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伝統ある英国のTANNOY IIILZで聴く、音楽の父J.S.バッハ音楽を知る喜び・・・

音楽好きのIIILZ Monitor Goldユニットの箱を改良して楽しむダメオヤジ金ちゃんです。

10吋TANNOYIIILZ Monitor Goldユニットで1960年代の熱かったJAZZ音楽の考察。

2025年04月20日 | JAZZ・ボサノヴァ

IIILZ Monitor Goldユニットの表面及び裏面に渋柿液を丁寧に塗りたし、しっかり乾かし試しに聴くが実に音質が若やいだ様に感じる確かに以前のメンテナンスではユニット裏面までは柿渋液は塗布しなかった、しかし今回は丁寧に塗ったが効果は大であった、解像度も良くなり音の繋がりがより自然に感じる。

勿論先日TANNOY ⅢLZ in GOODMAN AXIOM80 CabinetのスピーカーケーブルをWesternElectric 銅単線ツイスト ビンテージケーブルをダブルにしたケーブルにロジウムメッキのバナナプラグ 純銅製品に交換して試聴したが、現在使用するQED(キューイーディー)と比べ音質はキレが良くなり、何故かリズム感が増した様に感じる、そこはTANNOY製品のためか、乾いた音は決して聞こえないのだが、ある程度のJAZZの再生には好都合の場合の可能性があるのではないのだろうか?と思いケーブル効果も同時に早速視聴を開始する。



早速ケーブルの取り付け部分を清掃して交換すると同時に、実は古いLPレコードを見つけたのである。デイブ・パイクデイヴ・パイク(Dave Pike、1938年3月23日 - 2015年10月3日)独学でビブラフォンを学んだデイブ・パイクは、当時偉大なミルト・ジャクソンが率いたビブラフォン音楽の刷新を目指した60年代のミュージシャンの一人でした。



デイブ・パイクは1938年ミシガン州デトロイト生まれ。61年ハービー・マンのグループに加入、特にラテン系のレパートリーに本領を発揮、新進バイビスととして注目を浴びた。同年11月録音の本作はパイク2作目のリーダー作。此処ではビル・エバンスの参加が興味を引くが、パイクとの音楽性の違いかサイドメンとして、可もなく不可もないプレイに終始している。リーダーのパイクはラテンの"BESAME MUCHO","VIERD BLUES","IN A SENTIMENTAL MOOD"などで豊かな音楽性を発揮したプレイを展開している。



"Pike's Peak"
収録曲:
 1.ホワイ・ノット Why Not
          Written-By – D.Pike
 2.イン・ア・センチメンタル・ムード In A Sentimental Mood
                   Written-By – Ellington, Mills, M.Kurtz
 3.バイアード・ブルース Vierd Blues
             Written-By – M.Davis
 4.ベサメ・ムーチョ Besame Mucho
           Written-By – C. Velasquez
 5.ワイルド・イズ・ザ・ウィンド Wild Is The Wind
                 Written-By – D.Tiomkin, Ned Washington

メンバー:
  Vibraphone – Dave Pike(デイヴ・パイク)
  Bass – Herbie Lewis(ハービー・ルイス)
  Drums – Walter Perkins(ウォルター・パーキンス)
  Piano – Bill Evans(ビル・エヴァンス)

 Liner Notes – Ira Gitler
 Photography By [Cover Photo] – Pete Turner 
 Producer – Mike Berniker

このアルバムは制作は1961年と紹介されていますが、視聴する限りはトランジェットも相当塩梅良く、リアルに聴こえる確かにJAZZにはこのスピーカーケーブルとの相性は良くヴァイブの響きも大変リアルである。



ヴァイブ奏者デイブ・パイク(Dave Pike)の1962年作。名ピアニストビル・エバンスを迎えたことからモダン・ジャズ・ファンからも注目を集める人気盤と言える。ストレート・アヘッドなスタイルで、カル・ジェイダーとはひと味違うヴィブラフォン・ジャズ!涼しげなヴァイブと流麗なピアノの音色が心地良いリズムとスピード感で展開されているクールなヴィブラフォンジャズ・アルバムです。ヴァイブとピアノのアンサンブルが美しい名作である。

1962年録音。ピアノでビル・エヴァンスが参加した、ヴィブラフォン奏者デイブ・パイク(Dave Pike)の渾身の一作。録音年:1961年11月1日と記載されていた。



特に筆者が今も好きな「イン・ア・センチメンタル・ムード」In a sentimental moodは、デューク・エリントンによる有名ジャズ・ナンバーで、様々な演奏者が取り上げてきました。ヴィブラフォンの奏者によるこのような演奏もなかなか魅力的だと思うのですが、インストルメンタルでは、何と言っても、エリントンのピアノとジョン・コルトレーンのテナー・サックスで演奏されたもの。抒情性が際立っている。
デューク・エリントン作曲の名バラードです。デューク・エリントンとジョン・コルトレーンの名演も残されていますね。素晴らしい1曲を仕上げる素晴らしいピアノの教則DVDです。初級者の視点から出発して、いろいろなセッションでの対応できるように、スコット・ヒューストンのプレイベート・レッスンを受けているような感じです。お気に入りの曲を自分のものにできます。スコット・ヒューストンは、大人気TVシリーズ、スコット“ピアノ・ガイ”ヒューストンとして、何百もの仕事をしてきたピアニストです。さまざまなスタイルを素晴らしい音楽性とウィットにとんだプレイが魅力です。



デューク・エリントンが1935年に作曲した曲で歌詞はマニー・カーツ。
ジャズの名曲であり、ほとんどのジャズ歌手が歌っているといってもいいくらいでポピュラーな曲であり、その中でも、エラ・フィッツジェラルドの歌が最もよく曲想を伝えている。

In a sentimental mood
I can see the stars come through my room
While your loving attitude
Is like a flame that lights the gloom
On the wings of every kiss
Drifts a melody so strange and sweet
In this sentimental bliss
You make my paradise complete
Rose petals seem to fall
It’s all I could dream to call you mine
My heart’s a lighter thing
Since you made this night a thing divine
In a sentimental mood
I’m within a world so heavenly
For I never dreamt that you’d be loving sentimental me



エラ・フィッツジェラルドが、 そのデューク・エリントンのプロジェクト『Ella Fitzgerald Sings The Duke Ellington Songbook』に取りかかったのは、1週間前に『The Rogers and Hart Songbook』を完成させたばかりの時だったそうだ。ロサンゼルスのキャピトル・スタジオで行われたレコーディング・セッションのハイライトのひとつが「In A Sentimental Mood」だ。と言われているそうです。

この様「In A Sentimental Mood」1曲のエリントンの曲にもいろいろな解釈があり実に意味深い、やはりエリントンは偉大なる哲人であろう。この様な曲の数々は今思えば大変懐かしいJAZZでもあり最近メンテナンスが終了しGOODMAN AXIOM80の箱に入れある程度低域も充実した10吋TANNOY ⅢLZのユニットで改めて聴きこの程度のJAZZなら十分に対応できると思った次第でもあります。

当時夢中でこのアルバムを聴いた時期は1967~8年の頃と思います。当時は断然JAZZを聴く割合が多く徐々に深みにハマっていった頃の様です。ブラボー!

