりに聴くモンク節が部屋に日々言いた。20代に購入したモンクのLPは一度聴き当分聴かなかったレコードとしての思い出があります。当時の筆者には余りにもレベルが高過ぎた様だ。

オーディオ機器の再会については、(HPD295)のユニット使用のTANNOY IIILZ in CabinetでJAZZ音楽は聴けるのであろうか?の疑問は筆者には実に興味ある問いで、石のアンプでも楽しめる様になったと言われるTANNOY IIILZでのJAZZ音楽の再生にも大変虚み深く良いと感じたアンプは欧州物はまず先ずであったが、今更ながらTANNOYには良いとされる石のアンプを色々投入した中のアンプも一番風変わりなビクターの業務用デジアンプも使ったが何故か納得できなく、紆余曲折あり現在の三極管の機器に至った。
勿論ユニットもIIILZ Monitor Goldユニットに変わり、AXIOM80の箱に乗り換えた、現在はTANNOYⅢLZ in GOODMAN AXIOM80 Cabinetに落ち着き、正直思うはTANNOYで聴くJAZZは或程度の低域のゾーンボリューム必要に感じるが、オリジナルのTANNOYⅢLZ だは低域不足で、現在の装置TANNOYⅢLZ in GOODMAN AXIOM80 Cabinetでは1960年代までのスイングジャズ系統は実に上手くスイングするがこれが限界の様にも思う。
米国の機器とは違い英国独自の味わいがある音質が特徴に感じる、今回紹介するセロニアス・モンク辺りの再現がこのシステムのはどな音での限度でもあろう。



先日あるブログより紹介があった市原ひかりさん、女性ジャズ・トランペット、フリューゲルホルン奏者として有名。最近の演奏家は良く知りませんが、以前「STARDUST」と言うアルバムがある、市原ひかりの三作目。前作『Sara Smile』と同じくニューヨークでの録音。サイドメンは最高の猛者ばかり,ジョージ・ムラーツ(b)、ビクター・ルイス(ds)ら名手を迎えこれが功を奏しておしゃれなできばえとなっている様に思える、スタンダード7曲と自作曲2曲に臨みます。

Thelonious Monkお得意のBlue Minor、Stardust、星に願いをと続くが我々高年齢層も懐かしいやら、JAZZの良さを味わえる選曲であった、聴きながらそう言えば何処か調子ハズレな特徴のある本物のモンク節が恋しくなる、セロニアス・モンクのBlue Minorとは随分違っている様に感じ、久し振りに真面目にモンクのピアノを聴こうと決断する。

若い頃、兎に角筆者が最初モンクを聴いいた時感じたことは難しいJAZZのように思え、何処か馴染みなく数年過ぎた時に何度も何度も聴くのが何故か独特のモンク節が懐かしく感じた、5 by Monk by 5のStraight, No Chaserを聴きやはりただ物ではないJAZZの巨人の様に思え奥の深さを感じた。
思えばマイルスもコルトレーンも言ってみれば弟子なんですからね・・・?



勿論Blue Minorは不世出のジャズ・ピアニスト、セロニアス・モンクの1959年発表のアルバム。ソロ・ピアノにおける神出鬼没でミステリアスなフレージングの数々が唯一無二の輝きを放っている。“天才”に触れることのできる一枚だ。セロニアス・モンクが定評のあるソロ・ピアノ集をサンフランシスコでレコーディング。サンフランシスコにツアーした際、地元のスタジオで吹き込んだソロ・ピアノ集。

セロニアス・モンク(英語: Thelonious Monk [θəˈloʊniəs ˈmʌŋk]、1917年10月10日 - 1982年2月17日)は、アメリカ・ノースカロライナ州生まれのジャズ・ピアニストで .セロニアス・モンクは、アメリカ・ノースカロライナ州生まれのジャズ・ピアニストである。即興演奏における独特のスタイルと、スタンダード・ナンバーの作曲で知られ、ビバップのパイオニアの一人と評されている。

モンクの死後、その音楽はジャズ評論家や聴衆によって再評価され、モンクはマイルス・デイヴィスやジョン・コルトレーンなどと並び、ジャズの巨人の一人に数えられている。他の追随を許さないカリスマ性を持った姿、孤高の姿に「バップのプリースト(高僧)」と呼ばれた。1940年~1960年代まで黄金期を迎えた”モダンジャズの時代”において、独特のタイム感とコード感、そして休符の目立つ旋律等で、新風を巻き起こした人物である。



1988年、クリント・イーストウッド製作総指揮による、モンクの生涯と音楽についてのドキュメンタリー映画『セロニアス・モンク  ストレート・ノー・チェイサー』が公開された。
代表曲には「ストレート・ノー・チェイサー(Straight No Chaser)」「ラウンド・ミッドナイト(’Round Midnight)」「ブルー・モンク(Bkue Monk)」などがある。

ジャズ界の伝説の巨人と言われた天才ピアニストであり作曲家モンクの作品。独特なメロディからはじまる、モンクらしさに溢れた楽曲です。タイトルは、バーボンやウイスキーなどをオーダーする時に『ストレートでくれ。チェイサー(ストレートのロックでオーダーするとついてくるお水)はいらないよ』という意味です。クリント・イーストウッド監督によるモンクのドキュメンタリー映画の題名にもなっています。



一般的には健康的に美味しいお酒をいただくにはチェイサーは必要不可欠です。
チェイサーはなぜ水なのですか?居酒屋やバーなどでお酒を注文すると一緒に提供されることがあるチェイサー。一般的に冷水がチェイサーとして提供されることが多いですが、実は冷水でなくても良いことをご存じでしょうか。なんとなく悪酔いを避けるためのものと知っていても、その役割や効果を正しく知っている方は少ないかもしれません。チェイサーの役割や、効果的な飲み方をご紹介します。チェイサーについて正しい知識を身につければ、お酒をより楽しく安全に楽しめるようになります。水などをチェイサーとして飲むことにより度数の強いお酒の代わりに胃を満たし、胃を早く満腹の状態にできます。 先述の通りチェイサーを飲んでいるから、アルコールをいくら飲んでも良いという訳ではありません。 チェイサーは補助的な役割なので、飲み過ぎには注意をしながら、適正範囲でお酒を楽しむことが大切です。

"Straight,No Chaser"はモンクのキャリアを代表する曲のひとつ。独特のメロディから始まるモンクらしさに溢れた曲です。筆者のお気に入りの説明は・・・
(B ♭調の12小節ブルース。 「ブルー・モンク」同様、メロディーに半音階を独創的に使用。1951年7月23日、ジーニアス・オブ・モダン・ミュージックのセッションで初めて録音され、[5]後に『マリガン・ミーツ・モンク』[60]、『5 by モンク・バイ・ファイブ』[6]、『ストレート・ノー・チェイサー』[54]、『モンクのブルース』[28]に収録されている。ライブバージョンは、イタリア、東京、イット・クラブ、ジャズ・ワークショップで録音されたアルバムに収録されている。 マイルス・デイヴィスはアルバム『マイルストーンズ』でこの曲をB ♭ではなくFで演奏するバージョンを録音した。この曲はモンクや他のアーティストによって何度も録音されており、モンクの曲の中で最も多くカバーされている曲の一つである。[95] この曲はサリー・スウィッシャーによって作詞され、1988年にカーメン・マクレーによってスタジオアルバム『Carmen Sings Monk』の一部として録音されました。著作権上の理由から、この曲は「Get It Straight」と改名されました。 音楽教育者のマーク・C・グリッドリーはモンクの作曲スタイルについて次のように書いている。「モンクはシンプルな作曲技法を用いて非常に独創的な成果を上げた。彼の『ストレート・ノー・チェイサー』は基本的に1つのアイデアを何度も繰り返し演奏し、そのたびに小節の異なる部分で異なるエンディングで演奏するだけである。」



セロニアス・モンク — 5 by Monk by 5リバーサイド・レコードのカタログからセロニアス・モンクの傑出したアルバム7枚のうちの1枚!ジャズ界を代表する鬼才ピアニスト、セロニアス・モンクがサド・ジョーンズを迎えて録音された1959年作
Thelonious Monk 「5 By Monk By 5」(1959)
 1.Jackie-ing
 2.Straight, No Chaser
 3.Played Twice (Take 3)
 4.I Mean You
 5.Ask Me Now

 アート・テイラー(Art Taylor)drums
 チャーリー・ラウズ(Charlie Rouse)tenor sax
 サム・ジョーンズ(Sam Jones)bass
 サド・ジョーンズ(Thad Jones)cornet
 セロニアス・モンク(Thelonious Monk)piano

