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漢字の話(キラキラネームの秘密、十七)

2017年08月25日 08時17分10秒 | 日記
さて、「えな」と「えま」の名前の「え」の部分に使われている漢字を抜き出し、音と訓を書き出すと次の様になります。

・永(漢音エイ・呉音ヨウ)
永は、水すじが長い、川がながい、という事を描いた象形文字です。そこから、事がながい、遠い、遥か、久しい、という意味があります。名乗り訓は、ナガ・ヒラ・トホ・ノリ・ヒサです。「エ」とは読みません。インチキです。



金文 永



篆書 永



・依(漢音イ・呉音エ)
よる・もたれる・たのむ・たよる・たもつ・たすける・いつくしむ等の意味があります)名乗り訓はありません。この文字は、仏教用語に使われる他、外国語の音訳によく使われる文字です。例えば、依報(えほう)・依利薩伯(エリザベス)・依士企摩(エスキモー)等です。

・英(漢音エイ・呉音ヨウ)
英は『詩経』は「華」と同義とし、『孟子』には、優れる・抜きんでる、という意味で「英才」という熟語が出てきます。誉れ、才徳の優れた人物等の意味で使われる文字です。名乗り訓には、ツネ・テル・ヒデ・ヒラ・フサ・ハナがあります。この文字は名前に使われる文字ですが「エ」と読むのはインチキです。

・絵(漢音カイ・呉音エ)
えがく・いろどる・あやなす・あやぎぬ・ぬいとり・え等の意味があります)名乗り訓はありませんが、絵師(えし)・絵合(えあわせ)・絵馬・絵巻物等々、「絵」から始まる単語は少なくありません。

・恵(漢音ケイ・呉音エ)
恵は『説文解字』には「惠仁也(恵は仁なり)」、『論語』には「其の民を養うや恵」と出て来ます。「仁」とは、儒教における最高の徳であり、人道の根本を言います。人に対する思いやり・情けが「仁」です。そこで、「恵」には、めぐむ、いつくしむ・愛する、おもいやり・よい・美しい等の意味があります。名乗り訓には、サト・シゲ・アヤ・ヤス・ヨシがあります。但し、一字目で「エ」と読む場合には、恵光(えこう)・恵能(えのう)等々の僧侶の名前か仏教用語、或いは、恵方(えほう)等の陰陽道に関係のある言葉に使われます。『往生要集(おうじょうようしゅう)』を著した源信も、恵心院(えしんいん)に隠棲していたところから、尊敬をこめて恵心僧都(えしんそうず)と称されました。

・笑(ショウ)
この文字は、『説文解字』では竹冠の下に「犬」が書かれており、犬が人にあまえるときの鳴き声が本義である、という説もあり、竹冠の下が「夭」の文字で、風で竹がまがる様子が、人の笑う姿に似ている意味を表している、という説もあります。どちらが本当の意味なのかは分かりませんが、本来は、口を開けて笑う、という意味のようです。その他、笑う・ほほえむ・喜ぶ、「夫子莞爾(かんじ)として笑う」というと、声を出さずに微笑む事ですし、花が咲くという風流な意味もありますが、例えば「五十歩を以て百歩を笑う」とは嘲笑うという意味ですので、人名としてはあまり好まれず、名乗り訓もありません。また、「ほほえむ」或いは「えむ」で一つの言葉で、一字で「エ」とは読みません。インチキです。



