伝統ある英国の10吋ユニットで、いい音で音楽を聴きたい・・・・・

音楽好きの、古いオーディオ機器10吋TANNOYを改良して聴くダメオヤジの金ちゃんです。

外出、旅行で音楽が堪らなく聴きたく合間を縫ってアンプに火を灯し、ジャズピアノを楽しむ。

2024年07月13日 | JAZZ・ボサノヴァ

此の所大阪に居る娘が遊びにきたり、旧友との爺さん達の遠足に、帰宅すれば生憎仕事も重なり、時間の空いた隙間に音楽を耳にした。

昔から筆者の好きなピーターソン~ブラウン~シグペンからなる黄金トリオによる1962年のヴァーヴ盤。ハイライトは同年にリリースされたビル・エヴァンスの名曲「ワルツ・フォー・デビー」の演奏は、今回の聴きものです。スウィンギーで力強いタッチから繰り出されるワルツは圧巻だ。ジャズピアノの魅力が存分に詰まった、歴史に残る名盤ウィ・ゲット・リクエストは、ジャズ・ピアニストのオスカー・ピーターソンと彼のトリオによるアルバムで、その後1964年にリリースされ、10月19日、10月20日、11月19日または20日にニューヨーク市のRCAスタジオで録音された。このAFFINITYは2年前に発売された当時の流行り曲をまとめた今聴くも実に懐かしいアルバムでもある。
CD盤は上記のジャケットでレコードはシンプルなピーターソン・トリオではシンプルなデザインジャケットが好きなアルバムでもある。録音当時のピーターソンは37歳頃の作品で最も脂の乗り切った時期と想像する。



AFFINITY
 01WALTZ FOR DEBBY /ワルツ・フォー・デビー(ビル・エヴァンス)
 02TANGERINE /タンジェリン(ジョニー・マーサー=ヴィクター・シャーツィンガー)
 03GRAVY WALTZ /グレイビー・ワルツ(レイ・ブラウン、スティーブ・アレン)
 04THIS COULD BE THE START OF SOMETHING /これは何か大きなことの始まりになるかもしれない(スティーブ・アレン)
 05BAUBLES. BANGLES AND BEADS /飾り物、腕輪、ビーズ(アレクサンダー・ボロディン、ジョージ・フォレスト、ロバート・ライト)
 06SIX AND FOUR /6と4(オリバー・ネルソン)
 07I'M A FOOL TO WANT YOU /君を欲しがるなんてバカだ(ジョエル・ヘロン、フランク・シナトラ、ジャック・ウルフ)
 08YOURS IS MY HEART ALONE /私の心はあなただけ(ルートヴィヒ・ヘルツァー、フランツ・レハール、ベーダ・フリッツ・レーナー)
録音:1962.9
 
レコーディングに参加したのは、1958年からトリオを組んでいるレイ・ブラウン(Ray Brown)、エド・シグペン(Ed Thigpen)。
オスカーはこのトリオで『ナイト・トレイン』(Night Train)、『カナダ組曲』(Canadiana Suite)、『オスカー・ピーターソン+ 1』(Oscar Peterson + 1)など数々の名盤を生み出している。
その中でも、ヴァーヴ・レコード(Verve Records)からリリースした『プリーズ・リクエスト』(We Get Requests)は、「歴史に残る名盤」として現在も広く愛されている。
筆者はピーターソン独特の転がし演奏が好きで昔は視覚障害者でありながら超絶技巧を誇るアート・テイタムの奏法と良く似た演奏と言われたが今はピーターソン奏法(節)と言えるのであろう。この辺りのニュアンスはエバンスとの違いは明らかであろう。



Oscar Peterson (オスカー・ピーターソン)
1925年8月15日、カナダのモントリオール生まれ。45年から地元カナダでリーダー作を残し、49年に興行師のノーマン・グランツに才能を見出され米国デビュー。J.A.T.P.などオールスター・セッションに起用される一方、レイ・ブラウン、バーニー・ケッセル、エド・シグペンらと多くの名作を発表した。90年代に脳梗塞で倒れるも見事な復帰を果たし、その健在ぶりを強くアピールした。2007年12月23日、腎不全のためカナダ・トロントの自宅で死去。享年82。
アート・テイタムを彷彿とさせる高速のアドリブが特徴で決して音が乱れることはなく、もちろん、ただ技巧がすごいだけでなく、ピアノ奏法の独創性や、卓越した和声感覚で、オスカー・ピーターソン特有の音楽を作り上げています。オスカー・ピーターソンはその圧倒的な演奏力が特徴です。ミスタッチをほとんどすることがないと言われており、正確な指使いと同時に疾走感のある早いテンポを弾きこなすなど超絶テクニックを持ったピアニストで、「鍵盤の皇帝」との異名をとっていました。そのような超絶技巧の演奏を可能にしていたのは長年のキャリアに裏打ちされたテクニックに加え、オスカー・ピーターソンの大きな「手」も理由の一つかもしれません。1オクターブは余裕でつかめる大きな手でダイナミックな演奏をし、観客を沸かせていました。
オスカー・ピーターソンは1964年にも来日しており、長きにわたり日本での人気も高かったことがうかがい知れます。


Ray Brown (レイ・ブラウン)
1926年10月米国ペンシルヴァニア州ピッツバーグ生まれ。ジャズ・ベースの巨匠。オスカー・ピーターソン、ミルト・ジャクソンとの長年にわたる共演活動が有名だが、チャーリー・パーカー、バド・パウエルなど、ジャズ史に残る数々の傑作に参加している名盤請負人。自己のバンドは、モンティ・アレキサンダー、ジーン・ハリス、ジェフ・キーザーらのピアニストを迎えたトリオでの活動が中心。2002年7月2日インディアナポリスで死去。享年75歳。
レイ・ブラウン(Ray Brown)はエラ・フィッツジェラルド(Ella Fitzgerald)と結婚していたんですよね。今思うと、凄い夫婦ですね。
レイ・ブラウンはハイスクール時代からピッツバーグではちょっと知られたベーシストになっていましたが、20歳の時ニューヨークに出てディジー・ガレスピー(Dizzy Gillespie)のベーシストとなり、次第にアート・テイタム(Art Tatum)やチャーリー・パーカー(Charlie Parker)らとも演奏する機会を得るようになりました。



ディジー・ガレスピーのバンドには1946年から1951年までいました。その間、1949年にノーマン・グランツ(Norman Granz)が企画しているコンサートでオスカー・ピーターソン(Oscar Peterson)と初めて共演します。その後、ディジー・ガレスピーのバンドをやめてオスカー・ピーターソン・トリオに加入します。このトリオは1951年から1966年まで続く最強トリオとなり、数多くの名盤とライブを生み出すことになります。数多くのミュージシャンと共演、レコーディングを行い、オスカー・ピーターソンとの長期にわたる共演でも有名です。
私的にはプリーズ・リクエストでバースを弓で奏でるブーミー音は実に印象的な演奏でもあり一種の低音の魅力その物でもある。


