伝統ある英国の10吋ユニットで、いい音で音楽を聴きたい・・・・・

音楽好きの、古いオーディオ機器10吋TANNOYを改良して聴くダメオヤジの金ちゃんです。

美味い珈琲を淹れながら、バッハ好きの筆者が7月28日にバッハの命日に:カンタータ106番 BWV106 を考察。

2021年07月30日 | オペラ・歌劇・カンタータ・オーディオ全般

J.S.バッハの命日に捧げるカンタータ:『神の時こそいと良き時』(Gottes Zeit ist die allerbeste Zeit)」BWV106(全文)

  神が決められた時が最上の時。

  神の内に私たちは生き、動き、在在する;
  神の意思であるかぎり。

  私たちは最善の時に神の中で死ぬ、
  神が望まれる時に。        

  あぁ主よ、私たちの心に刻んでください、
  我々が死すべき者であることを、
  我々が賢明になるために。

  あなたの家を整理せよ。あなたは死ぬ;
  生き続けるのではない。

  これが いにしえの契約;  
  人は必ず死ぬ。    
  そうです、主イエスよ、来てください!
  私の魂を み手に委ねます。
  主よ、誠を保たれる神よ、
  あなたが私を救ってくださいました。
  今日あなたは私ともに楽園にいる。
  平和と喜びのうちに私は旅立ちます、
  神の み旨のままに。
  私の心と思いは慰めに満ち、
  穏やかに落ち着いています。
  神が約束してくださったとおり、
  死は眠りに変えられました。

  栄光、賛美とほめ歌を捧げよ、
  神である父と子とに、
  そして神の霊である聖霊に。
  神の力によって
  私たちが勝利をおさめることができますように、
  イエス・キリストによって、アーメン。

今日は特別に、昔喫茶店で飲んだ美味いネルドリップで淹れた、美味しく温かい珈琲を飲みたい、その様なストレートで味わう、スッキリした飲み心地を感じる美味しい珈琲の抽出方法を誰でも味わえる簡単な淹れ方を伝授します。これは是非ストレートでお召し上がりください。

涼しい部屋でカンタータ BWV106 を楽しむ。今回は筆者のお知らせする珈琲の簡単な淹れ方を紹介します。少し過程が多いと思いますが、美味しい珈琲の淹れ方を紹介しましょう。


筆者は勿論珈琲好きですが、この味に抽出、出来るように至るには随分思考錯誤し色々試し随分長い時間を要した。
今回珈琲豆は淹れる分だけ焙烙で煎り焙煎した物が美味いが、手間がかかり過ぎ煎る事は省略し、焙煎した物を使用する、今回はペルーストレートの開封し4人前(35グラム)を計量してセラミックコーヒーミル・スケルトンを使って粗挽きで淹れる。特に筆者好みの薄めのアメリカンタイプで淹れます、淹れたてをタップリ飲みたいのだ。レギュラーのお好きな方は40gで仕上げて頂きたい。

挽き方の注意は細かく挽くことはNGです、理由は雑味、エグミが味に出て不味くなる。大きさのめあすは1粒1mm程が良い塩梅である。



ここでの注意事項は、必ず計量計を使い正確に計ってください。メアスとして1人前10gを基本にしてください。筆者は少し薄めが好みのため色々試した結果4人前で35gを挽いている。
粉の状態だと7〜10日程度がおいしく飲める期限だとされています。豆の状態なら、適切に保存できれば30日程度はおいしく楽しむことができるのです。
筆者は珈琲を落とす分をコーヒーミルで少し粗挽きする、豆の鮮度を維持するには冷蔵庫の真空チルドルームで寝かし保存する。

最近の冷蔵庫は生鮮食品の生物の鮮度を保つ真空チルドルームが付きの冷蔵庫は意外と重宝します。淹れる分量を挽いています。



此れが二番目の美味い珈琲を淹れるポイントですが、挽いた珈琲は、この後一手間加える。日本茶の急須で使う茶越(ネット)を使い細かな珈琲豆を削除している。此のネットは日本茶の茶越しのネットな粗さが実に塩梅が良い。

この作業は必ず実施されたし。雑み、エグミを嫡子で細かな珈琲を取り除くことは美味しい珈琲淹れる基本です。この作業を加える一手間が重要です。

但し既製品の茶越しは容量が小さく、茶越しの大きめの物の新規に手持ちの部分を自作した。



実はこの一手間がより美味しい珈琲をいただけるコツと思っている。今回いつもの茶漉しのネットが小さく大きめのネットを探し購入、しかしこのネットは持ち手がない、釣り道具の天秤を作りに使うステンレス棒の適度な太さのステン鉢金で持ち手で作る、此れが意外と扱いやすい。



持ち手と茶漉しは目打ちで穴をあけ、取り付けは釣具の3号のハリスを使い固定した。仕上がりは不格好だが手持ちが付き扱い安い。

特に四人前程の40グラム程の珈琲豆の越しには適切な大きさで重宝する。



一般的には手持ちの茶漉しも販売するが、多くの粉が入らなく、この際自作する。多分コーヒー専門店での販売はあると思いますが、代用品を加工して簡単に手作りしてみました。此の茶越しで珈琲の細部を覗く処理をされる方は少なく珈琲好きには此の一手間は重要な秘策である。

手持ちが付き実に扱いやすい、見た目は不格好だが、普通の針金は錆びるのでステンのしっかりした釣具の天秤制作用のステン棒を釣り糸で固定した。



その茶漉しに挽いた珈琲を入れよく振るう、細かな珈琲が取れる、ガラス瓶の器にまとめる、そして細かな珈琲豆の豆カスを団扇などで飛ばす。必ず実施すること(焙煎した珈琲豆には薄皮が残ることが多いので、茶越しでよく降って粉の削除と表面の薄皮は必ず削除します。簡単には団扇で扇ぎ削除する。)

珈琲の渋みの原因でもあるのでカメラレンズを掃除するためのブロアー等で吹き飛ばす方法も良い。筆者は小さな団扇を使っている。上記作業を省略すると、苦味、エグみが出やすく、本来の美味しい味が得られません。



