12345・・・無限大  一粒の砂

「一粒の砂」の、たわごと。
無責任結構・ 中途半端・ちゃらんぽらん・ 出たとこ勝負、で参りましょう!

頑張る

2006年10月10日 05時25分20秒 | Weblog

ストレッチ体操とはどんなものかと、
ご質問を頂いた。

この体操の絵入りパンフレットのコピーを、
持ち帰られた。

一瞬、「ご一緒に如何」と言いかけて、止めた。

妊婦にたとえると、赤子三・四人分の胴回りである。

組体操になると、相手方が、全体重を預けてくるものがある。

こうなれば必ず潰されることは明白である、
たまったものではない。

組手としては、不適切な人である。

持ち帰られたパンフレットを元に、
実際に試みられたようであった。

「頑張ります」とメールを頂いた。

頑張らないで、
ボチボチおやりくださいと答えたら。

「頑張ります」とは、
「継続することを頑張る」との事であると返事が届いた。

この方は、見た目には判らないが、
かなりひどい腰痛持ちと伺っている。

この改善を目的として、
ストレッチ体操を試みておられるのであろう。

神よ、「頑張り」と共に
「腰痛改善効果がありますように」と、
陰ながら祈るのである。

そのうち、ブログで、
成果報告があると信じている。

数ヶ月後が、楽しみである。

(あとがき)
後日、肩こり体操などの、
インターネット情報を、メール頂いた。

判りやすい動画入りの解説であった。

参考にさせていただいている。

こちらも対抗上、体操する時間を、
幾分延長している。

その分、ビデオ編集の時間が減少した。


モノ

2006年10月09日 07時08分54秒 | Weblog

物欲から晩節を汚した人、
財産を残し相続で大騒動、・・・、

この種の心配は一切ない。

VHSテープ、ビデオカメラテープ、DVDなど、
日々増加している。

“モノ”に攻められているような気がする。

「つれづれ草」 第七十二段

「賎しげなる物、居たるあたりに調度の多き。
硯(すずり)に筆の多き。・・・」

こんな言葉が、身にしみている。

「モノ」はあふれると、困るのである。

しかし、「思い出」・「知識」などは、
増えても困らない。

「余計なモノを持たないのは、
最高の贅沢だが、

どうしても手離したくないのは苦労を共にし、

いまぼけごっこを互いに楽しむわが女房殿・・・」

と書いていた人がいた。

こんなことの言える人が、
羨ましい!


にしんそば

2006年10月08日 03時13分31秒 | Weblog

同窓生からメール来る、
冒頭に「にしんそば」大嫌いとある。

いい気味である。 

せめてこれくらいでしか、勝てないのである。

小生は、偏屈・変人・自己中である、博愛主義なんかどうでもよいのである。

故に、 { にしんそば好き = 偏屈+変人+自己中 } 

と言う、方程式が成立する。

こんな旨い物を、他人に摂られることなど、どうしても許せないのである。

大嫌いが多いほどよいのである。

大好きが増えては、こちらの取り分が減るから、困るのである。

京都で同窓会をすると案内を貰った。

どいつもこいつも出世ばかりして、

電話をすれば秘書と話さねばならず、
肩書きを見れば重役や社長ばかり、

落ちこぼれの小生にとっては、
敷居の高いこと、この上なしである。

今度こそ、カラオケのマイクを独り占めして、
平素の鬱憤を晴らさねば。


超割

2006年10月07日 03時44分52秒 | Weblog

確率からすると、人口の十分の一は、東京近郊に住んでいる。

ご他聞に漏れず、叔父・叔母、当然、いとこ達もそうである。

また、娘や孫達もそうである。

したがって、東京方面に出かけることが多くなる。

高速バスの料金が安いので、これを利用してみたが、

「昼寝をしに来たのか!」と、大変な不評をかってしまった。
眠れないのである。

CAにお気に入りが居るわけでもない、
誰にも言えない「重要な秘密の狙い」があるのと、
単に、格安だから利用しているのが、空路である。

岡山空港は、駐車料金ゼロ、無期限駐車が出来る。

JRでは、こうは行かない、駐車料金が、課金されてしまう。

3ヶ月前に、「超割」や「バーゲンフェア」と称する格安航空券が販売される。

往復で、JRより、約1万円くらい安くなる、
これは大変な魅力である。

このためは、3ヶ月前に予定を決定することが必須条件である。

これが、日常のスケジュールを決める、
大きな要因の一つになっている。

先進国では、裕福な順に、

船、続いて、鉄道・航空機・自家用車・バスの順で

利用すると言われているが、だんだんそれに近づいてきた。

(問題点)
早朝と夜間は、霧による視界不良が、起きやすい。

欠航、あるいは高松や伊丹に降りたり、
羽田に引き返したりすることも、ままある。

この覚悟は必要である。


自信喪失

2006年10月06日 06時10分28秒 | Weblog

山登りをしていた頃の古い話から始める。

 天気予報:
ラジオを聞き天気図を書く。

これを元に、天気予報を行った。

しかし、長いこと使用する必要がなったので、
この能力は、退化してしまった。

カミナビ:
地図=紙=「カミ」と磁石と携帯ラジオが、
ナビゲーションの三種の神器であった。

これは現在も、活用している。

あまり辺鄙なところには行かなくなったので、
ラジオを使うことは無くなった。

 