小篆 笑

・慧(漢音ケイ・呉音エ)
この文字には、さとい・かしこい・あきらか等の意味がありますが、仏教の「さとり」を意味する文字でもあります。仏教には呉音を用いることが多いのですが、この文字の場合は、仏教関係の場合には「エ」、それ以外では「ケイ」の音、とはっきりと分かれています。例えば、「慧眼」という熟語は「眼識の鋭いこと・さといまなこ」という意味で、一般的には(けいがん)と読みますが、仏教用語で「実在界の真理を識別する心のまなこ」の場合には(えげん)と読みます。その為、この文字を「エ」と読む場合、特に一文字目に「慧」の文字が来ると殆ど僧侶の名か、或いは、仏教に関係のある言葉です。例えば、慧海(えかい、智慧が深く広いことを海に例えた仏教用語)、慧因(えいん、唐の高僧)、慧南(えなん、宋の高僧)、慧琳(えりん、南朝宋の高僧)等々がこれです。名乗り訓は、サト・アキラです。それにしても、「世界に羽ばたく」って、僧侶になる事だったのでしょうか?

愛(漢音アイ)
めでる・おしむ、いつくしむ(親の慈愛)、あわれむ(憐れむ)、したしむ(親しむ)、したう(慕う)、恋する、おしむ(惜しむ)等の意味があります。名乗り訓には、チカ・ヨシ・ヤス・ナル・ツネがあります。仏教では、物を貪る意となり、良い意味も悪い意味もありますが、「エ」とは読みません。どこから出てきたのか想像もつきません。途方もないインチキです。

咲(音ショウ)
意味は、わらう・さく。この文字は、「笑」の古字です。日本では、花の蕾が開く意に用います。「咲」も「笑」同様に「エ」とは読みません。インチキです。

ここまでが、「エ」に使用されている文字です。

例えば、「兄」「江」「図」「画」「柄」「重」「柯」は、音も訓も合わせて全て「え」と読む文字ですが、それらは使われてはいません。

永・英は「エ」と読まないにもかかわらず、故意に「エ」と読ませています。また、笑は「えむ」と読みますが、「え」がある意味を持ち、「む」がある意味を持ち、「え」と「む」を組み合わせると、それを複合した「えむ」という言葉ができあがる、と言うわけではありません。「えむ」を構成する「え」と「む」には何ら意味はなく、「えむ」で初めて意味を持ちます。ですから、永・英・笑を「エ」と読ませようとするのは、日本の漢字文化に対する意図的な破壊にほかなりません。


続いて「ナ」に使用されている文字です。

・菜(音サイ)
菜は形声文字です。采が音符で草冠が意味を表しています。食用の植物の総称、な、あおもの、野菜、さい(野菜や肉でつくった副食物、おかず)、な(アブラナ)、飢えて顔色の悪いさま等の意味があります。「ナ」と読む場合には、野菜・アブラナという意味です。名乗り訓は、ありません。


・那(漢音ダ、呉音ナ)


大篆 那


小篆 那


隷書 那

「おおざと」は、もともと「邑」と書きます。漢音ユウ・呉音オウで、「諸侯の領地」の意です。『説文解字』によれば「国」の意、※『春秋左氏伝・荘・二十八年』には、宗廟(そうびょう、先祖のみたまや)のある所を都といい、ない所を邑と言う、と。『史記・五帝』では、舜(しゅん、古代の帝王)は、一年にして住む所は聚となり、二年で邑となり、三年で都となった、と。そこで、「邑」の付く文字は、国都、人の住む村・里等を表します。

因みに、「邑」を部首とする場合は「おおざと」と言いますが、「こざとへん」も「阜」と書きます。「阜」(漢音フ)は、石のない土山の形に象った象形文字です。そこから、おか、高大な土地、大陸。転じて、おおきい、さかん等の意で用いられます。


甲骨文 阜


小篆 阜


例えば、「陵」(音リョウ)は、『説文』によれば、意味を表す「阜」と、音を表す「夌」からなる形声文字で、大きい丘という意味を表す文字です。



小篆 陵


隷書 陵


さて、那は、『説文解字』によれば、四川省茂県にあった西夷の国です。その他、朝那は、漢代に甘粛省に置かれた県。那処は、春秋時代に湖北省にあった地名です。地名以外では、『詩経』の篇名にも使われており、おおい、うつくしい、やすらか等の意味があります。名乗り訓は、トモ。

