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後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「我が故郷、仙台の七夕、「青葉城恋歌」、「ブラザー軒」の詩など」

2025年04月22日 | 日記・エッセイ・コラム
故郷の仙台の七夕は今年も8月6日(日)、7日(月)、8日(火)と開催されます。
毎年、夏が来ると、幼少の頃から七夕飾りを見に行った東一番丁や大町通りの光景を思い出します。結婚して東京に住むようになってからも毎年、家内や子供連れで仙台の七夕を見に帰りました。
七夕飾りは私の故郷の光景として心の中に焼き付いています。
それではその七夕飾りの写真をお送りいたします。
1番目の写真の出典は、https://blogs.yahoo.co.jp/sakurai4391/35196915.html です。
2番目の写真の出典は、、http://colocal.jp/news/35321.html です。
3番目の写真の出典は、http://www.hoso0907.com/blog/archives/2007/08/09-021827.php です。
4番目の写真の出典は、https://blogs.yahoo.co.jp/kokomo21jp/33777367.html です。
5番目の写真の出典は、https://blogs.yahoo.co.jp/kuwayamatadashi です。

七夕飾りが風に揺れ、その下を家族連れが楽しそうに歩いています。夏ですから東一番丁や大町通りは暑いのです。しかし通りの両側にはかき氷やアイスクリームを売る店があります。
家族連れが座って、団扇であおぎながらかき氷を食べています。

そして何処からともなく、さとう宗幸の「青葉城恋唄」が流れて来ます。

・・・・広瀬川流れる岸辺 想い出は帰らず
早瀬(はやせ)躍(おど)る光に 揺れていた君の瞳
時はめぐり また夏が来て
あの日と同じ 流れの岸
瀬音(せおと)ゆかしき 杜(もり)の都
あの人は もういない

七夕の飾りは揺れて 想い出は帰らず
夜空輝く星に 願いをこめた君の囁(ささや)き
時はめぐり また夏が来て
あの日と同じ 七夕祭り
葉ずれさやけき 杜の都
あの人は もういない

青葉通り薫る葉緑 想い出は帰らず
樹(こ)かげこぼれる灯(ともしび)に ぬれていた君の頬
時はめぐり また夏が来て
あの日と同じ 通りの角(かど)
吹く風やさしき 杜の都
あの人は もういない

時はめぐり また夏が来て
あの日と同じ 流れの岸
瀬音(せおと)ゆかしき 杜(もり)の都
あの人は もういない・・・・

ご存知のようにこの唄は星間船一が作詞し、さとう宗幸が作曲したのです。仙台在住のさとう宗幸が仙台の広瀬川と七夕飾りを唄ったのです。
さとう宗幸の唄う声は、https://www.youtube.com/watch?v=3VlOygdxoI4 をクリックすると聞くことが出来ます。

もう一度、聞いてみましょう。
・・・七夕の飾りは揺れて 想い出は帰らず
夜空輝く星に 願いをこめた君の囁(ささや)き
時はめぐり また夏が来て
あの日と同じ 七夕祭り
葉ずれさやけき 杜の都
あの人は もういない・・・

