嗚呼、昭和は遠くなったものです。そんな感じをしながら、昨日は梅岩寺の枝垂れ桜を見上げていました。
いろいろな昭和の場面が走馬灯の絵のように私の脳裏を通り過ぎて行きます。
その記憶の一つに戦後に流行った「ニコライの鐘」という歌があります。まだ仙台の新制中学校や高校に通っていた頃に何度も、何度もラジオで聞いた歌です。
昭和26年にNHKラジオ歌謡としてた藤山一郎さんが歌った「ニコライの鐘」です。
「ニコライの鐘」
作詞:門田ゆたか
作曲:古関裕而
歌 :藤山一郎
1)青い空さえ 小さな谷間
日暮れはこぼれる 涙の夕陽
姿変われど 変わらぬ夢を
今日も歌お(う)か 都の空に
ああニコライの 鐘がなる
2)きのう花咲き 今日散る落ち葉
河面に映して 流れる月日
思い出しても かえらぬ人の
胸もはるかな(ゆするか) 雁啼く空に
ああ ニコライの 鐘が鳴る
3)誰が読んだか 悲しい詩集
頁をひらけば 出てきた手紙
恋に破れた 乙女は今宵
何を祈るか 暮れゆく空に
ああニコライの 鐘が鳴る
この藤山一郎さんの歌声は現在でも、https://www.youtube.com/watch?v=_gr04rkjXPQ をクリックすると聴くことが出来ます。
あの頃は戦後間もなくで、その頃住んでいた仙台の道路には舗装がほとんどなく、進駐軍のジープが通ると土埃がモウモウと舞い上がる貧しい街でした。それでその街を「仙台砂漠」と自嘲していたものです。
そんな中で「ニコライの鐘」を何度も聞いていたのです。はるか東京には立派なニコライ堂があるのです。憧れていました。
仙台の大学を出てアメリカへ留学して忙しくなります。いろいろな事がありました。しかし全てが邯鄲の夢になりました。
70歳を過ぎて暇になると昔のことがいろいろ懐かしくなります。
数年前にフッと昔憧れていたニコライ堂を思い出しました。それは2009年のことでした。
暇があるので、その年の11月のある日曜日に訪問してみました。
その時、撮ったニコライ堂の写真を示します。




受け付けで信者でないと言うと、100円でローソクを1本わけてくれます。マリア様の絵(イコン)の前のローソク台に火をつけて立てます。座ってお祈りをします。美しい聖歌が始まり、やがて10時になるとあの「ニコライの鐘」が鳴りわたります。これこそがラジオ歌謡にあった鐘の音なのです。
間も無く着飾った聖職者の行列が入ってきます。礼拝の途中で「祈りの言葉を印刷したカード」を持ってくる人がいます。
その後しばらくして、大きく平らな献金籠を持った人が回ってきます。
これは日本正教会の主日の礼拝式なので、3時間も続きました。しかし伝統的なロシア正教の神秘的な雰囲気と魂を奪われるほど美しい聖歌に圧倒されたのです。3時間がアッという間に過ぎます。
礼拝が終わり外に出た所で偶然、金田一豊さんという伝道師さんにお会いしました。下がその時の写真です。

この金田さんにはその後本当にいろいろなことを教えて頂きました。
例えば、日曜礼拝のことをロシア正教の流れを汲む日本正教会では「聖体礼儀」と言うそうです。
きらびやかな聖職者の行列と、美しい宗教音楽の極致のような混声合唱で、神への祈りと、神への従順を示しているそうです。楽器は一切用いないのです。
神への憐れみを願う儀式です。キリストの聖なる体の一部を(聖体)を頂くという儀式です。
日本正教の聖体礼儀は2000年前のキリストの生きていた頃のユダヤ教の礼拝式の形式を墨守してきたと説明してくれました。
従ってその教義も儀式もイエス様が生きていた頃の古いものを忠実に保持、伝承しているのです。
このように正教会のことを教えて下さったのです。そのことを何度も私のブログでご紹介してきました。そんな記事の一覧は末尾の参考資料に示してあります。
それから歳月が流れ、6年余もたちました。何となくニコライ堂のことを忘れていたころ金田さんからメールが来ました。
そして金田さんがウクライナ正教会(キエフ総主教庁)の在日教会である「聖ユダミッション」で、初の日本人聖職者として輔祭に叙聖されたことが分かりました。下がその時の写真です。