Ed Thigpen (エド・シグペン)
欠かせない存在だったエド・シグペンは、「ミスター・テイスト」として知られていました。シグペンは、そのブラシテクニックと、脈拍とスイングの明瞭な感覚で最もよく知られていました。
ティグペンは 1930 年にシカゴで生まれ、ジャズ ドラマーのベン ティグペンの息子です。ベン ティグペンはバンドリーダー兼ベーシストのアンディ カークとの共演で高く評価されていました。両親が離婚した後、エドは母親とともにロサンゼルスに移り、ピアノを学び、教会の聖歌隊で歌い、ダンスのレッスンを受け、学校のバンドでドラムを演奏しました。ティグペンの最初のプロとしての演奏は、エドが 18 歳のときにバディ コレットと共演したことでした。その後、すぐにジャクソン ブラザーズのショー バンドに参加しました。その後、ニューヨークのサヴォイ ボールルームでクーティー ウィリアムスと共演し、その後 2 年間陸軍バンドのドラマーを務めました。
1959 年、シグペンはベーシストのレイ・ブラウンを含むオスカー・ピーターソン・トリオに加入しました。「トリオで活動することで、自分の演奏の特定の要素を発展させる機会を得ました」とエドは1982 年にMD 誌に語っています。「シンバルのテクニックとビッグバンドの状況をシミュレートするフレージングの手法を習得することができました。メロディーの聴き方や、即興のラインに合わせてフレージングして、他のことが起こっているような感覚を与える方法を学びました。それは補完的なものでしたが、それでもオスカーが最初に望んでいた時間でした。



ピーターソン・トリオのジャズの聴き所はウッドベースのグク普通の低音、ドラムのキレ音に巧みに転がす様なタッチのピアノ曲、普通に演奏してるのであろうが、魅力一杯のピアノ・トリオならではのジャズの魅力を味わうには筆者自慢のTANNOYⅢLZ in GOODMAN AXIOM80 Cabinetに突然の出会いで見つけ遭遇した三極管「Zaika5300」を装着した、パワーアンプSV-501SEジャズ音楽を聴くには若干パワー不足な所もあるが、筆者のリビング10畳程では十分満足できます。
確かにサブのパワーにLUXKIT A3500も種有するがパワーは十分だがじっくり聴くのはZaika5300の三極管を好んでしまう事が現実である。

兎角昔から好きな言葉に「得手に帆を挙げて」の如く此の様なピーターソン・トリオのゴールデンコンビの演奏は鳴り出した音に思うは、手足しっかりした音が響く装置で聴く事が一番の至上の喜びでもあろう。



昔から良く聴く馴染みやすいジャズにオスカー・ピーターソン(p)レイ・ブラウン(b)エド・シグペン(ds)ヴァーブ時代のピーターソン・トリオの曲が多い、カナダで最初のピアノ・トリオを結成して以来、半世紀を越える活動で、スィングとバップを融合させた独自のスタイルを確立、ジャズって変に哲学的になったり、原曲が全然見えなくなっちゃったりということがあるけれど、ピーターソン・トリオの曲はオーソドックスで聴きやすく魅力的で個人的にも好きなトリオでもある。
久々に聴くキレの良いピアノ曲に、ブラボー!

久しぶりのThelonious Monkのジャズピアノの真髄を考察した

2024年06月27日 | JAZZ・ボサノヴァ

今年の梅雨は暫し遅れている様であり、日本産の米不足が心配でもある、庭には昨年植えた紫陽花の新種の花が咲き出しました。またカサブランカのは何も徐々に咲き始めています。今年も来月初めに東北の友人達と一緒に2泊3日のシニア達の遠足に参加予定で新幹線のチケットは予約しました。

久しぶりの古いジャズを聴く、久しぶりに聴くモンク節が部屋に日々言いた。20代に購入したモンクのLPは一度聴き当分聴かなかったレコードとしての思い出があります。当時の筆者には余りにもレベルが高過ぎた様だ。

オーディオ機器の再会については、(HPD295)のユニット使用のTANNOY IIILZ in CabinetでJAZZ音楽は聴けるのであろうか?の疑問は筆者には実に興味ある問いで、石のアンプでも楽しめる様になったと言われるTANNOY IIILZでのJAZZ音楽の再生にも大変虚み深く良いと感じたアンプは欧州物はまず先ずであったが、今更ながらTANNOYには良いとされる石のアンプを色々投入した中のアンプも一番風変わりなビクターの業務用デジアンプも使ったが何故か納得できなく、紆余曲折あり現在の三極管の機器に至った。
勿論ユニットもIIILZ Monitor Goldユニットに変わり、AXIOM80の箱に乗り換えた、現在はTANNOYⅢLZ in GOODMAN AXIOM80 Cabinetに落ち着き、正直思うはTANNOYで聴くJAZZは或程度の低域のゾーンボリューム必要に感じるが、オリジナルのTANNOYⅢLZ だは低域不足で、現在の装置TANNOYⅢLZ in GOODMAN AXIOM80 Cabinetでは1960年代までのスイングジャズ系統は実に上手くスイングするがこれが限界の様にも思う。
米国の機器とは違い英国独自の味わいがある音質が特徴に感じる、今回紹介するセロニアス・モンク辺りの再現がこのシステムのはどな音での限度でもあろう。



先日あるブログより紹介があった市原ひかりさん、女性ジャズ・トランペット、フリューゲルホルン奏者として有名。最近の演奏家は良く知りませんが、以前「STARDUST」と言うアルバムがある、市原ひかりの三作目。前作『Sara Smile』と同じくニューヨークでの録音。サイドメンは最高の猛者ばかり,ジョージ・ムラーツ(b)、ビクター・ルイス(ds)ら名手を迎えこれが功を奏しておしゃれなできばえとなっている様に思える、スタンダード7曲と自作曲2曲に臨みます。

Thelonious Monkお得意のBlue Minor、Stardust、星に願いをと続くが我々高年齢層も懐かしいやら、JAZZの良さを味わえる選曲であった、聴きながらそう言えば何処か調子ハズレな特徴のある本物のモンク節が恋しくなる、セロニアス・モンクのBlue Minorとは随分違っている様に感じ、久し振りに真面目にモンクのピアノを聴こうと決断する。

若い頃、兎に角筆者が最初モンクを聴いいた時感じたことは難しいJAZZのように思え、何処か馴染みなく数年過ぎた時に何度も何度も聴くのが何故か独特のモンク節が懐かしく感じた、5 by Monk by 5のStraight, No Chaserを聴きやはりただ物ではないJAZZの巨人の様に思え奥の深さを感じた。
思えばマイルスもコルトレーンも言ってみれば弟子なんですからね・・・?



勿論Blue Minorは不世出のジャズ・ピアニスト、セロニアス・モンクの1959年発表のアルバム。ソロ・ピアノにおける神出鬼没でミステリアスなフレージングの数々が唯一無二の輝きを放っている。“天才”に触れることのできる一枚だ。セロニアス・モンクが定評のあるソロ・ピアノ集をサンフランシスコでレコーディング。サンフランシスコにツアーした際、地元のスタジオで吹き込んだソロ・ピアノ集。

セロニアス・モンク(英語: Thelonious Monk [θəˈloʊniəs ˈmʌŋk]、1917年10月10日 - 1982年2月17日)は、アメリカ・ノースカロライナ州生まれのジャズ・ピアニストで .セロニアス・モンクは、アメリカ・ノースカロライナ州生まれのジャズ・ピアニストである。即興演奏における独特のスタイルと、スタンダード・ナンバーの作曲で知られ、ビバップのパイオニアの一人と評されている。

モンクの死後、その音楽はジャズ評論家や聴衆によって再評価され、モンクはマイルス・デイヴィスやジョン・コルトレーンなどと並び、ジャズの巨人の一人に数えられている。他の追随を許さないカリスマ性を持った姿、孤高の姿に「バップのプリースト(高僧)」と呼ばれた。1940年~1960年代まで黄金期を迎えた”モダンジャズの時代”において、独特のタイム感とコード感、そして休符の目立つ旋律等で、新風を巻き起こした人物である。