「このLPは4〜50代にずいぶん繰り返して聴いたが、どれだけ聴いても聴き飽きしなかった。すべての音、すべてのフレーズの中に、絞っても絞っても絞りきれぬほどの滋養が染み込んでいた」と評した。
5バイ・モンク・バイ5はジャズ・ピアニストのセロニアス・モンクが1959年に発表したLPアルバム。30年後、1989年にCD化された。 5人で、モンクのオリジナル5曲を演奏している。 プロデューサーはオリン・キープニュースでリバーサイド・レコードから出た。 
レビュータイトルにある通り、セロニアス・モンクのアルバムだけど普通のハード・バップとしても聴けるアルバムです。しかし、モンク調ではあるので、そこは期待は裏切りません。



それでは、音楽も人物もユニークなジャズマンの代表はいったい誰でしょうか? 私は偉大なるピアニスト、セロニアス・モンクこそが一番その条件に当てはまるような気がします所謂モンク節なのである。

天才アルト・サックス奏者チャーリー・パーカーも「変わり者」コンテストなら断然トップでしょうが、彼のスタイルこそが「モダン・ジャズ」となってしまったため、あとから彼の演奏を振り返ると、その天才性は疑いようもありませんが、「聴いた感じ」はごく一般的なものとなっているのです。つまり「演奏の枠組み」としては、特段ユニークとはいえなくなっているのですね。もっともそのこと自体がじつに偉大なことだったのですが。

話をモンクに戻すと、まったくその逆だということがわかります。「モダン・ジャズ・ピアノ」の開祖バド・パウエルに音楽理論を教え、テナー・サックスの巨人ジョン・コルトレーンがスランプに陥ると適切な助言を行なう。それにもかかわらず、モンクのピアノ・スタイルは主流にはなりませんでした。じつに不思議です。いや、そうでもないかもしれません。理由はあります。つまり、あまりにも「個性的」だったのです。



“ラグタイム”というアメリカ独自の音楽(譜面あり)から始まったとされる「ジャズ・ピアノ」は、アート・テイタムなど“ビ・バップ”以前のピアニストたちによって次第に形を整えていきました。そしてバド・パウエルも、彼とはまったくスタイルの異なるオスカー・ピーターソンも、ともにテイタムの影響を受けているのです。つまり「ジャズ史的連続性」はちゃんとあるのですね。
同じことがモンクにもいえるのです。彼もまたアート・テイタムはじめ、偉大なビッグ・バンド・リーダーでもあるピアニスト、デューク・エリントンなど「モダン期以前のピアニストたち」の影響を強く受けていたのでした。、ある意味でモンクはスイング時代の巨匠たちのスタイルを「そのまま」うまい具合に自分の個性に結びつけることに成功したといえるのかもしれません。

じっくり楽しむ、ジャズの良さを知った時間でもあった、ブラボー!


ボヤン・チチッチ(バロック・ヴァイオリン)演奏のヘンデル:ヴァイオリン・ソナタ全集を聴く。

2024年06月19日 | バロック音楽・オーディオ一般

昨日は雨模様でゆっくり散歩できなく、モジャ君は雨天の散歩は嫌う傾向があり若干欲求不満気味でもある様でもあった。
本日は少し早朝から遠吠えするにで早目の散歩をせがむ、早速少し早めに散歩に出かけ、今日のコースは何時もより少し遠くの公園を廻る、雨上がりの為か朝靄が見える。モジャ君は気分爽快である。三箇所の公園を巡った。
朝靄の感じが写真に収まった様である・・・。



帰宅後はモジュ君はシャワーを浴びさて落ち着かせ、本日は楽しみな今年開花した最後の蔓薔薇の花を冷蔵庫に保管した、蔓薔薇の花のお風呂に入っています、来年もこの時期の楽しみでもあり、何故かリラックス出来る入浴後の僅かなバラの花の匂いが実に心地良い。

最近の話題は腐り切った政治と金の話、それとドジャーズ大谷の報道問題、日テレ、フジテレビの大失態である。
いずれも日本の民度の問題でもあり、国民より政治を司る立場の者、マスコミを報道する側の者達の事については間違いなく大問題である・・・?民放放送局には最近益々、韓国色、支那色が強く番組自身興味のない国民が増えている、今やテレビを見るのはと年寄りばかりで、筆者もテレビはYouTubeを見る事が多い、誠に呆れ返る始末である。政府もまともなマスコミを指導する為にもテレビチャンネルをフリーオークッションで開放し判断は視聴者が決める様にすれば如何?巨大になりすぎたマスコミにはお灸を据える事が肝心であろう、その際NHKも無駄な税金を使用しないで、解体して民放にすれば如何であろう。

兎に角日本の歴史を見渡す限り。どの時代も其々品位のある民度は日本の伝統でもあった、例えば赤穂浪士事件も討ち入り後49日間の文献も今に伝わる、5代将軍の吉良VS浅野の喧嘩両成敗を赤穂浪士が刃傷沙汰を起こした、無事本懐を遂げるが、細川家家臣「堀内伝右衛門覚え書」赤穂浪士の接待役だった堀内伝右衛門が大石ら十七人を泉岳寺で受け取り、元禄十六年(1703年)二月四日の切腹までの間、義士からの聞き書きや義士からの書簡・詩歌を書き寄せた貴重なものです。大石が最後に語った言葉に浅野家の上層部は今回の事件には加わらず所謂下級武士達だけで起こした事件は残念であるとと述べている。



また先の戦争後の東京裁判でも石原莞爾は喧嘩両成敗を主張した、裁判証言にも見事な答えを語っている、問いの戦争犯罪者は誰と問われ「トルーマン」だと答えている、見事に美味しき日本を伝えた思う。

現在の政治屋は良し悪しに付け事実を次の世代に残し、次は最善の方法で相決する方法を今の政府筋は捨てようといている事が問題である。その事実を間違った報道をするNHKを始めとするマスコミ側は大いに反省すべしで報道の事実を報する立場を取るべきでもある。
政治屋、報道屋とも私腹を肥やす事ばかりしないで、この際改めて頂きたい。筆者も75歳を過ぎ殆ど自分の人生は終わりに近づいているが、海外の方に日本人の民度について言われると実に恥ずかしい思いをする状態である。

日本の或程度知名度のある家は、それなりに格式もあり常識も弁え人々の安定を目指す心得は必ず守り、自然災害等にも皆と一緒に耐え忍んだ事が常識であった。その様な或程度高い民度を持つ政治屋、報道屋は消えた様である。ある事柄を読むと日本人らしい日本人は明治初期で終わったとも言われる、何故か武士が終了した時期と一致する。今世間は政治と金の問題で与野党意見交換しているが所詮同じ穴の狢、本来の改革は無理であろう、国民が今の政治屋を拒否出来るかが問題で間違った組織票も無効にして厳正な日本らしいお捌きが必至でもある。



暗いお話はここまでとし早速音楽のお話に・・・
ここでは何度も取り上げているゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル(Georg Friedrich Händel )は、ドイツ出身の作曲家、オルガニスト。イタリアで成功した後にイギリスで長年活躍し、イギリスに帰化した。後期バロック音楽の著名な作曲家の一人で、特にイタリア語のオペラ・セリアや英語のオラトリオの作曲で知られ、自ら公演事業にも携わった。オラトリオ『メサイア』は現在でも特に人気が高いが、筆者の好きな六つのヴァイオリン・ソナタについて考察しました。

ヘンデルは鍵盤楽器の名手としてよく知られていますが、若い頃はヴァイオリニストとしても訓練を受けており、エッセイストのドナルド・バロウズは、ヴァイオリンとハープシコードのためのヘンデルの作品について「派手な技巧によって注目を集めるのではなく、ヴァイオリニストが鍵盤奏者と音楽的な会話を交わす、流れるようで心地よい室内楽である」と述べています。



当時は筆者のオーディオ機器も徐々にボーナス等を注ぎ込み装置も交換し1972年頃から徐々にプレイヤーはTechnics SL-110、アームはFR、カートリッジに    Ortofon SPUGE、プリアンプはTechnics 30A、パワーアンプは    LUXMAN MQ60、後日テープデッキはTEAC A-7400、スピーカーは当時欲しかったTANNOY社が火災で購入できず、代わりに英国のFERROGRAPH S1と言う組み合わせで聴いていたが弦楽器の鳴り方はまず先ずではあったが、全体的は若干細身の音がした、一瞬聴くと実に塩梅は良いが、但し長く聴くと疲れる様にも感じた。今考えると当時のシステムは何かバランスの悪さがあった様にも思う、当時仕事が忙しすぎ勿論土日も返上し徐々にレコード音楽を聴くとが出来なくなりオーディオ機材は埃をかぶる状態にもなった。

その後プリアンプはMcIntosh C29、パワーアンプは東芝の最後の真空管(予備も含め)を使用し東芝の音響技術者にモノーラルアンプ(ダブルプッシュプル)を制作して頂き使用していましたが、多分C29との相性は合わず欧州のアンプも考えたが資金不足が伴いそれと度重なる引越しでほとんどの機材は処分し、最後はミニコンポで十分とも思って軽音楽程度で紛らわしていた考えればオーディオ歴はトータルすれば思ったより決して長くは無い様に思う。



