後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

日本に生まれた幸せ、共産主義中国に生まれた人々の幸せ

2017年07月19日 | 日記・エッセイ・コラム
日本人の多くはこの山紫水明の日本に生まれたことを幸せに思います。四季折々、鳥が美しい声で鳴き、花々がはなやかに咲くこの国に生まれた幸運に感謝します。自由と平等の行きわたった民主国家に生まれたことをしみじみ幸福だと感じます。
そのように感じることは大変良いことです。そのような人々は尊敬すべき心の持ち方の人です。
ところが一方それでは、共産党の独裁の国、中国の人々は不幸なのでしょうか?
最近のことですが、民主化運動に命を捧げた劉暁波氏の死を見た多くの日本人は中国人は可哀相だと言います。中国人は不幸だと見下します。そして共産党独裁は悪だと非難します。
そして日本人は中国人より幸福だと言います。中国人は不幸だと断定します。

今日の私の主張はこのような考え方は根本的に間違っているという主張です。
現在の中国人は幸福感をしみじみ味わっている筈です。勿論、劉暁波氏のような少数の英雄的な人々は別にして大多数の中国人は現在ほど幸せな時代はないと深く感謝しながら幸せに暮らしているのです。
過去の塗炭の苦しみの歴史からやっと抜けだしてアメリカと肩を並べる勢いになったのです。餓死する恐れが無くなり綺麗な家に住み、美味しいものを食べられるようになったのです。こんな良い時代になったことを中国人は共産党政府に感謝します。それは人間として自然ではないでしょうか?当然ではないでしょうか?

それでは中国の過去の塗炭の苦しみの歴史とはどのようなものだったのでしょうか?
その歴史を劉暁波氏と中国の知識人ら303人の連名で発表した「08憲章」の前文に明快に書いてあります。( http://www.a-daichi.com/freetibet/charter08/ )

以下に私が分かり易く書き換えた抜粋を示します。
19世紀中期の歴史の激変によって、中国の封建的な伝統的専制制度の腐敗が明るみに出されたのです。
中華大地における"数千年来類を見ない大変局"の序幕が開かれたのです。
西洋化運動においてはまず物質面の改善が追求された。
しかし、日清戦争の敗北でまたしても清国の体制の古さが明るみになったのです。
数々の改革で制度面での革新にまで手が伸びましたが、頑迷な保守派の残酷なまでの鎮圧に遭い西洋化の改革は失敗に終わったのです。
しかし清朝を倒した辛亥革命では、2000年以上に及んだ皇帝独裁制度を表面上は葬り去り、アジアではじめての共和国が孫文たちにより建国されたのです。
しかし、当時の内憂外患と苦しい歴史的条件から共和政体は一時的なものに終わり、専制主義が捲土重来したのです。
西洋文化の物質面での模倣と、西洋流の制度革新の失敗により、国民は中国文化の病根を深く反省し、"科学と民主"を御旗とする"五四"新文化運動が起こったのです。
しかし中国国内における軍閥同士の内戦の頻発と外敵、特に日本の侵入のため中国政治の民主化は中断してしまったのです。
しかし抗日戦争に勝利した中国は再度、憲政への道を開きましたがそれは再び内戦によって挫折してしまったのです。内戦とは国民党軍と共産党軍の熾烈な戦いでした。
この国共内戦の結果、共産党軍が勝利すると、中国は共産主義の全体主義のどん底へと陥っていったのです。
1949年に天安門広場ではなやかに建国された"新中国"は、名前こそ"人民共和国"ですが、その実態は"党の天下"であったのです。
共産党の政権政党は政治・経済・社会の全ての資源を壟断したのです。
続いて、1、反右派闘争、2、大躍進、3、文化大革命、4、天安門事件などによって人々は塗炭の苦しみを味わったです。
宗教活動や人権権運動の弾圧など一連の人権災害を引き起こし、数千数万の命が奪われ、国民も国家も無残な状態になったのです。
そして鄧小平の時代になりました。"改革開放"により、中国は毛沢東時代の普遍的貧困と絶対的な全体主義からやっと抜け出し、民間の富が増大し、民衆の生活水準は大幅に改善されたのです。・・・以下省略します。

以上のような暗い苦難の長いトンネルを抜けて、現在の中国人は内戦で殺される恐れも、餓死する恐れも無くなったのです。こんなにも人民が幸せな時代は中国5000年の歴史に存在していなかったのです。
ですからこそ私は大多数の中国人は幸福だと考えているのです。
その幸福は外国人である日本人の理解を越えています。
しかし日本人が昭和の戦争の時代や敗戦後の飢餓の時代を思い返せば、現在の中国人の幸福感が想像出来るはずです。

今日の結論は、世界中どこの国の人も、その幸福さや不幸さを評価する客観的な尺度は絶対に存在しないということです。どこの国の幸福さの度合いにも上下、優劣がないのです。北朝鮮の人々も絶対君主制のサウジアラビア王国の人々も皆それぞれに幸せなのです。
他国を不幸な国だと非難するのは貧しい心です。
それと自由と平等の重要さはまったく別な問題なのです。

今日の挿し絵代わりの写真は先日、奥多摩町の海沢で撮ったノウゼンカズラの花の写真です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)