次は淹れる速度は早い程美味しい、その後この前購入したハリオのクリスタルドリッパー安定してコーヒーをいれる事ができる工夫がされています。中央にお湯を注ぐと四方八方へ広がり、ドリッパー内のコーヒー粉に満遍なくお湯が行き渡り、内側のダイヤカット形状で抽出速度をコントロールします。
ので抽出速度が早いのでこのドリッパーをつかいっている。3つ穴のカリタドリッパーは使っていません。但しペーパーフィルターは様式が違うのでカリタタイプの紙ペーパーフィルターは使えません。

写真のようにクリスタルドリッパーの縦のラインにカーブが入っているが、一刻も早く落とすための誘導ラインです。これがハリタを選んだ理由です。



使用感は、ハリオの特徴でもあるように抽出速度が断然早い。

それと器具はポット用(模倣瓶)の保温タイプのサーバーを使用している、利点は普通のガラスタイプのサーバーは落とした後、現在IH用ヒーター等を販売もあるそうです、筆者は写真の保温できることで、ホットタイプ(魔法瓶)の手間要らずで重宝しています。尚後での加熱は珈琲の味が若干落ちる感もしますので加熱温度は80度に設定してください沸騰はNGです。



でき上がり量の約2倍の熱湯をケトルに準備します。ドリッパーとサーバーにお湯を通して器具を温めます。その温めたお湯をコーヒーカップに注ぎ、カップも温めます。美味しい珈琲の基本は化学現象である。

次に一番肝心なことは、珈琲抽出の「お湯の温度」は一番重要で、私の場合はポットにお湯を濯ぎ、1分程放置してドリップポットに注ぎ、約80〜83度にして珈琲焙煎を行う、温度も美味しい珈琲を淹れるには肝心で80度の温度は温暖計を使用がお薦めでこの温度管理も肝心である。適切な温度で淹れた珈琲は豆本来の甘みとはっきりとした香りが得られます。

熱めの温度が高すぎると目明日は淹れた瞬時にポッコリ膨らみ美味しそうに感じるが、間違いである適温ので淹れると少し時間が経ってから少し膨らみが出ます、此れが一番の注意点ですかね?



ペーパーフィルター(円すい形用)をチャック部分に沿って折り、写真のようにドリッパーに密着させます。そこに杯数分のコーヒー粉を入れます。ドリッパーを持ち上げ左右に揺らして、粉の表面を平らにします。

一言メモ:珈琲の種類は大変数多く、価格も可也の差があります、勿論高額な豆が淹れれば美味しいが、種類によっては1人前10gの方式は違って来ますので味を確かめながら調整することも楽しみと言えるでしょう。



熱湯の入ったケトルを用いて、でき上がり量までお湯を注ぎ分けていきます。
1回目は、コーヒーのおいしさを決める一番大切な工程です。写真③のように、粉全体にお湯が浸み込む程度に中央から外側に向かって渦を描く要領でていねいに注ぎ、20秒程待ちます。



2回目は、コーヒーの風味が一番良く出ますので、たっぷりと注ぎます。
写真のように中央に小さな円(1~2杯の場合は10円玉位、3~4杯の場合は500円玉位)を描くように繰り返し注ぎ、ドリッパー内の湯量が上がって表面が平らになったら注ぐのを止めます。ここで、風味豊かな味わいが引き出されます。

3回目以降は注ぐタイミングがとても大切です。中央がくぼみ、表面の泡の層が崩れないうちに2回目と同様に注ぎます。 新しい泡は白くなります。



但し注意点は珈琲を落とした最後の残りは別に処分することで、淹れたての、マイルドでスッキリした口当たりは実に上手い。

そして最後の注意点は・・・最後の一滴までは絞りださいである程度は処分することである。試しに最後の部分を飲めばわかるがエグミが出て不味いようです。

この方式で抽出した珈琲はワンランク上の味が楽しむるとおもいます、もちろんストレートで頂くことが、とっても美味しい珈琲店での味わいが蘇ります。是非お試しいただきたいと思います。以上誰もが美味しい珈琲が頂けます。

淹れ方は落ち着いた容量で、ゆったりした気持ちで淹れることを心がけて頂きたい「美味しい珈琲を楽しみながら良い音楽」をお楽しみください。


ここで簡単にカトリックに関する記事を紹介します。

カトリックというのはローマ市内にあるバチカン市国が本山で、ローマ=カトリッ クとも呼ばれ、イエスの使徒ペトロを初代とする教皇を頂点とします。



バチカンのサン・ピエトロ(聖ペトロ)大聖堂はペトロの墓のあった場所だとされていま す。これとは別に、ローマ・カトリックと分裂したコンスタンティノープル(現イスタンブール)の東方教会 (正教 会)というものがあり、ギリシャ正教、ロシア正教などが含まれます。一方でプロテスタント(新教)は16世紀に起きた宗教改革でカトリックにプロテスト (抗議)した教派で、罪の許しをお金で買えるという考えを堕落と考え、反対しました。 

後 に新大陸にも広がりましたが、バッハのドイツはプロテスタントの中心人物であるマルティン・ルターの出た国で、バッハ本人もルター(ルーテル)派=プロテ スタント教徒です。この系統にはそれ以外にもたくさん派や呼び名があり、時代と場所はそれぞれでも、カルヴァン派/ユグノー教徒(フランス)、 プレスビテリアン(スコットランド)、ピュー リタン(清教徒/イギリス)や、シンプルな家具で有名なシェーカー教徒、馬車に乗って電気を使わないアーミッシュなどもプロテスタントの一つです。

現代ア メリカには米国聖公会、長老派、メソジスト教会、バプテスト教会、福音派など、さらにたくさんの宗派があります。カトリックの勢力分布はヨーロッパでは南側のラテン系の国々中心で、加えてオーストリアと東欧の西半分、中南米諸国になり、プロテスタントはヨーロッパでは北方の国々とアメリカ、オーストラリア という ことになります。

そして正教会は東欧の東半分とロシア、ギリシャなどです。面白いのは贅沢な食べ物や ファッションといった、感覚を喜ばせるものに対しての官能に許容的なのはカトリックの文化で、気候や貧しさとも関係があったにせよプロテ スタントは禁欲的だったこと、その一方で現代では人工中絶や同性愛といった性に関わることに比較的寛容なのはプ ロテスタント系の派が多く、カトリックは原則禁止であることです。

