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伝統ある英国のTANNOY IIILZで聴く、音楽の父J.S.バッハ音楽を知る喜び・・・

音楽好きのIIILZ Monitor Goldユニットの箱を改良して楽しむダメオヤジ金ちゃんです。

ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(Ludwig van Beethoven):ピアノソナタを今回は少し古いがヴィルヘルム・バックハウスのピアノ演奏での検証。

2025年06月03日 | クラシック音楽・オーディオ

6月になりアヤメ(Iris sanguinea)の花が咲き出した、以前水郷佐原菖蒲パークで購入した花が今年も咲き出した。400品種150万本の花菖蒲が咲き乱れ、美しい紫色が広がります。
房総の歴史は阿波から安房(安房神社)にそして上総から下総と移って行ったと言われる、香取は下総地区で江戸時代利根川の東遷で利根川流れが房総に流れが変わり佐原が花開いた都市といえよう。
この事について調べますと、「忌部(いんべ)氏とは、古代より大和朝廷の宮廷祭祀を司った有力氏族です。祭具の製作や宮殿の造営も担当していました。忌部氏は、神話上の天太玉命(あめのふとだまのみこと)を祖神としており、中臣氏とともに祭祀を掌っていました。忌部氏の歴史は長く、平安時代には、斎部広成が「古語拾遺」を著し、忌部氏の権利を主張しました。しかし、中臣氏の勢力拡大とともに、忌部氏は次第に衰退していきました。朝廷の品部としての「忌部」は、出雲・紀伊・阿波・讃岐が代表的なものとして明らかとなっている。
説話のうちでは「総(ふさ)」を麻の古語とするが、現在までの研究では「総」の字に麻の意味はないとされている、同書では続けて、天富命が植えた麻が良く育ったのでその地を「総国(ふさのくに)」というようになり、また穀の木が育った地を「結城郡」というようになったとし(麻は「総(ふさ)」の古語とし、また上総(かずさ)国・下総(しもおさ)国の2国がこれにあたるとする)、阿波斎部が移住した地は「安房郡」と名付けられたとする(これが安房国の国名になったとする)。また、同地には「太玉命社」を建てられ、これが「安房社」(現在の安房神社(千葉県館山市)に比定)にあたり、その神戸(神社付属の民戸)には斎部氏があるとも伝えている。」と示している。

佐原は昔な水路交通佐原は利根川水運の中継基地としで江戸時代は栄えた街で今も古い町並も残るのである。
北総の小江戸と言われる佐原の大祭は、千葉県香取市佐原で毎年7月と10月に行われる伝統的な祭りです。関東三大山車祭りの一つとして知られています。



日本では「楽聖」とも呼ばれる、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(Ludwig van Beethoven)は、ドイツの作曲家、ピアニスト。音楽史において極めて重要な作曲家の一人であり、古典派音楽の集大成かつロマン派音楽の先駆とされ特に9作の交響曲は有名である。今回は少し古いがヴィルヘルム・バックハウスのピアノ演奏での楽しんでみた。勿論古い演奏ではあるが音質も実にバランス良くバックハウス:ベートーヴェンが実に塩梅よく結びつく。



夏目金之助(漱石)は江戸牛込(現在の東京都新宿区)に生まれた夏目金之助、後の漱石と名乗る、伊予松山(現在の愛媛県松山市)に生まれた正岡処之助、升(のぼる)、後の子規です。 学生時代に東京で知り合った二人は、終生変わらぬ深い友情で結ばれていました。金之助の夏目家は武田氏に支えて、三河に移らずそのまま信濃に残った家系で、室町時代の中頃には守護小笠原持長に仕え、その後甲斐の武田信昌から信玄・勝頼まで5代の武田家に仕え、八代郡夏目原村(現山梨県笛吹市御坂町)に居住したといいます。金之助は夏目氏の後裔であると称しており夏目家に伝わる系図を見た上で、吉信の先祖である夏目左近将監国平の子孫であるとしている。
本名は夏目 金之助。俳号は愚陀仏。 明治末期から大正初期にかけて活躍し、今日に通用する言文一致の現代書き言葉を作った近代日本文学の文豪のうちの一人。代表作は、『吾輩は猫である』『坊っちゃん』『三四郎』『それから』『こゝろ』『明暗』など。帝大時代より正岡子規とは友達でもある。

筆者が特に好きな短編『現代日本の開花』(はなはだお暑いことで、こう暑くては多人数お寄合いになって演説などお聴きになるのは定めしお苦しいだろうと思います。ことに承うけたまわれば昨日も何か演説会があったそうで、・・・・)と始まる短編冊子は好きでまさに今の令和時代の日本の危機を予見している様もある。若き頃の漱石でもある。

明治維新を思い描いた日本人が切り拓いた猿真似の明治政府は間違っていたのかも知れないが、日本人の士分が犠牲者になり、抑も討幕組の薩摩、長州、土佐と維新に関わった偏った日本を指導した弊害が今に至り間違った方向に向かったのかも知れない、もちろん幕閣にも常識を備わった武士も多くいた事は確かである。先の戦争で敗北し益々米国GHQの違う日本にと方向に進んだ方向を、今こそ正しい方向に正そうではないか!
大東亜戦争以降GHQに仕組まれた自虐的になった日本人が「日本は良い国」と言えば白い目で見られたが、やっと東北地震以降でもある、どこの国の属国になるのはもうゴメンである、先ずは捻じ曲がった自民からの脱却であろう。
此処で一番肝心な心構えは正しい歴史認識であろう、旧石器時代から続く日本の正しい歴史を確認する事が肝心である。



親戚筋の夏目家は三河に移った夏目吉久の長子として、三河国幡豆郡六栗村(現在の愛知県額田郡幸田町)で生まれた。夏目吉信が15歳の時に手柄を立て、松平廣忠から諱を賜り、廣次に改名したという記述がある。熊野那智大社文書に収録の徳川家康奉行・夏目廣次奉書は、永禄12年のことである。家康は戦場で正気を失い家臣の退却の進言を聞き入れず武田軍に向かって突撃を開始しようとしました。廣次は突撃をしかけようとする家康の乗る馬の向きを逆向きに変えて馬の脚を刀のみねで打ち馬を走らせました。そして、廣次は家康の兜をかぶり十文字の槍を手にわずかな配下とともに「我こそ家康である」と叫びながら武田軍に向かって突進し討ち死にしました。廣次が家康の身代わりとして影武者となったことで家康は危機を脱することができたのです。このとき夏目廣次55歳、徳川家康は30歳でした。家康は三方ヶ原戦死者の慰霊碑を法蔵寺に建立し「信誉徹忠居士」と刻んだ夏目廣次の墓を建てました。この話は有名でもある、吉信の先祖である夏目左近将監国平の子孫であるとしている。した写真は夏目家の屋敷跡だそうです。



さてこの度PDFにてヴィルヘルム・バックハウスと日本人、夏目漱石から池田理代子までと言う物を見つけた。二十世紀を代表するピアニストの一人、ヴィルヘルム・バックハウス(Wilhelm Backhaus, 1884年3月26日 - 1969年7月5日)戦前からSPレコードが輸入され、戦後1954年には来日して演奏会はも催されるなど、古くから日本人に真馴染み深い存在であった、最近は古いSPレコードからCD化され未発表の録音が新たに公開されたりして我々マニアには大変有り難い時代になった、筆者などのベートーヴェンピアノ好きには特にピアノソナタ全集が手軽に聴ける事に感謝するばかりである。
当時漱石はヨーロッパに於いて瀧廉太郎と共にバックハウスの演奏を楽しんだではあるまいか、ヨーロッパ滞在時の時代が一致している。



日本の夏目金之助(漱石)1901年ロンドン留学中にバックハウスの演奏を聴いているセイント・ジェームス・ホールでヴァイオリニストのエルジー・サウスゲイトElsie Muriel Southgate(1880年1月23日-1946年5月5日)はイギリスの バイオリニスト兼作曲家であり、クラシック音楽家としてイギリスをツアーし、アメリカとカナダの寄席で演奏し、妹、オルガニスト、作曲家を伴って商業的に録音しました。ドロシーサウスゲート(1889年-1946年)。有名な難曲であるブラームス :パガニーニの主題による変奏曲 イ短調 Op.35 Brahms, Johannes:Variationen über ein Thema von Paganini a-moll Op.35等を弾いて、その完璧な技巧と柔らかく美しい打鍵によって聴衆を驚かせ8月27日にはクイーンズ・ホールに於けるロバート・ニューマン主催のプロムナード・コンサートに登場しメンデルスゾーン :ピアノ協奏曲 第1番 ト短調 Op.25 O 7 Mendelssohn, Felix:Konzert für Klavier und Orchester Nr.1 g-moll Op.25 O 7を演奏し、29日にはシューマン :ピアノ協奏曲 イ短調 Op.54 Schumann, Robert:Konzert für Klavier und Orchester a-moll Op.54の演奏、さらにロンドンその他の都市で各種演奏会に顔を出していたと書かれたいる。まさか漱石が音楽好きとは想像も付かなかった事実でもあります。
ヴィルヘルム・バックハウス(Wilhelm Backhaus, 1884年3月26日 - 1969年7月5日)1884年にドイツの古くからの音楽の町ライプツィヒで生まれたバックハウスは、幼い時から母親にピアノを学び、さらにライプツィヒ音楽院に1891年に入学した。その後幼くしてコンサートデビューした。1899年からはフランクフルトに移り、当時の大ピアニストであったダルベールに師事する。ダルベールはバックハウスのために多忙な時間を割き、彼のために多くのことを伝えた。このときにバックハウスが得たベートーヴェンの解釈は後の彼の演奏ににつながっていると思われる。さらに1900年のロンドンデビューの成功からコンサートツアーを行い、ヨーロッパで名声を博した。



