『蜻蛉洲大和の国のサンライズタイム』ー外国人参政権反対、移民政策反対、背乗り工作反対!盗聴・盗撮は日本では犯罪です!ー

キラキラネームは日本の漢字文化を破壊するための、カルトの工作活動です!公務員の国籍条項と外国人土地法の復活求む!

漢字の話(キラキラネームの秘密、三)

2016年05月23日 17時50分54秒 | 日記
※当ブログの「漢字の話」及びその他の記事については、許可無く転載を禁じます。何処かで全く同じ内容を発表している場合には、ご一報ください。私が、ねじ込みます。


最近、芸能や運動関係で活躍をする若者の名前が、読めない事が多くなったと思われませんか。漢字を使った二文字の名であるにも関わらず、漢字の用法からは逸脱した読み方が目につくようになりました。

彼等の生まれたのは90年代。実は、その頃、媒体を始めとして小説・映画の世界でも、漢字にデタラメなルビを振る事が流行していました。


・ジャッキー、サモハン、ユンピョウ

漢字に、耳で聞いた「音」をルビで振る事が、日本の漢字の伝統から考えて酷くいい加減な事は既に述べた通りですが、90年代に入ると、中国・朝鮮・韓国の人名・地名を耳で聞いた音を漢字のルビとして使用するという、酷く誤った用法が、テレビ・新聞・小説の世界で、大々的に行われるようになりました。

人名や地名になんちゃって外国語のルビを振るという行為は、何も90年代に始まった事ではありませんが、「ワイルドスワン」や、中韓の映画俳優・女優、映画の字幕等でも、奇妙なルビを、それも盛んに振るようになったのは90年代であったと思います。

例えば、香港の映画俳優、

ジャッキーチェン
サモハンキンポー
ユンピョウ

彼等は中国人なので、当然、漢字の名前があります。ジャッキーチェンは英名ですが、芸名は成龍、サモハンキンポーは、サモ(Sammo)は幼名、ハンキンポーは洪金宝、ユンピョウは元彪です。しかし、80年代の映画スターである彼等の漢字の名の方は、日本では殆ど知られていません。もし、この時代に成龍・洪金宝・元彪と出せば、日本語の音が普及するに決まっているからです。

ところが、90年代に入ると、媒体のみならず普通の小説の世界でも、盛んに外国語のルビが振られるようになりました。


・形声文字について

例えば、『蒼穹の昴』という、NHKでもドラマ化された、中国が舞台の小説があります。この小説は90年代半ばに出版された物ですが、漢字に大量に日本語音以外のルビが振ってあります。「日本語以外」と断るのは、この本には、何語かも分からない、ひょっとしてなんちゃって中国語のような物まで、ルビとして振られているからです。

以下は、この本の文章中に示された単語で、特に目についた物です。

例えば、最初の方に出てくる、

「大哥(ダアコオ)」「二哥(アルコオ)」「阿哥(アコ)」

ですが、

「哥」は「兄貴」「兄さん」という意味で、「大哥」とは「長兄」、「二哥」は「次兄」の意。「阿哥」は、清朝における王子の幼名のようです。

「哥」という漢字に対して、一冊の本の中に(コオ)と(コ)という音がある事になります。どちらが正しいのでしょう?

そもそも中国語では、「哥」は(ge)の音で、(e)の音は日本語の中にはありませんが(ge)は、(グ)や(ガ)の音に近くなります。(コオ)でも(コ)でもありません。(ダアコオ)(アルコオ)(アコ)と発音してみても、中国人は漢字が思い浮かばないと思います。

以前、後漢の許慎(きょしん)が著した『説文解字』を紹介したときに、漢字について、「象形・指事(しじ)・会意(かいい)・形声(けいせい)・転注・仮借(かしゃ)」の六つの分類方法があるというお話をしました。よく、アルファベットが表音文字であるのに対して、漢字は表意文字であると言われますが、この六書(りくしょ)には「形声文字」が含まれているので、漢字は表音文字でもある、という内容です。

形声文字は、文字を二つ以上組み合わせた文字のことです。半分は意味を表す意符(形)、半分は音を表す音符(声)を組み合わせて、一つの文字を構成します。例えば、意味(形)を表す部分が、木偏ならば木に関係があり、草冠なら植物に、氵(さんずい)ならば水に関係があります。そして、音符(声)を表す部分を見れば、音が分かるという具合です。

例えば、音符(声)に「可」の字がついていれば、(カ)の音になります。そこで、

河・何・苛・歌・柯

の音は、すべて「カ」になります。「哥」の音も(カ)です。

意符(形)と音符(声)を合わせて一つの文字にする、という方法は、無数の漢字を作る事が可能です。そのため、漢字は九割が「形声文字」であると言われています。ここに単に耳で聞いただけの、いい加減な「コオ」や「コ」を持ってくると、漢字全体の構造を、破壊してしまう事になりかねません。日本の漢字に、中国語の音のルビを振るというのは、漢字にとって、危険な事であると思います。


・外国語を中国語にする方法

次は

「韃靼」です。

「韃(だつ)」も「靼(たん)」も、もとは靴ひもの事ですが、「韃靼」は蒙古系の遊牧民族「タタール」の音訳です。日本語の音は(だったん)ですが、この本には「韃靼(タルタル)」と書かれています。

中国は漢字からは逃げられません。そこで、外国語を自国の言葉にする場合には幾つかの方法を用います。外国語に近い発音をもつ漢字をもって来る方法や、外国語の意味に合う漢字を用いることで、漢字の持つ意味を際立たせる方法等です。

例えば、次の漢字は全て中国語にとっての外来語です。それぞれ、物の名前・人名・新聞の名前・物の名前・スポーツ名ですが何の事だと思いますか?

