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後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

今年は寒くて梅もまだです・そこで4年前の梅の花の写真をお送りいたします

2012年01月25日 | 日記・エッセイ・コラム

今年は例年になく寒い冬です。梅林が咲き始めるのはまださきのことです。待遠しいいので2008年のブログに掲載されている梅林の写真ををお送り致します。お楽しみ頂ければ嬉しく思います。

2008年2月8日掲載の府中、郷土の森公園の梅林の写真です。皆様の住んでいらっしゃる所の梅はいかがでしょうか?Dscn1241_2

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将来の日本はキラキラ輝く幸せな国になる・・・もっともっと個人が幸せになる

2012年01月25日 | 日記・エッセイ・コラム

明治維新後からバブル経済の破綻まで日本は明快至極な国家目的を持っていました。1867年から1990年頃までの日本人はこの国家目標を心のよりどころとして生きて来たのです。人それぞれ、国家目的への依存度の強弱は非常に違いましたが、日本人の人生観に深い影響を与えて来たことは間違いの無い事実でした。

ところが1990年頃起きた放漫経済体質の崩壊とともに戦後の追いつき追い越せという経済発展に終止点が打たれてしまったのです。それ以上の経済成長が不可能になった結果、日本の国家目標だったGDPの覇権競争から脱落せざるを得なくなったのです。日本は昨年、GDP競争において中国に敗退したのです。

こうして国家目標が喪失してしまい、個人、個人の人生目的もそのよりどころを失います。国家目的に強く同調し、その事で経済的に潤っていた国家公務員や大会社の人々は将来の不安から暗い気持ちになっているのです。

マスコミの報道に簡単に左右されやすい私は「そうか。日本の将来には暗雲が漂っているのか。坂の上の白い雲は黒い暗雲に変わったのか」と理解しました。

しかし暫くすると、暗雲は見る角度を変えるとキラキラ輝く白い雲になる筈という事実に気がつきました。太陽の当たる方向から見れば輝く白い雲に見えるのです。

そんな事を考えていた時、2編の本を読みました。詩人の辻井喬さんが書いた「司馬遼太郎覚書」という本と、山浦玄嗣著「イエスの言葉」-ケセン語訳(文藝出版社、初版2011年12月20)という本です。

司馬遼太郎さんは第二次大戦中に学徒動員され戦車部隊へ編入されます。そして帝国陸軍の不合理性にイヤという思いを体験します。昭和の軍人が日本を賭博にかけるようにしてアメリカと戦争をして、全てを失うのです。その馬鹿馬鹿しさを思うと明治時代の軍人は立派だった。特に秋山兄弟のように一介の庶民が身を起こし、国の為に働き、軍のトップの参謀まで出世できた明治時代は良い時代だった。秋山兄弟の人生は美しかった。そんな思いで書いた小説が「坂の上の雲」です。

辻井喬さんは詩人であり、司馬遼太郎の友人です。ですから司馬さの作品批評は友人としての温かさがあります。ところどころの文章が散文詩のようになっていて、その美しさを楽しむことができます。誤解を恐れずに書けば辻井喬さんの書いた本は論理的には明快でありません。詩人にそれを求めるのが間違いなのです。

もう一つの本は、山浦玄嗣著「イエスの言葉」-ケセン語訳です。その内容は、明治維新後の翻訳文化の根本的な間違い・・・山浦玄嗣著「イエスの言葉」-ケセン語訳ーを絶賛する! という記事でご紹介した通りです。

この2つの本に日本の将来を予測するヒントがあるのです。

「個人の幸せな人生は国家目的が存在していなくても築くことが出来る」というヒントです。そして「幸せな人生とは個人、個人が豊かな地方文化の中で創造するのが良い」というヒントです。

国家目的が強烈過ぎると個人の幸せが犠牲になります。先の大戦中の南洋の島々での玉砕や特攻隊がその極端な実例です。戦後の経済発展の至上主義で犠牲になった個人は沢山います。家族が別れて暮らす「単身赴任」や「転勤命令」などがその例です。

将来の日本にはこのように国家や会社の犠牲になる人々が少なくなるのです。個人個人が自由に輝いて幸せになれるのです。個人の自由な選択によって住む場所や職業を変えることが出来るのです。国家や組織の束縛から解放されるのです。

個人の自由な活動の一例がボランティア活動です。ボランティア活動で助けられる人も幸せですが、その活動をする人も もっともっと幸せな筈です。

「イエスの言葉」の著者の山浦玄嗣さんの病院は大船渡市にありました。3月11日の大津波は病院の一階を泥海にし、残ったものはガレキの山でした。幸い2階は無事だったので救援に来たボランティアの寝泊まりする場所に提供したのです。その山浦さんの文章を以下に引用させて頂きます。どうぞボランティア活動した人々の充実感をご想像ください。是非、ボランティア活動した人々の幸せをご想像下さい。

「あの恐ろしい大津波の後、変わり果てた瓦礫の野に立ち、外界との連絡も全くとだええて、涙を流すことさえも忘れてて呆然と立ちすくんでいたとき、私は本当に「頼りなく望みなく心細い人」だったと思います。そんな私がはじめて涙を流したのは、まっさきに駆けつけて、遺体の捜索に、瓦礫の撤去に泥だらけになって黙々と働いている自衛隊員の姿を見たときでした。あの感謝の感動を私は忘れることが出来ません。そして全国から、いえ世界中から、たくさんの助っ人が続々と大船渡にやって来ました。カナダやアメリカから駆けつけて、せっせと泥さらいをしている青年達の姿に、何度泣かされたことか。それはすばらしい涙でした。嬉しい幸せの涙でした。こんなにたくさんの人々がわたしたちのことを心配して、わたしたちのために駆けつけて、わたしたちのことを大事にして、黙々と働いてくださっている。こんなに人さまから大事にされたことが、東北人にはあったのであろうかとさえ思いました。・・・」。そして大船渡市の人々が、言葉の通じない外国からのボランティアの人々へ飲みものや食べ物を手渡す美しい情景が書いてあるのです。

人生においてボランティア活動の重要性を考えさせる文章ではないでしょうか?

結論を書きます。将来の日本では国家目標が無くなるお陰で、個人、個人は自由に幸多い人生を送れるような素晴らしい国になるのです。地方地方に豊かな文化が栄え、人々がもっともっと平等になり自由に人生を謳歌できる国になります。経済的には少ししか豊かになりませんが、個人個人が輝く国になるのです。

このような国を作ることが「坂の上の白い雲」なのです。

今日は幸多い日本の将来への明るい希望が皆様の心を温かくするようにお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)091