また、漢文では助字(助辞)の、なんぞ、いかんぞ等々。例えば、那辺(なへん、どのあたり)、那何(いかに)、或いは、語勢を助ける助辞として、刹那・支那・旦那・任那(みまな)等に使われます。また、中国語では非常に良く使われる文字で、那箇(nage、あの、その、あれ、それ、あんなに、あれだ等)、那就(najiu、それなら、それでは)、那里(nali、あそこ、そこ、あちら、そちら)、那麼(name、あんなに、そんなに、のように、ほどに)、那麼点児(name dianr、たったそれくらい、それっぽっち、それしきの)、那児(nar、あそこ、そこ)、那天(na tian、あの日、その日)、那晩児(nawanr、当時、あの時)、那些(naxie、あれらの、それらの)、那様(nayang、あんな、そんな、ああいうふうにする、そういうふうにする)等々に使われます。

外国の音訳にも使われる文字で、特に仏教に関係のある言葉に良く用いられます。例えば、那由多(なゆた)と言うと、千億の意。那吒太子(なたたいし)は、仏法を擁護する毘沙門天の太子。那羅延(ならえん)は梵天王の別名。西洋人では那波烈翁(ナポレオン)。また、日本には那波(なは)という姓もあり、那須(なす)という地名もあります。姓に使われている文字ですし、中国語に多用されてもいます。更に、名の二文字目以降に使うと助字としての意味合いが強くなります。中国・朝鮮半島の地名にも見られますし、特別にそれらの地域に思い入れのある場合を除いて、人名に使うのは止めた方がよいと思います。



・奈(漢音ダイ、慣用音ナ)


大篆 柰



小篆 柰



隷書 柰


この文字は、『説文解字』によれば、果樹の名で、もともとは「柰」と書いていた物が、誤って「奈」となった、と。どうやら「柰」が正字のようです。

また、疑問反語の助字として、那・如と同様に使われます。奈何(いかん)・無奈(いかんともするなし)等々で、例えば、『史記・項羽紀』の「虞兮虞兮奈若何(虞や虞や若(なんじ)を奈何(いかん)せん)」でもお馴染みの文字です。

助字(助辞)は、助辞とも虚字とも言います。名詞・動詞・形容詞等の実質的な内容をもつ実字に対するもので、単独では実質的な意味を表さず、他の実字や文に結びついて、その語や文の意味を充実させる働きをする文字です。日本語の助詞・助動詞・接続詞、英語の前置詞のような働きをする文字です。例えば、雖・則・也・乎・者・矣・焉等々です。

一般的に言えば、男児の場合は二文字目に助字の「則」「也」「哉」等が使われても、意味の通る良い名前が多いのですが、女児に「奈」を使うのは、奈良県に特別な愛着のあるような場合は別にして、名前の作り方が難しくなるのではないかと思っています。


続いて「マ」に使用されている文字です。

・茉(漢音バツ、慣用マツ・マ)
この文字は「茉莉」以外には使われません。「茉莉(まつり)」は、常緑低木、香気高く、白い花が咲きます。いわゆる、茉莉花茶とは、花で茶葉に香りを付けた物です。森鴎外が長女に茉莉(まり)と付けたせいか、『大漢和辞典』には、「マ」の慣用音はありませんが、その後の『漢和辞典』には「マ」の慣用音が書かれています。こういう事はあまりよいこととは思われません。

・麻(漢音バ、慣用音マ)
この文字は麻冠(あさかんむり)と言う部首ですが、この文字を考える場合には、矢張り、「まだれ」(「がんだれ」)と中の「𣏟」の部分とに分けて考えます。


大篆 麻



小篆 麻



隷書 麻


先ず、「广」の部分ですが、これは(音ゲン)という漢字です。部首に使われる時には「まだれ」と言います。また「厂」(音カン)も漢字で、部首に使われると「がんだれ」と言います。