1905年にはイギリスのマンチェスター王立音楽院の教授となり、1907年からはゾンデルスハウゼン音楽院でも教鞭をとったが、彼が後進の指導をした期間は極めて短く、コンサートピアニストとしての活動を優先した。1912年からはアメリカでも公演を行い日本も含め世界中で公演した。特に有名な逸話は演奏も無骨で男性的、いかにもドイツ人らしい巨匠として、”鍵盤の獅子王”と呼ばれました。

今は音響機器による再現しか試す事がでいないのではあるが、数々ある音響機器での再現は実に苦労する、しかしある程度ナチュラルな音(自然界で発生する音や、自然に近く聞こえる音)の出せるタイプのユニットが必要ではあるが、リラックス効果や集中力向上、ストレス軽減などの効果が期待できるので様々な場面で活用されています、確かにアメリンタイプの乾いた音ではなく或程度ウエットなユニットが好ましい様である。

1973年当時初めて聴くSANSUI SP-LE8T(JBL8吋ユニット)の音は確かに衝撃的な音がした、夢中で偶々当時家の近くにあったJAZZ喫茶に通い此のスピーカーJBLユニット8吋の音をに夢中になる、勿論JAZZ音楽にも嵌り確かにジャズトリオのJAZZに夢中になった時代でもあり当時LE8Tが2本で12万は高額で夢でもあった頃の思い出でもある。その後聴いた装置は有名なTANNOY IIILZであった、全く対照的な個性の強い音質にオーディオの世界に入門するのであった。TANNOYの音質はじっくり聴かなければ解らない音ではあるが、特に弦楽器の再生には特異性を持った音が聴けた印象があった。改めて海外製の音響の音の特異性は当時の日本製品とは違った特徴があった。



TANNOY ⅢLZ in GOODMAN AXIOM80 Cabinetでのピアノを聴くとまるでステージで聴くような感じにも聴こえる、ただしアンプに使用するは間違いなく方チャンネル3.5W程の三極管の真空管アンプ、日本名をUX-2A3と命名し製造した(マツダ(東京芝浦電気)製)が相性は良いとされる。2A3の真空管は試して事はないのだが、筆者も現在シングルの300Bの真空管を使いが12畳ほどの部屋で聴く限り程々のプレゼンスが得られる。

確かに最新ピアノ演奏者の録音も機材も優れたピアノ音はリアルで良いが、筆者が試聴するTANNOY ⅢLZユニットで聴く限り何お不満も無く50年前のバックハウス(P)も十分堪能できる。



ピアノ・ソナタ 第30番 ホ長調 作品109
 1.第1楽章: Vivace, ma non troppo - Adagio espressivo - Tempo I
 2.第2楽章: Prestissimo
 3.第3楽章: 歌うように、心の底から感動をもって (Andante molto cantabile ed espressivo)
https://www.youtube.com/watch?v=cqZcLSWsMCE

ピアノ・ソナタ 第31番 変イ長調 作品110
 4.第1楽章: Moderato cantabile molto espressivo
 5.第2楽章: Allegro molto
 6.第3楽章: Adagio ma non troppo
 7.第3楽章: Fuga Allegro ma non troppo

ピアノ・ソナタ 第32番 ハ短調 作品111
 8.第1楽章: Maestoso - Allegro con brio ed appassionato
 9.第2楽章: Arietta (Adagio molto semplice e cantabile)

演奏:ヴィルヘルム・バックハウス(P)

ドイツのピアニスト、ヴィルヘルム・バックハウスが晩年に録音した2回目のベートーヴェン・ピアノ・ソナタ集、勿論3大ソナタとしても有名ピアノソナタ第8番ハ短調 作品13「悲愴」ピアノソナタ第14番嬰ハ短調 作品27-2 「月光」ピアノソナタ第15番ニ長調 作品28「田園」、特にピアノ・ソナタ 第31番 変イ長調 作品110は実に素晴らしい演奏でもある。録音から50年を経てもなお、スタンダードな演奏として世界中で聴かれいるそうです。ブラボー!

典型的な四重奏曲:リンゼイ弦楽四重奏団でベートーヴェンの弦楽四重奏曲第14番嬰ハ短調Op.131を検証

2025年05月10日 | クラシック音楽・オーディオ


大型連休は家で過ごす事が一番と痛感する、報道では相変わらず連休行楽の混雑ぶり、交通渋滞のニュースが多い中、米国大統領虎さんの関税問題が報道されたいるが、日本のますゴミ報道は肝心な事には口を閉ざしやっと財務省が内容を明かした消費税の9.9兆円の行方を公開したのに全く報道も政府(財務省)に忖度し情けない国になったか実に情けない。米国は今更日本を敵視しているが、今更始まった事でもなくルーズベルト以前から米国は弱小日本を怖がっていた。

スタンリー・メイヤーの水燃料電池アメリカ人発明家のスタンリー・アレン・メイヤー(Stanley Allen Meyer、1940年8月24日〜1998年3月20日)が発明したある種の「永久機関」である。この装置を市販の自動車に取り付ければガソリンの代わりに水を燃料にして走ることができるとメイヤーは主張したが、その主張は詐欺に当たると・・・オハイオ裁判所のに認定されたそうであるが、1998年3月20日、スタンリー・メイヤーはレストランで食事をしている際に急死した。メイヤーの兄弟は彼が2人のベルギー人投資家と会食中、メイヤーは突然店外に飛び出し「彼らが私に毒を盛った」と叫んでいたと主張したそうである。メイヤーの死は石油利権による暗殺だったのではないかと述べている。
方式はは違う様だが此の方式で完成したと豊田章男が言っているそうであるが、ガソリン等の燃料で大きな経済を揺るがす問題でもある。



思い出せば以前2014年放映のテレビドラマLEADERS リーダーズは昭和初期。愛知自動織機の常務・愛知佐一郎 (佐藤浩市)は、国産自動車の開発に着手する。しかし、社長・石山又造はこれに猛反対したが・・・?世界を代表する自動車メーカーを作りあげた男の苦難と情熱の物語。無謀だと言われた国産自動車の開発に、日本のため、豊かな社会をつくるために、果敢に挑んだ男たちのドラマ。なお劇中には、トヨタ自動車による全面協力のもと、戦前から戦後にかけて、実際に国内を走った車両が登場。また、歴史ドラマでよく使用される資料映像は使わず、蒸気機関車と車が競争するシーンも実際にロケを行い再現するなど、当時を彷彿させる映像演出にも注目だ。そのドラマにも言われた無限の動力(エンジン)を作る叫びであった。
最近のトヨタはこの間まで水素エンジンでの機関に夢中になりレースまで対応したが、此処で水で走る内燃機関のスタンリー・メイヤーと違った方式で作られる水燃料で水素を取り出し現在のエンジンにて動く自動車ができれば、家庭使用の電源は一台の車で賄いできる革命となるのだ。公表すれば大変な問題にもなるのであろう。また水資源は日本は豊富な国でもあり現在の高騰した電気料金も格安で生活出来る様になるので、水の排気は酸素であり実にクリーンだ、これぞ最大の産業革命でもある。

最近の世の中は益々住みにくい世界に変わっていく様でもあるが・・・生い先短くなった後期高齢者世代の楽しみは僅かな年金で細々と無事に暮らし、なるべく人に迷惑をかけない様に命をまっとうすることが希望でもあろう、残りの短い年月を好きな音楽を聴き、いい音楽の恩恵を受け今までに知らない演奏者、作曲者の素晴らしい未だ知らない曲を受諾するのが一番面白き事かもしれない。

春よ、来い / 松任谷由美(尺八)

和風ジブリメドレー(篠笛)

尺八、篠笛アーチスト山口整萌(やまぐち せいも)ドイツの教会で突如美しい音色が響き渡り、観客が絶句した伝説の映像!G線上のアリアは素晴らしい演奏でした。是非お聞きください・・・

その様な音を聴けば尺八の竹の楽器の音はまさにリアルに再現するが、もっと相性の良い音は筆者の持ち合わせるTANNOY ⅢLZのユニットのオーィオ機器である、上手く鳴るのは擦る楽器の再現即ち弦楽四重奏曲の演奏であろう、一般には余り人気薄の作品だろうとは思うが、数々ある演奏で好みの演奏曲は多くあるが筆者的には、ベートーヴェンを挙げる、彼の作曲した弦楽四重奏曲すべての演奏は力強くバランスの良さは抜群でもある。
確かに弦楽器程演奏する音を選ぶオーディオ機器も無いように感じる、特にスピーカーが一番音質の方向性が解る、後はそれをドライブするアンプであろう。煌めくような弦楽器をうまく鳴らすのはTANNOYのユニットであろう。しかし此れとの相性合うアンプ選びが苦労するのである、筆者もこのシステムにたどり着くまで無理矢理トランジスターアンプを比べ多いに周り道をした。

