当時改革が行われQUAD 33QUAD 303などのトランジスターに移行を認めなんでしょうが・・・そういえばマランともマランツTに変更した時期と重なります。未だトランジスターは銘機に羅列されたはいません。
タンノイは特に弦に素晴らしい演奏の音質を提供してくれる評判は高いので是非メンテナンスを思案しています。果たして現在のアンプで上手く鳴るのか心配です。
色々雑誌を見ても真空管が上手く鳴るとの記事が多くTANNOYユニットは特に能率は良いのでシングルの300B片側8W程のアンプで十分ドライブ出来るのですが・・・・・
宗教音楽を多く残し、教科書で目にした肖像画が いかつい表情なので、退屈で頑固な太ったオジサン、というイメージを持つ人も多いが(もちろん小生も以前はそうだった)、でも 愛する女性に花束や小鳥をプレゼントするロマンチストであり、子供の教育のために「転勤」を願う教育パパだったりもした。
また今日でこそ“音楽の父”と呼ばれているが、生前はそれほどの流行作家ではなく、生前に楽譜として印刷された作品はたったの9点のみ。
其の少なさには驚きですが、『無伴奏チェロ組曲』においては自筆譜すら残っていないという。
確かにバッハの音楽が民衆に広く知られるようになるのには年月がかかっていますが、それは一般向けの演奏会というのが 少なかったという社会的事情も絡んでいます。
最大の理由はバッハがオペラを作らなかったことも影響しているでしょうか?当時の民衆には人気が無いようですただ、バッハの死後にもバッハのカンタータを演奏していた教会がありましたから、一般の方が作品に触れる機会もあったわけです。
いまほどでないにせよ、民間にその名を知る人もいたはずです。
メンデルスゾーンの功績がなかったら。しかし先にも述べたとおり、バッハを受け入れる聴衆がいなければ メンデルスゾーンの演奏の成功がなかったのも事実です。そのメンデルスゾーン自身、 自らバッハの音楽を発掘したわけでなく、子供の頃に祖母から楽譜をプレゼントされたというのですから、プレゼントに値するだけの評価が、すでに有ったはずなのです。
もちろんメンデルスゾーンの演奏がなければ、以後のバッハ受容は様相が変わっていたでしょう。
でもそれがなくても、きっとバッハの作品はその価値を見出されたに違いないと信じたいです。
厄介な練習曲としてしか知られていなかった無伴奏チェロ組曲が、カザルスに高く評価されて広く知られるようになった例もありますし。
J.S. バッハが30代半ばのケーテン時代(1717年-1723年)に作曲したと思われます。
J S Bach 無伴奏チェロ組曲第1番
無伴奏チェロ組曲 BWV 1007-1012はチェロの単純な練習曲程度のものとして永らく埋もれていた。それが20世紀に入り、パブロ・カザルスの手によって再発掘され広められた。
今ではバッハの作品の中でも「マタイ受難曲」をはじめとする多くの宗教曲や無伴奏ヴァイオリン・ソナタ集とならび称される崇高な名曲に挙げられている。 この時代、3の倍数が好まれたことに影響してか、6曲構成の楽曲が好んで作られた。
ブランデンブルク協奏曲やピアノ曲のフランス組曲、イギリス組曲などみな6曲からなる。有名な無伴奏ヴァイオリンも6曲です。
Ⅰ.Praeludium(前奏曲)、
Ⅱ.Allemande(アルマンド)、
Ⅲ.Courante(クーラント)、
Ⅳ.Sarabande(サラバンド)、
Ⅴ.Menuetto I/II(メヌエット I/II) or Bourree I/II(ブーレ I/II) or Gavotte I/II(ガヴォット I/II)、Ⅵ.Gigue(ジーグ)の6楽章から成っている。
この曲が当初練習曲とされたこともあって演奏技術的には段階を踏んで高度になって行く。第1番や第2番はチェロを始めて2年から3年程度で挑戦可能とされ、第3番までなら演奏自体はそう難しくないといわれる。