小篆 广



金文大篆 厂



金文・篆文 厂


先ず「厂」(音カン)ですが、これは象形文字です。『説文解字』によれば、下に人の住むことのできる崖に象っています。『説文解字注』によれば、崖が突き出て、下に人が住む事ができる所にで、崖の上に人が住むのが「广」(音ゲン)です。籀文(ちゅうぶん、大篆に同じ)では「厈」に作るので、「干」の音で「カン」です。一説に、家の中に武器の置かれている様子を表していると言います。

「广」は、指事文字です。厂は崖をあらわし、上の|は家屋を示します。そこで、广は崖の上に高くそびえた家をあらわします。音は儼然の儼(ゲン、いかめしい・おごそか)と同じです。そこから、家の意になります。

さて、「麻」です。この文字は会意文字です。「广」と「𣏟」と合わせた文字ですが、「𣏟」(音ハイ)は「林」とは別の文字です。「𣏟」の片仮名の「ホ」の様な文字は、麻の茎から剥ぎ取った皮です。それを二つ並べて、皮を細かくさいて整理する意を表すので、「𣏟」だけで麻の総称にもなります。麻をつむぐのは屋下でするところから、「广」を加えて「麻」の文字になりました。そこで、この文字は、あさを加工して得る「あさ皮」「あさ糸」「あさ布」を言います。また、「广」も「厂」も家屋に関係があるからか、大篆では「厂」を使い、小篆では「广」が使われています。

この文字は、中国では、地名や姓にも使われます。例えば、麻坪(まへい)は四川省や陝西省にある地名ですし、山東省には麻大湖(麻大泊)という湖もあります。麻士龍(ましりょう)と言うと宋の武人、麻永吉(まえいきつ)は、明の御史(ぎょし、官僚の不正を暴いて取り締まる官)で清廉を以て聞こえました。

・真(音シン)
「眞」は、『説文解字』によれば、「匕」「目」「」「‖」の合字で会意文字です。「匕」は「化」の古字、「」は隠れる、「‖」は乗り物。養生の道は耳目から、或いは、真理を悟るには耳目からなので、この文字は「目」偏(めへん)の文字です。これらを総合して、この文字は「仙人が形を変じて天に登る」という意を表します。転じて、自然・妙理・天性・本質・神気・誠実等の意、そこから、まこと・変わらない・ありのまま・みち・うまれつき等の意味で使われます。名乗り訓は、サネ・マサ・チカ・マタ・マス・ナホ・マ、です。名乗り訓には「マ」がありますが、この文字は、また、接頭語としても用いられています。例えば、真人間・真正面・真一文字、或いは、真新しい等がこれです。

因みに、「目」は象形文字です。

「目」が象形文字である事は小中学校でも習いますが、「め」の象形であるならば、何故、縦に列んでいるのでしょう。



実は、甲骨文・金文までは人の目に象っていました。籀文(『説文解字』には、古文(「古文奇字」とも言い、地方的、私的な異体字)と書かれています)の目玉親父のような文字は、『説文解字』によれば、この文字は古文であり、外側が顔の輪郭をあらわし、中の「へ」の字が眉毛、下の「○の中に点」が目で、眉毛の下に目のある事を表しています。篆書から現在の「目」の形になったようです。


・舞(漢音ブ、呉音ム)
この文字の意味は、まい・まう・まわす・はやい・もてあそぶ・あなどる等です。手足・身体を動かし種々の態をなす事。特に音楽・歌謡にあわせておどる、という意味を表します。また、もてあそぶ、あなどる、という意味もあります。

但し、舞は「まい」と読みますが、「ま」がある意味を持ち、「い」がある意味を持ち、「ま」と「い」を組み合わせると、それを複合した「まい」という言葉ができあがる、と言うわけではありません。「まい」を構成する「ま」と「い」には何ら意味はなく、「まい」で初めて意味を持ちます。ですから、「舞」を「マ」と読むのはインチキです。