今年の連休みの間にじっくり聴きたいと思っているベートーベンの弦楽四重奏曲で最高傑作と言われるベートーヴェンの後期弦楽四重奏曲の中でも、最高傑作の呼び声が高い第14番を筆者好みの三つのグループの演奏を考察した。 厳しく切りつめられた内容は究極の音楽を思わせます。ベートーベンの弦楽四重奏曲で最高傑作を考えてみますと、高い評価が与えられているベートーヴェンの後期弦楽四重奏曲の中でも、最高傑作の呼び声が高い第14番。 厳しく切りつめられた内容は究極の音楽を思わせます。



筆者は馴染み深いアルバムは、ブダペスト弦楽四重奏団(Budapest String Quartet)は20世紀を代表する弦楽四重奏団と言われ、1917年にブダペスト歌劇場管弦楽団のメンバーによって結成された弦楽四重奏団。
38年よりアメリカに定着して活動を展開。ロシア人のヨーゼフ・ロイスマンが第1ヴァイオリンとなって以降、名声を得るようになる。ロマン主義的な歌い回しをしない新即物主義的な解釈や第1ヴァイオリンの絶対的優位を避けた各声部の平等主義を取るなど、現代の弦楽四重奏演奏のスタイルに大きな影響を与える。特にベートーヴェン:弦楽四重奏曲全集は定評がある様です。



BERLINER STREICHQUARTETT (SUSKE QUARTETT)/ ベルリン弦楽四重奏団(ズスケ四重奏団)演奏はゆったりとしたリズムで心地よく感じる。
筆者の定番とも言えるアルバムで録音録音時期は1965年、当時ベルリン国立歌劇場管弦楽団のコンサート・マスターだったカール・ズスケを中心に首席奏者たちによって組織されました。1966年、ジュネーヴ国際コンクール2位(1位無し)を獲得、たちまち旧東ドイツを代表する弦楽四重奏団に成長。東ドイツ国内では一貫してズスケ四重奏団(ドイツ語表記のSuske-Quartett)を名乗って活動しましたが、国外でのツアーやLPレコードではベルリン弦楽四重奏団(英語表記のBerlin String Quartet)の名称で活動しました。1977年9月にカール・ズスケがライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団のコンサートマスターに転出すると、リーダーはヴォルフ=ディーター・バッツドルフに交代し、団体名もドイツ語のBerliner Streichquartett(ベルリン弦楽四重奏団)を名乗るようになりましたが、ズスケをリーダーとした録音は1980年まで継続し、有名なベートーヴェンの弦楽四重奏曲全集を完結させています。



次に2008/2009シーズンに結成200年を祝ったゲヴァントハウス弦楽四重奏団は世界最古の弦楽四重奏団です。
1809年にヴァイオリニストのアウグト・マッティと他のゲヴァントハウス管弦楽団の3人のメンバーにより結成され、以来、ゲヴァントハウス管弦楽団の首席奏者を中心に、今日に至るまで途切れることなく音楽活動を続けています。19世紀のメンバーにはメンデルスゾーンからヴァイオリン協奏曲を献呈されたF.ダーフィト、ブラームスの協奏曲の初演を行ったJ.ヨアヒムがいます。共演者もC.シューマン、ブラームス、ブゾーニ、グリーグといった大作曲家が並び、20世紀に入ってからもニキシュ、ケンプ、ルービンシュタイン、ヨーヨー・マ、S.マイヤーなどの名演奏家がずらりと揃っています。
録音にも積極的で、コンサートマスターのボッセやK.ズスケが率いたLP時代より数多くの名盤を生み続けています。ヴァイオリンがエルベンとC.ズスケ(K.ズスケの子息)に代わってからは数多くのCDを録音し、とくに1996~2003年に録音したベートーヴェンの弦楽四重奏曲全集(NCA)は国際的に高い評価を受け、ベストセラーとなりました。独クラシック・ホイテ誌は、CDでの後期四重奏曲の演奏について「模範的で、かつひとつの基準ともなり得る解釈」を持ち、「卓越した音の美しさ」で聴くものを魅了すると述べ、「この録音は、ゲヴァントハウス弦楽四重奏団が世界で最も優れた四重奏団のひとつであるという名声を再確認するものである」と締めくくっています。

演奏も大変穏やかで万人向けと思える演奏ですが、その実揺るぎない安定して演奏には流石とも思える伝統的匂いを含んだ演奏でもある。正に聴けば聴くほど深みにハマる弦楽四重奏団でもある。



今回は最近知った、リンゼイ弦楽四重奏団が初めてベートーヴェンの弦楽四重奏曲全曲を録音したもので、オリジナルはASVレーベルに行われています。「グラモフォン」誌の室内楽部門の年間レコード大賞を受賞するなど高い評価を受けました。録音は1979年(第1-5・11番)、1982年(第6・10番)、1984年(第7-9番)、1983年(第12-16番)、10枚組限定盤の物を仕入れました。
誠に残念なことにYouTube配信はありませんでした。
1966年、イギリスのロイヤル・アカデミー・オブ・ミュージックに学ぶ学生によって結成された。当初キール大学の常設カルテットとして活動を開始し、副学長であった“リンゼイ”の名を冠した名団体。イギリスを代表する四重奏団として活躍を続け、英ASVレーベルに録音したベートーヴェン、バルトークの弦楽四重奏曲全集録音は世界的に高い評価を受けました。



英国の由緒正しきリンゼイ一家。左からピーター・クロッパー、ロナルド・バークス、ロビン・アイルランド、バーナード・グレゴール=スミス



ベートーヴェンの弦楽四重奏団」が初めて録音したベートーヴェン・ツィクルス リンゼイ弦楽四重奏団(Lindsay String Quartet)/ベートーヴェン:弦楽四重奏曲全集(10枚組)

ベートーヴェン:
★《CD 1》1-4)弦楽四重奏曲第1番ヘ長調Op.18 No.1、5-8)弦楽四重奏曲第2番ト長調Op.18 No.2
 《CD 2》1-4)弦楽四重奏曲第3番ニ長調Op.18 No.3、5-8)弦楽四重奏曲第4番ハ短調Op.18 No.4
 《CD 3》1-4)弦楽四重奏曲第5番イ長調Op.18 No.5、5-8) 弦楽四重奏曲第6番変ロ長調Op.18 No.6
★《CD 4》1-4)弦楽四重奏曲第7番ヘ長調Op.59 No.1『ラズモフスキー第1番』
★《CD 5》1-4)弦楽四重奏曲第8番ホ短調Op.59 No.2『ラズモフスキー第2番』、
       5-8)弦楽四重奏曲第9番ハ長調Op.59 No.3『ラズモフスキー第3番』
 《CD 6》1-4)弦楽四重奏曲第10番変ホ長調Op.74『ハープ』、
       5-8) 弦楽四重奏曲第11番ヘ短調Op.95『セリオーソ』
 《CD 7》1-4) 弦楽四重奏曲第12番変ホ長調Op.127
 《CD 8》1-7) 弦楽四重奏曲第13番変ロ長調Op.130(大フーガOp.133付き)



★《CD 9》1-7) 弦楽四重奏曲第14番嬰ハ短調Op.131
 《CD 10》1-5) 弦楽四重奏曲第15番イ短調Op.132、6-9) 弦楽四重奏曲第16番ヘ長調Op.135

 【演奏】
 リンゼイ弦楽四重奏団
  ピーター・クロッパー[第1ヴァイオリン]、
  ロナルド・バークス[第2ヴァイオリン]、
  ロジャー・ビグリー[ヴィオラ]、
  バーナード・グリゴア=スミス[チェロ])
 【録音】
  1979年(第1-5・11番)、
  1982年(第6・10番)、
  1984年(第7-9番)、
  1983年(第12-16番)、
  ウェントワース(ホーリー・トリニティ教会)&
  ロンドン(ロスリン・ヒル教会)

ベートーヴェンは40歳頃になった晩年の約15年には全聾となり、さらに神経性とされる持病の腹痛や下痢にも苦しめられていました。そんな中で発表された《交響曲第9番》や《ミサ・ソレムニス》といった大作、ピアノ・ソナタや後期弦楽四重奏曲等の作品群は、ベートーヴェンの辿り着いた境地の未曾有の高さを示すものとなったと言われる。全聾中での有名な作品を仕上げた事は天才でもあり大変な努力家であったのであろう。



1826年12月に肺炎を患ったことに加え、黄疸も併発するなど病状が急激に悪化したベートーヴェンは以後は病床に伏すこととなり、翌1827年3月23日には死期を悟って遺書をしたためました。病床の中では10番目の交響曲にも着手していましたが、遂に未完成のまま同年3月26日に肝硬変のため波乱に満ちた生涯を閉じました(享年58)。死因については様々な説がありますが、アルコール性の肝硬変、梅毒、感染性の肝炎、鉛中毒の可能性が提起されています。中でも鉛中毒が有力視されていますが、当時はワインの保存料や手術後の治療薬に重金属である鉛が多用されていたことが根拠とされています。
ベートーヴェンは弦楽四重奏曲に対する想いが非常に強かった様に感じます、なぜなら弦楽四重奏曲は、初期でも非常に完成度の高いものになっていると言われてます。
モーツァルトにとってハイドンに献呈した6曲の四重奏曲集の作曲は生涯でもっとも推敲を重ねた作品であり、ベートーヴェンにとっても弦楽四重奏曲は作曲家としての作品の価値としてはピアノソナタや交響曲の上位に位置する作曲分野として捉えていたように思われます。バイオリン、ビオラ、チェロはバロック期にはすでに完成された楽器で、奏法技術においても古典派期までには現在と同様のレベルにあり、ピアノや管楽器など改良が続けられてきた楽器を用いた作品に対し、弦楽のみによる創作史は楽器の改良による影響はなく、弦楽四重奏曲創作史は純粋に作曲者の作曲技術の創作史とみることができます。