1988年、クリント・イーストウッド製作総指揮による、モンクの生涯と音楽についてのドキュメンタリー映画『セロニアス・モンク  ストレート・ノー・チェイサー』が公開された。
代表曲には「ストレート・ノー・チェイサー(Straight No Chaser)」「ラウンド・ミッドナイト(’Round Midnight)」「ブルー・モンク(Bkue Monk)」などがある。

ジャズ界の伝説の巨人と言われた天才ピアニストであり作曲家モンクの作品。独特なメロディからはじまる、モンクらしさに溢れた楽曲です。タイトルは、バーボンやウイスキーなどをオーダーする時に『ストレートでくれ。チェイサー(ストレートのロックでオーダーするとついてくるお水)はいらないよ』という意味です。クリント・イーストウッド監督によるモンクのドキュメンタリー映画の題名にもなっています。



一般的には健康的に美味しいお酒をいただくにはチェイサーは必要不可欠です。
チェイサーはなぜ水なのですか?居酒屋やバーなどでお酒を注文すると一緒に提供されることがあるチェイサー。一般的に冷水がチェイサーとして提供されることが多いですが、実は冷水でなくても良いことをご存じでしょうか。なんとなく悪酔いを避けるためのものと知っていても、その役割や効果を正しく知っている方は少ないかもしれません。チェイサーの役割や、効果的な飲み方をご紹介します。チェイサーについて正しい知識を身につければ、お酒をより楽しく安全に楽しめるようになります。水などをチェイサーとして飲むことにより度数の強いお酒の代わりに胃を満たし、胃を早く満腹の状態にできます。 先述の通りチェイサーを飲んでいるから、アルコールをいくら飲んでも良いという訳ではありません。 チェイサーは補助的な役割なので、飲み過ぎには注意をしながら、適正範囲でお酒を楽しむことが大切です。

"Straight,No Chaser"はモンクのキャリアを代表する曲のひとつ。独特のメロディから始まるモンクらしさに溢れた曲です。筆者のお気に入りの説明は・・・
(B ♭調の12小節ブルース。 「ブルー・モンク」同様、メロディーに半音階を独創的に使用。1951年7月23日、ジーニアス・オブ・モダン・ミュージックのセッションで初めて録音され、[5]後に『マリガン・ミーツ・モンク』[60]、『5 by モンク・バイ・ファイブ』[6]、『ストレート・ノー・チェイサー』[54]、『モンクのブルース』[28]に収録されている。ライブバージョンは、イタリア、東京、イット・クラブ、ジャズ・ワークショップで録音されたアルバムに収録されている。 マイルス・デイヴィスはアルバム『マイルストーンズ』でこの曲をB ♭ではなくFで演奏するバージョンを録音した。この曲はモンクや他のアーティストによって何度も録音されており、モンクの曲の中で最も多くカバーされている曲の一つである。[95] この曲はサリー・スウィッシャーによって作詞され、1988年にカーメン・マクレーによってスタジオアルバム『Carmen Sings Monk』の一部として録音されました。著作権上の理由から、この曲は「Get It Straight」と改名されました。 音楽教育者のマーク・C・グリッドリーはモンクの作曲スタイルについて次のように書いている。「モンクはシンプルな作曲技法を用いて非常に独創的な成果を上げた。彼の『ストレート・ノー・チェイサー』は基本的に1つのアイデアを何度も繰り返し演奏し、そのたびに小節の異なる部分で異なるエンディングで演奏するだけである。」



セロニアス・モンク — 5 by Monk by 5リバーサイド・レコードのカタログからセロニアス・モンクの傑出したアルバム7枚のうちの1枚!ジャズ界を代表する鬼才ピアニスト、セロニアス・モンクがサド・ジョーンズを迎えて録音された1959年作
Thelonious Monk 「5 By Monk By 5」(1959)
 1.Jackie-ing
 2.Straight, No Chaser
 3.Played Twice (Take 3)
 4.I Mean You
 5.Ask Me Now

 アート・テイラー(Art Taylor)drums
 チャーリー・ラウズ(Charlie Rouse)tenor sax
 サム・ジョーンズ(Sam Jones)bass
 サド・ジョーンズ(Thad Jones)cornet
 セロニアス・モンク(Thelonious Monk)piano

「このLPは4〜50代にずいぶん繰り返して聴いたが、どれだけ聴いても聴き飽きしなかった。すべての音、すべてのフレーズの中に、絞っても絞っても絞りきれぬほどの滋養が染み込んでいた」と評した。
5バイ・モンク・バイ5はジャズ・ピアニストのセロニアス・モンクが1959年に発表したLPアルバム。30年後、1989年にCD化された。 5人で、モンクのオリジナル5曲を演奏している。 プロデューサーはオリン・キープニュースでリバーサイド・レコードから出た。 
レビュータイトルにある通り、セロニアス・モンクのアルバムだけど普通のハード・バップとしても聴けるアルバムです。しかし、モンク調ではあるので、そこは期待は裏切りません。



それでは、音楽も人物もユニークなジャズマンの代表はいったい誰でしょうか? 私は偉大なるピアニスト、セロニアス・モンクこそが一番その条件に当てはまるような気がします所謂モンク節なのである。

天才アルト・サックス奏者チャーリー・パーカーも「変わり者」コンテストなら断然トップでしょうが、彼のスタイルこそが「モダン・ジャズ」となってしまったため、あとから彼の演奏を振り返ると、その天才性は疑いようもありませんが、「聴いた感じ」はごく一般的なものとなっているのです。つまり「演奏の枠組み」としては、特段ユニークとはいえなくなっているのですね。もっともそのこと自体がじつに偉大なことだったのですが。

話をモンクに戻すと、まったくその逆だということがわかります。「モダン・ジャズ・ピアノ」の開祖バド・パウエルに音楽理論を教え、テナー・サックスの巨人ジョン・コルトレーンがスランプに陥ると適切な助言を行なう。それにもかかわらず、モンクのピアノ・スタイルは主流にはなりませんでした。じつに不思議です。いや、そうでもないかもしれません。理由はあります。つまり、あまりにも「個性的」だったのです。



“ラグタイム”というアメリカ独自の音楽(譜面あり)から始まったとされる「ジャズ・ピアノ」は、アート・テイタムなど“ビ・バップ”以前のピアニストたちによって次第に形を整えていきました。そしてバド・パウエルも、彼とはまったくスタイルの異なるオスカー・ピーターソンも、ともにテイタムの影響を受けているのです。つまり「ジャズ史的連続性」はちゃんとあるのですね。
同じことがモンクにもいえるのです。彼もまたアート・テイタムはじめ、偉大なビッグ・バンド・リーダーでもあるピアニスト、デューク・エリントンなど「モダン期以前のピアニストたち」の影響を強く受けていたのでした。、ある意味でモンクはスイング時代の巨匠たちのスタイルを「そのまま」うまい具合に自分の個性に結びつけることに成功したといえるのかもしれません。

じっくり楽しむ、ジャズの良さを知った時間でもあった、ブラボー!