さて、七夕飾りにちなんだもう一つの詩と唄をご紹介します。
七夕の夜、亡くなってしまった父と妹に再開したという詩です。

「ブラザー軒」  菅原克己作詞、作曲と歌、高田渡

東一番丁、ブラザー軒
硝子簾がキラキラ波うち、
あたりいちめん
氷を噛む音。

死んだおやじが入って来る。
死んだ妹をつれて
氷水喰べに、
ぼくのわきへ。

色あせたメリンスの着物。
おできいっぱいつけた妹。
ミルクセーキの音に、
びっくりしながら。

細い脛だして
細い脛だして
椅子にずり上がる
椅子にずり上がる

外は濃藍色のたなばたの夜。
肥ったおやじは小さい妹をながめ、
満足気に氷を噛み、
ひげを拭く。

妹は匙ですくう
白い氷のかけら。
ぼくも噛む
白い氷のかけら。

ふたりには声がない。
ふたりにはぼくが見えない。
おやじはひげを拭く。
妹は氷をこぼす。

簾はキラキラ、
風鈴の音、
あたりいちめん
氷を噛む音。

死者ふたり、つれだって帰る、
ぼくの前を。
小さい妹がさきに立ち、
おやじはゆったりと。

ふたりには声がない。
ふたりには声がない。
ふたりにはぼくが見えない。
ふたりにはぼくが見えない。

東一番丁、ブラザー軒。
たなばたの夜。
キラキラ波うつ
硝子簾の、向うの闇に。

これは昭和二十年七月十日の、仙台空襲の犠牲者を悼む詩とも言われています。
高田渡 の唄声は、https://www.youtube.com/watch?v=dArOtb5V4Nc を聞くことが出来ます。
仙台出身の詩人、菅原克己も、唄った高田渡も既に旅立ってしまいました。

ブラザー軒は仙台市の一番丁に明治35年(1902年)からあった洋食店でした。当時、2階建ての洋風建築と西洋料理というハイカラさが評判で、大変繁盛したのです。長い間営業していたのですが、2011年3月11日の東日本大震災で、レストラン部分が壊れ、2015年5月に廃業しました。
ハイカラな「ブラザー軒」は仙台の人々の憧れでした。
この店は、太宰治の小説「惜別」の中でも名前が出てくるそうです。
「惜別」は、明治37年9月から一年半、東北大学医学部で学んでいた若き日の魯迅(当時23才)の青春を描いた作品です。
もう一度、 菅原克己の詩の最後の部分を読んでみましょう。

・・・・ふたりには声がない。
ふたりには声がない。
ふたりにはぼくが見えない。
ふたりにはぼくが見えない。

東一番丁、ブラザー軒。
たなばたの夜。
キラキラ波うつ
硝子簾の、向うの闇に。

今日は仙台の七夕飾りの写真をお送りいたしました。
そして「青葉城恋唄」と「ブラザー軒」をあわせてご紹介しました。
七夕飾りに、人はそれぞれいろいろな想いを浮かべるのですね。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)

「春の日に思い出す故郷の仙台」

2025年04月22日 | 日記・エッセイ・コラム
春の日に何故か思い出すのは故郷の仙台のことです、今日は少し仙台のことを書かせてください。
昭和11年生れの私は戦前、戦後に仙台市で少年時代を過ごしました。
日中戦争が起きやがて真珠湾攻撃があり悲惨な大戦争のあった時代です。 
 さて皆様が子供の頃に釣りをしたり、遊んだ川や沼はまだ現存していますか? 皆様の子供の頃には炊事のための燃料や風呂釜の燃料は何だったのでしょうか?
昔、釣りをしていた三つの沼と燃料にしていた亜炭という不思議な燃料が跡形も無く消えてしまったのです。完全に消えてしまったのです。これは小さな出来事ですが私にとっては大きなショックでした。 それは故郷の仙台市の向山という地区のことです。その向山からは仙台の中心街が見下ろせる景色の良い所なのです。料亭や温泉旅館のあるささやかな観光地だったのです。 その高台には東洋館、鹿落温泉旅館、いかり亭、蛇の目寿司、広瀬寮、観月亭、黒門下の湯などが散在していました。長徳寺や大満寺や愛宕神社もありました。 その向山の谷地に沿って3つの沼が並んでいました。そこで私は小ブナを釣ったりオタマジャクシを捕って、蛙に育てたりして遊んだものでした。
 それが東京オリンピック後の経済成長にしたがって、湿地も3つの沼も完全に埋め立てられ消えてしまったのです。  昔の風景は想像も出来なくなりました。この世から完全に消えてしまったのです。 この様な風景の変化は東京オリンピック後の経済成長の時代に全国で起きたのです。全国の都市部の郊外の風景が一変したのです。 
 向山の住民はこの亜炭を八鉱社という元締めから買って炊事や風呂の燃料にしていたのです。 夕方になると、亜炭の煙の独特な臭いが流れてきます。亜炭は石炭になる前の炭化した木材で、仙台の郊外で当時掘りだされていたのです。
写真は広瀬川の評定河原橋付近から見た風景です。三年前帰郷した時に家内が撮りました。写真の左の小高い山に伊達政宗のお霊屋の瑞鳳殿があります。 それで評定河原橋を渡った地域を「霊屋(おたまや)下」とい地名になっています。
茫々あれから70年以上もたっているのです。

今日は少年の頃の思い出について書きました。 

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)