夫婦関係では、実につまらないことで争いが起きます。社会性や国際問題とはまったく無縁の下らない、そして無意味な争いです。
老夫婦になるとこんなことで争いをしないと話題が無くなって、重苦しい沈黙が続くのです。沈黙が続き過ぎると、恐ろしい死後の国を連想させるから困るのです。
そんな理屈を言わないで実例で示します。あまりにも下らないから、この先は読まない方が良いかも知れません。
上は家内が撮った写真です。今回の北信濃への旅では、空に秋らしい雲が広がり美しいので撮ったと言います。稲刈りの終わった田の様子も入れたと言う、それだけの話です。社会性も北信濃の歴史もありません。
一方、下は私が小布施の街角で撮った写真です。
昔の酒造家の外側を観光用に綺麗に仕上げた様子です。そしてその建物を利用して料亭を営業しています。
昔の小規模な酒造りでは大企業に太刀打ちできません。ですから料亭にしたのでしょう。しかし玄関の方にまわって行って、子細に観察すると客が出入りしている気配がありません。
地方の街の昔の繁栄と、最近の苦しさを感じませんか?社会の変化を感じませんか?写真には歴史が写されています。
上は家内が撮った写真です。小布施の山々で採った本物のマツタケです。
家内はマツタケの大きさを示すためにに売子の手を写真の上のほうにチャント写してあります。
下は私の写真です。本物のマツタケは驚くほど高価であることを強調した写真です。どうせ買えない値段ですからマツタケの大きさなど重要ではありません。
売子のおばさんへ、「買えなくてすみません。せめて写真だけでも撮らせて下さい」と言って撮らせてもらった貴重な写真です。写真に経済性があります。
次は「リンゴ狩り」の時の写真です。
家内はリンゴ畑の全体の様子を撮らなければ意味がないと言い張ります。
私は枝に実っているリンゴを写すのです。それがいけないと家内が言います。
写真は、花でも、鳥でも、木の実、でも絶対にクロ-ズアップをしては周囲の環境が分からなくなるから間違った撮り方だと主張するのです。
暗い画面の写真は省略して見ませんし、ましてや虫眼鏡を取り出して拡大して見ません。パッと見て、その写真の訴えている主張が瞬間的に分かる写真だけを、しげしげしと注意深く見ます。そして、サムネイルをクリックして拡大して観察します。
ですからブログの写真では最初に訴える力が決定的に重要だと信じています。
家内はその考えは間違っていると冷やかに言います。情報が沢山、正確に写っている写真は、たとえ画面が暗くても貴重な写真です。心ある読者は必ず丁寧に見てくれます。そして、「あなたは迎合し過ぎるのです」と高いところからものを言います。
これで喧嘩にならなかったら不思議です。
こんなバカバカしい事で毎日が流れて行きます。それが老夫婦の日常なのでしょうか?世の中の夫婦はもうすこし有意義な話し合いをしているに違いありません。
つまらない話で失礼しました。
それはそれとして、
今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)