伝統ある英国の10吋ユニットでDon MenzaのJAZZを聴く・・・

2024年03月26日 | JAZZ・ボサノヴァ

三月も終盤になり天候不順が続いている、此の時期は三寒四温とも言うが。先日は最悪に雪も降り筆者の住む千葉も雪が若干積もり、未だ冬用タイヤからの変更を躊躇している、体調が戻れば一度田舎に墓参りを考えているのだが、後少しで三月も終わってしまう・・・

初候3月5日〜3月9日頃を蟄虫啓戸(すごもりむしとをひらく)即ち啓蟄と言うが日本の季節は実に明確で春の花桜、菜の花が必ず咲くピンク色と黄色の色の色合いは誠に春らしい色である。1年を24の季節(節気)に分けた二十四節気は、四季よりももっと細かく季節の小さな変化を表しています。「啓蟄」は春分のひとつ手前の節気で、暦の上では春到来の直前と言えます。啓蟄の意味や時期、過ごし方を解説します。
土中で冬眠をしていた虫たちが、暖かい春の日差しの下に出てき始める頃。虫とはいいますが、冬眠から目覚め始めるすべての生き物のことを表しいるそうです。



先日図書館で何気なく本を見ていると面白い記事を見つけた。東京医科歯科大学の角田忠信教授がご自身の体験に基づき研究なさったそうですが、とても興味深い内容でしたので簡単にご紹介します。表題は脳内処理の仕方での日本人と外国人の違いについて 「なぜ日本人には虫の「声」が聞こえ、外国人には聞こえないのか』ってホント?調べた結果は日本人は自然の音を言語と同様に左脳で聴き、西洋人は雑音として右脳で聴いている為と言われる。

解説によりますと以下の様に解説されてます、角田教授がキューバの学会に参加された際、会場の周りで「虫の音」が蝉しぐれのように激しく聞こえているのに、他の方にはその「虫の音」が聞こえていないことに気づき、日本人の耳と、外国人の耳は違いがあるようだと考え研究をされたそうです。

 人間の脳は右脳と左脳とに分かれ、それぞれ得意分野があります。右脳は音楽脳とも呼ばれ、音楽や機械音、雑音を処理し、左脳は言語脳と呼ばれ、人間の話す声の理解など、論理的知的な処理を受け持ちます。
この機能は日本人も西洋人も一緒でありますが、虫の音をどちらの脳で聴くかという点で違いが見つかったそうです。
このような特徴は、世界でも日本人とポリネシア人だけに見られ、中国人や韓国人も西洋型を示すそうです。これは遺伝子が違うのかも知れない。
この「虫の音」を日本人が言語脳で処理し、西洋人は雑音として処理していることは、文化の違いによるものだそうです。

西洋人は、虫=害虫という認識があり、その鳴く音も雑音だと認識するが、日本人は、「虫の音」に聴き入る文化が子どものころから親しまれているので、「虫の音」を人の声と同様に言語脳で聞いているのではないかということです。
「虫の音」と同様に、日本人は言語と同様の左脳で聴き、西洋人は楽器や雑音と同じく右脳で聴いている音は他に「波」「風」「雨の音」「小川のせせらぎ」などがあるそうです。 日本人はよく情緒的といわれています。それは、自然の音を雑音として認識するのではなく、自然から発せられている言葉として認識してることからなのでしょうか。

以上の様な仮説がされていました、イタリア語、ポルトガル語、スペイン語は発音の面では日本語とよく似ていますが、母音主体であっても母音一つ一つが意味を待っている言葉ではありません。
日本語以外の言語では単一母音は有意語をほとんど持ちません。母音の二つ以上の組み合わせからなる有意語は更に日本語では豊富ですが他言語では非常に数が少ないです。また、すべての開音節では母音で終わることから、日本語における母音のウエイトがとても大きいことが分かっています。



The Beatles Abbey Road 「Sun King」

Beatles大好きな筆者は発売当時からビートルズのアルバム、アビーロードに収録されている「Sunking」のイントロに流れているのはコウロギの鳴き声ですかそれとも楽器による演奏かは定かではないが。。。西洋人には聴こえないと言われる虫の音を何故加えたのであろうか・・・・疑問でもある?

丁度此の頃のLP盤から擬似的なステレオ録音ではなく現在の様な演奏者の位置がわかるような録音になり音響テクノロジーも進歩した様だが、レコード会社により音質はさまざまであり、特に好んだレーベルはVerve Recordsの音質は良好で良いJAZZ演奏も優れていたと思う。



今日は未だ現役であるジャズ・サクソフォーン奏者で重鎮のドン・メンザ(Don Menza、1938年4月22日 - )のジャズを紹介します。アメリカ合衆国の編曲家、そして作曲家、 ドン・メンザは、ダイナミックで独特のサウンドとソロスタイルを持つ強力なテナーサックス奏者です。1936年にニューヨーク州バッファローで生まれたメンザは、13歳からテナーサックスを吹き始めた。除隊後はメイナード・ファーガソン楽団にソリスト兼編曲者として在籍した(1960~1962年)。ダイナミックで独特のサウンドとソロスタイルを持つ強力なテナーサックス奏者です。1936年にニューヨーク州バッファローで生まれたメンザは、13歳からテナーサックスを吹き始めた。除隊後はメイナード・ファーガソン楽団にソリスト兼編曲者として在籍した(1960~1962年)。現在ドン・メンザはバッファロー・ミュージックの殿堂入りを果した。今も立派な現役演奏者でもある事も凄い。



彼はカリフォルニアに定住し、エルビン・ジョーンズ(1969年)、ルイ・ベルソンとともに教育者として、またスタジオで働いてきました。ドン・メンザはあまりにも少ないレコードしか残していないが、ドイツの『サバ』(1965年)、『ディスクワッシャー』(1979年)、『リアルタイム』、そしてパロアルト(後者の2つは1981年)でリーダーとしてレコーディングを行った。ドンは、ジョニー・カーソンとともにトゥナイト・ショー・バンドの長年のメンバーでしたそうです。

今回の紹介する同様の叙情的な感覚がフランク・ストラッツェリの演奏にも吹き込まれています。そしてその伝統は、彼の絶妙な口調に特に際立っています。ストラッツェリのような温かく繊細なタッチを持ったピアニストはほとんどいません。歌手は皆、伴奏に優れた感性を持つピアニストだけと仕事をする喜びを知っています。この美しいバラードのアルバムを聴いた後、私はただこう言うしかありません。温かく、柔らかく、優しく、感動的です。それは歌います。



フランク・ストラッツェリ(Frank Strazzeri、1930年4月24日 - 2014年5月9日)は、アメリカのジャズ・ピアニスト。彼はニューヨーク州ロチェスターで生まれました。ストラッツェリは12歳でテナーサックスとクラリネットを始め、その後すぐにピアノに転向しました。彼はイーストマン音楽学校に通い、その後 1952 年にロチェスターのナイトクラブでハウス ピアニストとして就職しました。その間、ロイ エルドリッジやビリー ホリデイなどの訪問ミュージシャンに同行しました。
彼は 1954 年にニューオーリンズに拠点を移し、ディキシーランド ジャズの環境でシャーキー ボナーノやアル ハートと演奏しましたが、それ以降の彼の主な焦点はビバップです。彼は1957年から1958年にチャーリー・ベンチュラと、1959年にウディ・ハーマンと共演し、1960年にロサンゼルスに移住した。 そこで彼は西海岸ジャズシーンでスタジオミュージシャンとして幅広く活動し、ジョー・ウィリアムズ、メイナード・ファーガソン、レス・ブラウン、エルヴィスらとツアーを行った。プレスリー! (1971–74)。彼はまた、エルヴィス・プレスリーとも共演しました 。



Don Menza & Frank Strazzeri / Ballads


1987年当時LPでのみ発売されたものが初CD化されたアルバムで当に60年代を思わせるJAZZの音が聞ける!

