伝統ある英国の10吋ユニットで、いい音で音楽を聴きたい・・・・・

音楽好きの、古いオーディオ機器10吋TANNOYを改良して聴くダメオヤジの金ちゃんです。

バッハのミサ曲:ロ短調をアーノンクール&ウィーン・コンツェントゥス・ムジクスを聴く。今まで日本の古代史に興味を抱いた。

2021年04月24日 | バロック音楽・オーディオ一般

毎回同じような記事が多く申し訳ない、此のブログは益々筆者の勝手な我儘記事内容が多くなった傾向が強く思うが、最近珍しく実に仕事が忙しい、これはあまり良い状態では無い。最大の訳はゆったり音楽が聞けない事だ、精神的にも凡ゆる音楽を鑑賞する事は落ち着いた環境が必要に思う、思い出すは以前オーディオに休止符を打った時も、此の忙しすぎる環境の中での音楽を楽しむことが出来ず筆者には無理であった様な気がしてならない。

忙しいと時間がなく聞く音楽はイージーリスニング的に聞き流せる音しか受け付けてない様になる、解る・・・今なら解るのだ。特にバッハのマタイ受難曲等オラトリアはとても聴き流せる音楽ではなく、聴くのならじっくり聴きたい。勿論カンタータ等も聞けば心迄浄化させる音の恩恵を与えられる様である。昔からバッハは聴くが断然器楽曲が多かったこともその様な時間が無かった事が言える、恥ずかしながら齢70を過ぎオラトリオ、カンタータがやっと理解出来るとともに、音楽と向き合える時間の余裕が出て来たと思い始めた。それとマタイ、ロ短調等に曲は基本は全曲聴くことで一層充実した思いになる満足感がある。

これは宗教の事は除いて音楽を聴いて頂きたい事でもあるが大局的に考えると、勿論今の世は中共を筆頭に騒がせて最終的には戦争という言葉が現実的に成り立つ事であり、暗黒の前の大戦の教訓を学んでいない共産圏が多くなっている。勿論日本にも勝てば官軍と言う言葉はあるが、その勝ちにも必ず裏がある。前の太平洋大戦での旧日本帝国の戦争の真実は今になりやっと解明された事は明らかであり歴史の事実を知ることである。

以前から筆者が思った事に日本書紀、古事記から始まった日本歴史っと言われているが、支那から伝わった漢字と合わさり、古代文字から新しい日本語に変化して、この日本書紀、古事記は制作れたと思う、日本古代の歴史に辻褄の合わなく不思議に思った時にこの記事を見つけ何故かホットした。最近日本の歴史で大変興味深い事実が昭和41年神田の古本屋さんから発掘された「ホツマツタエ」の古代文字で記された事実の検証にも興味が湧く。勿論今も「ホツマツタエ」は大切に保管されています。古代文字は簡潔な編纂史のような文字の表現により何故太陽は東から上り西に沈むか等人は北の方角に寝所を持ったか等基本的な事がわかり訳す記されているという。

このことを知り古代文字の発見と古事記以前による文字の基礎が縄文時代から承諾され、海外等の知識を織り合わせ日本文化は発展して言ったことに感じました、やはり世界でも長い歴史ある国と生まれたこの国に感謝する。
興味ある方はご覧ください。

又縄文時代よりもはるか昔に「カタカムナ」という文明がありました。その文明に関する記述は和歌に似ていることと、カタカムナウタヒという神話以外に何も残されていません。その為、カタカムナ文明は長い間、謎に包まれたままでした。日本の文明は古事記から文字が発明され始まったと言う説以前からの古代文字があったことの発見は大変興味深く、今後明らかにさて行くことが興味深い、現在アメリカの学者も興味深くその歴史を研究しているようです。


この事実が解明されることにより科学的にも古代史つまり弥生時代、縄文時代、銅鐸等以前の事実の秘密が解明される様に思う、又この事以外にも古代時代の不思議は多くの謎が多く改めて日本の歴史事実の謎が深まり実に興味尽きない探索であるが基本は日本は神国であったのであろう。



話は戻るが先の戦争も正に此の事実は喧嘩両成敗と人種差別の問題が大いに関わる事である。白人が黄色人種等をどうしても同等には思えなかった人間のエゴである、歴史を考えれば日本の歴史は白人の歴史より古く許せなかった事が理由になるのであるかも知れず。幸い長い歴史的見ても奴隷制度は日本には存在しなかったが、信長の時代にキリスト布教の宣教師と共に奴隷制度も上陸したが日本人にはキリスト教も奴隷制度も共に受け入れられなかったようである。

今年は地球温暖化と言われるが確かに暖かくなるのが早く庭の薄いピンク色の花を咲かせる蔓バラも一面に蕾を膨らませ開花準備中であり、一輪早咲きの蕾があり、また庭に白の花を咲かせるツツジも満開で実に清楚に感じた。



週末は少し時間の余裕があり、早速珈琲豆を挽き淹れたての珈琲を頂く。昨日仕事で往復150キロの道のりを運転していたが、ベートヴェンの弦楽四重奏フーガの演奏を聞きながら運転した、この後期弦楽四重奏曲は最もベートーヴェンのフーガの頂点に位置すると同時に、全作品中最大の問題作ともいえる《大フーガ》を理解するためには、秘書だったカール・ホルツ(1798~1868)の証言を持ち出す必要がある。ホルツによれば、ベートーヴェンはフーガについて語った際に「今日、古い形式には、真に詩的な要素がなければいけない」と述べたのだという。これは、既存の形式のルールを敢えて破ったり、本来はその形式にとって必要のない要素を挿入したりすることで、幻想曲(ファンタジー)にしてしまうというアイデアなのだ。このフーガのファンタジー化こそが《大フーガ》が難解とされる根本原因といえる。
後は歴史的に有名な交響曲第九に続くストーリーが紐解けるようである。勿論ベーチーヴェンも相当バッハの影響は受けているように思う。

車のFMの音は最低であった、此のような条件で聞くことはベートヴェンの冒涜でもあろう、偶に電波の悪い場所もあり最低の環境である。何故アンプや接続ケーブルの交換で音質が変わるのかの疑問は殆どの場合はダンピングファクターの違いによる音の変化と言われるが、真空管と石のアンプに変わりはあるのか等?筆者等は難しい電気理論等は全く理解出来なくもっぱら自分の耳で聴き確かめる以外他はない。本日は口直しに好きな音楽でもゆっくり聞いてみることにした。



最近よく思い出すのはドイツ製品SIEMENS製にも興味があり50年程前に聴いた超辛口の、ドイツ製の音が目に浮かぶ、特にバッハ等の演奏をドイツ製のユニットで聴きたい衝動が消えない。誠に残念な事に筆者のオーディオ仲間でドイツ製の装置愛用者がいなく唯一昔先輩が面白半分に取り寄せたブックシェルフのヘコーの音しか知らない事は残念である。一度聴くと、この独特の辛口のへコーの音を聴くために足繁く通った事も記憶します。

再度イギリスの音響の違いに付いて考えてみる。確かに欧州に於いては英国は欧州最大の音楽輸入国でもあり、家庭で音楽を愛好する方が多く、オーディオ機器も充実したと聞く、勿論現在もBBCモニターを製作しているKEFを中心に多くの製品がある、特に日本ではTANNOY人気は以上に高い事は有名でジムラン同様の集荷台数が挙げられる。例えばジムランが日本はどれ程のスタジオがあるのかの疑問をした。モニタースピーカーJBL4345、JBL4343の集荷台数が多く驚いたと聞いた事がある、原因は当時オームさんが絶賛記事をステレオ誌に掲載したためであろう、勿論TANNOYのオートグラフも五味氏の永久が大きいのであろう。東洋の島国でこれ程まで売上が上がった事に驚いたと聞いたことがある。

