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中国機 領空侵犯(2)

2012年12月16日 16時13分17秒 | 日記
12月13日、

中国国家海洋局所属の航空機1機が、

尖閣諸島(中国名・釣魚島)周辺の領空を侵犯しました。


1937年12月13日、日本軍が南京に入城しました。

それで中国側は「南京虐殺」の記念に飛行機を出した、と述べていますが、

わざわざ領空侵犯をするからには、

私は、矢張り、

北朝鮮のミサイル発射の影響ではないかと思っています。


それにしても、今回の領空侵犯は、

実に中共らしい行動です。


そもそも、「南京虐殺」は占領軍の開いた「東京裁判」で、

始めて登場し、

「南京虐殺紀念館」は、

日本からの働きかけで設立されました。


例えば、「Wikipedia」によれば、

「日本社会党委員長を務めた田辺誠は1980年代に南京市を訪れた際、

当館を建設するよう求めた。

中国共産党が資金不足を理由として建設に消極的だったため、

田辺は総評から3000万円の建設資金を南京市に寄付し、

その資金で同紀念館が建設された。

3000万円の資金のうち建設費は870万円で、

余った資金は共産党関係者で分けたという。また記念館の設計は日本人が手がけた。

・建設

1982年、田辺の再三の建設要求と破格の資金提供に対し、

中国政府の小平ならびに中国共産党中央委員会が、

全国に日本の中国侵略の記念館・記念碑を建立して、

愛国主義教育を推進するよう指示を出した。

この支持を受けて、

1983年、中国共産党江蘇省委員会と江蘇省政府は

南京大虐殺紀念館を設立することを決定し、

中国共産党南京市委員会と南京市政府に準備委員会を発足させた。

小平は1985年2月に南京を視察に訪れ、

建設予定の紀念館のために

「侵華日軍南京大遇難同胞紀念館」の館名を揮毫し、

小平の視察直後に紀念館の建設が着工され、

抗日戦争終結40周年に当たる同年8月15日にオープンした。」

と書かれています。


これによれば、日本社会党委員長 田辺誠の

再三の要求と資金提供によって、「虐殺紀念館」が設立されたのは、

82年から83年の事です。


何故この年に「紀念館」設立を決定したのか。


ここで少し、中国の近代についてお温習いしておきます。

十年続いた文化大革命は、

76年10月6日、江青を始めとする四人組が逮捕された事によって終結し、

下放されていた多くの人々が、街に帰ってきました。

その結果、「文革」という理想に破れ、

失望した若者が、街に溢れていました。


この頃、中国では『厳打』という集団行動が行われています。

『厳打』とは「厳しく刑事犯罪分子の活動に打撃を与える」の略で、

「精神汚染一掃キャンペーン」などと訳されています。


83年7月19日、小平は北戴河で、全国各地の治安状況を聴取した後、

「当面、各種の深刻な刑事事件に対して、

より"重く・早く"打撃を与えるべきだ。」と指摘しました。


当時の中国の治安状況は、例えば、

83年2月12日(旧暦 大晦日)に、瀋陽で殺人事件が発生。

窃盗の現場を目撃されて殺人を犯した

王宗瑋(おうそうい)・王宗玗(おうそうう)兄弟は、

その後、殺人を繰り返しながら南下し、

「厳打」の始まった9月に江西省で射殺されるまで、

七ヶ月間の逃亡劇を繰り広げました。

その間、連日新聞を賑わせ、

偽の"二王"事件や"二王"を名乗る者が現れました。


5月初めには、卓長仁等数人が民間飛行機を乗っ取り、

瀋陽から韓国へ向かうハイジャック事件が発生。


6月16日には、内蒙古で、

二十七名の女性が被害に遭う強姦殺人事件が発生。

公共の秩序は乱れ、

女性が夜一人で出歩くこともできない状態が続きます。


中国公安部の統計によれば、

80年には全国で七十五万件の事件が起き、

そのうち深刻な事件が五万件、

81年には、八十九万件の事件が起き、

深刻な事件は六万七千件、

82年には七十四万件の事件が起き、

深刻な事件は六万四千件で、

83年に入ると、

事件の発生率は猛烈な勢いで上昇を始めました。


治安悪化の原因は、文革から開放政策への過渡期、

大量の知識青年が都市や農村に帰った事が原因とされています。

78年12月に開催された、

第十一期中央委員会第三回総会(十一期三中全会)で、

文化大革命は否定され人民公社は解体に向かいました。

下放されていた人々が、一気に都市や農村に戻った結果、

深刻な就職難が起こりました。


79年、全国各都市の待業人員の累計は二千万。

北京市だけでも、当時、四十万の待業人員がおり、

その中には三十を過ぎた者もいれば、非常に年若い者もいました。


同市の行った調査によれば、

彼等は、経済的に困難で、思想的に苦悶し、悲観し、失望し、

多くの青年がすることもなく、

街をぶらついてはいざこざを起こしたので、

犯罪率は上昇し、風紀は乱れました。


ところで、この頃、

小平は、二十世紀末までに"小康社会(中流社会)"の建設を達成し、

その後、第二目標として、

三十年から五十年以内に、

先進諸国に近づくという目標を掲げていました。


改革は、初歩的な段階で成功が見られ、

これは、中国現代化の建設の途上、多くの挫折を味わってきた中国人にとっては、

大きく期待を膨らませるに足る結果であると共に、

二度と失敗の許されない事業でもありました。


83年8月25日、