初めてBEATLESを聴いたのは1963年17歳の時、衝撃のWITH THE BEATLESのLPレコードだった、今回はBEATLESを検証する

2025年04月03日 | JAZZ・ボサノヴァ

筆者の記憶に残る当時17歳(高校2年生)の頃夢中で聴いた1963年発売のビートルズ第2弾、このアルバムからアメリカでの快進撃が始まりました。『ミート・ザ・ビートルズ(Meet The Beatles!)』は、かなりショッキングなアルバムで高校生の頃友人たちと毎日聴いていたアルバムでもありました。
本来ならば前作から僅か8ヶ月、1963年リリースのセカンドアルバム【WITH THE BEATLES】の筈ですが、何故かアメリカデビュー盤キャピトルレコード1964年リリース【MEET THE BEATLES】のマッチングスコアです。

今思えばこの英国のBeatlesグループの音楽によりスクラップアンドビルドと音楽業界がなった訳で、一番影響を受けたのはJAZZが衰退して行った事の様であろう。ポップスと言う分野が新しく生まれたのだった!



後で知るが、収録曲が若干違います、共通する曲目は4〜12まで、デビューアルバムよりも作曲能力・歌唱能力ともに実力が増している、更にこの 頃から録音機材も4トラックになっている(シングルの1.3.、他は未だ2トラック今と比べればオモチャですが工夫でここまで出来る)。このアルバムからアメリカでの快進撃が始まりますが、キャピトル編集のアルバムに本人達は憤慨していたこれは実質Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Bandまで続く。

勿論当時オーディオ等とはかけ離れた装置で簡便なプレイヤーに5級スーパーラジオを改造して頂き現在のパワーアンプの様に増幅し簡単な箱に入れた6吋ほどのフルレンジのスピーカー1個でモノーラルで夢中で米軍放送(AFN(エイエフエヌ、英: American Forces Network、アメリカ軍放送網をアメリカ軍が海外に駐留または配属されている人々に提供している政府のテレビ・ラジオ放送)を夢中でポップス、ジャズを雑音と一緒に聴いた記憶がある。これが筆者にとってはオーディオ的な物に関わった始まりであろう。確かに装置より音楽に興味は強かった思いがある様です。



余談ですが【WITH THE BEATLES】との収録曲の違いは以下に、(【MEET THE BEATLES】の1・2・3が減って7・8・10・12・14が増えた)これらの内7・10・12・14は【THE CAPITOL ALBUMS VOLUME 1】に掲載されている。
 1. IT WON’T BE LONG
 2. ALL I’VE GOT TO DO
 3. ALL MY LOVING
 4. DON’T BOTHER ME
 5. LITTLE CHILD
 6. TILL THERE WAS YOU
 7. PLEASE MISTER POSTMAN
 8. ROLL OVER BEETHOVEN
 9. HOLD ME TIGHT
 10. YOU REALLY GOT A HOLD ON ME
 11. I WANNA BE YOUR MAN
 12. DEVIL IN HER HEART
 13. NOT A SE

 <日本盤のみ>
 日本盤LP帯デザイン(通称国旗帯)の意匠をモチーフにした帯付
 英文解説翻訳付
 歌詞対訳付
このアルバムは多分レコード傷が多くあるが多分実家に未だ残してある記憶はあるのだが確かめてはいない。

母国イギリスではすでに”ビートルマニア”の熱狂が最高潮に達していたが、その熱はアメリカにも波及しつつあった。その興奮が、この日をきっかけにアメリカをはじめとする世界各国で一気に爆発したのである。かくしてブリティッシュ・インヴェイジョンは始まったのだった。

素晴らしいの一言につきますね。1日中聴いていても、常に新鮮に聴こえます。
今も好きではあるが、当時からこの曲の演奏はとても好きで良く歌っていた記憶があります。
なお、ポールが歌う「Till There Was You」はカバーだったのですね。この美しい曲はポールの作詞作曲かと最近まで信じきっていました。

ティル・ゼア・ウォズ・ユー(Till There Was You)
  Gibson J-160E(John)
  Höfner Bass (Paul)
  Classical guitar(George)
  Bongo (Ringo)
6曲目に収録されたミディアムスローナンバー。ポールの甘い声とビートルズのアコースティックサウンドが心地よい名曲である。
元々は1957年のブロードウェイミュージカル「Music Man」の為に書かれた曲で、その後様々なアーティストにカバーされているが、ビートルズは1961年にペギー・リーがリリースした物を参考にカバーしている。
ビートルズはデビュー前からこの曲をレパートリーにしており、ハンブルグでのステージや、デッカでのオーディションの際にもこの曲を演奏している。
ポールの音楽性の幅広さが、この曲を選ぶことからも伺える。
この曲はまず1963年7月18日に、アビイ・ロード第2スタジオにて録音された。
3テイクだけ録音して、そのうちの2テイクが完全に演奏できた物だったが
出来映えが気に入らずに後日やり直しに。(この時はエレキ編成だったらしい)
1963年7月30日のセッションで再度リメイク開始。
「この曲にドラムスは合わない」という判断の下、リンゴがボンゴを叩く事にして、
何度かテイクを重ね、先日の1テイク目から勘定して、8テイク目が最終バージョンに選ばれた。



ビートルズの「Till There Was You」は、1957年のブロードウェイミュージカル「The Music Man」のためにメレディス・ウィルソンによって書かれた曲です。

ビートルズはこの曲を1963年にカバーし、彼らのアルバム「WITH THE BEATLES」に収録しました。ポール・マッカートニーの甘いボーカルとアコースティックなサウンドが特徴的で、ビートルズがブロードウェイの曲をカバーした唯一の例となっています。この曲は、ビートルズの繊細さと音楽的多様性を示す素晴らしい例であり、ファンにとっては彼らのレパートリーの中でも特別な位置を占めていますネットで調べますと何と楽譜を見つけました。

イントロ進行表を見つけました!

F
F#dim
Gm7
C7
F
F#dim
Gm7
C7
Aメロ
F

F#dim

Gm7

Bbm7

F
Am7 Abm7
Gm7
C7
F

Gm7
C7
F

F#dim

Gm7

Bbm7

F
Am7 Abm7
Gm7
C7
F

F7

サビ
Bb

Bbm

Am7

D7

Gm
GmM7
G7

C7

Caug

エンディング
C
B
C

F

Db7(9)

F

Fmaj7






これはジャズの曲なので、コードもジャズのスタンダードな進行。イントロの F - F#dim(元はD7-9でしょう)- Gm7 - C7 はFのキーにおける Imaj - VI7 - IIm7 - V7 となることから、俗にイチロクニーゴーと呼ばれます。ジャズの曲では定番中の定番です。

Aメロでは途中Bbm7を挟みますが、これがとてもおしゃれ。IVmはサブドミナントマイナーと呼ばれ、柔らかい響きが特徴ですが、J-POPなどでよく見られるようなベタな使い方と違い、非常にさりげない配置。その後に出てくるAm7-Abm7の半音下降も含めて、使われ方が絶妙です。

BメロはBb(IVmaj)からスタート。ポイントはGm7 - (GmM7) - G7 - C7でしょうか。普通ならGmM7のあとはGm7に行くのがほとんどですが、ここでG7をもってくることで、明るさを保っています。ラストのCaugはこの曲でも印象的な一発。
ちなみにライブではBメロの同じ場所が Gm7 - GmM7 - Gm7 / G7 - C7 となっており、Gm7を一回挟む感じになっている模様。ライブ盤は演奏も結構違うので、一番下に別枠で書いてます。
ちなみにライブではBメロの同じ場所が Gm7 - GmM7 - Gm7 / G7 - C7 となっており、Gm7を一回挟む感じになっている模様。ライブ盤は演奏も結構違うので、一番下に別枠で書いてます。