戦前鬼畜米英と言われた時代もあり、洋楽(オペラ、クラシック、ジャズ等)は聞かない時代の反発で失われた音を求めたのであろうか、筆者なども1970年代に米軍放送でジャズを知り、ジャズ、ポップ中心に聞いた時代がしばらく続いた。その後33回転のLP長時間レコードが発売された。音質も悪い、それ以前はいわゆる蓄音機時代で当時はSPレコード(78回転)での演奏が多かった事は記憶する。しかし当時から音響製品のスピーカーユニットはコーンの振動を利用したスピーカーから音出しするシステムは変化はない。

1926年にガイR.ファウンテンによって設立されたタンノイは、当時呼ばれていたハイエンドオーディオまたは高忠実度を発明した企業の1つであると正当に主張することができます。彼らの寿命の大部分は確かに彼らがプロのオーディオ市場に彼らの製品の多くを販売し、そして販売し続けているという事実にあります。オーディオファンがTannoyモニターの高品質を最初に認識し始めたのは、これらのプロのスタジオでした。タンノイは最終的に、家庭により適したキャビネットで設計されたスピーカーで応答しました。



物の本によると、ヴィンテージオーディオ愛好家にとって最も興味深いタンノイのスピーカー生産の期間は1947年から1974年までです。これは、モニターゴールドシリーズの廃止までの15インチモニターブラックデュアルコンセントリックの導入と一致します。

多くの歴史があるためタンノイに関するインターネット上の情報については、関連するマイルストーンに限定して説明します。タンノイのデュアル同心ドライバーはこの期間に進化しましたが、主要な設計の側面(デュアル同心形状、高効率、クロスオーバーポイント)はほとんど変わりませんでした。コーンが重くなると容量が増加し、インピーダンスが15から8に低下しました。



その後、探求は、リアホーン搭載設計で10インチモニターレッドを採用したTANNOY Cornettaキャビネットの記事をみました。このキャビネット設計は非常に短命であったため、TANNOYでさえ、関連ファイルが破壊されたために情報を提供できませんでした。数年前の火災。また、インターネット上にはコーネッタに関する有用な情報はありません。

しかし最近思うはTANNOYのユニットをみて思うは15吋で代表されるエンクロージャーオートグラフは確かに此のユニットの理にかなった複雑な機構を持つユニットの組み合わせにより一層の真価を発揮しているように思う、勿論10吋のTANNOY ⅢLZMonitor Goldはオートグラフを小型化してエンクロージャーとの組み合わせは一番適したシステムであろう、しかし筆者の部屋は狭くコーネッタを据え付ける場所は無いのだ。

また現在ドイツの音に興味を唆れていますが、調べるとそれはある程度エンクロージャは大型も物が適していると言われこれも夢に終わりそうである。確かにドイツ製品の代表されるオイロダインを見ると仏頂面した平面バッフルを使用し如何にも単純で堅牢な作りで英国製品と企画するとお国柄があり面白い。
筆者の愛用機は15吋を積んだヨークと比べ個体は一回り小さいが、現在筆者の部屋で鳴るAXIOM 80の箱に移植したIIILZ Monitor Golの組み合わせが良いバランスで響く音質には満足している。



1968年、ピリオド奏法による演奏の先駆けとなった録音。彼らしいアクセントの効いた表現は、当時の聴衆には衝撃だった。左右の分離を明確にした録音の仕方といい、半世紀前を知る記念碑的なアルバムだ。                    

少し古いが最近仕入れたCDを楽しむ、ピリオド楽器による世界初録音だった歴史的名盤。ニコラウス・アーノンクールが、種々の考証と実験によって"バッハの理想"を響きとして具体化させた伝説的演奏。コーラスの美しさ古楽器のバランスの良さが抜群であり、此のシリーズは是非マタイ受難曲まで揃えているシリーズである。



バッハ:ミサ曲ロ短調(1968年)発売当時は直輸入盤で価格も高く丁重に取り扱った記憶があります、これがTELEFUNKEN盤のオリジナルの音とありがたがって聴いた懐かしい時代でもあった。

ヨハン・セバスチャン・バッハ:ミサ曲ロ短調、BWV 232ウィーン少年合唱団、コルス・ヴィエネンシス、ウィーン・コンツェントゥス
3 LP Teldec AW 6.35019 FK / SKH 20 / 1-3(1968)
ロートラウト・ハンスマン、飯山恵美子、ヘレン・ワッツ、クルト・エクウィルツ、マックス・ファン・エグモンドと



 1. Kyrie eleison(左ミサ:Kyrie)
 2.Christe eleison
 3. Kyrie eleison
 4.グロリアイン エクセルシスデオ(グロリア)
 5。Etinterra pax
 6. Laudamus te
 7. Gratias agimus tibi
 8. Domine Deus
 9. Qui tollis
 10. Qui sedes
 11. Quoniam tu solus
 12. Cum Sancto Spiritu
 13. Credo in unum Deum(ll.Symbolum Nicenum:Credo)
 14。Patrem omnipotentem
 15. Et in unum Dominum
 16. Et incarnatus est
 17. Crucifixus
 18. Et resurrexit
 19. Et in spiritum
 20. Confiteor
 21. Ex expecto
 22. Sanctus(lll。Sanctus)
 23。Osanna (lV。Osanna、Benedictus、Agnus Dei et Dona nobispacem)
 24.ベネディクトス
 25.アグナスデイ
 26.ドナノビスペース



1965年の演奏から半世紀以上経ちました。古楽器(ピリオド楽器)による最初の録音でした。透明感もあり、各パートの旋律が明確に聞こえており、バッハの生きていた時代感覚をできるだけ取り入れたような演奏です。バッハが描くフーガの輪郭が明確になり、音楽の構造を目の前に立体的に表わしてくれるような演奏でした。

ニコラウス・アーノンクールの強い思いが伝わってくる演奏です。冒頭のキリエの精神性の深いフーガの掛け合いはいきなり感動をリスナーにもたらしてくれます。ロートラウト・ハンスマン(ソプラノ)、飯山恵已子(ソプラノ)、ヘレン・ワッツ(アルト)、クルト・エクヴィルツ(テノール)、マックス・ヴァン・エグモント(バス)というソリストたちの端正な歌唱はバッハのミサを歌うに相応しい声質でした。手兵のウィーン・コンツェントゥス・ムジクスもキビキビした躍動感ある軽快なバッハを奏でています。バッハが生きていた頃はこのような「ロ短調ミサ」が演奏されたのではという感覚を持つ演奏でした。

「ロ短調ミサ」の持つ横糸とも言うべき、各合唱パート、各楽器の旋律の流れを浮かび上がらせながら、縦糸とも言えるハーモニーの変化を提示しており、厳しさの中に温かみのあるバッハの宗教曲を再現したと言えるでしょう。何より劇場よりは教会に似つかわしい、控えめなスケールが、却って静やかな神々しさと深みを特徴付けている。



現在聴くにはアンプは真空管との相性は一番に思う、LUXKIT A-3500、6CA7の真空感は相性よ良く無難に音楽を奏でる、今後は是非比べてみたい古いSIEMENS、TELEFUNKENEL、34との音質の違いがあるそうですが今後是非比べて見たいと思う、現在は松下製を装着していますが良い塩梅である。
またサブ管6AQ8x3は色々交換し試聴したが日立製との相性が良く現在は日立製品の6AQ8を使用しています。