《弦楽四重奏曲第14番 嬰ハ短調 作品131》はベートーヴェンが他界する前年の1826年に完成させた作品で、《弦楽四重奏曲第13番 変ロ長調》、《第15番 イ短調》と並ぶベートーヴェン最晩年の弦楽四重奏曲の傑作です。楽譜の出版の際に14番という番号がつけられていますが、実際には15番目に作曲されました(ベートーヴェンの弦楽四重奏曲は第16番まであります)。
ベートーヴェンの行き着いた至高の芸術、後期弦楽四重奏曲 《セリオーソ》のあと、10年以上もの間、ベートーヴェンは弦楽四重奏曲を書きませんでした。ピアノ・ソナタ全32曲も交響曲全9曲も書き終え、残された約2年の人生の間に、ベートーヴェンはさらなる高みを目指すべく、5曲の弦楽四重奏曲を書いたのです。それらは、この上なく美しい反面、実験的で、人を容易に寄せ付けない気難しい部分がありましたと言われます。



この様な後期弦楽四重奏曲を自宅で聴くは筆者所有のTANNOY ⅢLZ in GOODMAN AXIOM80 Cabinetでの視聴が一番である。
作曲家ヨーゼフ・ハイドンによって現在の形式に発展したと言われる弦楽四重奏曲はその後変遷を重ねベートーヴェンは後期四重奏曲の中で、作品131を自身のお気に入りとして挙げており、これを自身の作品の中で最も完璧な作品だと考えていたと言われる、昔からTANNOYで鳴らすはTANNOY ⅢLZの弦楽四重奏曲は実に良い機器と言われるが、オリジナル ⅢLZ聴き比べると大型エンクロージャーに入れた10吋TANNOYユニットで聴く音は重厚で実に魅力的で覆わず聴き惚れる、一度体験すればツボにハマるのである、IIILZ Monitor Goldユニットは思えば発売後既に50年以上経過するがいつ迄聴けるのであろうか、メンテナンスも適度には行ってはいるが些か心配でもあるが・・・。最近仕入れたFyne Audio (ファイン・オーディオ)F500と聴き比べるとTANNOY独自の音楽の説得力が若干欠ける様に感じるは筆者だけなのであろうか、その様なことを思いながらも知らぬ間に4セットのベートーヴェンの弦楽四重奏曲全集が集まってしまった。

今回初めて知ったリンゼイ弦楽四重奏団で聴くベートーヴェン:弦楽四重奏曲は時代を超えた貴重な贈り物の様にも思える作品でした。
ベートーヴェンの後期作品を聴き思うは、希望と力を与えてくれる様に思える作品でもある様に感じました、ブラボー!

久しぶりにモーツアルトの音楽に浸る、この心地良さは流石モーツアルトの音楽であった!

2025年04月11日 | クラシック音楽・オーディオ

名盤は名器を呼び、名器は喜んで名盤と遊ぶと言う言葉があるのだが、誰もが親しめる名盤とはと問われれば、)筆者の居間で鳴る10同軸2ウェイ(IIILZ Monitor Gold)であろうウレタンエッジを使ったHPD295ではなくコーン紙を使用したエッジが分解能力が良しと聴こえる、昔から定評のある弦楽四重奏曲は特にIIILZの本領発揮は弦楽器のアンサンブルには兎に角頗る具合が良いのである。

特に1967年発売されたTANNOY IIILZで聴く弦楽四重奏曲は他のエンクロージャーでは味わえない演奏が体験できる。最新のエンクロージャーと比べても遜色は感じなくむしろ要所要所だは輝くような音色を与えてくれる表情は流石である。



コーン紙のメンテナンスの詳細について渋柿液をコーン紙の裏側にも塗り残しのない様に丁寧に塗ったと言う記事を見て大変な事が解明できるかも知れないので早速TANNOY IIILZのコーン紙の裏側を渋柿液塗布を試みる。
勿論表面は、前回3回目の渋柿液を塗布した、更にその上に、その為にネット上のカバーを外し、柿渋液を塗布する。上記の現在メンテナス中の筆者のTANNOY ⅢLZ in GOODMAN AXIOM80 Cabinetは箱はA.R.U.180付きのAXIOM80空箱に吸音材を入れMonitor Goldセットしている物だが、長い間TANNOYのオリジナルは其の儘使うのが好ましいと言われオリジナルで聴き続けたが、あと少しの自然な低域が欲しく魔改造に至るが、色々セットを変えやっと気分良く聴ける音と相なった。今回のユニットの裏面への塗布はかなり音質も向上した。
現在所有する機材のメンテナンスと手軽な改良及び、簡単な接続ケーブルでの音の違いをアレコレ楽しむ程度で満足する様にしている。

この様にオーディオ機器については最終的には自己満足の度合いにより千差万別でもあり基本的は其々の機器に幾ら投資出来るかでも違って来る、筆者等は今や僅かな年金暮らしの貧困老人であるため最小限の費用しか掛けられないのが現実でもあり月に一枚ほどのCDアルバムを楽しむ程度でもある。
此処でTANNOYユニットについて言いたいことは、視聴には最新の弦楽四重奏曲を聴くのが一番テストには勝る、第一第二ヴァイオリンの息使いにヴィオラが絡まりチュロが音楽を締め纏めるように聴ければ良いのだが、その様なヴァランスを絡め合うクインテットは魅力的であるが仲々希望する音が聴けない。オリジナルTANNOY ⅢLZでアンプを交換し色々テストを試みたが中々気にいる様な音が出せなかったが、箱を変え調整をし、やっと現在なんとなく聴ける状態になった様である。今の音になるまで4年の月日が過ぎた。



此処で改めて大好きなハーゲン弦楽四重奏団でモーツァルト:弦楽四重奏曲第17番「狩」を聴く弦楽四重奏で聴くモーツアルト。狩りK.458などは特に有名。

それぞれのパートに込めた、作曲家の心を聴きとるには、このくらいがちょうど良い。息のあった演奏で快適。うちに演奏団を呼んで、演奏してもらっている気分。ハーゲンファミリーのうまさも堪能でき録音も程よく結成から長い経験も長くquartettoを楽しむには良きグループでもある。

しかし誠に残念なことですがハーゲン弦楽四重奏団(Hagen Quartett)が解散することが明らかになった。米国ツアーを行っているプロモーターが今回のツアーが最後になると告げている。正式な解散は2026年になるとみられ、45年間の演奏活動に幕を降ろすそうです。
1981年ザルツブルク・モーツァルテウムのオーケストラでヴィオラ奏者を務めるオスカー・ハーゲンを父に持つ兄弟4人(ルーカス、アンゲリカ、ヴェロニカ、クレメンス)で結成。81年ロッケンハウス国際室内楽フェスティヴァルで「審査員賞」および「大衆賞」を受賞、翌年ポーツマス国際弦楽四重奏コンクールで優勝を果たし、ロンドンのウィグモア・ホールでデビュー。さらに、83年室内楽の分野で最高峰を誇るエヴィアン国際コンクール第1位、ボルドー音楽祭では名誉あるゴールド・メダルを受賞。現在、世界屈指の弦楽四重奏団として音楽界をリードする存在になっている。途中、第2ヴァイオリンのアンゲリカがソロ活動に専念するため、アネッテ・ビク、そして現在のライナー・シュミットに交代したが、彼が新メンバーに加わった最初の1年間はハーゲン家に寄宿したというほど、彼らの演奏には親密な雰囲気とハーモニーがあふれている。
メンバーはそれぞれ、ザルツブルクのモーツァルテウム音楽院、バーゼルとハノーファーの音楽大学、シンシナティ大学で学んだ。同時に、ハインリヒ・シフ、ウォルター・レヴィンらに師事し大きな影響を受けた。その後、ニコラウス・アーノンクールとのつながりは、彼らの音楽的視野を広げる一助となり今日に至っている。



モーツァルト:弦楽四重奏曲第17番「狩」&第19番「不協和音」
ウィーンの聴衆が驚いた「不協和音」など、革新的な書法を試すかのようなハイドン・セットからの2曲を収録。オーストリアのハーゲンSQは、見事なアンサンブルでモーツァルトの世界をみずみずしく表出している。

『モーツァルト:弦楽四重奏曲第17番≪狩り≫ 弦楽四重奏曲第19番≪不協和音≫』

 弦楽四重奏曲 第17番 変ロ長調 K.458《狩り》
 String Quartet No.17 in B flat major, K.458 "The Hunt"
  1 第1楽章: Allegro vivace assai 8:24
  2 第2楽章: Moderato 4:21
  3 第3楽章: Adagio 7:37
  4 第4楽章: Allegro assai 4:35
 弦楽四重奏曲 第19番 ハ長調 K.465《不協和音》
 String Quartet No.19 in C major, K.465 "Dissonance"
  5 第1楽章: Adagio - Allegro 11:27
  6 第2楽章: Andante cantabile 7:18
  7 第3楽章: Menuetto. Allegro 4:41
  8 第4楽章: Allegro molto 7:37