*沙発(shafa)
*切格瓦拉(Qie Gewala)
*解放報(Jiefangbao)
*維他命(weitaming)
*雷達(leida)
*保齢球(baolingqiu)

*沙発はソファー*切格瓦拉はチェゲバラ、*解放報はフランスのリベラシオン、*維他命はビタミン、*雷達はレーダー、*保齢球はボーリングです。

中国語ですので、別に、覚える必要はありませんが、ソファーやチェゲバラは、外国語の発音に近い漢字をもってきた当て字、リベラシオンは翻訳です。ビタミン(維他命)は生命を維持する、レーダー(雷達)は雷の早さで伝達、ボーリング(保齢球)は年齢を保つボールで、これらは中国語の音も似ているばかりではなく、意味からも相応しい漢字を使用しています。

中国では、この様に外来語を作りますが、日本には仮名があります。ソファーもチェゲバラもリベラシオンもビタミンもレーダーもボーリングも、片仮名で書けば充分です。


さて、韃靼の中国語音は(Dada)、日本語は(だったん)です。

この作者は、何故(タルタル)を選んだのでしょうか?遊牧民族タタールの、各国の呼び名の一つに(タルタル)があったとしても、中国から入って来た「韃靼」という単語は、(だったん)と読むべきで、(タルタル)と読む必要はありません。

「韃靼海峡」は(タルタルかいきょう)ではありません。
「韃靼蕎麦茶」は(タルタルそばちゃ)ではありません。

誰かが「タルタル」と発音した時に、誰の頭に「韃靼」という文字が思い浮かぶでしょう?「韃靼」の日本語音は「韃(だつ)」と「靼(たん)」で(だったん)です。もし作者がどうしても使いたいのであれば、仮名で「タルタル」かアルファベットで「Tartar」と書くべきです。外来語は、カタカナで表記するものだからです。

それにしても、靴ひもの音を当てたところに、タタールに対する、中国の感情が表れているような気がしますね。


・意味の上から漢字を当てる方法

次に、

「中国皇帝」に(チャイニーズ・エンペラー)について。

中国の「皇帝」と西洋の(エンペラー)は同じではありませんし、「中国」「皇帝」という意味を知らない日本人はいないと思います。要するに、「中国皇帝」に(チャイニーズ・エンペラー)と振るのは、無駄である以上に意味不明で、有害ですらあります。

確かに、日本でも明治以降、西洋の言葉に対して、意味の上から漢字を当てる方法を取る事があります。

例えば、

麦酒(ビール)・麺麭(パン)・煙草(タバコ)等々

がこれです。これらの漢字は、これ以外には読めませんし、もし漢字を書けと言われれば、この漢字になります。「麦酒」と書かれていれば、誰でも(ビール)と読み、(タバコ)の漢字を聞かれれば、「煙草」を思い浮かべる事でしょう。しかし、「中国皇帝」と書かれていれば、百人が百人とも(ちゅうごくこうてい)と読むはずです。態々、チャイニーズ・エンペラーとルビを振る必要性が分かりません。


この小説は、回を増す毎にルビがいい加減になって行きます。

「李鴻章(りこうしょう)」に(リイホンチャン)とルビを振りながら、別の章では、
「李鴻章」に(プレジデント・リー)

この小説家が何を目的にしているのかは分かりませんが、恐らく、人名・地名に中国語音に近いルビをふる事が、その行為の始まりであったと思われます。ですから、

西太后(シータイホウ)
李鴻章(リイホンチャン)

などのルビがあるのでしょう。しかし、幾らかでも漢字について学べば、漢字文化圏では、その国の言葉で読まれる、という事は知っているはずです。だいたい、この二つの単語の中国語音は、

西太后(xitaihou)
李鴻章(lihongzhang)

ですが、西(xi)・李(li)なのに、どうして西は(シー)で、李は(リイ)とルビを振るのでしょう。また、章は(zhang)で、これは(ジャン)の音に近いのに、何故(チャン)なのでしょう。デタラメです。

漢字に外国語音のルビを振ろうという人は、そもそも、漢字という物を知らないのだと思います。その様な人が、一見合理的な理論に基づいて漢字をいじったとしても、往々、不見識を晒す結果になります。


・中林はチョンバヤシか?