オーディオ的に表現しますとミサ曲ロ短調の最終楽章の太鼓の連打の部分などはTANNOYオリジナルⅢLZで聞いた場合の音と比べ音は太鼓らしい音に聴こえ締めくくりに相応しい雰囲気を醸し出す、まだ余裕のある音に安心感も手伝い、正しくある程度の大型エンクロージャーでなければ表現出来ない音質のようである。残念ながら銘器LS3/5aも敵わない。

バッハ研究によりますと、バッハの最後の作品は「フーガの技法」ではなく「ロ短調ミサ」であることが判明したようです。クレドから最終の楽章までの部分が最晩年に作曲された部分だそうです。すなわち、バッハの膨大な作品群の集大成といいますか、ライフワークの締めくくりの作品なのです。冒頭の「キリエ」のとてつもない緊張感と後半部分との落差は作曲年代によるものだと言われたいます。バッハはルター派のプロテスタントですので、カトリックのミサ曲の形を借りて、この大宗教作品を作曲した動機は知りませんが、自分の信ずるキリスト教の宗教感を不変的な音楽形式を借りてこの世に残したかったに違いありません。
今は亡き稀代の名指揮者を偲びまして。ブラボー!

筆者の望むスピーカーの音は、聴かせる音楽か、聞く音楽か?勿論良い音楽とはに尽きるが、の音の出し方の考察

2021年04月11日 | バロック音楽・オーディオ一般

筆者が最近思い浮べる事は自分好みの音とはどの様な音を望むのか、中学生当初は和製のスピーカーで聞いていたが、20歳代の頃はジャズが好きで近場のジャズ喫茶で聞くジムランのLE8Tの音に魅せられ音響に興味を覚えたが、楽器の演奏者が目の前で演奏される様を望んでたのかも知れない。例えばジムランが代表する音かも知れないが、だが筆者が購入したユニットはは演奏会場で聞くような音、つまり極一般的には欧州的な、特に英国のスピーカー風な、好みこの様な音を出すユニットが圧倒的に多かった。いわゆる英国の音だった。だが一番最初に聞くは日立後のLo-Dのスピーカーであった。

しかし今も思い出すは、昔聞いたドイツ製ヘコーのスピーカーで聞くバッハの辛口のジャーマンの音を今一度聴きたい、他にもユニットはドイツ独特の硬めの音でじっくり一度聞いてみたい。と興味は尽きない。勿論筆者はジャーマンスピーカーは名前程度しか知らなくメーカーも数多くどれを選ぶかも難しい選択になる、五味先生の本の中に登場するオイロダインの平面バッフル等は一度試聴してみたいが、平面部分も相当大きく自宅での試聴は無理である。少し研究し今後適度なジャーマン製品で聴く独特の音のバッハも体験したい。

しかしアメリカサウンドにもアルテックに代表されるサウンドシアター的のスピーカーでも良い条件で聞けば指揮者がタクトを振っている姿が見えるようにも感じる、其の疑問をつきまといオーディオマニアを続けて来たが、40歳後半にして小さなミニコンポで十分と思い音ではなく「良い音楽」と思い、好きな曲はCDを少々と後はFM放送を頼りにした。今まで大切にしてLPレコード、10吋の2トラックテープと機材全てを処分して、この世界から手を引いた。今になって思うは、処分は大失敗であったと反省している。

次に選ぶは当時は購入したものはBBCモニターでもある、少し病的な妖しい音が聴けた、英国フェログラフ社が開発したスピーカーシステム(FERROGRAPH S1)中身はKEF製の楕円の低音とグッドマン製の口径が約10cmでプラスチックエッジ付の12cmコーン型スコーカーを搭載していた。病的なまでの高音の美音を味わえば其の魅力から抜出でない妖しい魔力があり、特に苦心したことは音出しも機材を選びアンプを選ぶことに悪銭苦闘した。

色々真空管アンプを変えて聴くがどうも思うような音は出なかった、最後は安価なトランジスターのNEVNEV A-10のアンプで聴いていた。これが不思議と相性は良かった、当時良く通った電気屋さんで格安で頂いた記憶が残る。しかしこのオーディオとは実に不可解な事が問題になる、当時プレイヤーはTechnics、アームはFR、OrtofonGEでオープンデッキは2トラック38のTEAC A-7400、カセットはNakamichi700、アンプはMacintoshC-29に真空管のモノーラルの東芝製を使ったシステムだがフェログラフには相性は良くなかった。アンプは紹介したNECを使ったことは屈辱的であった。本当はMarantu Model510Mのパワーアンプが視聴もし良いアンプと思ったが高額で購入は諦めた記憶が残る。正直オーディオは屈辱の歴史であるようである。

その後多分40代後半で徐々に小さなコンパクトの安価なセットで聞きオーディオは興味はあったが一時休止してしまった。



定年を過ぎやっと少し落ち着き暮らしていると、偶にFMからバッハ等の音楽が耳につく、残り少なくなった人生後半もう一度好きな音楽を聞き過したい欲望に誘われ、泥沼の世界に戻って見て驚いた事には、マニアは圧倒的に年寄りが多く、資材も昔聞いたメーカーも大変多く、レコード針のオルトフォン等は未だ現役であり、唯一残したTANNOY IIILZ in Cabinet(Chevening)等も意外と未だ人気機種で驚く。

未だジムランのLE8T等も山水の箱と共に人気機種で多くの方が未だ現役にお使いになっておられる方の多く、また昔五味康祐氏のオーディオに関する著書も未だ読まれている方も大変多いようである。勿論オリジナルのIIILZ in Cabinetを色々なアンプで鳴らすが最終的には火屋のアンプの助けを借りで鳴らしている火屋のアンプが相性は大変に良い。

TANNOYについては現在も練馬区役所では五味氏所有の機材を保管しています。下記の写真は五味氏が使用していたプレイヤーである、此の様なヴィンテージプレイヤーは高値の花で庶民の望むものでも無いが写真を見ても美しく上品な面構えを伺える、メンテナンスも大変であろう。
勿論五味氏愛用の英国産日本では初代の由緒正しきTANNOY Autographも保存され定期的に試聴をしているとの事です。



五味康祐の著書のこの文章に出会ったのは多分ステレオサウンド雑誌に特集記事の連載された掲載された記事で大変興味深い拝読した記憶が残ったに「オーディオ愛好家の五条件」が示されていて、これが「オーディオ音痴」のワタシにも蘊蓄が深い。
(1) メーカー・ブランドを信用しないこと。
(2) ヒゲのこわさをしること。
(3) ヒアリング・テストは、それ以上に測定器が羅列する数字は、いっさい信じるに足らぬことを肝に銘じて知っていること。
(4) 真空管を愛すること。
(5) 金のない口惜しさを知っていること。
現在は(1)~(2)については処分出来なかっら100枚程度のLPは大切に保存しているので、それ以外は今でも思っているが、(5)は機材は高額の物が多く何時も頭を痛めているのが現状である。

筆者の "オーディオ遍歴" の方は多分親父の影響が強く小学校の頃,78回転の蓄音機を回して親父の膝に座って一緒に軽音楽を楽しんだ、曲はボレロ、カルメン前奏曲、アルルの女とか、いわゆる誰もが知ってる曲が多かった。
そして中学生頃程度の良い真空管ラジオを買ってもらいレコードプレイヤーも一緒に購入後2~3ヶ月後に別の箱にスピーカーを入れ音を楽しみ出したのである、音楽もラジオで流れる洋楽が多く聞いた。