中央政治局は『厳しく刑事犯罪活動に打撃を与える事に関する決定』を打ち出し、

"より重く・より早く、厳しく刑事犯罪に打撃を与える"「厳打」が始まりました。

党委員会の指導の下、

刑事犯罪以外に、"反革命分子"と林彪や四人組の残党も、

粛清の対象とされました。


要するに、82年、小平ならびに中国共産党中央委員会が、

全国に日本の侵略の記念館・記念碑を建立して、

愛国主義教育を推進するよう指示を出したのは、

文革の失敗により、治安の悪化を招き、

しかも四人組の残党に脅かされていた事が、主な理由と考えられます。


この様な状況下で、田辺の再三の建設要求は、

まさに、渡りに船だったと思われます。


こうして、83年、中国共産党江蘇省委員会と江蘇省政府は

南京虐殺紀念館を設立することを決定し、

今日、尖閣諸島を侵略する口実として使われているのです。


さて、以下は「南京虐殺」と今回の領空侵犯を関連づける

「BBC中国語ネット」の記事です。


『釣魚島空域の対立は 中国の戦略の転換を示している』

更新時間2012年12月13日


「中国国家海洋局の飛行機が、木曜日(12月13日)、

中日間で領土紛争のある釣魚島上空、

日本名 尖閣諸島の上空に入り、

日本側の戦闘機を出動させるよう促す行動を取った。


日本の防衛省は、

1958年、日本の軍隊が制空権を押さえて以来、

中国機の領空侵犯は始めて、と発表した。

日本の内閣官房長官藤村修は、中国機の侵入は極めて遺憾だ、と述べた。

中国外交部報道官 光磊(こうらい)は、

中国の海洋監視機がその空域を飛ぶことはまったく正常なことだ、と述べた。


およそ、中国機が釣魚島上空に進入した同時刻(北京時間10時前後)に、

中国東南部の都市 南京の上空では警報が鳴り響き、

南京大虐殺75周年を記念する活動が始まった。


中国メディアによれば、

日本軍は1937年12月13日南京を占領し

続く一ヶ月あまり、

30数万の無辜の平民と武器を捨てた中国兵士を虐殺し、

南京大虐殺を起こした。


・戦略の変化

北京の時事評論員 黄忠清は、BBC中国語ネットの取材を受けて、

中国機が南京大虐殺の記念日を選んで釣魚島の領空に進入したのは、

ひょっとすると象徴的な意義があるのかもしれないが、

しかし、更に重要なのは、

中国の戦略構想が、

十八大の後から、

一定の調子で、

戦略の転換を迎えていると言う事だ、と語った。


彼によれば、

習近平は政権の座に就いてから、

民族の復興を強調し、中国の夢を強調している。


もし、強国の夢を実現するのであれば、

身辺から、南海・東海からはじめるべきだ。

南海・東海の権益すら守る事ができないのであれば、

何が強国の夢、海洋強国などすべて空論と言う事になる。


注意すべきは、

習近平が、中共総書記・中共中央軍事委員会主席に就任後、

度々"民族の復興"を強調しており、

その上、数日前、広州"戦区"を視察した折り、

部隊に"軍事闘争の準備"をするよう要求した事だ。


黄忠清はBBC中国語ネットに対して、

習近平の一連の発言によれば、

中国は二度と以前のように、周辺国家との領土争議に対して、

"争議を棚上げにして、共同開発"という立場は取らない、

と語っている。

中国の発展は、現在一つの転換点に到達しており、

したがって、全ての戦略に変化が起こっているのだ、と述べた。


また同時に、

いまのところ戦争が勃発する可能性は大きくはない、

中国はまだ"戦争も厭わない"という準備はできていないからだ。

それぞれ互いの内情を探っている段階だ、と述べた。


彼が特に指摘するのは、

中国が釣魚島に送り出している艦船と飛行機は、

軍艦と軍機ではなく、民間の船と飛行機で、

管理部門に属す物であり、

"これは、中国が今すぐにでも戦争を仕掛ける、と言う事ではなく、

自己の決意を表明しているのだ"と述べた。」

記事は此処までです。


十八大が終了し、習近平が総書記に就任して、

現在、中国では粛清が始まっているようです。

胡錦濤派の中共統戦部部長 令計画の妻が中紀委に逮捕され、

周永康に近い四川省副書記 李春城も中紀委に逮捕されました。

特に李春城は、十八大後、初の省級幹部の逮捕とあって注目を集めています。

右も左も、粛清の対象になっている事になります。


要するに、中共から見れば、

中共内部は落ち着いておらず、

北朝鮮がミサイル発射に成功し、

日本が防衛に失敗したようでもあり、

12月13日は、日本の南京入城の日でもあったので、

領空侵犯をし、政権の浮揚を図った、

という事ではないかと思います。


83年の「文革」終了後の風紀の乱れ、

89年の「天安門事件」の民主化の要求、

これらの、中共にとっての危機は、

どちらも、排日運動で乗り切っています。


この先、何かの政策で失敗をし、

中国全土に甚大な被害をもたらすような事が起きれば、

或いは、中共に危機が訪れた場合、

尖閣で、戦闘の起きる可能性が無いとは言えません。


そう言う意味では、

ミサイル防衛に失敗というような日本の状況は、

非常に危険と言わざるを得ません。


皆さん、ここまで頑張って読んで頂きまして有り難うございます。


これ以上、日本がおかしくならないように、

売国奴が暗躍しないように、

今日は、ぜひ、投票に行ってください。


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