老後になり好きな音楽鑑賞を再開しTANNOYⅢLZにユニットに in GOODMAN AXIOM80 Cabinetを入手し、現在三極管で鳴らしていますが、国産品と言われるzaika5300を入手しこれが実に良いマッチング効果があり弦の音が実に良く鳴るのだ、当時の雑誌においても輝かしい感想を見る事が確認でき、実際視聴すると実に瑞々しい再現が行われた事におごろきました。
但し真空管の製品は海外、国産問わず可成り数が多く値段もピンからきりで選択が相当難しくアンプとの相性もあり選ぶ事は至難の業でもある。一部の愛好家の間ではそのセレクトが楽しみと言う強者もいる様です。

TANNOYⅢLZ in GOODMAN AXIOM80Cabinetを或程度現状ににする前はなんちゃってLS3/5aを改造しある程度良きバランスで鳴る様にまだはなったが、現行のGOODMAN AXIOM80の箱と比べ自然に感じる低音は納得ができず、TANNOのシステムを愛聴しています。以前にも紹介したMartin Neuのオルガンの低音も自然い聞こえる音には10吋のユニットの良さを改める次第です。

退職して以降以前から使用していた機器を直し補修しながら余生を楽しんでいるのが現状である、オーディオ愛好家というより何方かと言えば音楽愛好家と言う立場を取っている。勿論昔好きだったジャズも聴くがバロック音楽と言うよりJ.S.バッハの音楽が断然多く最近特にカンタータを聴くことが増えているのが現状でもある。



ではヘンデルのヴァイオリン・ソナタについて述べてみよう。確定されたヴァイオリン・ソナタの目録がないというのが現状である。研究者によって多種な見解がみられるのである。未だにヘンデルのヴァイオリン・ソナタの全貌が見えていないというのが現状ではあるが、現時点では9曲とされている。これには偽作の疑いがる4曲も含まれている。
バッハの「ヴァイオリンとチェンバロのためのソナタBWV1014~1019」(全6曲)は、通奏低音(バス部)と和音記号のみ付けてよしとされていた当時の慣習とは異なって、完全にすべての音が書かれている。バッハが演奏者の即興性には満足しなかったと思われる。それとは違ってヘンデルの「ヴァイオリン・ソナタ」には、ヴァイオリン部以外は通奏低音(バス部)と和音記号のみしか書かれていない。現在、それらを補ったいわば編曲校訂版楽譜が出まわっているが、問題を残す版(かっては時代錯誤な版もあった! ex.ピアノ伴奏にオクターヴ音を多用)もあることを知らなければならない。それを前提に話を進める。
「ヴァイオリン・ソナタ ト長調」 358
「ヴァイオリン・ソナタ 二短調」 359a
「ヴァイオリン・ソナタ イ長調 第1番」 361 Op.1-3
「ヴァイオリン・ソナタ ト短調」 364a
「ヴァイオリン・ソナタ ト短調 第2番」 368 Op.1-10
「ヴァイオリン・ソナタ ヘ長調 第3番」 370 Op.1-12
「ヴァイオリン・ソナタ ニ長調 第4番」 371 Op.1-13
「ヴァイオリン・ソナタ イ長調 第5番」 372 Op.1-14
「ヴァイオリン・ソナタ ホ長調 第6番」 373 Op.1-15
ヘンデルのヴァイオリンソナタは、いわゆる「作品1」にぞくする、作品1-3、1-10、1-12、1-13、1-14、1-15を合わせた6曲とされてきたのですが、他にも自筆譜がみつかったりした曲がいくつかありますので、最近の演奏家がヘンデルのヴァイオリンソナタをまとめて取り上げるときには、それらの曲も演奏されるのが普通だそうです。



そもそもヘンデルの「12のソロ 作品1」は1730年ごろアムステルダムのRodger版として出たのが最初ですが、これはロンドンのWalshがヘンデルにもRodgerにも無断で出した、一種の海賊版だったとのことです。次いで数年のちに、そのうち2曲のヴァイオリンソナタを別の2曲のヴァイオリンソナタに差し替えてWalsh版が出版されました。さらに旧
ヘンデル全集(クリサンダー版)では、両版をあわせた計14曲に、新たに1曲のヴァイオリンソナタ(ニ長調・作品1-13)を加え、15曲から成る「作品1」を構成したのです。
よく比べられるバッハ&ヘンデルの音楽、確かにバッハはクリスタル的でヘンデルの曲は何故が温もりがあり土器の様でもあります、ヴァイオリン・ソナとはずいぶんややこしい成立経緯ですが、これは元はと言えばWalshが「合計12曲」という体裁にこだわったために無理して曲をかき集めたのが原因だとされています。



作品について
ヘンデルのヴァイオリン・ソナタは,「作品1」と呼ばれる独奏楽器(トラヴェルソ,リコーダ,オーボエ,ヴァイオリン)と通奏低音のためのソロ・ソナタ集のうちのヴァイオリンの曲を指すのが一般的ですが, 少々ややこしいので,楽譜の出版に沿って簡単に整理します。
ロジェ版(1730年頃)
1730年頃,アムステルダムのロジェ(Roger)という出版社が,「G.F.ヘンデルによって作曲された通奏低音付きの,トラヴェルソ,ヴァイオリン,あるいはオーボエのためのソナタ」という, 12曲からなる曲集を発売しています。 最近の研究によると,この曲集は,ロンドンのウォルシュ(Walsh)という出版社がロジェの名を借りて出版していたことがわかっているそうです。 現在の作品番号で言うと,作品1-3,14,15,がヴァイオリン・ソナタとして含まれていました。 ただし,このうち14と15については,大英図書館で所蔵されている「ロジェ版」の一つに,当時の筆跡で「注意,これはヘンデル氏のものではない」と書かれているそうで, 本当にヘンデルの作曲かどうか,信憑性が疑われているということです。
ウォルシュ版(1732年頃)
1732年頃,改訂版として前述のウォルシュが「ヘンデル氏によって作曲された,ハープシコードあるいはバス・ヴァイオリンのための通奏低音を伴う,ドイツ・フルート,ヴァイオリン,あるいはオーボエのためのソロ。注意,この版は以前のものより正しい」 と称して,12曲からなる曲集を発売しています。 前述の14と15を現在の作品番号の10と12に差し替えているということです。 ただし,この10と12についても,大英図書館に所蔵されている「ウォルシュ版」の一つに,当時の筆跡で「ヘンデル氏のソロではない」と書かれているそうで, これも信憑性がないとのことです。 なお,「作品1」とは,ウォルシュが1734年以降の新聞広告で用いた番号で,これが定着したとのことです。



今回登場のクロアチアの異才ボヤン・チチッチ!スティーヴン・ディヴァインの伴奏で贈る、ヘンデルのヴァイオリン・ソナタ全集!
解説によりますと「新世代のバロック・ヴァイオリニストの旗手のひとり、ボヤン・チチッチ。バッハの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ&パルティータの記念碑的な録音で新たに注目呼び、英グラモフォン誌「Critics' Choice 2023」、英Presto Recordings of the Year「Finalist」 2023」等に選ばれたチチッチが、今度はヘンデルのヴァイオリン・ソナタ全曲に挑戦します。

ヘンデルは鍵盤楽器の名手としてよく聞かれますが、若い頃はヴァイオリニストとしても訓練を受けており、エッセイストのドナルド・バロウに固定ヴァイオリンとチェンバロのためのヘンデルの作品について「派手な技巧によって国際的なものではなく、ヴァイオリニストが鍵盤奏者と音楽的な会話を交わす、流れるようで心地よい室内楽である」のいずれか。伴奏は、これまでイリュリア・コンソートのメンバーとしても共演してきた。」と語っているそうです。
伴奏は、これまでイリュリア・コンソートのメンバーとしても共演してきたイギリスの名手スティーヴン・ディヴァイン。彼は1756年ロンドン製の壮麗なカークマン・ハープシコードを少年時代から知っており、「ヘンデルのソナタをこの楽器で録音できたことは栄光であり喜びである」と語っています。



この曲はヴァイオリンのバロック・ソナタ集でのヘンデル・ヴァイオリン・ソナタはアルフレード・カンポリ(ヴァイオリン)ジョージ・マルコム((ピアノ)は好演奏と思っていたが流石1948年頃の録音でやはり今聴くも演奏は良いが、音質が古く、色々演奏者を探してみたがイマイチピンと来ない。
昔から筆者は此の曲が好きで当時アルヒィフーフレコードより発売してたレコードは未だ大切に保管する、当時「アルヒーフ・プロダクション」は、ドイツ・グラモフォン社内に1947年に創立された音楽史専門のレコード・レーベルです。(最初のリリースは1948年、ヴァルヒャのバッハでした。) 「世界初」の古楽レーベルとして古楽振興のために発足し、当初はバッハ作品の全曲録音を目標としてスタートしましたが、その後、グレゴリオ聖歌からウィーン古典派までその領域を拡げたと言われる。
当時ヘンデル:ヴァイオリン・ソナタはA.グリュミオー(vn)R.ヴェイロン・ラクロワ(cemb)を聴くが何故か筆者には流行歌のように聴こえピンと来ない。