昔に知り合った人が偉くなったのです。素直に嬉しく思います。金田一豊さんへ神の愛が豊かに注がれるようにと祈っています。
これで私の「二コライ堂ものがたり」を終わります。お読み頂いて本当に有難う御座いました。
それはそれとして、
今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)
===参考資料===========
「後藤和弘のブログ」、http://blog.goo.ne.jp/yamansi-satoyama
(1)投稿日 2009/11/30 「宗教に少しでも関心があったらニコライ堂の日曜礼拝を一度は見て下さい」
(2)投稿日 2009/11/30 「豪華絢爛な音楽ページェントが予約申し込み無しで気軽に楽しめます」
(3)投稿日 2009/11/29 「今日は夫婦解散、別々の教会へ行きました」 (金田さんの写真が出ています!)
(4)投稿日 2009/11/25 日本正教会、伝教師、金田一豊、著「なぜローマカトリックから正教会へ帰正(改宗)したのか」
(5)2009/11/23日本正教会、伝教師、金田一豊、著「ローマカトリック教会と正教会との教義の3つの違い」
(6)投稿日 2009/11/22 「お茶の水のニコライ堂での日曜の礼拝に一般の人々も参加できます」
(7)2009/11/10「ニコライも偉かったが、明治の日本人も偉かった!」
(8)投稿日 2009/11/09 「ブログを書くための私の取材方法と写真の組み合わせ方」
(9)2009/11/08「私の記事は間違っていました!ロシア正教と書いたのは日本正教会です」
(10)009/11/07「ロシアから来た偉大な宣教者、ニコライをもっと知ろう!」
(11)2009/11/06「日本人のロシアへの感情とロシア正教の布教の関係」
(12)投稿日 2009/11/04 「ニコライ堂でロシア正教のある聖職者に偶然お会いできました」
(13)2015年11月06日 「教養として、何故キリスト教を愛の宗教と言うのでしょうか?」
いろいろな昭和の場面が走馬灯の絵のように私の脳裏を通り過ぎて行きます。
その記憶の一つに戦後に流行った「ニコライの鐘」という歌があります。まだ仙台の新制中学校や高校に通っていた頃に何度も、何度もラジオで聞いた歌です。
昭和26年にNHKラジオ歌謡としてた藤山一郎さんが歌った「ニコライの鐘」です。
「ニコライの鐘」
作詞:門田ゆたか
作曲:古関裕而
歌 :藤山一郎
1)青い空さえ 小さな谷間
日暮れはこぼれる 涙の夕陽
姿変われど 変わらぬ夢を
今日も歌お(う)か 都の空に
ああニコライの 鐘がなる
2)きのう花咲き 今日散る落ち葉
河面に映して 流れる月日
思い出しても かえらぬ人の
胸もはるかな(ゆするか) 雁啼く空に
ああ ニコライの 鐘が鳴る
3)誰が読んだか 悲しい詩集
頁をひらけば 出てきた手紙
恋に破れた 乙女は今宵
何を祈るか 暮れゆく空に
ああニコライの 鐘が鳴る
この藤山一郎さんの歌声は現在でも、https://www.youtube.com/watch?v=_gr04rkjXPQ をクリックすると聴くことが出来ます。
あの頃は戦後間もなくで、その頃住んでいた仙台の道路には舗装がほとんどなく、進駐軍のジープが通ると土埃がモウモウと舞い上がる貧しい街でした。それでその街を「仙台砂漠」と自嘲していたものです。
そんな中で「ニコライの鐘」を何度も聞いていたのです。はるか東京には立派なニコライ堂があるのです。憧れていました。
仙台の大学を出てアメリカへ留学して忙しくなります。いろいろな事がありました。しかし全てが邯鄲の夢になりました。
70歳を過ぎて暇になると昔のことがいろいろ懐かしくなります。
数年前にフッと昔憧れていたニコライ堂を思い出しました。それは2009年のことでした。
暇があるので、その年の11月のある日曜日に訪問してみました。
その時、撮ったニコライ堂の写真を示します。




