後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

辻井喬著「司馬遼太郎覚書」とWikipedeaの「司馬遼太郎」について

2012年01月16日 | 日記・エッセイ・コラム

司馬遼太郎氏は第二次大戦後の日本人の考え方に大きな影響を与えた巨大な人物であります。とくに日本人の歴史認識への影響も大きなものでした。

最近、詩人の辻井喬さんが書いた「司馬遼太郎覚書」という本を読んでいます。詩人としての立場から司馬遼太郎氏の作品をいろいろ評価しています。

しかし巷間には「司馬史観」という言葉が歩き回っています。司馬遼太郎氏自身は一度も史観という言葉を使ったことが無いと辻井喬さんは書いています。

世の中の人々は司馬遼太郎氏を歴史家の親戚でもあるように、「司馬史観」という言葉を好んで使います。

それではどのよう歴史観なのでしょうか?

Wikipedeaの「司馬遼太郎」について検索して、読んでみました。

一般的に、Wikipedeaの記述は学問的な厳密性に欠けることが多く、私自身はあまり重要視していません。しかしながら「司馬遼太郎」の作品に関するいろいろな異なる立場からの批判や評価が詳細に、しかも公平に紹介してあるのです。

司馬遼太郎氏は天才です。私は尊敬しています。しかし人間としての限界が無いと言ったら贔屓の引き倒しになります。

よく出来たWikipedeaの記述ですので下にURLと冒頭部分のみ掲載致します。

是非ご一読下さい。必ずやご参考になると信じています。

司馬 ?太郎(しば りょうたろう、1923大正12年)8月7 - 1996平成8年)2月12)は、日本小説家ノンフィクション作家評論家。本名、福田定一(ふくだ ていいち)。大阪府大阪市生まれ。筆名の由来は「司馬遷?(はるか)に及ばざる日本の者(故に太郎)」から来ている。

産経新聞社記者として在職中に、『梟の城』で直木賞を受賞。歴史小説に新風を送る。代表作に『竜馬がゆく』『燃えよ剣』『国盗り物語』『坂の上の雲』など多くがあり、戦国・幕末・明治を扱った作品が多い。『街道をゆく』をはじめとする多数のエッセイなどでも活発な文明批評を行った。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%B8%E9%A6%AC%E9%81%BC%E5%A4%AA%E9%83%8E


人生の幸不幸は思い出による(1)記憶を変えて幸せになる!

2012年01月16日 | 日記・エッセイ・コラム

あなたの人生は幸せだったですか?老境に入ると誰ものが考えることです。

長い生涯には悲しかった思い出や、口惜しかった思い出がいっぱい詰まっています。忘れたい悪い思い出もあります。寝ざめの悪い経験もしました。人を裏切ったこともあります。引退して暫くはそんな事を思い出して暗い気持ちに落ち込みました。

しかし2、3年してある原則を発見したのです。それまで悪い思い出と考えていたことを良い思い出に変換すると自分の人生が幸せになるという原則です。

悪い思い出とは自分でそのように思いこんで居ただけです。視点を変えて考え直すと良い思い出に変わってしまうのです。

それ以来、私は過去の全ての悪い思い出を良い思い出に変えてしまったのです。老境にいたるとそれが簡単に出来るようになるのです。

ですから私の人生は幸せだったと確信しています。大きな声で幸せだったと言えます。

昨日、偶然見つけた文章があります。「人の生涯とは、人が何を生きたかよりも、何を記憶しているか、どのように記憶して語るかである」という文章です。

2009年に「終の住処」で芥川賞を受賞した磯崎憲一郎さんが書いた新聞記事のなかで見つけた文章です。「どのように記憶し、どのように語るか?」。それがその人の人生になるのです。(ガルシア・マルケスの言葉)

そうしてもう一つの原則は良い思い出でや楽しかった思い出を、もう一度再現しようとしてはいけないという原則です。絶対に再現しようと思ってはいけません。

過ぎ去った時は絶対に戻って来ないのです。楽しかった幼児の頃は絶対に戻って来ないのです。心の中の宝として現在の幸せの糧にだけすべきなのです。

実例を一つ下に示します。幼児の頃のことではなく1年半前の思い出です。

昨年急死した大学時代からの友人と楽しんだ最後のヨットの写真です。

Dsc00430 

・2010年の10月のある日、昔からの友人と新しい友人と3人で一緒に見た霞ヶ浦の夕暮れの水の輝きです。

Dsc00438 

・右側が急に病気になって昨年9月に亡くなったHN君です。大学時代から55年間も、ご厚情を頂いたHN君でした。一緒に猪苗代湖で何度もセイリングもしました。

左が小生です。

Dsc00441 Dsc00433 

・左がHN君で、右がこの写真を昨日、送ってくれたヨット仲間のTHさんです。

さて上の写真をどの様に記臆すれば良いのでしょうか?

私は悲しい写真というよりも一生、ヨットを愛したHN君と最後のセイリングが出来た最高に楽しい写真と記憶します。そうしてそのように書くことが重要なのです。

もう一つは新しい友人のTHさんが突然、昨日、電話をくれて、あのセイリングは楽しかったので写真を送ると言ってきたことです。彼も楽しい思い出として大切にしていたのです。

上の写真のセイリングの後、彼のキャンピングカーのテーブルで3人でワインを一緒に飲みました。それから駅前の居酒屋で飲みながら夕食を食べたのです。

この楽しかった体験を私は2度と再現しようとしません。それは不可能というよりもそれに執着すると不幸になるのです。

執着しないで今は亡きHN君の冥福を祈ります。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。

後藤和弘(藤山杜人)