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後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「2007年にこのブログを書き始めた経緯」

2025年04月18日 | 日記・エッセイ・コラム

皆様はブログを始めた時、どのようないきさつで始めたのでしょうか?

私は2007年の10月に下のようなきさつで書き始めました。

その時、甲斐駒の眺めを楽しみながら車をゆっくり走らせていました。

私の山小屋のそばに住みついている木内正夫さんが歩道の上で挨拶しています。車を止めたら、相談事があるので後で私の小屋へ行くといいます。001

1番目の写真は熊さんの手になる芸術作品です。先端からワイヤーが下がっていて巨大な鉄球がぶら下がっています。広い公園の中心にあり甲斐駒の景観に負けない迫力があります。

小屋の前で焚火をしていたら木内さんが来ました。そして、いきなり、「ブログを始めませんか?」と薦めるのです。

ブログという言葉を聞いた事がありません。何かサッパリ分かりません。しかし、手取り、足取り、教えてくれると言うのです。

木内さんの山荘はここから600mくらい離れた林の中にあります。30年以上前から住民票を横須賀から旧武川村(現在の北杜市)へ移して独りで住んでいます。

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2番目の写真は私の小さな林の中の小屋です。1973年に立てました。

それ以来、木内さんはインターネットの使い方やデジカメで撮った写真をブログへ掲載する方法を丁寧に教えてくれました。

その頃、コンピューターの故障を直しに来てくれたPC修理のプロがこのブログを数分間で立ち上げてくれたのです。2007年の11月5日がこのブログの創刊日です。

考えてみると不思議です。インターネットやブログの事をまったく知らなかった私がそれ以来、毎日、毎日、記事を書いて掲載したり、写真を撮ってブログへ掲載しています。

その技術を教えてくれたのが木内さんです。何度も彼の山荘の3階にあるコンピューター室に行きました。彼は約束通り手取り、足取りしてくれるようにして教えてくれたのです。

それ以後、時々木内さんを私の小屋へ招待して2人でビールを飲みました。

足元には下の写真のような薪ストーブがパチパチと音と立てて燃えています。

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前の日に東京の自宅で自分で作ったビーフシチュウを鍋ごと持ち込み、薪ストーブで温めて2人で食べた事もありました。

ついでに書けば、伊豆に住んでいる木内光夫さんという方とも友人になりました。彼は木内さんの弟で、山荘で知り合ったのです。伊東市で「岩漿」という文学会を主宰している方です。地方で文学の灯を掲げています

このように、このブログは木内さんのおかげで順調に出発出来たのです。

その後、独自に幅を広げ色々な方々と友人になることができました。

ネットの上でできた友人も増えました。ブログは引退後の楽しみとしてかけがえの無いものになっています。

皆様はどのようないきさつでブログを始められたのでしょうか?

今日も皆様のご健康と平和をお祈り致します。後藤和弘


「山林の中に独り住む友人との惜別と感謝」

2025年04月18日 | 日記・エッセイ・コラム
甲斐駒岳の麓の山林の中で長年親しくしていた木内正夫さんが北杜市の施設に入ってしまいました。もう会うことも難しくなりました。惜別です。
以下は木内正夫さんのブログの最後の投稿です。
詳しくは、http://sizen068.blog95.fc2.com/ にあります。
・・・さようなら・・・
眼の状態が思わしくなく、ブログの記事さえ満足に読めなくなり皆様のブログにも訪問がむずかしく なりました。本日をもって終わりにします。
本を読む、テレビ、DVD等も満足に見えなくなってしまいました。飯を炊くなどの生活視力は少し残 っています。
2月下旬からの過激な道路工事も原因の一つだと思います。後少しで完成しますので頑張ります。
今まで応援していただき感謝しています。
コメント欄は開けておきますが返信は出来ません。ブログは人生の記録として残しておきます。さようなら。