受け付けで信者でないと言うと、100円でローソクを1本わけてくれます。マリア様の絵(イコン)の前のローソク台に火をつけて立てます。座ってお祈りをします。美しい聖歌が始まり、やがて10時になるとあの「ニコライの鐘」が鳴りわたります。これこそがラジオ歌謡にあった鐘の音なのです。
間も無く着飾った聖職者の行列が入ってきます。礼拝の途中で「祈りの言葉を印刷したカード」を持ってくる人がいます。
その後しばらくして、大きく平らな献金籠を持った人が回ってきます。
これは日本正教会の主日の礼拝式なので、3時間も続きました。しかし伝統的なロシア正教の神秘的な雰囲気と魂を奪われるほど美しい聖歌に圧倒されたのです。3時間がアッという間に過ぎます。
礼拝が終わり外に出た所で偶然、金田一豊さんという伝道師さんにお会いしました。下がその時の写真です。

この金田さんにはその後本当にいろいろなことを教えて頂きました。
例えば、日曜礼拝のことをロシア正教の流れを汲む日本正教会では「聖体礼儀」と言うそうです。
きらびやかな聖職者の行列と、美しい宗教音楽の極致のような混声合唱で、神への祈りと、神への従順を示しているそうです。楽器は一切用いないのです。
神への憐れみを願う儀式です。キリストの聖なる体の一部を(聖体)を頂くという儀式です。
日本正教の聖体礼儀は2000年前のキリストの生きていた頃のユダヤ教の礼拝式の形式を墨守してきたと説明してくれました。
従ってその教義も儀式もイエス様が生きていた頃の古いものを忠実に保持、伝承しているのです。
このように正教会のことを教えて下さったのです。そのことを何度も私のブログでご紹介してきました。そんな記事の一覧は末尾の参考資料に示してあります。
それから歳月が流れ、6年余もたちました。何となくニコライ堂のことを忘れていたころ金田さんからメールが来ました。
そして金田さんがウクライナ正教会(キエフ総主教庁)の在日教会である「聖ユダミッション」で、初の日本人聖職者として輔祭に叙聖されたことが分かりました。下がその時の写真です。

昔に知り合った人が偉くなったのです。素直に嬉しく思います。金田一豊さんへ神の愛が豊かに注がれるようにと祈っています。
これで私の「二コライ堂ものがたり」を終わります。お読み頂いて本当に有難う御座いました。
それはそれとして、
今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)
===参考資料===========
「後藤和弘のブログ」、http://blog.goo.ne.jp/yamansi-satoyama
(1)投稿日 2009/11/30 「宗教に少しでも関心があったらニコライ堂の日曜礼拝を一度は見て下さい」
(2)投稿日 2009/11/30 「豪華絢爛な音楽ページェントが予約申し込み無しで気軽に楽しめます」
(3)投稿日 2009/11/29 「今日は夫婦解散、別々の教会へ行きました」 (金田さんの写真が出ています!)
(4)投稿日 2009/11/25 日本正教会、伝教師、金田一豊、著「なぜローマカトリックから正教会へ帰正(改宗)したのか」
(5)2009/11/23日本正教会、伝教師、金田一豊、著「ローマカトリック教会と正教会との教義の3つの違い」
(6)投稿日 2009/11/22 「お茶の水のニコライ堂での日曜の礼拝に一般の人々も参加できます」
(7)2009/11/10「ニコライも偉かったが、明治の日本人も偉かった!」
(8)投稿日 2009/11/09 「ブログを書くための私の取材方法と写真の組み合わせ方」
(9)2009/11/08「私の記事は間違っていました!ロシア正教と書いたのは日本正教会です」
(10)009/11/07「ロシアから来た偉大な宣教者、ニコライをもっと知ろう!」
(11)2009/11/06「日本人のロシアへの感情とロシア正教の布教の関係」
(12)投稿日 2009/11/04 「ニコライ堂でロシア正教のある聖職者に偶然お会いできました」
(13)2015年11月06日 「教養として、何故キリスト教を愛の宗教と言うのでしょうか?」