基本は分散和音ですが、弾いたり弾かなかったり。アドリブというよりはこう弾くと決めて弾いているような感じを受けますが、実際にバンドでやる際には暇が多すぎるので、薄くコードを弾いておいても良いと思います。ページの一番下にあるライブ版をコピーするのもおすすめ。


Am7 - Abm7 - Gm7 の箇所はジョージが上からかぶせて弾いているようにも聞こえますが、原曲では2本ともガットで良く聞き取れません。
ポジショニングはライブ映像で確認済み。おそらくこれで間違いないでしょう。
出だしは普通の単音ですが、3〜4小節目からコードが混じります。ここは譜面にないですがスタッカートがかかってます。その後の10fのセーハのようなところは、右手をダウンで弾きながら、左手指を引いた順番に先っぽから浮かせていくと、音が1音ずつ切れて良い感じになります。
半音下降のところもスタッカート気味。コードなので流しっぱなしになりがちですが、ピッキングと同時に常にコードを切っていくようにします。
その後のGb7はかなりフォームがきついので、どうしても指が届かなければ6弦2fを削ってしまうのも一手。



エンディング用に半音移動のにくいコード進行が付いています。伴奏もそれに合わせた細やかなオブリに。コード進行的にはFの後のDb7(9)が絶妙。上の譜面ではGb7になってますが、これは間違い。
ここはあまりリズムに正確にやるよりも、少しもったり気味に弾くと良い感じになります。
コードバッキング
普通のセーハをして押さえるバレーコードではなく、ジャズの手法にならって、下のような形のコードを使うとそれらしくなります。書いてませんが、半音下降のAm7-Abm7もGm7のフォームをずらして弾いています。



バッキングをしっかり聞いてみると、随所に出てくるC7をC7(9)に、サビ前などに出てくるF7をF7(9)として弾いているようです。



F#dimは1〜4弦を押さえるタイプのものを使い、3フレットずらしても同じコードになるディミニッシュの特性を生かして、下のような動きをしている場所があります。



主にAメロの1段目、3段目ですが、やったりやらなかったりなので、完全にアドリブで入れている模様。
全体的には8ビートのシンプルなストロークで適当にコードを弾いているだけですが、そもそもの進行が難しいので、練習しないときついかもしれません。上のコード表を参考にする場合、開放弦をミュートして4本だけしか鳴らしていないようなコードが多いので、不要弦のミュートがこれまた難しいです。
この様な解説を見ればリズム練習次第では弾ける様になりそうです。70歳の手習いのつもりでギターを弾いてみようと思いますが・・・!
またビートルズ音楽の楽しみは色々あり如何にも今風にアレンジを試みた演奏も行われたいる様でもある。良い音楽は永遠の様でもある。



当時のシングルレコードの曲では、ザ・ビートルズ「I Want To Hold Your Hand (抱きしめたい)」が人気絶大で合った・・・
1964年の全米を手中に収めた一曲であり一世代を代表するヒット曲を生み出した直後である。次のシングルの制作にあたって萎縮してしまう者もいるだろう。しかしながらザ・ビートルズはそこで奮起したのである。当時、彼らの評判は急激に高まっていた。そしてジョン・レノンとポール・マッカートニーは、”ビートルマニア”が一大現象となってからは初めてとなるヒット・シングルの作曲に着手した ―― その楽曲こそが「I Want To Hold Your Hand」だったのだ。
二人はセントラル・ロンドンのウィンポール・ストリート57番地でこの作品を作り始めた。そこは、マッカートニーの新たな恋人だった女優のジェーン・アッシャーの家族が暮らす家だった。マッカートニーはその家の屋根裏にある独立型のアパートに移り住み、地下にあるアッシャーの母の音楽室を自由に活用していたのである。また、彼らの初期のヒット曲にはめずらしいことではなかったがこの曲はレノンとマッカートニーが完全に共同作業で作り上げた楽曲だった。

でも当時から筆者好みは未だに聴くTill There Was Youのアルバムですが、色々探し楽譜を見つけた次第でもあるが、自分のギターでサビの部分でも爪弾いて見たくなりました。今も大好きなビートルズのアルバムの数々です。ブラボー!


古いアルバムのPeterson Trioを再聴する、1959年から1960年時代で変化したOscar Peterson Trioの歩みを考察

2025年02月26日 | JAZZ・ボサノヴァ

これは1960年代今となっては希望に満ちた米国ニューヨークの摩天楼であった。日本も1964年オリンピック開催も決まり高度経済成長した時代でもある、勿論此の頃話題は3C時代の始まりで、テレビはカラーテレビ化が始まりオリンピックをカラーテレビで観戦しましょうと賑わせた時代であった。

その様な事を思いながら過ごすが、思いもよらないニュースが入る「叔父が創設したUSAIDは軍産複合体によって乗っ取られた、とロバートケネディジュニアが語る真実の物語なのである。保健福祉長官に任命されたロバート・F・ケネディ・ジュニア氏が、叔父のJFKが創設したUSAIDが軍産複合体に乗っ取られたことにより、「全体主義の邪悪なプロパガンダ機関」になってしまったことを語った」と言い出したが詳しく分かるまでUSAIDの事実が明らかになるのであろう!
現在NHKの報道ではUSAIDでの収賄はデマと言っているそうでが、此のニュースが明らかになればNHK崩壊に繋がるのが見ものでもある!

途中のニュースで驚いたが話は戻します。1960年CBSスタジオでのライブ スコット・ヤノウによるレビュー1959 年に大量の音楽を録音した後、オスカー・ピーターソン・トリオは1960 年にスタジオ アルバムを 1 枚 (The Music from Fiorello) 制作しただけで、1961 年 7 月 28 日まで再び記録されることはありませんでした。
この 1997 年の CD には、カナダ放送協会向けに録音され、数十年後まで商業的にリリースされなかった 10 曲が収録されています。ピアニストのピーターソン、ベーシストのレイブラウン 、ドラマーのエド・シグぺンは、いつものように激しくスイングし、OP が主役です。予想どおり優れたプログラムのハイライトには、ピーターソンの「Blues for Big Scotia」、「My Heart Stood Still」、「How About You」、「Cookin' at the Continental」、「Dancing on the Ceiling」などがあります。このタイトなトリオは、一貫性がなければ無敵でした。



おかしいなあと思いつづけて聴いていたいた筆者にも、少し納得できたのが、シェイクスピアフェスティバルのオスカー・ピーターソン・トリオだった。
此のアルバムだけ聴けば・・・うん、これはさすがに凄いと納得するのですが!
けれど音がずいぶん悪いなあ?当然のように現在のトリオと楽器の設定が違っている、正直このシェイクスピアフェスティバルのオスカーピーターソン購入後余り聴いてなかった。当時は音楽より音質重視の方向性が強かったです。

所が現在の愛機TANNOY ⅢLZ in GOODMAN AXIOM80 Cabinetのセットで聴くかぎりギターのハーブ・エリス音が実に光る、哀愁を感じるのである。ギタートリオ時代と、エド・シグペンのドラム入りトリオ時代の違いを。



