後藤和弘のブログ

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世界の戦争(3)朝鮮戦争以来の米国の北朝鮮への憎しみ

2017年05月04日 | 日記・エッセイ・コラム
アメリカのカール・ヴィンソン航空母艦打撃艦隊が日本海を巡航し北朝鮮を威圧しています。
北朝鮮の核兵器開発と弾道ミサイルの開発を放棄させようようと圧倒的な武力を誇示しているのです。北朝鮮が原爆の実験を行えばアメリカは北朝鮮へ対して武力行使もしそうな形勢です。日本も戦争に巻き込まれそうな状況です。

1番目の写真は日本海にいるカール・ヴィンソン航空母艦打撃艦隊の写真です。
何故、アメリカが北朝鮮に武力的な威圧を行っているのでしょうか?
答は簡単です。北朝鮮とアメリカは朝鮮戦争以来ずっと戦争状態が続いているからです。
そこで今回の緊張状態を、大きな視野をもって歴史的に理解するために朝鮮戦争のことをもう一度復習したいと思います。

アメリカは北朝鮮と1950年から1953年まで大戦争をしたのです。この朝鮮戦争以来、北朝鮮とは戦争状態を続けているのです。停戦協定はあるのですが、北朝鮮はその停戦協定を度々破り韓国を攻撃しているのです。
その上、北朝鮮はアメリカを悪の帝国主義国家と公言し、あしざまに誹謗する発言を執拗に繰り返しているのです。
アメリカを公然と誹謗し続けたイラクのサダム・フセイン大統領はイラクを占領したアメリカ軍に逮捕され処刑されました。
アメリカの望むところは北朝鮮も抹殺したいのです。そのアメリカと日本は安保条約で同盟関係にあるのです。
しかし日本人は絶対に戦争を避けて平和を守るべきです。だれでもそれを願っていますが、その方法が分からないのです。

「朝鮮戦争 - Wikipedia」が詳細な資料を提供しています。
以下はその、https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E6%88%A6%E4%BA%89 からの抜粋です。

(1)何故、北朝鮮と韓国が出来たか?
第二次世界大戦中の1943年11月に、連合国はカイロ宣言に於いて、1910年より日本領となっていた朝鮮半島一帯を、大戦終結後は自由独立の国とすることを発表し、1945年2月に開催されたヤルタ会談の極東秘密協定にて米英中ソ四国による朝鮮の信託統治が合意されました。
1945年8月8日よりソ連対日参戦により満洲国に侵攻したソ連軍(赤軍)は8月13日に当時日本領だった朝鮮の清津市に上陸していましたが、同じく連合国を構成していたアメリカ合衆国は、1945年4月12日に大統領に昇格したハリー・S・トルーマンの反共主義の下で、ソ連軍に朝鮮半島全体が掌握されることを恐れ、ソ連に対し朝鮮半島の南北分割占領を提案します。ソ連はこの提案を受け入れ、朝鮮半島は北緯38度線を境に北部をソ連軍、南部をアメリカ軍に分割占領されたのです。

(2)開戦から休戦協定までの経緯
朝鮮戦争(1950年6月25日 - 1953年7月27日休戦)は、1948年に成立したばかりの朝鮮民族の分断国家である大韓民国(韓国)と朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の間で、朝鮮半島の主権を巡り、北朝鮮が国境線と化していた38度線を越えて侵攻したことによって勃発した国際紛争であります。
北の朝鮮民主主義人民共和国と南の大韓民国のみならず、東西冷戦の文脈の中で西側自由主義陣営諸国を中心とした国連軍と1949年10月1日に建国された中華人民共和国が交戦勢力として参戦し、3年間に及ぶ戦争は朝鮮半島全土を戦場と化し、朝鮮半島全土を荒廃させた戦争でした。
1953年7月27日に国連軍と中朝連合軍は朝鮮戦争休戦協定に署名し休戦に至ったが、北緯38度線付近の休戦時の前線が軍事境界線として認識され、朝鮮半島は北部の朝鮮民主主義人民共和国と南部の大韓民国の南北二国に分断されたのです。