その後E.メルクス(vn)E.ミュラー(cemb/org)A.ヴェンツィンガー(vc)K.シャイト(lute)を紹介され早速聴くと重厚な演奏に驚いた、E.メルクスは自身もバロック・ヴァイオリンの奏法を研究して、バロック・古典派の作品を当時の奏法で演奏しようと試みている。またA.ヴェンツィンガーのビオラ・ダ・ガンバの低域も重厚さを増している様でした。

退職して以降以前から使用していた機器を直し補修しながら余生を楽しんでいるのが現状である、オーディオ愛好家というより何方かと言えば音楽愛好家と言う立場を取っている。勿論昔好きだったジャズも聴くがバロック音楽と言うよりJ.S.バッハの断然多い最近は特にカンタータを聴くことが増えているのが現状である。



今回登場のクロアチアの異才ボヤン・チチッチ!スティーヴン・ディヴァインの伴奏で贈る、ヘンデルのヴァイオリン・ソナタ全集!
解説によりますと「新世代のバロック・ヴァイオリニストの旗手のひとり、ボヤン・チチッチ。バッハの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ&パルティータの記念碑的な録音で新たに注目呼び、英グラモフォン誌「Critics' Choice 2023」、英Presto Recordings of the Year「Finalist」 2023」等に選ばれたチチッチが、今度はヘンデルのヴァイオリン・ソナタ全曲に挑戦します。
ヘンデルは鍵盤楽器の名手としてよく聞かれますが、若い頃はヴァイオリニストとしても訓練を受けており、エッセイストのドナルド・バロウに固定ヴァイオリンとチェンバロのためのヘンデルの作品について「派手な技巧によって国際的なものではなく、ヴァイオリニストが鍵盤奏者と音楽的な会話を交わす、流れるようで心地よい室内楽である」のいずれか。伴奏は、これまでイリュリア・コンソートのメンバーとしても共演してきた。」と語っているそうです。



早速ボヤン・チチッチの演奏を耳にすると、昔聴いたアルヒィーフ盤のE.メルクス(vn)演奏を聴いた時の衝撃を思い出した、ヴァイオリンの旋律が如何にも道に行ってる実に新鮮あ編曲である、イタリア調って言うか自由奔放な調べでもある。

勿論楽器はヴァロック・ヴァイオリン(ジョヴァンニ・グランチーノ1703年製)である之は聴きしに勝る演奏でもある、確かに最初に聴いたE.メルクス(vn)のアルフィーフ盤を聞いた時に似た感動を覚えた。また特に大好きなHWV 371が鳴り出す作品としても筆者好みである。

ヘンデル:ヴァイオリン・ソナタ全集
 1.ソナタ ニ長調 Op.1-13, HWV 371
 2.アレグロ ト長調 HWV 407
 3.ソナタ ト長調 HWV 358
 4.ソナタ ニ短調 Op.1-1, HWV 359a
 5.ソナタ ト短調 Op.1-6, HWV 364a
 6.アレグロ ハ短調 HWV 408
 7.ソナタ イ長調 Op.1-14, HWV 372
 8.ソナタ ホ長調 Op.1-15, HWV373
 9.ソナティナ(オラトリオ《時と悟りの勝利》 HWV 46b より)
 10.アンダンテ イ短調 HWV 412
 11.ファンタジア イ長調 HWV 406
 12.ソナタ イ長調 Op.1-3 HWV 361

【演奏】
 ボヤン・チチッチ(バロック・ヴァイオリン/ジョヴァンニ・グランチーノ1703)
 スティーヴン・ディヴァイン(ハープシコード/ジェイコブ・カークマン1756)

使用楽器:
 バロック・ヴァイオリン:ジョヴァンニ・グランチーノ(ミラノ, 1703)
 ハープシコード:ジェイコブ・カークマン(ロンドン, 1756)

【録音】
2023年3月13日-15日、セント・マーティンズ教会(イースト・ウッドヘイ、イギリス)

Bojan Cicic (ボヤン・チチッチ)。クロアチアの男性ヴァイオリニスト。1979年5月22日生まれ。
パリ国立高等音楽院でバロック・ヴァイオリンと古楽プログラムを学び、2004年に卒業した。2005年から2007年まで、ロンドンのギルドホール音楽演劇学校でバロック・ヴァイオリンの勉強を続けた。16世紀後半からメンデルスゾーンやベートーヴェンのロマン派ヴァイオリン協奏曲まで幅広いレパートリーを得意としている。古楽アカデミーとアンサンブル・フロリレギウムのリーダーであり、18世紀オーケストラ、コンチェルト・コペンハーゲン、啓蒙の時代のオーケストラなどのオーケストラのリーダーとして頻繁に招待されている。
ヘンデルは鍵盤楽器の名手としてよく知られていますが、若い頃はヴァイオリニストとしても訓練を受けており、エッセイストのドナルド・バロウズは、ヴァイオリンとハープシコードのためのヘンデルの作品について「派手な技巧によって注目を集めるのではなく、ヴァイオリニストが鍵盤奏者と音楽的な会話を交わす、流れるようで心地よい室内楽である」と述べています。
伴奏は、これまでイリュリア・コンソートのメンバーとしても共演してきたイギリスの名手スティーヴン・ディヴァイン。彼は1756年ロンドン製の壮麗なカークマン・ハープシコードを少年時代から知っており、「ヘンデルのソナタをこの楽器で録音できたことは栄光であり喜びである」と語っています。



新世代のバロック・ヴァイオリニストの旗手の1人、ボヤン・チチッチ。これまで様々な知られざるバロック作品を録音してきたチチッチですが、ギタリストのショーン・シベがスコットランドの15世紀の教会で録音したバッハを聴き此れも良い仕上がりだとは思いますが。
今回のヘンデル:ヴァイオリン・ソナタにブラボー!

アンジェラ・ヒューイット/ダニエル・ミュラー=ショットの演奏でベートーヴェン: チェロ・ソナタを聴く。

2024年06月11日 | クラシック音楽・オーディオ

例年の如く菖蒲の花が咲き出す、以前水郷潮来あやめ園見学に行った時購入した菖蒲が先始める、記憶では5種類ほどの鉢を購入し今後徐々に咲き出すのであろう。この時期は次々に咲く花があり楽しみな時期でもある。

この様なチェロ・ソナタを聴くには筆者のTANNOYⅢLZ in GOODMAN AXIOM80Cabinetのエンクロージャーは水を得た魚の如く実に素晴らしい音が鳴るのだ、以前も色々なベートーヴェン: チェロ・ソナタも取り上げたが筆者の優れた一枚に残す出来栄えある様に思う。
今回ファツィオーリピアノ演奏でのベートーヴェンは初めてではあったが切の良い音は切れ味鋭い音とよく合っている様に感じた。



最近聴くピアニストのイタリアの銘器"ファツィオーリ"による新作を目にする、若干派手な音質とも思えるが私好みの音が奏でるバッハの演奏が実に心地よい。ファツィオーリの音質は僅かに高音が煌めく様に聴こえる音はクリスタルの様でもあり何方かと言えばベートーヴェン以前の演奏に向く様におまうが・・・

以前この二人の共演は今回で2度目である、2006年録音の当時若手注目NO.1 チェリスト、ダニエル・ミュラー=ショットとバッハ弾きとしてますます評価が高まっているアンジェラ・ヒューヒットによるバッハ・アルバム。バッハをあれほど弾き込んでいるヒューイットですら、このガンバ・ソナタを録音し新たなバッハを発見したというほど、この3つのソナタはバッハの他の作品と異なる風合いが展開され仕上がりも良くお気に入りのアルバムであった。ダニエル・ミュラー=ショットが愛用している名器1727年製マッテオ・ゴッフリラーとヒューイットが好んで使用しているファツィオーリはともにヴェネツィア出身で気の合うコンビなのであろう。



ダニエル・ミュラー=ショット(Daniel Muller-Schott)ドイツの男性チェリスト。1976年11月22日生まれ。
オーストリアのチェリストのハインリヒ・シフ、イギリスのチェリストスティーヴン・イッサーリスに師事。優れた確かなテクニックと豊かな知性と感性を持った、世界で最も人気のチェリストの一人である。1992年、若い音楽家のためのチャイコフスキー国際コンクール(モスクワ)優勝。
これまで、ダウスゴー、エッシェンバッハ、フィッシャー、ギルバート、ヒメノ、ハイティンク、ネーメ・ヤルヴィ、キタエンコ、ネルソンス、ノセダ、オロスコ=エストラーダ、ペトレンコ、プレヴィンらの指揮で、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、ゲヴァントハウス管弦楽団、バイエルン国立管弦楽団、ベルリン放送交響楽団、ロンドン交響楽団、フィルハーモニア管弦楽団、ニューヨーク・フィルハーモニック、ボストン交響楽団、クリーヴランド管弦楽団、NHK交響楽団、シドニー交響楽団等、数多くのオーケストラと共演している。

最近のことであるが「2020年にJ.S.バッハの無伴奏チェロ組曲を全曲録音することを考えています。自分が21世紀に歩んだ20年間の集大成的なマイルストーンにできたらと思って」と語っていたが、未だ発売はされたないが今後楽しみでもある。是非聴きたいバッハのソロは期待します・・・



ヒューイットとドイツの天才ミュラー=ショット!ベートーヴェンのチェロ・ソナタがハイペリオンから登場!
2007 年8 月より6 大陸25 ヶ国という壮大なスケールで開催されている「アンジェラ・ヒューイット・バッハ・ワールド・ツアー」が遂に完結を迎える鍵盤の女神アンジェラ・ヒューイット。当代最高のバッハ弾きとしての評価を確立し、次のステージであるベートーヴェンのピアノ・ソナタ集の録音に取り組んでいるヒューイットが“バッハ・ワールド・ツアー”と並行して完成させた最新録音は、ドイツの若き天才チェリスト、ダニエル=ミュラー・ショットとのタッグによるベートーヴェンのチェロ・ソナタ集の第1 巻!



