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伝統ある英国のTANNOY IIILZで聴く、音楽の父J.S.バッハ音楽を知る喜び・・・

音楽好きのIIILZ Monitor Goldユニットの箱を改良して楽しむダメオヤジ金ちゃんです。

初めてBEATLESを聴いたのは1963年17歳の時、衝撃のWITH THE BEATLESのLPレコードだった、今回はBEATLESを検証する

2025年04月03日 | JAZZ・ボサノヴァ

筆者の記憶に残る当時17歳(高校2年生)の頃夢中で聴いた1963年発売のビートルズ第2弾、このアルバムからアメリカでの快進撃が始まりました。『ミート・ザ・ビートルズ(Meet The Beatles!)』は、かなりショッキングなアルバムで高校生の頃友人たちと毎日聴いていたアルバムでもありました。
本来ならば前作から僅か8ヶ月、1963年リリースのセカンドアルバム【WITH THE BEATLES】の筈ですが、何故かアメリカデビュー盤キャピトルレコード1964年リリース【MEET THE BEATLES】のマッチングスコアです。

今思えばこの英国のBeatlesグループの音楽によりスクラップアンドビルドと音楽業界がなった訳で、一番影響を受けたのはJAZZが衰退して行った事の様であろう。ポップスと言う分野が新しく生まれたのだった!



後で知るが、収録曲が若干違います、共通する曲目は4〜12まで、デビューアルバムよりも作曲能力・歌唱能力ともに実力が増している、更にこの 頃から録音機材も4トラックになっている(シングルの1.3.、他は未だ2トラック今と比べればオモチャですが工夫でここまで出来る)。このアルバムからアメリカでの快進撃が始まりますが、キャピトル編集のアルバムに本人達は憤慨していたこれは実質Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Bandまで続く。

勿論当時オーディオ等とはかけ離れた装置で簡便なプレイヤーに5級スーパーラジオを改造して頂き現在のパワーアンプの様に増幅し簡単な箱に入れた6吋ほどのフルレンジのスピーカー1個でモノーラルで夢中で米軍放送(AFN(エイエフエヌ、英: American Forces Network、アメリカ軍放送網をアメリカ軍が海外に駐留または配属されている人々に提供している政府のテレビ・ラジオ放送)を夢中でポップス、ジャズを雑音と一緒に聴いた記憶がある。これが筆者にとってはオーディオ的な物に関わった始まりであろう。確かに装置より音楽に興味は強かった思いがある様です。



余談ですが【WITH THE BEATLES】との収録曲の違いは以下に、(【MEET THE BEATLES】の1・2・3が減って7・8・10・12・14が増えた)これらの内7・10・12・14は【THE CAPITOL ALBUMS VOLUME 1】に掲載されている。
 1. IT WON’T BE LONG
 2. ALL I’VE GOT TO DO
 3. ALL MY LOVING
 4. DON’T BOTHER ME
 5. LITTLE CHILD
 6. TILL THERE WAS YOU
 7. PLEASE MISTER POSTMAN
 8. ROLL OVER BEETHOVEN
 9. HOLD ME TIGHT
 10. YOU REALLY GOT A HOLD ON ME
 11. I WANNA BE YOUR MAN
 12. DEVIL IN HER HEART
 13. NOT A SE

 <日本盤のみ>
 日本盤LP帯デザイン(通称国旗帯)の意匠をモチーフにした帯付
 英文解説翻訳付
 歌詞対訳付
このアルバムは多分レコード傷が多くあるが多分実家に未だ残してある記憶はあるのだが確かめてはいない。

母国イギリスではすでに”ビートルマニア”の熱狂が最高潮に達していたが、その熱はアメリカにも波及しつつあった。その興奮が、この日をきっかけにアメリカをはじめとする世界各国で一気に爆発したのである。かくしてブリティッシュ・インヴェイジョンは始まったのだった。

素晴らしいの一言につきますね。1日中聴いていても、常に新鮮に聴こえます。
今も好きではあるが、当時からこの曲の演奏はとても好きで良く歌っていた記憶があります。
なお、ポールが歌う「Till There Was You」はカバーだったのですね。この美しい曲はポールの作詞作曲かと最近まで信じきっていました。