ドライブでは、小生の「カミナビ」に自信を抱いていた。

「カーナビ」なんか、くそ食らえである。

アルバイトの帰りを利用し、ビデオの下見に、
三朝温泉から10kmほど山奥に入った「三徳山 投げ入れ堂」に出向いた。

帰途、湯原IC目指して、R179線を南下、R482へ分岐、
津黒高原スキー場入り口付近までは、順調そのもの。

ここを過ぎてから、しばらく行くと周囲の様子がおかしくなった。

車が少ない、国道を走っている雰囲気でない、
とんでもない山奥の雰囲気。

 

異常を感じたので、カミナビの登場となったが、
小雨に加えて山が迫って周囲が見えない、
地形の割り出し不可能、夕闇が迫った、焦る。

そこに中型のバスが、通りかかった、早速そのあとを追尾。

ところが、1kmほど先で停車、乗客一人を降ろすと、Uターン、行き止まりであった。

直ちに、運転手さんに、
「岡山に帰る、湯原ICは?」とお尋ねした。

「後に続け」、その先導のおかげで、
無事湯原ICに出ることができた。

 

小生の「カミナビ」の限界を思い知らされ、
自信を喪失の一日となった。

 

それでも、頑固に「カミナビ」で頑張るつもりである。

今回のように、カミナビならではの出会いや、
ご親切を頂ける、得がたい機会にめぐり合えるからである。

カーナビで、全く道に迷うことが無くなったら、
味気ない旅になってしまうのである。

マチガイがあるから面白いのである。

 