ハーゲン弦楽四重奏団(Hagen Quartett)
 ルーカス・ハーゲン(第1ヴァイオリン)Lukas Hagen, 1st violin
 ライナー・シュミット(第2ヴァイオリン)Rainer Schmidt, 2nd violin
 ヴェロニカ・ハーゲン(ヴィオラ)Veronica Hagen, viola
 クレメンス・ハーゲン(チェロ)Clemens Hagen, violoncello
 
録音: 1998年4月 ドイツ、アーバーゼー、コンラート教会



筆者の好きな曲は同じくモーツアルトの室内楽として最も有名なモーツァルトのクラリネット五重奏。何といってもクラリネットという楽器の音色が、とてもいい気持ちにしてくれます。涼やかであったり、和やかであったり、伸びやかで楽しそうな感じもしたり。室内楽は、丁度リビングで、リラックスして聴くのに適しているようにも感じます。モーツァルトならではの、肩の凝らない名曲です。いいですね。

じっくり音に酔わせるというよりも、スピード感を強調した印象。勿論、テンポが速いわけではない(そういう部分もあるが)。音のスピード、フレーズ感覚、アンサンブルの緻密さが瑞々しいのだ。録音も非常にクリア。ブルンナーのクラリネットの音色は薄く賛否両論だろうが、音をギラギラと響かせるような奏者には不可能な、細部まで気を配った演奏が聴ける。モーツァルトのこの曲には枯れた悲しみのようなものを期待する人が多いが、このCDのように溌剌とした音楽も良いもの。クラリネット奏者、エドゥアルト・ブルンナー、ハーゲン弦楽四重奏団による1987年録音盤。
 モーツァルト
  ①クラリネット五重奏曲イ長調K.581
 ウェーバー
  ②クラリネット五重奏曲変ロ長調作品34
 エドゥアルト・ブルンナー(クラリネット)
 ハーゲン弦楽四重奏団
 録音:1987年6月ケルン〈デジタル録音〉

ハーゲン弦楽四重奏団とブルンナーによるクラリモーツァルト晩年の澄み切った心境を伝える高貴な作品と、対照的に明るい華やかな作品風を持つ協奏曲スタイルで描かれたウェーバー。 繊細で柔らかな香気を放つように歌い上げるクラリネットと、生気溢れるフレージングの弦が見事に呼応しています。
今まで聴いたエドゥアルト・ブルンナーのクラリネットの音が実に自然にしかもソフトに囁く様に歌うのであった。同時に見事に調和する弦楽器の音色である。柔らかで染み透る音が奏でる、確かにTANNOY ⅢLZユニットの音が見事に蘇った時でもあった。



エドゥアルト・ブルンナー(Eduard Brunner, 1939年7月14日 - 2017年4月27日 )
エドゥアルト・ブルンナーは、生まれ故郷のバーゼルで音楽教育を受け始めました。その後、パリ音楽院でルイ・カユザックに師事し、さらに研鑽を積みました。ミュンヘンでは、ラファエル・クーベリックの指揮の下、バイエルン放送交響楽団の首席クラリネット奏者となり、ザールブリュッケン音楽大学で長年にわたりクラリネットと室内楽の教授を務めました。現在は、カールスルーエ音楽大学とマドリードのソフィア王妃芸術大学で室内楽の教授を務めています。50年以上にわたり、エドゥアルト・ブルンナーはソリストとして、また室内楽アンサンブルのメンバーとして、世界各地でコンサート活動を行っています。ギドン・クレーメル、オレグ・カガン、ナタリア・グートマン、ユーリ・バシュメット、アルフレート・ブレンデル、ハーゲン四重奏団、ボロディン四重奏団、クリーヴランド四重奏団など、多くの音楽家と共に、様々なレーベルに250曲を超えるクラリネット作品を録音し、コンサートでも共演しています。世界各地の音楽祭にゲスト出演し、国際コンクールの審査員も務めています。エドゥアルト・ブルンナーは著名な作曲家との交流を促進するだけでなく、多くの作品の委嘱も行っており、クラリネットのレパートリーに重要な追加をもたらしました。



この様な音楽はTANNOY ⅢLZでの視聴は実に具合良く聴き惚れるがオリジナルの箱で聴くより筆者のTANNOY ⅢLZ in GOODMAN AXIOM80 Cabinetで聴くのが低域部はより自然に近い視聴感を受けるのだ、10吋Monitor Goldでの味わいはやっぱり自然な感じで鳴り響く感じが一番好きです。

実は関西在住のYさんより久し振りの最新情報をいただく、柿渋塗布はユニット裏側も塗布したそうです、筆者はユニット裏側までは処理していませんので、この際全ての処理のためダストキャップも外し簡単な水洗いとエアースプレイを吹き付け清掃も行い、点検と同時にダストキャップ無しの状態も視聴するが、高域が強すぎアッテネーター統制も上手くいかずに全て整え装着した、裏側柿渋塗布処理の効果か若干音質が広がりと音に艶が出て、絞まり気味になり音楽全体にリアル感が増してバランスが良くなった様に感じる正に生き生きした瞬間である。若干の塗布処理改めてMonitor Goldのユニットの能力を流石と感じた瞬間でもあった。往年の機器のメンテナンスは実にさまざまである、今後益々声楽、アンサンブルを聴くには素晴らしい音楽を聴かせてくれるであろう・・・。

この様なメンテナンスは意外と隅々までの手入れが抜ける場合があるために注意が必要であり、少しでもいい音良い音楽を求める物には肝心なことでもある。
後日じっくり視聴する、大好きな筆者の定番曲(ヘルムート・コッホ & Bachorchester des Gewandhauses zu Leipzig)のJ.S.バッハ:ブランデンブルグコンチェルトを試す、これが実に淡々と良い塩梅に鳴った・・・。この辺りが所謂ヴィンテージTANNOYと言われる所以でもあろう。

確かにユニット裏側のコーン紙の柿渋塗布後よく乾いた状態での視聴は人間に例えると10年は若やいだ様な鳴り方をするのだ、しかしこれ以上の解像度を増せば病的にも感じる音の様になる限界点でもある気がしてならない、ユニット裏部分の柿渋液の塗りは意外と効果が高い様で驚きである。楽器の一つ一つの分離も塩梅よく大変好ましく響き渡る、裏面の柿渋塗布も肝心の様でもあった。



兎に角既に50年近く前に先輩の家で聴せて頂いたのは15"Monitor Goldのユニットが入ったTANNOY Rectangular Yorkの音への憧れてすぐに注文をした後に、出来上がりを待つ間に生憎ユニット生産工場の火災によりMonitor Goldは生産中止となってしまった。

その後随分回り道もしたが、最近になりやっとTANNOY 10吋Monitor Goldユニットの現在の装置に落ちつき音楽を楽しむ様になったが今も好んで聴く弦楽四重奏団、バッハ:カンタータの声楽が一番自然に聴こえるのはやはり筆者の持つエンクロージャーの中ではTANNOY ⅢLZのユニットが一番であろう。ブラボー!


新旧のピアノ演奏家について、ヴラド・ペルルミュテール、ベアトリーチェ・ラナのショパンの曲での考察

2025年03月16日 | クラシック音楽・オーディオ


以前このプログに掲載したピアニストの紹介から、少し古いピアノ演奏家であり、恥ずかしながら筆者も今まであまり聴かななった名前でもあり、亡くなってすでに20年以上過ぎている。ヴラド・ペルルミュテール (Vlado Perlemuter、1904年5月26日〜2002年5月9日)は、フランスのピアニストである。
1904年リトアニア(旧ポーランド)のコヴノ生まれのピアニスト。10歳で渡仏し、21歳で仏国籍を取得。パリ音楽院でアルフレッド・コルトーに師事。ラヴェルの薫陶を受け、その作品の世界初演を多く手掛けるとともに、二度にわたってラヴェルのピアノ作品集の録音を残す。50年にローザンヌ音楽院教授、翌年にパリ音楽院教授に就任し、数多くの優れたピアニストを輩出。エリザベート、ジュネーヴをはじめとする国際コンクールの審査員を歴任するほか、66年以来たびたび来日し日本人演奏家の指導にも尽力。2002年9月4日、老衰のためパリで死去。98歳没。"ラヴェル弾き"として大きな役割を果たし、著作『ラヴェルによるラヴェル』も刊行。ヴラド・ペルルミュテールは、フランスのピアニストである。20世紀の代表的なフランスの作曲家モーリス・ラヴェルや20世紀最大のショパン弾きであるアルフレッド・コルトーに師事したこともある。

20世紀の代表的なフランスの作曲家モーリス・ラヴェルや20世紀最大のショパン弾きであるアルフレッド・コルトー(Alfred Denis Cortot, 1877 - 1962)に師事したこともある。当初はショパンを得意とするピアニストとしての名声を得ました。
何故か一人でじっくり楽しむショパンを聴くにはヴラド・ペルルミュテールの演奏は最高の様にも感じます。



