祥泉暦

日常の出来事の記録

台湾のおばちゃん

2017-06-30 11:15:08 | 日記
物心ついた頃から小学校に入るまで
私のお世話をしてくれるおばちゃんがいました。
私の祖父の従姉妹にあたり、長年台湾で家族とともに暮らしていたようですが、
ご主人が亡くなり、その後戦争の影響などの理由からでしょう、日本に帰国したようでした。
確か片方の目がほとんど視力がなかった為、ほかで働く事ができず
我が家に住み込みで私の面倒をみてくれていました。
「台湾のおばちゃん」と皆んな呼んでいました。
台湾のおばちゃんは、とても品が良く、長年台湾で生活していたせいでしょうか
山形の人なのに綺麗な標準語で話していました。
そしてキリッと着物を着て、真っ白い手ぬぐいで襟と肩を覆っていました。
私は台湾のおばちゃんが大好きで、
いっつも一緒に遊び、いっつも沢山の本を読んでもらいました。
寒い日は炬燵に抱っこして入り、本を読んでもらいました。
台湾のおばちゃんがそばにいるだけでご機嫌でした。

台湾のおばちゃんは、数ヶ月毎にしばらく何処かに行って、いない時がありました。
子ども心にとても寂しくて、でも何処に行ったのかも誰も教えてくれないし、
自分から親に聞くこともしなかった。。。
でもしばらくするとまた戻ってきてくれ、すごく嬉しく思いました。
今から思うと成人した息子さんと娘さんがいらしてて、
時々居なくなるのはその家族との時間だった様です。

私が小学校に入る頃、息子さんが結婚して家庭を持つことになったので
息子さん夫婦と一緒に暮らすことになりました。
台湾のおばちゃんにとって、とても幸せなことだったのでしょう。
私は泣きたい気持ちを懸命に堪えて見送りました。

その後も台湾のおばちゃんへの思いはずうっと変わらず、
節目ごと、高校に入った時、大学に入った時、就職した時、結婚が決まった時に
台湾のおばちゃんに会いに行きました。
口数の少ないおばちゃんでしたが
「女性こそ上の学校に行ってちゃんと学ばなければなりません」と良く言っていました。
最後に会ったのは確か里帰り出産の為に帰郷した時でした。
もう高齢で、床についたままの状態でしたが
「良いお母さんになりなさいね」が最後の言葉だったと思います。

台湾のおばちゃんが本当に大好きで
家業が忙しくて母親にかまってもらえない寂しさは全くありませんでした。
台湾のおばちゃんはそんなに多くは語らないのに、
おばちゃんの持っている貴賓と風格が大好きで、それがずうっと変わらない思いは、
凄いなと思います。
私を支えてくれ、私の個性に多大な影響を与えてくれた初めての人、「台湾のおばちゃん」
その後、海外赴任先が台湾になった時は、因縁かなとちょっと思いました。


2人の孫が誕生してばあばとなった今、
台湾のおばちゃん的な存在でありたいと思います。




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