ティル・ゼア・ウォズ・ユー(Till There Was You)
  Gibson J-160E(John)
  Höfner Bass (Paul)
  Classical guitar(George)
  Bongo (Ringo)
6曲目に収録されたミディアムスローナンバー。ポールの甘い声とビートルズのアコースティックサウンドが心地よい名曲である。
元々は1957年のブロードウェイミュージカル「Music Man」の為に書かれた曲で、その後様々なアーティストにカバーされているが、ビートルズは1961年にペギー・リーがリリースした物を参考にカバーしている。
ビートルズはデビュー前からこの曲をレパートリーにしており、ハンブルグでのステージや、デッカでのオーディションの際にもこの曲を演奏している。
ポールの音楽性の幅広さが、この曲を選ぶことからも伺える。
この曲はまず1963年7月18日に、アビイ・ロード第2スタジオにて録音された。
3テイクだけ録音して、そのうちの2テイクが完全に演奏できた物だったが
出来映えが気に入らずに後日やり直しに。(この時はエレキ編成だったらしい)
1963年7月30日のセッションで再度リメイク開始。
「この曲にドラムスは合わない」という判断の下、リンゴがボンゴを叩く事にして、
何度かテイクを重ね、先日の1テイク目から勘定して、8テイク目が最終バージョンに選ばれた。



ビートルズの「Till There Was You」は、1957年のブロードウェイミュージカル「The Music Man」のためにメレディス・ウィルソンによって書かれた曲です。

ビートルズはこの曲を1963年にカバーし、彼らのアルバム「WITH THE BEATLES」に収録しました。ポール・マッカートニーの甘いボーカルとアコースティックなサウンドが特徴的で、ビートルズがブロードウェイの曲をカバーした唯一の例となっています。この曲は、ビートルズの繊細さと音楽的多様性を示す素晴らしい例であり、ファンにとっては彼らのレパートリーの中でも特別な位置を占めていますネットで調べますと何と楽譜を見つけました。

イントロ進行表を見つけました!

F
F#dim
Gm7
C7
F
F#dim
Gm7
C7
Aメロ
F

F#dim

Gm7

Bbm7

F
Am7 Abm7
Gm7
C7
F

Gm7
C7
F

F#dim

Gm7

Bbm7

F
Am7 Abm7
Gm7
C7
F

F7

サビ
Bb

Bbm

Am7

D7

Gm
GmM7
G7

C7

Caug

エンディング
C
B
C

F

Db7(9)

F

Fmaj7






これはジャズの曲なので、コードもジャズのスタンダードな進行。イントロの F - F#dim(元はD7-9でしょう)- Gm7 - C7 はFのキーにおける Imaj - VI7 - IIm7 - V7 となることから、俗にイチロクニーゴーと呼ばれます。ジャズの曲では定番中の定番です。

Aメロでは途中Bbm7を挟みますが、これがとてもおしゃれ。IVmはサブドミナントマイナーと呼ばれ、柔らかい響きが特徴ですが、J-POPなどでよく見られるようなベタな使い方と違い、非常にさりげない配置。その後に出てくるAm7-Abm7の半音下降も含めて、使われ方が絶妙です。

BメロはBb(IVmaj)からスタート。ポイントはGm7 - (GmM7) - G7 - C7でしょうか。普通ならGmM7のあとはGm7に行くのがほとんどですが、ここでG7をもってくることで、明るさを保っています。ラストのCaugはこの曲でも印象的な一発。
ちなみにライブではBメロの同じ場所が Gm7 - GmM7 - Gm7 / G7 - C7 となっており、Gm7を一回挟む感じになっている模様。ライブ盤は演奏も結構違うので、一番下に別枠で書いてます。
ちなみにライブではBメロの同じ場所が Gm7 - GmM7 - Gm7 / G7 - C7 となっており、Gm7を一回挟む感じになっている模様。ライブ盤は演奏も結構違うので、一番下に別枠で書いてます。





基本は分散和音ですが、弾いたり弾かなかったり。アドリブというよりはこう弾くと決めて弾いているような感じを受けますが、実際にバンドでやる際には暇が多すぎるので、薄くコードを弾いておいても良いと思います。ページの一番下にあるライブ版をコピーするのもおすすめ。