確かに昔読んだ五味康祐の作品に「人間の死にざま」と言う本がある内容の2/3は愛の音楽と称し「西方の音」が書かれている。しかしその内容には・・・
(モーツアルト弦楽四重奏曲K590の文中に五味氏がタンノイのフォンテーン氏に会うのに英国に飛んだが、心臓発作でフォンテーン爺さまは倒れ面会謝絶のため、スピーカー製作工程でも見せて貰おうとロンドンに飛んだ、実見してその工場のチャチなのに二の句がつげなかった。裏町の町工場もいいところだ。銘機と讃えられたスピーカーがこんなむさい場所で造られるのか。もっとも、英国デッカ本社を十年前訪れた時、その規模の小さい事に唖然とした経験がある。天下のデッカが、ヴィントガッセン、ニルソン、フィッシャー・ディスカウと言った一流どころを揃えウィーン・フィルを使ったあの「指輪」を制作する程のレコード会社が、実はハイヤーの運転手にさえ知られぬ小っぽけな建物だったのに比べれば、たかがオーディオ部品のメーカーである、汚い工場でr不思議はない。二の句がつでなんだのは中で働く連中を見たからである。その半数は黒人だった。ちっとも構はしないが、彼女らは下品だった、まるで娼婦が足を洗って工場に勤めるといった、それも自堕落な性分は改まらず、卑猥なお喋りを絶え間なく続けながら、スピーカーの生命と言うべきコイルを巻き、ナットを締めている。兎に角僕らが隋喜しゅ芸術的な・・・教養ある、とも以前に私な言った・・・気品高い音を出すスピーカーを拵える人達とは、どうしても見えない。)
と書かれていたのだった。



との様に思い出を語った五味氏の内容だが、当時から日本の工場での製品管理された工場とは比べ物にもならないと感じた、想像するにその様に価値のある物を製造していると思わず仕事をしてのであろう。その製品は紛れもなくフォンテーン爺さまが考えたヴィンテージ製品でったのであろう。その工場で作られたユニットを今も伝説的なオーディオ神話に犯されたファン達はその品々後生大事に取り扱い、まるで宝物の様にしているが、此のユニットを作った人達はまるでその様な事は夢にも思いもよらなかったであろう。

日本人は昔より三種の神器なる皇位とともに歴代の天皇に伝わる宝物で、鏡と剣、曲玉があります。 剣と曲玉は合わせて「剣璽と呼ばれ、天皇の位と一体のものとされ、皇室経済法が定める「皇位とともに伝わるべき由緒ある物」と位置づけられています。此の様に物を大切する思い昔ながらあった風習である。

それこそエンクロージャーにも丁重に取り扱い、気がついた時にワックスで磨き、いい音で鳴れと祈れば軈て神が宿るかもしれない(笑)。



いや日本人特有の物にも魂があると言う昔からの教えの一つの考え方であろう、アインシュタイン博士以降の今後人類が考える量子物理学分野(私たちの体をはじめ、すべての物質は原子から成り立っている。 「量子」とは、原子やそれを形作る電子、陽子、中性子、さらに小さなニュートリノやクォークなど、私たちの暮らす世界とは異なる法則が働く粒子のこと。 その法則は「量子力学」と呼ばれ、物理学の中でもとりわけ難しい分野とされる)の世界が所謂訳の分からない世界の様に思う、基本的に考えれば一番にスタート地点にいるのは日本人が一番近い世界に近づいている人種の様にも感じるのである。自然崇拝をし、物にも魂を宿すとする教えを持つ世界的に見ても数少ない人種でもある。
此の時代1960年当時は、確かにjazzにはジムランの8吋(LE8T)との相性が良いと今も言われるが、ハーブ・エリスのギタートリオ時代の音楽(jazz)の違いは定評あるジムランでしか味わえないのである、特にドラムが加わり乾いたスネアー、タムタムの音はジムランユニットが圧倒する迫力である。

今回五味先生の本の中にある言葉で音楽を聴くと様々な思い入れが広がるが、筆者が思う勿論それはjazz音楽もTANNOY ⅢLZユニットで視聴がより優れているのかの疑問が解けた瞬間でもありました。一般的には音質に疑問のある「シェークピア・フェスティバルのオスカー・ピーターソン」はギターがハーブ・エリスに代わり、ピーターソンのギタートリオ時代の最高傑作と名高い作品と言うことがやっと理解した瞬間でもあった。
シェークピア・フェスティバルは文字通り演劇を中心にシェークスピアに関連する催しをする、毎年イギリスとカナダで行われているフェスらしい。最初、僕はシェークスピアとピーターソンが何の関係があるのかわからず、単にカナダ出身で成功を収めたミュージシャンの凱旋帰国演奏ぐらいに思っていたが、今回調べてみて上記のような関係があることがわかった。



購入当時の感想はまず、音が非常に悪すぎると感じたが。それは録音された時代を考えるといたしかたないことではあるが。だがハーブ・エリスのあの安物のようなギターが聞こえてきたとたん、思わず驚いてしまった。さらにピーターソンのミーミー言ううなり声も耐えられるものではなかった。以来このアルバムは余り聴くことはなく、オーディオ機器も現在より数段落ちた機器の事もあった。ピーターソンの目指したジャズの面白さを理解できなかったのかもしれない。今さら言うまでもないが、三人の圧倒的テクニックには脱帽するしかない。技量にまかせて乱暴に弾きとばすことはなく、イマジネーション豊かなソロを聴かせるのもかれらの音楽性の高さを証明している。ピーターソン・ファンならずとも、ジャズ・ライヴの代表的アルバムとして、持っていて損はない。たまにじっくりきけば「名盤」の名に恥じない味わいが楽しめる一枚であろう。



オスカー・ピーターソンは1925年(大正14年)に、前述したようにカナダのモントリオールで生まれました。世代的には26年生まれのトランペッター、マイルス・デイヴィスやテナー・サックス奏者ジョン・コルトレーンとほぼ同世代です。しかしカナダ生まれということと、〝ビ・バップ〟以前のピアノ奏法も取り入れた独自の演奏スタイルゆえ、合衆国の黒人ジャズマンたちとは微妙に違う道を歩むこととなりました。
なんといっても大きな出来事はヴァーヴ・レーベルのオーナー・プロデューサー、ノーマン・グランツとの出会いでしょう。
グランツは、JATP(ジャズ・アット・ザ・フィルハーモニック)という大物ジャズマンを多数擁した連続コンサートの企画者として有名ですが、彼がカナダを訪れた際、ピーターソンを見いだしたのです。いっぺんでピーターソンの才能に魅了されたグランツは、ピーターソンをJATPのメンバーに引き入れます。〝ビ・バップ〟真っ盛りの49年のことでした。



その後グランツは自身のプロデュースするレーベル(マーキュリー、クレフなど。のちにヴァーヴに統合)でピーターソンのレコーディングを大量に行なっているだけでなく、ピーターソンの個人マネジャー的な立場となり、長きにわたる親密な関係が続くこととなったのです。
実力あってのこととはいえ、アメリカ・ジャズ界に取り立てて人脈がなかったピーターソンにとって、これは大きなチャンスでした。
オスカー・ピーターソンとノーマン・グランツはある時期まで一蓮托生の関係にあって、カナダ出身のピーターソンをアメリカに紹介したのも、彼のデビュー・アルバムをプロデュースして自分のレーベル、クレフから発売したのも、その後のマネジメントを一手に引き受けたのもグランツである。
ピーターソンが1949年9月にニューヨークのカーネギー・ホールで開催されたJ.A.T.P.コンサートに出演してアメリカの聴衆に初めてプレイを聴かせたのは、ベーシストのレイ・ブラウンとのデュオ演奏だった。ドラムレスの演奏となったのは、アサインされていたバディ・リッチが共演を拒否したからである。すでに別のセッションで演奏していたリッチは、「疲れた」という理由で無名のピアニストのバックに入ることを嫌がったのである。
しかしその結果、ピーターソンとレイ・ブラウンの相性のよさがたいへんわかりやすい形で示されることになり、ピーターソンのデビュー・アルバム『テンダリー』(1950年)の12曲中9曲はブラウンとのデュオで録音されることになった。以後1966年まで、17年の長きにわたってブラウンはピーターソンのグループで演奏を続けた。今日オスカー・ピーターソンの名盤、人気盤とされているアルバムのほとんどがこの17年間の中にすっぽり収まる。250枚はあると言われているピーターソンのリーダー作ならびに参加作中、最も高い人気を誇る『ウィ・ゲット・リクエスツ』(日本では『プリーズ・リクエスト』というタイトルで発売された)は、ピーターソンとブラウンの長いタッグの最後期の記録であると記された。