バッハの命日に聴く音楽はカンタータ106番 BWV106 神の時こそ いと良き時 (Gottes Zeit ist die allerbeste Zeit)
ヨハン・ゼバスティアン・バッハ(Johann Sebastian Bach)の 亡くなった日。1685年3月21日 アイゼナハ - 1750年7月28日 ライプツィヒ享年65歳。


バッハ作品の中でカンタータに だけ、第何番という曲番号と BWV 番号とが一致するという特典が与えられているわけです。BWV というのは Bach-Werke-Verzeichnis(バッハ・ヴェルケ・フェアツァイヒニス)の略で、英語では Bach Works Directory、バッハ作品要覧という意味です。通し番号だけでなく、作品目録全体をも表すからです。

『神の時こそいと良き時』(Gottes Zeit ist die allerbeste Zeit)」BWV106は、ヨハン・ゼバスティアン・バッハが1707年から1708年頃に作曲したと推察される教会カンタータ。通称は「哀悼行事(Actus Tragicus)」。全4曲からなり、当時の死生観を反映した作品として、また草創期の素朴な作品として重視する愛好家も多く、のちの整然としたカンタータとは違う構造もあいまって、非常に人気の高いカンタータの一つである。
 第1曲 ソナティーナ Sonatina(リコーダー、ヴィオラ・ダ・ガンバ)
 第2曲 『神の時こそいと良き時』(Gottes Zeit ist die allerbeste Zeit)
 第3曲 『御手にわが霊を委ねん』(In deine Hande befehl ich meinen Geist
 第4曲 コラール『誉れ、讃美、尊崇、栄光を』(Glorie, Lob, Ehr und Herrlichkeit)


バッハがミュールハウゼンの聖ブラジウス教会のオルガニストであった1707年に作曲された、カンタータとしてはもっとも初期の作品の一つです。作詞者は不詳ですが、おそらく、10月8日に亡くなった叔父のトビアス・レンメルヒルトの葬儀のために作曲されたものだろうと思われています。

ライプツィヒ時代のレチタティーヴォ-アリアという形式ではなく、一つの楽章の中で、曲想の異なる合唱やソロが切れ目なく続くことが特徴的です。
なお、ミュールハウゼンのオルガンのピッチが高かったため、合唱やオルガンはコアトーンの変ホ長調、ブロックフレーテのみはカンマートーンのヘ長調で記譜されていますが、新バッハ全集ではヘ長調が採用されています。



「第1曲 ソナティナ」
編成:ブロックフレーテ2、ヴィオラダガンバ2、通奏低音
声楽をまったく用いない、いわゆるシンフォニアです。短いながらもブロックフレーテとヴィオラダガンバの渋い響きが美しい佳曲です。

「第2曲 合唱とコラール」
 第2曲A 合唱
編成:合唱、ブロックフレーテ2、ヴィオラダガンバ2、通奏低音
ソプラノがGottes Zeit(神の時こそが最上の時)と先導してホモフォニックに歌いだしますが、すぐに3拍子のフーガ(神においてわれらは生きる)となります。その後アダージョ(神において死するのは正しい時)となり次部分を準備します。
 第2曲B アリオーソ
編成:独唱テノール、ブロックフレーテ2、ヴィオラダガンバ2、通奏低音
楽器群の豊富な伴奏を伴って、Lentのテンポでテノールが Ach, Herr! (ああ、主よ、死を思うことを教えてください)と歌います。
 第2曲C アリア
編成:独唱バス、ブロックフレーテ2、通奏低音
前曲からそのままつながり、再び速いテンポの3拍子となって、バスがBestelle dein Haus! (あなたの家を準備しなさい)と歌います。
 第2曲D 合唱
編成:合唱、ブロックフレーテ2、ヴィオラダガンバ2、通奏低音
やはり前曲から続けて、Es ist der alte Bund (それは古い掟、人は死ななくてはならない)とアルト以下の3声の合唱でフーガが始まりますが、すぐにソプラノがJa, ja, Komm, Herr Jesu (さあ、イエスよ来てください)と割って入ります。そこに楽器群がIch habe mein Sach Gott heimgestellt (わがことは神にゆだねます)というコラール旋律で加わります。3群の旋律が豊穣に絡み合ったのち、末尾ではソプラノだけが残り、消え入るようなピアニッシモのHerr Jesu! の声で終わります。

「第3曲 アリアとコラール」
 第3曲A アリア
編成:独唱アルト、通奏低音
アルト独唱が通奏低音だけを伴って、In deine Hände(あなたの手にわが魂を)と歌います。
 第3曲B アリオーソ
編成:独唱バス、合唱(ソプラノ)、ヴィオラダガンバ2、通奏低音
前曲のアルトを受け、バス独唱が通奏低音だけを伴って、Heute, heute, wirst du mit mir (今日こそ、あなたは私とともに楽園にいるであろう)と歌い始めます。しばらくのち、このバスのアリオーソに、2声のガンバと同時にソプラノが有名なコラールMit Fried und Freud ich fahr dahin (平安と歓喜もて われはいく)で重なります。バスのアリオーソはいつしか聞こえなくなり、コラール旋律とガンバの後奏が残ります。

「第4曲 合唱」
編成:合唱、ブロックフレーテ2、ヴィオラダガンバ2、通奏低音
楽器の前奏に続いて、Glorie, Lob, Ehr und Herrlichkeit (栄光と讃美と名誉が父と子と聖霊なる神にありますように)が、コラール In dich hab' ich gehofft, Herr! (主よ、汝のうちに我は望む)の旋律にのせて歌われます。やがてAmen(アーメン)がフーガで華やかに歌われますが、最後にはブロックフレーテとガンバだけが残り、こだまのようにアーメンの音形を弱音でなぞって曲が閉じられます。

バッハ本人の手による資料は失われており、18世紀後半に作成された総譜のコピーが最古の資料である。別名の「哀悼行事」とは、そのコピーのタイトルである。このタイトルと歌詞の内容から、葬儀の時に演奏するものと推測されている。
美味い珈琲と良い音楽を聴くゆったりした時間が流れる。アーメン!


