後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「カトリック小金井教会の今朝のミサ風景」

2017年07月23日 | 写真
今日の司式はイエズス会の山中大樹神父さまがなさって下さいました。山中神父様の説教は、神様が私達一人一人を強く愛しているという話でした。いろいろな例えを使って神様が私達一人一人を強く愛しているということを懇切丁寧に話して下さいました。

今朝のミサの風景の写真をお送りします。









宗教と宗派の違いが中東の戦乱を一層複雑にする

2017年07月23日 | 日記・エッセイ・コラム
中東のイスラエルとパレスチナ自治政府ではユダヤ教徒とイスラム教徒が対立し、抗争を続けています。一方同じイスラム教徒でもシーア派のイランがスンニ派のサウジアラビア王国と激しく対立しています。
そして6月5日にはスンニ派の国々のサウジアラビア、アラブ首長国連邦(UAE)、エジプト、そしてバーレーンの中東4カ国が、同じスンニ派のカタールとの国交を断絶すると発表しましたた。これはサウジなどの4カ国が、カタールが過激派やイラン寄りグループとつながりがあると主張して断交したのです。
これには流石のアメリカも驚いてしまいました。カタールには米軍の強力な軍事基地があり、一方親米国のサウジにも大規模な米軍基地があるからです。
このようにスンニ派とシーア派が中東では複雑に抗争を激化し、中東の戦乱を一層混迷を深くする原因になっているのです。

それではイランのシーア派と、その他の大部分のイスラム教国のスンニ派とはどのように違うのでしょうか?

預言者ムハンマドは632年に亡くなりました。その亡き後のイスラーム国家の指導者すなはち最高権威者であるカリフはムハンマドの子孫であるべきだと主張する派がシーア派です。一方、子孫の中からではなく、話し合いによって皆から選ばれたものがカリフとなるべきと主張する派がスンニ派なのです。
そこでシーア派とスンニ派の分布を示す図面を以下に示します。

1番目の写真は中東地域におけるイスラム教スンニ派とシーア派を示した地図です。イランがシーア派です。その他は全てスンニ派です、イラクは両派が混じっています。シリアは70%がシーア派です。
この図の出典は、https://syukatsulabo.jp/article/1493 です。

ここでもう一度、中東の地図を見てみましょう。

2番目の写真は中東の国々を示す地図です。
この地図の出典は、http://www.i-ise.com/jp/column/salon/201501.html です。 
この地図で広大な領土のあるのはイランとサウジアラビア王国です。その間にアメリカが必死で石油の利権を守っている湾岸の4国が挟まっています。クエイトとバーレンとカタールとアラブ首長国連合(UAE)です。
そして地中海よりに現在も戦乱の続いているシリアがあります。その南隣がレバノンとヨルダン王国です。そしてその西の地中海に面して紛争の絶えないイスラエルとパレスナ自治区があります。
この地図と1番目の写真を見比べるとこの中東におけるスンニ派とシーア派の分布が概略分かります。
それでは世界のイスラム国のスンニ派とシーア派の分布はどのようになっているのでしょうか?

3番目の写真は広範囲な地域のスンニ派を青で示した地図です。イランがシーア派でイラクが混在した地域です。世界のイスラム教は90%がスンニ派です。この写真の出典は、https://waitbutwhy.com/2014/09/muhammad-isis-iraqs-full-story.html です。