スイング&バラード両方に長けたテナー・マンと流麗でチャーミングなフレーズが魅力のピアニストの吟醸デュオ作品です!
ドン・メンザのオリジナル。スインガー&バラード双方に長けたテナー・マンの異色作。

 1.Penthouse Serenade (Val Burton, Will Jason)
 2.My Foolish Heart (Ned Washington, Vicotr Young)
 3.You’re My Thrill (Jay Gorney, Sidney Clare)
 4.Over the Rainbow (Yip Harburg, Harold Arlen)
 5.Darn That Dream (Eddie DeLange, Jimmy van Heusen)
 6.Soultrane (Tadd Dameron)
 7.More than You Know (Billy Rose, Edward Eliscu, Vincent Youmans)
 8.It's You or No One (Jule Styne, Sammy Cahn)
 9.Guess I'll Hang My Tears out to Dry (Jule Styne, Sammy Cahn)
 10.Smoke Gets in Your Eyes (Otto Harbach, Jerome Kern)
 11.What's New (Johnny Burke, Bob Haggart)
 12.Blues in the Dark(Frank Strazzeri, Don Menza)
 
 Don Menza (ts)
 Frank Strazzeri (p)

 Recorded at Perpinya 
 Studio, Barcelona, March 29, 1987

メイナード・ファーガソン、スタン・ケントン、バディ・リッチなど数多くのオーケストラで腕を磨いたサックス奏者がドン・メンザです。このアルバムは盟友のピアニスト、フランク・ストラゼリとのデュオによるバラード集。
メンザもストラゼリもバラードの名手として知られるだけに、内容は極上の一言に尽きます。(4)や(10)などの超有名曲を筆頭に、溢れんばかりの歌心を披露します。
極め付けは評論家で作詞家としても知られるジーン・リースが、
“warm and soft and gentle and moving"と賞賛した至福のコラボレーションを、楽しみました。



先日補修した筆者のGOODMANS AXIOM 80の箱のバッフル面を修復させジャズ音楽を試聴するが、以前と比べ随分メリハリは良くなって様である、以前と比べ低域がボケることも無くしっかりトレースする様に変化した事は大変嬉しいことでもある。以前黒人が叩く乾いたスネアー等の太鼓の音の再生にはジムラン等の音の様には鳴らないがそれでも今回の様な何方かと言えば品の良い欧州の感じのジャズは実に味わい深い鳴り方をする、若い頃夢中になって聴いた当時のJAZZ音楽を聴くのが楽しくなった様でもある。

一番の音質が変化してた音は以前に比べ打楽器の音のキレは向上したが、所詮乾いたキレのある太鼓の音は欧州英国のユニットにはこれが限界の音の様に思う。一方弦を擦る音は正にTANNOYユニットの独壇場である。自宅で音楽を聴くのはお得意の音が聴けるソフトが多くなる様である。AXIOM 80の箱のバッフル面を補修して結果い何時もとと同じ音量で聴くが隣の部屋での低音の音量が若干増して様に思う、間違いなく音質は変化した様である。

最近のお好みは癖の少ないブレンドの淹れたての美味しい珈琲と共に頂きながら、筆者の好きなスコット・ハミルトン(ts)との共演の北村英治(ci)のアルバム「Vintage」エディ・ヒギンズ(p)と熟成したメンバーでコクのあるまろやかジャズは何時迄も聴き続けたいと思う音が鳴った。ブラボー!

1950年代のジャズサウンドはジャズ音楽の宝庫かも知れない、当時夢中で聴いたディズニー・ソングを聴き直してみた。

2024年03月13日 | JAZZ・ボサノヴァ

最近まで偶に雪が混じったり天候は落ち着かないが、筆者の庭のシクラメンも頑張って花を咲かせ続けている。
最近体調も戻り相変わらず1950年代のジャズサウンドを楽しんでいるが、やはり当時1950〜60年代のジャズはジャズ音楽の宝庫かも知れない、当時夢中で聴いたディズニー・ソング演奏者別で聴き直し楽しんでみた。



庭の桃の花も満開となり、春はそこまで近づいた様でもある。

最近の世の中は狂っているのであろうか?支那は衝撃的な崩壊が始まっている様である、勿論ロシアも無駄なウクライナ侵攻にやがてロシア崩壊を定位しているようである。一番根が深いのはイスラエル問題であろう。筆者も宗教問題は全く理解出来ないが米国もユダヤの富豪を忖度した痛ましい限りというほかない。

米国に目を移せば親中売電政策は愈々終末を迎えるようそうでもある、確かにこの前の大統領選は郵便による投票でトランプから一気に売電に票が移り現在の状況になってはいるが、、、一番だらしの無いのが日本政府の岸田自民であろう、先頭に立って自民を踏み潰しているのであろうか、疑問視する。

先の戦争の敗戦で憲法まで勝手にアメリカに変えられた日本、もう自分の主張をし新しい制度を改めも良い時代になったのであろうと思うが、基本を考えれば米国などは高々300年前後の国であり日本の歴史とは全く違い善悪は十分承知する国であり、より良い世界を示す提案を掲げるべき時期が来たと思うが・・・。



米国の次なる大統領はトランプになる公算が強い、勿論大東亜戦争以前は米国も随分まともな国であった、財界に物言うフォードイズムがありモノ作りの大切さを掲げ、大量生産し国民にも手軽にT型フォードが購入できる様な政策を行い、国民の生活レベルをアップする事を行なってきた、勿論国民の憩いのための映画、遊園地等ディズニーも貢献した。そして世界一豊かな国になったのだ。トランプ大統領になれば必ずパリ協定は脱退するのであろう、大賛成でもある。

その後製造過程を賃金の安価な国えの意向により稼ぎ幅を増大された米国ユダヤ人が出回るニューヨークにユダヤ人移民が昔から集まってきたのは、ユダヤ人コミュニティーが確立されていることと、経済的な機会によります。1900年のニューヨークには、世界最大のユダヤ人コミュニティーがありました。とりわけ古くからお金の教育がしっかり行われてきているのが、ユダヤ系欧米人。世界を見渡すと、ゴールドマン・サックスやロスチャイルドなど、世界経済に大きな影響力を持ってきた大富豪の多くはユダヤ人です。Facebook創業者のマーク・ザッカーバーグやGoogle創業者のラリー・ペイジ、スターバックス創業者のハワード・シュルツも、ユダヤ系アメリカ人です。



全てでは無いが、此の様な仕組みに美門を唱えれいるのがドナルド・ジョン・トランプであるが、誠に残念な事に亡くなった元安倍首相に変わる人物がいない事が誠に残念に思う、現在日本の悪の巣窟はマスゴミ(NHKは最悪であるが、民法もスポンサーに忖度、支那に忖度)の諸氏かもせれない。大変危機が迫っている状態であろう。
勿論日本も日露戦争でユダヤ人から借りた負債金額は昭和末期まで支払い続けた様であり、早い返済も交渉した様だが決して首は縦には振らなかったそうである。当社の約束は必ず守る掟があるのであろうか・・・?

