祥泉暦

日常の出来事の記録

論語

2019-02-17 13:10:39 | 書籍


中国古典 ビギナーズクラッシック 先ずは「論語」
筆者が冒頭で「祖父が孫に語るように、中学生に古典を語りたい」と書いてあり、
私にぴったりと、偶然に出会った本書に入り込みました。
大人だって分かりやすいに越したことはない。
漢字の羅列を見ただけで、そう言えば漢文は苦手だったなぁと。
なのに書では漢字ばっかり書いている矛盾。

もう人生の折り返しをとっくに過ぎたのだから、
過去の事は忘れて、学びます!


私たち日本人にとって、知らず知らずのうちに身についた
道徳観念の根源と言える「論語」
そしてよく使われることわざも「論語」から生まれています。
それは現代ではよく使われている プラス志向 とか 前向き という観念とは
ちょっと違っています。

特に感じ入った事を綴ってみます。

「知識人」と「教養人」の違いが随所に語られています。
「知識人の道は簡単ですが、教養人への道は困難であり遠いのです。」
確かにある程度努力をすれば知識は得られるが、教養人となると
更に人格が大いに加味されてきます。
孔子は、為政者は教養人でなければならないと言っています。
今の日本の政治家の皆さんは耳が痛いところでしょう。

余談ですが、、、、
先日仮名の書道展を観に行きました。
それは書家で、昭和の三筆の一人 日比野五鳳先生の一派の書展で、
今年は15周年記念大会という事で 日比野五鳳先生の御作品が
5点も展示してありました。
その展覧会に出品されている方は、どの作品も素晴らしく、
私の将来の目標とするものですが、
それでも日比野五鳳先生の作品とは一線を画するものでした。
そこに「知識人」と「教養人」との違いを観ました。
書道の技量や表現力を身につけられた「知識人」と
さらにそれらを超越し人柄や人格も字に現れて、
観る人をほっこりさせる何とも表現できないほどとても良い書、
「教養人」でした。
「知識人」もまだまだ見えない自分を認識した展覧会でした。


論語のなかで、書き留めておきたい言葉は、ノートに書いておきました。
たくさんあるなかで、今後書にしてみたい漢字をひとつ。
「恕 ジョ 」儒教でいう 思いやり。
孔子は「本当に思いやりをかけないといけない相手は自分自身」と言っています。
それは自分を甘やかすという事ではなく、自分を思いやる、自分を奮い立たせるという事です。
自分を思いやってこそ、周りの人へ思いやれる。。。
深いです。