J.S.バッハ:パルティータ(クラヴィーア練習曲第1巻)BWV 825-830をグスタフ レオンハルト(Gustav Leonhardt)演奏で聴く。

2021年07月27日 | バロック音楽・オーディオ一般


ただいまオリンピック開催中で大変盛り上がっています・・・、筆者が感じる事は日本人の考えが変わって来たように思う、以前池袋周辺を暴走した車を運転した現在裁判中の飯塚被告は東大卒です、一般には「上級国民」との扱いがあるとも言われるが、むしろ上級国民な尚更刑罰は厳しく示して頂きたい、前職旧通産省(現・経済産業省)に勤めており、軽量計測の専門家として勤務した経歴はあるが、誠に残念なことに飯塚被告は常識の欠片も無いように見える。未だ反省もなく、まるでいさぎ悪く嫌悪感さえ感じる、素直になって頂いたい。

同様に、現在大幅赤字問題の朝日新聞社新聞単価を値上げして、対応するが早く処分が望ましい。何処で道を間違ったかは大変興味深く疑問が多いですが、中共からの提供されたCM料を入金し親中に変化した事が原因だったのかもしれない、歴史ある新聞社も国民からは拒否されて残る道は解散であろう。
確かに昔は評判と格式も高く持ち合わせた日本を代表する新聞社も散々である。

戦後吉田茂総理終盤で登場した時代、朝日新聞の筆勢を主宰した新聞人、緒方竹虎(おがた・たけとら)について考えてみた。1888(明治21)年1月30日、山形市に生まれ、福岡で育つ。昔は権威のある新聞社であった。

1911年早稲田大学専門部を卒業して『大阪朝日新聞』に入り、東京の大阪通信部に勤務する。以後、論説班、英国留学、ワシントン海軍軍縮会議特派などを経て、1923(大正12)年『東京朝日新聞』に移り、整理部長、政治部長の後、1925年編集局長となった。



筆者が感動した緒方竹虎の講演の言葉の原文掲載があります、興味のある方は是非一読していただきたい。

昭和に入ると取締役として経営に参画、石井光次郎、美土路昌一とともに、編集、営業の基礎を固めるとともに自ら『朝日』の筆勢を主宰した。1936(昭和11)年の二・二六事件の時には、陸軍青年将校の朝日襲撃に際し、単身反乱軍と対決した話は有名である。1943年副社長となったが、翌年小磯内閣の国務相兼情報局総裁に就任、退社した。1945年4月内閣総辞職で退官したが、8月東久邇宮内閣成立で再び国務相兼内閣書記官長兼情報局総裁となり、終戦時の混乱収拾に力を尽くした。

戦後は戦犯容疑者に指名され、公職追放となったが、解除後は政界に復帰、1952年衆議院議員に当選日・米・台の3カ国防衛体制を考案し一年生議員が官房長官を務める国民に世界情勢を正直に伝えるべきと公言している、第4次吉田内閣の国務大臣兼内閣官房長官に就任、以後、副総理、自由党の領袖として活躍した。1954 年吉田茂に代わって自由党総裁になるが、1955年の総選挙に敗れ、保守合同に尽力、11月自由民主党を結成して、総裁代行に就いたが、翌1956(昭和31)年1月28日67歳で急逝した。

当時から問題と言われた事に憲法改正、平和維持の為に日本版CIAの設立案等画期的な案を画策していたようです。当時から緒方竹虎は中共、朝鮮半島には疑問を持っていたのであろう。現在オリンピック終了後アジア情勢(台湾・尖閣諸島)に大きな変化が現れるかもしれなく、注視するところである。いつまでも平和が続くことを祈るばかりだ。



話は本題に戻します。先日暇な時の読破しようと思い、Stereo Sound誌から発売の「EL 34\KT88book」と言う本を購入した。以前読んだ本ではEL 34と6CA7の音に違いがあると書いてましたが、製作時の手法が違うかは私には解らない。

今までにもEL34の真空管に関する本は多いが、誠に残念なことに、松下電機製作所の作った6CA7の火屋を予備球と合わせ8本しか持参してなく、情報を仕入れじっくり読んでみた。音は穏やかな感じで鳴る、ゴールデン・ドラゴンと似ているといわれる。松下製6CA7はゴールデン・ドラゴンと比べると明るさ、輝が若干抑えられた渋めの厚みのある球と記載されている。

当時日本の真空管のの歴史は、マツダ(後の東芝)が最高級でその下にナショナル、NEC、TENが傾城される様な順にありましたが、フィリップスと技術提携した松下電器から画期的な高性能出力管6CA7(25W)が登場した、特性は綺麗で安定性が高くしかもハイパワー、外観もスマートと多くの魅力的的なパワー管が昭和30年に登場したそうである。今も名機と言われるパワーアンプにマランツ♯8Bの真空管は6CA7(EL34)を使い、アルテックの1568Aのパワーアンプも6CA7(EL34)を使っている。

高出力の魅力ある火屋とし今も安心して使われてきた真空管でもあり、現在のアンプとしても火屋のアンプは一戦で活躍している、勿論現行管も海外製品は製造してしているロシア、支那、チェコ製品と海外製品名が多いと聞く、支那の作る真空管の相当良くなっているそうです。

今後機会があれば銘管と言われる火屋を入手し玉転がしたいと思う、今後アンプ本体も良い物が見つかれば仕入れて視聴し楽しみた。



筆者も未だ古い1972年2月発売されたLUXKIT A3500の配線をある程度WEのケーブルに交換したものを愛用している。このアンプをお使いの貴兄は未だ沢山の方がお使いになられると思いますが、意外と長持ちして堅牢の様子で大切に使っています。注意は定期的にコンデンサーの交換は消耗品と理解しているが、又サブ管にECC85を使うが当初は松下製が使われたいたが、この火屋はSIEMENS等海外物を購入して期待した、後は海外製を含め7種類程の玉転がしをしたが、現状の6CA7(EL34)には結果は日立製品の音が良く、音の輝き等が優れ予備管を含め6本購入して定番として使っている。

真空管アンプの面白さは火屋での音質が微妙に違い色々の球を交換して試したいのだが、ヴィンテージ管は高額で4本10万円程は低額で当たり前の世界であり、貧困老人には中々手が出せないのが現状である、先日松下製の6CA7未使用球を4本予備として購入したが意外と出費したと反省しています。フタには当時は定価1,400円のプリントされていた、現在は10倍以上の価格になっている。

