I先生と、同じ宿に泊まったときの、話。
娘さんがカナダで白人の外科医と結婚しているのだそうである。
当然、混血のお孫さんがいる。
娘夫婦の生き方が、実に上手だ、
「まさに、人生を楽しむべくして楽しんでいる」と言う。
この話は、四十年前、いや三十年前でもいいが、聞きたかった。
定年後、さて何をしようかと考えたとき、愕然とした。
現役時代の四十年は、今後いかに過ごすかの、何の足しにもならなかった。
当たり前のことであるが、仕事でしていたことは、家や地域では、なんの役にも立ちそうになかった。
振り返れば、四十年の“空白”、そのものである。
そこで、その空白を取り戻すには、どうすればよいか考え、
「したくて出来なかったことをする」ことであろうと考えた。
ところが、したくて出来なかったことそのものが、
はっきりしないのである。
結局のところ、何を具体的にしたいのか、分からないのである。
そこで、手当たり次第に、ちょっかいをだしている。
しかし、一朝一夕で楽しめるはずが無い、
楽しめるようになるには、それなりの修練が必要である。
二兎を追っては、修練が実を結ばないよと、先生方はおっしゃる。
間違いなく、その通りであろう。
しかし、絞込みすら出来ないのである。
答えは、見えたようなものである。
残りの人生も、
空白で終わるのも、またよしとしよう。