ハーブ・エリス(Herb Ellis 出生名:Mitchell Herbert "Herb" Ellis 1921年8月4日~2010年3月28日)はアメリカ合衆国テキサス州生まれの白人ジャズ・ギタリスト。
CDは制作がユニバーサル・クラシック&ジャズ、発売・販売元がユニバーサル・ミュージック株式会社、レス・カーター(Les Carter)氏による英語オリジナル・ライナーノーツ、小川隆夫氏と星野秋男氏による日本語解説、6曲入り。
(メンバーはギターがハーブ・エリス、オルガンがロン・フェイアー、テナーサックスがテディ・エドワーズ、ベースがモンティ・バドウィッグ、ドラムがスタン・リービーヴィー)
演奏はハード・バップではない、ジャズから解放されブルース、カントリー、ポップス風のハーブ・エリスが、やりたかったサウンド。ちなみにジャケットのハーブ・エリスが持っているギターは「Gibson 91' ES-165 HE VS」ハーブ・エリス・モデルの様だそうです。



レイ・ブラウン(Ray Brown:1926〜2002)
レイ・ブラウン(Ray Brown)はアメリカ・ペンシルバニア州出身のジャズベーシストです。スインギーなリズムや太い音色など、ジャズベースの王道的なスタイルを持つプレーヤーです。1926年10月13日ペンシルバニア州ピッツバーグで生まれます。8歳の頃からピアノのレッスンを受け始め、高校ではトロンボーンを手にしますが、学校のジャズオーケストラのベースパートに欠員が出てウッドベースに転向します。高校時代のレイはデューク・エリントン楽団のベーシスト、ジミー・ブラントンをアイドルとしてベースの研鑽に励み、次第にピッツバーグのジャズシーンで注目の存在となっていきます。



オスカー・ピーターソン・トリオにサックスのスタン・ゲッツが加わったカルテットでの演奏。このころはまだドラムのエド・シグペンがトリオに加入しておらず、ギターのハーブ・エリスとオスカー・ピーターソン、レイ・ブラウンのトリオでした。
1951年、ディージー・ガレスピーバンドのリズムセクションを担当していたブラフォンのミルト・ジャクソン、ピアノのジョン・ルイス、ドラムのケニー・クラークとともにミルト・ジャクソン・カルテットを結成します。翌年にはバンド名をモダン・ジャズ。カルテットと改名し、アルバム「The Modern Jazz Quartet」のレコーディングを行います。レイはこの後すぐにバンドを離れますが、MJQの相性で知られるこのバンドは、メンバー変更等や活動休止を繰り返しながら90年代まで活動します。MJQ加入と同じ頃、レイはピアニスト、オスカー・ピーターソンのトリオにも参加します。1966年まで在籍したこのトリオは、レイの活動の中でも最もよく知られており、特にドラマーのエド・シグペンが加入(これ以前はピアノ・ベース・ギターのトリオで活動)してからのレコーディングには、には名盤と呼ばれている作品が多数あります。



シェークスピア・フェスティヴァルのオスカー・ピーターソン

 1. Falling In Love With Love 恋に恋して
 2.How About You ハウ・アバウト・ユー
 3.Flamingo フラミンゴ
 4.Swinging On A Star スウィンギング・オン・ア・スター
 5.Noreen's Nocturne ノリーンズ・ノクターン
 6.Gypsy In My Soul ジプシー・イン・マイ・ソウル
 7.How High The Moon ハウ・ハイ・ザ・ムーン
 8.Love You Madly ラヴ・ユー・マッドリー
 9.52nd Street Theme 52丁目のテーマ
演奏:
  オスカー・ピーターソン(P)
  レイ・ブラウン(b)
  ハーブ・エリス(g)

Oscar Peterson Trio オスカー・ピーターソン・トリオ
ピアニスト/作曲家のオスカー・ピーターソンが率いたジャズ・コンボ。1951年からの初期メンバーはレイ・ブラウン(b)とアービング・アシュビー(g)。58年までにギターがバーニー・ケッセル、ハーブ・エリスと代わり、翌年よりギターに代わってドラムスのエド・シグペンが参加。この黄金期メンバーはしばしば“ザ・トリオ”と呼ばれる。
オスカー・ピーターソンは、カナダ、ケベック州モントリオール出身のジャズ・ピアニスト。 スイング期の流れを汲む奏法にモダンな和声感覚を取り入れたスタイルで、ジャズ界きっての超絶技巧を誇り、ダイナミックかつ流麗な即興演奏で知られる。強靭なタッチと明快な演奏が身上。ベーゼンドルファー製のピアノを好むシェークスピア・フェスティヴァルの演奏もハーブ・エリスとのやり取りは実に絶妙で此の基盤があってドラムが加わり黄金期に変化した。



オスカー・ピーターソン・トリオ: ライヴ・アット CBC スタジオ、1960 スタンダード・エディション CD バージョン。流石CBC スタジオでの録音の良さ60年代初頭の作品ではあるが、演奏も充実し今後のピーターソン・トリオの新しい幕開けに相応しいさ品でもある。
この特別版は、2006 年 12 月 14 日にカナダの Just A Memory からリリースされました。このアルバムは、ジャズ、コンテンポラリー ジャズ、スウィング、バップのジャンルにわたります。



Live at Cbc Studios (1960)

 1. 心は止まった My Heart Stood Still
 2. ビッグスコシアのブルー Blues For Big Scotia
 3. 秋の紅葉 Autumn Leaves
 4. スウィートジョージアブラウン
 5. あなたはどうですか Sweet Georgia Brown
 6. ナッツはたっぷりある I Got Plenty O' Nothin'
 7. コンチネンタルでの料理 Cookin' At The Continental
 8. 何時だったか分からなかった I Didn't Know What Time It Was
 9. 愛あれ Let There Be Love
 10. 天井で踊る Dancing On The Ceiling
演奏:
  Bass –Ray Brown
  Drums –Ed Thigpen
  Piano –Oscar Peterson

一年で変更した所謂黄金トリオとしてのオスカー・ピーターソン・トリオ: ライヴ・アット CBC スタジオ、1960 スタンダード・エディション CD バージョンである。
この特別版は、2006 年 12 月 14 日にカナダの Just A Memory からリリースされました。このアルバムは、ジャズ、コンテンポラリー ジャズ、スウィング、バップのジャンルにわたります。
いずれにしても此のメンバーがPeterson Trioのベストメンバーでレコーディングももっとも多い安定したメンバーでもある。ブラボー!