しかし、その音楽には底知れぬ深みのある内容を含んでいて、生涯をかけて研究するほどの価値を持つ大曲とされる。
昔と違って昨今の奏者の技術力の高まりとともにみながこぞってこの曲を弾き、収録をする。それは自身の演奏人生の集大成と捉えてのものもあれば、まだそこまでに至っていない若い奏者でも演奏をするのである。
一見単純そうな構成のなかにも重音奏法なども駆使して一つの楽器とは思えないような多彩な効果を生み出すために、奏者によってさまざまな解釈や演奏法があって、そのあまりにもの違いに驚かされる。
多くの演奏を聴いてみたが、音楽の深み、滋味、劇的さ、崇高さなどあらゆる観点から比較してパブロ・カザルスの右に出る演奏はなかった。
しかし、それに迫るような、安らぎと愛を秘めた演奏者もいました。
そして筆者も昔から好きな演奏者、チェロの教科書とも言える ピエール・フルニエ(チェロ)1906年パリ生まれ。
パリ音楽院に学び、1924年デビュー。以後ソリストとして活躍すると同時に、ヴァイオリンのシゲティやピアノのケンプほか多くの名演奏家と室内楽活動も行い、洗練された高雅な演奏で世界的名声を確立。大チェリストとして多大な尊敬を集めた。
1954年以降はたびたび来日。1986年死去。特にアルフィーフ盤の音が素晴らしい。
筆者は演奏家や録音による音の違いを愉しめるほどのクラシック音楽マニアではないが広く浅くが信条だが、唯一例外がある。それがバッハの『無伴奏チェロ組曲』。この曲だけは何枚ものCDを聴き比べ、僕にとってこの曲は昔から良く聴く曲であります。
『無伴奏チェロ組曲』は1番から6番まであり、それぞれが6曲で構成されているから全36曲。通して聴けば2時間以上だが、 さすがに疲れるのでほぼ毎日は聴来ませんが、チェンバロ曲と交互に聴いています。
特に弦楽器を聴く場合、筆者所有のIIILZ(111LZ in Cabinet 、1961年発売)- 当初の使用ユニットは当初III-LZだったが 1974年HPD295に変わり、チャーヴェニング(Chevening)と命名された。
◆イートン(Eaton 、1977年発売) - 使用ユニットはHPD295A。
◆チェスター(Chester 、1979年発売) - 使用ユニットは2528。
1974年 - 工場で火災が発生、音質の要であったコーン紙工場が全焼。この頃筆者もレクタンギュラーヨークを発注したが火事のため却下された思いがあります。再起不能かと言われたが、 薄手の西ドイツ・クルトミューラー社製コーン紙を使用できるように再設計された新型ユニット HPD(High Performance Dual concentric)シリーズを開発。
1976年 - ティアックが日本輸入代理店となり大々的に輸入が開始される。
モニターH.P.Dシリーズのユニットをバスレフ型エンクロージャーに組み込んだスピーカーシステム ユニットには10inch同軸型2ウェイユニットであるHPD295を搭載しています。エンクロージャーはバスレフ方式となっており、仕上げはゴールデン・チークと、つや消しのメラミンラッカーによるミッド・ウォルナット化粧仕上げの2種類がありました。
色々調べますとやはり弦には凄く好く鳴ってくれそうです。このこのタンノイIIILZのメンテも今後 ブログに取り上げていったみたいに題材です。
昔から勉強嫌いな筆者は、最近は大昔購入した白水社のバッハ叢書を開いています。
最近老眼鏡が無いとこの様な小さな文字の本を読むのも大変です(笑)やっとこの年で理解出来る内容の事が書かれています。未だAmazonで販売しているようなのでバッハについて調べたい方は是非このバッハ叢書は細かく詳しく書かれていますので、詳しく載っていますので興味ある方は一度御覧ください。