確かに真空管アンプの魅力は出力管の違いで大いに音質が違う、音楽により選ぶ真空管を選ぶ楽しさは、深みがありオーディオの醍醐味かも知れない。但し注意点はピアノ演奏での音質を重視すると、弦楽器の音に模台が生じる、お互い適度な音楽の聴ける音を選ぶ事は面白いようです。



この曲6つのパルティータ(クラヴィーア練習曲第1巻)BWV 825-830(Sechs Partiten, Erster Teil der Klavierübung )は、ヨハン・ゼバスティアン・バッハ(Johann Sebastian Bach)が作曲したクラヴィーアのための曲集。

このクラヴィーア練習曲第1巻に筆者が興味を持ったのはバッハを聴き出し、かなり遅い時期と記憶する、バッハらしい落ち着いた曲である。

この曲の特徴は「クラヴィーア練習曲集。プレリュード、アルマンド、クーラント、サラバンド、ジーグ、メヌエットおよびその他の当世風舞曲よりなる。愛好家の心を楽しませるために、ザクセン公およびヴァイセンフェルス公の楽長にしてライプツィヒの音楽監督、ヨハン・ゼバスティアン・バッハが作曲。作品1。作曲者により刊行。1731年。」



1726年、バッハは自作品の出版を開始した。ライプツィヒに赴任して3年半を経た頃のことである。出版に際してバッハの計画は慎重と周到をきわめた。曲種としては、当時の最新流行であるギャラントな組曲を選んだ。規模は《イギリス組曲》のように長大でなく、《フランス組曲》のように華奢でなく、内容は平易で、しかし鍵盤楽器のヴィルトゥオーゾと呼ばれたバッハの名声をより高めるような、何より自身が納得できる、充実したものでなければならない。

購買層としては、公開演奏のレパートリーよりも、家庭やサロンなど私的な場で演奏しようという一般の人々を想定した。そして、ほぼ毎年1曲を順次刊行して売れ行きを確かめ、1731年にいよいよ6曲をまとめて再版した。

タイトルに関しては奇をてらわず、ライプツィヒ・トマス教会の前任者クーナウにならって組曲をイタリア語風に《パルティータ》とした。また、好評を博し当時ひろく知られていたクーナウの作品集から『クラヴィーア練習曲集』の表題を拝借した。この「練習曲」というタイトルは、決して19世紀的なエチュードと同義ではない。音楽から慰めを得たいと望む人々のための親密な作品として、そしてもちろん、完成された音楽的規範としての意図がここには込められている。



この曲集は、出版されたにも拘らず、改訂に関して複雑な問題を残している。バッハは自作、とりわけ鍵盤作品に改良の手を加え続けたが、その筆は出版作品に対しても鈍ることはなかった。分冊で先行して出された稿と、1731年の集成本の稿はすでに異なっている。また、バッハが手元に置いた1731年版には更なる修正が施された。このほかにも改良のための書き込みを含む印刷譜が4部つたえられており、そのうち1冊はバッハ自身のものである可能性が高い。

全6曲には、それぞれ異なった冒頭楽章が与えられた。組曲の構成は《フランス組曲》以上にさまざまで、挿入舞曲の曲種や配列においては慣習を逸脱するものがある。楽章構成や音楽語法が多様をきわめる一方、曲の冒頭の関連付けや終止音型の統一、対位法的展開や綿密な動機労作によって、楽曲の統一感はいっそう高まる。「多様と統一」というバッハの美学の極致を、ここに見ることができよう。繰り返し何度も聴けばその音楽の魅力に虜になる。

なお、この曲集が「ドイツ組曲」と呼ばれたことがあるが、バッハに由来する名称ではないし、様式の上からもこれは適切でないと言われています。《フランス組曲》や《イギリス組曲》がそれぞれフランス的、イギリス的な典型とは言えないように、《パルティータ》にもまた、ドイツ的な典型を見出すことができないからである。
パルティータ(全曲)(クラヴィーア練習曲集第1部)
使用楽器:
チェンバロ…J.D.ドゥルケンのモデル(1745年アントワープ)によるマルティン・スコヴロネク製(1962年ブレーメン)
録音:1963年-1970年 キルヒハイム,フッガー城,糸杉の間 [ADD/STEREO]



 1.パルティータ第1番 変ロ長調 BWV825-プレルーディウム
 2.パルティータ第1番 変ロ長調 BWV825-アルマンド
 3.パルティータ第1番 変ロ長調 BWV825-クーラント
 4.パルティータ第1番 変ロ長調 BWV825-サラバンド
 5.パルティータ第1番 変ロ長調 BWV825-メヌエット1/メヌエット2
 6.パルティータ第1番 変ロ長調 BWV825-ジーグ
 7.パルティータ第2番 ハ短調 BWV826-シンフォニア(グラーヴェアダージョ-アンダンテ)
 8.パルティータ第2番 ハ短調 BWV826-アルマンド
 9.パルティータ第2番 ハ短調 BWV826-クーラント
 10.パルティータ第2番 ハ短調 BWV826-サラバンド
 11.パルティータ第2番 ハ短調 BWV826-ロンドー
 12.パルティータ第2番 ハ短調 BWV826-カプリッチョ
 13.パルティータ第4番 ニ長調 BWV828-序曲
 14.パルティータ第4番 ニ長調 BWV828-アルマンド
 15.パルティータ第4番 ニ長調 BWV828-クーラント
 16.パルティータ第4番 ニ長調 BWV828-アリア
 17.パルティータ第4番 ニ長調 BWV828-サラバンド
 18.パルティータ第4番 ニ長調 BWV828-メヌエット
 19.パルティータ第4番 ニ長調 BWV828-ジーグ