例えば、この本には、次の様な単語も出てきます、

「窓」(インヅ)

これは、現在に至るまで、何語なのかも分かりません。そもそも、中国語でもある漢字の特色として、単音節である事があげられます。子音と母音の組み合わせで音節を作るときに、一字の漢字につき、一音節以外にはあり得ないのです。「インヅ」というと「イン」「ヅ」で複音節になってしまいます。「窓」の中国語は(chuang(チュワン))です。(インヅ)を中国語に直すのであれば、例えば、「因子(yinzi、因数分解の因数)」とか、「飲子(yinzi、煎じ薬)」「影子(yingzi、影)」「蠅子(yingzi、蠅)」等々が挙げられますが、上記の(インヅ)は、何の事なのか分かりません。

「徒弟」(トウテイ)

日本語音ならば(とてい)、中国語音ならば(tudi)で(トゥディ)です。何か、日本語と中国語の混じった、出来損ないのルビです。もし、意図的にこの様な物を作ったのであるとすれば、不見識であり、完全なデタラメであると言えます。中林は(チョンバヤシ)でしょうか?

もっとも、この様なちゃんぽんルビの足下にも及ばない、異常な物があります。この本の中で、最も不見識なルビは、

「天!地!」(ティエン!チイ!)

これには正直、驚かされました。これは、中国語ではありません。日本語音は言うまでもなく(てんち)中国語音は(tiandi(ティエン ディ))です。「天!地!」(ティエン!チイ!)は、日本語を中国語風に読んだ、なんちゃって中国語です。例えば「玄関」を(グゥエン クゥワン)と発音するような物で、芸人さんの中国人の物まね芸と同じです。


・漢字とルビの意味が合わない

この本には、他にも、何を思ったのか、漢字に外国語の片仮名を当てた物が出てきます。

「植民地」(コロニー)
「双眼鏡」(スコープ)
「埠頭」(プラットホーム)
「汽笛」(ホイッスル)
「窓」(インヅ)等々…です。

そこで、試みに、colony・scope・platform・whistleを英語の辞書で引いてみました。すると、

*colony、植民地・(外国人、特定職業人の)集中居住地、~、~人町・植民団、移民団・The Colonies=英国植民地地区(独立以前の東部13州)・(アリ・ミツバチなどの)生活集団、コロニー、(植物の)群落
*scope、(理解・能力・活動などの)範囲・(活動の)機会、余地・「~を見る機械」「~鏡」の意味の結合形=telescope(望遠鏡)、microscope(顕微鏡)
*platform、(駅の)プラットフォーム・壇、演壇・教壇・(政党の)綱領、公約・the platform(客車の)デッキ、(バスの)デッキ
*whistle、口笛を吹く・(小鳥が)さえずる・(矢などが)ヒューと鳴る・(矢などが)ヒューっと飛ぶ・汽笛を鳴らす=The train whistled(列車は汽笛を鳴らした)

、と書かれていました。

これらを順に見て行くと、コロニーには「植民地」の意味もありますが、他の意味もあります。scopeに「双眼鏡」の意味はありません。「双眼鏡」ならば、binocularsとかfield glassesです。platformにも「埠頭(ふとう:はとば、船着き場)」の意味はありません。埠頭ならば、wharfなどです。「汽笛」は名詞ですが、whistleは動詞です。品詞が違います。whistleを名詞に読んだとしても、口笛・警笛等の意味しか出てきません。

上記のルビは、漢字に無理に西洋の言葉を当てはめようとしたようです。その行為自体も如何な物と思いますが、辞書を引いたとは思えないような誤った解釈です。全てが間違っていますが、漢字に外国語をくっつけたいという歪んだ情熱だけは伝わって来ます。


・この部分の結論

さて、結論を言えば、この本に表現されているのは、正確な意味とはほど遠い誤った漢字の使われ方と、誤ったルビの意味と、それによって醸し出される雰囲気と、漢字に日本語以外の外国のルビを振るという政治的な目的です。しかし、漢字に外国語のルビを振る事ができるというのは殆ど誤解です。誤解から始まり、手段としての中国語の理解も西洋の言葉の理解も不充分なので、全てがデタラメに流れています。

この小説に書かれた、中国語らしきルビは、読者に対して、中国語っぽい読みを執拗に要求します。その為、非常に読みにくく、文章を見ていて気持ちが悪くなります。若い読者であれば、その言語感覚が破壊される事にも繋がると思います。若い読者を漢字嫌いにするのに、威力を発揮する小説であると言えます。

但し、本当に問題なのは、この本が90年代半ばの漢字の用法を象徴的に示しているだけであって、同様のデタラメな漢字の使われ方は、当時、広く行われていた所にあります。この本だけであるならば、別に、読まなければいいだけです。しかし、これはNHKでもドラマ化されましたし、中韓の言語に近い音のルビを漢字に振ろうとする勢力は、現在も存在しています。

また、この様な勢力が、実は、日本の漢字の伝統についても、中国語についても不勉強であるにも関わらず、日本の漢字をいじろうとする輩であり、真顔で「天!地!」(ティエン!チイ!)というような物を普及させようとする、その程度の見識しか持ち合わせていないような輩である事も、同様に知っておくべきであると思います。

この様な事をしていると、伝統ある日本の漢字文化が損なわれてしまいます。実際、日本の漢字文化が損なわれ始めているのではないかと思わせる物に、キラキラネームの普及があります。

それについては、次回です。