以下2枚のアルバムの紹介です、ショパンは16歳でワルシャワ音楽院に入学し、20歳で卒業。より広い活動を求めて音楽の都ウィーンへ旅立ちます。時期を同じくして、ワルシャワで支配者ロシアに対する革命が起こり、ショパンも祖国に戻って一緒に戦おうとしますが、ショパンの才能を思う周囲の強い勧めで、芸術家たちが集まるパリへ落ち着きます。以後、二度とポーランドの土を踏むことはありませんでしたが、祖国への強い想いは消えることがなく、すべてがその音楽に注ぎ込まれています。
容姿端麗でジェントルマンだったショパンは、パリの社交界で時の人となります。そこで出会った、男装の麗人として名をはせた女流小説家ジョルジュ・サンドとのロマンスは、後に数々の映画や小説の題材となっています。1849年、ショパンは肺結核のためパリで39年の人生を終えます。
筆者が感じるは、ヴラド・ペルルミュテール演奏するショパンはその様な匂いを感じて止みません、雰囲気って実に重要に感じます。

Chopin: 24 Preludes Op.28, Prelude Op.45, Fantasy Op.49, etc
ショパン:
 24の前奏曲 Op.28
  前奏曲第25番嬰ハ短調 Op.45 Recorded at Wyastone Leys, March 1981(ADD)
 
  幻想曲へ短調 Op.49
  子守歌変長調 Op.57 Recorded at Wyastone Leys, March 1982 (DDD)
 演奏/ Vlado Perlemuter(p)



Chopin: Etudes Op.10, 12 Etudes No.25, Trois Nouvelles Etudes (3/28-29/1983, 6/8-9/1982)
ショパン:
  12の練習曲 Op.10:Recorded at Wyastone Leys, March 1983 (DDD)
  12の練習曲 Op.25:Recorded at Wyastone Leys, June 1982 (DDD)
  3つの練習曲(遺作):Recorded at Wyastone Leys, March 1983 (DDD)
 演奏/ Vlado Perlemuter(p)

最近は何故かショパンのピアノ曲を楽しんでいる、筆者が思うに自宅のTANNOY ⅢLZ in GOODMAN AXIOM80 Cabinetで実に具合良く鳴るピアノ今日の様に思う、ブックシェルフ型のエンクロージャーでは味わえない深い音質がTANNOY ⅢLZの特徴であり魅力であろう。



フレデリック・フランソワ・ショパン( Frédéric François Chopin)は16歳でワルシャワ音楽院に入学し、20歳で卒業。より広い活動を求めて音楽の都ウィーンへ旅立ちます。時期を同じくして、ワルシャワで支配者ロシアに対する革命が起こり、ショパンも祖国に戻って一緒に戦おうとしますが、ショパンの才能を思う周囲の強い勧めで、芸術家たちが集まるパリへ落ち着きます。以後、二度とポーランドの土を踏むことはありませんでしたが、祖国への強い想いは消えることがなく、すべてがその音楽に注ぎ込まれています。
容姿端麗でジェントルマンだったショパンは、パリの社交界で時の人となります。そこで出会った、男装の麗人として名をはせた女流小説家ジョルジュ・サンドとのロマンスは、後に数々の映画や小説の題材となっています。1849年、ショパンは肺結核のためパリで39年の人生を終えます。葬儀は、パリのマドレーヌ寺院で行われましたが、ショパンの生前の希望によりモーツァルトの「レクイエム」が演奏されました。そして、心臓は祖国ポーランドへ埋めてほしいという遺言により、ショパンの姉がポーランドに持ち帰り、今もワルシャワの聖十字架教会の柱の中に静かに眠っています。

音質は決して期待はできなく晩年に演奏したショパンであるが、何故か懐かしく安定した演奏が妙に落ち着きを与えてもらえる様でもある、兎も角ショパンの演奏は数多くあるがこの練習曲は是非残したいアルバムでもある。



以前一度紹介したベアトリーチェ・ラナも30歳になったのだった、1993年生まれの演奏は清らかな音色と繊細で正確な演奏は音楽家たちを魅了し、彼女が奏でる「ゴルトベルク変奏曲」は、粒立ちの良い装飾音が心地よく、みずみずしさにあふれ、まるで清流のせせらぎのように聴く者を癒やす。繰り返し、いつまでも聴いていたくなるアルバムだ。ヨハン・ゼバスティアン・バッハによるアリアとその変奏曲からなる2段の手鍵盤のチェンバロのための作品。「アリアと種々の変奏」と題されている「ゴルトベルク変奏曲」以来の演奏を聴くが流石ショパンの出来は素晴らしく、今回は 気質と魅力に満ちたショパンとベートーヴェンのソナタのアルバムも実に興味深い。

昨年発売のベアトリーチェ・ラナがベートーヴェンと驚く『ベートーヴェン:ハンマークラヴィーア』は、パンデミックによる外出禁止期間中に、ラナは集中的な研究に取り組み始めましたらしい。 どちらの作品も、作曲家が技術的に冒険的な形で表現されており、どちらのソナタの最後の楽章は、両方とも最高レベルの実験であり、まったく異なる方法で行われています。 ラナは「両方の作品は、非常に異なる方法で人間の状況を超越している」ますが、まったく違うわけではありません・・・どちらも死の恐怖と孤独の恐怖に大きく関係している」と述べているとおり、それぞれ異なる方法で解決策を見つけだしています。

また彼女の作品にはヤニク・ネゼ=セガン&ヨーロッパ室内管弦楽団とのクララ・シューマントロベルト・シューマンのピアノ協奏曲がある、ブラームスとクララの噂もあるのだが此の曲を選びプレスした事にも意味があるのだろうか?大変興味深いと思うは筆者だけなのであろうか・・・。



Fyne Audio F500用のWEケーブル使用が相性は良く、ジャンパーケーブルを製作のため最近スピーカーケーブルで色々遊んでみたが、我が愛機TANNOY ⅢLZ in GOODMAN AXIOM80 Cabinetで聴く限りスピーカーケーブルに付いてはQED(キューイーディー) Profile79Strand一番相性が良いと言う結果が得られた。
特にピアノ演奏における再生音に関してはTANNOY ⅢLZ が断然優れていると感じたが、注意点は原音は求めない、音量も然程上げず、生演奏を聴きている様な雰囲気が感じられれば合格と思っている。一番難しく感じることは特にJ.S.バッハの演奏は或程度の品格が備わってなければバッハらしく感じなく、勿論ショパン、ベートーヴェンにも特徴がありその演奏がバッハらしく、ショパンお演奏楽し、ベートーヴェンの様に伝わる装置が最高なのである。

所謂ヴィンテージと言われる10吋のⅢLZユニットからのピアノ演奏は実に素晴らしい音が楽しめる、新旧ピアノ演奏をの違いを聴き分けてみたが、確かに最新演奏のベアトリーチェ・ラナの音質は良いのではあるが、コルトーに師事されたヴラド・ペルルミュテールのショパンは深い感銘を受けました。



Chopin - Beethoven Sonatas / ショパン:ピアノ・ソナタ第2番、ベートーヴェン:ハンマークラヴィーア
【収録予定曲】
ショパン:ピアノ・ソナタ 第2番 変ロ短調 Op.35「葬送」
 1.    I. Grave - Doppio movimento
 2.    II. Scherzo
 3.    III. Marche funèbre. Lento
 4.    IV. Finale. Presto
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ 第29番 変ロ長調 Op.106「ハンマークラヴィーア」
 5.    I. Allegro
 6.    II. Scherzo. Assai vivace
 7.    III. Adagio sostenuto
 8.    IV. Largo
 9.    V. Allegro risoluto
 【演奏】ベアトリーチェ・ラナ(ピアノ)
 【録音】
  2023年4月30日、5月2日、7月12-13日、
  ローマ、オーディトリアム・パルコ・デッラ・ムジカ、サラ・シノーポリ

筆者などが思うはベートーヴェンらしいピアノ曲は「ハンマークラヴィーア」がベートーヴェンらしいと思うが・・・、以下の様な評価も注意点でもある。
2011年18歳でモントリオール国際音楽コンクール優勝、また2013年ヴァン・クライバーン国際ピアノ・コンクール銀賞(第2位)および聴衆賞受賞により世界的に注目を浴びるようになり、現在、世界中から最も注目を浴びるピアニストとなったベアトリーチェ・ラナ。これまでリリースしたアルバムは、すべて世界的に高い評価を受けています。
 ラナが4枚目のアルバムで取り上げた《ショパン:練習曲&スケルツォ集》でも、「畳みかける所と立ち止まる所のコントラストの鮮やかさ。ラナのショパン演奏は他の演奏と比べても、もはや別格とさえ言える」と評されています。ラナは若い頃からショパンを演奏・研究しており、これまでの演奏に無かったポリフォニーの把握だけでなく、音楽の縦構造を見極め、多彩な表情を生み出しています。ここで演奏される《ショパン:ピアノ・ソナタ 第2番「葬送」》は、ラナのこの10年のレパートリーとして演奏しており、満を持して録音に挑んでいます。
《ベートーヴェン:ハンマークラヴィーア》は、パンデミックによる外出禁止期間中に、ラナは集中的な研究に取り組み始めました。どちらの作品も、作曲家が技術的に冒険的な形で表現されており、どちらのソナタの最後の楽章は、両方とも最高レベルの実験であり、まったく異なる方法で行われています。ラナは、「両方の作品は、非常に異なる方法で人間の状況を超越していますが、まったく異なるわけではありません…どちらも死の恐怖と孤独の恐怖に大きく関係している」と語っているとおり、それぞれを異なる方法で解決策を見つけだしています。
 この録音は、ローマにあるオーディトリアム・パルコ・デッラ・ムジカにある中ホール、指揮者ジュゼッペ・シノーポリの名前を冠にした「サラ・シノーポリ」で行われました。
と以上の様に綴れていました。