その後はセパレートステレオと進みオーディオブームとでも言うべき時代で,セパレートステレオのアンプを交換して音が良くなった、又カートリッジも他のグレースF8Lに交換して音が良く狂気乱舞した記憶が残る、徐々に小遣い貯めたり親には秘密でアルバイトをして、好きなレコードの購入、オーディオ機器の購入に当てた事など走馬灯のように思い出は付きない、但し電気系統の事は苦手でアンプ作りは出来なかった。


現在使用する(IIILZ Monitor Gold)のユニットで悪銭苦闘中であるが、火屋のアンプに交換し機嫌よく鳴れば最高のプレゼンスが得られる。エンクロージャー、ユニットも丁重に扱っています。現在使用するユニットも古く反発力は弱くなっている。
墨汁で塗れば墨汁の原材料のニカワが貼りを取戻すといいますが、最近知った知識は日本の伝統芸の一つで番傘の洞張りの和紙なのですが、此の和紙が渋柿(柿油)の渋汁から熟成した青柿を発酵し熟成した塗装剤で塗る事も効果的である、効能は、防腐・防水・抗菌効果が高まり又木綿の糸に柿汁を染み込ませで作った紐は漁業で使う紐に利用されビニール素材の出来るまで丁重に使われたとの記載もある。一般的には和紙に柿渋を塗った物を総じて「渋紙」と呼ばれ丈夫な紙と貴重な扱いをされた。
この柿渋の液を早速注文して確かめるつもりである。

古いスピーカーユニットを使う貴兄は一体どのように処理されて維持しているのだろうか?当然ヴィンテージと言われるユニットも発売当時に音にメンテナンス出来れば良いのですが、長く使えは自然と老化することは当然の理屈であり、メンテナンス方法も色々の選択技があるようである。筆者のⅢLZ Monitor Goldのユニットも相当くたびれているのでは無いかと思う。
日本の技と思える渋柿液を使ったメンテナンスも考慮してみることにした。



ここでTANNOYに関する此のような記事もあった、「世界屈指の高級オーディオメーカー「タンノイ」を知らずしてオーディオは語れない、スピーカーはたんなる音を出す装置ではない。目の前に演奏者を出現させるデバイスであるべきだ。高級家具と言ってもそん色ない美しい木工による「タンノイ」は目前に楽団を作り出してくれる。もはや装置というより、楽器のようだ。
1926年、ロンドンに創業した「タンノイ」といえば、世界最高峰のスピーカーをつくるメーカーであることは言うまでもない。その「タンノイ」の独自性とはどこにあるのか?それは、ただ音を拡散させるための装置としてではなく、スピーカーを楽器のように鳴らすという、現代では希有な設計方針を採用していることにほかならない。」と記事がある、何時でも聴けるTANNOYのユニットがあることはとても嬉しいことである。

当時勿論ステレオサウンド誌の発行は全く知らず、先輩からお前が好きそうな本と紹介されそれ以降定期購入した高額な本である。
その後40歳代にて諸事情も重なり安価なミニコンボで十分音楽は楽しめる、大切なレコード盤も殆ど処分して特に個人的には名盤と思うJAZZのレコード盤も全て処分してしまった。

定年を迎えて昔残したの機器の再現を試みる5年経過してが、やっと音が鳴りだした感じである。筆者等は、良い音楽が聴きたく機材をあれこれ吟味してるが、貧困老人の為、高額機材は手も足も出なく、適当に妥協に妥協を重ね続けている事が現状でかる、先月等はワグナーCD購入代金は福沢さん七名をオーバーして奥方の頭から角が出るのが見えるお叱りを、結果カード取り上げの刑罰になった。実に恐ろしい事態になった。

その後は筆者の僅かな蓄えの中から残高と相談しながらのCD購入実施に変化した。メール配信されるHMVの記事を見ることが悪魔の囁きに怯える。



しかし好きなバッハ中心に購入し、カンタータを聴きながら今回2種類のセットを購入したか、聴くうちに彼の指揮するバッハが最高と思える、以前も紹介したが、筆者の感性と一番合うように思う、但し未だ全ての登録はされてなく、徐々に揃える他は無さそうである、しかも以外と高額のことなので一度調べなければならない。この趣味もソフトに金額は掛かるが、今やハイレゾ、YouTube等の配信で手軽に楽しめる時代に感謝する。

オーディオ機器メーカーはガレージメーカーが多く大手電気会社が作る時代は終焉を迎えたかも知れない。カメラメーカーも同様で趣味的に製作するメーカー以外は生き残り出来ない時代に変わってしまった。
勿論WE等は未だ人気だか現存しない会社てはあるが、功績は大きい。タンノイなどは今も健在だか、人気はビンテーファンが多い事も確かである。勿論KEFなどは異例中の異例であろう。

我が家のなんちゃってLS3/5Aも中身の吸音材交換と更に若干の直し(此の直しは老人には厳しい作業であった)も行い、慣らし運転も終わりJAZZ等はLS3/5Aで聞くことが多いが此の様な小さなエンクロージャーにしては音質も正確で意外とクリヤーな音楽を聞かせる。



最近大腸にポーリープが見つかりドクター曰く早めの摘出が良いと言われ早速入院予定を入れる。検査に似たようなことなのに3日間のブチ入院して感じたことは、スマホが随分役立った、待機時間が長く、暇潰し程度の音楽を聞く場合、勿論院内はイヤホン専用で聞くか、意外と聞けるものです。

筆者のアンホンには相当数のADがプリントしてあるので2~3日程度は全く不自由しなく、長くなれは、MacBookを持ち込めば不自由は感じないか、やはり真剣に聞き出すと自宅のエンクロージャーからの音が断然良い、今の人は圧倒的にイヤホン愛用者が多いが忙しい現代社会で音楽を聞くことは通勤時間食事間等の時間にイヤホンで音楽を楽しむ事が手軽で良い方法と改めて関心した。
MacBookAirは最近大幅に搭載チップを変更し、しかも充電方法も大幅に使用時間が長く、機能も大変早くなり、現在2017年製のサブも交換の次期になって来た頃である真剣に検討することにした。

3日ぶりに家に戻る、最初に火屋にに火を灯し、珈琲豆を挽き、淹れたての珈琲が美味い、病院からの途中でケーキ屋さんに立ち寄り大好きなアップルケーキーを購入しレンジで温めてかた珈琲の友とした。


代わり映えしない我が家の庭にも春満開の花が咲いている。何のなく日本風の我が家も屋根瓦の乗った家は珍しく、少なくなった後である。



花でも眺め思うは、以前からの疑問が持ち上がる、現在2種類のスピーカーで音楽を聴くが果たして、勿論音楽材料にもよるがJAZZ等の音楽は目の前の演奏と感じる音が良いが、例えばカクテルJAZZ等は何処からか漂う自然に聞こえる音が良い、オペラ等は条件の良いオペラハウスの一番良い席で聴く様なホール感たっぷりな音が好ましい。

結果はこれで3組のスピーカーが欲しくなる、此のあたりがオーディオ機器選びの難しい処であり一番興味付きぬ肝心なところである、この先一体何方に舵を切れば私自身が満足出来るかが問題である。