以下は私の木内正夫さんへの感謝の文です。

・・・「山林の中に独り住む友人への感謝」・・・
甲斐駒岳の麓の山林の中に独りで何十年も住んでいる友人がいます。木内正夫さんという方です。
最近、視力が弱くなる眼病になってインターネットへの書き込みが出来なくなりました。そのせいで10年以上毎日のように更新してきたブログを止めることにしました。
残念なことですが、ブログを止めることにした彼にこの際、感謝の記を送りたいと思います。
私がこうしてインターネットの上で毎日、写真や文章を掲載出来るようになったのは彼のお陰です。
2007年の秋に私を訪問してくれて、ブログを始めませんかと勧めてくれたのです。そして彼の山荘へ私を誘いインターネット上に写真や文章を掲載する技術を丁寧に教えてくれたのです。
そのお陰で私は2007年の11月から「後藤和弘のブログ」を始めました。
その後、木内さんとは大変親しくなり、いろいろとお世話になったのです。
彼は山荘の周囲の広い敷地にいろいろな花を育てていました。水芭蕉の花、クリンソウ、ヒトリシズカ、イカリソウ、フクジュソウ、ヤマブキ、などなど多種多様な花々を咲かせていました。
そして雑木の丸太を並べて椎茸やナメコも栽培していました。敷地にはクリタケが沢山生えていました。
草花の好きな家内へクリンソウやヒトリシズカやイカリソウを鉢に入れてくれました。私はシイタケの原木を5本も貰ったのです。東京に持ち帰った原木から3年間もシイタケが採れたのには驚きました。
私の家の庭には今年も木内さんから貰ってきたヒトリシズカやイカリソウの花が咲きました。
木内さんは優しい性質の人でした、
自然を愛し小さな花や森の中の生き物を注意深く観察していました。
とくに熱心に努力したことは珍しいモリアオガエルを育てることでした。

彼の山荘の敷地の真ん中に小川が流れています。その傍の樹木の枝に直径10cm位の白い泡の塊があるのを見つけました。春、オタマジャクシが泳ぐ頃です。彼は直ぐにモリアオガエルの卵塊と気が付き、生まれたオタマジャクシを少しだけ分け取って、家の中で飼うことにしたのです。
モリアオガエルは本州と佐渡島にしか棲んで居ない日本固有種で深山にしか居ない珍しいカエルです。
白い泡の塊の中にある数百の卵が オタマジャクシになると下の水溜まりへ落下して小さな可愛いカエルになります。まだ尻尾が付いているのに樹木の枝に這い上がり、一生、樹上生活をします。
飛び跳ねる力が強く一回に3メートル位を飛びます。ですから樹から樹へと、猿のように飛び回って、虫を食べて大きくなります。大きくなるとガマ蛙くらい大きくなります。手足に吸盤がついていて木の葉にしがみ付きます。

ここで5枚の写真を示します。
1番目の写真は木内さんの山荘に行く道です。なお私の山小屋は木内さんの山荘から更に500m位入った山林の中にあります。
2番目の写真は森の中に埋まるように建ててある木内さんの山荘です。この位森と溶け合っていないとモリアオガエルは産卵に来ないのです。
3番目の写真は木内さんが庭に作った池の上の木の枝に産み付けられたモリアオガエルの卵塊です。中に数十匹以上のモリアオガエルの卵が入っています。
4番めの写真はオタマジャクシから孵って手足が消えた若いモリアオガエルです。これに虫の餌をやって育てると大きくなります。
5番目の写真は越冬して大きく育ったモリアオガエルです。翌年は自分が生まれた池の上の枝に卵塊を生むために森の中から帰って来ます。

