渋川明雄様へのお願い
渋川善助さんの略歴と研究テーマなど書いていただけますでしょうか。私の、基本的な知識として加えたいのです。
私の存じ上げている渋川さんは、末松さんと陸士の同期であること。
陸士退学ご、東大を入試を何年か受けたが、士官学校の退学処分のためか、東大は合格を出さない。 やむなく明治大学に入学した。
いくつかの団体を経て、大森一声等とともに直心道場をつくった。この直心道場は、座禅、剣道を行いながら若者を鍛えてゆく、、実質的な活動の拠点となった。また、学生の指導も行った。
先輩の西田さんを通じて北さんとも通じており、一方、末松太平さんなど現役の青年将校と同じ活動を行っていた。
国家の疲弊は、腐敗した政党、政治では実現不可能であり、天皇の親政による新しい体制でしかありえないと考え、北一輝の改造法案を大切に考えていた。
私は、平成平成3年ごろだったか、末松さんから、会津の渋川問屋に行ってみろと言っていただいた。結局今日まで行けていない。
渋川さんは牧野を倒すため、その居場所の確認のため湯河原の伊藤屋旅館19号室に絹子奥様と泊って偵察、磯部に逐一連絡した。そして、25日に河野大尉が現地に到着、情報を伝えて共に?帰京。
事件では、北との連絡などの後、陸軍省に入り、青年将校とともに検挙。裁判。
なお、直心道場時代は、水上さんとはかなりの交渉あり。
井上宣子の名付け親は 渋川善助さん。
頭に浮かぶままとりあえず、書きました。分からないことだらけですので、ぜひとも連載でも結構ですので宜しくお願い申し上げます。
(今泉章利)
注:このブログのコピー、転載などは著作者の書面による同意なしには行えません。(すべての記事に適用されます)
渋川善助さんの略歴と研究テーマなど書いていただけますでしょうか。私の、基本的な知識として加えたいのです。
私の存じ上げている渋川さんは、末松さんと陸士の同期であること。
陸士退学ご、東大を入試を何年か受けたが、士官学校の退学処分のためか、東大は合格を出さない。 やむなく明治大学に入学した。
いくつかの団体を経て、大森一声等とともに直心道場をつくった。この直心道場は、座禅、剣道を行いながら若者を鍛えてゆく、、実質的な活動の拠点となった。また、学生の指導も行った。
先輩の西田さんを通じて北さんとも通じており、一方、末松太平さんなど現役の青年将校と同じ活動を行っていた。
国家の疲弊は、腐敗した政党、政治では実現不可能であり、天皇の親政による新しい体制でしかありえないと考え、北一輝の改造法案を大切に考えていた。
私は、平成平成3年ごろだったか、末松さんから、会津の渋川問屋に行ってみろと言っていただいた。結局今日まで行けていない。
渋川さんは牧野を倒すため、その居場所の確認のため湯河原の伊藤屋旅館19号室に絹子奥様と泊って偵察、磯部に逐一連絡した。そして、25日に河野大尉が現地に到着、情報を伝えて共に?帰京。
事件では、北との連絡などの後、陸軍省に入り、青年将校とともに検挙。裁判。
なお、直心道場時代は、水上さんとはかなりの交渉あり。
井上宣子の名付け親は 渋川善助さん。
頭に浮かぶままとりあえず、書きました。分からないことだらけですので、ぜひとも連載でも結構ですので宜しくお願い申し上げます。
(今泉章利)
注:このブログのコピー、転載などは著作者の書面による同意なしには行えません。(すべての記事に適用されます)