筆者の好きなJAZZピアノ奏者、銀盤の皇帝と異名をとるOscar PetersonのSongbooksを検証する。

2025年01月22日 | JAZZ・ボサノヴァ


昔から言われる名言に「ジャズに名演はあるが、名曲はない」という、ジャズ・ファンにはよく知られた格言があります。これはアドリブこそがジャズの最大の魅力であるということを強調して表わしている部分であって、けっして楽曲の魅力を否定したものではありません。ジャズでも名曲は存在しますし名曲のアレンジはジャズはもっと面白くなるのです。

最近言われるジャズは死んだのか?という疑問は、もう60〜70年代からずっと繰り返されてきた事に控えめに言っても「ほぼ死んでいる」という評価が妥当なのだと思います、ジャズがアメリカ国内で大衆の人気を失っていったのは60年代から、ロックやポップスの台頭からです。ボブ・ディラン、ビートルズ、モータウンなどなどがリスナーをジャズから奪っていきました。

(個人的にも筆者好みのジャズは50〜60年代で粗終了して現在ジャズ系統の音楽はその年代を聴く事が多い)60年代以降は、ジャズミュージシャンがジャズを捨て、リスナーの好みに合わせた演奏スタイルを選択してしまった時代ということなのでしょう。トドメを刺したのはミュージシャン本人だったということ、その時期にルイ・アームストロング(’71)やデューク・エリントン(’74)などの偉人が亡くなっていくということも象徴的です。確かに当時は薬の影響も多く、より若手の名演奏者が早死にして行った事も。

逆にジャズ音楽の効能は、ジャズを聴くとどんな効果があるのだろうか・・?
ジャズには、「Swing Feel(スイングフィール)」という速い曲調でも遅く感じるという特性があります。 ジャズ音楽を聴くと、この特性によって穏やかでゆっくりとした時間の流れを感じられ、よりリラックス空間を作り出すことができ、曲自体はアップテンポで流れるため、まったりしすぎず適度な緊張感も与えてくれ、ジャズ音楽は特に脳に良い影響を与えることが知られています。
これが脳の創造性を刺激し、ストレスを軽減する効果があります。 リラックスと創造性が促進されることが示されています。 また、ジャズは記憶力や言語能力の向上にも寄与し、脳の可塑性を高める効果があるとされています。ジャズ音楽は、スウィングフィールと呼ばれるテンポが速い曲でも遅く感じるという独特のリズム感をもち、適度なリラックス効果をもたらします。 この特性によって、心身を穏やかでリラックスした状態に導き、ストレスを軽減するのであるそうです。
「ジャズ」好きもまた自己評価が高く、クリエイティブさに長けているといえます。 外交的であり、親しみやすい性格なので自然と人に囲まれていることも多いです。此の様に考えれば死んだジャズ音楽も一部の世代の間では浸しまれ、楽しんで頂ける音楽の分野でもあります。と言われるそうです。



久しぶり電線病になった・・・以前購入したWesternElectric 銅単線ツイスト ビンテージケーブル太さは被覆込みの外径で1.3mmで柔軟性が高く、単線があり錫めっきの銅単線にビニル樹脂絶縁体の上に更に白と黒の綿繊維素材の絶縁体で被覆されて物であり意外と音質が良く重宝したが現在のスピーカーケーブルに変え長く使用を続けてが、何故か銅単線ツイストのキレの良い音にダブルで使えば如何であろうと思い、早速以前購入したケーブルの予備があるので慎重に計測すれば4本分ケーブルがあり早速ダブルケーブルでの仕様を試みる。

メーカー:Western Electric(ウェスタンエレクトリック)
材質:芯線 錫めっき銅(単線) / 被覆 ビニル樹脂+綿繊維
被覆込外径:1.3mm
芯線外径:0.65mm
形状:ツイストペアケーブル(単線2本撚り対線)

勿論ケーブルは良く清掃し接続部品も予備の金具を使い製作した。2時間程で出来上がり早速視聴する、現在使用するQED Profile79Strandと同等いやむしろJAZZ音楽にはWEケーブルが力強さがあり、良い塩梅にも思うのでこのまま暫く使用する事にした、単線で使うより何と低域が程よく鳴る様にも思うが如何であろう。
確かにJAZZを聴くのには、このケーブルを使うと生っぽいと低域の感じはある意味、デフォルメされた音に騙されているんだろうとも案じる。それは此のケーブルを使いスピーカーで音楽を聴く時に限ってのことでもある。
暫く使わなければエージングの効果もなく直ぐの評価はできないであろうが、今回使用のものは以前使用してケーブルの利用で済んだので或程度馴染めば本領発揮するであろう。この WE銅単線ツイストケーブルは意外と安価な事とケーブルが細い為なるべく短く使う事が良い結果につながる様です。



先ずは筆者が最近ジャズを聴かない、しばらく聴いてないのである、何故かと問えば答えは簡単で聴きたい演奏者が限られる様である、ジャズも基本的にピアノトリオ演奏でスイングジャズ系統の演奏を聴く事が多いから、益々聴く範囲が狭まっている状態である様に思う、先ずはLUXMANのA3500に火を入れ準備する、真空管での聴き良さはなんと言いっても演奏者の奥行きを感じることで、ピアノの後ろ側にベースとドラムが並ばなければならない。とは言え以前から思うが音楽再生に一番音を再現が難しいと言えるは音質の奥行感であろう、一般にトランジスターアンプでの再現は此の奥行き感の再現が難しい様でもあるその辺りの再現は真空管が良いと思っている。しかし此のアンプも相当古く火屋(真空管)は新しい物に交換するが、全体のオーバーホールを考えなければならない時期に来ている様にも感じる次第です。

確かに300Bの真空管に比べ若干ではあるがA3500の若干300Bに比べ低域の音が引き締まった様に感じ使うが当時(1960年代)のJAZZ音楽を楽しむには真空管アンプは譲れない、尚多少の力が欲しいのでA3500プッシュプルのパワーアンプに換えています。但し思うは現在TANNOY IIILZのユニットをGOODMANS AXIOM 80の箱に移植して聴くがオリジナルのTANNOY IIILZではPeterson trioのピアノは低域不足で楽しめないのであろう、此の低域の音を知ってしまえば他に移れないのかもしれない。美味しい珈琲に心地よいスイングジャズは極楽の時間でもある。



The Jazz Legendのオスカー・ピーターソン / Oscar Peterson1970年代末、ウィーンで行われたコンサートでピーターソンは、プロデューサーのノーマン・グランツに、「ちくしょう、ノーマン、このピアノは何処まで行こうっていうんだ? 俺もこんな楽器を手に入れなきゃ!」と呼びかけました。この瞬間、ベーゼンドルファーピアノとの深い友情が芽生えたのです。ピーターソンは個人的に選んだベーゼンドルファーコンサートグランド290インペリアルに特別な思いを持っていただけでなく、ウィーン・ムジークフェラインの黄金ホールで、ベーゼンドルファーの創立175周年を記念して開かれた『ウィーンの夕べ』でも演奏しました。

イグナツ・ベーゼンドルファー(1794 - 1859)イグナツは1794年、腕の良い家具職人だったヤコブ・ベーゼンドルファーと妻マルタの息子として、ウィーンに生まれました。19歳の時、当時最も有名なピアノ製作技術者の一人だったヨゼフ・ブロッドマン(1763−1848)に弟子入りします。若いイグナツは大変な才能に恵まれていたようで、1815年には既に、ウィーン美術アカデミーから表彰されています。ブロットマンの下で貴重な知識と技術を身にたイグナツは1828年、65歳で引退したブロットマンから事業を譲り受けます。
1838年ウィーン:若き作曲家であり、アーティストだったフランツ・リストの激しい演奏に耐えられるピアノは多くないというのは有名な話でした。友人に勧められたリストは、ウィーンで予定されていたコンサートで、ベーゼンドルファーのグランドを演奏しようと決めます。ベーゼンドルファーのピアノが頑丈に作られ、品質も高かったため、リストは、自身驚いたのですが、
ベーゼンドルファーは一夜にして名声を築き、続くコンサートでもベーゼンドルファーが使用されました。これを機に、リストとベーゼンドルファーの間に親交が生まれます。