このように写真を順に見て行くと簡単に飼育出来るように見えます。しかし木内さんの苦労は並大抵ではありません。
オタマジャクシを家の中の容器の水に移し、毎日、ゆで卵と野菜の餌で細心の注意を払って飼育します。
手足が出てきたら草の葉を入れ、這い上がらせます。これで水中生活から一生の間、縁が切れます。
そこからは別の大きな飼育箱へ入れ、ヨーロッパイエコオロギの小さな子どもを餌としてやります。春に孵化したオタマジャクシが11月なってやっと2cmから3cm位に成長するのです。
イエコウロギはインターネットで購入し、数個の飼育箱で子供を産ませます。これが難しくて大変だったと言います。コオロギの飼育箱とモリアオガエルの飼育箱をベットのそばに置いて毎日注意深く飼育しています。冬になったので冬眠させるため暖房の無い寒い部屋へ移そうとしていました。
一方、庭の人工の池で育った数百匹の小さなモリアオガエルは樹木に登って、何処かに飛んで行ってしまいました。森のなかを飛び回って大きくなり、冬眠を始めるのです。

木内さんにモリアオガエルを見せて貰う度に、私は自然の営みの不思議さに吃驚しました。モリアオガエルの美しさに感動しました。
彼は人間が、たまたま独りで森に住んで、そして死んで行くのも自然なことですと言います。モリアオガエルと同じだと言うのです。お葬式もいりません。発見したら玄関の外に書いてある遠方の弟へ電話して下さいと笑っていました。その弟さんは馬場駿という小説を書いている人です。伊豆で岩漿という文学会を主宰していました。

最近、木内正夫さんが眼病になってインターネットの世界から退場すると言うのです。10年以上毎日のように更新してきたブログを止めると言うのです。


 それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

「淋しく独り暮らしをしていた友人の思い出」

2025年04月18日 | 日記・エッセイ・コラム

私には淋しく独り暮らしをしていた友人がいました。山林の中の一軒家に住んでいました。時々彼のことを懐かしく思い出します。名前は木内正夫さんといいました。

 

1番目の写真は木内正夫の家のまわりの山林です。

写真には写っていませんが右手に甲斐駒岳が聳え、に地蔵岳のオベリスクが見える場所です。私の山の小屋はさらに奥にあります。


2番目の写真は春の陽光を浴びて広がっている木内山荘の様子です。

そして右端に 家内が写っています。この山荘も2月の大雪のときは雪に覆われています。

 

3番目の写真は雪に覆われた木内正夫さんの家の周囲です

春が来ると、この雪も すっかり消えてカタクリやスイセンの花々が 庭一面に咲き出します。

 4番目の写真はカタクリの花です。
 

5番目の写真はスイセンです。

そして春のシイタケも沢山出て来ます。毎日料理に使えるのです。

さて独り暮らしの喜びと幸せは何でしょうか?

独り暮らしは自由です。自然を楽しめます。鹿やイノシシや猿が庭先に遊びにくるのです。モリアオガエルが木の枝に産卵にやって来ます。

そして雪に閉じ込められ、備蓄した食料だけで生活し、春を迎えたときの歓喜の大きさは他に比較するものがありません。生の充実感が湧きあがってくるです。

ですからこそ山林の中の一人暮らしは止められないと私は想像しています。

しかしその代償は決して小さくはありません。

持病を持っていて病院へ行かねばならないのです。下の町のスーパーに買い物にも行きたいのです。しかし車の運転を止めてしまいました。頼りは電動自転車ですが、それも雪が降ると使えません。実に不便な生活です。

しかしこの大きな代償も独立心があればかなり克服出来ます。他人への依頼心が無ければ幸せになれるのです。

車で病院へ送って上げますよ、スーパーにも送りますよという申し出をする人々がいます。木内さんは感謝しながら礼儀正しく断るのです。他人へ頼りだしたら本当の幸福が逃げ出して行くのかも知れなのです。そんなふうに私は理解しています。

こうして独り暮らしの代償を克服している木内さんとたまに会うとこちらも幸せになれるのです。ですから時々お寄りして彼の元気な姿をみるのです。

ちなみに彼のブログは、木内正夫(「北杜市・自然のなかで」)です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)