3日前の日曜日に、「後期高齢者を幸せにする諦観の日常生活」と題した記事を掲載いたしました。
この記事の趣旨は日本人は知らず知らずのうちに仏教の教えの影響を受けているというものでした。無意識のうちに影響を受けているのです。ですから日本人のキリスト教信者も深い意識の中で仏教の教えの影響を当然、受けているのです。勿論、神道の影響も受けています。
この記事の仏教の影響を無意識に受けているという趣旨に対して、フランス人と結婚し、子供を作り、幸せな家庭を持っている日本の女性から以下のようなコメントを頂きました。彼女の現在の名前はMotoko Boutdumondeさんと言います。了解を頂きましたので転載いたします。少し長くなりますが、是非、お読みください。
「こんにちは。おっしゃること、よく分かる気がします。まだもちろん諦観や達観の境地に至るには遠いですが。
確かに日本人の心の底には仏教が深く根付いていますね。私も小さいころ自分から言いだして家族で洗礼を受け、フランスに来るまでは毎日曜、欠かさずにミサに行っていました。学校もカトリック系の学校でした。
私に仏教の心があり、仏教をもっと学ぶべきだと言ったのは、フランスでお会いした精神分析学の教授でした。彼はフランス人でしたが、仏教に深い造詣があり、仏典を学べと言ったのです。
そして私はやっと自分の考えの底には仏教があるのだと気が付きました。
神道の方が根付いているかと思ったのですが、そうではありませんでした。
そして教授はキリスト教と仏教の違いと類似点を見出すように私を導いてくれました。
フランスでは仏教に興味を持っている人も、また仏教徒になった人も多いですし、フランス人のお坊さんもいます。
私の親友の結婚式のミサを挙げてくださった司祭は禅に非常に興味があり、毎年日本の禅寺に修行に行っています。また、禅に関する講演を黙想会もできるあるキリスト教の僧院を中心にあちらこちらで行っています。
私のヨガの先生も仏教徒です。パリには禅寺と小乗仏教のお寺があります。禅寺の方はみなフランス人です。そして精神分析学の教授は私の目を開かせてくれました。あまり関係はありませんが、教会でも、お寺でも神社でも、またはモスクでも祈るときは神と会話をしていると思っています。」
上に引用したMotoko Boutdumondeさんはカトリック教徒です。そして私もカトリックです。驚いたことに彼女の心が私と全く同じなのです。
明快に書けば日本人のキリスト教徒は皆例外なく仏教や神道の影響を深く受けているのです。意識すると意識しないと関わらず受けているのです。
この事に気がついてから随分年月が経ちました。
私はキリスト教を理解する場合、「それはイエスさまが本当におっしゃったことですか?それとも、その時代、その国の文化や他の宗教の影響を受けた考え方ですか?」と自問自答することにしています。
このように宗教というものを柔軟に考えらるのは日本が多神教の文化的土壌を持っているからです。
この文化のお陰で日本では歴史的にみても大規模な宗教戦争は起きませんでした。宗教自身が、その教えに反する悲惨な戦争の原因にならなかったのです。私自身も狂信的にならなかったのです。
私はこの日本の多神教的文化は平和をもたらすと思います。狂信的な過激派によるテロも起きません。
勿論、一時期に軍部が独走して、悲惨な戦禍に見舞われたことがありました。しかし日本の長い歴史の中でそれは唯一の大規模な戦禍でした。
私はこの多神教の日本の社会を讃えたいと思います。誇りにしています。そしてそこに生まれ育った幸運へ感謝しています。
今日の挿し絵代わりの写真は多神教の様子を示すために順に清瀬市の長命寺、カトリック成城教会、小金井市の貫井弁天の写真を示します。最近、自分で撮った写真です。そして近所の咲いているアジサイ、ヤマユリ、カワラナデシコの花の写真を、皆様のお楽しみのために、お送りいたします。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)
この記事の趣旨は日本人は知らず知らずのうちに仏教の教えの影響を受けているというものでした。無意識のうちに影響を受けているのです。ですから日本人のキリスト教信者も深い意識の中で仏教の教えの影響を当然、受けているのです。勿論、神道の影響も受けています。
この記事の仏教の影響を無意識に受けているという趣旨に対して、フランス人と結婚し、子供を作り、幸せな家庭を持っている日本の女性から以下のようなコメントを頂きました。彼女の現在の名前はMotoko Boutdumondeさんと言います。了解を頂きましたので転載いたします。少し長くなりますが、是非、お読みください。
「こんにちは。おっしゃること、よく分かる気がします。まだもちろん諦観や達観の境地に至るには遠いですが。
確かに日本人の心の底には仏教が深く根付いていますね。私も小さいころ自分から言いだして家族で洗礼を受け、フランスに来るまでは毎日曜、欠かさずにミサに行っていました。学校もカトリック系の学校でした。
私に仏教の心があり、仏教をもっと学ぶべきだと言ったのは、フランスでお会いした精神分析学の教授でした。彼はフランス人でしたが、仏教に深い造詣があり、仏典を学べと言ったのです。
そして私はやっと自分の考えの底には仏教があるのだと気が付きました。
神道の方が根付いているかと思ったのですが、そうではありませんでした。
そして教授はキリスト教と仏教の違いと類似点を見出すように私を導いてくれました。
フランスでは仏教に興味を持っている人も、また仏教徒になった人も多いですし、フランス人のお坊さんもいます。
私の親友の結婚式のミサを挙げてくださった司祭は禅に非常に興味があり、毎年日本の禅寺に修行に行っています。また、禅に関する講演を黙想会もできるあるキリスト教の僧院を中心にあちらこちらで行っています。
私のヨガの先生も仏教徒です。パリには禅寺と小乗仏教のお寺があります。禅寺の方はみなフランス人です。そして精神分析学の教授は私の目を開かせてくれました。あまり関係はありませんが、教会でも、お寺でも神社でも、またはモスクでも祈るときは神と会話をしていると思っています。」
上に引用したMotoko Boutdumondeさんはカトリック教徒です。そして私もカトリックです。驚いたことに彼女の心が私と全く同じなのです。
明快に書けば日本人のキリスト教徒は皆例外なく仏教や神道の影響を深く受けているのです。意識すると意識しないと関わらず受けているのです。
この事に気がついてから随分年月が経ちました。
私はキリスト教を理解する場合、「それはイエスさまが本当におっしゃったことですか?それとも、その時代、その国の文化や他の宗教の影響を受けた考え方ですか?」と自問自答することにしています。
このように宗教というものを柔軟に考えらるのは日本が多神教の文化的土壌を持っているからです。
この文化のお陰で日本では歴史的にみても大規模な宗教戦争は起きませんでした。宗教自身が、その教えに反する悲惨な戦争の原因にならなかったのです。私自身も狂信的にならなかったのです。
私はこの日本の多神教的文化は平和をもたらすと思います。狂信的な過激派によるテロも起きません。
勿論、一時期に軍部が独走して、悲惨な戦禍に見舞われたことがありました。しかし日本の長い歴史の中でそれは唯一の大規模な戦禍でした。
私はこの多神教の日本の社会を讃えたいと思います。誇りにしています。そしてそこに生まれ育った幸運へ感謝しています。
今日の挿し絵代わりの写真は多神教の様子を示すために順に清瀬市の長命寺、カトリック成城教会、小金井市の貫井弁天の写真を示します。最近、自分で撮った写真です。そして近所の咲いているアジサイ、ヤマユリ、カワラナデシコの花の写真を、皆様のお楽しみのために、お送りいたします。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)