2021年のアルバムで演奏したのはショパンの練習曲(作品番号25)の12曲と、4曲のスケルツォ。練習曲は新型コロナ感染症が猛威を振るう直前の2020年1月の録音。そしてスケルツォはその1年後、解釈に熟考を重ねた後の2021年2月の録音です。彼女の驚異的なテクニックであり気に入っていた作品でした。

今回昨年のアルバムで、筆者もベートーヴェン:ピアノ・ソナタ 第29番 変ロ長調 興味深く聴き感動です。ダイナミックな演奏も聴き逃す事はできません。
改めて聴くこのベートーヴェンとショパンを非常に遠い作曲家として捉える傾向はあるが死期が近づく立場の共通点はあり最後の作品に立ち向かうところは似通った所も感じます。ベートーベンのピアノソナタ第29番の通称。変ロ長調。1818年から1819年にかけて作曲、ルドルフ大公に献呈された。
作曲当時のピアノ、またピアノ奏者の技術では演奏不可能だったという逸話がある。ベートーヴェンがシュタイナー社に宛てた手紙で、第28番以降のピアノソナタに「ハンマークラヴィーアのための大ソナタ」と記すように指定したことに由来しているそうです。

ベアトリーチェ・ラナの演奏する、バッハのピアノ協奏曲第5番BWV1056より第2楽章のラルゴ。どこか哀愁を帯びたピアノの旋律を通して美しい内省的な瞬間を作り出しています。
2025年発売されるアルバムは、2022年4月に10公演のツアー後に録音されたもので、バッハの鍵盤協奏曲への輝かしいオマージュを賞した作品でBWV.1052、1053、1054、1056が収録されています。早速注文しました。



この写真は先日日本列島に寒気が訪れ雪が降った名残であるが、千葉での今年の雪はこれで終わりになるのであろう、春分日は毎年3月20日~21日ごろのいずれか1日とされており、実際には日付が指定されていない。但し昼間の時間が長くなるのが暦上では春の到来が示されるそうである。ブラボー!

奇人、変人の類か・・・正式名エリック・アルフレッド・レスリ・サティ(Éric Alfred Leslie Satie)についての考察です。

2025年02月22日 | クラシック音楽・オーディオ

春間近である、早朝公園での散歩で公園の梅園の紅梅が満開になっている、白梅も2分咲きといった風情である、散歩を終えMシュナウザーのモジャ君とシャワーを浴びモジャ君の毛を乾かせオヤツと水分補給をさせ、勿論散歩から帰れば自分の部屋にエアコンを効かし朝食後は寛ぐ体勢である。
今週の寒気が終了すれば春が・・・暖房の効いた部屋で朝の珈琲を飲みながらアンプのスイッチを灯す、300B三極管が目覚める、最近気になったサティの作品を聴くが何故か「グノシエンヌ」「ジュ・トゥ・ヴ」のピアノの音が頭から離れない、春の微睡んだ温もりが愛しいのであろうか?



子供の頃から聴いたことのある旋律でサティの作品の作品を浸る事を思い述べる事にする。サティの写真のイメージは上記の写真がピッタリとも思うが・・・

正式名はエリック・アルフレッド・レスリ・サティ(Éric Alfred Leslie Satie 1866年5月17日 - 1925年7月1日)は、エリック・サティはフランスの作曲家。オンフルール生まれ、オンフルールおよびパリ育ち。 「音楽界の異端児」「音楽界の変わり者」の異名で知られる。ドビュッシーやラヴェルに影響を与えた。
フランスの街を、いつも同じ黒い山高帽と黒い上着、それにこうもり傘をステッキに歩く丸眼鏡の男。後世に影響を与えながらも、他のどの作曲家にも似ることがなかったそれ故に異端と言われる作曲家。なんとなく興味をそそられませんか?皆さんはサティの曲を聴けば頷く方は多いのでしょうか?音にやらミステリヤスな透明度のあるピアノの音が魅力的でもあります、「ジムノペディ」「グノシエンヌ」「ジュ・トゥ・ヴ」「ピカデリー」のあたりだとCMなどBGMにも良く使われているので、名前は知らなくても曲を聴くとわかる、という方も多いでしょう。サティの作品の中で、かなり聴きやすい部類ですね。何故聴きやすいのか、といえばこれらの曲の構成がことごとくシンプルだからではないでしょうか。加えてものすごく短かったりします。
今日はフランスのエリック・サティが1900年に作曲したシャンソン。『ジュ・トゥ・ヴー』は、歌詞はアンリ・パコーリによる。元々は歌曲集『ワルツと喫茶店の音楽』のうちの1曲とされているが、現在ではサティ自身によるピアノ独奏版でよく知られている。普通に誰もが知る精神の安らぎを促すような睡眠を導入するような、ゆったりとした三拍子で音の数の少ない静かなピアノ曲。サティ:日本語訳は「あなたが欲しい」とまるで情熱的な意味合いを持つ曲でもある。



此の曲が作曲された当時、34歳のサティは音楽界に自身の評価をまだ確立していなかった。それ故、芸術音楽の作曲のみで生計を立てることが困難で、カフェのピアニストやミュージック・ホール、キャバレーのための歌や付随音楽の作曲家を続けていた。約15年間(1890-1905)のカフェ、キャバレー音楽家生活をサティ自身は「大変な堕落」と考えていたが、その間に作曲されたカフェ・コンセール音楽(1860年代頃からフランスで流行した喫茶店のために作曲された音楽)の多くは大変優れた作品と言える。
その代表的な作品が『ジュ・トゥ・ヴー』である。現代でもCMなどで使われるあまりにも有名なワルツ。『あなたが欲しい』、『おまえが欲しい』、『あなたが大好き』などと様々に邦訳されている。もともとは詞(H.パコリー作詞と伝えられている)に作曲した歌とピアノのためのシャンソンで、歌詞には女性版と男性版があるのが特徴。歌曲(シャンソン)は単純な単純3部形式、ピアノ独奏版は歌曲の形式に中間部(トリオ)が加わり複合3部形式。この頃のサティの作品の中では数少ない小節線が引かれている作品で、奇を衒うことのない自然な流れが心地よい。

エリック・サティ:(ジュ・トゥ・ヴ)あなたが欲しい/Je te veuxのジャンルは?歌曲(シャンソン)なのである。勿論子供の頃は曲名も知らなかった。

 Je te veux おまえが欲しい
 作詞:アンリ・コパリ
  曲:エリック・サティ
★Ange d’or, fruit d’ivresse,
  Charme des yeux,
  Donne-toi, je te veux.
  Tu seras ma maîtresse
  pour calmer ma détresse
  Viens, Oh déesse.
  J’aspire à l’instant précieux
  où nous serons heureux – Je te veux
金の天使 陶酔の果実 魅惑の瞳
その身を投げてくれ。おまえが欲しい
恋人になってくれ。僕のつらい気持ちをいやすために
来ておくれ、ああ、女神さま
僕は、2人が幸せになれる、かけがえのない瞬間を求めている
おまえが欲しい★
  Tes cheveux merveilleux
  Te font une auréole
  Dont le blond gracieux
  Est celui d’une idole.
  Que mon cœur soit le tien,
  Et ta lèvre la mienne !
  Que ton corps soit le mien,
  Et que toute ma chair soit tienne !
美しいきみの髪は
光の輪をはなっている
それは優美な金髪で、
偶像の髪のようだ
僕の心がきみのものになればいい
そしてきみの唇をぼくのものに!
きみのからだが僕のものになればいい
そして僕の肉体すべてを、きみのものに!
★~★繰り返し
  Oui,je vois dans tes yeux
  La divine promesse,
  Que ton cœur amoureux
  Ne craint plus ma caresse…
そう、きみの瞳のなかに、
すばらしい兆しが見える
きみの愛にあふれた心は
もう僕の愛撫を恐れないという兆しが
  Enlacés pour toujours,
  Brûles des mêmes flammes,
  Dans des rêves d’amour
  nous échangerons nos deux Âmes!
いつも抱き合っていよう
同じ炎に焼かれよう
愛の夢の中で
僕たちは魂を交換しよう
★~★繰り返し