最近思ったことはご承知の如くバッハの音楽が好きで、特に最近教会カンタータを聴き出し、教会カンタータ大全集(60CD)指揮者:ピーター・ヤン・ルーシンク(Pieter Jan Leusink)を入手して聴き出す。
そして以前より興味もありバラで少しは持参していたが、バッハ:教会カンタータ全集(60CD)アーノンクール、レオンハルト、ウィーン少年合唱団、テルツ少年合唱団、ほかアーノンクールとレオンハルトが1971年から1989年までの18年をかけて完成した教会カンタータ全集も入手し聴き出し楽しんではいるが・・
以前よりハイレゾで聴く(Rudolf Lutz)の演奏が大変気になる。

ルドルフ・ルッツ(1951年生まれ)は、バーゼル・スコラ・カントルムで歴史的即興演奏法、バーゼル音楽院では通奏低音を教授している。
1998年~2008年には、チューリッヒ音楽大学で修辞学を指導した。リヨン国立高等音楽院にも客員講師として招かれている。
ヴィンタートゥール、チューリッヒ、ウィーンで音楽教育を受け、オルガンをジャン=クロード・ツェンダー、アントン・ハイラー、ピアノをクリストフ・リースケ、指揮をカール・エスターライヒャーに師事。
1973年、ザンクト・ガレンの聖ロレンツォ教会のオルガニストに就任。1986年よりザンクト・ガレン室内アンサンブルのリーダーを務め、1986~2008年にはザンクト・ガレン・バッハ合唱団のリーダーも兼務した。

ルッツは、コンサートやワークショップで、歴史的即興演奏法のエキスパートとして活躍している。また、定期的に伴奏ピアニスト、チェンバロ奏者、作曲家としても活躍している。2002年にはオラトリオ『イングリッシュ・クリスマス』を作曲し、ザンクト・ガレンの聖ロレンツォ教会で初演し、高い評価を受けた。
自宅に戻り早速ルドルフ・ルッツのオルガンと指揮したカンタータを聞く、安定感があり、録音状態も良く勿論ライブ感も素晴らしい演奏を聞いた。


2007年秋にはバッハ・アルヒーフ・ライプツィヒが主催した国際会議「フェリックス・メンデルスゾーン=バルトルディと同時代のヨーロッパ・オルガン文化」に講師、即興演奏で招かれた。2007年と2009年、アンスバッハで開催されている名高いバッハ音楽週間に、コンサート、即興演奏で招かれた。
2006年、J.S.バッハ財団の芸術監督に就任し、演奏団体スコラ・セコンダ・プラティカ(アンサンブル&合唱団)を率いて、バッハの合唱作品全曲演奏に取り組んでいる。



1951年生まれ。バーゼル・スコラ・カントルムで歴史的即興演奏法、バーゼル音楽院で通奏低音を教える。1998~2008年にはチューリッヒ音楽大学で修辞学を指導。1973年、ザンクト・ガレンの聖ロレンツォ教会のオルガニストに就任。1986年よりザンクト・ガレン室内アンサンブルのリーダーを務め、1986~2008年にはザンクト・ガレン・バッハ合唱団のリーダーも兼務した。コンサートやワークショップで、歴史的即興演奏法のエキスパートとしても活躍している。
オルガン曲やカンタータをはじめとするJ.S.バッハ作品のスペシャリストであり、ミューザでも即興演奏を交えてパフォーマンスを披露してくれているルドルフ・ルッツ。その柔軟な音楽センスと高度な演奏技術は、まさにJ.S.バッハが現代に蘇ったかのようなクオリティなのです。「真夏のバッハ」と題された今回のリサイタルでも、壮大な名作を聴かせつつ、即興演奏によって音楽を創造する瞬間を披露してくれるという、このアーティストならではの興奮と感銘が味わえるはず。さらにはルッツと共演した故佐山雅弘へ、心を込めた追悼のプレゼントとなる演奏も披露。まさにミューザでしか聴けないプログラムが用意されています。




演奏: ゲルリンデ・ザマン(S)…1-7/ユリア・ノイマン(S)…15-20/アレックス・ポッター(A)…1-7/クラウデ・アイヘンベルガー(A)…8-14.15-20/ベルンハルト・ベルヒトールト(T)…1-7/ヨハネス・カレシュケ(T)…15-20/ステファン・マクロード(B)…1-7/ファブリス・ハヨス(B)/バッハ財団合唱団/バッハ財団管弦楽団/ルドルフ・ルッツ(指揮)

録音 2012年12月21日…1-7, 2008年9月19日…8-14, 2012年9月14日…15-20 スイス,トロンゲン エヴァンゲリカル教会



管弦楽組曲第4番の序曲と同じメロディで始まるBWV110のカンタータは、まさにクリスマスの喜びを表現したものであり、ここではさらに見事な合唱が組み込まれた感動的で輝きに満ちた世界が表現されます。キリストの生誕=クリスマスこそ、苦しみも平安も含めた全ての始まりであるということが実感できる作品です。第6曲のバスのアリアの輝かしさを経て、最後のコラールでしっとりと締めくくる名作です。

BWV169は三位一体後第18主日用のアルト・ソロカンタータです。この曲のシンフォニアは後にチェンバロ協奏曲第2番に転用されたメロディで、ここではオルガン協奏曲になっています。ルッツの素晴らしいソロにも耳を傾けてください。BWV99は三位一体後第15主日用のカンタータ。冒頭から弦と管が絶妙に絡み、そこに合唱が加わるという何とも厳かで美しい音楽です。最後のコラールがこれまた感動的なのです。


J.S.バッハのカンタータ集・第9集。管弦楽組曲第4番の序曲と同じメロディで始まるクリスマス・カンタータ「我らが口を笑いにて満たすべし BWV110」、三位一体後第18主日用のアルト・ソロカンタータ「神のみにぞわが心を捧げん BWV169」、三位一体後第15主日用のカンタータ「神のみわざは善きかな BWV99」を収録。バッハ財団合唱団/バッハ財団管弦楽団/ルドルフ・ルッツ指揮による2012年、2008年録音。



演奏: ゲルリンデ・ザマン(S)…1-7/ユリア・ノイマン(S)…15-20/アレックス・ポッター(A)…1-7/クラウデ・アイヘンベルガー(A)…8-14.15-20/ベルンハルト・ベルヒトールト(T)…1-7/ヨハネス・カレシュケ(T)…15-20/ステファン・マクロード(B)…1-7/ファブリス・ハヨス(B)/バッハ財団合唱団/バッハ財団管弦楽団/ルドルフ・ルッツ(指揮)

調べて見ますとカンタータ全集は未だに全ては揃ってなく未だ演奏を続け全集にする予定とコメントがある。一枚ずつ集めなければならないそうである。
先ずは好きなカンタータのNO,9からでも気長にゆっくり楽しみながら収集します、ブラボー!

フランス組曲を聴く!メインのGOODMANS AXIOM 80の箱に移植のIIILZ Monitor Goldの音のバランスが崩れるの巻

2021年04月06日 | クラシック音楽・オーディオ

昨日の日曜でしたが、仕事と相成り夜遅くまで長引き帰りは午前様、武漢風邪の影響で、外出から帰ったあとは、熱い緑茶を頂き、入浴するため風呂の追い焚きをする、その間はMシュナウザーのモジャと戯れる。ボディシャンプーで消毒のつもりで隅々まで丁寧に洗う、少し熱めの風呂にじっくり浸かる、武漢風邪の流行後の風呂はあえて熱めにして入浴している。勿論念入りにシャンプーも欠かせない。そのまま布団に潜れば天下泰平である。

ウイルスワクチン予防接種は問題もあるようだが、全く予定通りに進んでない、大阪も4次感染拡散中と騒ぎ、オリンピック開催も危ぶまれている、厚生省、国土交通省、ともに頼りない面々が右往左往をするばかりで、全くだらしのない政府である。日本は水際対策は簡単に出来るがそれも出来ず、只々緊急事態宣言の発令の連発です、これは野党の付込むむ対象になる、冷静に考えれば日本の感染率は少なく一番被害を受けているのがアーリア人つまりアングロサクソン白人系統であろう、中共は第三次世界戦争を仕掛けたのは中共が今回の感染症ではないのか?