・舞(漢音ブ、呉音ム)
この文字の意味は、まい・まう・まわす・はやい・もてあそぶ・あなどる等です。手足・身体を動かし種々の態をなす事。特に音楽・歌謡にあわせておどる、という意味を表します。また、もてあそぶ、あなどる、という意味もあります。

但し、舞は「まい」と読みますが、「ま」がある意味を持ち、「い」がある意味を持ち、「ま」と「い」を組み合わせると、それを複合した「まい」という言葉ができあがる、と言うわけではありません。「まい」を構成する「ま」と「い」には何ら意味はなく、「まい」で初めて意味を持ちます。ですから、「舞」を「マ」と読むのはインチキです。


「えな」「えま」に関する文字の説明は以上です。


最後に、「えな」「えま」に良い名前があったのかどうか検証してみましょう。

・永菜(永はエとは読みません、インチキです。)
・依那(依は呉音エ、那は呉音ナです。那にたよる?意味不明です。)
・英那(英にエの音はありません、インチキです。)
・依奈(依は呉音エ、奈は慣用音ナです。林檎の樹にもたれる、という意味です。)
・英奈(英にエの音はありません、インチキです)
・依菜(依は呉音エ、菜は訓なです。野菜に頼る、という意です。八百屋さんでしょうか?)
・絵菜(絵は呉音エ、菜は訓なです。野菜をえがく、という意味です。)
・恵菜(恵は呉音エ、菜は訓なです。まるで僧侶の名です。)
・笑菜(笑はエとは読みません。インチキです。)
・慧那(慧は呉音エ、那は呉音ナです。完全に僧侶の名です。)
・慧奈(慧は呉音エ、菜は訓なです。完全に僧侶の名です。)
・愛菜(愛はエとは読みません。途方もないインチキです。)

・永茉(永はエとは読みません、インチキです。)
・咲茉(咲はエとは読みません。途方もないインチキです。)
・恵茉(恵は呉音エ、茉は慣用音マです。僧侶のような名です。)
・笑茉(笑はエとは読みません。インチキです。)
・絵茉(絵は呉音エ、茉は慣用音マです。茉莉花(ジャスミン)をえがく、という意です。)
・愛茉(愛はエとは読みません。途方もないインチキです。)
・恵麻(恵は呉音エ、麻は慣用音マです。僧侶のような名です。)
・笑麻(笑はエとは読みません。インチキです。)
・絵真(絵は呉音エ、真は名乗り訓マです。真実をえがく、という意味です。)
・愛真(愛はエとは読みません。途方もないインチキです。)
・絵麻(絵は呉音エ、麻は慣用音マです。麻をえがく、という意味です。)
・愛麻(愛はエとは読みません。途方もないインチキです。)
・恵舞(舞をマと読むのはインチキです。)
・笑舞(愛はエとは読みません。舞はマとは読みません。二重にインチキです。)
・英真(英にエの音はありません、インチキです。)

上記の名前は、漢字のインチキ読みもさることながら、「呉音」が多い事に驚きます。

「呉音」と「漢音」とでは、「呉音」の方が古い時代に日本に入ってきたと言われています。日本に始めて漢字が伝来したのは、四世紀から五世紀にかけての事です。その頃、中国大陸では、政治や文化の中心が、長江下流域の江南地方にありました。この地方には昔「呉国」があり、この地方の言語なので「呉音」と言っています。但し、それは海を越えて直接日本に来たのではなく、朝鮮半島の百済(くだら)を通して入って来ました。その為、正確に「呉国」の発音が伝わっているのかは、疑問であると言われています。「呉音」は朝鮮から対馬を通して入って来たので「対馬音」とも言われています。

また、「最高の名前が見つかる」と言いながら、日本の子供に付ける名前であるのに、二つに一つは、インチキというのはどういう事なのでしょう。


キラキラネームの秘密(十八)に続きます。