今日は面白く痛快な作品をご紹介いたします。夏目漱石の『坊っちゃん』です。『坊つちやん』は夏目漱石によって1906年(明治39年)雑誌「ホトトギス」に発表された小説です。全文は青空文庫に掲載されています。(https://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/752_14964.html )<以下はその抜粋です。
『坊ちゃん』の冒頭の文章。
・・・親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている。小学校に居る時分学校の二階から飛び降りて一週間ほど腰を抜ぬかした事がある。なぜそんな無闇をしたと聞く人があるかも知れぬ。別段深い理由でもない。新築の二階から首を出していたら、同級生の一人が冗談に、いくら威張っても、そこから飛び降りる事は出来まい。弱虫やーい。と囃したからである。小使に負ぶさって帰って来た時、おやじが大きな眼をして二階ぐらいから飛び降りて腰を抜かす奴があるかと云ったから、この次は抜かさずに飛んで見せますと答えた。 ・・・
坊ちゃんが四国の松山の中学校の教師になるため松山の海岸に着いた時の情況。
・・・ぶうと云って汽船がとまると、はしけが岸を離れて、漕ぎ寄せて来た。船頭はまっ裸かに赤ふんどしをしめている。野蛮な所だ。もっともこの熱さでは着物はきられまい。日が強いので水がやに光る。見つめていても眼がくらむ。事務員に聞いてみるとおれはここへ降りるのだそうだ。見るところでは大森ぐらいな漁村だ。人を馬鹿にしていらあ、こんな所に我慢が出来るものかと思ったが仕方がない。 ・・・
いよいよ松山の中学校に行って校長に会う場面。
・・・校長は薄ひげのある、色の黒い、目の大きな狸のような男である。やにもったいぶっていた。まあ精出して勉強してくれと云って、うやうやしく大きな印の捺った、辞令を渡した。この辞令は東京へ帰るとき丸めて海の中へ抛り込んでしまった。校長は今に職員に紹介してやるから、一々その人にこの辞令を見せるんだと云って聞かした。余計な手数だ。そんな面倒な事をするよりこの辞令を三日間職員室へ張り付ける方がましだ。・・・
東京に残した女中の清を懐かしく思い手紙を書く場面。
・・・清は心配しているだろう。難船して死にやしないかなどと思っちゃ困るから、奮発して長いのを書いてやった。その文句はこうである。「きのう着いた。つまらん所だ。十五畳の座敷に寝ている。宿屋へ茶代を五円やった。かみさんが頭を板の間へすりつけた。夕べは寝られなかった。清が笹飴を笹ごと食う夢を見た。来年の夏は帰る。今日学校へ行ってみんなにあだなをつけてやった。校長は狸、教頭は赤シャツ、英語の教師はうらなり、数学は山嵐、画学はのだいこ。今にいろいろな事を書いてやる。さようなら」・・・
教頭の赤シャツに釣りに誘われる場面。
・・・君釣に行きませんかと赤シャツがおれに聞いた。赤シャツは気味の悪いように優しい声を出す男である。まるで男だか女だか分りゃしない。男なら男らしい声を出すもんだ。ことに大学卒業生じゃないか。物理学校出さえおれくらいな声が出るのに、文学士がこれじゃ見っともない。野だは大嫌いだ。こんな奴は沢庵石をつけて海の底へ沈めちまう方が日本のためだ。赤シャツは声が気に食わない。あれは持前の声をわざと気取ってあんな優しいように見せてるんだろう。いくら気取ったって、あの面じゃ駄目だ。惚るものがあったってマドンナぐらいなものだ。・・・
山嵐と坊ちゃんが奸物の赤シャツと野だを殴る場面。
・・・「だまれ」と山嵐は拳骨を食わした。赤シャツはよろよろしたが「これは乱暴だ、狼藉である。理非を弁じないで腕力に訴えるのは無法だ」「無法でたくさんだ」とまたぽかりと撲る。「貴様のような奸物はなぐらなくっちゃ、答えないんだ」とぽかぽかなぐる。おれも同時に野だを散々に擲き据えた。しまいには二人とも杉の根方にうずくまって動けないのか、眼がちらちらするのか逃げようともしない。「もうたくさんか、たくさんでなけりゃ、まだ撲ってやる」とぽかんぽかんと両人でなぐったら「もうたくさんだ」と云った。野だに「貴様もたくさんか」と聞いたら「無論たくさんだ」と答えた。「貴様等は奸物だから、こうやって天誅を加えるんだ。・・・
山嵐と坊ちゃんが東京に帰ってからの後日談。
その後ある人の周旋で街鉄の技手になった。月給は二十五円で、家賃は六円だ。清は玄関付きの家でなくっても至極満足の様子であったが気の毒な事に今年の二月肺炎に罹って死んでしまった。死ぬ前日おれを呼んで坊っちゃん後生だから清が死んだら、坊っちゃんのお寺へ埋て下さい。お墓のなかで坊っちゃんの来るのを楽しみに待っておりますと云った。だから清の墓は小日向の養源寺にある。・・・