小池を始め議員が先導して国民を脅し、感染しない予防対策は発表せずに只々脅し続ける、暴動が起きても不思議では無いのだが、日本国民はおとなしくしているのだ。先ずは海外からの渡航者は全面中止する、心配なら給与保証も手厚くし、この際JR,私鉄バス等の交通手段を全面ストップし外出禁止1ヶ月緊急事態宣言し武漢風邪を減少したのが早いと思う。
感染は個人家庭からの発生が多く飲食店での発症は少なく、個人所有のご家庭も十分隅々までのアルコール消毒が予防になるとも言われている。
日本は島国なので水際対策を徹底すれば、他の国と違い収束する事は簡単である、此のような簡単な事も出来ない今の政治屋はクソだ!小学生でも此の答えは思いつくのだ。

一番の心配はバイデンだが、やはり悪の権化は共産主義である、中共、ロシア、恨の国の朝鮮(韓国も略レットちゃん)から舐められる、このままの対応では間違いなく尖閣は詐取されると思う、頑張れ日本。


その後冷蔵庫からヒエヒエのビールを頂く、最近キリンから発売されたビール「豊潤」酷があり定番のクラシックラガーより旨く感じた、コップに注ぎ適度な泡と混じったビールの旨さこの瞬間、生き返る気がする、疲れと若干のアルコールで忽ち爆睡状態です。昔キリンの「ビール職人」も美味かったが・・・

最近大手マスゴミの朝日新聞を筆頭に、大手NHKテレビ報道番組は嘘の垂れ流しで、その影響で広告代理店不要論が盛り上がり予算を切り替え、実はこのビールは先日寿司屋で試飲用のビールとして頂いた物です、最近電通も本社を売却しても赤字になっているが、キリンも代理店に依存の広告費を自社の宣伝費をサンプル様に使い本来の広告する主な目的と実行しだしたようです。

他社も宣伝費をサンプルに使い成功しているようである。本日もフジテレビの違反行為が発覚し政府判断を国民が注目することであろう、バッサリ放映権終始させよう。嘘の報道が多く反省もしない、注目は赤字新聞(朝日新聞)も相当赤字決算となると報道され真実が明らかになるのであろう。



翌日9時に目覚める。今月は何かと忙しくクライアントに連絡し予定を確かめ内容をチェックしに工程表に書き入れ、いつもの珈琲豆を挽きながら、アンプに火を入れる。珈琲をドリップに落としながら、特に筆者はフランス組曲を好みCDを聞く.勿論最近購入のレオンハルト/バッハ:鍵盤作品集成よりDisc 15:フランス組曲(全曲)曲種の対比も鮮やかな、組曲全6曲。

また有名な「イギリス組曲」もあるがまた「パルティータ」はイタリア組曲とすれば良いのと思うpartitaは直訳すれば組曲というイタリヤ語なんです、誰が此の様なタイトル名を付けたはハッキリしないが、これらの曲は間違いなくバッハの家庭生活から生まれたのが、フランス組曲を始めととする組曲のグループの様な気がする、特に二番目の奥様との生活に華やかさと楽しさが満ち溢れていたのでろうと伺える素適な組曲(Suite)が聴こえる。

世界の古楽の先駆者であったレオンハルトが、1975年に録音したバッハの全6曲からなるフランス組曲。音色を吟味しつつ、2種類のチェンバロを使用して録音がなされたといいます。組曲を構成するアルマンド、クーラント、サラバンド、メヌエット、ジーグといった曲種のニュアンスが対比も鮮やかに表現され、愉悦に満ちた世界が展開します。曲も少しオシャレ感、モダニズムな匂いを感じる演奏は心地良いのだが何時もと少し右側の音質が乱れるように聴こえる・・・・・?



事件です、微妙にバランスが乱れる、聞くうちにその調子は悪くなるのである、LS3/5Aに切り替えるとバランスは良い、原因はアンプ等ではなくIIILZ Monitor Goldにある、オールドユニット使用はこのあたりの故障はつきもので、いろんな意味において対応年数はとっくに過ぎており、購入した状態に保ち続ける難しさは承知のうえに聴き続けている事は事実である。
LS3/5Aに切り替えフランス組曲を聞きながら原因を調べて見ることにする。確かにTANNOYのIIILZ Monitor Goldユニットはクラシックを聞くには陰影が塩梅よく響き此の味わいわ他の製品では味わえない音が聞こえる。
小洒落た旋律の響きがかんじの「フランス組曲」は筆者もよく聴く居である


 ・フランス組曲第1番ニ短調BWV812
 ・フランス組曲第2番ハ短調BWV813
 ・フランス組曲第3番ロ短調BWV814
 ・フランス組曲第4番変ホ長調BWV815
 ・フランス組曲第5番ト長調BWV816
 ・フランス組曲第6番ホ長調BWV817

フランス組曲単独での購入は下記のジャケットです。録音詳細は同様です。



[使用楽器]
チェンバロ:パスカル・タスカンのモデルによるデイヴィッド・ルビオ製[1973年オックスフォード]=BWV813&816、同[1975年オックスフォード]=BWV812, 814, 815, 817)
[録音]
1975年2月[BWV813&816]、12月[BWV812, 814, 815, 817]ハーレム、ドープスヘヅィンデ教会(オランダ) ステレオ[78:25]レコード芸術・推薦

バッハの組曲はそのほとんどが家庭音楽的な側面を持っています。この「フランス組曲」も全6曲のうち5曲までが「アンナ・マクダレーナ・バッハのための音楽帖」に含まれている作品です。しかしレオンハルトの演奏には。その表面が見せている冷静で自己を抑制しきった相貌の底に、つねに変わらぬ強靭な意志と熱いパッションの奔流が存在しています。彼が目指しているのはバッハの客観的な再現ではなく、バッハが想像の中でとらえた音のイメージとその感動を現在の出来事として提示することなのです。この曲に関してはピアノよりチェンバロが一番に思うのです。



最近どうも右側のユニットに異変を感じる、ネットワークがの調整ダイヤルを回しても変化しなく、時折やや低域不足の音がし、ステレオ感が乏しい、

使用ユニットはTANNOY Monitor Gold III-LZ (1967年発売)現在使っているユニットの製造の正確な製造年数は不明であるが、発売はMonitor Gold 15"/12"と同時に発売された10inch同軸型2ウェイスピーカーシステム。当時ユニット単独でもネットワークが付属して販売していたようである。
  機種の定格方式  10inch同軸2ウェイ
           入力インピーダンス8Ω 
           磁束密度L.F:10,000Gauss 
           H.F.:15,000Gauss ボイスコイル直径L.F:2 1/2inch 
           H.F.:2inch 
           共振周波数30Hz クロスオーバー周波数1.2kHz 
           最大入力(W)15W 
           総重量4.05kg 
           付属クロスオーバーネットワーク



問題はクロスオーバーネットワークの原因が多く、調べるとレストア作業の詳細が明記してあるHPがありまた、又良く調べるとネットワーク図面の掲載もあるので紹介すします。



