1989年6月4日、北京の天安門広場で何が起きたのか。
当時、ソ連が崩壊し、民主化の波が中国にも訪れたと思われましたが、
天安門事件によって大きく頓挫し、現在に至っています。
以下は、「FRONTLINE」の制作した、
天安門事件に関する
二年前の番組です。
当時現場に居合わせた米国のジャーナリストの意見、
及び、学生運動の指導者達の映像がふんだんに使われています。
80分を越える長編なので、訳はそのうち。。。
中国語と英語でお楽しみ下さい。
今日、お昼の放送で、
どこかのテレビ局が「天安門事件」について、
「未だに何があったのかわからない」と報じていました。
しかし、1989年6月4日の前後には、
欧米のジャーナリストが「北京飯店」等のホテルに宿泊し、
上記の様な報道を続けていました。
と言う事は、米国やその他の諸外国では、
概ね何があったのか分かっていた事になります。
「未だに何があったのかわからない」のは、
日本だけかも知れません。
もし日本だけが聾桟敷なのであるならば、
それは、研究者や日本の媒体の怠慢
と言う事になるのではないかと思っています。
当時、ソ連が崩壊し、民主化の波が中国にも訪れたと思われましたが、
天安門事件によって大きく頓挫し、現在に至っています。
以下は、「FRONTLINE」の制作した、
天安門事件に関する
二年前の番組です。
当時現場に居合わせた米国のジャーナリストの意見、
及び、学生運動の指導者達の映像がふんだんに使われています。
80分を越える長編なので、訳はそのうち。。。
中国語と英語でお楽しみ下さい。
今日、お昼の放送で、
どこかのテレビ局が「天安門事件」について、
「未だに何があったのかわからない」と報じていました。
しかし、1989年6月4日の前後には、
欧米のジャーナリストが「北京飯店」等のホテルに宿泊し、
上記の様な報道を続けていました。
と言う事は、米国やその他の諸外国では、
概ね何があったのか分かっていた事になります。
「未だに何があったのかわからない」のは、
日本だけかも知れません。
もし日本だけが聾桟敷なのであるならば、
それは、研究者や日本の媒体の怠慢
と言う事になるのではないかと思っています。