今日の商店会長 (早稲田商店会相談役 安井潤一郎)

日本でただ一人、商店会の会長現職で衆議院議員になった、早稲田商店会前会長日記。公式ホームページは左下ブックマークから。

7月9日・稲毛屋会

2006-07-09 21:35:22 | 商店会長のコメント
午前中からお昼にかけて早稲田の事務所での来客対応3件を済ませ、田町のポートボウルで開催されていた早稲田大学、慶應大学のボウリングクラブの早慶定期戦に出席しました。当初はゲームに参加する予定でしたがそれが叶わず成績発表、懇親会のみの参加になってしまいました。結果は?、当然早稲田の勝ちです。

終了後、赤坂キャピタル東急ホテルに移動して東京稲毛屋会の夏季リクレーションに合流しました。今年のリクレーションは国会見学会と、こちらキャピタル東急ホテルの中華料理会食です。

稲毛屋という屋号を名乗っている親戚、暖簾(のれん)別けのお仲間は現在東京都内で28軒です。その28軒のお仲間が組織しているのが東京稲毛屋会、一番ピークの時は都内に74店舗在ったのですが小売業の厳しい時代、この数字になってしまいました。

遠くは寛政の頃に神奈川県川崎の稲毛という土地(川崎市役所の隣に稲毛神社があります。今の町名は堀の内です)の人が六郷で獲った川魚や鰻(うなぎ)を神田鍛冶町近辺で販売したのがルーツのようです。ルーツのお店は閉店してもう商売はやっていません。ですから我が暖簾会では「本店」という名称は使わないという不文律があります。

川魚、鰻から鶏肉と販売品目を増やし第二次大戦後に牛豚肉の販売、いわゆる肉屋になったのがうちの暖簾会の歴史のようです。東証1部上場の平仮名の「いなげや」さんは戦後の乾物屋さんからスタートされたと聞いています。東証の1部上場ですから我々のような零細小売の暖簾会とは比較になりませんが歴史はうちの方が古いんです。ただ古い、というだけですがたった一つの自慢でもあります。

私ども早稲田の稲毛屋は昭和の40年代最後半に父親が「専業店では今後難しい。これからは生鮮三品自営のミニスーパーだ」と言って業態の変更をして今に至っています。父親が亡くなった後、私が社長を25年間務めて来ましたが昨年の衆議院選挙を機に社長は弟にゆずり、息子を店長にしました。稲毛屋は「お客様に合わせる」というのが社是のようなものだったそうで、「昔は金魚も花火も売っていたんだ」と一族の長老から聞かされた事がありますので今後はどのような店になるのか、楽しみです。

写真は国会前での記念写真です。残念ですがこれには間に合いませんでした。
コメント (2)
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