勿論筆者には修理不可能ですが知識を知る意味でも掲載することにした。



1.ネットワークです。事前のチェックによると電池のように見える緑色のコンデンサが不良でした。同一容量の代替部品に交換します。  

  

2.交換済みです。まったく同一の容量がないため、並列につないで数値をそろえます。

3.近くによって見ました。完成後再度動作チェックを行い、問題のないことを確認して作業完了です。     



クロスオーバーネットワークの作業が完了です。これはいつもどおりの作業でした。やはりいつもと変わらず今回交換したコンデンサーが不良でした。修理でお預かりする3LZも必ずといっていいほどこのコンデンサが不良なので、部品の特性なのかもしれません。



写真の上がENERGY、下がROLL OFFの調整。
ENERGYはダイヤルの真ん中がフラットで、プラス・マイナスそれぞれ2づつ高域を上げ下げ可能。左のダイヤルのROLL OFFは、ダイヤル一番左がフラットで、高域の下を3段階に下げられるというもの。(クロスオーバーの図で行くと、高域を減衰させる角度が変わる)

上の写真だと、Energyが+1で、Roll OFFが1段階減衰させているという見方。曲の合う/合わないが有るのは仕方ないとして、うるさくならないこと、定位がよいこと、キレはあるので生々しい感じがする、というところで、「これでいこう」と調整を終えました。



多分アッテネータの不良では無いのかの疑問が浮上する。そうなってくると余計に気がかりになる、筆者には勿論電気の知識もない、そこで思い出したことは筆者のオーディオの師匠筋の山岡氏の言葉でした。

結論としてMonitor Goldのアッテネーターは(HPD295)のアッテネーターも流用できると言った言葉を思い出し、大切に保管したHPD295のアッテネーターを早速分解し仮に接続して見ますと、大正解のようである、誠に旨い工合に鳴った原因はアッテネーターであるようだ。
早速近くのホームセンターにてアッテネーターに合う取付けビスを購入し、接続部分を良く清掃し最後に無水アルコールで入念に磨きあげる、その後接点復活剤を塗布し綿棒にて拭き取り接続する。

ついでに椿油を使いGOODMANS AXIOM 80の箱も良くから拭きをして仕上げる。飴色に磨かれたBOXはきれいである、勿論音の調整は音楽を聞きながらの調整に至る。意外と時間の掛かる作業である。



やはり原因はアッテネーターに原因があったようである、今後のことを考えると補修も考えなくてはいけないであろう。ユニット部分を外しアッテネーターを交換しテストする、暫く音出しをしアッテネーターが不良であることが判明、多分コンデンサー等の交換で蘇ると思うが、大切に保管する。

この様な作業はエンクロージャーに重量があり大変な作業となる、一人では転倒等注意が大変で、ジュニアにヘルプした。



何れにせよ(HPD295)のアッテネーターも流用で音はIILZ Monitor Goldは見事に甦ったようである。様にチェンバロ曲にはTANNOYのユニットに称賛ありだと思うが・・・・。
音質はやはりアンプは真空管に固執してみたい、但し真空管アンプも火を灯し最低30分間以上は音が安定しない事が弱点だが、利点も多く今後も色々な真空管アンプでチャレンジしてみたいところである。

久しぶりにアニー・フィッシャーのベートーヴェンのピアノソナタの109のアダージョから3楽章の強いアタック音の演奏を聴き思うは特にTANNOYの音は古楽器よりむしろモダン楽器のと相性が一番良いのかとも思う音が鳴ると思うが。このあたりは未だ解明出来ない音質の様である、詳しくアンプ等のオーディオ機器との相性では違った評価が得れれるかも知れない、まさにこのあたりの音が意味深いものであろう。モダンヴァイオリンの音色も大変魅力的な美音が聞こえる。
ピアノ音がこのように深く静かに鳴るのはチェンバロの響きと違いグランドピアノの深みのある音が鳴っているのだった、ブラボー!

仕事の合間の、印旛では有名な名所「松虫寺」の見学、意外と古くから伝わる歴史ある寺の検証

2021年04月03日 | 歴史の考察

本日は午後から仕事で、現場に行く、荷物をチェックし2箇所の現場だが、特殊車輌の搬入のため、閉店後の箇所もあり、明るいうちに作業できる場所を進め夜間作業は早めに切り上げるようにした。

報道カメラ随一のニコンも一眼レフ事業から撤退すると発表され、先日オーディオ機器のオンキョウも終焉を迎えたそうであり、趣味性の高い製品は所詮ガレージメーカーとしか生きられない時代に突入したようです。
特にこのオーディオ機器については圧倒的お年寄りの世界それとも録音技術、音楽評論などの芸術製が乏しくなったのであろうか?今や若人はイヤホン、ヘッドホン利用で充分であろう、オーディオ機器は今や年寄りの趣味として続くだけの道になるか?疑問である確かに一部の年寄を覗き一般には暇はあるが金が無いのだ。そうような時代になってもやはり「いい音」で音楽を聴きたいのである。


庭にはさくらんぼが実る桜の木にも花が咲き始める。花ニラは随分削除したが、残した所には花が咲きだした。

昼食を頂き現場の向かう、場所は印旛日医大方面で駅近くの公園には、下記のようなオブジェがあり前から不思議に思っていた。
その疑問は本日解決された、近くの松虫寺に見学に拝観し解決しました。



牛とそれに乗った女性が佇み、ある程度清楚な感じもする。仕事は2時間ほどで出来る作業は終了し、20時過ぎまで一旦長めの休憩です、勿論夕食には早く、前から気になっていた場所「松虫寺」に散策を兼ね行った。

正式な寺名は「千葉県印西市にある真言宗豊山派の古刹です」

印旛日医大駅からも意外と近いところにひっそりと佇む、いかにも古そうな寺「千葉ニュータウン印旛日医大地区に隣接する松虫寺 (まつむしでら)」
松虫寺は、聖武天皇が僧・行基に命じ形像6躯を造らせて七仏薬師を刻ませ、また都の工匠たちをこの地に遣わし、その薬師をまつる大きな寺を建てさせました。寺は姫の名に因んで松虫姫寺と呼ばれ地名も松虫となりました。

筆者などはこのあたりは松虫が多く発生する地区かな?と思った事は確かで、調べて見ないと分からないもので女人の名前とは知りませんでした。



先日ある日本の歴史書を見たときの記事の中にに、日本の暮らしの姿は縄文時代から兼業農家で穀類、野菜を耕し山のタンパク質、海のミネラルを吸収しバランスの良い生活をしていた。現に寿司屋に行けば多種の魚、白身、赤身、貝類が並ぶ、海外では考えられない多種の魚類が並ぶ国は珍しい環境下に住むことの尊さなんだそうです。正に食事は大変豊かな文化圏であったそうである。

天平の頃、聖武天皇の第3皇女松虫姫は幸せな日々を送っていました。いつからか病臥の日が多くなりました。ある日、下総萩原の薬師如来が姫の夢枕に立ち、「東国に下向して祈れば難病も癒ろう」とのことでした。そこで天皇は姫を牛の背に乗せ、行基が随って下総に来ました。下総の印旛にある萩原の地に着くと、姫は草案を結び、一心不乱に祈りをささげ、ついにその病に打ち勝ったとされます。
寺は「摩尼珠山医王院松虫寺」と呼ばれます。七仏薬師像は明治の神仏分離令により、神社の所管に移されています。境内には、六所神社、松虫姫神社が建てられています。