 1.パルティータ第3番 イ短調 BWV827-ファンタジア
 2.パルティータ第3番 イ短調 BWV827-アルマンド
 3.パルティータ第3番 イ短調 BWV827-クーラント
 4.パルティータ第3番 イ短調 BWV827-サラバンド
 5.パルティータ第3番 イ短調 BWV827-ブルレスカ
 6.パルティータ第3番 イ短調 BWV827-スケルツォ
 7.パルティータ第3番 イ短調 BWV827-ジーグ
 8.パルティータ第5番 ト長調 BWV829-プレアンブルム
 9.パルティータ第5番 ト長調 BWV829-アルマンド
 10.パルティータ第5番 ト長調 BWV829-クーラント
 11.パルティータ第5番 ト長調 BWV829-サラバンド
 12.パルティータ第5番 ト長調 BWV829-テンポ ディ メヌエット
 13.パルティータ第5番 ト長調 BWV829-パスピエ
 14.パルティータ第5番 ト長調 BWV829-ジーグ
 15.パルティータ第6番 ホ短調BWV830-トッカータ
 16.パルティータ第6番 ホ短調BWV830-アルマンド
 17.パルティータ第6番 ホ短調BWV830-クーラント
 18.パルティータ第6番 ホ短調BWV830-アリア
 19.パルティータ第6番 ホ短調BWV830-サラバンド
 20.パルティータ第6番 ホ短調BWV830-テンポ ディ ガヴォット
 21.パルティータ第6番 ホ短調BWV830-ジーグ

 [演奏] グスタフ・レオンハルト(チェンバロ:J.D.ドゥルケンのモデル[1745年アントワープ]によるマルティン・スコヴロネク製[1962年ブレーメン]) [録音] 1968年6月16日&17日(第1番&第5番) 1964年2月28日-3月1日(第2番) 1970年2月11-12日(第3番&第6番) 1963年9月3日-6日(第4番) キルヒハイム、フッガー城、糸杉の間(ドイツ) ADD ジャンル:器楽曲(チェンバロ)



演奏者は筆者の好きなGustav Leonhardt(グスタフ・レオンハルト)をよく聞く。古楽鍵盤楽器奏者、1928年オランダ生まれ。バーゼル(スイス)のスコラ・カントルムでチェンバロ、オルガン、音楽学を学んだ。20世紀後半に興った古楽の復興のパイオニア的存在としてチェンバロ、オルガン、フォルテピアノを演奏、指揮活動ではニコラウス・アーノンクールと共同で行った古楽器演奏によるバッハの教会カンタータ全曲録音が特によく知られている。鍵盤演奏の分野では、とくに歴史的チェンバロの意義と奏法にいち早く着目し、現代式のチェンバロとは大きく異なるその魅力を演奏者ないし教育者として広く伝えてきた。

2007年には長年遠ざかっていた指揮活動に復帰。2011年12月にパリで引退公演を行い演奏活動から遠ざかっていたが、2012年1月16日、アムステルダムの自宅で亡くなった。



バッハの鍵盤音楽の中でもひときわ美しく、自由さと新鮮さに溢れた6曲のパルティータ。大家レオンハルトによる、深い思索の時を思わせる名演! バッハの数多い鍵盤作品の中でもその美しさと独創性において際立った存在であるこの「6つのパルティータ」は現在ピアノでも演奏される機会の多い名曲ですが、バロックの舞曲とその性格が弱まり、古典組曲様式の崩壊と新しい様式を告げるものとして興味深い作品です。レオンハルトによる演奏はそのクラヴィーア組曲の最後を飾るにふさわしい、各曲の性格を実に入念に表現して深い精神性を感じさせる、チェンバロによる決定的名盤です。

グスタフ・レオンハルトは1928年5月30日、オランダ・ヒルフェルスム近郊のフラーフェラントに生まれた。生家は貴族の血を引くスウェーデン系の富裕な実業家の家庭で、幼い頃からピアノを学び始め、15歳の時に父親が購入したチェンバロ、オルガンに親しむ(妹トゥルデリース・レオンハルトもフォルテピアノ奏者)。
1947年にバーゼル・スコラ・カントールムに入学、チェンバロとオルガンをエドゥアルト・ミュラーに師事。1950年に最高栄誉賞とソリスト・ディプロマを得て卒業し、同年にウィーンでチェンバロ奏者としてデビューした。
1952年にウィーン音楽アカデミーに教授として迎えられ後進の指導を始めるが、1954年アムステルダム音楽院の教授にも任じられ、1955年にはウィーンの職を辞して故郷アムステルダムに帰り、同地での指導に専念、ニーウエ・ケルク(新教会)の専属オルガニストとしても活躍する。



また、50年代半ばにはレオンハルト・バロック・アンサンブル(後にはレオンハルト・コンソートとなる)を組織し、アンサンブルの中心として、また指揮者としても活動を始める。1954年カウンターテナーのパイオニア、アルフレッド・デラーと共演しバッハのカンタータ(BWV54&170の2曲)の先駆的な録音を行う。このアンサンブルにはウィーンで知り合ったニコラウス・アーノンクールもチェロ・ガンバ奏者として参加していたが、この縁が1971年からのバッハ:カンタータ全集録音へと発展する。1960年代には、フランス・ブリュッヘン、アンナー・ビルスマ、ヤープ・シュレーダーとともにクアドロ・アムステルダムを結成、古楽器演奏の牽引的存在として大きな注目を得る。

指揮者としてはモンテヴェルディやラモーなどのバロック・オペラを蘇演し、バッハの『マタイ受難曲』や『ミサ曲ロ短調』、アーノンクールと分担で録音したカンタータ全集(1991年に完成)など声楽作品の録音も多い。

もしレオンハルトがいなかったなら、アーノンクールやブリュッヘン、ビルスマ、クイケン兄弟など古楽の同志や仲間たちの演奏活動は随分違ったものとなっただろう。彼の周囲に参集した若い古楽奏者たちは、もし彼という中心がなかったら、何処に集まったのだろうか。オランダは古楽復興の世界的な中心地となっただろうか。
チェンバロを取り巻く状況はどのようになっていただろうか。彼が演奏活動を始めた1950年代の前半には、「チェンバロ」と言えば「モダン・チェンバロ」を意味した。「モダン・チェンバロ」とは、ピアノのように堅牢な構造体にチェンバロの弦をはじくアクションを組み込んだ楽器で、今日広く用いられている「歴史的チェンバロ」とはおよそ似て非なる楽器であり、チェンバロと言うよりは「チェンバロ化されたピアノ」を呼んだ方がふさわしいものであった。今日では、当時を知る多くのチェンバロ製作家やチェンバロ奏者が「怪物」とか「モンスター・マシン」などと呼んで、モダン・チェンバロに対しては否定的な評価を下しているが、歴史的チェンバロの魅力を世界中に伝えたのは、1960年代のレオンハルトのレコードであった。彼の音色に魅せられて彼の直輸入レコードを買い漁った事も記憶に残っている。