気分転換に音楽でも聴き気分爽快にでもなり頭の切り替えは肝心でもあろう・・・?
上記の事柄でも話に出した実に馴染み強いディズニー・ソングを聴きましょう。



デイヴ・ブルーベック(Dave Brubeck )1920年12月6日米国カリフォルニア州コンコードの生まれ。ジャズ・ピアニスト。
現代音楽家のダリウス・ミヨーに師事した学究派。1951年にアルト奏者のポール・デスモンドを含むカルテットを結成。このバンドでカレッジ・コンサートを盛んに行ない、学生たちに支持された。変拍子ジャズの第一人者でもあり、同カルテットが1959年に放ったヒット曲「テイク・ファイヴ」は変拍子ジャズの代表曲としてあまりにも有名だ。代表作は前述曲を含むアルバム『タイム・アウト』。2012年12月5日、91歳で他界。

売り出し中の頃ザ・デイヴ・ブルーベック・カルテット(The Dave Brubeck Quartet)のデイヴ・ディグズ・ディズニー(DAVE DIGS DISNEY )このアルバムがレコーディングされた1957年当時、幼い子供を連れてツアーに出ていたデイヴ・ブルーベックは、クルマのなかでディズニーのレコードを繰り返し聴いていました。そのうちにコンサートのエンディングで「ハイ・ホー」を演奏するようになり、それまでになかったディズニーの楽曲ばかりを集めたアルバムの制作をしようと思ったといいます。
いまではディズニー・カヴァー集の名盤としてはもちろん、デイヴ・ブルーベックの別の意味での代表作としても有名です。

[収録曲]
DISC-1
 01.不思議の国のアリス
 02. 口笛吹いて
 03. ハイ・ホー
 04. 星に願いを
 05. いつか王子様が
 06. ワン・ソング
 07. 大変良い忠告
 08. これが恋かしら
DISC-2
 01.不思議の国のアリス(stereo version)
 02.口笛吹いて (stereo version)
 03.ハイ・ホー (stereo version)
 04.星に願いを (stereo version)
 05.いつか王子様が
 06.ワン・ソング (stereo version)
 07.大変良い忠告 (stereo version)
 08.これが恋かしら (stereo version)
 09.ハイ・ホー (stereo version)
 10.星に願いを 
 11.いつか王子様が
 12.これが恋かしら
 13.ワン・ソング (モノ・ヴァージョン)
[演奏]
 デイヴ・ブルーベック(p)
 ポール・デスモンド(as)
 ノーマン・ベイツ(b)
 ジョー・モレロ(ds)
[録音]
 1957年6月29日~8月29日

ディズニーのジャズ名盤としてずっと親しまれているデイヴ・ブルーベックの傑作。57年録音の本作はこれまでずっとモノラル音源が一般的に知られてきたが、《不思議の国のアリス/ハイ・ホー/いつか王子様が》など、ある意味、アナログから地デジ放送に変わったような鮮明さを体感しているようだ。

これも1957年に発表されたディズニーの名曲の数々を奏でたブルーベックの名盤が、まるでライヴを聴いているかのような臨場感をもった音楽史上ディズニーのカヴァー・アルバムをつくったのはデイヴ・ブルーベックが初であり、ジャンルをこえて世界中のファンに聴き継がれている20世紀の名盤がまた新たな魅力をもって甦ります。

筆者のお気にいれはいつか王子様が(Someday My Prince Will Come)この歌が映画のなかで最初に出てくるのは57分56秒のところで、そこでは、白雪姫が歓迎パーティーの席で小人たちから芸をせがまれて、ある若者(実は他国の王子)へのほのかな思いを歌っている。こののち、白雪姫がパイを作っている時、および、王子が白雪姫を連れて行く最後のシーンでも演奏される。



上記の写真はTANNOY Rectangular York(幅597x高さ1066x奥行368mm)の裏蓋を外した写真である、此の写真を見て思い付いた事がある・・・写真のエンクロージャー(箱)の真ん中辺りに算木があり筆者が思うにこれは強度をつけるための補給材料では無かろうかと推察する、Rectangular Yorkと比べ現在使用する筆者のGOODMANS AXIOM 80(幅510x高さ990x奥行330mm)と粗よく似た寸法である、若干厳密には低音が若干だがダブ付き気味の傾向が変わるかも知れない、補強材を追加検討の余地はありそうでもある。

勿論オーディオ機材については考えも及ばない箇所があり、同じユニットでもTANNOY社が作る箱とアメリカタンノイの箱では随分違い、音質も多分違う表現をするのであろう、此の様な簡単な補強で音が変化するかは疑問であるが、問題は一度確かめなければ判らない事と思うので暇を見つけ一度試そう、この辺りがオーディオの不可思議の箇所でもあろう一段と引き締まった低音の再現がされるのかも知れないと思わず期待してしまうのである。

兎も角一度実験で試みるつもりである、オリジナルTANNOY Rectangular Yorkの中身を見て思い付いた次第でもある、



次はマイルスの中期の作品で、当時の奥様である女優フランシス・テイラーがジャケットになっている人気盤。

こちらも名作と言えば名作・・・、と思うんです・・・。 やっぱり帝王らしい演奏は何度も聴くがお見事である・・・妙にマイルスお得意のミートのペット音がヤケに心に染みる此のアルバムでのピアノのエバンスも絶妙である。ジョン・コルトレーンがヨーロッパ・ツアーに帯同はしたものの、やっぱり退団しました。そしてその翌年、このアルバムは録音されました。
なんだかコルトレーンとマイルスはあんなに素晴らしいレコーディングをしてきたのに、コルトレーンがマイルス・バンドを辞めたがって、二人の関係ってけっこう悪くなったのかな?なんて心配に・・・いや、二人は仲良しであってほしいと思いました。

こんなにチャーミングなマイルスが、かつてアルバムに収められたことがあっただろうか。ディズニー・アニメ『白雪姫』の人気曲「いつか王子様が」を筆頭に、どこまでもメロディアスなサウンドが繰り広げられる人気盤。名ピアニスト=ウィントン・ケリーの好助演はもちろんのこと、ジョン・コルトレーンとマイルスの最後の共演を収めた作品としても計り知れない価値がある。ジャケット写真には当時のマイルス夫人が登場にも話題でした。

Someday My Prince Will Comeマイルスデイヴィス 1966年作。
■収録曲 
 1. SOMEDAY MY PRINCE WILL COME
 2. OLD FOLKS
 3. PFRANCING 
 4 DRAD - DOG
 5. TEO
 6. I THOUGHT ABOUT YOU
■パーソネル
 1958年5月26日
  マイルス・デイビス(tpt)
  キャノンボール・アダレイ(as)
  ジョン・コルトレーン(ts)
  ビル・エヴァンス(p)
  ポール・チェンバース(b)
  ジミー・コブ(dr)
 1961年3月7日、20日
  マイルス・デイビス(tpt)
  ハンク・モブレー(ts)
  ジョン・コルトレーン(ts)
  ウィントン・ケリー(p)
  ポール・チェンバース(b)
  ジミー・コブ(dr)

『Someday My Prince Will Come』(邦題『サムデイ・マイ・プリンス・ウィル・カム』)を生み出したセッションがようやく復元され、この時期のマイルス・デイビスのバンドの性格の変遷が以前より明らかになった。解説によると「」ハンク・モブリーはブルース寄りのみごとなテナー・ソロを生み出している。しかし、ゲストのジョン・コルトレーン(これがデイビスとの最後のレコーディング)による別バージョンのタイトル曲やモーダルな「Teo」(邦題「テオ」)を聴くと、デイビスが不満だった理由がよくわかる。
コルトレーンは当時のほかのサックス奏者が持ち得なかった自信と虚勢を持って演奏しており、最初の音からバンドを高揚させている。さらにフィリー・ジョー・ジョーンズが加わって「Blues No.2」(邦題「ブルースNo.2」)で明瞭で変化に富んだ演奏を聴かせると、マイルス・グループの調子が今ひとつであるのがわかるだろう。それでもウィントン・ケリーの演奏は終始落ち着いている。「Pfrancing」(邦題「プフランシング」)はデイビスの最高にチャーミングで息の長い作品のひとつだし、「Old Folks」(邦題「オールド・フォークス」)と「I Thought About You」(邦題「アイ・ソート・アバウト・ユー」)のミュートトランペットは円熟の域に達している。」
デイビスの必須アルバムではないが、筆者には大変楽しめる可愛らしいアルバムではある。