これらの図にあるようにスンニ派とシーア派が単純に対立し抗争を続けているのなら理解し易いのですが、事実はもっと複雑なのです。
例えば今回のカタールとの断交の原因を、http://jp.wsj.com/articles/SB10372492675706814214504583189914160888692 から抜粋してみます。
=====抜粋文です==============================
サウジなどの 4カ国はカタールと中東地域の政策について意見が衝突していたのです。
カタールはパレスチナ自治区を実効支配するハマスやエジプトのムスリム同胞団など、イスラム原理主義組織のメンバーを支援しています。
またシリアなどの過激派組織との関係も一部で維持しています。
サウジ、UAE、エジプト、そしてバーレーンはこのカタールの態度を不愉快に思いカタールと衝突したのです。
両サイドは中東地域でのサウジとイランへの対応でも対立しています。サウジはイランとの対立姿勢を強めており、友好国も後に続くことを期待しています。しかしカタールは外交を通じた問題解決を支持し、対立や戦争には反対なのです。
このようにカタールは同じスンニ派のサウジなどの4ケ国と対立して断交にまでなってしまったのです。
今回の外交関係の断絶で、空路と陸路の全ての交通を遮断したのです。小さな半島国であるカタールの首都ドーハでは、住民がパニックに陥り、スーパーで商品を買い占め銀行から預金を引き出すなどしているそうです。
そればかりではありません。
 今回の国交断絶は、湾岸地域内の対立を振り返っても、過去数十年で最も緊迫した状況だと言われています。
米政府が「イスラム国(IS)」の一掃と過激派組織への対策を強化しようとする中、米国と緊密な同盟国同士が衝突しているのです。
米国が主導するイスラム国(IS)への空爆も、カタールの米軍基地内に司令センターが置かれているのです。
アメリカにとっても実に困った事態なのです。
===抜粋の終り==================================
このように中東地域では単純にスンニ派がシーア派と抗争すると理解したら大きな間違いになるのです。
中東地域の戦乱はイスラエルとパレスチナ自治区を実効支配するハマスとの抗争と必ずのように関連があり、さらにエジプトのムスリム同胞団との関係も問題になるのです。

その上、スンニ派とシーア派の入り組んだ抗争の他に、キリスト教の一派のエジプトのコプト教とスンニ派との対立があります。
そして欧米ののキリスト教も中東地域に散在しているのです。この欧米流のキリスト教はイスラム教徒と対立します。
従って中東地域の戦乱は異なる宗教勢力や違う宗派勢力は複雑に絡み合って混迷を深める一方なのです。

以上を整理します。
中東地域の宗教勢力は以下の通りです。
1、イスラム教スンニ派(サウジ、ヨルダン、エジプト、アラブ首長国連合、クエート、バーレーン等)
2、イスラム教シーア派(イランとシリアとイラクの一部)
3、ユダヤ教(イスラエル国)
4、キリスト教コプト派(エジプトやエチオピア)
5、各地に散在するキリスト教など

これらの宗教と宗派が対立と抗争の原因になっているのです。
その抗争は単純に宗教的な対立ではなく各国の利害の抗争と結びついたものなのです。そしてアメリカとロシアの石油権の利害と覇権主義が重なり中東の戦乱は支離滅裂の様相を呈しているのです。
この混戦状態は1618年から1648年にかけてヨーロッパで起きた混戦の『30年戦争』と非常によく似ていると言われています。

ここで問題提起ですが、「どのようにしたら中東の戦乱を止めることが出来るのでしょうか?」

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)
===参考資料=======================
30年戦争とは;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%8D%81%E5%B9%B4%E6%88%A6%E4%BA%89

三十年戦争は、ボヘミアにおけるプロテスタントの反乱をきっかけに勃発し、神聖ローマ帝国を舞台として、1618年から1648年に戦われた国際戦争。ドイツとスイスでの宗教改革による新教派(プロテスタント)とカトリックとの対立のなか展開された最後で最大の宗教戦争といわれる。当初は神聖ローマ帝国内で局所的に起きた小国家同士のプロテスタントとカトリックの戦争が、ドイツ以外のデンマーク、スウェーデン、フランス、スペインなどヨーロッパ中を巻き込む国際戦争へと発展した。戦争はカトリックの国であるフランス王国がプロテスタント側につくなど、次第に宗教とは関係のない争いに突き進んだ。統一的な様相としては、フランス王国ブルボン家およびネーデルラント連邦共和国と、スペイン・オーストリア両ハプスブルク家のヨーロッパにおける覇権をかけた戦いであった。宗教とは関係の無い領土欲、物欲、覇権欲にかられた汚い混戦であり、ヨーロッパの暗黒の時代であった。以下省略。