Am7 - Abm7 - Gm7 の箇所はジョージが上からかぶせて弾いているようにも聞こえますが、原曲では2本ともガットで良く聞き取れません。
ポジショニングはライブ映像で確認済み。おそらくこれで間違いないでしょう。
出だしは普通の単音ですが、3〜4小節目からコードが混じります。ここは譜面にないですがスタッカートがかかってます。その後の10fのセーハのようなところは、右手をダウンで弾きながら、左手指を引いた順番に先っぽから浮かせていくと、音が1音ずつ切れて良い感じになります。
半音下降のところもスタッカート気味。コードなので流しっぱなしになりがちですが、ピッキングと同時に常にコードを切っていくようにします。
その後のGb7はかなりフォームがきついので、どうしても指が届かなければ6弦2fを削ってしまうのも一手。



エンディング用に半音移動のにくいコード進行が付いています。伴奏もそれに合わせた細やかなオブリに。コード進行的にはFの後のDb7(9)が絶妙。上の譜面ではGb7になってますが、これは間違い。
ここはあまりリズムに正確にやるよりも、少しもったり気味に弾くと良い感じになります。
コードバッキング
普通のセーハをして押さえるバレーコードではなく、ジャズの手法にならって、下のような形のコードを使うとそれらしくなります。書いてませんが、半音下降のAm7-Abm7もGm7のフォームをずらして弾いています。



バッキングをしっかり聞いてみると、随所に出てくるC7をC7(9)に、サビ前などに出てくるF7をF7(9)として弾いているようです。



F#dimは1〜4弦を押さえるタイプのものを使い、3フレットずらしても同じコードになるディミニッシュの特性を生かして、下のような動きをしている場所があります。



主にAメロの1段目、3段目ですが、やったりやらなかったりなので、完全にアドリブで入れている模様。
全体的には8ビートのシンプルなストロークで適当にコードを弾いているだけですが、そもそもの進行が難しいので、練習しないときついかもしれません。上のコード表を参考にする場合、開放弦をミュートして4本だけしか鳴らしていないようなコードが多いので、不要弦のミュートがこれまた難しいです。
この様な解説を見ればリズム練習次第では弾ける様になりそうです。70歳の手習いのつもりでギターを弾いてみようと思いますが・・・!
またビートルズ音楽の楽しみは色々あり如何にも今風にアレンジを試みた演奏も行われたいる様でもある。良い音楽は永遠の様でもある。



当時のシングルレコードの曲では、ザ・ビートルズ「I Want To Hold Your Hand (抱きしめたい)」が人気絶大で合った・・・
1964年の全米を手中に収めた一曲であり一世代を代表するヒット曲を生み出した直後である。次のシングルの制作にあたって萎縮してしまう者もいるだろう。しかしながらザ・ビートルズはそこで奮起したのである。当時、彼らの評判は急激に高まっていた。そしてジョン・レノンとポール・マッカートニーは、”ビートルマニア”が一大現象となってからは初めてとなるヒット・シングルの作曲に着手した ―― その楽曲こそが「I Want To Hold Your Hand」だったのだ。
二人はセントラル・ロンドンのウィンポール・ストリート57番地でこの作品を作り始めた。そこは、マッカートニーの新たな恋人だった女優のジェーン・アッシャーの家族が暮らす家だった。マッカートニーはその家の屋根裏にある独立型のアパートに移り住み、地下にあるアッシャーの母の音楽室を自由に活用していたのである。また、彼らの初期のヒット曲にはめずらしいことではなかったがこの曲はレノンとマッカートニーが完全に共同作業で作り上げた楽曲だった。

でも当時から筆者好みは未だに聴くTill There Was Youのアルバムですが、色々探し楽譜を見つけた次第でもあるが、自分のギターでサビの部分でも爪弾いて見たくなりました。今も大好きなビートルズのアルバムの数々です。ブラボー!