真打登場か・・・?ジャズ・ピアノ・トリオ史上における世紀の大名盤とも言える、ビル・エヴァンス・トリオ『Portrait In Jazz』の紹介である。
スコット・ラファロ、ポール・モチアンとの黄金のトリオによる初のスタジオ録音作品としても名高いが、やはり一度は聴いてください。
 Portrait in Jazz
 1 降っても晴れても Come Rain or Come Shine 
 2 枯葉 (テイク1 / ステレオ) Autumn Leaves (Take 1 / Stereo) 
 3 枯葉 (テイク2 / モノラル) Autumn Leaves (Take 2 / Mono) 
 4 ウィッチクラフト Witchcraft 
 5 ホエン・アイ・フォール・イン・ラヴ When I Fall in Love 
 6 ペリズ・スコープ Peri's Scope 
 7 恋とは何でしょう? What Is This Thing Called Love? 
 8 スプリング・イズ・ヒア Spring Is Here 
 9 いつか王子様が Someday My Prince Will Come 
 10 ブルー・イン・グリーン (テイク3 / ステレオ) Blue in Green (Take 3 / Stereo) 
 11 ブルー・イン・グリーン (テイク2 / モノラル) Blue in Green (Take 2 / Mono)

 録音年:1959.12.28
 録音場所:ニューヨークにて録音
 パーソネル:
  スコット・ラファロ(b)
  ポール・モチアン(ds)
  ビル・エヴァンス(p)

ビル・エヴァンスが天才ベーシスト、スコット・ラファロと出会った最初の記録。ピアノ・トリオが織りなすスリルと緊張感に満ちたインタープレイが凄い。史上名高い<枯葉>を収録した歴史に残る大傑作でもある。
此の様な聴き方も実に面白い方法とも思えますしジャズ音楽の時代が最も栄えた時代だからこそ面白く興味ある音楽が楽しめます。ブラボ=!

意外と身近な処にジャズであった、ポール・ホワイトマン(Paul Whiteman)とジョージ・ガーシュウィン(George Gershwin)奇妙な関係を紐解く

2024年03月09日 | JAZZ・ボサノヴァ


最近の天候は三寒四温が続き春は未だ先の様ですが、庭には可愛らしい春の花、江戸の古典園芸を代表する花が開花した。「福寿草(フクジュソウ)」が咲き始めています二つの開花をみつけたり、別名元日草(ガンジツソウ)という別名もあり、鉢植えにしてお正月の飾り花に使われる。昭和初期ごろまでは併用して旧暦が使われていた名残でもあろう。現在の暦は先の大戦(大東亜戦争)以降である。

さて本日は今から紹介する音楽を聴いてジャズ派かクラシック派か何方であろうか考えてみませんか?



今は知らない方も多いと思うが、米国ポール・ホワイトマン(1890~1967)Paul Whitemanと言うポピュラー指揮者であり元・ABC放送音楽監督、名曲が誕生する背景はさまざまだが、有名な曲におよそガーシュウィンの「ラプソディ・イン・ブルー」ほど、奇妙な話もないだろう。

調べると1924年頃の1月3日深夜、ガーシュウィンはビリヤードに興じていた。いっしょにいた兄アイラ・ガーシュインがたまたま新聞を見たところ、ポール・ホワイトマンがエオリアン・ホールで「現代音楽の実験」と題するコンサートを開くことが予告されていた。コンサートの曲目にはアーヴィング・バーリンやヴィクター・ハーバートらの作品に交じって、「現在作曲中のジョージ・ガーシュウィンのジャズ・コンチェルト」が含まれていると書かれていた。

全く寝耳に水のガーシュウィンは、翌日あわててホワイトマンに電話をかけた。ホワイトマンは本気だった。公演日は2月12日。時間がない。ガーシュウィンは急遽、新作に取り組まなければならなくなった。作曲者本人の手紙によれば、「ラプソディ・イン・ブルー」の曲想が生まれたのはボストン行きの汽車の中。リズミカルな機械音に刺激されて、突如として曲の構想が最初から最後まで思い浮かび、楽譜としてすら見えたという。つまり、この曲は隠れた鉄道名曲でもあるわけだ。
また途中に膨大な長いピアノソロも話題となった曲でもあり、ピアノソロはまるでジャズピアニストのアレンジによる即興だとも言われるが定かでは無い様である、当社初めてレコードを吹き込み時には当時EPレコードの為ピアノソロが相当カットされたと解説書には記してあるが真相は不明である。
此の様に歴史を見ると米国は白人社会に生成され250年程しか歴史は無い若い国である事がわかる、この辺りは日本とも事情が違う歴史背景が感じられる。



当初、曲は「アメリカン・ラプソディ」と題されていたが、アイラの発案で「ラプソディ・イン・ブルー」と改められることになった。これもクラリネットのグリッサンドに負けないくらい、曲の人気に貢献したはずだ。「アメリカン・ラプソディ」ではいかにも散文的で味気ない。「ラプソディ・イン・ブルー」のほうがずっと気が利いている。

アフリカから来た黒人の音階が憂いでその後何処となくブルーでブルースと呼ばれ、この音階をブルーノート・スケールという音階が出来ジャズやブルースに使われたと言われる、出だしから始まるクラリネットのリズムこそ正しくブルーノート・スケールが使われているのです。
ラプソディ・イン・ブルーを聴き素敵な演奏と思われる方はジャズ音楽がお好きな方であったのかも知れませんね!



レナード・バーンスタイン は、ユダヤ系アメリカ人の指揮者、作曲家であり、ピアニストとしても知られている。
ジャズとクラシックを行き来した作曲家といえばジョージ・ガーシュウィンがまず最初に出てきます。TVドラマやCMでもお馴染みの「ラプソディ・イン・ブルー」で彼のオーケストラ編曲を手助けしたのはジャズ・バンド・アレンジャーをしえていたグローフェでした。ジャンルの垣根を越えたクロス・オーバーの先駆ともいえる彼らのポピュラーな名曲を、これまたジャンルの横断を得意としていたバーンスタインの華麗な演奏は何度も聴きたい曲でもある。
JAZZの名匠ベニー・グッドマンと共演した自作「プレリュード、フーガとリフ」もボーナストラックとして収録しています。

ガーシュウィン:ラプソディ・イン・ブルー他
【曲目】
ガーシュウィン:
 1. ラプソディ・イン・ブルー
 2. パリのアメリカ人
 3. グローフェ: 組曲「グランド・キャニオン」
 4. バーンスタイン: プレリュード、フーガとリフ
【演奏】
 レナード・バーンスタイン(指揮)
 ベニー・グッドマン(クラリネット)(4)
 コロンビア交響楽団(1)
 ニューヨーク・フィルハーモニック(2,3)
 コロンビア・ジャズ・コンボ(4)
【録音】