この夏目漱石の『坊っちゃん』は何度も映画化されたのでご覧になった方も多いと思います。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)
挿絵代わりの写真は「坊ちゃん」の映画ポスターです。


『坊ちゃん』の冒頭の文章。
・・・親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている。小学校に居る時分学校の二階から飛び降りて一週間ほど腰を抜ぬかした事がある。なぜそんな無闇をしたと聞く人があるかも知れぬ。別段深い理由でもない。新築の二階から首を出していたら、同級生の一人が冗談に、いくら威張っても、そこから飛び降りる事は出来まい。弱虫やーい。と囃したからである。小使に負ぶさって帰って来た時、おやじが大きな眼をして二階ぐらいから飛び降りて腰を抜かす奴があるかと云ったから、この次は抜かさずに飛んで見せますと答えた。 ・・・
坊ちゃんが四国の松山の中学校の教師になるため松山の海岸に着いた時の情況。
・・・ぶうと云って汽船がとまると、はしけが岸を離れて、漕ぎ寄せて来た。船頭はまっ裸かに赤ふんどしをしめている。野蛮な所だ。もっともこの熱さでは着物はきられまい。日が強いので水がやに光る。見つめていても眼がくらむ。事務員に聞いてみるとおれはここへ降りるのだそうだ。見るところでは大森ぐらいな漁村だ。人を馬鹿にしていらあ、こんな所に我慢が出来るものかと思ったが仕方がない。 ・・・
いよいよ松山の中学校に行って校長に会う場面。
・・・校長は薄ひげのある、色の黒い、目の大きな狸のような男である。やにもったいぶっていた。まあ精出して勉強してくれと云って、うやうやしく大きな印の捺った、辞令を渡した。この辞令は東京へ帰るとき丸めて海の中へ抛り込んでしまった。校長は今に職員に紹介してやるから、一々その人にこの辞令を見せるんだと云って聞かした。余計な手数だ。そんな面倒な事をするよりこの辞令を三日間職員室へ張り付ける方がましだ。・・・
東京に残した女中の清を懐かしく思い手紙を書く場面。
・・・清は心配しているだろう。難船して死にやしないかなどと思っちゃ困るから、奮発して長いのを書いてやった。その文句はこうである。「きのう着いた。つまらん所だ。十五畳の座敷に寝ている。宿屋へ茶代を五円やった。かみさんが頭を板の間へすりつけた。夕べは寝られなかった。清が笹飴を笹ごと食う夢を見た。来年の夏は帰る。今日学校へ行ってみんなにあだなをつけてやった。校長は狸、教頭は赤シャツ、英語の教師はうらなり、数学は山嵐、画学はのだいこ。今にいろいろな事を書いてやる。さようなら」・・・
教頭の赤シャツに釣りに誘われる場面。
・・・君釣に行きませんかと赤シャツがおれに聞いた。赤シャツは気味の悪いように優しい声を出す男である。まるで男だか女だか分りゃしない。男なら男らしい声を出すもんだ。ことに大学卒業生じゃないか。物理学校出さえおれくらいな声が出るのに、文学士がこれじゃ見っともない。野だは大嫌いだ。こんな奴は沢庵石をつけて海の底へ沈めちまう方が日本のためだ。赤シャツは声が気に食わない。あれは持前の声をわざと気取ってあんな優しいように見せてるんだろう。いくら気取ったって、あの面じゃ駄目だ。惚るものがあったってマドンナぐらいなものだ。・・・
山嵐と坊ちゃんが奸物の赤シャツと野だを殴る場面。
・・・「だまれ」と山嵐は拳骨を食わした。赤シャツはよろよろしたが「これは乱暴だ、狼藉である。理非を弁じないで腕力に訴えるのは無法だ」「無法でたくさんだ」とまたぽかりと撲る。「貴様のような奸物はなぐらなくっちゃ、答えないんだ」とぽかぽかなぐる。おれも同時に野だを散々に擲き据えた。しまいには二人とも杉の根方にうずくまって動けないのか、眼がちらちらするのか逃げようともしない。「もうたくさんか、たくさんでなけりゃ、まだ撲ってやる」とぽかんぽかんと両人でなぐったら「もうたくさんだ」と云った。野だに「貴様もたくさんか」と聞いたら「無論たくさんだ」と答えた。「貴様等は奸物だから、こうやって天誅を加えるんだ。・・・
山嵐と坊ちゃんが東京に帰ってからの後日談。
その後ある人の周旋で街鉄の技手になった。月給は二十五円で、家賃は六円だ。清は玄関付きの家でなくっても至極満足の様子であったが気の毒な事に今年の二月肺炎に罹って死んでしまった。死ぬ前日おれを呼んで坊っちゃん後生だから清が死んだら、坊っちゃんのお寺へ埋て下さい。お墓のなかで坊っちゃんの来るのを楽しみに待っておりますと云った。だから清の墓は小日向の養源寺にある。・・・
この夏目漱石の『坊っちゃん』は何度も映画化されたのでご覧になった方も多いと思います。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)
挿絵代わりの写真は「坊ちゃん」の映画ポスターです。