何となく聴くとどこか物憂げ美しく、つかみどころのない旋律。テレビや映画、街中で、エリック・サティの音楽を耳にしたことのない人は、いないといっても過言ではないのではないでしょうか?しかし一度聴けば旋律の美しさは忘れない曲である。クラシック音楽の世界からは「異端児」とされ、一方で「現代音楽のルーツの1つ」と称されるエリック・サティ。1866年フランスに生まれ、59才でその生涯を閉じるまでに、後世へまで影響力を持つ数多くの音楽作品を残しました。
ピアノ作品 3つの「ジムノペディ」 6つの「グノシエンヌ」 「官僚的なソナチネ」 「梨の形をした小品」 「乾からびた胎児」これらのピアノ作品は、シンプルな旋律線と独特の和声進行を特徴としており、多くの作品に風変わりな標題と皮肉に満ちた演奏指示が付けられています。グノシエンヌとはフランス語で「気づき」という意味だそうです。 この作品は、音楽の中に哲学的・精神的な要素を取り入れたものとされています。 サティ自身が「正確に演奏することが重要だが、それ以上に、それを正確に聴くことが等しく重要だ」と語っていたということです。
現代では、サティは単なる「変わり者の作曲家」ではなく、20世紀の芸術に大きな影響を与えた革新者として評価されています。彼の作品や思想は、現代の実験音楽、電子音楽、アンビエント・ミュージックなど、様々な分野に影響を及ぼし続けています。その創造性と先見性は、今なお多くのアーティストたちに刺激を与え、新しい芸術表現の可能性を示唆し続けているのです。
エリック・サティは、その独創的な音楽観と革新的な表現により、20世紀の音楽に大きな影響を与えました。一見単純に見える作品の中に込められた深い思想性と、慣習に囚われない自由な発想は、現代においてもなお、新鮮な魅力を放っています曲を筆者の好きな2015年に『オルガ・シェプス・プレイズ・ショパン』で日本デビューの甘味な魅了あるオルガ・シェプスで聴いています。



オルガ・シェプス(Olga Scheps, 1986年1月4日 - )は、モスクワ生まれの女性ピアニスト。ピアニストでケルン音楽大学の教授でもある父親のイリヤ・シェプスにピアノを学び、6歳のときにドイツに移る。ケルン音楽・舞踊大学でパヴェル・ギリロフに師事。12歳のときから演奏活動を行っており、2007年、ルール・ピアノ・フェスティバルでデビューして以来、ドイツの著名な音楽祭に招かれ、ソリストとしてベルリン・フィルハーモニーほか世界有数の会場でリサイタルを開催。

現在はドイツを中心に活動している。ケルン在住。
演奏活動以外では、2011年以来アウディおよびショパールのブランド大使を務めている。クラシック音楽界における、ドイツの権威ある賞であるエコー・クラッシック賞受賞者であり、魅惑的な舞台での振る舞い、活き活きとしたサウンドと暖かいタッチなど独自の特徴的な音楽により、同世代に評価の高い人気のピアニストが数多く居並ぶ中で、極めて短い期間で独自の地位を確立してきた。



オルガ・シェプス/サティ:ピアノ作品集

エリック・サティ生誕150年記念リリース。「音符を真珠のように輝かせる」「ピアノの詩人」などと評され、2015年の初来日で大きな話題を呼んだオルガ・シェプスの「RCA Red Seal」への最新録音2016年に生誕150年(5月17日)をむかえるサティの最も有名なピアノ曲を収録した「サティ・アルバム」音質も大変優れものである。
「音楽界の異端児」とされ、ドビュッシー、ラヴェルら印象派の作曲家にも大きな影響を与えるのみならず、彼のあとの20世紀の音楽が辿ってゆく方向性に重要な一石を投じた超個性派エリック・サティ。バレエ音楽・歌曲以上に、サティが最も多くの作品を残したのがピアノ曲で、当アルバムには、誰もがそのメロディを知っている「ジムノペディ第1番」や「ジュ・トゥ・ヴ」など、サティの代表作が収められている。

[収録曲]
サティ:
 01. 6つのグノシエンヌ
 02. 「真夏の夜の夢」のための5つのしかめっ面 (ダリウス・ミヨーによるピアノ独奏用編曲)
 03. 3つのジムノペディ
 04. あんたが欲しいの (ジュ・トゥ・ヴ)
 05. 3つのサラバンド
 06. 歌うワルツ「優しく」
チリー・ゴンザレス(ジェイソン・チャールズ・ベック):
 07. ジェントル・スレット

 オルガ・シェプス(ピアノ)
 録音時期:2016年
 録音場所:ドイツ、マリエンミュンスター、コンツェルトザール

オルガの紡ぎ出すピアノ・サウンドの美しさと深い抒情性、開放感はサティの音楽の美質を香り高く表出している。
ボーナス・トラックとして、カナダ出身のピアニストでありエンターテイナーの天才音楽家ことチリー・ゴンザレスによる「ジェントル・スレット」を収録。
オルガはこのマルチ・ミュージシャン、チリー・ゴンザレスとステージでよく共演しており、その成果としてこのボーナス・トラックが収録されることになった。
オルガ・シェプスはモスクワに生まれで、ケルン音楽院で名教師パーヴェル・ギリロフに学んだ才媛。2010年にアリス=紗良・オットとドイツの権威ある「エコー賞」を二分したほどの人気と実力を備えるピアニスト。
ドイツ・クラシック音楽界の大御所評論家ヨアヒム・カイザーをして「オルガ・シェプスは真の発見だ。彼女が弾くようなショパンをこれまで私は聴いたことがない」と言わしめた個性的才能の持ち主。



ラファエラ・グロメス(Raphaela Gromes)
1991年ミュンヘン生まれのチェリスト。4歳より母からチェロを習い始める。2005年にフリードリヒ・グルダ作曲のチェロ協奏曲を演奏してソロデビュー。2012年、ガルミッシュ=パルテンキルヒェンにおいて開催されたリヒャルト・シュトラウス・フェスティバルの若手演奏家のためのコンクール(チェロ部門)にて優勝。2017年、ソニー・クラシカルの専属アーティストとして初のアルバム『セレナータ・イタリアーナ』をリリースし、高い評価を得た。以降、定期的にリリースを重ね、2023年6月に最新アルバム『ファム〜女性作曲家たちの肖像』をリリース。彼女は、個人的に入手したジャン=バティスト・ヴィヨーム作の1855年頃のチェロを演奏します。



この為に注文した新譜が到着、クラシック界の女性スター、オルガ・シェップス(ピアノ) 、 ラファエラ・グロメス(チェロ)2人がタッグを組み、ショパンの夜想曲を新たに演奏。ピアニストのオルガ・シェップスとチェロ奏者のラファエラ・グロメスがタッグを組み、フレデリック・ショパンの伝説的な夜想曲6曲を斬新かつユニークなアレンジで披露。フレデリック・ショパンの夜想曲は、夢見るようなメロディーと豊かなハーモニーの質感が特徴。クラシックピアノのレパートリーの中で不朽の人気曲となっており、音楽を通して感情を呼び起こすショパンの比類ない才能を示している。



ショパンの夜想曲

フレデリック・ショパン (1810 - 1849): 
 夜想曲 Op. 9: 1 ショパン:ノクターン Op. 9: Ⅱ.アンダンテ (チェロとピアノ編曲: ジュリアン・リーム)04:19 
 夜想曲、作品62: 2 ショパン:ノクターン Op. 62: Ⅱ.レント (チェロとピアノ編曲: ジュリアン・リーム)02:59 
 夜想曲、作品32: 3 ショパン:ノクターン Op. 32: I. アンダンテ・ソステヌート (ジュリアン・リームによるチェロとピアノ編曲)05:00 
         4 ショパン:ノクターン Op. 32: Ⅱ.レント (チェロとピアノ編曲: ジュリアン・リーム)02:45 
 夜想曲、作品55: 5 ショパン:夜想曲集 作品55 第1楽章 アンダンテ(ジュリアン・リームによるチェロとピアノ編曲)05:17 
 夜想曲、作品15: 6 ショパン:ノクターン Op. 15:Ⅱ.ラルゲット (ジュリアン・リームによるチェロとピアノのための編曲)03:19 

合計実行時間23:39
 オルガ・シェップス(ピアノ) 、 
 ラファエラ・グロメス(チェロ) 

筆者が好きなオルガ・シェップスのショパンのピアノ、チェロのDUO最近お気に入りのアルバムでもある。
クラシック界の女性スター2人がタッグを組み、ショパンの夜想曲を新たに演奏。ピアニストのオルガ・シェップスとチェロ奏者のラファエラ・グロメスがタッグを組み、フレデリック・ショパンの伝説的な夜想曲6曲を斬新かつユニークなアレンジで披露。5月10日にソニー・クラシカルから発売される新作EPで発表される。



もともとピアノ独奏用に作曲されたが、クラシック界の女性スター2人による新たなアレンジにより、これらの有名な楽曲に新鮮な色合いがもたらされている。1827年から1846年の間に作曲されたフレデリック・ショパンの夜想曲は、夢見るようなメロディーと豊かなハーモニーの質感が特徴。クラシックピアノのレパートリーの中で不朽の人気曲となっており、音楽を通して感情を呼び起こすショパンの比類ない才能を示している。オルガ・シェップスとラファエラ・グロメスは、ジュリアン・リームとともにアレンジを手掛け、音楽の旋律の質に焦点を当て、原曲に新たな色合いをもたらした。



ピアニストのオルガ・シェップスは、近年、主要なクラシックコンサートの舞台で実力を発揮しています。レコーディングアーティストとして、彼女はクラシック音楽、映画音楽、ポップスの境界を越えた独自のレパートリーコンセプトで知られています。彼女のアルバム「Family」、「Melody」、「Satie」は、世界中で何百万回も再生され、この品質を実証しています。紛れもない解釈と卓越した多才さを持つオルガ・シェップスは、今注目の同世代で最も人気のあるピアニストの一人です。
チェロ奏者のラファエラ・グロメスの演奏は、技巧、情熱、喜びが特徴です。彼女の2023年のアルバム「Femmes」は、9世紀にわたる音楽史 にわたる注目すべき女性作曲家ですね。ブラボー!