今日は父の祥月命日でした。
きっと天国から、日本がハロウィーンで賑わっているのにびっくりしてるでしょうw
父は10年ほど患っていましたが、家族や兄弟に別れを告げ、
お医者さんや看護婦さんに感謝を述べ旅立ちました。
年齢的には早かったのですが、父としては精一杯生きて、
安心して生涯を閉じた様でした。
父は戦後シベリヤ抑留後帰還しました。
訓練中に落馬して、野戦病院に意識不明の重体で入院している時に終戦を迎えました。
同じ部隊の人たちは全員戦死したそうで、生き残ってしまった後ろめたさを
引きずっての帰還だった様でした。
確か左の耳タブが無くなり、肩には大きな痣がありました。
その事はお風呂に入った時に、父から聞かされたのですが、
私は事の重大さを全く理解できませんでした。
たまたま靖国神社に立ち寄った後、
長年の願いが叶って良かったとつぶやいた父の心境をも
私はちゃんとわかっていませんでした。
寝ている時に悪夢にうなされた事もしばしばだったと
母が言っていました。
子育てが一段落した頃、小説や歴史本を通して
シベリヤ抑留の過酷さを知り、かなりショックを受けました。
戦争体験談をあまり話さなかかった父を想いました。
父はあの時代の父親としては珍しい「褒める子育て」でした。
進路についても親の考えを押し付ける事は全くありませんでした。
その当時は、わかっていなかったのですが、
今思えば過酷な苦しい体験がそうさせたのでしょう。
いつか天国で父と再会した時は、
ちゃんと感謝を述べたいと思います。
きっと天国から、日本がハロウィーンで賑わっているのにびっくりしてるでしょうw
父は10年ほど患っていましたが、家族や兄弟に別れを告げ、
お医者さんや看護婦さんに感謝を述べ旅立ちました。
年齢的には早かったのですが、父としては精一杯生きて、
安心して生涯を閉じた様でした。
父は戦後シベリヤ抑留後帰還しました。
訓練中に落馬して、野戦病院に意識不明の重体で入院している時に終戦を迎えました。
同じ部隊の人たちは全員戦死したそうで、生き残ってしまった後ろめたさを
引きずっての帰還だった様でした。
確か左の耳タブが無くなり、肩には大きな痣がありました。
その事はお風呂に入った時に、父から聞かされたのですが、
私は事の重大さを全く理解できませんでした。
たまたま靖国神社に立ち寄った後、
長年の願いが叶って良かったとつぶやいた父の心境をも
私はちゃんとわかっていませんでした。
寝ている時に悪夢にうなされた事もしばしばだったと
母が言っていました。
子育てが一段落した頃、小説や歴史本を通して
シベリヤ抑留の過酷さを知り、かなりショックを受けました。
戦争体験談をあまり話さなかかった父を想いました。
父はあの時代の父親としては珍しい「褒める子育て」でした。
進路についても親の考えを押し付ける事は全くありませんでした。
その当時は、わかっていなかったのですが、
今思えば過酷な苦しい体験がそうさせたのでしょう。
いつか天国で父と再会した時は、
ちゃんと感謝を述べたいと思います。