“チェロ・ソナタ”と言うとチェロがソロ、ピアノが伴奏と考えられてしまうが、ここではベートーヴェンの優れた書法や作品の完成度はもちろんのこと、ヒューイットとミュラー=ショットの高い技術と深い音楽性がチェロとピアノをソロと伴奏としてではなく、あくまでも対等なデュオとして音楽を奏でていくことを実現させている。



ヒューイットとミュラー=ショットは、これまでにもレコーディングやバッハ・ワールド・ツアーのコンサートなどで共演を重ねてきており両者のコンビネーションは万全!またミュラー=ショット愛器1727 年製マッテオ・ゴッフリラーとヒューイットが愛用する銘器ファツィオーリが奏でるサウンドのブレンドもこのデュオだからこそ聴ける大きな魅力と言えるだろう。鍵盤の女神とドイツの天才が紡ぐベートーヴェンのチェロ・ソナタ。素晴らしき感動と美しき響きが聴き手の魂を揺さぶる――。2008 年1 月2 日- 5 日、イエス・キリスト教会(ベルリン)での録音。

ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン (1770-1827): チェロ・ソナタ第 1 巻
【曲目】
 チェロ・ソナタ 第1番 ヘ長調 Op.5-1
https://www.youtube.com/watch?v=GnlGD7-O63k
 チェロ・ソナタ 第2番 ト短調 Op.5-2
 チェロ・ソナタ 第3番 イ長調 Op.69
https://www.youtube.com/watch?v=Xd8H9chb1WY
【演奏】
 ダニエル・ミュラー=ショット(チェロ)
 アンジェラ・ヒューイット(ピアノ)
【録音】
 2008年1月2-5日 イエス・キリスト教会(ベルリン)



『ベートーヴェン:チェロ・ソナタ集 Vol.2』
【曲目】
 ヘンデルのオラトリオ《ユダス・マカウベス》の「見よ勇者は帰る」の主題による12の変奏曲 ト長調 WoO.45
 チェロ・ソナタ 第4番 ハ長調 Op.102-1
 モーツァルトの歌劇《魔笛》の「恋人か女房か」の主題による12の変奏曲 ヘ長調 Op.66
 モーツァルトの歌劇《魔笛》の「恋を知る男たちは」の主題による7つの変奏曲 変ホ長調 WoO.46
 チェロ・ソナタ 第5番 ニ長調 Op.102-2
【演奏】
 ダニエル・ミュラー=ショット(チェロゴフリラー)
 アンジェラ・ヒューイット(ピアノ/ファツィオーリ)
【録音】
 2009年3月20-23日 イエス・キリスト教会(ベルリン)



今回はベートーヴェンのチェロ・ソナタの発表された、2009年3月、ベルリン、イエス・キリスト教会にて録音。ダニエル・ミュラー・ショットとアンジェラ・ヒューイットによるベートーヴェン、チェロ・ソナタの第1集。ダニエル・ミュラー・ショットは、1976年ミュンヘン生まれ。チェロをハインリッヒ・シフ、スティーヴン・イッサーリスに師事。新進気鋭の若手チェリストだ。それをアンジェラ・ヒューイットがファツィオリで組む。この第1集では特に『op.69 』が素晴らしい。最終楽章は大変な名演だと思う。勿論演奏は輝くような柔らかな美しさに触れると余計にそう思ってしまう。この曲の愛好家には聴き逃して欲しくない演奏であると思った。ブラボー!

J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ(BWV1001-1006)の考察

2024年06月05日 | J.S.バッハ関係

無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータと言われる、3曲ずつのソナタとパルティータ合計6曲からなる曲である。
「ソナタ」は、イタリア風の「教会ソナタ」様式に基づく、峻厳な音楽。
 一方「パルティータ」は、舞曲を連ねたフランス風の組曲様式をベースにしている。特に皆さんご承知の如くPartita No. 2 in D minor, BWV 1004: Ciaccona(シャコンヌ )は有名で、3拍子の舞曲の一種である。
この当時のバッハの音楽はイタリアにも勿論フランスも出掛けてはいなく、中南米からはいったスペインの舞曲を起源のシャコンヌ等流行り物を自分の曲の制作に取り入れ常に新しい作品作りは素晴らしい事である。

近年、バロック・ヴァイオリンなどのピリオド楽器による演奏など、バッハ当時の演奏様式に即した名演が多く聴かれるようになった。そんな時代だからこのディスクを聴くと、前時代的・一昔前の演奏スタイルと断じてしまう人もいるだろう。抜群の美音と超絶的な技巧の冴えをもって、どこまでも自己の内面へ沈潜していく祈りにも似た演奏スタイルは好悪が分かれるのは仕方のないこと。私は感動した。第1番の第1楽章アダージョはゆったりと静かな演奏だ。第2楽章のフーガも余り速いテンポは採ってない。どちらかと言えば丁寧に弾いているイメージで、細かいパッセージの再現性は完壁。全身に鳥肌が立った。


バロックヴァイオリン

モダン楽器でバッハを演奏することの意味を深く考えさせられた。モダン・ヴァイオリンと異なる点として、バスバー(胴体部分の内部に縦についている棒)が小さいこと、駒の下部が比較的薄く上部が比較的厚いこと、指板が短いこと、ネックが太いこと、アジャスターがないこと等がある。 しかし、最も重要な違いは弓である。
思うにビジュアルからでも基本的なことは知った事で新たな事柄が判明するかも知れず、一般的な事を表記しておく、勿論オーディオ趣味とは意外と範囲も広く知ると音楽の関わりも一段とファかくなる様にも思う次第である。
先ずは見た目からいくと、バロック奏者は基本的に顎あてを使いません(使う人もいますが、遠慮がちに小さめのものだったりします)。
弦は、E線からG線までガット弦の場合もあれいば、E線とA線はオープンガット弦(外側に銀線を巻いていないガット弦です)で、G線はモダンでも使われている、外側を銀線でカバーしたガット弦、D線はどちらもありですが、銀線を数本巻き込んだオープンガット弦を使う人もいます。
ガット弦とは、基本羊の腸を撚って作ったもので、だいたい黄色っぽい外見になります。



ヴァイオリンについての解説があり今回コピーさせていただいた。
バロック楽器はモダンに比べると、
 1、駒が低めで、カーブも緩やか。
 2、ネックが楽器の胴体に対して水平に取り付けられている。(モダンは弦の張力を上げるためちょっと斜めになっています)これに伴って、指板が弦の上昇に合わせるように取り付けられています。
 3、魂柱(楽器の中に立っている小さな柱のようなもの。実は弦の張力を楽器の中から支えている)が少し細い。
 4、バス・バーと呼ばれる、楽器の表板の裏側についている棒状のもの(上手く説明できませんが・・・)が細く、短い。
 5、これは楽器の注文主によって違いますが、指板が短い。
という違いがあります。とはいえ、楽器の基本構造は、400年来全く変わっていません。
バロック楽器は、
 1、音量が小さめ
 2、高めの倍音が多く聴こえるせいか、線の細い音がする
 3、実は、モダン楽器より雑音が多い(バロッックの方が柔らかい音がすると思う人がけっこう多いですが、実はモダン楽器は極力音が滑らかに、そして均一に出るように改造されていて、雑音はとても少ないです。)
バロックとモダン楽器の鍵盤楽器で比べれば、チェンバロの音とピアノの方と比べピアノの方が滑らかですよね。違いは鍵盤楽器がわかりやすいのかも知れません。