(3)何故、国連軍と北朝鮮・中国連合軍との大戦争になってしまったか?
北朝鮮と韓国の2つが建国されたが、南北の軍事バランスは北朝鮮が優勢だったのです。ソ連および1949年に建国されたばかりの隣国中華人民共和国の支援を受けた北側が武力の上では断然優勢だったのです。そこで北朝鮮は武力による朝鮮半島の統一支配を目指し、1950年6月、国境の38度線を越え軍事侵攻に踏み切ったのです。
初戦は北朝鮮が優勢で、韓国、アメリカ軍を釜山まで追い詰め完全勝利の状況に至ります。アメリ軍は仁川に奇襲上陸し北朝鮮軍の補給路を分断します。そして北朝鮮軍は壊滅したのです。
韓国側には進駐していたアメリカ軍を中心に、イギリスやフィリピン、オーストラリア、ベルギーやタイ王国などの国連加盟国で構成された国連軍が参戦しました。、
仁川上陸で勢いのついた米韓軍は38度線を越えたのです。この事態を受け、中国人民義勇軍が人海戦術で米韓軍を押し返したのです。
ソ連は直接参戦しないで武器調達や訓練などの形で北朝鮮を支援し、アメリカとソ連の大規模な代理戦争の様相を呈したのです。。

(4)朝鮮戦争による双方の人的損害

ソウルの支配者が二転三転する激しい戦闘の結果、韓国軍は約20万人、アメリカ軍は約14万人、国連軍全体では36万人の死傷者を出したのです。
北朝鮮軍および中華人民共和国の義勇軍も多くの損害を出したのです。
しかし人的損害の推計は発表者によって数値にかなりの差がある。
アメリカ国防総省によれば、アメリカ軍は戦死者3万3686人、戦闘以外での死者は2830人、戦闘中行方不明は8176人にのぼります。
また約24万5000から41万5000人にのぼる韓国側一般市民の犠牲が明らかにされ、戦争中の市民の犠牲は150万から300万(多くの推計では約200万)と見積もられています。
これに対して、中華人民共和国と北朝鮮は約39万のアメリカ軍兵士、66万の韓国軍兵士、2万9000の国連軍兵士を戦場から「抹消」したと推定しています。

戦線が絶えず移動を続けたことにより、地上戦が数度に渡り行われた都市も多く、最終的な民間人の犠牲者の数は100万人とも200万人とも言われ、全体で400万人〜500万人の犠牲者が出たという説もあります。内訳は北朝鮮側の死者250万人、韓国側は133万人で大多数が一般市民だったのです。
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以上のような大戦争は世界の歴史には幾つもあるでしょう。しかし多くの場合、戦争が終わるとやがて国交回復をして平和条約が出来るものなのです。
しかし北朝鮮はアメリカ、韓国、日本を始め参戦国と絶対に仲直りをしません。あくまでも戦争状態を続けてアメリカを悪し様に非難し続けているのです。
一方の中国もロシアも、アメリカと国交を回復し平和的な関係を保っているのです。
北朝鮮は時代錯誤的な敵対姿勢を崩さずに核兵器とアメリカ本土攻撃用の長距離弾道ミサイルの開発をしているのです。
以上がアメリカのカール・ヴィンソン航空母艦打撃艦隊が日本海を巡航し北朝鮮を威圧している現状に至った経緯なのです。
この状態で戦争を避け波静かな日本海を維持するためには中国の強力な働きかけが欠かせないのです。
しかしあまり長くなるので今日はここまでにします。
2番目の写真はソウルに於ける市街戦の様子です。
3番目の写真はアメリカの艦艇に救われた韓国の避難民です。
4番目にの写真は当時韓国を訪問したマッカーサー司令官と李承晩大統領です。この後、マッカーサー司令官は満州への侵攻をしようとしてトルーマン大統領に解任されました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)





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