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後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

先日のお釈迦様のことを書いた記事に関する謝罪と釈明

2012年01月13日 | 日記・エッセイ・コラム

先日、(4)星空のかなたに住みたまう全知全能の神とお釈迦様 という記事を掲載しました。

記事の中の言葉が不適切で、「悟りを開く為には神や宗教は不要」と教えてくれたお釈迦様を神の化身のような書き方をしてしまいました。

勿論、お釈迦様は神ではありません。人間はお釈迦様の教えた通りにすれば神様が存在しなくても悟りを開けるのです。成仏出来るのです。

私が書いたことは真面目な仏教徒にとっては荒唐無稽で、余計な考え方です。

この記事へ対して、「通りすがり」という方から批判的なコメントを頂きました。

多くの真面目な佛教信者の方々も違和感をお持ちになったと思います。

その事に対して心から謝罪申し上げます。

この記事に書いたことは私の単なる夢想的な仮定であります。

ただ何故こんな仮想的な考え方を書いたのかを以下に説明し、釈明させて頂きたいと思います。

この世界にある宗教はみな違います。それは厳然たる事実でしょう。しかしこの違いだけを強調しすぎると対立や宗教戦争になりがちです。

悲しいことですが、宗教戦争は人類の愚かさで起きます。悲劇です。

この悲劇を防ぐには、違う宗教を尊敬することです。そして尊敬するためには共通の内容や、共通の神を仮想すれば助けになると考えられます。少なくとも私はそう考えたのです。

その一つの例が、「星空のかなたに住みたまう全知全能の神」なのです。

民族固有の神や宗教を持つのは自然なことですが、他民族の宗教や神を尊敬することが世界平和にとって重要なことではないでしょうか?

私が強調したい事は他民族の宗教を尊敬すべきという考えです。

お釈迦様が神であると主張する気は毛頭ありません。しかし仮想することで戦争が避けられるのならそれも良いと思っています。お釈迦様は必ずお許しになられます。

自分の信ずる宗教だけが絶対に正しく、他は全て間違っているという考えは徹底的に捨てることが一番大切です。少なくとも私はそのように信じています。

これが私の本意です。この釈明の意味をご理解頂ければ嬉しく思います。

尚、先日掲載した記事の文章もこの釈明に沿うように訂正しました。

私の愚かさをお許し下さい。(終り)


待ち遠しい春の花々・・・梅、菜の花、木蓮、桜、連翹、雪柳、そして日本桜草

2012年01月13日 | 写真

最近は大きな寒波が日本列島を覆い、全国的に冷え込んでいます。

水盤にも氷がはり、冬枯れの庭には草花が何もありません。さびしい庭の風景です。

早く春になり、いろいろな花々が咲くのが待ち遠しいです。

待ちこがれるので、昨年、このブログに掲載した花々の写真を眺めています。

春が来たようで心が温かくなって来ました。

下に写真をお送りします。皆様の心にも春が来るように祈っています。

特に寒冷の被災地で苦しい毎日を送っておられる方々の心に少しでも春が来るように祈っています。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。

後藤和弘(藤山杜人)

023 

・都立神代植物公園にて

096 

・東京都港区、浜離宮にて

040 

・東京都小金井市の近所の庭先にて、

296 

・福島市郊外、花見山公園にて、

300 

・同じく福島市郊外、花見山公園にて、

004 

・都立野川公園にて、

003 

・埼玉県さいたま市日本サクラソウ原生地にて、