先日、(4)星空のかなたに住みたまう全知全能の神とお釈迦様 という記事を掲載しました。
記事の中の言葉が不適切で、「悟りを開く為には神や宗教は不要」と教えてくれたお釈迦様を神の化身のような書き方をしてしまいました。
勿論、お釈迦様は神ではありません。人間はお釈迦様の教えた通りにすれば神様が存在しなくても悟りを開けるのです。成仏出来るのです。
私が書いたことは真面目な仏教徒にとっては荒唐無稽で、余計な考え方です。
この記事へ対して、「通りすがり」という方から批判的なコメントを頂きました。
多くの真面目な佛教信者の方々も違和感をお持ちになったと思います。
その事に対して心から謝罪申し上げます。
この記事に書いたことは私の単なる夢想的な仮定であります。
ただ何故こんな仮想的な考え方を書いたのかを以下に説明し、釈明させて頂きたいと思います。
この世界にある宗教はみな違います。それは厳然たる事実でしょう。しかしこの違いだけを強調しすぎると対立や宗教戦争になりがちです。
悲しいことですが、宗教戦争は人類の愚かさで起きます。悲劇です。
この悲劇を防ぐには、違う宗教を尊敬することです。そして尊敬するためには共通の内容や、共通の神を仮想すれば助けになると考えられます。少なくとも私はそう考えたのです。
その一つの例が、「星空のかなたに住みたまう全知全能の神」なのです。
民族固有の神や宗教を持つのは自然なことですが、他民族の宗教や神を尊敬することが世界平和にとって重要なことではないでしょうか?
私が強調したい事は他民族の宗教を尊敬すべきという考えです。
お釈迦様が神であると主張する気は毛頭ありません。しかし仮想することで戦争が避けられるのならそれも良いと思っています。お釈迦様は必ずお許しになられます。
自分の信ずる宗教だけが絶対に正しく、他は全て間違っているという考えは徹底的に捨てることが一番大切です。少なくとも私はそのように信じています。
これが私の本意です。この釈明の意味をご理解頂ければ嬉しく思います。
尚、先日掲載した記事の文章もこの釈明に沿うように訂正しました。
私の愚かさをお許し下さい。(終り)