それと一番判別しにくいのが弓であり後期バロック弓とモダンの弓は実によく似ている。一般的にはバロック音楽と弓は初期バロック弓が多く使用されますが、



初期バロック弓
コレッリタイプ、クリップオンタイプ スクリューなし)
対極にあるのがコレッリタイプの弓。これは元に比べて先のほうが極端に力がかからない構造になっており、一つの音を弾いても元と先では音色、音量が変わります。昔はそれが当たり前だったのでしょう。いかにも人間の会話、言葉をしゃべるような表情がつきます。シャフトの中に空洞がなく、金属部品もないので発音がとても良い。さらに、短めで運動性能が良いので、ビバルディなどの早いパッセージは弓が自然に動いてくれる。音の立ち上がりが早く、切れもよく、いかにもダンス音楽を弾いていた弓という感じがします。シャフトはスネークウッドや各種のハードウッド(固木)。フロッグもスネークウッドやホーン(水牛の角)など



後期バロック弓
次のいわゆるバロック弓は、単音の中で強弱はつくものの、コレッリ弓よりは長い音で表情をつけられる。少しモダンに寄ってきます。一般にシャフトはスネークウッド。フロッグなどのフィッティングパーツはスネークウッドやそのほかの各種樹種、象牙(いまはワシントン条約の関係でマンモスの牙やカセインで代用)などが使われます



クラシカル(トランジション)弓
さらにクラシカル弓になるとだいぶモダン弓に近い感触になります(それでも単音に表情がついて自然に語りかける感じは備わっています)。そういう意味ではバロック~近代の音楽を楽しむ皆様にとっては汎用性のある弓でもありますし、もっともっと知られて良いのではないかと感じました。シャフトはこのあたりからフェルナンブコが使われるようになりました。フロッグには象牙やエボニーも使われます。モーツァルトからハイドン、ベートーベンらの時代です。



最近はJ.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ全集を聴くことが多い。これは筆者のオーディオ機器が打楽器の演奏より弦楽器に工合よく対応する為なのか知れない。現在使用するTANNOYⅢLZ in GOODMAN AXIOM80Cabinetはヴァイオリンの音の特質を上手く聞かせるコツを熟知しているかの如くでもあり、実に上手い事鳴るのである。使用アンプも安価な三極管アンプとの相性も偶然にもマッチする様である。
以前筆者はオリジナルTANNOY IIILZ in Cabinetを愛用していましが、評論家諸氏はオリジナルの音が一番と解説している、例えば国産箱に入れたHPD295ユニットの音はオリジナルと違い劣ると雑誌等で紹介記事を目にして、このTANNOYオリジナルの呪縛から変えられなかったが、AXIOM80の箱を入手して以降試した結果、箱は大きな箱が断然有利ではと思う様になった。

その為随分いろいろな事を学び、しかも一時は石のアンプで何処まで再現できるかを試み多くの石のアンプを取っ替え引っ替え試すが擦る楽器要するに弦楽器演奏の音には三極管アンプには全く敵わなかったのである。全くの時間の無駄な極みでもあった・・・。
しかし上を見ればキリが無くこの程度の音楽を聴くには充分であり、このシステムを構築するに意外と神経質なユニットとエンクロージャーの些細なセッティングにも随分の月日を費やした。そのため高価なフロートボードは使えずボードは自作した物を使用しています。

ヴァイオリンの音色は生ヴァイオリンの音を聴けばわかるのですが、想像以上の大きな音がします、勿論機材を使った再生に於いては、低域もたっぷりの音が出るエンクロージャーが有利に思います、この様な擦る音のユニゾンの音は一歩間違えが雑音となる事この上ないのです、その辺りは三極管とTANNOYのユニットは実に明快に上手く鳴らすことができる壺を心得ている様もある。



最近見つけたCDではあるが、2010年の吹き込みでリザ・フェルシュトマンLiza Ferschtman(ヴァイオリン)で1979年、オランダのヒルフェルスムでロシア系ユダヤ人の両親のもとに生まれる。父親はチェリストのドミトリ・フェルシュトマン、母親はピアニストのミラ・バスロウスカヤ。5歳よりヴァイオリンを始める。イヴリー・ギトリス、イーゴリ・オイストラフ、アーロン・ローザンドらに師事。ハーグ王立音楽院、アムステルダム音楽院でヘルマン・クレッバース、カーティス音楽院でイダ・カヴァフィアン、ギルドホール音楽・演劇学校でデイヴィッド・タケノに師事。これまでにコンセルトヘボウ管弦楽団、ロッテルダムフィルハーモニー管弦楽団、ベルギー国立管弦楽団などと共演。

2010年に来日し、下野竜也指揮の読売日本交響楽団と共演し、ドヴォルザークのヴァイオリン協奏曲を披露している。2004年にフランク、ドビュッシー、プーランクのヴァイオリンソナタを録音でCDデビュー。これまでにベートーベン、ドヴォルザーク、メンデルスゾーン、コーンゴールド、バーンスタインのヴァイオリン協奏曲の録音をリリース。2005~2006年にがけてピアニストのイノン・バルナタンとともにベートーヴェンのヴァイオリンソナタの全曲録音を行っています。ヴァイオリストも色々居ますが兎に角新鮮な音を聴かせる彼女の演奏は大変興味深い。



リザ・フェルシュトマンは2枚のJ.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとイザイ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタを発売しているが、兎に角恐ろしくキレがあります。演奏はいたってスマートでしかも大変クール、表現力が豊かでかつ透明感ある音色が魅力的です。どこか孤独で憂いがあり,またどことなく冷たい肌触りも感じられこの辺りがバッハの音楽の演奏には実に合う様におまいます。旧来のモダンでもなく,ピリオドに傾くこともなく、洗練性を追求したこれぞモダンらしい演奏とも思える深みのある演奏は大変素敵出す。

オランダを活動の拠点として、高い人気と実力を誇る若手ヴァイオリニスト、リザ・フェルシュトマン。来日も多く、2010年1月にも下野竜也指揮読売日響での公演を行っています。2006年オランダの音楽家にとって最高の栄誉ともされる「オランダ音楽賞」を受賞、オランダの主要オーケストラ全てとの共演を重ね、海外のオーケストラからの招聘も多く、レナード・スラトキン、レフ・マルキス、ローレンス・レネス、ヤープ・ヴァン・ズヴェーデン、フランス・ブリュッヘン、エド・スパンヤール、ティエリー・フィッシャー、メンディ・ロダン、クリストフ・フォン・ドホナーニ、シュロモ・ミンツなどの指揮者と共演。情熱と知性を併せ持ったその演奏は国際的な注目を集めており、自身で室内楽音楽祭を主催するなど、活動も多岐にわたる才能です。
そのフェルシュトマンの新録音は、ヴァイオリニストの実力が鏡のように映し出される、大バッハとイザイによる無伴奏作品集。



J.S.BACH/YSAYE WORKS FOR VIOLIN SOLO

録音 | モノラル/ステレオ
【曲目】
J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ 第1番 ト短調 BWV1001
 1.Sonata No. 1 in G minor, BWV 1001: Adagio
 2.Sonata No. 1 in G minor, BWV 1001: Fuga. Allegro
 3.Sonata No. 1 in G minor, BWV 1001: Siciliana
 4.Sonata No. 1 in G minor, BWV 1001: Presto
イザイ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ 第1番 作品27-1
J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ 第3番 ホ長調 BWV1006
 9.Partita No. 3 in E major, BWV 1006: Preludio
 10.Partita No. 3 in E major, BWV 1006: Loure
 11.Partita No. 3 in E major, BWV 1006: Gavotte and Rondeau
 12.Partita No. 3 in E major, BWV 1006: Menuet 1 and 2
 13.Partita No. 3 in E major, BWV 1006: Bourree
 14.Partita No. 3 in E major, BWV 1006: Gigue
イザイ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ 第2番 作品27-2
【演奏】
リザ・フェルシュトマン(ヴァイオリン)

楽曲の解釈は割とロマンチックで、美しく旋律を歌わせることを優先し、フレーズ毎のまとまりを重視するようではない。形はスタイリッシュで、情熱的に歌うために形を崩すようなことは全く見られず、実にJ.S.バッハらしい、とても端正な演奏になっているところが良い。



Liza Ferschtman plays Biber, Bartok, Berio, J.S.Bach

合計収録時間 | 01:18:00
【曲目】
ビーバー:パッサカリア「守護天使」C.105
バルトーク:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ Sz.117
L.ベリオ:セクエンツァVIII~ヴァイオリンのための
J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第2番 ニ短調 BWV1004
 7.Partita No. 2 in D minor, BWV 1004: Allemanda
 8.Partita No. 2 in D minor, BWV 1004: Corrente
 9.Partita No. 2 in D minor, BWV 1004: Sarabanda
 10.Partita No. 2 in D minor, BWV 1004: Giga
 11.Partita No. 2 in D minor, BWV 1004: Ciaccona

【演奏】
リザ・フェルシュトマン(ヴァイオリン)
【録音】
2013年7月15, 16日(ビーバー、バッハ)、10月27, 28日(バルトーク)
2014年2月14日(ベリオ)

このCD2枚では全曲は含まれていないので、パルティータ第1番ロ短調 BWV 1002、ソナタ第2番イ短調 BWV 1003、ソナタ第3番ハ短調 BWV 1005の音楽ソースを早く発売していただける事を望みます。
この演奏の優れた箇所は、静寂の中で演奏されているような,ある意味現実感の希薄な不思議な感じのする録音ですが,もちろん悪い印象ではありません。如何にもJ.S.バッハの音楽を楽しむ曲はこの様な演奏で曲の空間に身体ごと溶け込み浮遊した様に感じたのである。ブラボー!