オスカー・ピーターソンとレイ・ブラウン
トリオといっても、3人が同時に演奏する場面はほとんどなく、ブラウンがバッキングをする際にはペデルセンがプレイをやめ、ペデルセンがソロをとるところではブラウンは弦に触れない。だから、このライブ盤はほぼピアノとベースのデュオ作であるとも言える。ピーターソンのデビュー作はベースとのデュオ・アルバムであり、それをプロデュースしたのはノーマン・グランツであった。それから27年の時を経て、再びグランツ・プロデュースによって原点に返った作品。それが『オスカー・ピーターソン・アンド・ザ・ベーシスツ』であった。

戦後の日本人が最初に生演奏に触れたモダン・ジャズのピアニストは、オスカー・ピーターソンであった。J.A.T.P.のメンバーとしてピーターソンが来日したのは1953年11月、日本の占領期が終わっておよそ半年後のことである。
ジャズ・プロデュサーのノーマン・グランツが、名の知られたジャズ・ミュージシャンを集めてセッション・コンサートを開催したのは1944年だった。ロサンゼルスのフィルハーモニック・オーディトリアムが会場であったことから、そのイベントはJ.A.T.P.(ジャズ・アット・ザ・フィルハーモニック)と名づけられた。以後、J.A.T.P.のコンサートは出演メンバーを変えながら断続的に行われ、海外にも巡業するようになった。日本公演もそのような巡業活動の一環であった。デビュー時から17年続いたパートナーシップオスカー・ピーターソンとノーマン・グランツはある時期まで一蓮托生の関係にあって、カナダ出身のピーターソンをアメリカに紹介したのも、彼のデビュー・アルバムをプロデュースして自分のレーベル、クレフから発売したのも、その後のマネジメントを一手に引き受けたのもグランツである。
特に最近聴くのは欧Solarが11年にリイシューな本盤の土台は"Plays The Richard Rodgers Songbooks"。59年7月14~8月9日に行われた、オスカー・ピーターソンの録音の一環でリリースされた。この半月ばかりで、ピーターソン率いる黄金トリオは以下10枚ものLP音源を吹きこんだ。
"The Jazz Soul of Oscar Peterson"
"Plays the Duke Ellington Song book"
"Plays the George Gershwin Songbook"
"Plays The Richard Rodgers Songbooks"(本盤)
"Plays the Jerome Kern Songbook"
"Plays the Cole Porter Songbook"
"Plays the Harry Warren Songbook"
"Plays the Irving Berlin Songbook"
"Plays the Harold Arlen Songbook"
"Plays the Jimmy McHugh Songbook"



中でもPlays the Cole Porter Song Bookは筆者のお勧めアルバムでもある。
Plays The Cole Porter Songbook
こちらはオスカー・ピーターソンによるコール・ポーター作品集です。ジャズ・スタンダードナンバーを数多く残したコール・ポーターをまとめて聴きたいという方には嬉しい一枚です。2分程度の短い曲が多く、軽快なリズムと共に気軽に楽しめる作品で、コーヒーブレイクなどにぴったりです。

筆者がオスカー・ピーターソン聴き出すは1963年頃発売されたナイト・トレインが最初でもあり、64年We Get Requestsのアルバムで夢中になった、当時聴いたアルバムでもあるが、有名なスタンダードをごく軽い調子で、さらりと演奏しているが、耳が肥えて来ると、その技巧の冴えがよく分かるようになる様に感じる。簡単に演奏しているがこの様に聴きやすい演奏は意外と意味深いようだ。コールポーターの数々のは作品は後日知った貴重なアルバムでもある。




収録情報
 1: 夜の静寂の中で(In The Still Of The Night)
 2: 私にとっては大丈夫(It’s All Right With Me)
 3: 愛を売る(Love For Sale)
 4: そういったことの一つ(Just One Of Those Things)
 5: 君に夢中(I’ve Got You Under My Skin)
 6:別れを告げるたびに(Every Time We Say Goodbye)
 7: 夜と昼(Night And Day)
 8: 愛しやすい(Easy To Love)
 9: なぜ行儀よくできないのか(Why Can’t You Behave)
 10: パリが大好き(I Love Paris)
 11: あなたに集中します(I Concentrate On You)
 12: それは愛らしい(It’s De-Lovely)



パーソネル
 Oscar Petersonオスカー・ピーターソン(P)
 Ray Brownレイ・ブラウン(B)
 Ed Thigpenエド・シグペン(DS)
1959年7、8月シカゴにて録音

オスカー・ピーターソンによる、コール・ポーター作品集。かなり前の作品でもあるが、音質は良いと思います、“鍵盤の皇帝”と言われたオスカー・ピーターソンがお馴染みのトリオで、ミュージカルや映画音楽のジャンルで数多くのスタンダード・ナンバーを生み出した偉大な作曲家コール・ポーターのナンバーを、煌びやかな演奏で聴かせる。
ピーターソンがコール・ポーターの作品に取り組んだ作品は、52 年に録音されたレイ・ブラウン、バーニー・ケッセルとのトリオによる作品に続き、これが、2 作目。本作はギターのバーニー・ケッセルから、ドラムのエド・シグペンへと、楽器編成、メンバーがチェンジし黄金トリオと言われる状態になって行った。この辺りでいわゆるモダンなピアノ・トリオによるピーターソンの可憐なフレーズが粋に響く。
それとピーターソン愛用のベーゼンドルファーの魔法とも言える、現存する最古のピアノメーカーであるベーゼンドルファー社は、創業から200年近く経った現在も、オーストリアの職人たちが経験とノウハウを積み重ねながら世界中に最高のピアノを届けています。そしてその熟練の技は今もなお世代を超えて受け継がれているのです。ブラボー!

最近のお気に入りのジャズピアニストakikoとの共演もご機嫌な”ジャズを詠む”のアルバムを検証

2024年11月20日 | JAZZ・ボサノヴァ

いつもの様に早朝モジャ君と散歩後シャワーを浴び寛ぎながら、値上がりする品目では珈琲豆の値上がりは激しく50%程の値上がりしている状態である、貧困ろう時にとしては甚だ迷惑でもある。新しい新鮮な珈琲豆を挽き温度に注意した淹れた美味しい朝珈琲から1日が始まる事はご機嫌でもある。

早速部屋に入りオーディオ類の電源を入れる。暫くして音出しをする・・・
最近何故かジャズ音楽を聴いてない、何故か?筆者の気に入ったジャズが見当たらず聴くのは1950年台のものが多い、最近注目は海野雅威(うんの ただたか)の経歴を調べた。1980年、東京生まれ。4歳からピアノを弾き始め、9歳でジャズピアノを始める。以前ヴァーヴ・レコード(Verve Records)は、1956年にノーマン・グランツにより設立されたアメリカのジャズ・レコード会社から多くのジャズミュージシャンを発売し定評はある。CDでGet My Mojo Backのアルバムは少しアバンギャルドな感じが良く聴いていた、ハンク・ジョーンズやジミー・コブなどのレジェンドに愛され、ロイ・ハーグローヴ・クインテットで日本人初、最後のレギュラー・メンバーだったニューヨーク在住の実力派ピアニスト海野雅威、渾身のニュー・アルバムはずいぶん好印象であった。




確かにKORG(コルグ) 1BIT USB-DAC/ADC DS-DAC-10R DSDレコーディングのアップデートしCDを入れ聴くも微妙なニュアンスが細部までトレースされFyne AudioのF500での再生はとても素敵な音を奏でる現在アンプはジャズの試聴はLUXKIT A3500を使う事が多い何故なら馬力がある為だがこの機種でのシステム作りは意外と素晴らしいプレゼンスを得たのである・・・。確かにジャズとLUXの相性は頗る良い結果を得る様です。