作詞者:アイラ・ガーシュウィン作曲者:ジョージ・ガーシュウィン兄弟として有名である。
アイラ・ガーシュウィン(Ira Gershwin)
子供の頃から読書家で文芸趣味があり、一方で父親が買い与えたピアノには興味を示さなかったことから、このピアノは弟ジョージの音楽的才能を伸ばすことになった。学生時代には学生新聞などで執筆活動に取り組んだ。



ジョージ・ガーシュウィンGeorge Gershwin
初めてクラシック音楽に触れたのは、小学生のときに聴いたドヴォルザークの「ユーモレスク」だったとされる。父親はジョージが12歳の時、兄のアイラに音楽を学ばせようとピアノを買ってやったが、文学肌のアイラがピアノを弾かなかったため、代わってジョージがこれに親しむことになり、13歳の時から正式にピアノを習い始め、また、ヘンリー・カウエルに和声を習うようになった。しかし、少年期はいわゆる不良少年であり、女性関係も派手で、交際した女性を妊娠させたりといった騒動もあった。一方で黒人などの有色人種を差別しなかった。

アフリカ系アメリカ人キャストによるアフリカ系アメリカ人の生活を描いた歌劇『ポーギーとベス』を書いているように、アフリカン・アメリカン・ミュージックに造詣が深く、それが他のミュージカル作家たちとは異なる特徴になっています。また、ガーシュウィンはオーケストラ作品も手がけていますが、ジャズのサウンドを取り入れた「ラプソディ・イン・ブルー」はとくによく知られている一曲ですね。



筆者の好きなハンプトン・ホーズ(ピアノ)も『ザ・トリオ vol.1』を制作している事も有名である。粘りのある独特なタッチで、生き生きとした躍動感とダイナミズムあふれる彼のピアノは明るく、とても楽しい。モダン・ピアノの醍醐味を披露するピアノ・トリオの名盤とも思うが・・・スインギーで明るい躍動感あふれるピアノ。「恋とは何だろう」「ソー・イン・ラブ」などスタンダードの佳曲がりザクザクと盛り沢山でもある。
ジャズマンはみんなこの曲をリズム・チェンジとしてしか使わないというわけではありません、ハンプトン・ホーズはちゃんと「アイ・ガット・リズム」とタイトルを付けてそのメロディを演奏しています。
ハンプトン・ホーズ (Hampton Hawe)の名で知られるハンプトン・バーネット・ホーズ・ジュニア は、アフリカ系アメリカ人のジャズ・ピアニスト。ビバップやハード・バップのジャンルで活躍し、1950年代において最も優れた、また、影響力のあったピアニストの一人。

ハンプトン・ホーズ・トリオ Vol.1
 1.アイ・ガット・リズム (MONO)
 2.恋とは何でしょう
 3.ブルース・ザ・モスト 
 4.ソー・イン・ラヴ
 5.フィーリン・ファイン 
 6.ハンプス・ブルース
 7.イージー・リヴィング 
 8.オール・ザ・シングス・ユー・アー
 9.ジーズ・フーリッシュ・シングス
 10.キャリオカ
演奏
 ハンプトン・ホーズ(ピアノ)、
 レッド・ミッチェル(ベース)、
 チャック・トンプソン(ドラムス)
録音:1955年6月28日

ブルース弾きの名人、ハンプトン・ホーズのご機嫌なピアノが楽しめる彼のベスト・アルバムです。左手のコード・ワークが太いサウンドと独特の心地よい乗り(リズム感)を作り出し、中音域を中心とした右手のサウンドと合わさって、ホーズ独特のブルース・サウンドを醸成しています。



これぞジャズ界の巨匠、オスカ-ピ-タ-ソンの名演です!コール・ポーターの名曲をピーターソン弾きまくってくれる。最高に楽しめます!
音源は、1959年のアナログのマスター・テープだそうです。筆者の記憶によればLP盤と比べCD盤では若干レイ・ブラウンの低域(Bass)がやや強調されたような感じがしますが視聴には程よくベースのノリが大変良く感じます。
曲と演奏はピーターソンらしさ十分楽しめゴキゲンです勿論リラックスして楽しめるピアノトリオは最高です。一人の作曲家の作品を纏めて演奏してくれるのは有り難いですね。音質の良いピ-タ-ソンは数多くあるが、音楽が優れた作品としては上位に挙げられる作品でもあります。

オスカーピーターソンにはばりばり弾きまくるイメージがあると思うが、本番前の練習時には彼の周りは汗の飛んだ飛沫で床が濡れた話は有名であり、時にがんばりすぎる、のりすぎる、と思われているところもあるだろう。しかし同時に、誰かのバックに回ったときの素晴らしさも知られているところで、私は後ろに廻ったピーターソンをとても気に入っている。とても人を引き立てるのがうまいと思う。多くの有名なジャズのバックバンドには定評があります。

「Oscar Peterson Plays the George Gershwin Songbook」
編成が異なるトリオで吹き込んだ2枚のガーシュウィン作品集をカップリング。名旋律を題材に流麗なピーターソン節を楽しめる。

 1.It Ain't Necessarily So  2.The Man I Love 
 3.Love Walked In        4.I Was Doing All Right 
 5.A Foggy Day                     6.Oh, Lady, Be Good! 
 7.Love Is Here To Stay        8.They All Laughed 
 9.Let's Call The Whole Thing Off 
 10.Summertime      11.Nice Work If You Can Get It 
    12.Shall We Dance?           13.The Man I Love 
   14.Fascinating Rhythm       15.It Ain't Necessarily So 
   16.Somebody Loves Me     17.Strike Up The Band 
   18.I've Got A Crush On You 
   19.I Was Doing All Right      20.S Wonderful 
   21.Oh, Lady, Be Good! 
   22.I Got Rhythm 
   23.A Foggy Day                    24.Love Walked In

作詞者:アイラ・ガーシュウィン作曲者:ジョージ・ガーシュウィンの作品を編成が異なるトリオで吹き込んだガーシュウィン作品集は聴き心地が良い。流石と思わせる名旋律を題材に流麗なピーターソン節を楽しめる。
<パーソネル>
(1)-(12):オスカー・ピーターソン(p) レイ・ブラウン(b) エド・シグペン(ds)
1959年7月21日~8月1日、シカゴにて録音
(13)-(24):オスカー・ピーターソン(p) バーニー・ケッセル(g) レイ・ブラウン(b)
1959年11月~12月、ロサンジェルスにて録音

勿論上記にて紹介したハンプトン・ホーズ のピアノ演奏もアメリカの代表曲を巨匠ピアニストの豊かな感性で展開する価値の高い一枚である、戦後アメリカの良かった時代を彷彿させる本品は、年配音楽ファンだけでなく、すべての音楽ファンにお勧め。



前々から思うが、色々改良を施した筆者持参のTANNOYⅢLZ in GOODMAN AXIOM80Cabinetの低音の響きが冴えるピーターソン演奏もレーベルは勿論ヴァーヴ・レコードで、1956年にノーマン・グランツにより設立されたアメリカのジャズレコード会社の音と実によくマッチングしている様に思う、レイ・ブラウンの奏でるウットベースの響きは据え置き型のエンクロージャーでしか味わえない響きに釘付けである、この音には何か大人の魅力さえ感じる。

またオスカー・ピーターソン演奏の22.「アイ・ガット・リズム(I Got Rhythm)」上記の曲に比べれば知名度は少し下とも思うが・・、ジャズ・ファンならこの曲を絶対に、それも何度も色々な形で「間接的に」聴いているはずです。ガーシュウィン作品集にブラボー!