学生時代に学んだ歴史と全く変わった日本の古代史、今蘇る日本の縄文文明を纏めてみた、Part I

2024年05月29日 | 歴史の考察

45億年前に誕生した地球の歴史は、昔興味本位で観た1968年に上映された今から65年前映画「2001年宇宙の旅」のアーサー・C・クラーク(Sir Arthur Charles Clarke)の映画を思い出す。テーマ曲も衝撃的なニーチェが説いた"超人"の思想を寓話的に描いた哲学書の「ツァラトゥストラかく語りき」は衝撃的であり今も映像と共に記憶に残る曲でもある、又アーサー・C・クラークはイギリス出身のSF作家。20世紀を代表するSF作家の一人であり、科学解説者としても知られている筆者も若い頃「人間に未来はあるか」も読んだが中々興味ある内容と記憶する。

最近ホモ・サピエンス全史なる上、下巻の本が発売されてますが、これが実に驚きの連続であり興味のある方はご覧ください。面白い内容は何故肉食動物は食後ダラダラする時間が必要であるのかの秘密であり、人類誕生の250万年前は猿人も動物同様であり200万年程は他の動物同樣にその生活を続けるのであるが、勿論ヒト族も火を使うまでは肉食動物同様随分長い間、一日中ダラダラした暮らしていたそうである。食物を火によって焼いたり、煮炊きする様になり腸が長さが極端に短くなり消化が劇的に早くなル、又行動時間が著しく増したのである。

それと此のホモサピエンス族だけは認知革命(嘘を信じる)を起こして又他のヒト族違い匂いには敏感な種族で多くのヒト族を滅ぼしホモサピエンス族は残り僅か我々の中にはネアンデルタール人およびデニソワ人由来のDNAが残り当初は交配もしていた事が証明される。特にネアンデルタール人は脳の大きさ、腕力は勝りホモサピエンスが不利であったが「認知革命」により圧倒的に団結力が優った。認知革命は、認知科学と呼ばれる諸学問を生み出した、1950年代に始まった知的運動の総称。 学際的な連携と研究が大規模に進行する現代的文脈の中で始まった動きである。
本編は認知革命の説明をしているが、簡単に説明すると「嘘」が言える様になった事と解いている例えば現在の宗教、国家、お金(紙幣)は絶対的な価値は無く、皆で決めた価値観なのである。一番興味深い事は現在は紙を印刷し、此れをお金の代用品としているが、これは実際は確かに紙であり紙の価値しかない物を虚構と言う噂により流通させたのがヒト族「嘘」の恐ろしい所でもある。正に噂を信じて団結させた社会こそがサピエンス族の頂点になれた認知革命の話でもある。因みにネアンデルタール人は1万2千年前に絶滅しているそうです。



2001年宇宙の旅本編では、太古の昔1匹のヒトザルは、謎の石をきっかけに武器を使うことを覚え、生物の頂点に君臨する。時は過ぎ、人類が宇宙を旅する時代。米国のある博士は謎の石の調査のため月へ赴く。やがて調査が進む中、石は木星に向けて移動し木星から信号を発する。
勿論此のストーリーはミステリーに富んだ人間の歴史の物語でもあった、しかし我々がホモサピエンスと想像すれば出土したのはアフリカであるがヒトザルが樹木から地上に降りた時代には緑豊で食物の豊富であったのであろう・・・当然当時のアフリカは砂漠ではなく森林が広がる世界であったであろう、食物が豊富にあることは生きる為には最低条件でもある。
ヒトザル達は現在の欧州に行くもの、エジプト方面に行くもの、インドを目指すものと色々他方に暮らし易い所に向かった。
ヒトザル達は先ずは火を使う事を覚え、食料、語源、信仰と追求であろう、ヒトザルからホモサピエンスが永遠と感じたものは信仰心の永遠の太陽であったのであろう・・・アフリカで新しい生命となったホモサピエンスは太陽の昇方角に超生命体を感じたホモサピエンスが東を目指したのであろう。

勿論仮説であるが、これがホモ・サピエンス族は認知革命を信じた者たちが極東を目指したその道中に色々な種族と交わり極東にたどり着けやがて定住し縄文時代の幕開けなのであろう、当然或程度の航海技術を持っていないと台湾付近の黒潮の強い流れを克服できないからである。



これは欧州全体から地図を見れば日出るくには日の元であろう。その先は太平洋の海が広がる島であった。日本のルーツを歴史書等を紐解き幾ら読んでも答えは出ないのである。それでは筆者が考える倭人のルーツを推理しある程度納得できる様纏めてみる事にした。
勿論市の図書館にも通い、色々な本を見ながら参考記事の収集、インターネットによる検索、此処2〜3年に行った博物館、青森の三内丸山遺跡等を参考にした、何か学生に戻った様に感じた、A4のコピー用紙をメモ用紙に参考文献等は記載する、後日その記事を見ながらキーボードに打ち込み記事内容を書き込みした。計画とは意外と時間が必要であり久し振り漢字を書く行為は可成り下手な文字になっていた(笑)
下の写真がメモ用紙である、何と学生時代の比べ文字の大きさも大きく年代を考えるは算盤が有利である。



日本人もアフリカから来たのであろうか?或いはジャワ原人の様に何処かのアジア諸国から来たのかは最新のテクノロジーDNA解析で判明するがかなり特色は違えどアフリカ方面から混血種と変貌し現在の日本人となったと言われるルーツが一番正しい様である。

理化学研究所資料提供でゲノム解析資料も掲載(日本人集団の遺伝的構造、ネアンデルタール人およびデニソワ人由来のDNAと病気の関連性、そしてゲノムの自然選択が影響を及ぼしている領域を複数発見しました。日本人の祖先に関わる三つの源流(縄文系祖先、関西系祖先、東北系祖先)の起源を明らかにしました。また、現生人類(ホモ・サピエンス)の最も近縁とされる古代型人類ネアンデルタール人やデニソワ人から受け継いだ遺伝子領域を特定しました。一部の日本人が持つNKX6-1遺伝子領域は、2型糖尿病リスクと関連しており、この領域がデニソワ人由来であることが明らかになりました。さらに、日本人の遺伝子における自然選択が作用している領域も同定しました。)
以上の様な解析書があり日本の土壌は弱アルカリ性の為人骨はほとんど溶けて無くなっているが、偶に貝塚に埋められた人骨が発見される程度である。日本の縄文文化は1万4,000年続く歴史と現在日本国地には14,000件以上の古墳は見つかっており数も世界各国と比べ異常な程多いと言われる。長く続いた縄文の歴史を数枚の容姿に表すことは所詮無理な話であるが、興味本位にまとめて見た。



不思議なことに日本全国の遺跡は圧倒的に関東以北が多く、一般的に考えれば暖かな南が暮らしやすいと思うが、当時怒った大被害があった、その後、1,000年近くは無人の地となったようです。

縄文時代の中の最大の事件である、南九州での遺跡は上野原遺跡から判明する鬼界アカホヤ火山爆発の事実。「鬼界カルデラ」は、北西∼南東の長さが約25㎞、北東∼ 南西が約15㎞の楕円形をしていて、複数の巨大噴火によって形成された、いくつかの カルデラが複合してできたものと考えられています。

鹿児島県霧島市の高台にある縄文時代から弥生時代を中心とした複合遺跡。 特に,北側(第4工区)では,約10,600年前(縄文時代早期前葉)の竪穴住居跡などが発見され,「国内最古,最大級の定住化した集落跡」であることがわかりました。