筆者世代の高齢者でもリラックスして楽しめるジャズでもある。筆者の場合全体的には英国のSPを選ぶ事が多いが、違った意味に於いてもジャズも結構楽しめる音になりこの様な音質になれるとアルテック、ジムラン系統の音では煩すぎる様に無感じるが、乾いたドラムの音だけはジムランの音が懐かしく思うが音楽全体で聴くならばそれは違った音になってしまう様にも感じる。



このLUXKIT A3500のパワーアンプも一度じっくりメンテナンス時期の様ではあるが、詳しいテスト機材がない為メンテナンスして頂ける場所を探そうとも思う次第である、また真空管は松下製の新しい球に交換した。

海野雅威は東京藝大在学中の18歳からミュージシャンとして活動を始める。鈴木良雄、伊藤君子、大坂昌彦らシーンを支える多くのミュージシャンと共演し若い世代の旗手的存在であったが、さらにジャズのルーツや文化に触れる為、2008年にニューヨーク移住。ゼロから新たにスタートした新天地でもトップミュージシャンに認められ、故ジミー・コブ (ds) クリフトン・アンダーソン (tb) ウィナード・ハーパー (ds) 故ロイ・ハーグローヴ(tp) ジョン・ピザレリ (gt,vo) ジャズミーア・ホーン (vo) 等のバンドでの活動の他、自身のトリオでも演奏を行っている。
40歳の海野は最近、父になったばかり。仕事でビデオの撮影を終えて西135番通りにある地下鉄の駅を出ようと改札に向かうと、8人ほどの若者の集団が前方に立ちはだかった。そのまま通りすぎようとしたところ、集団の1人に後ろから体を押された。連れの女性が押された、と別の1人が言うと、近くにいた若い男性がこう続けた。「俺の女は妊娠してんだぞ」。その瞬間に暴行が始まった。地下鉄の構内で始まった暴力行為は通りに出てからも続いた。海野は通りの人々に叫んで助けを求めたが、誰も助けてはくれなかった。彼らは海野の右の鎖骨を骨折させ、腕を負傷させ、全身に打撲を負わせた。海野は骨折の治療で手術を受けたが、再びピアノを演奏できるようになるかどうかはわからない。右腕は今のところまったく使える状態にはなく、いろいろなことを左手でこなせるように学んでいるところだと言う。
その後また、亡くなる前から巨泉もなにかと言えば以前から親しく付き合った友人も惜しまれつつ世を去った名ジャズ・ピアニスト世良譲、ジャズ・ピアノの巨匠ハンク・ジョーンズ、テナー・サックス & フルートの巨匠フランク・ウェスが、晩年最も期待を寄せていたピアニストでもあり、CDでの共演の他、音楽のみならず人生の師として交流を深めていたそうである。

『akiko with 海野雅威TRIO”ジャズを詠む”』


簡単にakiko(あきこ、1976年12月14日 - )は、日本のジャズシンガー。 akiko. 生誕, (1976-12-14) 1976年12月14日(47歳). ジャンル, ジャズ. 職業, 歌手.と簡単に記されている。
2001年、名門ジャズレーベル「ヴァーヴ」初の日本人女性シンガーとしてデビュー以来、枠に捕らわれない音楽性を追求しながら音楽以外の分野でも幅広くその才能を発揮し、日本のジャズシーンにおいて常に異色の存在であり続けるakikoと、NYを活動拠点としてジミー・コブやロイ・ハーグローヴなど名だたるジャズレジェント達からも寵愛を受け世界のジャズシーンで活躍していた矢先にNYの地下鉄での暴行事件により致命的な負傷を追いつつも奇跡の復活を遂げ、昨年同じく「ヴァーヴ」レーベルよりメジャーデビューを果たした話題のピアニスト、海野雅威とのアルバムでもある。

今回のジャズを詠むアルバムについては次の様に紹介していましたので引用させていただきました。「エッセイ本では、好きなスタンダード曲をピックアップしつつ、それをテーマにして自分のライフスタイルや人生観などを綴りました。いつか、この本と繋がりのあるCDを作りたいと思っていましたが、奇を衒っていない“普通の”ジャズ・スタンダード集にしたかったんです。でも、それって意外と難しい。ジャズ・ミュージシャンというのは、どうしても自分の個性を出したくなったり、現代風にアップデイトしたくなるものですからね。私がイメージしているアルバムを海野くんとなら作れると思い、プロデュースもあわせて依頼しました。ベーシストは、アルバム『simply blue』でお世話になったチンさんにお願いしようとふたりの意見が一致しまして・・・」



二人の出会いは2005年のakikoのライブ・レコーディング・アルバム『Simply Blue』まで遡る。ジャズファンの間でも未だに人気の高い同アルバム以来の共演作は、二人が信頼を寄せる一流ジャズ・ミュージシャンを集めてのスタジオ・レコーディング・アルバム。

akikoと海野雅威のタッグ再び!スタンダード愛に溢れた、不朽のジャズ・スタイルはご機嫌なアルバムでもある。


 01.Jazz - introducing “How High The Moon”
  Words / akiko, Nancy Hamiton Music / akiko, Morgan Lewis
 02.Poor Butterfly
  Words / John Golden Music / Raymond Hubbell
 03.East Of The Sun
  Words / Brooks Bowman, akiko Music / Brooks Bowman
 04.Crazy He Calls Me
  Words / Bob Russell Music / Carl Sigman
 05.Where Or When
  Words / Lorenz Hart Music / Richard Rodgers
 06.Come Rain Or Come Shine
  Words / John H Mercer Music / Harord Arlen 
 07.For All We Know
  Words / Samuel M Lewis Music / Fred J Coots
 08.Let's Call The Whole Thing Off
  Words & Music / George Gershwin, Ira Gershwin
 09.I Love You For Sentimental Reasons
  Words / Deek Watson Music / William “Pat” Best
 10.Look For The Silver Lining
  Words / B.G.DeSlyva Music / Jerome Kern
 11.Enjoy It While You Can
  Words / akiko, Tadataka Unno Music / Tadataka Unno
         


akikoが2018年に発表したエッセイ『ジャズを詠む-人生を幸せにする、25のスタンダード・ナンバー』で取り上げたジャズ・スタンダードから選曲。タイトル曲「Look for the Silver Lining」や「East of the Sun」「For All We Know」などスタンダードの名曲をオーセンティックなスタイルで収録した本作は、akikoのデビュー作である『Girl Talk』を彷彿させる。



ライブでもお馴染みのakikoのオリジナル曲「Jazz-introducing“How High The Moon”」と、海野雅威氏の昨年のVerveデビュー作にも収録されている同氏のオリジナル曲「Enjoy It While You Can」(作詞:akiko/海野雅威)を収録。
ヴォーガル:akiko
ピアニスト:海野雅威
ベーシスト:鈴木良雄
ジャズ・ミュージシャンとの共演機会も多い人気ドラマー:Gene Jackson
そしてゲストに、アメリカ在住のギタリスト:増尾好秋
豪華なメンバーが並ぶ



英国風のFyne AudioのF500でのジャズは少し品の良いリラックスしたジャズヴォーガルとピアノが実にお似合いの品の良いジャズが聴ける、正にリラックスムードが十分満喫できる、海野雅威トリオのアルバムは以前から聴くがakikoとの共演は初めてですが、期待通り軽めのジャズが実に心地良い。ブラボー!