言い伝えの石碑もあります。近くにすみ30年ほどになるが、訪れたのは初めてで、先程駅近くの公園の謎も解明された。
公園には、牛むぐりの池と明記されている、ここで問題は牛の方。牛はずっと一緒にいた姫との別れに哀しみ暮れました。そして自ら池へ投身。牛は亡くなってしまいます。村人たちはその牛を哀れ、「牛むぐりの池」として伝えられることになります。
松虫姫公園にあるあの牛のモニュメントの意味はここにあったんですね。今はもう整備されてしまった公園の池ですが、この池はただの調整池ではなく、このような物語が語れ継がれる場所だったのです。

松虫寺所在地は〒270-1602 千葉県印西市松虫7です。
入り口からは見えるは意外と落ち着いた山門です。勿論仁王像もあります。


当寺の創建は奈良時代の天平15年(743)、聖武天皇が僧行基に命じて創建されたと伝えられています。はじめ三論宗のちに天台宗、そして真言宗豊山派に所属し現在に至っています。

山号は摩尼珠山(まにしゅざん)と称し、寺号は松虫寺(まつむしでら)と言い正式には摩尼珠山医王院松虫寺と掲示してあります。


山門を横から撮影、今回は16時となり撮影には少し暗い条件で、全体に暗い(アンダー目)の写真にはご容赦ください。
仁王像二体です。のぞき穴からの撮影で仁王様が見下ろしているお姿です。本殿向かって右側の仁王像。


もう一体、流石迫力ある姿に圧倒される。本殿向かい左側仁王像。


覗き窓から見える仁王像は大変迫力満点で下から見上げるお姿は立派であります。
そして山門をくぐると本殿がみえます。



境内に入場すると、様に桜の季節で散り際ですは、2種の桜、八重の桜が綺麗でした。

本尊は、平安後期に改刻された七仏薬師群像で藤原彫刻の特色を伝える優像として昭和34年に国の重要文化財の指定を受けました。榧材を用いた一木造りの彫眼像で彩色は施されていません。現在は保存庫としての役割を担う瑠璃光殿に安置されています。


南面する建物、仁王門と薬師堂は江戸時代の享保3年(1718年)に八代将軍吉宗公の援助を受け江戸板橋の大工 源太夫によって改築されました。

「摩尼珠山」の山号額は讃州松平家の儒者 佐々木 文山の筆。
薬師堂の扁額「瑠璃光」は釈 雲照の筆。
瑠璃光殿の掲額は真言宗豊山派管長 故平林 宥高大僧正の染筆。

 西面する四脚門と本堂は慶応元年(1865)年の建立で本堂内には阿弥陀如来、不動明王、松虫姫尊像をお祀りしています。薬師堂の裏手にある松虫姫御廟は姫薨去の際、遺言によりご遺骨を分けて埋葬されたものと伝えられています。


七仏薬師瑠璃光如来(国重文)
坐像の中尊を中心に、脇に小さな立像が3躯ずつ左右に並ぶ形式で、平安時代初期に中央から地方に広まった、いわゆる七仏薬師と考えられる。いずれもカヤ材の一木造で、像高は、中尊坐像が54.3㎝、立像はいずれも38㎝の小像群である。中尊と立像は、着衣の形において違いがあること以外は、作風や顔の形などはまったく同じであり、同一仏師による一具のものとして、平安時代末期に造像されたと考えられる。

 普通は、七仏が光背に取り付けられたり、描かれたりする場合が多く、松虫寺のこの像のように坐像と立像の組み合わせの例は他に知られていない。古い様式の七仏薬師は全国的にみても珍しく、この松虫寺と滋賀県の鶏足寺だけであるそうです。



本堂参拝、意外と手入れが行き届き全体に清楚で美しい。
隣に小さな寺がある、本殿向かって右側の「六所神社」このあたりの新緑は綺麗で、丁度桜の時期と重なりコントラスト華やかな感じが綺麗でした。


また境内の大きな木が植わっているが樹齢何年になるのであろうか?


入り口付近にも大きな木が植わっていて、歴史を感じる轟々とした木である。

次が松虫姫神社である、本殿左側にあり遠目で見ても色彩が艶やかである。
今から約千二百年あまり昔のこと、奈良の都は聖武天皇のご治世、天皇三番目の姫としてお生まれになったのが松虫姫(不破内親王)です。大変、美しいお姫さまとの評判でしたが十四歳の時、重い病気に罹られました。


都の名医たちが八方手を尽くしても効果なく困り果てておりました。ある夜、姫の夢枕に白髪の老人が現れ「私は下総の国萩原村(現在の印西市萩原)の出戸の薬師如来の使者です。お姫さまが萩原の里まで下られてご参籠なされば、その病は必ず治るでありましょう」とお告げがありました。姫がこの事を父君陛下に申し上げますと、天皇はそれを当時の名僧行基僧正にご下問になり、僧正の進言により姫は下総の国へと下られる事になりました。

姫を牛の背に乗せ、お供として行基僧正、姫をお育てした乳母の杉自(すぎじ)、警護として武士の権の太夫、ほかに召使が三人という少人数で道なき道を分けながらの長い旅が始まったのです。
姫は都に帰りました。ご両親陛下を始め一同の喜びは例えようもありません。


よく見ると象の彫刻もあり手の込んだ作りは歴史を感じる。皇室ゆかりの由緒ある寺院だと思いました。変哲もない建物だが隅々まで細工を施している様子である。



せっかく治った病気でしたが、姫は短命で若くして世を去りました。姫の遺言『私が死んだら火葬にして骨の半分を下総の国のあの薬師堂の裏に葬ってほしい』との言葉が守られ、お骨は使者に抱かれて再び下総に下り薬師堂の裏へ葬られました。

朝廷の命により、出戸の地は萩原村から分けて松虫村とし薬師堂と姫の墓を守るために寺を建てました。これが松虫寺です。今も松虫姫のお墓が残っていますが、撮影は暗くて出来なかった。
乳母の杉自の墓は、寺の北五百メートルほどの所に『姥塚』として残っています。


最近歴史を調べますと、世界でもこれ程長い間、天皇を中心に歴史を持つ国は日本だけである、中国三千年の歴史といえど、中共は前の皇帝が亡くなると全てを殺し全く新たな国を作り変化していった歴史は本来の史学と言えない。勿論欧州も同様で二千年以上続く皇室の歴史は日本だけである。日本人として誇りは持ちたいものである。
また意外と近くにこの様な歴史ある寺があった事は全くしりませんでした。その後夕食を頂き無事仕事も終了しました。
次は天気も良く早い撮影条件の良い時期にゆっくり散策します。ブラボー!

追伸、
最近明智十兵衛に関する新しい解読がされていると聞きます、信長の「是非に及ばず」の言葉の意味と光秀の「敵は本能寺にあり」の号令は発してなかった。非常時に何があったのか光秀、信長との展開に興味が湧きます、本能寺の変は秀吉のほら話も交じる展開とも言える顛末が述べられている、其のように考えると秀吉は無類の知恵者とも思うが、悪の権化とも思う、黒田孝高(官兵衛)が一口、口を滑らせた「殿今がチャンス」と言った為大出世は出来なかったことを思えば、相当の悪知恵(猿知恵)が働くものであったのであろう。

まだ知れれていない本当の事実があるように思うのは筆者だけなのであろうか?勿論漢字も読めなかった秀吉が勉学に努力し三国志の史実も知り、全くの不思議な事が多く今後の史実も注目してみたいと思う次第である。