発掘調査では17層の土層について調査され、1層目から9層目までの範囲で遺跡が確認された。 
 1層目: 桜島の火山灰を含む現代の農耕土。土師器や陶磁器が確認された。 
 2層目: 黒色土。山之口式土器、中溝式土器、竪穴建物跡6棟が確認され、近世から中世にかけての遺跡とされる。 
 3層目: 暗茶褐色土。掘立柱建物1棟、石皿、石斧などが確認され、古墳時代から弥生時代にかけての遺跡とされる。 
 4層目: 桜島の火山灰を含む薄えび茶褐色土。多数の土坑、黒川式土器が確認され、縄文時代晩期の遺跡とされる。 
 5層目: 桜島の火山灰を含むえび茶褐色土、および鬼界アカホヤ火山灰を含む明橙色土。 
 6層目: 桜島の火山灰を含む灰茶褐色土。 
 7層目: 黒褐色土。様々な種類の縄文土器に加えて集石遺構56基、土坑3基が確認され、縄文時代早期中葉から前葉の遺跡とされる。 
 8層目: 桜島の火山灰を含む黒色土。前平式土器、撚糸文土器が確認された。 
 9層目: 暗茶褐色土。竪穴建物跡、集石遺構、連穴土土坑、前平式土器などが確認された。この層と直下の10層目との間に縄文時代早期前葉の遺構が挟まる形になっている。
この遺跡の鬼界アカホヤ火山灰前の遺跡から底の部分が平らな土器が発掘されかなり進歩した縄文期の土器と同じであり火山爆発以前の南九州での文化は相当進歩していた、ヒエ、アワ等穀物の苗もあったと思われる。



当時縄文人は土器を使っていたが土器を直接火に掛け「煮炊き」をした訳である当然器の土器も窯の様なもので焼いていたのであろう、要するに徐々に「火」を制するのであり高音な温度を操作する様に進化し、銅、鉄は熱により溶ける(溶解)を体得し後に高音の火の作り方を体得し弥生時代には銅鐸、農機具などを磨製石器から金属製(青銅〜鉄)に変換して言ったと考えられそうである。

此処で明らかに理解できることは鬼界アカホヤ火山爆発以前から縄文人達が暮らしていた事である。日本人の祖先三つの源流である。
意外に此処での疑問は鬼界アカホヤ火山噴火は、縄文時代 の7,300年前、鹿児島南方にある 硫黄島・竹島付近で起こった巨大海底 火山噴火です。縄文時代早期の終わりに起こった鬼界カルデラ(大隅海峡にあるカルデラ)の大噴火によって壊滅的な噴煙被害を受け、前期以降は、ほぼ住民がいなくなった地域です。



日本で最後に巨大カルデラ噴火の悲劇が起こったのは、今から7300年前、縄文時代に遡る。縄文時代早期の日本列島では、南九州で成熟した縄文文化が発達していたという。本州ではまだ先の尖った尖底土器を使っていたのに、南九州では既に平底型の土器が使われていたのだ。 尖底土器は、屋外で地面に穴をあけてそこに立てるように置いて使われていたものらしい。 一方、平底土器は住居の中での調理や貯蔵にも使うことができた。すなわち、平底土器の出現は、縄文人のライフスタイルが定住型に変化した証拠だと言われている。

此処で話は前後するが地球が誕生してから46億年の歴史をさらに長い目で見ると、地球は約10万年ごとに暖かくなったり(間氷期)寒くなったり(氷期)を繰り返してきたことが分かっています。その度に地球の海の高さは100メートル以上も変動してきたのです。その様子は、まるで呼吸をするたびに胸が上下するかのようです。
ちょっと信じられないかもしれませんが、現在の地球は、約3500万年前に始まった比かく的気温が低い氷河期のまっただ中にあります。 氷河期はさらに、とても寒い時代の氷期(ひょうき)と少し暖かくなる間氷期(かんぴょうき)にわけられ、現在は間氷期にあたるそうです。

縄文時代が始まる前の、旧石器時代は、とても寒い気候の様でした。 氷河期といって、いちばん寒いときは、年間の平均気温が今より7〜8度も低かったとされています。 氷が地球をおおい、海面の高さは、今より100メートル近く下にありました。 地球の気温がだんだん上がり始めたころ、縄文(じょうもん)時代が始まりました。
例えば人類が産業活動を始める前、約7000年前の縄文時代も温暖でした。 この頃は今よりも2〜3℃気温が高く、海の高さは今よりも3〜5メートルほど高かったと考えられています。



上記はその当時の地図であり縄文の海は、広かった!次の温暖な時期が来れば当然の如し地図で示す様に埼玉の久喜等は昔で言えば奥江戸湾の海の中である。

そのようなことを知ると、当時は"日本が温暖であった「縄文海進」の時代には、 極域に存在する氷床が約7000年前ころに融解したために海面が上昇し、 その後寒冷化すると再び氷床が拡大して海面が低下した"と考えられがちですが、「縄文海進」の原因として、 この考え方は正しいとは言えません。「縄文海進」の正しい原因を考えるヒントは、 かつて北アメリカ大陸やヨーロッパ大陸に存在した氷床が残した地形と世界中の海岸の地形の分布に隠されています。
 最終氷期と呼ばれる今から約10,000年以上前の時代には、 北アメリカ大陸やヨーロッパ大陸の北部には現在の南極氷床の規模にも匹敵する厚さ数千メートルにも達する巨大な氷床が存在していました。 これらの氷床は、約19000年前に最大に達し、それ以降急激に融解し、約7,000年前までには、ほぼ完全に融けきってしまったことが、 氷河の後退過程で削剥・運搬されて残された地形や堆積物の研究からわかっています。 ところが、約7000年前以降に、海面を数メートルも低下させるような氷床の再拡大を示す地形の証拠は確認されていません。

「縄文海進」とは、約7,000年前ころ(縄文時代に含まれる)に、現在に比べて海面が2~3メートル高くなり、 日本列島の各地で海水が陸地奥深くへ浸入した現象をさします。 この時代には日本列島の各地に複雑な入り江をもつ海岸線が作られました。その後海面は現在の高さまで低下し、 かつての入り江は堆積物で埋積されて、現在水田などに利用されている比較的広く低平な沖積平野を作りました。 この海進の現象は日本では東京の有楽町で最初に調べられたこともあり、地質学的には「有楽町海進」、 あるいは「完新世海進」とか「後氷期海進」などと呼ばれています。花粉化石や貝化石の研究に基づくと、 「縄文海進」の時期の日本列島は、今よりも数℃以上気温、水温が温暖な時期であったことも推定されています。



縄文海進当時の流通経路を考えてもわかるように、最初誰が発見したのか分からないが、黒曜石採取に神津島まで航海しそこから日本全国に届ける事ができた様で、全ての日本遺跡より出土されている黒曜石の流通は一番遠くはロシアまで運ばれている事と、ある程度の定期航路は運行したと考えられる、後は貝殻の腕輪、飾り物の瑪瑙等貴重品を運搬したとも考えられる。縄文海進時代の後悔は環フィリピン海経済圏も含め暮らす海洋人も暮らしていた様にも思う。

此処で一つの仮説を立てる、船に用いたものは当初は「葦船」から底の深い「丸木船」に布を帆に加え帆船の如く自由にしかも相当な広範囲に海を航海してのではないであろうか?実験にて当時の磨製石器を使い直径100サンチ長さ8M程の丸木船の製作は仕上がり後に内面を火によって焦がしその後黒曜石で表面を仕上げ水漏れも防ぐことが出来たそうである、製作には一番肝心な事は寸法の基本であるが当時の成人男性の戸を広げた(例えが1ヒロ160センチ)と仮定する等工夫を凝らしてのであろう、後期は成人男性20名で2か月程製作日数が必要で生活を考えれば男性20名女性20名子供60名合計100名の集団が必要で公開の為のメンテナンス等自作の丸木船の計画等に他には丸木船航海士も必要で総勢150人程の集落は必要である。丸木舟に関しては以前の筆者のブログで

この様にして徐々に縄文人達は航海範囲を広げていったのであろう、これは一つのプロ集団を作らなければ上手くいかないのであろう。これは日本が海に囲われた国であり海上航海がある程度の荷物運搬にも適した方法であった。時は江戸時代も水路を利用した海上運搬である、勿論現在も輸送は大型コンテナ船で貿易を行い縄文時代も基本は変わらない様である。
この様に日本の縄文遺跡の発見は世界的に見ても確かに異常であり、お隣韓国では50箇所以下であり、日本は一万箇所以上が認められている以上再度調べ直し研究は怠らない様に努めなければならない。



此のような航海技術が豊富で経験も豊かな縄文人は鬼界アカホヤ火山爆発で南九州は住めなくなり避難先に朝鮮南端、長江下流域に避難したのではないであろうか?その頃朝鮮半島には人間は住んでいなく避難場所とは住み良い場所だったのかもしれない。又支那の長江下流域にも住みやすい場所で会ったと思う。そして船に積んだ穀物を植え生活基盤を作ったと考えれば合点がゆくのだ。

他にも南九州では耳栓やツボ型土器などのモダンな道具が使われていた。何故長江と呼ばれるのであろうか此れは海からこの川を見れば大きな長い入江と見え「長江」と呼ばれるのが一番納得できるのだ。 長江流域に住む縄文人と黄河文明を起こした人種が違い度々闘争が起き武器に青銅が使われ不利になるところが、この南九州で、ある時を境に「先祖返り」が起きたのである。実に辻褄が追うのである。
支那と朝鮮に避難した縄文人が帰化し弥生文明と混じり合うではあるまいか?その後の推理はまとめ次第報告させていただきます・・・ブラボー!