レオンハルトの死、2006年春レオンハルトはリンパの癌にかかり、秋には危篤に陥ったが、奇跡的に回復し、その後は演奏にもますます深みを加えた。80歳の誕生日のパーティには、世界中から音楽関係者が参集し、オランダのラジオは毎日のように彼を祝福するメッセージを流し続けた。しかし近年は体調も思わしくなく、12月中旬、パリ北部でのリサイタルの後、突如引退を宣言してその後の演奏会の予定を全てキャンセルした。そして葬式の準備などを全て自らの手で整え、1月16日、アムステルダムの自宅で、家族のみに囲まれながら静かに逝った。享年83歳。一つの時代が終わった。

1750年7月28日バッハの命日に聴く音楽はカンタータ106番です。「BWV106」  神の時こそ いと良き時 (Gottes Zeit ist die allerbeste Zeit)を聴く。次回はカンタータBWV106の紹介をしようと思います。

夫人から彼の逝去と葬儀の次第の通知を頂いたそうですが、実にレオンハルトらしく、その最初のページにはカンタータ第106番の歌詞が印刷されていたそうである。「神の時こそいと良き時。われらは神の中に生き、動き、また在るなり、御心に定めたもうかぎり。我らはまた良き時を得て、神の中に死ぬるなり、御心の定めたもうままに。・・・・」バッハに一番近づいた方のように感じた。

再度レオンハルトのカンタータ全集を改めて考察したい。ブラボー!

やはり音楽は楽しまなくては・・・スイングジャズは益々冴える北村英治の絶妙なクラリネット演奏で楽しむ。

2021年07月08日 | JAZZ・ボサノヴァ

ジャズクラリネットの名手、バディ・デフランコと初顔合わせ。1枚(1969年)を見ながら思うは、今、純粋に粋な音楽(スイング・ジャズ)を楽しむことには北村英治のクラリネットが一番癒されると思う。

わが国において「流行病」の為、又々何の効き目も無い第四回目の「緊急事態宣言」が一ヶ月間発令される模様で解除予定は8月22日とされる、取り敢えずステイホーム準備としてCD購入に至った。

最近日本のジャズの大御所の原信夫が亡くなって久しい、同じ年代での大御所の北村英治(きたむらえいじ)クラリネット筆者は健在です。彼のスイングする響きが大好きで、先日イオンモールテナントのHMVを覗いた時、北村英治のSwingin' LifeCDがあればと注文したものが入荷したとの連絡があり早速引き取りに行く。

筆者が思うは昔このジャケットの曲を聞いたが、実に北村英治らしいスイング・ジャズが堪能できるアルバムで是非我がアルバムに加えたいと思った一枚である、購入後早速試聴すれば、思わず体がノリ首振り族になった。



北村英治(きたむらえいじ)(東京都 ジャズクラリネット奏者)ジャズクラリネットの名手、1929年(昭和4年)4月8日、東京生まれ。慶應義塾大学在学中にクラリネットを学び、慶應義塾大学を中退して1951年南部三郎クインテットでプロデビュー。

1954年に自分のバンドであるキャッツハードを結成。1957年の音楽文化使節として来日したベニー・グッドマンとジャムセッションを行う。1957~60年小野満シックスブラザーズのメンバーとして活躍。

1960年より北村英治クインテット・カルテットのリーダー。1968~84年テレビ朝日の「モーニングショウ」にレギュラー出演。1977年から19回モンタレージャズフェスティバルに出演。米国、欧州、豪州の大ジャズ祭で活躍。2007年に旭日小綬章を受章。今でも月に10回以上の演奏会をこなす。



特にスイング・ジャズを楽しむなら英国のエンクロージャが実に良いスイングをしてくれる、現在若干の改造して吸音材の中に鉛の仕込み常用するLS3/5aを鳴らしているが若干は低音が自然に鳴る感じになったが大型の箱と比べると差が出る、筆者の常用するの響きメインと比べると10吋のTANNOY IIILZMonitor Goldにアコースティック・レジスタンス・ユニット付きのGOODMANS AXIOM 80の箱に移植したタンノイから流れる、染み出すようなスイングジャズのクラリネットの音は、実に頷ける音が響き渡る音にはかなわない。

常用するLS3/5aで聞くとわかるがTANNOYの音色と似ているがLS3/5aが精巧で緻密な音質が聴けるような気がするが、ライブ感、ホール感はTANNOYに及ばないが、LS3/5aの良さはその個体の大きさであろう。初めて見る方は驚くと思うが、小さな本体から響く正確な音質に目を見張るであろう。KEFのLS50より小さか固体に驚き、音出しをして再度驚くでしょう(笑)。音ではなく音楽が聞こえるLS3/5a良さを改める。駆動は真空管のアンプが相性は良く感じる。

但し注意点はこれらのエンクロージャーを駆動するのはそこそこの真空管アンプとの相性は抜群で能率も良く2W程あれば十分と思う、独特の北村節とも言われるクラリネット演奏の音色は独特の味がある。

現在アンプはラックスのA-3500を使用するが、手元不如意のためヴィンテージ管購入はしていないがSIEMENS製、TELEFUNKEN製等と比べてみたい。現在は予備管も含め松下 6ca7で聞くが意外と良い音はする。秋葉原の真空管販売店を除くと松下製 6ca7の価格も随分値上がりしているようです。



筆者がクラリネットジャズ演奏を知ったのは中学生当時親戚のオジサンに教えられたべニー・グットマンのスイングジャズでした、ノリが良く、美しいメロディー早速10吋のSPレコードを親に買ってもらった記憶が残る。これが最初のジャズの出会いでもあった。後に北村のクラリネットを知った。

北村英治「スインギン・ライフ/SWINGIN' LIFE」クラリネット(86年CBS/SONY)