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2 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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Till There Was You (mobu)
2025-04-03 22:29:09
私がビートルズを聴き始めたのは、彼らが解散してしまってしばらくたって
からでした。兄・姉などいるクラスメートは、早くに聴き始めていましたから
追い付いていませんでした。しかしながら、ビートルズのインパクトは強く、
惹かれましたね。ギター(エレキ)を持っているのは不良と言われた時代ですから
何とも言えませんでしたが、中学・高校とギター持って遊んでいたものとしては
不良にもなれなくて、リーゼントするわけでもなく、普通の学生でした。
ビートルズ自体はキャバーンクラブあたりが、本番と練習をみっちり仕込まれる
所だったのでしょうから、ライブ・バンドと言われてもうなずけます。
ビートルズは音源も(海賊版を含め)出尽くした感もなく、資料や文献も今だに
でてくる。多分最後のシングルになるであろう「ナウ・アンド・ゼン」。彼らは
本当に仲が良かったのでしょうね。2回目の編集のLET IT BEも見ましたが、
あれが本当の彼らだったのではないかとも思えました。若い頃から、彼らには
アメリカのブラックミュージックなどからの影響や、レコ―ド集めを趣味に
していたようなところがあり、随分細かくコピーしていたようです。
それに、ジョージマーチンも加わって怖いものなし。彼らは成長するしかなかった
のかもしれません。それだけの才能もあったのかもしれませんが。
「ティル・ゼア・ウォズ・ユー」ジョージのナイロンギターは「ホセ・ラミレス」
なのでしょうか。「アンド・アイ・ラブ・ハー」はそうらしいですが、それにしても
ジョージがあの曲のクラシック・ギターのパートをすべて考えられたというのはある意味
驚きです。ロックンロールをエイト・ビートで刻んでいた子が、あのジャズ風のコードを
使いこなしてて、だれかの入れ知恵があったのではと思いますが、そういう情報は今まで
出てこないし肝心のジョージは天国の人なので、確かめようがない。今はタブ譜付きの
譜面まであるのですね。若い頃は耳コピだったので、音さえ満足に取れませんでした。
ポールの甘いVoと、ジョージのギターで決まりの曲ですね。時に、私は日本盤の
ミート・ザ・ビートルズが彼らの初めてのレコードでした。あの、ハーフ・シャドウの
ジャケ写は傑作ですね。いまだにあれを超えるものはないと思います。
すみません。与太話長くなってしまいました。たぶん彼らには、ずっと、楽しませて
もらえると思います。それだけのグループですね(笑)。
返信する
コメントありがとうございます (金ちゃん)
2025-04-04 07:59:28
>mobu さんへ
>Till There Was You... への返信
このビートルズと言うグループは、今も心に残る偉大なバンドでもあり、
JAZZ音楽の一つを終わらせたグループでもあった様です。

当時高校2年生時代は学校の規則でやっと丸坊主から学生らしい頭の毛は伸ばしても良いと解禁された時代でもあった。当時はギターはクラシックギターオンリーの時代でフォークギター等は高嶺の花であった。
しかしよく考えるとスローバラード曲はクラシックギターの音色が合う様ですね!
勿論ビートルズ音楽等を聴く若者は不良だと云われた時代でもあった、懐かしい時代でもある。

当時イギリスのロック・ミュージシャン、俳優、作曲家である。
「ミック」の愛称で親しまれ、イギリスのロックバンド、ローリング・ストーンズのボーカルとして知られるミックジャガーの人気もあった時代でもあったが・・・。

しかし私としてはビートルズの音楽性が優っていた様に思う。
彼らのその後は輝かしい事柄が待ち受け、レコーディングのおもしろさにとりつかれたビートルズは、
ツアー活動と並行させながら、『ラバー・ソウル』(1965年)と『リボルバー』(1966年)という
脱アイドルのアルバムを制作していた。
個人的にはラバー・ソウルは今も偶に聴くビートルズソングである。
このアルバムを聴くあたりで、横道に逸れたのが、バッハのチェンバロ曲でもあった。
思い起こせばジャズ音楽バロック音楽を覗かせて貰ったのがビートルズでもあった。
そしてオーディオ機材に興味を持った正に青春時代でもあった。
確かにビートルズ世代に生きた喜びは今も大変感謝している。
今後も思い出してはビートルズのアルバムを聴き続けるのであろう。
頭の中の音楽は60年前と全く変わらない様でもある。

いつも貴重なコメント感謝します、今後とも宜しくお願いいたします。
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