運転手さんのご親切には、
「感謝の最敬礼」と「お礼の言葉」でしか
報いることはできなかったので、

近日中に、新聞の投書欄に投稿する予定である。

掲載されるとよいのであるが。


めん

2006年10月04日 04時49分17秒 | Weblog

 麺は、小生の大好物である。

うどん・ラーメン・日本そば何でも大好きである。

なかでも、特別に好きなのは、「にしんそば」である。

身欠きにしんを何日もかけて甘辛く煮たものが、日本そばの上に乗っているのである。

関西では、あまり見かけないが、関東では比較的良く見かける。

にしんが、かなり“えぐい”感じがするので、好きな人と嫌いな人が、はっきりと分かれる食べ物である。

この一風変わった味が、小生には堪らないのである。

しばしば、ご当地麺を楽しんでいるのである。

インスタント麺も、忘れてならない好物である。

全世界で約850億食が年間に消費されている。

内54億食が、国内消費との事。

一人約50食を年間食べる勘定である。

ご他聞に漏れず、小生もよく食している。

便利で美味しいのである。

韓国では、多種多様なインスタント麺が、至る所で販売されている。

東南アジアでも同様だったと記憶している。

まず、お店で、カップめんを購入し、ホテルで熱湯を注ぎ、その国独特の味を味わうのが、また旅の楽しみである。

しかし、非常に不思議な感じがしたが、今回の中国旅行では、全くインスタント麺にお目にかかれなかった。

お目にかかるのは、通常の生めんのみであった。

なぜインスタント麺が中国に無いのか、誰かにその訳を聞いてみたいものである。


ゼロ番札所

2006年10月03日 05時07分16秒 | Weblog

某TV放送局の「趣味講座」に、四国巡礼の作法を学ぶ講座が開講した。

時代も変わったものである。

ついに、お寺参りが、趣味になったのである。

しかし、その講座を拝見して、
いかに自分のお参りの仕方が、我流になっていたか、思い知らされた。

大変有益で、参考になった。

まだ、始まったばかりなので、最後まで勉強し、これからは、正しい作法を励行しようと思っている。

四国八十八箇所は、一番から八十八番までの番号がついている。

高野山には、特に番号があるとは聞かないが、最後にお礼参りに行くと聞いている。

原則的には、番号順にお参りすべきであるが、広大無辺の弘法大師のことである。

お参りする人の都合の良い順番で、お参りすることも差し支えないのだそうである。

ある人から、ゼロ番札所があると聞いた。

調べてみると、
ゼロ番札所とは、中国西安市にある「青竜寺」との事だった。

ここで、インターネットから、引用する。

「空海の時代、青竜寺は、恵果阿闍梨が別当で、
当時の密教の重要な道場の一つとして最盛を極めた。

密教を求める僧侶が国内外から訪れた。

日本からは[入唐八家]のなかの六家(空海、円行、円仁、恵運、円珍、宗睿)が前後にして青竜寺で密教を学んだ。」

と記載してあった。

弘法大師の言葉で、印象的なのは次のものである。

生まれ生まれ 生まれ生まれて 生のはじめに暗く

死に死に 死に死んで 死の終わりに冥し

大師は、遣唐使船で上海の南方に漂着し、半年かけて西安にたどり着いた。

翌年「阿闍梨(最高位 大日如来の位)」に選ばれ、
第八代の密教継承者となり、「遍照金剛」の称号を授けられ、

最後の遣唐使船で辛うじて帰国、今日の仏教の隆盛をもたらした、

またご承知の通り、書・教育・土木工事など数々の業績を残された奇跡の天才である。

今回の旅では、オプショナルコースに追加してもらい、同行の4名のお方にも無理をさせたが、
「ゼロ番札所」にお参りがかない、胸の痞えがとれた。

作家「夢枕獏」氏は、小説『陰陽師』が映画化され、
主役の安倍晴明を狂言師野村萬斎が演じ、大ヒットしたことで、読者はよくご存知であろう。

彼の作品の一つに、

「沙門空海 唐の国にて鬼と宴す」

と題するものがある。

天才空海を、人間味豊かに描いた秀作と思う。

読み出したら止まらず、
一気に読破してしまうこと請負である。


お勧めの一冊である。


ぼうずり

2006年10月02日 02時45分35秒 | Weblog

調理は、サボルとてきめん腹が減るし、放置すれば生命の危険があるので、
仕方なくであるが、それなりに励行している。

面倒ならば、弁当屋さんや惣菜屋さんのお世話になればよい。

食べる楽しみと、また若干モノを作る楽しみにも助けられて、それなりに楽しんでいる。

ただ問題なのは、ベテラン主婦の数倍時間が掛かることである。

これは、そのうち、ベテラン主夫になれば、おのずと解決すると楽観視しているが、
何時のことになるのかは、不明である。

洗濯は、洗濯機に放り込んでおけば、勝手に済ましてくれる。

あとは干しておけば、おテントウさまが勝手に乾燥してくれ、夕方取り込み、箪笥に放り込むと完了。

実質作業時間数十分、いとも楽なのである。

「整理整頓まるで駄目」の歌の文句通りなのである。

一番嫌いな作業は、整理整頓・掃除である。

とにかく嫌いなのである。一番苦になるのである。面倒なのである。

拭き掃除に到っては、「拭き上げ総面積」を計算して驚いた。

なんと床部分だけで150平方メートル強、これに窓・壁・その他を加算すると、250平方メートルを優に越えてしまうではないか。

これでは堪らないので、拭き掃除はほとんどしていない。

ご来客の皆様方の、靴下のウラでお掃除をしていただいている。
(極力スリッパをお出ししないのである)

風呂掃除の要領について、御伝授しよう。

1. まず、浴槽内面にシャワーモードで軽く湿りを与える、同時に、ぼうずりも湿らす。

2. 湿ったぼうずりに、洗剤を数回スプレーする。
これで、浴槽内面に洗剤を塗布するが如く、ぼうずりで軽くなでる。

3. ここで数分間放置、洗剤が十分に働くまで待つ。

4. その後、シャワーモードで浴槽内面を泡が無くなるまで、よく洗浄する。

これで完了。
所要実働時間数分である。

唯一まじめの励行しているのが、風呂の掃除である。

我が家の“ぼうすり”に、まじめさを証明させよう。

ぼうずりを購入したときの毛の長さは、4.5cmあった、1年後、その毛の長さは半分までに磨り減った。

この事実を見れば、いかにまじめに掃除をしているか、一目瞭然である。

さて、良妻に飼育されている日本の男性に、一言申し上げたい。
(外国の多くの男性は、家事労働を相当広範囲に分担しているので)

まず、お宅の「拭き掃除総面積」を計算されたい。

そうすれば、いかにお宅の良妻が大変な仕事を担っているか、理解出来るはずである。

そうしたら、「ねぎらい」と「感謝」の言葉を、

毎日“心から口に出して”、良妻に申し聞かせられたい。

さらに、心からの贈り物を時々すると、尚良いと思う。

もし、悪妻をお持ちの場合には、
これまで同様、何もする必要はない。


欠落

2006年10月01日 06時00分11秒 | Weblog

月末は、新聞に我が句会の句が、市内版に掲載される。

おやー?と思った、八名分しか掲載されていない。

どうしたのかなと思い、早速世話役さんに電話をした。

 いつもは、片面印刷で計2枚のcopyをつくり、
新聞社に渡すのであるが、環境を考慮して、
両面印刷1枚に変更して、渡したとの事である。

裏面があることを、見落とされたようである。

したがって、裏面に記載された人達の句が、全て欠落したようである。

どこで手違いが生まれるか判らないものである。

次回以降、再び片面刷りに戻すことにした。

以前、転記ミスが発生したので、転記をしなくてもよいように、


各作者に短冊をご記入頂き、それを貼り付けてcopyし、
新聞社に渡すように手順を改善したことがある。

リコール、回収など、世間でも様々な問題が続発している。

後も、思いがけないミスに備えて、工夫が必要となることであろう。

まずは、いかなるミスが起こりうるのか、

想像力をフル回転して予測することが必要なのであるが、
これが難しいのである。

この種の想像力は、思いのほか働かないのである。