収録曲
 1)スイート・ジョージア・ブラウン Sweet Georgia Brown
 2)ホエン・ユー・アー・スマイリング When You're Smiling
 3)スイート・ロレイン Sweet Lorraine
 4)チャイナ・ボーイ China Boy
 5)タイム・オン・マイ・ハンズ Time On My Hands (You In My Arms)
 6)風と共に去りぬ Gone With The Wind
 7)エブリ・タイム・ウィ・セイ・グッドバイ Every Time We Say Goodbye
 8)素敵なあなた Bei Mir Bist Du Schöen
 9)キャンディ Candy
 10)ムーンライト・ビカムズ・ユー Moonlight Becomes You
 11)ジャスト・ワン・オブ・ゾーズ・シングス Just One Of Those Things
 12)ノーバディーズ・スイートハート Nobody's Sweetheart
 13)ホエア・オア・ホエン Where Or When (Babes In Arms)

member
  Bass    –  池沢行生
  Clarinet     –  北村英治
  Drums      –  渡辺毅
  Piano.       –  秋満義孝
  Producer  –  中村慶一



録音は1986年4月5月8月と記載される、この当時はテナーサックスも吹いていたが、51歳のとき、一回り年下のクラシッククラリネット奏者(当時、東京芸大教授)の村井祐児先生に教えを請うた。「生涯現役であるならば音の幅を広げなければ」と願ったからだ。師匠村井氏のアドバイスでテナー演奏は封印したそうです。未だ現役で楽しい演奏を行い益々音色も冴えているように感じる、北村英治の生の音を聴いたのは多分10年前と記憶する。

〝音楽に必要なのはスイング感です。人間の体が自然に持っているスイング感が音楽の原点です。私はそのスイング感を大切にしたいといつも思ってます。そこからジャズが誕生しました。

これは北村自身のコメントである。ここに収録されたスイング・ナンバーは代表的なジャズ・スタンダードお馴染みのナンバーで実に気軽に楽しめる一枚である。ジャズ仲間でのスイングはなぜか安心してきけるクインテットである。

ベニーグッドマンに憧れ好きで入ったこの世界に北村は、1951年南部三郎クインテットでプロデビュー、1954年自己のバンドを結成した。
1954年当時はジャズ人口も少なく、職場は当然のように米軍キャンプ地がベースであった頃と思う、その後徐々にライブハウスが開業してきた様である。



しかしこの頃北村にチャンスが舞い込んだ、57年文化使節として来日したベニー・グッドマンとジャムセッションを行う。バディー・デフランコや、リー・コニッツも研究する一方、ジャズ伝統のデキシーも自分のものとし、幅広い音楽家に成長した。

演奏会では木管の暖かく深みのある音色と独特のフレーズで聴衆の心を豊かに満たし、曲間のお喋りでも大いに楽しませてくれる。音楽だけでなく料理通として、あるいはニュースキャスターやコメンテーターとしてもテレビ・ラジオで活躍している。



南部三郎のバンドを辞めて「キャッツハード」という自分のバンドを組んだ。ところがマネージャーに出演料を持ち逃げされてしまい、日々の稼ぎをすべてバンドメンバーへの返済にまわした。お金に困って麹町の安いアパートに引っ越し、鍋窯を質に入れて、ジャガイモと玉ねぎばかり食べる生活が続いた。

そんなとき助けてくれたのが大橋巨泉だった。巨泉は早稲田大学の学生でありながら、銀座のテネシー(ジャズ喫茶)でプロ顔負けの解説と司会をしていた。一度読んだ本の内容はすべて覚えているほど頭がよく、実に面白い男だった。北村さんが笑ってしまうほど負けず嫌いなところがあって、一緒に釣りに行くと北村さんより釣れるまでやめなかった。
食うや食わずの生活をしていた麹町のアパートに巨泉がコメと牛肉の佃煮を持って現れた。鍋窯はないので洗面器でコメを炊いた。「きたねえな」という巨泉に「煮沸するから大丈夫」と北村さんは応えた。



バンドメンバーへの返済が済んだころ、美空ひばりと親しかった小野満から声がかかり、1957年に「小野満とシックスブラザーズ」が誕生した。お嬢(美空ひばり)の公演についていって、ジャズを歌うとき伴奏した。

占領下だった沖縄に行ったとき、楽屋でジュリー・ロンドンが歌う『クライ・ミー・ア・リバー』のレコードをバンドメンバーで聴いていたら、お嬢が「何これ。いいわね。ちょっと貸して」とレコードを持っていってしまった。ところが翌日、お嬢が「あの曲歌うから伴奏して」と言い出して、みんな真っ青になって伴奏した。
やはり美空ひばりは天才だったんですよ!
小野満とバックのシックス・ブラザーズ/北村英治、辰巳幸雄、近藤 進、西村宗良、チャーリイ・脇野、コジー・萱島

演奏が終わると米軍の将校が来て、「あんなに歌える日本人がいるのか。英語の発音もすばらしい」とべた褒め。北村さんは将校に「彼女は英語が話せない」と説明するものの、将校は「うそだ。からかうな」と怒り出す始末。


北村英治が語る、終戦で北村の青春時代が始まった、と語る思い出話も面白い。このような語りは北村さしさが滲み出ている。



51歳のとき、クラシッククラリネット奏者の村井祐児先生に教えを請うた結果なのでしょうか、最近ますます元気な音が冴える北村英治のクラリネットの音色が綺麗に感じるようになった。


スイングジャーナル誌に於ける楽器別人気投票でのポールウィナーは1960年から2010年同誌が休刊するまで続いた。その間、テディー・ウイルソン、アール・ハインズ、バディー・デフランコ、ビル・ベリー、スコット・ハミルトンとの共演も回を重ねた。
2011年~2014年、毎年5月に開催されるノリッジジャズパーティー(英国)に連続出演し、英国のジャズ誌「ジャズジャーナル」2014年4月号には「北村英治のジャズ人生」の記事が掲載されると共に表紙写真となり、英国のジャズファンに親しまれている。

現在はモーツアルトのクラリネット曲も楽しんでいるようです、木管楽器のリードの優しい響、いつまでもクラリネット独特の美しい響きを聞かせていただきたいと願うばかりである。ブラボー!



ブログ更新後の翌日家族で楽しめる、以前注文した珈琲豆が入荷した、涼しい部屋での淹れたての珈琲をいただき、気合の緊急事態宣言発令のステイホームもこれで万全である。
珈琲豆も各種色々酒類は多いが、最近はブレンドの旨さが飽きず美味しく、微妙なブレンドの違いの変化に旨さを感じる、写真右側のオールド5ブレンド・フレンチクラシックブレンドは最近のお気に入りのブレンドも揃いました。当分は楽しめそうである、冷蔵庫の真空チルドルームに大切に保管した。